老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「省エネ蛍光ランプ」新聞広告の是非について閣議決定

2007-06-20 16:01:57 | 安倍内閣
安倍総理夫妻起用の省エネ蛍光ランプの新聞広告について、その是非が国会やテレビワイドショー番組でも取り上げられている最中、昨日(6/19)の閣議で「内容は適切だった。特定の政党や候補者を支持する目的はなく、政治的に中立性を欠くものではない」との答弁書を決定した、と報じられている。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070619AT3S1901P19062007.html

選挙の結果、国会で多数を制した政党の代表(総裁)が内閣を組閣するのが政党政治・政党内閣であり、多数を制した自民党の総理総裁が広告に堂々と載っているのに、「特定の政党や候補者を支持する目的はなく、政治的に中立性を欠くものではない」と何故いえるのか。全くの詭弁であり、政党政治・政党内閣を理解していない閣議答弁書といわざるを得ない。

以前にも指摘したが、一見してこの広告は地球温暖化防止か、それとも蛍光ランプの宣伝か、夏の参議院選挙向けの巧妙な党利党略の宣伝広告か、と疑いたくなるよな巧妙な広告であることは、既に衆目の一致するところである。

また広告代理店への支払い額も各メディアが取り上げ、国会でも追及されているが、庶民感覚からはシンジラレナ~イ額だ。今年は定率減税等が廃止され、実質増税になる庶民にとっては、税金による新聞広告が適切であったとの閣議決定は納得できるものではない。

http://newstopics.dion.ne.jp/pubnews/story/?nc=20070620p1500m010150&nd=20070620011659&sc=pn&dt=new

この広告の是非について政府が正式見解を発表したとなれば、あらゆる面から見て国民には到底納得のいかないものを、閣議という権力でグレーを白と言いくるめた、との疑念は払拭できないと思う。世論という火に、自ら更に油を注いだようなものではなかろうか。

「護憲+BBS」「政治家の問題発言ファイル」より
厚顔の美少年
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政治という浮き草

2007-06-20 15:15:02 | 選挙
有権者の政治的性向を分析してマッスとし、それらのうちの、観客にも擬されるような盲目的支持・追随層を如何に引きつけるかが最大関心事となるような「政治」は、政治と呼ぶに相応しいものなのだろうか。
 
そもそも政治というものは、白紙委任を取り付けるためには鎬を削るが、一旦それを手にした後の何年間は、専横を欲しいままに出来るものと考えているのだろうか。
 
“変わり者”が定評であった人を担ぎ上げることそのものに、絶対的な懸念を持たず、立派に育てるなどの壮言大語を添えれば足るとした人の不明を筆頭に、雪崩を打つように“劇場”に駆け込んだ政権与党の人達。
 
少しずつ変質してきた戦後政治は、あの人によって決定的な舵切りが行われたと思わざるを得ない。ブッ毀すなどという野卑な言葉が問わず語りに明かすように、“変わり者”と評され続けてきたことに対する《怨念》。それこそがあの言葉の本質であり、その権力者に取り入った少数が、現在の流れを形成し続けている。

これは既に民主主義を標榜する地で行われる政治ではない。地方議会の「代議制の精神に反する」という住民投票条例を否とする場合の論拠ともども、政治の根っこに関わるものとして真摯に見つめ直さなければならぬ。覆水を盆に返す努力を必要とすると思い知らねばならぬ。

浮き草的な流れは、自薦他薦を問わず、月余先に迫った参院選の候補者として取り沙汰されている顔ぶれにも感じ取ることが出来る。まさに大劇場の顔見せの感を否めない。
 
政治は「家業」ではない。したがって、定まった経綸抱負を問うて政治に携わろうとする人の輩出は望むべきものであり、これによって政治本来の姿、万民・世界の安寧を叶えるための作用に舵は切り直されるべきであろう。しかし、今の顔ぶれの多くは、「数」要因であって根を主権者におく政治の実現を目指しているものとは受け止めがたい。

このような憂いの最大の要因は、野党にあると言わざるを得ない。当然のことながら、野党にはその掲げるものを実現する場はない。それ故こそ、その掲げる政策は実現可能性の高いものでなければならぬ。政治は夢を売るものではない。
 
自民党支持者の野党評は、「夢みたいなこと」これ一語に尽きている。民主党は、曲がりなりにもシャドーキャビネットを組んでいる。しかし、そこからいかばかりのものが発信されているのだろう。敵失の上げつらいだけでは、劇場型となんらかわりはないと知るべきであろう。
 
9条を護る、それだけで盲目的支持を得ることが出来ると考えているとしたら、顔を洗って出直して政治を語らねばならぬ。

自民党の支持層が老年層に多いとする分析は、当を得ているのかも知れぬ。それは、自分の足跡に照らし、夢の儚さが一番身に沁みている年代でもあるからだ。それは、戦前・戦中教育の刷り込みもあろう。

たまたま、12月8日に開かれた会合で挨拶に立ったさして変わらぬ高齢者が、「ワクワクしたのを昨日のことのように思い出す」と語ったが、同世代がこれと一様とは決して思えない。私事だが、開戦の報道に「バカなことを始めおって」と呟いた父の言葉を忘れない。そして、国民学校から新制中学・高校を真正一年生として育った自分の狭い経験に照らしても、多くは、平和主義者・民主主義者として生を続けていると確信する。

要は、政治の場にいる人・これからその場に立とうとしている人達が、どのような未来図を示す能力を備えているか、主権者がそれをどう選別し、かつ育てるかにかかっている。そのように思います。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山
コメント (1)
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戦中世代の実態

2007-06-20 06:21:09 | 選挙
眠り猫さんの「戦中世代=与党支持層」について。

私の年齢(1927年)はとても微妙なところで、ひとつ上の人は兵役経験があり、3つ下の人から学制が6,3,3に変わっています。それでも敢えて一口に言えば、平和と民主主義のありがたさを身にしみて感じ、貧窮のどん底から徐々に這い上がる喜びにわれを忘れてがむしゃらに働いた世代でもあります。

いつも身近にあった死が遠のき、天皇制が幻に過ぎないと分かって豊かさに生きがいを求めたのです。だからその時代を支えた保守の良さを私たちは忘れない。「戦争は二度としたくない、天皇などどうでもよい」と言いながらも自民党を支持している。

眠り猫さんがおっしゃるように、戦争への反省もなく天皇崇拝を続けている骨董品のような人もいるでしょうが、多くの人はもっと現実的で、「税金が、介護保険料が上がった」と文句は言うが、「そのうち自民党が何とかしてくれる」と楽観している。ただあまり勝手なことをやると、「たまにはお灸をすえてやるか」となるだけかと思います。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
宮天狗
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