life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「野火」(著:大岡 昇平)

2020-10-03 16:56:37 | 【書物】1点集中型
 恥ずかしながら読んだことがなかった大岡昇平。たしか夏の読書感想文時期に各社から出てくる「夏の○冊」みたいなあれから拾ったような気がする。戦争ものを読むのも久しぶりである。
 第2次大戦中(であろう)のレイテ島、病を得たために所属する隊から追われた主人公。もはやどこにも属することができなくなったけれど、兵士であることだけは変わらない。どうやって死に向かうのか、その中でどうやって毎日、今日1日を生きるのか。前半は割と淡々と読めるんだけど、終盤になってきたら「ひかりごけ」をどうしても思い出してしまう展開が。もちろん描き方は全然違うし、それが醍醐味である。

 「あの空に焦れるのは、及び難いと私が知っているからであろう。私が自分が生きているため、生命に執着していると思っているが、実は私はすでに死んでいるから、それに憧れるのではあるまいか」――主人公は自らが死なない理由をそう悟る。体は生きている。だけど身体が動いているというだけで、精神は動いていない。
 ただ、生命の極限に近いであろうこの状況下に発したこの思いも、本当は戦時中だからという話では全然なくて、極端に言ってしまえばないものねだりで、人間の中で何ら変わることなくある思いなのではないかと思う。
 それでも人間は生き物として生きていく。生きるためだけに生きる、そのためになら、自らの血を吸った山蛭でさえ糧とするし、「猿の肉」をも食らう。帰りたいと叩頭しながら、死にゆく自らを差し出そうとする者がいる一方で。
 生きてきた右手と「怠けた」「美しい」左手。「働かざりしわが手」のもたらすそのせめぎ合いがたぶん〈私〉を人間たらしめている最後の砦である。「猿」を食って、それに心動かされることがもはやなかったとしても、けれど食うために殺すことに対してだけはそうではない。

 けれどこの〈私〉の〈手記〉は、体験のない者には「小説みたい」なものと受け取られるだけのものでもあった。
 太陽は見つからない。ただ野火だけが上がる。
 人間でありたいと意識して激しく欲したわけではない。それでも、一線を踏み越えることはなかった。おそらく人間を超えるものの力によって。
 けれど本当にそうなのだとしたら、信じるものがなければ、やはり人は人間たり得なくなってしまう暗い可能性を拭い去れないということなのだろうか。