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偏愛と放浪の記録

「スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選」(編:山岸 真)

2015-12-10 22:49:19 | 【書物】1点集中型
 ポストヒューマンのありとあらゆる形。ポストヒューマン、この書のテーマでいうところの「テクノロジーによって変容した人類の姿」というと、肉体を捨てた精神のデジタル化みたいなところが近年の王道のように思われる(というか、私の貧困な想像力ではそれしか思いつかないとも言う)が、「傑作選」だけあってクローン、サイボーグ、意識のデジタル化と複製、仮想電脳空間、意識の集合体 などなど、さらには進化したAIやナノテクノロジーと人体の関係などなど、期待通りの多彩さである。

 表題作はイーガン。長編はいつもものすごいハードSFでかなり苦労するが、短編になると途端に親しみやすくなる。ナノマシンが人間を操りながら、ソフトウェアとしてのひとりの人間の構築を試みる物語だ。現代のコンピュータの演算装置が一瞬のうちに膨大な計算を繰り返すその行為を、目に見える形に表現したものと言えるかもしれない。意外にも人類社会の崩壊に結びつくような悲壮感はなくて、なんだか日常的にすら感じるのが逆に面白かった。
 同じくナノマシンが、人間の脳の働きに影響をもたらすさまを描いたのはグーナンの「ひまわり」である。イーガン作品とは対照的に、ナノマシンがもたらす人類の意識の彼岸と此岸の境界線上の神秘的なイメージと、家族への愛とそれゆえの悲しみが中心になっていて切ない雰囲気。
 切ない空気感でいえば、ランディス「死がふたりをわかつまで」、ウィルスン「技術の結晶」、コーニイ「グリーンのクリーム」、リー「引き潮」、さらにオールディス「見せかけの生命」あたり。どれもそれぞれのテーマとなるテクノロジーを介して愛する者同士の関係が描かれている感じ。ウィルスンは以前読んだ「時間封鎖」3部作で人間の機微の表現がよかったので、愛する者と再び出会った時の皮肉な感じは「らしい」と思った。あとコーニイやリー、オールディスはテクノロジーがどれだけ進化したとしても、あるいは進化したからこそ現れる、愛する者との間の越えられない壁が読後の余韻を残す。

 ある意味とても率直に「人間とは何なのか」を問いかけてくるようなのが、ソウヤーの「脱ぎ捨てられた男」。デジタル化した意識をロボットに移植すると、文字通りロボットが社会において本人そのものとなり、不死の存在となる世界である。そしてその意識のもともとの持ち主である生身の人間は、生命こそあれ社会からは抹消され、死を迎えるまで専用の施設で生活し、そこから一歩も出ることはできなくなるのだ。ロボットとなった主人公の意識が生身の自分と対峙したときに迎える結末は、肉体と意識の関係の皮肉そのものだろう。
 ブリン「有意水準の石」は、脳のさまざまな部位が独立した人格を持っているような不思議な世界。結末にちょっとしたどんでん返しが待っていて、ミステリのような読後感もあった。ストロスの「ローグ・ファーム」も、ラストシーンの雰囲気は何となくそれに近いかな。「世にも不思議な物語」あたりにこんなエンディングがありそうな。本筋には関係ないけど、犬のボブのしゃべりというかセリフ回しというか、あれは個人的になかなか笑える。

 マクドナルド「キャサリン・ホイール(タルシスの聖女)」は列車が題材のひとつになっているので、スチームパンクのような年代を感じさせる雰囲気があった。とはいっても、列車の動力は上記ではなくて核融合エンジンだが。人格の転写、転写された機械、それを取り巻く人間たち。世界観が醸し出す空気はちょっとファンタジーかも。
 このアンソロジーの中で最も長い作品、マルセクの「ウェディング・アルバム」の世界はなんつーか、私の中ではものすごいカオスだった(笑)。好きな時点での自分の複製を好きなように作製・消去でき、さらにそれぞれまるで独立した人格のようになっている。量子論やマルチヴァース的な雰囲気を感じる。

 しかし、こうやってこれだけの作品群を見ると、SFとはなんと創造的な思考実験であることか。