昨日(2月17日)は、TVにかじりつき、羽生結弦選手の演技に手に汗を握って応援した人も多かったろう。どのTV局も羽生結弦選手の金メダル獲得のニュースで溢れかえり、完全なTVジャック状況だった。
たしかに、彼の金メダル獲得は劇的だった。見ていた誰もが息を呑んだ3ケ月前の大怪我(右足靱帯断裂)から復帰し、ぶっつけ本番の大舞台で見事に金メダルを獲得した。日本人だけでなく、世界中の誰もが感動するストーリーである。
しかし、それだけでは、あれほどの大騒ぎにはならない。彼の立ち姿、彼の演技、彼の表情、彼の一挙手一投足に、観衆、TVを見ていた全ての人が引きこまれた。だから、羽生結弦のTVジャック状況に誰もが納得したからである。先日の貴乃花騒動のとは大違いである。
わたしたちのような昭和生まれには理解しがたいが、羽生結弦は、明らかに昭和の日本人とは違う。羽生結弦を追いかける海外の女の子が「彼は漫画の中の存在だ」と語っていたが、おそらく彼があれほど全ての人々に受け入れられる存在である理由の一つだろう。彼は、漫画、特に少女漫画の中に出てくる男の子そのままの雰囲気を醸し出している。彼をおっかけている日本のおばちゃんが、「彼の妖精のような雰囲気が好き」と語っていたが、海外の女の子と同じことを言っていると思う。
飛鳥の中宮寺(法隆寺のすぐ傍)に国宝の「半跏思惟像」がある。この表情のやさしさは、数多い仏像の中でも特別なもので、国際美術史学者の間では、古典的微笑「アルカイックスマイル」の典型として高く評価されているそうだ。
(※世界の三大微笑像⇒エジプトのスフィンクス、ダビンチのモナ・リザ、中宮寺の半跏思惟像)
中宮寺のHP http://www.chuguji.jp/about/index.html
わたしの理解では、仏像というものは、男女の差をできるだけ超越して仏教が理解する人間という抽象的で普遍的な姿を彫りだそうと努めている。男の要素、女の要素をできる限り削ぎ落し、「中性的」姿を彫りながら、人間という抽象的で普遍的な存在を感得させるのである。理解させるのではなくて、感得させるのである。だから、その姿は、仏像を彫る仏師(仏像を中心に彫る彫刻家)の数だけある。つまり、仏師の数だけ【人間】理解の数があるのである。
わたしは、大学時代、中宮寺の「半跏思惟像」を初めて見た時の衝撃を忘れられない。男性でもなく、女性でもない。能う限り【中性的】表情でありながら、それでいて、何とも言えない人間的安心感を与えてくれる。古代の人々の人間理解の豊かさに圧倒された記憶がある。
突拍子かも知れないが、わたしは、羽生結弦を平成の半跏思惟像的存在ではないかと考えている。
羽生結弦のたたずまいは、何とも言えず美しい。この美しさは誰にも否定できない。しかも、中宮寺の半跏思惟像を思わせる削ぎ落された【中性的】イメージが横溢している。【中性的存在】であればあるほど、どのような想像も可能になる。若い女性たちは、漫画の世界に出てくる汗臭い匂いのしない男の子をイメージし、中年のおばさんたちは、性を超越した【妖精的】イメージに酔いしれる。
若い男性は、俺もああなりたい、とあこがれる。同時に、金メダルを取るまで、右足の痛みを痛み止めで抑えていた事を語らない、男らしさに圧倒される。かって、女性的服装をしながら、男らしさに溢れていた沢田研二の人気を彷彿とさせる。
おじさんたちは、「これからの人生、金メダルにふさわしい生き方をしたい」などというセリフに自らのだらしなさを振り返り、ころっといかれる。
昭和には、こんなヒーロー像はなかった。これが平成という時代が生み出したヒーローなのだろう。
羽生結弦の勝利の姿を見ながら、来年終わりを告げる平成という時代が生み出した最も良質な人間は、【平成天皇】と【羽生結弦】かな、と思えてきた。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
たしかに、彼の金メダル獲得は劇的だった。見ていた誰もが息を呑んだ3ケ月前の大怪我(右足靱帯断裂)から復帰し、ぶっつけ本番の大舞台で見事に金メダルを獲得した。日本人だけでなく、世界中の誰もが感動するストーリーである。
しかし、それだけでは、あれほどの大騒ぎにはならない。彼の立ち姿、彼の演技、彼の表情、彼の一挙手一投足に、観衆、TVを見ていた全ての人が引きこまれた。だから、羽生結弦のTVジャック状況に誰もが納得したからである。先日の貴乃花騒動のとは大違いである。
わたしたちのような昭和生まれには理解しがたいが、羽生結弦は、明らかに昭和の日本人とは違う。羽生結弦を追いかける海外の女の子が「彼は漫画の中の存在だ」と語っていたが、おそらく彼があれほど全ての人々に受け入れられる存在である理由の一つだろう。彼は、漫画、特に少女漫画の中に出てくる男の子そのままの雰囲気を醸し出している。彼をおっかけている日本のおばちゃんが、「彼の妖精のような雰囲気が好き」と語っていたが、海外の女の子と同じことを言っていると思う。
飛鳥の中宮寺(法隆寺のすぐ傍)に国宝の「半跏思惟像」がある。この表情のやさしさは、数多い仏像の中でも特別なもので、国際美術史学者の間では、古典的微笑「アルカイックスマイル」の典型として高く評価されているそうだ。
(※世界の三大微笑像⇒エジプトのスフィンクス、ダビンチのモナ・リザ、中宮寺の半跏思惟像)
中宮寺のHP http://www.chuguji.jp/about/index.html
わたしの理解では、仏像というものは、男女の差をできるだけ超越して仏教が理解する人間という抽象的で普遍的な姿を彫りだそうと努めている。男の要素、女の要素をできる限り削ぎ落し、「中性的」姿を彫りながら、人間という抽象的で普遍的な存在を感得させるのである。理解させるのではなくて、感得させるのである。だから、その姿は、仏像を彫る仏師(仏像を中心に彫る彫刻家)の数だけある。つまり、仏師の数だけ【人間】理解の数があるのである。
わたしは、大学時代、中宮寺の「半跏思惟像」を初めて見た時の衝撃を忘れられない。男性でもなく、女性でもない。能う限り【中性的】表情でありながら、それでいて、何とも言えない人間的安心感を与えてくれる。古代の人々の人間理解の豊かさに圧倒された記憶がある。
突拍子かも知れないが、わたしは、羽生結弦を平成の半跏思惟像的存在ではないかと考えている。
羽生結弦のたたずまいは、何とも言えず美しい。この美しさは誰にも否定できない。しかも、中宮寺の半跏思惟像を思わせる削ぎ落された【中性的】イメージが横溢している。【中性的存在】であればあるほど、どのような想像も可能になる。若い女性たちは、漫画の世界に出てくる汗臭い匂いのしない男の子をイメージし、中年のおばさんたちは、性を超越した【妖精的】イメージに酔いしれる。
若い男性は、俺もああなりたい、とあこがれる。同時に、金メダルを取るまで、右足の痛みを痛み止めで抑えていた事を語らない、男らしさに圧倒される。かって、女性的服装をしながら、男らしさに溢れていた沢田研二の人気を彷彿とさせる。
おじさんたちは、「これからの人生、金メダルにふさわしい生き方をしたい」などというセリフに自らのだらしなさを振り返り、ころっといかれる。
昭和には、こんなヒーロー像はなかった。これが平成という時代が生み出したヒーローなのだろう。
羽生結弦の勝利の姿を見ながら、来年終わりを告げる平成という時代が生み出した最も良質な人間は、【平成天皇】と【羽生結弦】かな、と思えてきた。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
