2023年も残すところ十日余り。今年を振り返ると、世界に広がる異常気象・大規模自然災害、ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ地区への無差別攻撃等、命に関わる深刻な状況が地球のあちこちで起き、また国内では、財政引き締め政策や防衛費大幅増等によって社会保障費は削減され、私たちの暮しは、円安・物価高とも相まって、苦しくなるばかりの一年でした。
そんな辛さの際立つ今年の暮れも押し迫った今になって、自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金疑惑が噴出。東京地検特捜部による本格的な捜索も始まり、日本の政治を根底から揺るがす騒ぎとなっています。
『自民党の派閥が開いた政治資金パーティーをめぐる問題で、東京地検特捜部は19日午前、最大派閥「清和政策研究会」(安倍派)と「志帥会」(二階派)の事務所(いずれも東京都千代田区)に、政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)容疑で家宅捜索に入った。億単位の収入が政治資金収支報告書に記載されていないなどの疑いがあり、政権や党を揺るがす問題は刑事事件に発展した。
特捜部は安倍派、二階派ともに派閥側の立件を視野に入れて会計責任者らの任意聴取を進めてきたが、指揮系統などの解明には事務所の強制捜査が必要と判断したとみられる。・・・』
朝日新聞12月19日10時02分
https://www.asahi.com/articles/ASRDL7QW7RDJUTIL013.html?iref=comtop_list_01
思い起こせば、10数年にわたり安倍氏が主導してきた自民党政治とは、「国民生活の軽視」「憲法の空洞化」などの「独り善がりの政治」であり、「嘘・隠蔽・改ざん」「旧統一教会との癒着」など、今回の「裏金問題」にも通じる「党利党略の政治」であり、更に、「学術会議」や「検察」など独立性が強く求められる組織への人事介入によって自らの支配下に於こうとする「強権政治」でした。
私の体験を思い返してみると、2017年に明るみにでた「森友問題」では、2019年に大阪地検が財務省職員らの不起訴を決定したのに対し、検察審査会が「不当」とする議決を出して、「(私も参加した)市民の会」が「厳正な再捜査を求める要望書」を提出しに「最高検察庁」に赴いたことがありました。しかし、当時はほとんど門前払いの扱いで、大阪地検の不起訴が覆ることはなく、検察は官邸と一体化した国家権力そのものであると思い知らされたものです。
安倍氏亡きあとの今だったら、どうなっていたでしょう。
12月18日の毎日新聞コラム「風知草」の中で、山田孝男特別編集委員は、「安倍政権と司法の攻防史」というタイトルで、これまでの安倍政権が試みてきた司法への介入とその影響、それに対する検察の必死の抵抗、そして、安倍氏亡きあとの今と今後の動きについての見立てを書いています。
『裏金疑惑に検察のメスが入り、改めて政治資金の規正強化が問われている。
捜査の背景に政官関係の変質がある。安倍長期政権時代、政治主導が金看板の官邸は、官僚(検察官も司法官僚)の言いなりにはなるまいとして争った。
勝者は、たいてい安倍晋三首相(当時)だった。いまも安倍政権が続いていれば、検察は安倍派に手を出せなかっただろう。岸田政権にはコワモテの官房長官も副長官もいない。・・・』
https://mainichi.jp/articles/20231218/ddm/002/070/076000c
山田氏はコラムの最後に、
『政治資金規正法改正は重要だが、危機は法律のレベルを超えている。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎はいない。野党への期待はさらに低い。
パー券をめぐる検察と派閥の攻防から何が生まれるのか。派閥ボスの談合政治をぶっ壊す強力な新風を吹かせてほしい』と結んでいます。
確かに、今回の東京地検の動きは評価されるべきだし、最後まで頑張ってモラルなき自民党政治に風穴をあけてもらいたいという期待も大いにあります。
しかし、一方、主権者である私たち自身も、ここ数年、「政治不信」の言葉に逃げて、政治を変えることを諦めてきたのではないかと、自らに問う必要もありそうです。
私たちは、今回の成り行きを傍観者として見守るだけでなく、(「期待が薄い」と山田氏のいう)野党議員らの頑張りを支え、励まし、彼らとも手を携えて、「国民の命と暮らし」を第一義に考える真っ当な政治を再構築する一端を、微力ながら担いたい。その決意を胸に、新たな年を迎えたいと思います。
「護憲+コラム」より
笹井明子
そんな辛さの際立つ今年の暮れも押し迫った今になって、自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金疑惑が噴出。東京地検特捜部による本格的な捜索も始まり、日本の政治を根底から揺るがす騒ぎとなっています。
『自民党の派閥が開いた政治資金パーティーをめぐる問題で、東京地検特捜部は19日午前、最大派閥「清和政策研究会」(安倍派)と「志帥会」(二階派)の事務所(いずれも東京都千代田区)に、政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)容疑で家宅捜索に入った。億単位の収入が政治資金収支報告書に記載されていないなどの疑いがあり、政権や党を揺るがす問題は刑事事件に発展した。
特捜部は安倍派、二階派ともに派閥側の立件を視野に入れて会計責任者らの任意聴取を進めてきたが、指揮系統などの解明には事務所の強制捜査が必要と判断したとみられる。・・・』
朝日新聞12月19日10時02分
https://www.asahi.com/articles/ASRDL7QW7RDJUTIL013.html?iref=comtop_list_01
思い起こせば、10数年にわたり安倍氏が主導してきた自民党政治とは、「国民生活の軽視」「憲法の空洞化」などの「独り善がりの政治」であり、「嘘・隠蔽・改ざん」「旧統一教会との癒着」など、今回の「裏金問題」にも通じる「党利党略の政治」であり、更に、「学術会議」や「検察」など独立性が強く求められる組織への人事介入によって自らの支配下に於こうとする「強権政治」でした。
私の体験を思い返してみると、2017年に明るみにでた「森友問題」では、2019年に大阪地検が財務省職員らの不起訴を決定したのに対し、検察審査会が「不当」とする議決を出して、「(私も参加した)市民の会」が「厳正な再捜査を求める要望書」を提出しに「最高検察庁」に赴いたことがありました。しかし、当時はほとんど門前払いの扱いで、大阪地検の不起訴が覆ることはなく、検察は官邸と一体化した国家権力そのものであると思い知らされたものです。
安倍氏亡きあとの今だったら、どうなっていたでしょう。
12月18日の毎日新聞コラム「風知草」の中で、山田孝男特別編集委員は、「安倍政権と司法の攻防史」というタイトルで、これまでの安倍政権が試みてきた司法への介入とその影響、それに対する検察の必死の抵抗、そして、安倍氏亡きあとの今と今後の動きについての見立てを書いています。
『裏金疑惑に検察のメスが入り、改めて政治資金の規正強化が問われている。
捜査の背景に政官関係の変質がある。安倍長期政権時代、政治主導が金看板の官邸は、官僚(検察官も司法官僚)の言いなりにはなるまいとして争った。
勝者は、たいてい安倍晋三首相(当時)だった。いまも安倍政権が続いていれば、検察は安倍派に手を出せなかっただろう。岸田政権にはコワモテの官房長官も副長官もいない。・・・』
https://mainichi.jp/articles/20231218/ddm/002/070/076000c
山田氏はコラムの最後に、
『政治資金規正法改正は重要だが、危機は法律のレベルを超えている。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎はいない。野党への期待はさらに低い。
パー券をめぐる検察と派閥の攻防から何が生まれるのか。派閥ボスの談合政治をぶっ壊す強力な新風を吹かせてほしい』と結んでいます。
確かに、今回の東京地検の動きは評価されるべきだし、最後まで頑張ってモラルなき自民党政治に風穴をあけてもらいたいという期待も大いにあります。
しかし、一方、主権者である私たち自身も、ここ数年、「政治不信」の言葉に逃げて、政治を変えることを諦めてきたのではないかと、自らに問う必要もありそうです。
私たちは、今回の成り行きを傍観者として見守るだけでなく、(「期待が薄い」と山田氏のいう)野党議員らの頑張りを支え、励まし、彼らとも手を携えて、「国民の命と暮らし」を第一義に考える真っ当な政治を再構築する一端を、微力ながら担いたい。その決意を胸に、新たな年を迎えたいと思います。
「護憲+コラム」より
笹井明子