6月4日付けコラム「戦時中の標語」の中に書いた『見よ そこにいる第五列』の「第五列」とは何か?という質問がありました。
ウィキペディアによれば、『スペイン内乱のときにフランコ側の将軍モラがマドリード市内で人民戦線政府撹乱の為にモラを支援した民間ゲリラをそう呼んだ』とありますが、程なく中国進攻を開始した日本にとって、治安維持法でがんじがらめにした国民をさらに締め付けるまことに都合の良い道具となりました。
味方のような顔をしながら敵を支援する「第五列」の存在は、政府にとって「一億一心火の玉で」と国民に死に物狂いの団結を強調する一方、「隣の人はもしかすると?」と疑心暗鬼にさせる相互監視の効果満点でした。かくてスパイよりも広義でレジスタンスとも共通するこの言葉は、瞬く間に全国津々浦々でささやかれるようになり、子供たちの間でも「仲間のいたずらを先生に告げ口する卑怯なやつ」の代名詞みたいになっていたのです。
また当時の憲兵や特高がいくら横暴だったといっても、一般市民を逮捕拘留するのはそう簡単ではありませんでした。しかし「第五列」のおかげでビルの屋上から双眼鏡で遠くを眺めていたり、今度招集された兵隊さんはどこそこへ向かったらしいと話しただけで「敵への情報提供」とか「流言蜚語による後方撹乱」というあいまいな理由をでってあげて、令状なしの現行犯逮捕が容易にできるようになったのだから、笑いが止まらなかったことでしょう。
戦後この言葉がすっかり忘れられてしまったのは、いかに日本が平和だったかの証拠であり、日本国憲法9条が存在する限り復活することはないと思います。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
宮天狗
ウィキペディアによれば、『スペイン内乱のときにフランコ側の将軍モラがマドリード市内で人民戦線政府撹乱の為にモラを支援した民間ゲリラをそう呼んだ』とありますが、程なく中国進攻を開始した日本にとって、治安維持法でがんじがらめにした国民をさらに締め付けるまことに都合の良い道具となりました。
味方のような顔をしながら敵を支援する「第五列」の存在は、政府にとって「一億一心火の玉で」と国民に死に物狂いの団結を強調する一方、「隣の人はもしかすると?」と疑心暗鬼にさせる相互監視の効果満点でした。かくてスパイよりも広義でレジスタンスとも共通するこの言葉は、瞬く間に全国津々浦々でささやかれるようになり、子供たちの間でも「仲間のいたずらを先生に告げ口する卑怯なやつ」の代名詞みたいになっていたのです。
また当時の憲兵や特高がいくら横暴だったといっても、一般市民を逮捕拘留するのはそう簡単ではありませんでした。しかし「第五列」のおかげでビルの屋上から双眼鏡で遠くを眺めていたり、今度招集された兵隊さんはどこそこへ向かったらしいと話しただけで「敵への情報提供」とか「流言蜚語による後方撹乱」というあいまいな理由をでってあげて、令状なしの現行犯逮捕が容易にできるようになったのだから、笑いが止まらなかったことでしょう。
戦後この言葉がすっかり忘れられてしまったのは、いかに日本が平和だったかの証拠であり、日本国憲法9条が存在する限り復活することはないと思います。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
宮天狗