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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「憲法の戦後史」(予告)

2023-11-19 17:45:06 | 憲法
1. はじめに

今回の投稿は「コラム」ではありません。私は現在では、コラムを書くという日常になっていません。なので、執筆予定の「本」の予告しか、書くことはできません。あくまでも構想中の著作の予告です。

2. 日本の現状

まず、日本国の現状ですが、日本政府は、現在では、反憲法の政治をなんらの罪悪感もなく、粛々と進めています。中曽根政権からでした。憲法学が言う、立憲主義などは全く意に介さずに、堂々と憲法規定を覆して、憲法改悪を企図してきました。

現在の目立った動きは、カルト癒着問題で当事者であるくせに、一方の当事者である旧統一協会の「解散命令」を裁判所に提出しました。カルト癒着問題では、憲法違反の当事者は、二つの団体であり、一方は日本政府;自民党です。

これが「政教分離原則(憲法規定)」違反の、本来の「法律事実」です。ですが、日本国民の多くは、大学人を含めて、その意識すらありません。ここから、次の「論点」が派生してきます。

つまり、立憲主義の背景にある、近代憲法の重要な原則である、「法の支配」が蔑ろにされており、権力者などの「人の支配」になっています。

3. 「法の支配」と何か

「法の支配」の起源は古く、ヨーロッパ国家では、遥か以前から存在してきました。この原則を近代法(近代憲法体制)が継受しました。それと立憲主義との関係を、日本の憲法学は無視してきました。多分、マグナカルタが最初の起源の一つと考えられます。

「政教分離原則」の憲法規定の起源は、おそらく、近世の、ウエストファリア条約の締結時に、ヨーロッパで採択された条約ではないかと思われます。そこでは、「自然状態」の克服という提言により、これからは、主に「宗教戦争」などはしないという「社会契約論」が提唱されたのだと思います。

ところが、この「社会契約論」の提唱とウエストファリア条約が締結されたにも関わらず、日本国では、全く、明々白々に「政教分離原則」は一向に順守されていません。カルトの「解散命令」では、政教分離原則が順守されたことにはなりません。

4. おわりに

今回の「投稿」は執筆予定の「予告編」になりましたが、現在では政教分離原則違反の世界的な問題として、イスラエルによるガザへの侵攻が、ジェノサイドとして、世界的なニュースになっていて、国連は口頭で「市民の虐殺は、止めて」と言うのみであり、西側諸国も我関せずと、仲介に乗り出しません。

ウエストファリア条約はヨーロッパだけのローカルな条約であり、「自然状態」でもいいのは「中東」での問題だからなのでしょうか。再び「中世」に戻っている、世界情勢と日本国なのでしょうか。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

5.3市民意見広告「戦争回避が政治の役割!大軍拡・改憲に反対します。」

2023-05-04 16:16:42 | 憲法


憲法記念日の昨日、朝日新聞(全国版)朝刊、信濃毎日新聞朝刊、読売新聞(全国版)朝刊の3紙に、恒例の「5月3日、市民意見広告」が掲載されました。今年のメインタイトルは「戦争回避が政治の役割!大軍拡・改憲に反対します。」、サブタイトルはずばり「平和」です。

今年の主張は「大軍拡がいのちと暮らしを脅かす」「平和憲法をもつ日本ができること」「「戦争できる国」にさせない」「非戦の未来を選ぶ」の章分けで語られています。

詳細は以下をご覧ください。
https://www.ikenkoukoku.jp/archives/813/

この市民意見広告運動は、2003年5月に「イラクへの攻撃と有事法制に反対する」趣旨でスタート。以来、憲法記念日に誰でも参加できる「紙上のデモ」として、憲法9条や25条の真の実現を通して平和を訴える「意見広告」を新聞紙上に掲載し続け、当初2095件だった賛同件数も、今年は10,337件にまで伸びているとのことです。
https://www.ikenkoukoku.jp/about/
https://www.ikenkoukoku.jp/news/826/


「老人党・護憲+」も長年にわたり参加しており、今年も賛同者に名を連ねました。画像の文字「平和」の「平」の下の線と中の線が交わる辺りに名前があるのですが、分かりますか?



「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子

【推し条文は何ですか?】

2022-05-04 15:37:12 | 憲法
きのうの憲法記念日のツイッターに「#憲法記念日に向けて紹介したい私の推し条文」というハッシュタグ(#)のついた投稿が、たくさん回ってきました。

前文や9条の他にも25条(生存権)や11条(基本的人権)、12条(不断の努力)、13条(幸福追求権・個人として尊重)、14条(法の下の平等)など様々。97条をあげている人も多かったようです。

私は97条、コブシは9条だそうです。
また36条にも注目しています。
「公務員による拷問及び残虐や刑罰は絶対にこれを禁ずる」
自民党の改憲草案では「絶対に」が抜けているそうです。
絶対に、を入れた背景とそれを抜きたい自民党の思惑を想像すると、かなりおそろしい気がします。

みなさんの推し条文は何ですか?

以前、楾(はんどう)大樹さんという弁護士さんの「檻の中のライオン」という講演会を聴きに行ったときに、憲法全文が書かれたクリアファイルを購入しました。このファイルが手元にあるとすぐに確認できるのでとても重宝しています。

楾さんは、全国を飛び回って講演しているそうです。中学校から呼ばれることもあるとか?お話も面白いので、多くの人に聞いていただきたいです。

崖っぷちのような状況になって、今更ながら「不断の努力」という条文を嚙みしめています。

「護憲+BBS」「憲法を考える」より
コナシ&コブシ

5・3市民意見広告「改憲させない! 私たちは非戦を選ぶ。」

2022-05-03 14:15:23 | 憲法
憲法記念日の今日、朝日新聞朝刊(全国紙)、沖縄タイムス(地方紙)、読売新聞朝刊(全国紙)、琉球新報(地方紙)の4紙に、恒例の「5月3日、市民意見広告」が掲載されました。今年のメインタイトルは「改憲させない! 私たちは非戦を選ぶ。」、サブタイトルは「ころすな」。

今年の主張は「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を許さない」「二度と核兵器を使ってはならない」「「有事」不安を軍拡に利用するな」「「戦争できる国」にさせない」「参院選で非戦の意思を示そう」の章分けで語られています。



※詳細は以下をご覧ください。
https://www.ikenkoukoku.jp/news/768/
https://www.ikenkoukoku.jp/archives/757/

この市民意見広告運動は、2003年5月に「イラクへの攻撃と有事法制に反対する」趣旨でスタート。以来、憲法記念日に誰でも参加できる「紙上のデモ」として、憲法9条や25条の真の実現を通して平和を訴える「意見広告」を新聞紙上に掲載し続け、賛同件数は当初の2095件から、今年は11,127件にまで伸びているとのことです。
https://www.ikenkoukoku.jp/about/




「老人党・護憲+」も長年にわたり参加しており、今年も賛同者に名を連ねました。画像の文字「ろ」の丸い部分のすぐ下、中ほどに名前があるのですが、分かりますか?

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子

「朝日訴訟」判決の現代的意義と問題点

2022-03-31 21:33:38 | 憲法
1,はじめに

最近の憲法教科書では、憲法学者が若くなったのか、昭和32年(1957年)の朝日訴訟は割愛されているようだ。しかし、彼らはこの憲法訴訟を軽視していると思う。なぜなら、「朝日訴訟」最高裁判例は、現在の「生活保護法」の法的な指針であり、先例として、未だに大きな規範として影響力を持っているからである。憲法学の劣化を指摘しておく。(因みに、私はこの時は8歳であり、日本は未だ貧しかったと記憶している。)

2,訴訟の概要

結核患者である原告の朝日茂氏は、日本政府から1か月600円の生活保護による生活扶助と医療扶助を受領して、岡山県の国立岡山療養所で生活していたが、月々600円での生活は無理であり、保護給付金の増額を求めた。

1956年、津山市の福祉事務所は、原告の兄に対し月1500円の仕送りを命じた。福祉事務所は、同年8月分から従来の日用品費(600円)の支給を原告に渡し、上回る分の900円を医療費に一部自己負担分とする保護変更処分(仕送りによって浮いた分の900円は医療費として療養所に納めよ、というもの)を行った。

これに対して、原告は県知事に不服申し立てを行ったが却下され、次いで厚生大臣にも不服申し立てを行うも却下されたことから、原告が行政不服審査法による訴訟を提起するに至ったのである。

原告は、当時の「生活保護法による保護の基準」による支給基準600円では生活は出来ないと実感し、憲法25条、生活保護法に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する水準には及ばないことから、日本国憲法違反に当たると主張した。

3,判決

〇第1審の東京地裁は、日用品費月額を600円に抑えているのは違法であるとして、裁決を取り消した(昭和35年10月19日)。

〇第2審の東京高裁は、月600円はすこぶる低いが、不足分は70円に過ぎず、憲法25条違反の域には達しないとして、原告の請求を棄却(昭和38年11月)。

〇上告審の途中で、原告の朝日氏が死亡(1964年2月14日)。最高裁は、生活保護の権利は相続できないとして、本人の死亡により訴訟は終了したとの判決を下した(昭和42年)。

最高裁の判決は以上であったが、最高裁は「なお、念のためとして」次のような「所見」を述べている。

〇「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るような国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を付与したものではない」とし、国民の権利は法律によって守られればよい、とした。
〇「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委ねられている」とする。

4,結語(最高裁判決、特に念のためという傍論判旨の評価)

1審の東京地裁判決のみが、原告朝日茂氏の「全面勝訴」であり、2審と上告審では敗訴になったが、最高裁の「念のため」判決が、特に一番問題である。以下現在の生活保護の現状から論評したい。

まず、最高裁の判旨では、『25条の生存権規定の、最低限度の健康で文化的な生活を営む権利を国政の責務として「宣言」したにとどまる』という解釈であるが、これは明確な憲法違反の結論であると言ってよい。

なぜなら、原告は実際に憲法25条に基づく生活保護の「具体的権利」を(不足するも)享受しており、「宣言」に止まっているわけではない。原告は、その「具体的権利」が「憲法」の保障する水準に達していないことを訴えているのである。

最高裁は、憲法裁判における論理的な判断ができていない、と思う。宣言に止まるという段階での訴訟ではないからである。生活保護の基準が「おかしい、生活不可能だ」という原告の提訴なのであった。

次に、最高裁は、「何が・・・、最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委ねられている」とするが、その最低限度の「判断」がおかしい、到底生活できないと訴えており、もし最高裁のように、行政官の自由な「裁量」に「委ねる」というのであれば、違憲立法審査権の「国民の権利」は、常に無意味なものとなるだろう。

当該行政官僚の「自由な裁量」に一任するのであれば、司法審査は何らの「法的意味」はないからである。その「裁量」自体が憲法の規定に違反しているとの「判定」の審査を裁判所に求めているからだ。

こういう日本の裁判(1審の東京地裁を別として)なので、現在でも、「生活保護」の捕捉率は20パーセントにとどまり、保護を拒否された残りの80パーセントの困窮者は路頭に迷っている「現在」なのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

「今こそ9条の時代」(伊藤千尋さん)

2022-03-14 11:26:33 | 憲法
【「今こそ9条の時代」伊藤千尋さんのフェイスブックより】
伊藤千尋さんがフェイスブックページに書かれていた文章を紹介させていただきます。
多分これからご自分のサイトにも掲載されると思いますが、「9条を世界の常識とする努力は急務です」と書いていらっしゃるので、フェイスブックをやっていらっしゃらない方にも早く紹介したいと思いました。
長文ですが、共感するところ多く、読みやすかったです。
(行を変えたり、行間を開けたり、少し変えています)

・・・・・ここから

今こそ9条の時代

ロシアのウクライナ侵略について、いろいろ書いてきました。
でも、そもそも書こうとしたのは「今こそ憲法9条が世界に羽ばたくときだ」です。ようやく本題に入ります。

戦後の日本はどんな方向を目指してきたのでしょうか。
それは憲法の前文に書いてあります。
大切な柱は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにしたことと、主権が国民にあることを宣言したことです。
戦前は戦争したがる国だったし、国民に主権はなかった。
プーチン大統領が牛耳るロシアのような、ものも言えない社会でした。

しかし、自由で民主的な社会を嫌う自由民主党の政治家たちは、日本を戦前に戻そうとしています。
彼らはプーチンや米国のトランプ前大統領と同じく国際秩序を無視し、武力で自国の利益を図ろうとする時代遅れの「力の論理」を掲げます。
安全保障は抑止力に依存すると考え、ひたすら軍備拡張に走る。「それは2度の世界大戦を経て、国連憲章ではっきり否定された概念です。

ともあれ国連憲章も日本国憲法も、せっかく理想が書かれながらうまく機能していないという現実があります。
それは憲章や憲法が悪いのではありません。
きちんと使おうとしないことが悪いのです。
これから先も「力対力」の暴力に頼るなら、日本の未来も人類の将来もありません。
先の大戦で多くの犠牲を払って得たものを捨てて野獣のような世界に戻るのは、人間として恥ずかしいことです。

ロシアのウクライナを侵略に対して、それ見たことか、世界は理想通りにはいかないのだから9条など役に立たない、という否定的な論が出ました。
いいえ、違います。
今の時代がまだこの程度だということです。
だからこそ理想に向けて努力しなければ、こんどこそ世界を巻き込む戦争になってしまいます。

それにプーチンだって完全に好き勝手にやっているのではありません。
戦争とは呼ばずに特別軍事作戦という言い方です。
戦争と呼べば国連憲章違反になるからです。
彼なりに国連憲章に配慮している。
独裁者だって国際法の枠組みに縛られているのです。

いま見るべきは、ロシアの侵略に対する世界の人々の動きです。
武力で他国を踏みにじることに対して世界の市民が反対の意志を示し、自発的な反戦集会が地球規模で起きています。
武力の行使に市民が国境を越えて連帯し、発信したのです。
それを評価すべきです。
世界の市民が9条の発想を支持したと考えてもいい。

だから、今こそ9条の出番なのです。
争いをなくしたいという人類始まって以来の願い、平和を求める世界の知恵を結集した憲法9条を高く掲げ、その目的に向かって国民も政府も、いや世界の人々が邁進すべきです。

現状で何をするかは、そのときどきの情勢に応じて考えればいい。
地球の人々がいっしょに乗った船の行先は見えているのです。
途中で荒波があり岩礁があれば、目の前の状況に応じてかじ取りをすればいい。
目標を外してはなりません。

ロシアはウクライナへの侵略によって国の品位を大きく下げました。
当分、世界から信用されないでしょう。
でも、こんな乱暴な国が世界有数の核兵器を所有し、いざとなれば世界を破滅させる力を持っています。
9条を世界の常識とする努力は急務です。

それを具体的に進めている市民団体がすでにあります。
「9条地球憲章の会」。
代表は幣原喜重郎の業績を発掘した堀尾輝久・東大名誉教授です。
憲法9条の理念を世界に広め、世界の知恵を集めて「地球平和憲章」を作りだそうとしています。
日本の9条の世界版と言えばわかりやすいでしょうか。

すでに国連憲章があるじゃないか、と思う方もいるでしょう。
しかし、国連憲章は1940年代という時代の制約の中で生まれたものです。
しかも国家間の決めごとです。
今や地球は国家の枠にとらわれず市民が連帯する時代です。
ならば国境を越えてすべての人が「平和に生きる権利」を保証する制度を市民の手で創り出し、どこかの政府がおかしな行動をとれば地球規模で市民が団結して平和な世界を築く、という行動があってもいい。

9条地球憲章の会は2020年、地球平和憲章の「日本発モデル案」を発表しました。非戦、非武装、非核、非暴力を掲げています。
そうした人類の夢を実現するために、平和の文化と教育を進め、新しい国際秩序を形成していこうと呼びかけています。

そして世界の他の国、地域の人々にもそれぞれのモデル案を考えてもらい、それらを持ち寄って地球平和憲章とし、国連で決議、採択に持ち込もうと考えています。
こうした動きがすでに始まっているのです。

今現在のロシア非難、ウクライナの難民対応ももちろん必要です。
同時に、このような悲惨なことをなくすための未来へ向けての努力も必要です。
それをしなければ、砲撃で亡くなった赤ん坊、子どもたち、彼らの死は報われない。

ウクライナだけではありません。
アフガンで命を落とした中村哲さんの遺志も報われません。
「利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。
それは武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。
私たちにとって平和とは理念でなく現実の力なのだ」。
そう中村さんは言いました。
さらに「その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう」とも。

僕もそう信じています。
ほかにも無名のまま命を落とした多くの人がいます。
彼らはもはや何もできない。
私たちは生きています。
考えることも動くことも、そしてこの世界を前に進めることも可能です。
違いますか?

(このあと、ウクライナのオデッサで、第2次世界大戦中にナチスに抵抗して地下活動し、捕虜になって拷問されても味方の拠点を言わず虐殺された16歳のパルチザンの少年、ヤシャ・ゴルディエンコ君の画像が紹介されています)

・・・・・ここまで

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
コナシ&コブシ

憲法訴訟と戦後史 1

2022-02-13 09:58:20 | 憲法
1.はじめに

戦後史という現代史の再検証(リヴィジョン)を始めて2年になるが、この日本の戦後史(75年以上になった)というテーマでは茫漠として、つかみどころのないものになっている。

そこで、自分の専攻である、法学、それも憲法学に限定していくという当然のことに気づかされた、この数日間であった。それでもまだテーマは広すぎた。そこで、以前からの「蓄積」のある課題、「憲法訴訟」にやっとたどり着いた。(コラム投稿の任ではないだろう。)

2.「東大ポポロ事件」

「憲法訴訟」とはいえ、日本の憲法の規定である「違憲立法審査権」はアメリカの制度をモデルにしていて、一般人には敷居が高すぎる。それでも、国民(在日外国人を含む)は、敗戦直後から、憲法訴訟の「闘い」に果敢に挑んできたと思われる。

今回の「憲法訴訟」の第1回目は、以前にも投稿した「東大ポポロ事件」とした。以前のコラムでは詳細に論じたので、今回は「ポポロ判決」の背景などに焦点を当てたい。

問題になった東大の学生演劇集団であるポポロ座が上演していた題目は、「松川事件」という戦後の大事件であり、農民作家・藤田普助の戯曲『いつの日にか』の演劇の舞台だった。

そして、ポポロ座の学生は、不審な4人の男たちに注目した。その内の一人の男(実は本富士警察の私服の刑事であった)の胸に手拳でポケットから警察手帳を抜き取ったのである。この学生の行為が「暴行」になるかが鋭く問われた裁判であり、事件だったのである。

一審の東京地裁は、本件の東大構内(本郷キャンパス)での警察の偵察;諜報行動は大学の自治を侵害するものであり、学生二人の行動は自治の範囲内であり、学問の自由を守るものとして、暴行にはならず、無罪と判決した。

続く二審の東京高裁も一審判決を妥当として、やはり大学の自治であり、学問の自由は学生にも適用されるとして、同じく「無罪」とした。

しかし、上告審である最高裁では反対意見もなく、一審、二審判決を破棄して、一審の東京地裁に差し戻しをしたのである。その判決理由は次のようなものとなっている。(1963年5月22日。1952年2月20日の「事件」の日から11年も経過している。)

(判決理由の結論部分のみ)「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものではなく、実社会の政治的社会活動であり、かつ公開の集会またはこれに準ずるものであって、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわねばならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない。」

3.結語

最高裁の判決理由は、前段と後段では「論理の飛躍」があって、学生の演劇集会に、警察官の立ち入りを正当化できる理由となっていない。学問の自由の行使ではなかったというのが、何故に「警察官の立ち入り行為である諜報活動」を正当化できるのか、全く根拠なしと言わざるを得ない。

そして、今回コラム投稿で、再び「東大ポポロ事件」を扱うことになったのは、次の理由からであった。

本富士警察の刑事4人は「公安課」の人間であり、ウィキベテアの解説にもあるように、この「公安課」は特高(戦前の思想警察)の流れを戦後引き継いだと言われており、憲法やその他の法令などでも(特にGHQの『特高警察」の解体指令があった)特高警察を継承する政治活動は厳しく禁止されていることであった。

この東大ポポロ最高裁判決は、明らかに、公安警察の不当な偵察を認可していると解釈できる。不当な、憲法に違反する判決であると、私は考えている。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

2022年を改憲の年にしてはならない

2021-12-28 09:31:08 | 憲法
あるTV局にて。

MC(=司会者)「今日は憲法改正について率直な意見を伺いたく、番組を企画いたしました。先ずはジャーナリストのHさんから」
H「私は右ても左でもありませんが!諸外国は常に憲法を変えている。日本だけですよ70年余りの長きに渡り憲法を変えていない国は」
MC「経済学者のCさん」
C「私は右でも左でもありそませんが!旧い憲法に縛られて、国家の防衛が疎かになるのは如何なものかと」
MC「では次、○○大教授のAさん」
A「憲法は変えれば良いと言うものではありません。国民の中から変えよう、変えたいという議論が出てきて…」
H「あんた!そんな悠長な事言っている場合か!今に日本は中国やロシアに乗っ取られるぞ!あんたの頭、憲法大事で健忘症になっちまったんじゃないか(冷笑)」

MCも、A教授以外の、コメンテーターも手を叩いて爆笑した。

A「いや、私は真面目な議論を…」
MCがA教授の言葉を遮り、「では、議論も出尽くした所で、憲法は変えた方が良いという結論に達しました。」

TVは顔を真っ赤にして反論するA教授の言動を切り取り、面白可笑しく取り上げ、「茹でダコおじさん」と揶揄した。対するHはカッコいい改革者とTVがイメージを作り上げ、一躍時代の寵児となった。

街には「エエじゃないか、エエじゃないか、変えりゃエエじゃないか」という歌まで流行り、世論調査でも「憲法は変えるべき」という意見が過半数を占めた。

これに気を良くした政権の官房長官は記者会見を開き、
「デヘヘ、国民の皆様の間で憲法は変えるべきという熱心なご意見が多数を占める様になりました、ウフフ」「(キリッ)国会では既に改憲の発議がなされ承認を得ています。そろそろ憲法改正の国民投票を…」
と言った時、フリーの記者が手を上げた。

「官房長官、国民から憲法改定の声がと仰有っていましたが、これを見てください」とタブレットを高く掲げ、何故かカメラがそれを大きく映してしまい、そこにはネット民の声が溢れんばかりに上がっていた。
「今、憲法を変えたくない!」「不安、心配、変えちゃいけない。」
「A先生、おじいちゃんなのにカッコいい。」「茹でダコはお前だ、H、消えろ!」
「憲法を変えちゃいけない。」
ツイッター、フェスブックには「憲法変えるな」の声が溢れかえっていた。

「いや、これは一部の声でありまして…」
「おかしいじゃないですか、1000万ものネットの声を無視するんですか!」
「いや、それはゴニョゴニョ」

記者達の怒号が飛び交う中、「今日の記者会見はこれで終わりにします!」と広報官が声を張り上げ、官房長官は苦虫を噛み潰した表情で立ち去った。(デジタル庁作ったのになんてざまだ!くそっ!)
こうして政府の目論見は国民の反乱により崩壊した。

※※
↑この話とは裏腹に、国会では維新と国民民主が改憲の議論に応じるように執拗に迫っています。不穏な空気が漂い、来年は改憲に向けて加速する年にならなけば良いのですが。

狡賢い広告会社や改憲したくて仕方ない政党、偽改革党の手に乗らない様に、来年こそユダンなく監視して行きましょう。

半藤一利さんが「国民の熱狂が一番危険なのだ」と言っています。私達は何が起きても一時の熱狂に流される事なく、しっかりした意思を持って考えましょう。

では、良いお年をお迎えください。
憲法改定の悪夢が実現いたしません様に。
来年も共に生きて行きましょう。

「護憲+コラム」より
パンドラ

5.3、市民意見広告「武力で暮らしは守れない!」

2021-05-03 16:53:34 | 憲法
憲法記念日の今日、朝日新聞、毎日新聞、福島民報の3紙に、恒例の「5月3日、市民意見広告」が掲載されました。今年のメインタイトルは「武力で暮らしは守れない!」、サブタイトルは「いのち」。

今年の主張は「コロナ禍から命を守れ」「「生存権」を脅かすな」「憲法9条の実現「戦争しない国」」「暮らしは政治です」の章分けで語られています。



※詳細は以下をご覧ください。
https://www.ikenkoukoku.jp/archives/730/

この市民意見広告運動は、2003年5月に「イラクへの攻撃と有事法制に反対する」趣旨でスタート。以来、憲法記念日に誰でも参加できる「紙上のデモ」として、憲法9条や25条の真の実現を通して平和を訴える「意見広告」を新聞紙上に掲載し続け、当初2095件だった賛同件数が、今年は9,883件にまで伸びているそうです。
https://www.ikenkoukoku.jp/about/



「老人党・護憲+」も長年にわたり参加しており、今年も賛同者に名を連ねました。画像中ほどに名前があるのですが、分かりますか?

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子

憲法上の目先の課題 ①臨時国会の召集権 ②沖縄の民意の尊重

2020-06-15 18:48:54 | 憲法
【社説】通常国会 問題山積なのに閉会か 【北海道新聞】2020.06.14 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/430527
【社説】沖縄の民意/政府は無視せず向き合え 【神戸新聞】2020.06.14 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202006/0013422572.shtml
【論説】国会延長せず 立法府への愚弄だ 【佐賀新聞】2020.06.13 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/534147
国会召集「内閣に法的義務」 憲法53条めぐり初判決 6/10 https://www.asahi.com/articles/ASN6B4JX7N64TPOB004.html

「#国会を止めるな」と、ツイッターに投稿相次ぎ、野党の呼びかけにも拘らず、首相は、臨時国会の開会(憲法53条)を明言せず、逃げ込みそうだ。脱兎の如く。全く恥ずかしい奴である。一度ならずも。
 
更に、従来から懸案の辺野古新基地建設断念、放棄の問題。沖縄県の民意は明らか、疑いないが、これに従おうとしない。多分、全国的国民投票を実施しても、結果は同じ。陳腐な『外交は、政府の専権事項』などと埒もないことを言い募って、民意に従おうとしない。
 
憲法53条にしても、『俺が決める』統治行為論?みたいなことを言っていたが、那覇地裁判決は、国会(少数派請求権)と政府のバランスをとるとして、一蹴した。しかし、未だ、地裁判決、確定はまだ先だ。多分、繰り返すのではなかろうか。
 
そんな無法者、安倍政権相手に、どう対峙、解決するか? 詰まる所、議会少数派に追い落とさねば、しかも、相当長く冷や飯食わせて、辛抱強く。主権者一丸となって、主権者の地位を取り戻す、主権者の権威、威厳を示さなければならないのではないか。
 
今度こそ、爾後ずっと、目にもの見せねば。同胞へのイマジネーションとシンパシーが大事。違いより、大同に付こう! 主権者がいいのか、下々(蔑視)がいいのか、全国の陣笠議員を削ぎまくらねば。
安倍政権の暴挙は、止めねばならない。今、我らの手で!!

◎添付
衆議院・参議院 選挙の歴史 | NHK選挙WEB https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/history/
 ・2019年 参院選 第25回 令和元年7月21日(安倍首相)与党改選過半数を上回る71議席獲得も 改憲勢力3分の2維持できず
 ・2017年 衆院選 第48回 平成29年10月22日(安倍首相)自民284議席で圧勝 与党で3分の2超の議席確保
【社説】[国民投票法10年] 新たな課題の議論必要 【南日本新聞】2020.06.13 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=120919
【社説比較】憲法改正めぐる主要5紙の主張 – メディアサプリ 2019/5/4 https://mediasapuri.jp/2019/05/03/7625/

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士