非国民通信

ノーモア・コイズミ

今度は回収率99.89%?!

2008-04-30 22:52:46 | ニュース

公立高校の授業料滞納、5億8952万円…読売調査(読売新聞)

 全国の都道府県立高校で2007年3月末時点の授業料滞納額が、約5億8952万円に上ることが読売新聞の調査でわかった。

 23の道府県が「過去5年間で滞納件数が増加している」と回答しており、17倍に急増したところもあった。

 滞納の理由については、「保護者の経済的な理由」を挙げた自治体が6割、「モラル低下」を挙げた自治体が4割だったが、急増の要因としてモラル低下を指摘する声も目立った。

 ちなみに読売の挙げた金額は累計のようですね。単年の滞納額も明らかにしてくれないと、データとしての価値が薄れます。読売の推測によると「授業料を徴収できるのは原則過去5年分のため、調査時点の滞納額はこの5年間に徴収できなかった授業料の残高」らしいです。現実問題として滞納=回収不能なんてケースは稀で、1~2ヶ月程度の支払いの遅れが大半を占め、最後まで回収不能で残るケースは非常に少なくなります。それだけに「一時的な支払い遅延」と「回収不能金」を分けてくれないと正確な実態などつかめないのですが、他に資料がないので累計未収額を基準として考えてみましょう。

 さて、公立の高校に通う生徒は各学年に80万人くらいいます。で、読売の報道に拠りますと「全日制高校の年間授業料は、11万1600~14万4000円」だそうです。これまた平均すると12万8000円ぐらいでしょうか。してみると公立高校に通う生徒1学年分の学費の合計は概算で1024億円くらいですね。5年分なら5倍して約5120億円です。うち、未収金は5億8952万円ということですが、授業料全体に占める滞納額の割合は・・・0.11%!?

 これも凄い数値ですね。滞納額が0.11%です。すなわち回収率99.89%です。一昨日は千葉県市川市の給食費回収率99.78%を完全無欠な数値と評しましたが、上には上がいるものです。民間企業ではどう足掻いても達成不能な回収率です。神業なんてものじゃありませんね。これからの時代、企業経営者は学校の先生を経営コンサルタントに招いた方が良さそうです。

 日本国内の生活保護受給者が約1.2%程度、収入面では受給資格を満たす人がその10倍程度はいると推計されています。生活保護もしくは生活保護水準以下の人がこれだけいる中で、学費だけはきっちり納入する、生活が苦しくても学校に納めるお金だけは何とか工面する、そんな親たちの頑張る姿が目に浮かびます。10人に一人が健康で文化的な最低限度の生活を送るに満たない収入しか得られていないのに、学費を滞納する人は1000人に一人、さすが道徳の帝国です。

 給食費と同じで、その理由を「どう思うか」と関係者に感想を求めただけの調査しか存在しないため、実態は靄の中です。しかるに、それでも6割は「リストラなど保護者の経済的な問題」が理由だと考えられているようです。それは当然あるでしょうね、企業収益は過去最高を更新し続ける一方で、国民の所得は10年来減少を続けているわけですから。そこで支払いに支障が生じたならば、それによって生徒の学ぶ機会が損なわれないよう、奨学金や授業料免除などの公的支援を案内するのが道理です。しかし全国的な公共サービスの切り捨てによって奨学金や授業料免除などの公的支援は著しく制限され、生徒をケアするべき立場の教員も正規雇用から非常勤への切り替えが進められているわけで、経済的理由による滞納に対して本来とるべき対応が出来ていないのでしょう。

 まぁ、救済できていないのは1000人に一人の存在ですから、現場は上手くやっている方なのかも知れません。それ以前に、滞納が長期化するケースの多くは不登校が重なっているケースも多いようで、生徒が登校してこないのだったらまぁ、積極的な対応は難しいですし……

 

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マシな仕事をしようぜ

2008-04-29 22:36:16 | ニュース

世論調査結果、面接とネット利用では大きな違い(読売新聞)

 世論調査の方法で面接聴取とインターネットを利用した調査とで、結果に大きな違いが出ることが、内閣府の比較調査で分かった。

 2007年7月に実施した「国民生活に関する世論調査」(面接方式)と同時期に、同じ質問項目をインターネット方式で行い、比較したもので、自由時間の過ごし方への回答をはじめほとんどの項目で回答が異なっていた。

 何を今さら、という記事です。そんなものは常識だろう、というような内容を「内閣府の比較調査で分かった」と、新事実のように言われても、ねぇ? でもインターネットを利用した世論調査というのも市場規模としては馬鹿にならないもので、こうした産業に携わる企業やそれと癒着した人々からすれば、インターネット調査の信頼性を損ねるような調査結果の発表は一大事なのかも知れません。以前にこうしたインターネットを介したアンケート調査を生業にする会社の面接を受けに行ったことがあるのですが、面接聴取とインターネット調査の違いについて話したら採用面接を途中で打ち切られました。たぶん業界としては両者の違いは「触れてはならないもの」なのでしょう。

 それよりツッコミどころはこちら。

 今回の比較で最も開きが大きかった「自由時間の過ごし方」に関する質問(複数回答)では、「パソコンや携帯電話での情報の閲覧」が、ネットでは78・1%に対し、面接では21・6%にとどまった。

( ゜д゜)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゜д゜)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゜ Д゜) …?!

 いや、わざわざネットを使って世論調査に参加するような人がPCや携帯電話を好み、わざわざ外出して世論調査に協力するような人はその反対の傾向を持つ、そんなものを今さら発表されても困ります。というか、インターネットを使ってインターネットの利用状況を調査しているのと同じでしょう? ネットでアンケートに回答する人はネットの利用率が高い、真顔でそんなことを言われても、どうリアクションしろというのでつか? せっかく何か発表するなら、もう少し意味のある情報を出すべきです。もっとマシな仕事をしろよと……

【政論探求】聖火リレーに見る「国家像」(産経新聞)

 26~28日、長野、ソウル、平壌で北京五輪の聖火リレーが行われた。比較してみると、なるほど国柄の違いはあるものだ。

 ソウルではあちこちで激しい衝突が起き、報道陣に負傷者も出た。中国人留学生1万人以上が押しかけたという。

 長野と同様、警察当局の完全護衛のもとで行われたが、負傷者4人、逮捕者6人の長野のほうが平穏だったような印象を受ける。日本の警察当局はこの種の警備能力が高いということか。

 この先は産経新聞らしい超展開が始まるのですが、それはさておき日本の聖火リレーは割と穏やかでしたね。沿道から聖火ランナーの姿が全く見えないほどの分厚い警察の盾に囲まれて、多少の騒動はあったもののフランスやアメリカ、オーストラリアや韓国に比べれば粛々と進んだくらいです。この辺のおとなしさは警備能力の高さに由来するものなどではなく、この社会が「自ら抗議すること」を白眼視する社会だからだと、私なんかはそう思うわけですが、どうでしょうかね?

 日本はストライキやデモが死んだ国です。こうした自ら立ち上がって抗議するような行動が世論の支持を得ることはなくなって久しく、主張の善し悪しを問わず、声を上げることそのものが否定的に見られているわけです。それでも人権を重んじる立場の人が長野でも抗議に出たものの、決して広範な支持を集めたものではありませんでしたし、これ幸いと中国非難に盛り上がっている人々はネット上で勇ましいことを言うだけ、自分から行動を起こすような人はいません。国柄の違いは警備能力の差ではなく、自ら行動することへの意識の差です。

聖火リレー、混乱が「自由」の指標 (産経新聞)

 今月1日に北京を出発した聖火は平壌で、ようやく歓迎ムード一色の中に迎えられた。親中国の独裁国家で聖火リレーが成功するのは当然だといえる。これまでの道のりを振り返ると、言論・表現の自由を保障している先進国でこそ混乱する傾向が浮き彫りとなっている。

 チベット騒乱弾圧後に始まった聖火リレーはギリシャの採火式で乱入騒ぎが起こり、ロンドンで大規模な抗議にさらされた。パリでは中断し、米サンフランシスコではルートが突然、変更された。人権を重視する欧米の民主主義国での混乱は、誰もが意見を表出できる自由がもたらした結果だったといえる。

(中略)

 キャンベラ、長野、ソウルでは抗議する市民団体などに対し、愛国心にかられた中国人留学生らが沿道を埋めるという状況となった。この特異な光景もまた、表現の自由が尊重された結果である。

 産経新聞でまともな記事を書いていると朝日新聞にヘッドハンティングされるという噂ですが、この記事を書いた人はどうなるでしょうか? 混乱が「自由」の指標だそうで、私もそう思います。政府及び社会が、その支配する側の意思とは反する意見の表明や抗議を受け容れるからこそ、こうした混乱も起こるわけです。で、産経新聞の偉い人の報じたところに拠れば、ソウルに比べると長野の方が平穏と言うことですが……

 

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脅威の回収率99.78%

2008-04-28 22:35:11 | ニュース

給食費滞納10万人…事前申込書・給料差し押さえも(朝日新聞)

 千葉や長崎の公立高校で入学金の未納が問題になったが、公立の小中学校では給食費の滞納に頭を悩ませている。払おうとしない保護者が少しずつ増えているからだ。申込書の提出を求めたり、法的手段に訴えたりと「断固たる態度」で臨む教育委員会が相次いでいる。

■未提出なら「弁当持参を」

 江戸川を挟んで東京都に隣接する千葉県市川市。市教委は今年度、市立小中、特別支援学校の計56校で、保護者に「学校給食申込書」の提出を求める仕組みを導入した。

 未収額は06年度、必要額の0.22%にあたる250万円。千葉県全体だと0.7%(県教委の05年度調査)なので決して多くはないが、年々増え続けている。それに歯止めをかけるのが目的だ。
 (引用元には「年々増え続けている」とありますが、過去の未納に関するデータを見たことのある人はいますか?)

 千葉県市川市では給食費の未収額が全体の0.22%なのだそうです。すごいですね。回収率99.78%ですよ。完璧です。会社で働いたことのある人なら当然わかりますよね? 請求額の99.78%の回収がどれだけ凄い数値かって? この回収率の凄さが実感できない人は社会人としての常識がないですね、はっきり言って。

 私の現在の勤務先は幸いにして10年以上連続して増益の一部上場企業ですが(私は正社員じゃありませんし、1年ちょいしか勤めていないのでどうでもいいことですけれど)、売掛金の未収額は常時2%程度あります。この水準の維持でも結構大変なことで、以前は回収率が96~97%程度だったのが業務改善の結果で今期ようやく98%を達成したわけです。もちろん上からの要求は常にエスカレートするもので、一つ目標を達成すればさらに次の目標を課される、3年間で回収率を98.5%にまで引き上げるよう目標が設定されています。とはいえ現場の声としては98%が限界、これ以上は打つ手がないとボスも半ば諦めているレベルです。

 業種にも拠るかも知れませんが、未収金を2%以下――回収率98%超は同業他社の中では高い方だと思います。しかし上には上がいるもので、驚愕の未収金0.22%――回収率99.78%を達成しているところもあるわけです。それが千葉県市川市というわけで、いやはや素晴らしい数値です。未収金削減、回収率アップを指示されている部門の一員として、この市川市の完璧とすら言える回収状況はまさに「おみそれしました」と言うほかありません。この市川市の完璧な仕事ぶりに我々は何かを学ぶ必要があるのかも知れませんね。

 実際、企業経営で考えれば未収金を0.22%に抑えた、回収率99.78%を達成したなんてことがあれば成績優秀部門として社長から表彰されるレベルなのですが、しかるに市川市では「正常な運営に支障をきたす」そうです。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

 0.22%で運営に支障? 例えばそう、1食あたりの予算を200円としましょう。未収によって予算が0.22%減ったとした場合、どうなるでしょうか? 今まで200円の予算でやりくりしていたものが、未収のために199.56円でやりくりしなければならない計算になります。これで運営に支障って、どういう運営をしているの?

 回収率99.78%は上場企業も羨む完璧無比な仕事ぶりなのですが、その神業とも言うべき回収率を以てしても「運営に支障をきたす」とは、一体どういう組織なのか甚だ疑問です。僅か0.22%の未収金で傾くような会社があるとしたら、よほどヤバイ会社と言いますか、半年以内で倒産するレベルです。こんな会社に金を貸してくれるのは新銀行東京くらいです。

 未収金を0.22%に抑えているその回収能力に関しては上場企業を遥かに凌駕する市川市ではありますが、その僅か0.22%のために運営に支障を来す辺り、経営状態は非常にマズイようです。回収するところまでは完璧なのに、そこから先がとんでもなく無能のようです。企業を基準とすると、非常にバランスが悪いと言いますか、はっきり言って欠陥品です。請求したものを回収する、その部門だけが秀でていても他がダメなら全部ダメです。しかも、どこが問題なのかを見誤っているようだとなおさら……

 

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自衛隊の100周年記念?

2008-04-27 22:49:17 | ニュース

 監視強化や歯止めのかからない厳罰化に警鐘を鳴らしていると、中には頓珍漢なことを言ってくる人も出てくるわけです。典型的なのは「自分は悪いことをしていないから無関係、厳罰化を不安視する人は後ろめたいところがあるのではないか」などと宣うタイプですね。様々な点で「分かってない」発言ではありますが、どうしたものでしょうか。

 何が悪いか、何が罰するに値するか、それを決めるのは他人です。自分が「悪いことをしていない」と思っていても、他人がそう判断するかどうかは別問題です。社会の変化によって、今までは「悪」とされていなかったことが「悪」にされたり、逆に従来「悪」とされていたことが許容されるようになったりするもので、自分は変わっていなくとも社会の変化によって罪に問われることもあります。

 例えば「働かない」ということがそうです。かつては罪でなかったことが、徐々に非難の対象へと移り変わってきました。まだ「働かない」ことを理由に逮捕されたり処刑されたり、そんな事例はありませんが、与党の議員や自治体の首長の中には「働かない」人を強制労働に処すべきと主張する人もいますし、自立支援と称して「働かない」人を拉致した挙句、リンチにかけて殺してしまうようなケースも黙認されているわけです。そのうち、法律によって「働かない」ことが刑罰の対象になったとしても不思議ではありませんね。

 それから、ある国では合法でも別の国では違法、刑事罰の対象になることもあります。例えば日本では人種差別や歴史修正主義は合法、少なくとも取り締まりの対象とはされていないわけですが、国によってはれっきとした違法行為です。レイシストや修正主義者は刑罰の対象になります。「自分は悪いことをしていない」というのはあくまで自国の現行の法律の網から逃れているだけの話で、本当に「悪いことをしていない」かどうかは怪しいもの、単に自覚がないだけの話です。

陸上自衛隊久居駐屯地創設100周年記念行事
  久居駐屯地では、創設100周年を記念し、記念式典(行事)を開催します。

 ・・・って、記念行事は土曜日の話なのでもう終わった話ですが、それにしても何なのでしょうね、100周年って。自衛隊の創設は1954年のはずですから、どう頑張っても100年は無理のはず、いかに歴史修正主義者だって自衛隊が創設時期までは修正できないでしょうに。

 何でも旧帝国陸軍が駐屯地を設置したのが1908年で、そこから100年なのだそうですが、別の組織のことを持ち出されても、ねぇ? 1908年にA社がビルを建てて、その後にA社が倒産、跡地に残ったビルにB社が入居したとしましょう。そのB社が100周年を祝ったとしたらどうでしょうか? A社が社名変更してB社に変わっただけならそれも理解できますが、A社が完全に破産、会社として消滅した後だとしたらどうよ?

 これが公式行事と言うことは、これも自衛隊の公式な見解と言うことなのでしょうか、つまり自衛隊は旧日本軍をそのまま引き継いだものである、と。実態としてはそういう部分もあるかも知れませんが、建前すら失ったとしたらそれは問題だらけですね。少なくとも建前として、公式な見解としては戦前の侵略を否定して、その上での再編があったはず、その建前を捨て、戦前の軍事支配の継承を公式に宣言するような振る舞いはどうかと、そう思うわけです。

 日本とドイツの戦後処理の最大の違いは、たぶんここにあるのでしょう。一方は過去の侵略行為の過ちを公式に認め、方や過去の侵略行為を美化している。内心でどう思っているかは定かではありませんが、少なくとも国家の公式見解として、どちらの方向を向いているか、それは周辺国にとっては大きな違いです。日本軍は戦前から今に至るまで絶えることなく継承されているぞと、そう宣伝しているような国がかつての被侵略国から信頼を得るのに苦労したとしても、それは自業自得ですね。

 

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参考、
陸自、銃携え街行進(しんぶん赤旗)

自衛隊が「創設100周年」!?(世界の片隅でニュースを読む)

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正直だな

2008-04-26 23:03:39 | ニュース

 中には11連休だと行って海外旅行に出かける人もいるという今年のゴールデンウィークですが、皆様ご予定はいかがでしょうか。私は例によってカレンダー通りなのでまとまった休みが取れると言うほどでもなく、多少は本も読んで後はゲームで終わりですね。友人の中には失職して毎日が休みになった人もいれば、全く休みが増えていない人もいます。

 祝日が日曜日に重なった場合は「振替休日」というものが一般論としてはあるわけですが、この逆はなんと呼べばいいのでしょうかね? ほら、祝日が平日に重なった場合(変な言い方ですが)、その週は土曜日が出勤日に変わる会社も決して少なくないわけです。「振替出勤日」とでも呼べばいいのでしょうか? そんなわけで、ある友人の場合4月末から5月初めは祝日が多いですから、その反動で5月中は毎週土曜日が仕事だそうで、あぁ、嫌な会社ですね。

 何を以て無駄と感じるか、人によって違う場合もあります。仕事もないのに社員を会社に拘束しておくことを無駄と感じる人もいれば、社員に余裕を持たせることを無駄と感じる人もいるわけです。社員に余裕があるなら、何とかその余裕を絞り尽くさないともったいない!と。ですから後者の立場に立つ人は、たとえ仕事がなくとも出来るだけ社員を会社に拘束しておきたい、それが経営努力だと考えるもので、取引先が軒並み休みの土曜日に社員を出社させたりもするものです。

「休みたいならやめればいい」急成長の日本電産社長(朝日新聞)

 「休みたいならやめればいい」――。日本電産の永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。

(中略)

 今後も積極的な買収戦略を進め、10年度に売上高1兆円、15年度に2兆円に押し上げる青写真も披露。「成長しているからこそ休みが無くても優秀な技術者がどんどん転職してきてくれている」と現路線に自信をみせた。

 一部上場企業の中では決して給与が高いとは言えない日本電産の社長がなにやら宣っているようです。技術力のある会社を買収することで技術を手に入れてきたイメージのある会社ですが、社長の大本営発表によると優秀な技術者が転職してきた結果みたいです。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー

 この社長もあまり合理的な頭の持ち主ではないように思われますが、もしかしたら誠実な部類に入るのかも知れないですね。嘘が少ない、という点に置いて。社員を休ませない、社員に無理を強いることで成長が捻出されている企業は多々あるわけですが、だからと言ってそれを公言する人は多くありません。あくまで表向きは休むことが許されているし、奨励されている場合だって決して珍しくはないのですが、その実は休むことが許されない、休んだらクビが飛ぶような企業はいくらでもあります。しかし、「ウチは休ませない」と本当のことを語る人はいません。

 ですから、この社長は比較的ではあっても、真実に近いことを述べているわけです。実際には休むことが許されていないのに「法定労働時間を遵守しています」などと言ったら、それは嘘です。社員を酷使して搾り取ることしか考えていないのに「社員のワークライフバランスに配慮しています」などと語れば、それは世を欺こうとする卑劣な発言です。むしろ「ウチは休ませない、ウチはブラックだ、社員は奴隷だと思っている、お前らは死ぬまで会社のために働け」そう宣言した方が、正直である分だけ他所の嘘つき経営者よりはマシなのかもしれません。

 社員が休日返上で働かないと成長できない、社員の生活に配慮したら会社が傾く、そんな欠陥企業は速やかに淘汰されるべきものと思いますが、諸々の規制緩和によって奴隷労働が合法化され、欠陥企業でも生き延びやすくなったのが構造改革の成果でもあります。そうそう、構造改革を訴えた人も、類い希な嘘吐きでしたね……

 

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日本式「小さな政府」

2008-04-25 23:34:29 | ニュース

衆院定数200、参院は50に…自民が改革ビジョン(朝日新聞)

 自民党国家戦略本部の国家ビジョン策定委員会は24日、国家公務員を30万人から10万人に減らし、衆院定数を200(現行480)、参院定数を50(同242)に削減することを柱とする政治体制改革案を発表した。10~15年後を見据えたもので、公務員削減は道州制への移行を前提とする。

 政党への公的助成を現行の国民1人あたり250円から1千円に増やす案も盛り込んだほか、消費税は基幹的な地方税として移譲し、本格的な地方分権を促している。

 参院が50人でごぜぇますか。各府県から一人ずつ、北海道は南北海道・北北海道の2議席、東京も東東京・西東京の2議席、これに21世紀枠を加えて50議席ってとこでしょうかね。ともあれ日本は民尊官卑の国ですから、「官」を減らすとなれば何となくそれが好ましいことであるかのように思われがちです。そんなわけでこの方向性自体の是非は問われずに、むしろ実現性を巡って意見の交わされるところもあるのですが、いやいや方向性の方がまずダメでしょう。

 例えば人口100万人あたりの議席数で見れば、日本はOECD加盟の30国中29位です。かろうじて最下位を免れましたが(最下位はアメリカですが、衆院200参院50まで減らしたら先進国中ワースト1ですよ!)、元より議員の少なさで際だっていたわけで、ただでさえ小さな政府なのに議員をこれ以上減らしてどうしようというのか意図が見えません。そりゃ日本の有権者の中には日本の議員、公務員の数は多すぎると根拠なく信じている人も多いわけですが、それに阿るのもどうでしょう? 「国民の目線に立つ」=「国民の誤解に調子を合わせる」ではないと思うのですが。

 それでも尚、ただでさえ少なすぎる議員の数、公務員の数を減らす企てがあり、それを「かけ声だけだろう」と批判する意見はあれど、その方向性に疑問を投げかける声は極端に少ないのが実情です。理由の一つは、ジャップは不都合な真実に目を瞑る癖があるだけに議員と公務員が多すぎると頑なに信じていること。もう一つは二元論的な考え方が好きだから、世の中を悪者と正義の味方に二分してしまう、「官」と「民」の間に線を引いて、それで「官」が悪役、とにかく悪い奴を放逐することが善いことなのだと、そう信じているからでしょうかね。「官」は少なければ少ないほどいいと思われているわけです。

 まぁ日本以外の国でも「小さな政府」を志向しているところもあって、それを実践しているのは日本だけではないわけですが、でも日本式「小さな政府」ってなんか違うぞ?と。他所の国で「小さな政府」を主張している人の場合、基本的に国家への不信があって、自分のことは自分で面倒を見る、国家は俺たちの縄張に踏み込むな!という信条が根底にあるケースが多いと思います。そこでは個人の領域に踏み込まないのが善き「小さな政府」です。でも日本式「小さな政府」の場合、むしろ個人の領域に積極的に干渉したがる傾向が強いのではないでしょうか? そして「小さな政府」の支持者もまた、国家からの独立よりも国家への帰依を望む姿勢が強く、欧米型のそれとは正反対の傾向を示しています。

 欧米型の「小さな政府」主義を単純化して突き詰めると、要は自分の身は自分で守ると自分で銃を持ち、自分の食い扶持は自分で稼ぐと自営業中心、自分の信じたいものを信じると地元の教会へ通う、そんなところでしょうか。そこには「政府からの自由」があります。しかし日本はどうでしょうか? 治安維持を名目に政府による国民の監視は度を強め、小規模経営者は大きな組織に呑み込まれ、国家の提唱する愛国心や公共心、道徳心を刷り込まれるわけです。確かに「小さな政府」らしく、公共サービスの切り下げは止まるところなく進められています。しかし「政府からの自由」は?

 ちなみに政党助成金の財源でしょうか、これが国民一人あたり250円から1000円に引き上げる案も提出されたとか。議員は減らすのに助成金は増えるの? 自民党の世襲議員はみんな財界とも繋がりの深い大資産家ですから、議員報酬に左右されるところは大きくないと思うのですが(これが引き下げられると、野党の貧乏議員が死にます)、何に使うつもりですかね? 政党のカネとして宣伝工作に使うのでしょうか。

 

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続・不滅の反共主義

2008-04-24 23:25:44 | 編集雑記

(本文中の「共産党」は「左翼」に置き換えて読んでもいいですよ)

 一昨日のエントリでは「容共」と「反共」という分け方をしましたが、ちょっと意味を伝え切れていなかった部分もあったようですので、補足を。元のエントリでは誤解のないように括弧書きを入れておいたわけですが、それでも「共産党を支持する/しない」のように受け止めてしまった方もいらしたようなので。

 端的に言えば「共産党を排除する/しない」で分類したわけです。共産党を排除しないのが「容共」、共産党を排除したがるのが「反共」、だから「容共」が必ずしも共産党支持ではないと追記もしておきました。それでもまぁ、水伝批判派のブロガーさんから私は共産党支持ではないとご指摘があったりもしたわけです。ふむ、私からすれば「容共」の方なのですが、それでも共産党支持と目される可能性は否定しておきたかったのでしょうか。「容共」の立場にいる人でも自分が共産党支持と目されることを忌避する空気は少なからずあるようで、その辺はなおさら反共主義の根深さを感じさせもするものです。(ちなみにこの場合の「容共」は分類のために限定された便宜的な用法なので、その辺はご注意を。)

 誰もが自分なりの指針を持っているわけです。顕著になるのはそれが選挙の時で、何が最良の選択が自分なりの考えがご開帳されます。好きな候補に投票すればいいという人もいれば、一枚岩になって棄民党に対抗すべく民主党の元に結集せよと説く人もいます。後者を個人的に民主党集中制と呼んでいますが、それはさておき誰もがこの民主党集中制に従うわけではありません。中には民主党集中制の原則に反して敢然と立候補する人もいれば、別の政党に投票する人もいるわけです。そしてそれを実行しているのが概ね共産党であり共産党支持者だったりするわけですが、こうした行動も尊重するのが「容共」(たとえ民主党集中制論者であっても)、逆にこうした行動に怒りを露わにして罵倒を繰り返すのが「反共」です。言うまでもなくこの辺は私の分類基準ですけれど、これだと水伝批判派は「容共」に反論派は「反共」に少なからず重なっているでしょう?

 ところがまぁ、私から見ればガチガチの反共ブロガーだった某氏も、見る人によっては「共産党を応援していた」なんて印象に化けるようで、この辺はあまり想定していなかったなぁ、と。具体的にどのブログを指しているのか書いてしまった方が話は通りやすくなるのですが、批判的に書くときはあまり個人ブログを名指ししたくないので、「お前は誰の相手をしているんだ?」と思われるかも知れません。その点はどうかご容赦を。

 さて私がガチガチの反共だと思っていた某ブログですが、確かに共産党を取り上げる機会はやや多かったものの、今振り返っても物凄い上から目線だったなぁ、と。お前は何様だよ、と私は思ったのですが、人によっては共産党のことを思って、良かれと思っての提案と受け止めた人もいたのでしょう。まぁ、時には妙案を出してきたこともありました。ありましたが……いかに小政党といえど個人ブログに左右されるようなジャパン共産党じゃございませんので、その妙案が採用されることはありませんでした。まぁそんなものだと、他人は決して思い通りには動かないと、そう私は思うだけなのですが、某ブログ主は怒るわけです。俺様がお前ごときのために素晴らしい提案をしてやったのに、馬鹿なお前は俺の言うことに従わない、だからお前はダメなんだ!と。

 共産党に投票する人に対しても、基本的には同じでした。俺様が自公政権打倒のために必勝の戦術を用意したのに、足並みを乱す輩がいると、某ブロガーさんはいちいち怒っていたものです。こういう人は私の基準では完全無欠な「反共」なのですが、「共産党のために良かれと思って提案してやったんだ!」という姿勢を「共産党を応援している」と解釈した人もいたわけです。

 あーあー、もしかしたら支配欲と愛情は見分けにくいのかも知れません。子どもを支配したがる、子どもを思い通りにコントロールしたがる親と、子どもに愛情を注いでいる親、傍目には区別しにくいのではないでしょうか? 子育て経験と言ったら自分が育てられたときの経験しかない私が子育てに喩えても説得力はないかも知れませんが、子ども自身の意思を尊重して自由にやらせている親よりも、子どもを自分の思い通りにしたいがために子どもにとやかく干渉している親の方が、外面的には子育てに熱心に見えるはずです。モノが相手ならこの捻れは怒らないのですが、意思を持ったヒトを相手にするのは難しいのでつよ。

 ですからまぁ、共産党を自分の思い通りに動かしたいと欲望する人の方が、私のように見解の一致するときだけ支持している人よりも、熱心に共産党を応援しているように見える側面もあったのでしょう。でも、子どもにとって自分を支配しようとする親、外から理想を押しつけるような親って「敵」ですよ。対等な立場からの提案は結構ですが、それを採用するかどうかはその人の判断次第です。上から目線で方針を投げつけ、それが無視されたからと苛立ちを露わにする人はどうかな? その点では某ブロガーさんは紛れもない「反共」だと思ったのです。

 そうそう、この論法でいくと産経新聞や保守系オピニオン誌、鈴木邦男さんなどの例外を除く右翼や現自民党主流派は基本的に「反日」ですね。それは愛情ではなく支配欲ではないかと、そう見えるところはありませんか? 彼らは日本を愛しているのではなく、日本に自分の理想を押しつけているのであり、決してあるがままの日本を認めたりはしない、歴史だけではなく現代をも修正しようとするばかりでしょう?

 ちょっと脱線しましたが、このエントリを書くときに念頭に置いた「反共ブロガー」は、共産党及び左派勢力に対して見せる理解しがたい高圧的な姿勢を除けば、非常に好感の持てる人でした。それ以外の面では大いに感銘を受けることもしばしばでした。あなたのような懸命な人がどうしてそこまで「反共」なのか? それが解けない疑問です。

 仮説其の一としては世代間格差を考えているのですが、安易でしょうかね? 左翼運動が崩壊した時代をリアルに体験しているかどうかで、差が出るのではないかと思うわけです。つまり左翼の失敗を同時代に生きた人にとっては「左翼に裏切られた」という思いを強く抱き続けている人もいて、それが信仰にも似た反共に繋がっていると。逆に物心が付いた頃には左翼運動も共産主義国も廃れきっていた私の世代は左翼や共産主義への思い入れがないだけに、恨み辛みも育たないわけです。子どもへの思い入れが強すぎる親は、その子が自分の思惑から外れてしまったときに虐待に走るとも言われます。左翼が強かった時代を知っているからこそ、反共意識も強固なのかなぁ、と。

 

 Reason, reason, questions will remain

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死刑万歳!

2008-04-23 23:00:44 | ニュース

当時18歳に死刑判決=回避する事情なし-光市母子殺害差し戻し審・広島高裁(時事通信)

 山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた当時18歳の元少年(27)の差し戻し控訴審判決公判が22日、広島高裁で開かれ、楢崎康英裁判長は「死刑を回避する事情を見いだすすべもなくなった」と述べ、死刑を言い渡した。

 なんだか週刊誌の書いた筋書きを裁判官が真に受けたような判決が下ったわけですが、どうなんでしょうね。

 衰えは早かったけれど人気は高かったパヴァロッティさんの対極に、アルフレード・クラウスという歌手がいました。「私の使命は芸術を与えることです。聴衆が私のところへ来るのであり、私の方から歩み寄るのではありません」などとインタビューに答えていたのですが、この辺が大衆人気の差に繋がったような気がします。あーあー、若い頃のパヴァロッティなら私も好きですけど。

 「国民の目線」という言葉があり、概ね、というよりあらゆる面で肯定的に用いられているわけです。もちろん、これを全否定するつもりはありませんが、だからと言って無条件に肯定できるものなのかどうか? そして「国民の目線」の対極は「専門家の目線」でしょうか。もちろん専門家の意見だからと言って全面的に肯定できるとは限りませんし、そこに違った視点を導入する必要性もあります。専門家の視点に欠けているものを補う意味で国民の視点の必要性は否定できないのかも知れませんが、昨今はどうも立場が逆転しているかに見えます。「国民」が驕りを以て「専門家」の意見を一蹴するような! 専門家の使命は、その専門性によって正確な情報を国民に知らせることであって、国民に媚びることではないと、そう思いたいものです。

 さて、地裁や高裁の判決から体制を守るのが最高裁の使命です。今回の事件も地裁や高裁の判決が最高裁の横槍によって覆されてしまいました。日本の司法は独特ですね、三審制によってむしろ基本的人権の保護が損なわれている、これなら最高裁を廃止して審理の機会を減らした方が人権が守れそうです。ともあれ三審制のおかげで高裁までの判決は覆され、週刊誌の筋書き通りの判決が下りました。被告の犯行時の年齢は18歳と1ヶ月、これは最年少記録だそうで、死刑判決の最多記録を更新したばかりでもありますが、またもや新記録達成です。次の目的は何でしょうか? 中国に勝つこと?

 「死刑を回避する事情を見いだすすべもなくなった」という発想が新しいと、そう思います。これだけを見ると、あたかも「死刑を回避する事情」がなければ死刑、そんな発想に見えるわけです。既存の判断基準ならば、その他の刑では対応できない場合の消去法的な選択肢として死刑があったはずですが、今回は死刑に出来ない特別な理由がなければ死刑にすると、積極的に死刑を選択しています。ともすると地味ですが、これは重大ですよ!

 すなわち本来はない方が望ましいが、やむを得ない事情により存続を認めざるを得ないネガティヴなもの、言わば「必要悪」のような位置づけだったものが、積極的に行使すべきもの、拍手喝采を以て迎え入れられるもの(現に傍聴席からは死刑判決に拍手が湧きました)、「正義の執行者」へと姿を変えたわけです。他に手段がない場合に限り死刑を言い渡していたはずが、可能な限り死刑判決を下そうと努力する方針への変更されたのです。断腸の思いでやむなく人を殺す時代から、正義のヒーローが誇らしげに人を殺す時代へ、そんな移り変わりを感じさせます。

 

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「死刑になりたかった」=自衛官、20カ所以上切る-運転手殺害・鹿児島(時事通信)

 鹿児島県姶良町でタクシー運転手を殺害したとして、陸上自衛隊第一普通科連隊(東京都練馬区)の一等陸士(19)が逮捕された事件で、一士は県警加治木署の調べに対し、「人を殺して死刑になりたかった」と供述していることが22日、分かった。また、運転手は首など20カ所以上を切り付けられていたことも判明。一士は「なかなか死ななかったので複数回、切った」と話しているという。

 死刑に魅了される人が後を絶ちません……

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反共主義は不滅なり?

2008-04-22 23:13:22 | 編集雑記

 例えばダライ・ラマの中国政府に対する態度を、昔年のチェンバレンの宥和政策に擬えて批判的に見る人もいます。ダライ・ラマに対しても批判すべき点はあるのですが、それはさておきその意見を目にして疑問に思ったのは、果たしてチェンバレンのナチス政権に対するそれが宥和政策であったのかどうか、でした。結果的にそう見えたとしても、当時の目的は宥和ばかりではなかったよね、と。

 結果論として、ドイツ側の主張に耳を傾けることで衝突を回避することが目的だったかに見えるところはあるにせよ、少なくともそれだけが目的ではなかったはずです。むしろドイツとの衝突回避以上に優先すべき当時の課題は、「反共」だったのではないでしょうか。当時のイギリスなど西欧諸国から最大の敵と見なされていたのはナチス・ドイツではなく共産主義帝国ソヴェト連邦であって、反共産主義・反ソ連のためであればナチス政権に対する妥協は厭わない、そうした意識の存在も考慮に入れねばなりません。

 結局、反共産主義・反ソ連のために積み重ねたナチス政権への譲渡は逆効果をもたらしました。ここに宥和政策の敗北という側面が含まれないとは言いませんが、少なくとも「反共産主義」の失敗という側面も決して無視できない要素でしょう。しかるに宥和政策への批判はあれども反共主義への批判は十分には育たず、大戦後も反共でありさえすれば味方である、反共であれば軍事独裁政権すらも擁護する、そんな時代が続きました。

 この反共主義は日本において「親米売国右翼」という奇妙な存在を生み出しました。一般に右翼とは自国を至上のものとするわけで、外国を自国よりも上に位置づけるようなことはしません。しかるに日本の右翼の場合、異常なまでの親米姿勢、というより従米と言いましょうか、アメリカに追従する傾向が強いわけで、ここが特異性の一つでもあります。もちろんフランスのサルコジなど親米右派が海外に存在しないわけではありませんが、ただこうした外国に媚びる右翼というのはかなり珍しい部類に入り、それが主流派であるところに不思議があります。

 そしてこの親米右派の成り立ちとして、反共主義があると言われます。共産主義勢力に対抗するためにはアメリカに頭を垂れることも厭わず、この姿勢が主流となり今に至るのでしょうか。ソヴェト連邦が崩壊し、中国が共産主義を放棄した今も尚、反共主義の産物は生き続けています。中には反共の呪縛から逃れ、あるいはまた別の理由で従米路線から離れる右派もいますが、圧倒的多数は今でも「敵」と戦うためにアメリカに付き従うことを是とするものです。

 一方、左派でも反共主義の影響は濃厚です。ですがその前に、「水騒動」について触れておきましょうか。私は他人のブログのコメント欄までは見ないので、それが随分と盛り上がっていることに気付いたのは騒動が収まってからのことだったのですが、要旨はこうです。すなわち「水からの伝言」(水に「ありがとう」と声をかけると綺麗な結晶が出来るとかいうアレ)を肯定的に取り上げているブログがあって、その似非科学に寄りかかる姿勢を批判したブログがあったわけです。その批判で全ては完結していると私には思われたのですが、批判された方のブログとそのブログに共感する人々の思わぬ反発もあって、そこから変に話がこじれてしまいました、と。

 で、この「水からの伝言」を批判した人の方を「批判派」、批判されて反論した方を「反論派」と便宜的に呼びましょう。そしてこの真っ二つに割れた「批判派」と「反論派」、今見てみると共産党への態度で二派に分けた場合の分布と綺麗に重なるなぁ、と。例外はあるかも知れませんが、概ね「批判派」は「容共」とでも言いましょうか共産党の役割を評価するブロガーで(必ずしも共産党支持ではありませんが)、「反論派」はまさに「反共」、共産党は民主党に道を譲れと主張するタイプのブロガーが大半を占めていたのではないかと思うわけです(発端になった一人は例外的にガチガチの反共産党主義者みたいですが)。

 共産党に理解のある人は科学的で、反共産党主義者は似非科学が好きとか、そう言うわけではないはずです。じゃぁ、どうして? たまたま、というのもあるかもしれません。今回の発端となった「水伝」への依拠を批判され、それに反論したブロガーが典型的な民主党集中制の提唱者、共産党は民主党に道を譲れのタイプでしたから、その姿勢に共感する反共産党主義ブロガーがそこで「連帯」を披露した結果でしょうか。共産党の議席は減る一方でも「反共」「反共産党主義」は今なお強固ですから、この反共の輪を意識するのもあながち的外れではないかと。

 同じ自公政権打倒を目指すブロガー同士、内部で傷つけ合うのはよそう、そう主張するブロガーもいました。「反論派」の方にですね。こっちの理由は明確でしょう。選挙の時など反共産党主義、民主党集中制の論者は、同じ自公政権打倒を目指す者同士、野党内部で票を奪い合うのはやめようと、そう主張してきました。ロジックは同じですね? 共通敵を指すことによって、内部での批判を押し止めようとするわけです。そして一見すると仲裁者に見えますが、その実は片方の側にのみ退席を迫っているという点でも共通しています。「反論派」と反共産党主義者が重なったのは、そのロジックの親和性もあるのでしょう。

 かつて石原慎太郎以外ならだれでもいい、○○でもいい(○○には有名泡沫候補の名前)、そう公言していた人がいました。それが唯一の対抗馬として共産党系の候補が立候補を宣言すると、大慌てで民主党は何をしているのか、民主党は早く候補を立てろと、そう訴え始める始末です。それなら最初から「共産党候補と石原慎太郎以外ならだれでもいい」と主張した方が誠実なのに、と思ったものです。日頃の主張は共産党のそれと近く、かつ尊敬に値する見識を持ったブロガーでさえ、共産党及び左派勢力に対しては不可解なまでの拒絶意識と上から目線を披露する、そんな例もありました。反共の根は想像以上に深いようです。

 ソ連やかつての中国がどれだけ共産主義を実行できていたか怪しいものですが、ともあれ共産主義を掲げた大国は姿を消し、かつて共産主義を掲げていた党も議席を減らしたのが現在です。そんな共産主義が過去のそれとは比べものにならないほど小さくなった中で、反共主義の炎は衰えを見せることなく燃えさかっているように思えます。う~ん、これから研究するなら共産主義ではなく「反共主義」がいいかもしれませんね。過去においてもその影響力は絶大でしたし、今度の影響力を考えると「反共主義」は興味深いテーマでしょう。

 

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後半部分の補足を書きました(補足と言いつつ長いですが)

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企業のためのODA

2008-04-21 23:09:59 | ニュース

企業提案ODAを容認=官民連携で途上国支援-政府(時事通信)

 政府は18日、政府開発援助(ODA)を活用して官民連携で開発途上国を支援する新たな枠組みを発表した。ODAは従来、途上国政府から日本政府への要請に基づいて案件を採択してきたが、新たに民間企業が提案する案件の採択も認める。民間との連携強化でODAの効果を高め、途上国の持続的成長を促すのが狙い。

 同日開かれた日本経団連の国際協力委員会(委員長・槍田松瑩三井物産社長)で、外務、財務、経済産業の3省の局長が説明した。

 新しい枠組みでは、日本の企業が途上国での事業を企画し、その実現には製品輸送網として道路や港湾設備などの改善が欠かせない場合、ODAでインフラ整備を支援することが可能になる。事業が途上国の開発に有効と外務省が判断すれば、当該国の政府に説明し、日本にODAを要請してもらう流れだ。

 経済援助を必要とする国よりも日本企業が進出している国に偏っていることで名高いODAですが、露骨な方針転換が見られるようです。日本のODA実績が世界5位まで転落している上、今後5年間で15%の削減目標を掲げるなど規模の縮小は継続されるようで、ならば「支援するつもりはありません」と言ってしまえば正直に見えます。とは言え、ODAという名の投資で唾をつけておきたいのが政財界の本音、それを低予算で実現すべく考え出されたのが企業提案によるODAのようです。

 一応はODAにも援助の側面はあるわけですが、それだけでは財界にとって旨みのある話ではありません。もっとダイレクトに投資効果が得られるような形の方が望ましいわけで、そうなると必然的に日本企業の進出先への投資が主流となり、必ずしも援助を必要とする国ではなく、もっと別の国へとODAが流れていくものです。中にはインフラ整備のような投資先の国にとっても利益のある使い道をされるケースもありますが、中にはODA事業を日本企業が独占受注するような、それはただの癒着だろうとしか言いようのない事業も見受けられます。

 で、そろそろ中国への投資は完了したのか、それとも中国への集中はハイリスクと気付いたのか、ともあれ(日本企業にとっての)未開の地を切り開く必要性が主張されつつあるようで、今後はアフリカ方面へも投資を振り向けることが予測されるわけです。しかるに、特定の民間企業の提案でODAの使い道を決めることが可能になるようで、ふ~む、ますます以て資源確保、利権確保の匂いがします。

 もちろんインフラ整備はそこに進出する自国の企業のためですが、一方で進出先の利益になる側面もあります。中国へのODAで日本企業は大儲けしましたが、中国だって儲かりました。アフリカでも投資先を間違えなければ利益は出るのでしょう(そして投資価値無しと見なされた国は見捨てられるわけです)。ただ、国と国との力関係によっては、ODAが単なる投資に止まらず、支配の道具になることもあります。

 投資先の国がある程度大きく、特定国(特定企業)のODAに影響されない規模があればいいのですが、本当に貧しい国は一国のODA次第で大きくその年の予算が左右されてしまいます。そうした貧困国に対してODA予算を脅しに使い、国連投票でアメリカの主張に賛成票を投じさせるなどの裏工作が現にあるわけです。そしてこのODAが特定企業の意向次第で左右されるとなるとどうなるのか、企業城下町ならぬ企業植民地を新たに生むことにもなりそうな気がします。

 

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