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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

根拠の怪しい合憲論を強弁する安保関連法案政府見解!

2015-06-11 15:48:03 | 集団的自衛権
安倍首相は、G7で以下のような演説をしました。
「私たちには共通の言葉があります。自由、民主主義、基本的人権、そして法の支配。基本的な価値を共有していることが、私たちが結束する基礎となっています。」「力によって一方的に現状が変更される。強い者が弱い者を振り回す。これは欧州でもアジアでも世界のどこであろうと認めることはできません。法の支配、主権、領土の一体性を重視する日本の立場は明確であり、一貫しています。」
出典:産経新聞http://www.sankei.com/politics/news/150609/plt1506090003-n1.html

何とまあ、戦後民主主義者が裸足で逃げ出すほどリベラルな思想です。法の支配を重視しているそうです。強いものが弱いものを振り回すことなど認められないそうです。その言や良し。是非、実行していただこうではありませんか。

法の支配尊重⇒では、大方の憲法学者が「違憲」と認定している集団的自衛権行使を含む安全保障関連法案を撤回していただきましょう。憲法98条・憲法99条の規定を守ってもらいましょう。

※第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

ちなみに、『法の支配』とは、次のような概念を指します。
「法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。それは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。~中略~法の支配の内容として重要なものは、現在、(1)憲法の最高法規性の観念、(2)権力によって犯されない個人の人権、(3)法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law)、(4)権力の恣意的行使をコントロールする裁判所に役割に対する尊重、などだと考えられている。」
出典:芦部信喜『憲法 新版』(岩波書店 1997年) ・・・・

どうやら、安倍首相は、(1)の憲法の最高法規制の観念などという『法の支配』概念の一丁目一番地は理解されていないようだ。理解していたら、憲法学者の大半が『違憲』と認定している法案を無理にでも成立させようとはしないはずです。

政府は、9日、衆院憲法審査会で三人の憲法学者が他国を武力で守る「集団的自衛権の行使」容認を含む安全保障関連法案を「違憲」と批判したことに対し、合憲と反論する見解を野党側に示しました。与党推薦の学者までが、「違憲」と批判したことで、安保関連法案それ自体の根拠が根底から問われる事態になったのです。自民党も公明党も相当焦っているのでしょう。怪しげな政府見解なるものをでっち上げ、合憲論を展開しています。そもそも、憲法を専門にしている学者の大半が「違憲」と認識しているものを、合憲と言いくるめる事は相当ハードルが高いのです。

案の定、政府見解なるものは、これまで自民党などが示した認識を超えるものではありません。ほとんど論理的に破産しています。その為、「砂川事件」判決を持ち出していますが、これまた、墓穴を掘るに等しい論理です。

1959年の砂川事件の最高裁判決のテーマは、米軍の駐留の合憲性に関するもので、日本国の自衛権に関するものではありません。自衛権に関して言及した部分も個別的自衛権に関するものであると考えられています。逆に、砂川事件の判決は、集団的自衛権を否定するものだという説もあります。

この当時の歴史的経緯を素描しますと、1950年、朝鮮戦争勃発。米国は、日本政府に30万人の再軍備を要求。吉田茂は憲法9条を理由にこれを拒否。(※米国の再軍備要求の目的は、朝鮮戦争を日本兵で戦わそうと意図した。要するに日本人の血を流さそうとした)その穴埋めとして、軍需産業を復活させ、武器弾薬を米軍に提供した。⇒これがいわゆる【朝鮮特需】⇒日本の経済復興の端緒。 

★この事実から言える事は、憲法9条が、日本を戦争参加から守ったという事。同時に、この時の吉田茂の対応が、後の日本政府の方法論に大きな影響を与えました。一口でいえば、【軍備=戦争】より【経済=平和】優先という思考方法。

1959年の最高裁の砂川事件判決は、この当時の時代背景(朝鮮戦争後の冷戦時代)もあり、相当いかがわしい判決だと言えます。

1957年の砂川事件(※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6)で、住民たちは、在日米軍は憲法9条二項に違反する「戦力」に当たるのではないかという訴訟を起こします。一審(通称伊達判決)では、米軍は『戦力』に該当し、『違憲』という判断が下りました。
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E9%81%94%E5%88%A4%E6%B1%BA-93734

この判決に慌てた米国は、日本政府要人(藤山愛一郎外相)と会談、日本政府に高裁を飛ばして最高裁に跳躍上告させ、『合憲』判断を勝ち取るために、様々な工作を行います。結果は、米国の思惑通りの判決が出されたのです。少し、長い引用になりますが、以下の文章を読んでもらえば、よく分かります。

・・・実は最高裁によるこの逆転判決の裏には“日本政府とアメリカの介入”が指摘されているのだ。
 そのことを明らかにしたのは、2013年に出版された『砂川事件と田中最高裁長官』(布川玲子、新原昭治・編著/日本評論社)。同書によれば、米軍駐留を「違憲」とした伊達判決が出た翌日にあたる1959年3月31日の午後、東京・アメリカ大使館のマッカーサー2世駐日米大使からワシントンにある国務省のジョン・フォスター・ダレス国務長官へ一通の秘密電報が発信されたという。アメリカ政府解禁秘密文書の秘密区分で「極秘」に指定されているこの文書は、以下のように始まる。

〈(私、マッカーサーは)今朝八時に藤山(愛一郎・外務大臣)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話しあった。私は、日本政府が迅速な行動をとり、東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生み出すだけでなく、4月23日の東京、大阪、北海道その他での極めて重要な知事選挙を前にした重大な時期に、国民の気持ちに混乱を引き起こしかねないとの見解を表明した。〉
 
当時、米国務省も国防総省も伊達判決にコメントするのは「不適切」とマスメディアに語っていたが、実際には、伊達判決の直後から密かに外交工作を行っていたことがこの秘密電報の文面からはわかる。
 しかも、マッカーサー大使は藤山外相に、論議が長引けば〈左翼勢力や中立主義者らを益するだけ〉と戒め、跳躍上告することを促している。これに藤山外相は〈全面的に同意〉。実際、この藤山外相とマッカーサー大使の面会からわずか3日後には跳躍上告が決まっている。
 その日のマッカーサー大使から国務省への「秘」電報には、このように書かれている。

〈外務省当局者がわれわれに語ったところによると、法務省は近く最高裁に提出予定の上告趣意書を準備中だという。(中略)政府幹部は伊達判決が覆されることを確信しており、案件の迅速な処理に向けて圧力をかけようとしている。〉
 
この時点で、日本政府幹部が司法に「圧力」をかけていると、マッカーサー大使は外務省から聞かされている、というわけである。しかしなぜ、まだ跳躍上告の準備中にもかかわらず、政府は「伊達判決が覆されることを確信」していたのか。その背景は4月24日にマッカーサー大使が国務長官に宛てた「秘」公電を見れば明らかになる。
〈(判決の時期について)内密の話し合いで田中最高裁長官は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審理が始まったあと判決に到達するまえに、少なくとも数ヶ月かかると語った。〉
 
なんと、最高裁での逆転判決の鍵を握る裁判長・田中耕太郎長官自らが、マッカーサーと「内密」に談合を行っていたのである。あらためて言うまでもなく、評議による裁判中の情報は秘密にしなくてはならない(裁判所法第75条)。しかし田中裁判長は、その後もアメリカ側と度々密会を重ね、情報をリークしていたのだ。

 その漏洩内容は恐るべきものだ。同年8月3日に米大使館から国務長官宛てに発信された書簡が、その一部を物語っている。

〈共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、在日米大使館主席公使(引用者註:マッカーサー大使のスタッフだったウィリアム・K・レンハート公使のこと)に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。(中略)裁判長は、結審後の評議は実質的な全員一致を生み出し、世論を“揺さぶる”素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。〉
 田中裁判長は、裁判の争点を直接的背景である日米安保条約における危険性の論議から逸らして法律解釈の問題に限定することで、速やかに結審を下す旨まで報告していたのである。
 
岸信介内閣が秘密裏に進めてきた安保改定の条約調印は60年1月19日。最高裁判決は59年12月16日に田中裁判長自身が言い渡している。安保改定の反対運動が盛り上がる前に「違憲判決」を覆しておきたかったのだ。
 しかも、である。田中裁判長は判決1カ月前にもマッカーサー大使と密談し、その会話のなかで伊達判決の明確な否定と、米軍駐留に合憲判断によってお墨付きを与えることまで公言していたことが、米大使館から国務長官に宛てた極秘書簡によって明らかになっている。
〈田中裁判長との最近の非公式会談の中で、砂川事件について短時間話し合った。(中略)
 
田中最高裁長官は、下級審の判決が支持されていると思っている様子は見せなかった。それどころか反対に、それは覆されるだろうと思っている印象だった。しかし、重要なのは、15人のうちのできるだけ多くの裁判官が、ここに含まれる憲法上の争点につき裁定することだという印象を私は得た。この点に伊達判事が判断を下したのは、まったく誤っていたのだと彼は述べた。〉
 
さらに驚くべきことは、外務省はアメリカ側に裁判で弁護団にどのように反論すべきかまで相談をしていることだ。
 
このことについて詳述しているのは、昨年発売された『検証・法治国家崩壊』(吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司/創元社)だが、同書によれば、最高裁での弁護側の答弁書には、日米安保による米軍の駐留と基地使用によって日本が直接関係のない武力紛争に巻き込まれる危険性が指摘されていた。これに対して検察側は、審理が不利にならぬよう、軍事行動のための基地使用の事実を否定する必要があった。そこで、最高検察庁から弁護団の指摘を聞いた外務省は、マッカーサー大使に相談。米解禁文書から発掘された文書には、〈ときに応じて日本の海軍施設を使うかもしれないが、日本の国内とその付近に配置された米軍とは見なされないし、日本を基地とするものではないということである〉という苦しい言い逃れが書かれている。また、こうしたなかでアメリカの国務長官の指示どおりに検察が虚偽の弁論を行ったことなども「秘」公電によって判明しているのだ。」・・・・
(永井多賀子)http://lite-ra.com/2015/06/post-1175.html 2015.06.10. リテラ

砂川判決の内容それ自体にも非常に問題があります(いわゆる統治行為論)が、それより何より、民主主義の根幹である三権分立制度それ自体が、崩壊していたのではないか、という点が大問題です。

統治行為論というのは、要するに司法権が行政権に屈服したという事を示しています。この判決を安保関連法制の合憲の根拠にしようと強弁している首相や高村氏や政権首脳に聞きたい。

●「あなたがたは、日本の司法が時の権力(米国および日本政府)に屈服した砂川裁判を根拠にするのですか。
●日本の植民地化を証明するような判決を是とするのですか」と。
●そして「それが安倍政権のスローガン【日本を取り戻す】ためにどのような寄与をするのですか」と。

「護憲+BBS」「憲法を考える」より
流水

「潮目が変わった」のか

2015-06-10 10:26:19 | 集団的自衛権
猫家五六助さんの投稿にありったように、三人の憲法学者が「安保法制は違憲」という見解を国会で証言しました。お三方の中には自民党が招致された方もおられたとか。

私は東京新聞を購読しているせいか、各地での「安保法制反対」の報道が目立ちます。

「どうせ何をやっても同じ」「何も変わりゃしない」という言葉に今まで私達はどれ程失望してきた事でしよう。そして「誰がやっても同じ」という言葉を呪文のように口に上らせながら、投票所にも足を運ばず過ごして来た結果が、今日の事態を招いたのかもしれません。

今の政権は、世論、国民の意見など意に介さない風を装いながら、実はチラチラ様子見しているのです。

「我が子が戦争にいかされるかも知れない」と人々が本気で気付来き始めたら、マスコミも報道せざるを得なくなるのです。(多くの人が関心を持てばそのニュースを見て、報道した週刊誌の販売部数が伸びるから。)

だから今この法案を通したい政権は「安保法制」から「戦争の臭い」を打ち消そうと躍起になっているのです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ

「拉致問題解決と安保法制」自民党街宣へのカウンター行動@新宿

2015-06-07 23:03:10 | 集団的自衛権

               

自民党青年部が「集団的自衛権」の正当性・必要性を訴えるため全国一斉に街宣活動をするという情報と、彼らのプロパガンダを放置しないため「安保法案」に反対する人たちはカウンター行動をしようという呼びかけがツイッター上に流れ、その現場のひとつ、新宿西口に様子を見に行ってきました。

                

街宣の予定時間の1時半には、「安保法案」に反対する個人やグループが集まってきていて、フライヤーを掲げたり、チラシを配ったりと、思い思いに反対の意思表示を始めていました。

               

自民党青年部の人たちもチラシを配っていましたが、(なぜか当初の情報と違い、集団的自衛権の宣伝マンガではなく、北朝鮮拉致問題に関するチラシだけでしたが、)受け取る人はほとんど居ない様子です。

                

予定時間を過ぎて、自民党関係者やSPの物々しい警護の中、山谷大臣と谷垣幹事長らが車上に登場。精一杯の笑顔を作り、手をふりますが、それに応えるのは、三角コーンで作られた仕切りの前に陣取ったほんの数人だけ。山谷大臣の声も、谷垣幹事長の声も、大勢の人たちの「戦争法案絶対反対」「憲法壊すな」などの声にかき消されて、全然聞こえません。

          

なんとか予定のスピーチを終えると、聴衆たちから湧き起こる激しい「帰れ!」コールに送られて、その場から去っていきました。

現場にいた自民党関係者たちは、平成を装っていましたが、多くの人たちの怒りの大きさと、自党が置かれている状況の厳しさを肌身で感じたに違いありません。そういう意味で、今日直接私達の怒りを彼らに向けて可視化することができたことは、(日頃の主なき国会議事堂に向けた抗議行動などと違って)実に痛快だったし、大きな成果があったと思います。

今後、同様の行動に対し、権力を使った反撃が起きる可能性が十分にあることを留意する必要はありますが、私たちはもう後に退くことはないでしょう。「戦争法案 本当に止める」。本気の人たちが本気を共有し、大きな変化が起きていることを実感しあった、長く記憶に止めるべき時間・空間でした。

「戦争法案 本当に止める」(SEALDs)
https://www.youtube.com/watch?v=udYv_trbbow

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子

やっと「大人」が叱ってくれた。

2015-06-06 14:05:46 | 集団的自衛権
例えるならば、身勝手に振る舞う坊ちゃんを諌める紳士。安倍首相が無理筋で進める安保法案に3名の憲法学者が憲法違反と意見した有様のことです。安倍政権が押し切ろうとしている戦争法案に対し、国会では日程消化のような質疑応答が続き苦々しく思っていたのですが、ようやく専門家から真っ当な意見が出て安堵しました。

しかし、自ら招聘した憲法学者に安保法案を否定された安倍政権の対応は、なんとお粗末なことか。「違憲との指摘は全く当たらない」と無恥な官房長官。「憲法解釈の変更は政府の裁量内」と強気の防衛相。「基本的な立論が異なる」と傲慢な副総裁。まるで、憲法学者をさしおいて「オレ達が法律を決める」とでも言っているかのよう。これが法治国家の政府でしょうか。

ところで、「憲法違反」を突き付けられた安倍首相の声が聞こえてきませんね。自信満々の平和法案を小林教授に「言葉の遊びをやらないでほしい。恥ずかしい」と見透かされたから?

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助

安保法案、憲法学者からレッドカード

2015-06-06 10:08:59 | 集団的自衛権
4日の衆院憲法審査会に招かれた3人の憲法学者小林節慶大名誉教授、長谷部恭男早大教授、笹田栄司早大教授の意見陳述をニュースで見たが、学者としての良心、日本国憲法の真理、これまで多数の学生に教えてきた法学、憲法解釈を踏まえた政治に迎合しない正々堂々とした意見だったように思う。

仮に大学での教授内容と違う答弁をしていたなら、先ず教え子に軽蔑され、学会からも批判され、学者生命が危うくなることは、戦前、戦争画を画くことに迎合して、戦後批判され画家生命を絶たれた画家を見ても明らかである。

(以下6/5朝日新聞デジタルより)
http://www.asahi.com/articles/ASH646RCKH64UTFK019.html?iref=comtop_list_pol_n05

+++

=憲法学者から思わぬレッドカード 安保法案審議に影響か=

「集団的自衛権の行使は違憲」。4日の衆院憲法審査会に招かれた憲法学者3人は、安全保障関連法案に「レッドカード」を突きつけた。政府・与党内には、今後の衆院特別委員会の審議に冷や水を浴びせかねないとの見方が広がり、「委員会の存立危機事態だ」との声も出た。(中略)

憲法や安全保障についての考え方が異なる3人の参考人だが、そろって問題
視したのは、昨夏の閣議決定で認めた集団的自衛権の行使だった。集団的自衛権は「違憲」との見方を示し、憲法改正手続きを無視した形で推し進める安倍政権の手法を批判した。

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「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔

安保法案 参考人全員「違憲」衆院憲法審

2015-06-04 22:32:34 | 集団的自衛権
6月4日東京新聞夕刊より
+++
衆院憲法審査会は四日午前、憲法を専門とする有識者三人を招いて参考人質疑を行った。いずれの参考人も、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について「憲法違反」との認識を表明した。自民、公明両党の与党が推薦した参考人を含む全員が違憲との考えを示したことで、衆院で審議中の法案は憲法の枠内だとの政府の主張に対する疑義が鮮明になった。

参考人として出席したのは、自民、公明、次世代の各党が推薦した長谷部恭男(はせべやすお)早稲田大教授、民主推薦の小林節(こばやしせつ)慶応大名誉教授、維新推薦の笹田栄司(ささだえいじ)早稲田大教授の三人。

長谷部氏は、安保法案のうち集団的自衛権の行使を容認した部分について「憲法違反だ。従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす」と指摘。小林氏は「私も違憲だと考える。(日本に)交戦権はないので、軍事活動をする道具と法的資格を与えられていない」と説明した。笹田氏も「従来の内閣法制局と自民党政権がつくった安保法制までが限界だ。今の定義では(憲法を)踏み越えた」と述べた。
(中略)
国際貢献を目的に他国軍支援を随時可能にする国際平和支援法案が、戦闘行為が行われていない現場以外なら他国軍に弾薬提供などの後方支援をできるようにした点について、長谷部氏は「武力行使と一体化する恐れが極めて強い。今までは『非戦闘地域』というバッファー(緩衝物)を持っていた」と主張した。

小林氏は「後方支援は特殊な概念だ。前から参戦しないだけで戦場に参戦するということだ。言葉の遊びをしないでほしい。恥ずかしい」と述べた。
(中略)
安保法案をめぐっては、憲法研究者のグループ百七十一人が三日、違憲だとして廃案を求める声明を発表したばかり。安倍政権の憲法解釈に対し、専門家から異議が強まっている。
+++
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015060402000255.html

安倍政権が「合憲」であるかのように言いつくろって成立させようと画策している「安保法案」に対し、国会の場で、与野党が推薦する参考人がそろって「違憲」と明言したというのは、画期的なことです。

菅官房長官がさっそく記者会見で「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいらしゃいますから」など言って平静を装っているようですが、このニュースはNHKを含め各メディアも報じていて、これを契機に潮目が変わる可能性が出て来ました。

「驕れる者 久しからず」・・・私たちも引き続き「集団的自衛権の閣議決定 NO!」「安保法案 NO!」の声を上げつつ、希望を持って、今後の成り行きを見守りたいと思います。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子

火中の栗を拾う?

2015-05-21 09:57:25 | 集団的自衛権
中学校だったか・・・ふと、社会科の教科書で見た漫画を思い出しました。たしか、「火中の栗を拾う」という場面。イギリス、フランス、ロシアの老獪な軍人が焼き栗の入った火鉢を囲う中、日本の若い軍人がサーベルを携えて火鉢に向かう構図でした。

安倍政権は、同じ愚行を繰り返そうとしています。颯爽と世界の中心に立ちたい。世界の主導権を握りたい、米国と。そのために、どれだけのリスクを抱え、犠牲を払うことになるのか。それを考えない人間は政治家失格です。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助

ピースウイング、集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、集団訴訟へ

2015-05-20 17:07:32 | 集団的自衛権
一週間ほど前に百山さんが、『「安保法制11法案」の閣議決定は「憲法違反・無効」だ!』の記事の中で、
『「永田町」周辺で上がる声も含め、「憲法違反・無効」を鮮明にするための「提訴」を待ち望むものである。』
と書いていましたが、
現在、山中光茂松阪市長を代表とする非営利団体「ピースウイング」が、その前の「集団的自衛権行使容認の閣議決定」それ自体に対して「集団訴訟・国家賠償請求」を行うことを決め、5月中にも提訴を行うべく準備に入っています。

この団体の趣旨に賛同する人なら、会費(一口1000円)を支払うことで誰でも会員となり、原告あるいはサポーターになることができます。

また、「委任状」と「陳述書」を提出するだけで裁判所まで足を運ぶ必要はなく、具体的な訴訟手続きはすべて訴訟代理人が行うことになっています。
私も遅ればせながら原告団に加えていただきました。

関心のある方は、HPで詳細を参照の上、この活動への参加を是非ご検討ください。

『ピースウイングは、集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、集団訴訟・国家賠償請求を行い、司法の場で「NO」と言うために立ち上がった市民運動団体です。
【集団訴訟に加わってください】10,000人の原告団を募ります。』

HP:http://www.peacewing.jp/
公式チラシ(表):http://www.peacewing.jp/pdf/pw_bill01.pdf
公式チラシ(裏):http://www.peacewing.jp/pdf/pw_bill02.pdf

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
笹井明子

「マッカーサーの日本国憲法」

2015-05-19 16:42:09 | 集団的自衛権
私達のグループの定例会「サロンド・朔」の4月例会のテーマ「皆で考える日本国憲法」で、この「マッカーサーの日本国憲法」という本についての話が出た。これは、キョウコ・イノウエ著 /古関彰一監訳/五十嵐雅子訳による研究本である。

私は日本国憲法成立当時のいきさつに、小さな疑問があった。その一つが当時のアメリカ、GHQは何故アメリカ本国にもなかった「国民皆健康保険制度」をこの極東の小さな敗戦国に作り上げたのか?という事だった。女性の投票権も、社会福祉制度も今は当たり前の事であるが、当時としてはあり得ない程斬新で、それまでの「常識」を覆す制度だったのだろう。

この著書の中で「彼らの主目的は日本を二度と再び戦争する事のない責任ある民主主義国家に一変させる事であった(後略)」という一文に出会った。当時のアメリカ政府、GHQにとって、日本を上記のような国に一変させる事がアメリカの国際社会での立場と国益に適ったものだったのだろう。

そして「国民皆健康保険制度」に象徴されるような国民への福祉が、「この日本国憲法草案創りに関わった日本人に対する最高の報酬だ」と当時の連合国民政局長ホイットニー将軍は述べている。

著者は日本国憲法の細かい言い回しや条文を日本語と英語に分け、比較、分析している。英語が分からない私は著者の訳した文章や解説で知るしかないが、英語が分かる人が読んだらまた、違った意味で興味を引かれた事だろう。

著者は、天皇制、宗教、家庭についてのアメリカ社会と日本社会の理解の相違と文化の違い、主権在民、基本的人権などをアメリカの憲法と比較しながら、この憲法は日本とアメリカとの「誤解」の上に成り立った憲法だと述べている。

もし「誤解」の部分があったにしても、当時の日本国民にとっては「幸運な誤解」であったのだろうと私は思う。

この本は「誤解の上に成り立ち、押しつけられた憲法だったら正さなければいけない」という人達を勇気づけるかもしれないが、視点を変えて「誰が押しつけられたのか?」を考えてみよう。答えは、戦争へと突き進み多大な犠牲者を出した上にまだ戦前の「大日本帝国」という国体に固執していた当時の指導者達に対して「押しつけた憲法」ではなかったか。

では、誰が押しつけたのか?当時の連合国司令部と、この憲法を創り、受け入れた国民である。

東京新聞5月17日の朝刊「読む人」という欄では、この本の監訳者、古関彰一氏自身が「平和憲法の深層」という著書の中で、GHQの憲法草案が鈴木安蔵たちの「新憲法草案」を参考に創られたものだったと述べている。

ここで注目したいのは、アメリカが創ろうとしていた「民主主義国家と自立した個人」という原理である。主権在民も、基本的人権も、生存権も国民が不断の努力を積み重ねなければ無に帰してしまう。

今の日本国憲法は正に立憲主義に基づいた、国民が権力者を縛るという意味においても優れた憲法だと私は思っている。

昨今の安倍政権の法案の通し方等を見ていると、ヒタヒタと戦争への道を突き進んでいるように私には思える。一度戦争への道を歩み始めたら、破壊と殺戮の世界が待っているだけで、「マッカーサーの日本国憲法」のような、「国民と憲法との幸福な出会い」は二度と訪れる事はないだろう。

近い将来実施と取りざたされている「憲法改定国民投票」では、日本という国と国民が試される重大な岐路に立つことになる。その時の為にも私は「日本国憲法」について皆で考え議論したいと思っている。

「護憲+コラム」より
パンドラ

もはや中立は許されない!

2015-05-16 13:21:29 | 集団的自衛権
誰が見てもとりどころなき男来て

     威張りて帰りぬ

     かなしくもあるか

石川啄木の歌。初出は『一握の砂』。であれば、作歌は1910年(明43)10月4日~16日。
酔っぱらった友人が訪ねてきて、さんざん大言壮語を聞かされた後の句。啄木のような鋭敏な感受性の持ち主には、耐えられなかったのであろう。

戦後日本の安全保障政策の大転換を閣議決定した後の安倍首相の記者会見を聞いていて、上記の句が思い出された。啄木の場合は、友人との関係の話だが、安倍首相の場合はそうはいかない。日本国民全ての運命に関わる話である。論理的矛盾に満ちた話を得々と語るその神経にあきれ返る。

戦前の話を読んでいると、どうもこの種の話に遭遇する場合が多い。たとえば、歌手淡谷のりこは、戦前彼女の髪の色や衣裳に至るまで、町内の婦人会から注意を受けたそうだ。「この非常時に!」という理由からだ。それを疑いもなく言ったり、行動したりする人間が、いくらでもいたのが戦時体制というもの。小津安二郎は「秋刀魚の味」で笠智衆の「戦争に負けて良かった」という台詞に答えて、加藤大介にこう語らせている。「そうかもしれねえな。すくなくとも、馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもな」と。

この話。安倍首相のお友達連中を見ていれば、すぐ納得できる。NHK会長、曽野何がしのアパルトヘイト容認発言、百田なにがしの一連の発言。【虎の威を借るキツネ】根性の持ち主は、今も戦前も何も変わっていない。ファッショ体制の住みにくさは、【馬鹿な野郎が威張る】と言う所にある。

実は、フランスの哲学者、ミシエル・フーコーが【生―権力】で論じた権力の本質は、上記の話と通底する。
・・・・彼は、「権力の本質は、あらゆる場所で、その関係から生じる力を利用して働く内在的力である」事を明らかにした。つまり、どんな日常の営みも政治的であり、政治介入から自由であり得ない。国家よりも、むしろ家族や友人、学校や会社などの内部で生み出される力関係が社会を制御する基盤である。当然ながら、支配者(政府)-被支配者(人民)という単純な二項対立図式は成り立たない。 わたしが「言論統制」(中公新書)で示したこともそれが国家からの一方的な「言論弾圧」ではなくメディアと権力の共犯関係の下で機能したという事だ。・・・
(佐藤卓巳 京都大教授 5月14日 毎日新聞)

戦争中の日本社会の状況や現在の日本の状況を考えると、佐藤卓巳氏の指摘は、当を得ている。

問題は、あからさまな『解釈改憲』や『憲法改正』という議論には、【中立】はない、という事である。
「かなしくもあるか」ではなく、【馬鹿が威張るな】と昂然と言い切らなければならない、という事。
つまり、メディアも日本国民もその覚悟が問われているのである。

「護憲+BBS」「憲法を考える」より
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