3月27日の報道ステーションで、官邸の恫喝に屈したテレ朝の舞台裏が、元通産官僚の古賀茂明氏の覚悟を決めた捨て身の証言で明らかになった。この日の番組は、後世の歴史家によって『ジャーナリズムの死』の象徴として記録される事は間違いないだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150328-00000008-mai-soci
古賀氏はマハトマ・ガンジーの次の言葉をフリップにして、提示して「I am not ABE」という自らの立場を再度明らかにした。
「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。
それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないように するためです。」
全体主義的で、言論統制が行き渡った社会をファシズムとかナチズムと呼ぶとしたら、間違いなく日本はその只中にあると考えてよい。それに対して、古賀氏は一人だけでも抗う姿勢を明らかにしたのである。彼の行動については、これから様々な毀誉褒貶の意見があるだろう。しかし、そういう人は、勝海舟の以下の言葉を反芻した方が良い。【行蔵は我に存す。褒貶は他に存す。我にあらず】
わたしなりに古賀氏の真意を忖度すると、以下の詩に近いと思われる。
「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」 (ドイツの反ナチ運動者マルチン・ニーメラーの詩)
・・・ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった ・・・・・
(ニーメラー財団が提示する詩の邦訳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D
経済学者植草氏は、これに付け加えて以下のガンジーの言葉も紹介している。
・・・
●「恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行するのです。」
●「たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。」
●「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。」
●「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、1人戦うことを誇りとする。」
そして、このガンジーは、第二次世界大戦中の1942年7月26日に、「すべての日本人に」と題する公開文書を発表した。
「私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。
あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。
しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。
そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。
世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。
しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。
あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。
ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。
それが大きな誤解でありますように。
あなたがたの友 ガンディーより。」 ・・・・・・・・・・
千秋楽古賀対古舘決戦・突き倒しで古賀の勝ち(植草一秀 知られざる真実)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f2e7.html
以前にも書いたが、ファシズムのような政治形態はある日突然出来るものではない。長い政治プロセスを経て生まれる。そして【後から考えたらあれが転換点だったのか】という節目の時がある。マルチン・ニーメラーの詩は、その事を正直に語っている。今声を上げなかったら、【そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 】という結果になる。
これがファシズムという政治の恐ろしさ。政治を見るには、【想像力】が何より重要であるという一つの証左でもある。
古賀氏の今回の行動は、【ここで声を上げなかったら、生涯自らを悔いる結果になる】と考え、自らのメディアにおける全存在を賭けて、告発したのであろう。
ガンジーの言葉も胸を打つ。彼の言葉は、現在の日本や安倍首相を諭しているように聞こえるのは私だけではないと思う。
●「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、1人戦うことを誇りとする。」
これは、先週のコラムで紹介した【傲慢】な人格は、臆病者の裏返しという論理に共通する。数の力に屈するものに、ジャーナリストの資格はない。虎は死しても皮を残す。しかし、自らの信念を棄てたジャーナリストに残るものはない。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
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