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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

ウーマンラッシュアワーが『THE MANZAI』で怒涛の政治批判連発!

2017-12-18 17:37:09 | マスコミ報道
ウーマンラッシュアワーが『THE MANZAI』で怒涛の政治批判連発! 原発、沖縄基地問題、コメンテーター芸人への皮肉も(lite-ra)
http://lite-ra.com/2017/12/post-3665.html

昨夜フジテレビ系列で放映されていた『THE MANZAZAI』。たまたま後半を見たら珍しく結構面白かった上、最後のまとめにウーマンラッシュアワーがコメントしていて、最近辛口発言が注目されている村本大輔君の漫才見たかったな~と思っていたら、ツイッター上で大反響となっていて、当日の映像も紹介されています。

すご~く鋭くて面白い!村本君のファンになりました。反響について、彼本人もツイッターで呟いています。
https://twitter.com/WRHMURAMOTO/status/942426940664832001

影像は早晩削除される可能性があるとのことですので、皆さんも是非(急いで)見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=pAHQGLOCbwo&feature=youtu.be

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
笹井明子

メディアと貴乃花の正義

2017-12-01 21:14:40 | マスコミ報道
今日もメディア報道の多くが、相撲協会不祥事の問題に割かれていた。日馬富士が引退しても次は白鳳の言動に焦点を移し、相撲協会批判、貴乃花擁護に血道をあげていた。

今回の日馬富士暴行問題に端を発したこのメディア報道⇒世論誘導(黒いものを白という)は、ここ数年のメディア状況の象徴的意味がある。世論誘導の手口が日馬富士暴行問題を子細に見れば、よく見える。

相撲協会危機管理委員会の中間発表によれば、日馬富士の貴の岩に対する暴行は、一言でいえば、血気盛んな若者たちのもめごとである。多少生意気で礼を失した後輩に対して先輩が性根を入れたという話である。この経緯だけを見れば、世間ではよくある話。

ただ、日馬富士はやりすぎた。これは言い訳できない事実。暴力を振うと、暴力そのものに興奮し、歯止めが利かなくなる場合がある。日馬富士はこの暴力の持つメカニズムにはまったと思われる。この結果については、日馬富士に弁解の余地はない。

問題は、日馬富士が横綱だったという事実。横綱は相撲が強いだけでなく、他の力士の範になる品格・人格の高潔さを求められる。これは、相撲協会が喧伝し、世間もそうだと考えている。貴乃花などは、この横綱の品格に異様にこだわっている。

しかし、20代から30代前半の若者に、必要以上に、人格の高潔さや品格を要求する思想が正しいのだろうか。そもそも、江戸時代、相撲取りは、各藩のお抱えだった。つまり、各藩の藩主の自慢の所蔵物だった。

例えば、松江藩のお抱え力士だったのが、有名な雷電為右衛門。一枚あばらの桶皮胴とうたわれ、異常な強さを誇っていた。松江藩の菩提寺に雷電の手形が残っているが、その大きさは尋常ではない。東京でいえば、富岡八幡宮の裏手に歴代横綱の石碑や歴代で一番背の高い力士の高さを刻んだ石碑がある。この高さも、尋常ではない。たしか、2m10cmを越していたと記憶している。

何が言いたいかと言えば、こういう人間は珍しい。今でも珍しいのだから、江戸時代なら猶更。この珍しさ、人間離れした強さが、人々をひきつけ、大名の愛玩物になったのである。

このような大きな図体の人間たちを集め、勝敗を競わせたらさぞかし面白いだろうと考えられたのが、大相撲の興行。勧進大相撲と呼ばれた。「一年を十日で暮らす良い男」などと読まれたほどである。
https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/sumo/page2-1.html

先に書いた富岡八幡宮や芝神明宮などで行われた。幕末などには、博徒(清水次郎長など)が勧進元になって興行を行っている。しかも、大きな図体で、力も強く、気も荒い。喧嘩沙汰も珍しくなかった。町火消のめ組との喧嘩は有名である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E7%B5%84%E3%81%AE%E5%96%A7%E5%98%A9

そして、明治維新。相撲も生き延びるために様々の手を打った。それが、相撲は「国技」という考え方。そもそもは、税金対策で考えられたのだが、明治以降、日本の国粋主義的思想と重なり、定着したのである。

これ以降、横綱は、「高潔な人格」の持ち主と言う事になり、「心技体」の権化として持ち上げられた。20代からせいぜい30代前半の若者が、「人格高潔」で「品格にあふれた人格」を求められるのだから、大変である。

こういう悩みにこたえるために生み出された思想が、「相撲道」という考え方である。明治時代、講道館の嘉納治五郎が柔術を「柔道」という名城に変え、大成功をおさめたのに影響を受けているのかもしれない。

貴乃花が九州場所の打ち上げの場で、今回の問題についての自分の立場を語っていたが、その中で「国体」という言葉を使っていた。断っておくが、この「国体」という言葉、戦後のスポーツの「国体」ではない。明らかに戦前日本の思想界を席巻した「国体思想」を意味している。

貴乃花自身が「国体思想」の深い意味を理解しているとは思えないが、彼自身が「相撲道」と信じてやまない理念には、「国体思想」の理念が深く影響を与えている。

戦前型「国体思想」では、「国家が『国体』に於て真善美の内容的価値を占有する」とされている。「真善美」とは、歴史的淵源をたどれば、プラトンに由来するが、日本型国体思想では、異様に「美しさ」に固執する。

安倍晋三が「美しい日本」を取り戻すなどと喚いているのを見れば一目瞭然だが、この「美しさ」という概念に酔いしれいるのが、日本型「国体思想」の特徴である。

貴乃花のいう「相撲道」も、「美しさ」が基本である。横綱は、強くなければならないが、何よりも「美しい勝ち方」「美しい相撲」を心掛けねばならない。

今回の貴乃花の振る舞いは、外から見ればきわめて異様である。しかし、おそらく彼の中にある思想では、次にあげる荒木貞夫が書いた「皇国の軍人精神」に類似した発想があるのではないか、と思われる。
・・
「国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内容的正当性の規準を自らのうちに(国体として)持っており、従って国家の対内及び対外活動はなんら国家を超えた一つの道義的規準には服しないということになる。
〔中略〕国家活動が国家を超えた道義的規準に服しないのは、主権者が「無」よりの決断者だからではなく、主権者自らのうちに絶対的価値が体現しているからである。それが「古今東西を通じて常に真善美の極致」とされるからである(荒木貞夫、皇国の軍人精神、八頁)。・・
丸山真男(超国家主義の論理と心理)

この国家活動を貴乃花の行動と解釈すれば、貴乃花の不可解な行動も理解できる。つまり、貴乃花は自らのうちに「絶対的価値」を体現していると信じており、それが「真善美の極致」だというわけである。つまり、貴乃花の行動を縛る「道義的基準」などないという結論になるからである。

この恐ろしく独善的な論理が戦前日本を戦争に導いた大きな要因である。今回の貴乃花と相撲協会の確執を戦前の日本と他国との確執(戦争)と見れば、きわめて相似形であることが理解されるだろう。

このような思想の持ち主の行動は、一見きわめて「改革主義者」に見える。というより、自分自身の思想を実現しようとすれば、全て「他者」を否定しなければ実現できない。

安倍晋三も小池百合子も「改革者」を自称するのはこの理由による。もう少し極端に言えば、一種の「革命家」に見える。「革命家」というより「破壊者」と言った方が正鵠を得ているだろう。

スポーツ評論家二宮清純が貴乃花を「2・26事件の青年将校」だと評していたが、言いえて妙である。

この貴乃花を「改革者」と評価して持ち上げているのが、現在のTVメディアであり、多数の評論家と称する人物たちである。池坊女史が相撲協会の立場を代弁して孤軍奮闘していたが、衆寡敵せずのあり様だった。この状況は、貴乃花を「改革者」=善と考える立場の人間がいかに多いかを物語っている。

安倍晋三や小池百合子を「改革者」と考え、リベラル派を「保守主義者と考える若者が多いという記事が出ていたが、どうもTVメディアの状況も同様である。

つまり、戦前、2・26事件の青年将校が期待をかけた荒木貞夫陸軍大将が述べた「国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内容的正当性の規準を自らのうちに(国体として)持っており、従って国家の対内及び対外活動はなんら国家を超えた一つの道義的規準には服しないということになる。」という思想が蔓延していると言う事になる。
※荒木貞夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E8%B2%9E%E5%A4%AB

今回の日馬富士暴行に端を発した相撲協会と貴乃花の確執は、はしなくも、現在の日本の置かれている思想状況の深刻さを浮き彫りにしているのである。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
流水

意味不明な、産経新聞

2017-11-10 15:39:53 | マスコミ報道
読売新聞が最近おとなしいと思ったら、負けじ根性か選手交代化か、産経新聞の御用メディア化・・・いや、メディアとしての劣化が激しい。

「東京新聞記者、また意味不明な質問…官房長官「事実に基づいて質問を…」と苦言」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171109-00000561-san-pol

よほどwebで注目を集めたいのか、このキャッチーなタイトル。ネトウヨが大喜びする顔が思い浮かぶ。よほど産経新聞は安倍政権になり替わり、東京新聞・望月記者を悪者に仕立て上げたいらしい。

でもね、産経さん。歴史ある紙メディアの端くれが「意味不明」はおかしいでしょ?質問の意図を解釈したり深読みしたりして伝えるのが“権力を監視・批判する”メディアの役目なのに、“意味不明”と菅官房長官の目線で冷たく一蹴するなんて。

ちゃんと仕事してくださいね、産経ゴマスリ新聞さん。恥ずかしいと感じたなら、“意味不明”な記事を書かないように、web担当記者を指導しなくては。そうでないと、御社のトップまでが見識を疑われますよ。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助

NHK受信料強制契約は合憲か、契約の自由か、最高裁で弁論開始

2017-10-26 23:19:57 | マスコミ報道

10月26日朝日新聞及び朝日デジタルで「NHK受信料契約は合憲か否か」についての問題を取り上げている。

「NHK受信料契約は合憲か、契約の自由か 最高裁で弁論」
http://www.asahi.com/articles/ASKBT4T3RKBTUTIL02K.html

『家にテレビがあったら、NHKの受信料を支払わなければいけないか。受信料契約を定めた放送法の規定が憲法の保障する契約の自由に反するかが争われた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は25日、原告のNHKと、受信料を支払っていない被告男性の意見を聞く弁論を開いた。最高裁は年内にも、受信料を巡る初めての判断を示す。

NHK受信料訴訟、支払い義務づけは合憲 法相が意見書

 受信料の支払い義務は放送法では明文化されておらず、総務相の認可を得た規約で定めている。NHKは同法の「受信設備を設置したらNHKと契約しなければならない」という規定を根拠に受信料を徴収している。

 裁判では、NHKが自宅にテレビがあるのに契約をしていない東京都の男性に支払いを求めている。この日の弁論で、男性側は「規定は努力義務を定めており、強制力はない。契約の強制は契約の自由に対する重大な侵害だ」として違憲と主張。規定が合憲だとしても、支払い義務が生じるのは契約成立時からだと訴えた。

 一方、NHK側は「放送文化の発展や放送インフラ基盤の充実など社会的役割を果たしている。規定には必要性と合理性があり、合憲だ」と主張。契約は相手に締結を求めれば成立し、受信料を請求できると反論した。裁判では、法相も規定を「合憲」とする意見書を最高裁に提出。寺田裁判長は弁論で「参考資料として取り扱う」と述べた。

 一、二審判決は、NHKが災害報道で果たす役割などを踏まえ、規定は「公共の福祉に適合する」として合憲と判断。個別の契約はNHKが裁判を起こし、勝訴が確定した際に成立し、テレビ設置時にさかのぼり受信料が請求できるとした。(岡本玄)』

実は朝日新聞は8月25日の社説でも同じ主旨のことを論じている。

8月25日朝日新聞の社説「NHK受信料 徴収策の強化の前に」
http://www.asahi.com/articles/DA3S13101520.html?ref=editorial_backnumber

『NHKが主な収入源である受信料の確保のために知恵を絞るのは当然である。だとしても、「公共放送の役割とは何か」「NHKはどうあるべきか」という根本の議論を抜きにして、自分たちの都合を優先しすぎてはいないか。・・・(以下略)』

これは非常に重要な問題で、いよいよ最高裁大法廷で弁論が始まったので、8月25日の社説についての弊投稿を下記にリピートしておきたい。

「NHK受信料 徴収策の強化の前に(朝日新聞社説)に加えて」
http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/67ee986cad3ac6241256871bb386079e

『表題は8月25日の朝日新聞社説の題目であるが、ごもっともな指摘である。・・・NHKは受信料の一律公平負担を金科玉条のように主張しているが、これがNHKの常識だとすれば、世間の非常識だと言いたい。世間では水道、電気、ガスなどの公共料金は基本的に使用した量に応じて支払う従量制が常識だからである。

人のライフスタイルも多様化し、メディアの種類も増え、NHKテレビを見ている時間は人様々であるのに、テレビ機器を所有しているだけで一律の料金を徴収するのは視聴者には不合理で公平負担ではない、公共料金と同じように観た時間に応じた従量制料金が公平公正な負担なはずである。

その上で訴訟するなど横暴である。受信契約を結びながら料金不払いの人や、契約自由の原則に基づき受信契約締結に応じない人にはNHK放送が見れないようにスクランブルを掛ければ済むはずである。・・・(以下略)』

一つ追記しておきたいのは、受信料にはNHKが下記放送法第一条二項の規定を遵守する対価も含まれており、NHKが現在の偏向不公正な報道姿勢のままでは受信料契約はしたくないと思っている視聴者も多いということである。

一方NHKは最近災害報道が公共の福祉に寄与していることをアピールしているが、これは東北大震災後のことで有り、公共放送であれば当然で、むしろ遅きに失した、後付の理由と言うべきであろう。

*放送法第一条二項
放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔

(右派・左派の)棲み分け

2017-10-17 20:07:35 | マスコミ報道
東京新聞10/16付け「本音のコラム」宮子あずささんの記事を抜粋いたします。お題は「棲み分け」。

+++++++++++++
(前略)
 今回改めて思ったのは、リベラルな市民の間では、東京新聞はとてもメジャーな新聞であること。言うまでもないが、新聞にはそれぞれのカラーがあり、東京新聞は左派的。一方、右派と言えば、産経新聞。それぞれ読者から選ばれ、棲み分けが存在する。

 そんな中で、私が気になるのは、ネットにおける産経新聞のパワー。無料で読める記事が多く、若年層への影響はとても大きいと思う。なぜなら新聞を購読せず、ネットでニュースを読む人が多いからである。

 左派たたきの記事の多さを見るにつけても、これをうのみにしたら・・・と怖くなる。せめて違う考えもありうると分かってほしいものだ。

 棲み分けはいったん固定すると、異質な考えを排除し、独善的になる。これを避けるには、まず自分の偏りを認めなければならない。
+++++++++++++

私もYahoo!ニュース経由で見る、最近の産経新聞”ネットニュース”(産経新聞、産経デジタル)は酷いと思っていました。メディアは権力を監視する・・・なんて姿勢はさらさらなさそう。特に、TBSテレビをあからさまに狙い撃ち。

【突然「2人でもりかけ!」 安倍首相「イヤホン大丈夫?」…“因縁”のTBSキャスターに反撃?】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000517-san-pol
→”もりかけ”問題を聞け!と指示しちゃいけないの?

【安倍首相の遊説妨害 「なぜTBSは至近距離で撮っているのか」和田政宗・参院議員】
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/171008/plt17100809300002-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link
→なぜ、逃げ回っている安倍首相の撮影を自粛・忖度しなけりゃいけないの?

【TBS「サンデーモーニング」 野党に投票促すかのような発言?】
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/171015/plt17101515310008-n1.html
→”批判”は”不公正”にすり替えちゃうの?

しかも、タイトル・見出しの語尾は「~?」マークで逃げている。天下の産経新聞が無責任なネットニュースと同レベルなんだから。

まぁ、読売新聞にも同様な政権寄り、安倍ヨイショの姿勢が見られますが。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
猫家五六助

「NHK受信料 徴収策の強化の前に」(朝日新聞社説)に加えて

2017-08-29 09:38:51 | マスコミ報道
表題は8月25日の朝日新聞社説(全文は最下段のとうり)の題目であるが、ごもっともな指摘である。一部重複投稿もあるが改めて下記に申しあげたい。

NHKは受信料の一律公平負担を金科玉条のように主張しているが、これがNHKの常識だとすれば、「NHKの常識は世間の非常識」だと言いたい。世間では水道、電気、ガスなどの料金は基本的に使用した量に応じて支払う従量制が常識だからである。

人のライフスタイルも多様化し、メディアの種類も増え、NHKテレビを見ている時間は人様々であるのに、テレビ機器を所有しているだけで一律の料金を徴収するのは視聴者には不合理で公平負担ではない。公共料金と同じように観た時間に応じた従量制料金が公平公正な負担なはずである。

その上で訴訟するなど横暴である。受信契約を結びながら料金不払いの人や、契約自由の原則に基づき受信契約締結に応じない人には、NHK放送が見られないようにスクランブルを掛ければ済むはずである。その権利はNHK側にある。

電気・ガス・水道は利用者が使用料金を滞納すればその家庭は供給をストップされると聞いている。ストップされても苦情が出ないのは、需給者間で料金支払いの在り方が社会通念に沿い理に叶っているからであろう。このような在り方が世間の全ての物の売買の基本であり、売買者のいずれかに不満があれば契約自由の原則で取引が成立しないだけである。ところがNHKは契約を強要して受信取引を押しつけ、料金不払い者を裁判に訴えているいるのである。

いずれにしろ、NHKの受信料徴収の基になっている放送法による受信契約の強要は憲法の契約自由の原則に反する、として最高裁で争っている人が居るので、応援しながら見守りたい。

*NHK受信料訴訟、10月弁論=年内にも初の憲法判断―最高裁
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170714-00000108-jij-soci
7/14(金) 18:02配信

仮に最高裁が憲法上合法との判断を下すのであれば、他に売買契約を強制されるものは日本には存在せず、NHKの受信契約だけがどうして強制できるのか、自由主義経済の原則に照らしても合理的な説明が必要であろう。

ところでNHKには経営委員会という組織が有る。そのメンバーはそれなりの有識者で国会の同意を得て首相が任命する様に成っているが、一律徴収と従量制とどちらが公平負担に叶ってるか検討されたことがあるのだろうか。検討されていないとすれば怠慢か、NHKか監督官庁への忖度であろう。また従量制導入により経営を成り立たたせる経営指導ができないのであれば、視聴料から給料が支払われる経営委員会など不用ではなかろうか。

最後にNHKが放送法の真の不偏不党に徹しきれない背景を探ってみよう。放送法第一条二項には次のように規定されている。

*放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

特に放送の不偏不党が遵守されているか否かを観るには、毎時のニュースやニュース解説(今は殆ど無いが)を見聞すれば分かる。私の視聴経験ではNHKは大体自民党と自民党政権よりの忖度放送が多い。最近では集団的自衛権の解釈改憲、森友・加計問題と文科省・財務省の関係、自衛隊の内部文書隠蔽に関する防衛大臣の答弁等に関する放送等は、民放に比べ政権政党に甘い。

政党や政権が憲法や法律や社会正義に反しても批判しないのが不偏不党であるかのように誤解しているように見えるが、法や正義に反していることをしているのであれば、与野党を問わず公正公平に指摘してこそ放送法に規定する真の放送の不偏不党ではなかろうか。以上が当たらずとも遠からずのNHKの実態ではなかろうか。

またメディアの使命として公共放送が権力者のチェック機能を果たさないのであれば、受信料を支払わない契約者が居て当然で有り、まして契約自由の原則に則り契約締結をしない人が居るのは当たり前であろう。受信料不払いや受信契約未締結にはいろいろな言い分が視聴者にあることをNHKは再認識して欲しいものである。

これらを改革するには毎年のNHKの予算成立方法にメスを入れる必要があると思われる。

現在NHKの予算は衆参両院の総務委員会で審議され賛成多数で成立し、新年度の活動がスタートする。当然職員の給与も予算が成立しないことには支払われない。衆参の総務委員会の多数はどこが握るかと言えば衆参両院選挙で多数を制した与党である。従って政府与党の意に沿わない報道をすれば予算成立が妨害され兼ねないわけで、そこに不偏不党に徹しきれない要因が潜んでいる。

よって真の不偏不党を実現するには、NHKの予算成立方法の抜本改革が必要である。

一案であるが、政治に関与する行政府や国会がNHKの予算審議に一切係われない仕組みにして、各界の有識者が視聴者を代表して予算審議して予算の組換え、原案の賛否を決するようにすれば、NHKは政治家や中央省庁の官僚を忖度する必要も無く、報道表現の自由が今より遙かに保障され、名実ともに放送法の真の不偏不党の報道が貫けるようになると思う。

現状のように国会の同意を得て首相が任命する人で構成される経営委員と経営委員会があっては、NHK職員も政府与党の活動を自由に批評できないようにも思われる。まさにNHKの報道表現の自由はがんじがらめに監視されているようにみえる。

以下は8月25日朝日新聞の社説
http://www.asahi.com/articles/DA3S13101520.html?ref=editorial_backnumber
+++    
「NHK受信料 徴収策の強化の前に」
NHKが主な収入源である受信料の確保のために知恵を絞るのは当然である。だとしても、「公共放送の役割とは何か」「NHKはどうあるべきか」という根本の議論を抜きにして、自分たちの都合を優先しすぎてはいないか。

 NHK会長の諮問機関が、受信料の徴収のあり方についての答申案をまとめた。「公平負担の徹底」をうたい文句に、いま対象世帯の80%にとどまっている徴収率を引き上げる方策などを検討している。

 視聴者に不公平感を抱かせない。効率よく受信料を集める。どちらも大切なことだ。だが、電力会社やガス会社にNHKが照会して、受信料契約のない住民の氏名と住所を教えてもらい、契約を求める案内を郵便で送る――という提案には、疑問を抱かざるを得ない。

 NHKのために個人情報がそのように使われることを、国民はどう受けとめるか。実施にはきわめて慎重であるべきだ。

 答申案は、不払い世帯に割増金を求める考えも示した。こちらはすでにある制度だが、過去に発動された例はない。

 この諮問機関はすでに先月、番組のインターネット同時配信が行われた場合、ネットのみの利用者にも「受信料と同程度の負担を求めるのが妥当」とする答申を出している。

 二つの動きから浮かび上がるのは、受信料制度とNHKのありようは現状を維持したまま、収入を得る道を確かなものにしようという姿勢だ。

 NHKは四つのテレビチャンネルを持ち、4K・8Kの高精細新技術でも業界を主導する。ドキュメンタリーや教養番組、ドラマなど、この夏も優れた番組をたくさん送り出したが、一方で「なぜNHKが国民の受信料を使って放送しなければならないのか」と思わせるようなものも少なからずある。

 子会社13社の利益剰余金は15年度末で948億円にのぼり、会計検査院から適切な規模を検証するよう求められた。配当を通じて一部がNHK本体に戻れば、視聴者サービスに還元される可能性が増える。

 外部から寄せられる声に耳をすまし、真に視聴者の役に立つ番組やサービスを発展させる。同時に不要な業務を見きわめ、整理・縮小する。そのなかで受信料値下げの可能性を探る。

そうした営みと視聴者に対する丁寧な説明があって初めて、答申案にあるような受信料の徴収方法の見直しにも、理解を得られる道が開けよう。踏むべき手順を間違えてはいけない。
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「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔

NHKスペシヤル「戦後0年 東京ブラックホール」(2)ー戦争孤児についてー

2017-08-26 09:35:53 | マスコミ報道
前の投稿では書ききれなかったが、「戦争孤児」の問題は、どうしても語らなければならない。戦後すぐの東京を御存じの方には常識だが、上野公園は浮浪児の巣窟だった。この作品にも、多くの浮浪児の映像が収録されている。

しかし、この浮浪児たちのその後については、わたしたちはあまり知識がない。しかも、よくよく考えて見れば、「戦争孤児」と「浮浪児」とどう違うのかも、判然としない。戦争孤児たちが積極的に語ろうとしなかった事もあるが、わたしたちの知識の無さ、知ろうともしなかった無関心が大きな要因だろう。しかも、事実を知れば知るほど、戦争孤児たちは、戦後の「棄民」そのものだった事が明らかである。戦争孤児の歴史は、彼らの高齢化とともに、戦後の闇の彼方に消え去ろうとしている。

「戦争孤児」とは、という研究がある。戦争孤児についての数すくない研究である。この研究に従って、「戦争孤児」について、少し書いてみたい。
http://www16.plala.or.jp/senso-koji/

まず、「戦争孤児」の定義:
・戦争に起因して孤児になったものを総称していいます。
例えば空襲、原爆などで、両親を殺された戦災孤児。外地からの引き揚げ中に孤児になった引揚孤児。焼け跡をさまよう棄迷児。空襲で両親が行方不明になった児童。戦争中、医薬品不足のため両親が病死した孤児などです。・・同上書

●戦争孤児の数⇒昭和23年2月1日の厚生省の「全国孤児一斉調査」では123、511人の戦争孤児がいた。その中で施設に収容された孤児の数⇒12、202人。⇒全孤児数の約1割。それも大半は、民間施設。

●残り9割(約十万人以上)の孤児はどうしたか。
(1)親族に引き取られる(戦後その多くは困窮)⇒邪魔者扱いや犬猫のように扱われたケースが多い。
(2)知人に引き取られる⇒同様な扱いを受けるケースが多い。
(3)養子縁組でもらわれる⇒戦後、男手不足のため、深刻な人手不足の現状を解消するために、ほとんどが安価な労働力(奴隷労働)として、酷い扱いを受けた。

※戦争孤児⇒圧倒的に小学生年代の子供が多かった。理由は明白。学童疎開で地方に分散している時に、大都市が空襲を受け、両親兄弟が死亡したケースが多かったからである。

※国の収容施設の圧倒的不足。ほとんど何もしていないに等しい孤児対策。上記の9割の孤児たちの酷い生育環境。⇒当然、自殺したり、逃げ出したりする子供が増えた。⇒住む家をなくした子供たち=「浮浪児」の増加と言う訳である。

上記の昭和23年の厚生省「戦争孤児調査」は、米軍のフラナガン神父の指摘で嫌々ながら厚生省が調査したもので、もし、神父の指摘がなかったら、何の調査もしなかった事は確実。しかも、この調査結果は、国の孤児対策、浮浪児対策に生かされなかった。⇒完全な「棄民政策」
これもまた現在の安倍政権下で、復活しつつある厭な官僚組織の伝統である。

◆孤児の種類と数
(1)戦災孤児⇒28、247人 (2)引き上げ孤児⇒11、351人
(3)一般孤児⇒81、266人 (4)棄迷児⇒2、647人
この中で、(3)の一般孤児とは、(1)(2)(4)以外の孤児と定義されているが、数が多すぎる。どうも、戦災孤児などの範疇に入るものを、一般孤児に入れている可能性が高い。

つまり、厚生省(旧内務省)は、意図的に戦争孤児や引き上げ孤児の数を少なく見積もり、国の責任を回避しようとした形跡が濃い。私は、当時の厚生省は、内務省から分割されたばかりであり、旧内務省の「寄らしむべき、知らしむべからず」という戦前の官僚意識が色濃く残っていたと思う。こういう調査をしたがらなかったのも、自らの責任回避意識が強かったと考えられる。

◆ 戦後は地獄の始まり
さて、ここからが本題である。最初に書いたように、「戦争孤児や浮浪児体験」を持つ人々は、戦後ずっと自らの「戦争孤児体験」や「浮浪児体験」を隠して生きてきた人が大半である。それは、広島原爆被爆者が、自らが被爆者である事を隠さなければならなかった酷い「差別体験」があったのと同じ構造である。

誰も好き好んで「戦争孤児」になったわけでもなく、誰も好き好んで「浮浪児」になったわけでもない。彼らが受けた「差別」の数々。この心の傷は、終生癒える事はない。

「何故、両親と一緒に死ねなかったのか。」学童疎開中に両親家族を失い、「戦争孤児」や「浮浪児」にならざるを得なかった人々が異口同音に語る言葉である。「リンゴの唄」に象徴されるように、戦後の青空は、自由と民主主義の象徴だと言う人も多いが、彼らから言わせれば、「戦後は地獄の始まりだった」と言う事になる。

私たちには分からない「戦争孤児」や「浮浪児」の悲惨な体験をいくばくかでも追体験できるドキュメンタリーが以下で見える。戦争で最大の犠牲を払うのは、いつの世も、女性・子供・高齢者の弱者である事が、改めて認識させられる。

※NNNドキュメント「戦争孤児たちの遺言 地獄を生きた70年」
http://www.ntv.co.jp/program/detail/21839061.html
※戦争孤児たちの戦後史
https://www.youtube.com/watch?v=dAtzproL_KI

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水

NHKスペシヤル「戦後0年 東京ブラックホール」

2017-08-25 21:38:05 | マスコミ報道
最近のNHKは、素晴らしい。8月20日、日曜日に公開されたNHKスペシャルも素晴らしかった。

戦後すぐの東京を米国の公開した資料・映像をもとに再現したこの作品は、今まであまり知られていなかった事実やこれまであまり公開したくない事実もあえて公表し、事実を事実として提供しており、出色のできだった。

フィクシヨン(主人公が現在からタイムスリップする設定)を交えたノンフィクションの構成だったが、戦後すぐの東京の悲惨さも、何もない所で生き抜く人々のたくましさも、米軍の横暴さも、大変よく伝わった。

そして、これが一番重要なテーマだと思うのが、戦後0年には、すでに現在との連続性が垣間見えている点である。

この点にテーマを絞って書いてみようと思う。

●第一のテーマ⇒ 戦後すぐは、食糧難、物資難と言われていたが、本当にそうだったのか。

①米軍は、日本には食料も物資もお金もあると考えていた。⇒米軍の諜報機関がそのように報告していた。⇒ところが、現実に占領して見ると、大変な食糧難だし物資もお金もなかった。⇒日本の指導層は、ポツダム宣言受諾後、それらを隠匿するように指示していた。⇒陸軍・海軍・大蔵省や内務省など様々な所で物資の隠匿が行われた。この作品では、東京湾に沈められた金塊が引き上げられた場面が出ていた。⇒東京地検特捜部は、この隠匿物資を捜索するためにGHQが命じてつくられた組織。 

※この隠匿物資の多くは、国民から供出されたもの。(欲しがりません、勝つまでは!という標語の下、国民はなけなしの財産を国家に差し出した)それを国家組織が私有物のように隠匿し、それが闇市などに提供された。勿論、膨大な儲けが生まれたのである。後に保守政治のフィクサーとして君臨した児玉誉士男がのし上がった要因は、海軍などの隠匿物資を隠し持っており、それを自由党などにばら撒いてスポンサーになった事がきっかけ。

●ここでも国民は良いように騙され、食い物にされたのである。

②戦後日本政府が最も恐れたのは、性犯罪の頻発である。この為、いわゆるパンパンと呼ばれた売春婦の横行もある程度大目に見ていた。(時折取り締まる)彼女たちの生態を描いて有名になった小説が、田村泰次郎の【肉体の門】であり、歌謡曲では菊池章子の【星の流れに】である。

しかし、彼女たちの相手は下士官や兵たちで、上級将校ではなかった。上級将校のお相手をする女性たちをスカウトしたのが、RAA(Recreation and Amusement Association)。日本語では、「特殊慰安施設協会」と訳されているが、体の好い慰安婦【売春婦】である。この募集を日本政府が行ったのである。一説には、5万人以上の女性が集まったようである。もちろん、本当の仕事内容は伏せていた。

まあ、従軍慰安婦がどうのこうのとか難しい議論をする人がいるが、戦後すぐの日本政府が、売春宿を経営したようなもので褒められた話ではない。

★軍の性処理の問題は、古今東西どの指導者も悩んだ問題。これを無かった事にする論は、無理がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A

さらに銀座では、米軍将校向けのクラブが林立。楽団と踊り子は日本人が入れたが、客としては日本人は入れなかった。たとえば、原信夫とシャープス&フラッツなどが活躍した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BF%A1%E5%A4%AB

その他、雪村いずみとか江利ちえみなど戦後を代表する歌手が、歌っていた。

さらに、皇居前広場では、一般の日本女性と米兵が多く交際していた。米兵向けの雑誌などには、皇居前広場に行けば、今で言う【ナンパ】が出来ると紹介されていた。

この類の話は、あまり紹介したくない話になるが、今回のNHKでは積極的に紹介していた。「国破れて山河あり」ではないが、銃後を守った女性たちの肩には、家族や子供たちの生活がのしかかっていた。戦後の教育ではなく、戦前の教育で生きてきた女性たちだ。夫を亡くし、家も焼かれ、それでも生きていかなければならない彼女たちが出来る事は限られていた。理念や綺麗ごとだけでは生きていけない厳しい現実があった。

当時、世間を騒がせた猟奇的殺人鬼に小平義雄という男がいた。彼は、買い出しに出かけた女性に声をかけ、凶行を繰り返していた。当時の社会情勢が良く見える事件である。
https://matome.naver.jp/odai/2144133638405311001

③占領米軍の費用⇒GHQが接収した建物・家屋は約700戸。占領米軍将校などが住んだ。特に一般家屋は、当時水洗トイレなどが完備していた上流階級の家屋を接収したのが多かった。それらの生活費用の一切は日本政府が持った。銀座でのクラブ通いの費用なども日本政府が持っていた。

つまり、米占領軍の費用の大半は日本政府が持っており、彼らは廃墟と化した焼け跡の東京で優雅な生活を送ったのである。現在の駐留米軍の豪奢な生活と傲慢な姿勢は、いまだ占領軍の記憶を引きずっているのである。

美空ひばりが「悲しき口笛」で歌った「丘のホテルの赤い火も」という歌詞は、当時、占領軍の将校たちが接収したホテルや住宅が、横浜の高台にあった。夜、ホテルや家々に灯りがともり、別世界のような明るさを誇っていた。ところが、高台の下では、街灯もなく、薄暗い夜道を、帰る家もなく、とぼとぼと肩をすぼめて歩く占領下の日本人がいたのである。ひばりの歌がヒットしたのは、その光景が、戦後すぐの日本人の心象風景にぴったり合ったからであろう。

実はこの光景。黒澤明監督の作品で、山崎努の出世作【天国と地獄】で意図的に使われていたと、わたしは思っている。高台にある三船敏郎の豪華な家を毎日見ている惨めな自分の暮らしが、「誘拐」の引き金になったとしていた。黒澤明の脳裏にあったのは、戦後の米兵たちの豪奢な暮らしと敗戦国国民の惨めさの落差ではなかったか、と考えている。

わたしは、戦後の日本人、特に東京・横浜など大都会に住んでいた日本人の生きるバネが、美空ひばりの「悲しき口笛」の風景ではなかったかと考えている。その意味で、文字通りの戦後日本人の【原風景】がこの番組にはあった。

さらに、この番組が素晴らしかったのは、占領軍に擦り寄り、自分だけがうまい汁を吸おうと試みている醜い旧陸軍将校の話も描いている点である。

たとえば、服部卓四郎大佐。戦後、ウィロビーの「戦史調査部」に協力、その裏の業務として彼の命令で【日本再軍備研究機関】として【服部機関】を設立した。戦後の再軍備には、彼が大きくかかわっていた。その他、辻正信などもそうである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%8D%93%E5%9B%9B%E9%83%8E

この種の問題で忘れてならないのは、NHKスペシャルでも放映された「陸軍731部隊」である。この中心人物である石井中将など関係者は、CIAやGHQ関係者と接触し、【人体実験データ】を提供するかわりに、戦争裁判からまぬかれたのである。

これについては、改めて書こうと思っているが、731部隊の研究に協力した多くの医学者(東大・京大など)は、戦後医学界の権威者として君臨した。彼らもまた、占領軍に協力し、自らの延命を図ったのである。

◎このような占領軍の費用の出方などを見ていると、現在の日米安保条約の「地位協定」の不平等さの淵源は、占領期に合った事が良く分かる。なにしろ、女性の提供まで国が行っていたのだから。

「隠匿物資」の話。米国に擦り寄る服部卓四郎や辻正信のような軍人。お前たちのためにどれだけの人間が死に、どれだけの人間が惨めで悲しい思いをしているのか、と詰りたくもなる。

・・・開戦時の陸軍の作戦は多くが、辻―服部―田中のラインで形成されることになった。
1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル島の戦いにおいては、現地を視察した際、「補給路が確立されつつあり、この点について問題なし」と虚偽の報告をした。
結果、陸軍は3万人以上の部隊を投入したが、撤退できたのは僅かに1万人足らずであった。この時の約2万人の損害のうちの15000人は、餓死と戦病死(事実上の餓死)だったと推定されている。・・ウィキペデイア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%8D%93%E5%9B%9B%E9%83%8E

ガダルカナルの地獄の戦争を闘った兵士(たとえば、水木しげるはこの戦いで片腕を失った)からすれば、「何だ、この野郎」という話である。彼らが、国民を洗脳した「鬼畜米英」の理念はどこに行ったのか、と言う話である。

これもまた、指導者の無責任の原型のような話である。戦前賛美を続ける【日本会議】流の極右連中に問いたい。君たちは、焼け野原と化した東京を是とするのか。この責任は誰が取るのか。

この映像を見ていると、『一億総懺悔』などというまやかしの論理が、どれほど酷い論理かと言う事が良く分かる。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水

高市氏発言「放送を委縮」~立憲デモクラシーの会が批判~

2017-05-14 09:39:48 | マスコミ報道
東京新聞のスクラップから見つけました。昨年(2016年)3月3日付の表題記事を転載いたします。

+++++++ここから++++++
高市早苗総務省が政治的公平性を欠いた放送をした放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及していることについて、憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」は(3月)2日、東京・永田町の衆議院第二議員会館で記者会見し、「放送事業者の表現活動が過度に委縮することは免れない」と批判する声明を発表した。

声明は、放送法が求める「政治的に公平であること」などの原則は「抽象的な要請に過ぎない」と指摘。憲法で表現の自由が保障されているのに、漠然とした放送法の文言のみを根拠に放送事業者を処分すれば「違憲との判断は免れない」と主張する。公平性に反するかどうかを政党の政治家である閣僚が判断することも問題視している。

会見で、共同代表の樋口陽一・東京大名誉教授は「なんびとも自分自身が関わっている事柄について、裁判官となってはならないというのは、自由民主主義社会の基本原則」と政府の姿勢を批判。阪口正二郎・一橋大教授は「政治が放送をコントロールすることは危険。政府にとって都合のいい情報しかメディアから入ってこなくなれば、国民が主権者でいられなくなる」と訴えた。
++++++++ここまで++++++++

そう、あの高市氏です。国粋的、右翼的発言が目立つ、安倍首相にすり寄る女性閣僚の一人。彼女がいる「政治的公平性」とは、「安倍政権の方針が公平」に聞こえます。

それとも、沖縄ヘイト的放送内容で批判されたMXテレビ「ニュース女子」は”バラエティ”だからよいと?同局で以前、石原慎太郎都知事(当時)が右翼的知識人と対談していた番組や、現在も同局で早朝に放映されている教養番組?「西部邁ゼミナール」を放送停止と名指しすべきでは?

日曜日早朝の番組「時事放談」の細川隆元さんと藤原弘達さんが懐かしく思えます。あれが言論の良識・教養番組だと思っていましたが。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
猫家五六助

10年前の石原慎太郎

2017-04-08 09:07:22 | マスコミ報道
最近、東京新聞の重要な記事が多すぎて読む時間が取れず、切り抜いたスクラップが過去モノとともに仕事場を占領し始めました。

そこで一念発起、古いスクラップから重要なものを抽出してPDF保管することに。すると、2007~2009年あたりで石原元都知事に関するスクラップの束を発見しました。「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」という佐々淳行さんのキャッチコピーが功を奏して再選された石原さん。

都議会の百条委員会ではボケ老人のふりで誤魔化そうとした石原さんですが、当時は東京新聞が「石原都知事・会見ファイル」という小さなコラムをこまめに掲載していました。

これらを少し読むと、石原都知事は週に2~3日しか登庁せず、副知事に任命した浜渦さんが代行として恐怖政治をしいていたことが含まれています。問題視された浜渦さんの免職や公私混同。厚遇した四男の処理に際しては「余人をもって代え難い人材だった」と捨て台詞。自分はラクして好きな事できるわ、末っ子はカワイイわ、好き放題・勝手放題な振る舞いでした。

要するに当時、石原慎太郎さんは東京都が尖閣諸島を購入すること、芸術家・四男の重用、日本の最南端領土・沖ノ鳥島視察など好きな事には熱心で、豊洲移転などの重要なことは「これでいい、文句をいわせるな」「都合が悪い事は水面下でやれ」と一声で他人任せだったと推察されます。

そのワンマン体制のツケが今、石原慎太郎自身に回ってきたと言えます。「逃げも隠れもしない」と言いつつ逃げ回るんじゃないよ、みっともない男だ!

今後、2007~2009あたりの東京新聞の記事をアップしていきます。当時のリアルな報道が現在どのように影響しているか、深刻になっているか、とてもよくわかるので。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助