非国民通信

ノーモア・コイズミ

明日は明日の風が吹く

2011-06-12 22:30:34 | ニュース

国内最大の新出雲風力発電所再開へ 事故乗り越え(朝日新聞)

 島根半島に直径90メートルの巨大な風車を林立させる新出雲風力発電所(島根県出雲市小津町)は、国内最大の出力7万8千キロワット(3千キロワットが計26基)を誇る。東日本大震災による福島第一原発の事故で、自然エネルギーに期待が集まるが、事故が相次いで思うような成果が上がっていない。

 発電所は2009年4月に営業運転を始めた。最初の事故は、半年後の10月8日。台風に伴う強風で1基の装置に不具合が起き、羽根(ブレード)を破損した。さらに1基が落雷を受け、別の1基も風車を支えるタワーにブレードが接触して破損した。

 11月4日にも1基のブレードがタワーに接触、26基すべての運転を停止した。

 10年7月から順次、運転を再開したが、12月27日には、以前に事故を起こした2基のブレードがタワーに接触、再び全基を停止した。

 発電所を運営するユーラスエナジージャパン工務部の長谷川幸司・島根事業所長によると、地形の影響で、乱れた風を受けたのが事故の原因という。風車の上部よりも強い風を下部に受け、ブレードが大きくたわんでタワーに接触したと分析している。


「回らない風車」訴訟、早大への賠償命令確定 最高裁(朝日新聞)

 小中学校に設置された発電用の風車が計画通りに回らなかったとして、茨城県つくば市が風車を設計した早稲田大学などに設置費用約3億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は、つくば市と早大の双方の上告を退ける決定をした。9日付。約9千万円を支払うよう早大に命じた二審・東京高裁判決が確定した。

 二審判決によると、同市は風車の電力を売って地域の活性化につなげようと計画。ところが肝心の風車が回らず、発電量が計画を大きく下回った。同市は環境省からの交付金1億8500万円を返還したうえで、早大と風車メーカー(大阪市)を訴えていた。

 二審判決は「つくば市への説明を怠った」として早大の過失を3割認めた一方、同市についても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と7割の過失を認定していた。メーカーの賠償責任は認めず、最高裁も同市の上告を退けた。

 さて、いわゆる再生可能エネルギーに分類されるものでは現時点で最も採算性が高いと言われる風力発電ですが、その稼働率は甚だ微妙なところです。落雷や台風が多く風量の変動も激しい日本の場合、他所の国よりも風力発電はハードルが高いのではないでしょうかね。ともあれ発電設備に限らず何であれ売り込みを図る側は、往々にして自分に都合の良いことしか言わないもので、「これでばっちりですよ」という売り文句を真に受けて契約を結べば後から後悔することは必至です。だから営業が語りたがらないデメリットの部分も勘案しながら、良い面と悪い面を総合的に鑑みた上で導入を検討しなければならないように思えるのですが、実態はどれほどのものでしょう。最高裁第一小法廷は説明を怠ったとして早大の過失を認める一方で、つくば市に対しても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と指摘しています。風力発電なんですから文字通り風任せ、設計者の思惑通りに動作してくれるかなんて空に聞くしかない代物です。そこは思惑通りに風が吹かなかった事態を導入する自治体の側も想定すべきだったと判断されたようです。

 まぁ、風車がガンガン回れば回ったで、これまた設計側の想定を超えた騒音被害が頻発しているのもまた風力発電です(洋上に置けば万事解決みたいに語る人もいますが、そうしたら今度はコストやメンテナンスの問題、漁業や船舶への影響など新たな問題も出てきます)。つくば市の風車が想定通りに回ったら、今度は風車からの低周波で健康を害する児童が続出していた可能性もあります。とかくクリーンなイメージの強い風力発電ですけれど、課題は山積みなのです。しかるにクリーンなイメージが強いだけに、反対の声も上げづらいのが実態ではないでしょうか。まれに風力発電による健康被害の訴えを取り上げた記事もあったわけですが(参考)、こういう訴えを「再生可能エネルギーに冷水を浴びせるような記事」と切り捨て、挙げ句の果てに広告主の企業のご機嫌を取るためだ得意の陰謀論に結びつける輩もいるのですから救いようがありません。風車を企業ではなく市民団体が設置しているとでも思っているのか?とでもツッコミを入れたくなるところですが、まぁ原発「以外」の発電手段に対する批判的な見解は今後ますます、隅に追いやられていくことでしょう。そのような状況こそ私が最も嫌悪するところですが、脱原発という大義名分の中では風車の騒音被害に苦しむ人などは小異として黙殺されていくものなのかも知れません。


ザ・特集:悩む原子力専攻学生(毎日新聞)

 原子力に未来はあるのか--。福島第1原発で起きた最悪の事故は、この国の原子力産業の先行きに暗い影を落としている。そうしたなか、この国の未来を切り開くエネルギーであると信じて、原子力を専攻する学生たちの目に、今回の事故はどう映っているのか。若き原子力エリートの悩める心に迫った。

(中略)

 福島問題の関心の高さを示すように、この日のフォーラムでは活発な質疑応答が繰り広げられた。その多くは、放射線量の単位など専門的な知見に関するものだった。そして、最後に4列目に座っていた横浜市の会社員(49)が質問に立ち、こう切り出した。「原子力は長期的に日本のためになるかどうか。ご意見をお持ちであればお聞かせ願いたい」。空気の流れが少し変わった。
 
 壇上の学生たちが顔を見合わせる。押し出されるようにしてマイクを握った杉山さんは「私が大事だと思っているのは、0か100か、という強い議論に押されることなく、総合的に今後のあり方を考えていくことです」と答えた。緊張した様子が見て取れた。これで時間切れだった。

(中略)

 「それでも」と寺井教授は言葉を継いだ。「5年ほど前から、世界的なエコエネルギーの潮流に乗って原子力が見直され始め、『原子力ルネサンス』なんて呼ばれていたのですよ。やっと風向きが変わってきたと思っていたところに、今回の福島の事故が水を差してしまった。主に米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第1原発は津波の想定が甘かったのです。女川原発は被災した住民が避難してきたというのに……」と悔やむ。言葉の端々から、米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた。

 まぁ、「今」の時点で風力発電が使い物にならないとしても、将来的には諸々の課題が克服されて安全で安定したものになることもあるでしょう(残念ながら近い未来ではないと思いますが)。ただ、現時点で抱えている課題が克服される可能性があるのは別に風力や太陽光発電に限ったことではありません。火力などの化石燃料発電でも効率は上がっていますし、それは原子力に関しても同様です。現に電源を喪失した場合でも原子炉を冷却できるような機構は既にできあがっており、福島第一原発で起こったような事態を防ぐことは難しくないわけです。今までの常識を覆すような画期的に安全で安定した風力発電の方法が生み出されることもあれば、やはり従来とは比べものにならない画期的に安全で高効率の原子力発電手段が実用化されることも将来的にはあり得る、その中で最も状況に適したものを選ぶべきだと思うのですが――しかるに原子力研究が、あたかも「敵性学問」みたいに扱われがちな辺り、薄ら寒いものを感じます。

 中頃に登場する横浜市の会社員(49)は、いかにも自分に酔っている様子で山本太郎と似たような気持ち悪さを感じさせます。引用記事自体が「原子力に未来はあるのか--」という問いかけならぬ反語で始まっている辺り、ブルジョワ新聞の記者としては「我が意を得たり」といったところだったのかも知れません。正直、答える必要のない問いであるようにも思います。原子力に未来はあるのか、日本のためになるのか、そこに急いで結論を下し、研究することにさえも否定的な目を向けようとすることこそ野蛮と言われるべきではないでしょうか。ちょっと風向きが悪くなれば全否定して葬り去ろうとする、そういう態度が新しい技術の誕生を阻害するものです。確実に成果が出るとわかっている研究しか認められないのであれば、それこそ風力だって太陽光だって怪しい代物になってしまうのですから。

 ちなみにサラッと触れられている女川原発、指定の避難場所ではないにも関わらず、少なからぬ被災者が避難しています。そりゃまぁ周りの他の施設に比べれば災害への備えが厳重に決まっていますから、他所にいるよりも原発の施設内にいた方が安全だったということでしょう。ことによると浜岡原発を止めろと騒いでいた人が最も恐れるのは、浜岡が福島第一のようになることではなく、この女川のようになることだったのではないかという気がしないでもありません。まぁ、運が良かったところもあると思います。ただ、福島第一のような事態を防ぐことは不可能ではないということも意識はすべきでしょう。取材を受けた寺井教授は「米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第一原発は津波の想定が甘かった」と述べ、これを毎日新聞は「米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた」と評していますけれど、いうまでもなく事実を語っているのは寺井氏の方です。福島第一原発建設当時は国内メーカーにノウハウがなく、米GEの言うがままに作っただけ、日本の事情に合わせた変更を利かせるだけの技術の蓄積がなかったわけです。たぶん、福島第一原発はもっと早い段階で廃炉とし、新しい原発に置き換えられるべきだったのではないかという気がしますね。原発の一切合切を含めて全否定するのではなく、古い原発、それもアメリカ仕様そのままの原発を引っ張り続けたことの方が(こうなった理由は電力会社のみに帰せられるものではないはずです)、本当は批判されるべきなのではないでしょうか。

参考、「地下に非常電源」米設計裏目に ハリケーン対策だった(朝日新聞)

 

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5 コメント

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Unknown (シトラス)
2011-06-13 09:00:46
まあ、「長い目で見る」というのは果実が得られるまで幾多の失敗を繰り返すリスクを受け入れることだと思うので、そういう意味でもいちいち失敗のニュースに目くじらをたてるのはそういう意味でも不毛かもしれません。
もちろん、再生可能エネルギーだけでなく「より安全な原発」の開発に対してもそういう視点を持つようにしないとアンフェアではありますが。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-06-13 22:29:40
>シトラスさん

 ところが、長い目で見ることの出来ない人が猛々しく反原発を唱える中で、こうした風力発電の欠陥や負の側面はなかったことにされたり、その被害を訴える声を原発推進派の陰謀であるかのごとく扱ったりしているわけです。目くじらを立てるのではなく、欠陥を欠陥として受け入れることから、まずは始めるべきではないでしょうかね。
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Unknown (すぺーすのいど)
2011-06-14 00:03:26
賛成反対どちらであっても、自ら正義を名乗って悪を制圧するようなやり方はいけませんよね。そんなことはあり得ないし。

私は賛成派反対派で意見を交わすにしても、今はアンフェアじゃないかな?とは思います。

公平に議論をするのなら、お互い経済的社会的力関係等を反故にして、互いに人間として同様に尊重しあえる立場でやらないと、結局は暗礁に乗り上げ、罵倒し合うだけになる気はします。
極めて人間の生存に関わることであると思うので…
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Unknown (伊皿木)
2011-06-14 06:31:17
いつも鋭い視点に学ばせていただいております。もちろん風力その他諸々の再生エネルギーにも多々欠陥があることでしょう。反原発のファシズム的傾向にも憂慮を覚えるところです。しかし「もの」には寿命というものがあり、いつの日か終わりの日が必ず来ます。風力発電機100基と超高性能耐震耐津波原発1基とでは、廃棄する際のストレスが比較にならないと思います。次の世代にできるだけ負荷をかけないという評価軸があっていいのではないでしょうか。というよりある意味で、このことが最終的な優先順位となることもあるのではないでしょうか。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-06-14 22:47:48
>すぺーすのいどさん

 結局のところ、混乱に乗じて自説を広めようとする輩もいれば、憎悪に駆られているばかりの人も多いですからね。こういう時だからこそ理性や冷静さが求められるところですが、どうにも魔女狩り、赤狩り的な世論が形成されているのが腹立たしいところでもあります。

>伊皿木さん

 ただ現行の風力発電機ではどれほど数を増やしたところで不安定性から原発の代替とはなり得ませんし、コストも嵩みます(平常運転の段階から近隣住民に健康被害を与えることもありますし)。この風力発電が不安定性を補えるほど技術が発達した時代であったら、核燃料を処分するための技術も相応に進歩しているような気がしないでもありません。

 元より、「先送り」というのは必ずしもネガティヴなことと考えるべきではないと思います。ローンを組めば最終的な支払額は多くなりますが、即金払いでは不可能な投資が可能になる、それは次世代に負担をかけるというだけではなく、次世代に財産を残す投資としての側面も持ちます。ローンを組むことを恐れて投資を渋ることもまた、次世代に貧しい未来を押しつけることにもなるのではないでしょうか。
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