非国民通信

ノーモア・コイズミ

担当する仕事が変わった結果

2017-05-28 21:26:32 | 雇用・経済

 さて私の勤務先での話となりますが、4月には東北の人間を東京に、東京の人間を東北へ異動させるなどの「抜本的改革」が行われまして大混乱だったわけです。そして私自身は異動にこそならなかったものの、異動した人の業務を引き継ぐことになりました。その結果――4月1日から今日に至るまで、残業0を継続しています。

 今まで担当したことがなかった仕事と言うことで何事も調べながら進めたにもかかわらず、定時までには余裕を持って片付きました。ただ一つ分からないことがあるとすれば、自分の前任者が何をそんなに時間をかけていたか、ですね。前任者は毎日の残業だけでは飽き足らず普通に休日出勤していたのですが、あらゆる可能性を考慮しても、そんなに時間を要する仕事には見えないわけです。

 部署のメンバーが異動して人員補充がないにもかかわらず、仕事が暇になるようなケースもまた割と真面目にあるように思います。まさしく無能な働き者が足を引っ張っていると言いますか、部署のボトルネックになっている人は普通にいる、その人が「いなければ」物事がスムーズに進むようになる、これは決して珍しいことではない気がするのです。

 あるいは営業であれば売り上げの数値が概ね指標として信頼できるのでしょうけれど、世の中には成果を数値化できない業務が山のようにあるわけです。売り上げが伸びない営業だけが社内でやり玉に挙げられる中で、その実は非営業部門に驚くほどの無能が犇めいているのではないかと感じることが最近は多いですね。正直、営業の人に対して罪悪感すら覚えます……

 ともあれ私は前任者の仕事を4分の1ぐらいの時間で片付けてしまいまして、次回以降は手順が分かっているので前任者の10分の1ぐらいまでに時間を短縮できそうな気がするのですが――上司からの評価は下がり続けているように思えてなりません。先日も部長から「これからはもう少し残業することも考えてもらわないと……」みたいなことを言われました。

 「それは違うんじゃないですか?」と私は答えました。「時間内に仕事を片付けられない結果として残業になるのであって、最初から残業になるように働くのは間違っていると思いますよ」みたいに部長と課長に返したわけです。話が平行線に終わったのは言うまでもありません。以来、課長はこっちが挨拶しても返事すらしない、話しかけても顔を向けさえしないようになりました。まぁ、価値観の相違って奴ですね。

 定時帰りでも余裕を持って片付けられるような仕事に、私の前任者は際限なく時間を費やしていました。それを野放しにしていた時点で上司の仕事ぶりには疑わしいものがあります。とはいえ、自分の上司が特別に無能だとも思いません。隣の部署の上司や過去に勤めていた会社の上司と比べても、大差ないと考えています。たぶん日本の会社で出世するような人としては、それが普通なんだろうな、と。

コメント

政治家なら

2017-05-21 23:34:53 | 編集雑記

 半ば習慣としてブログを更新してきたわけですが、「こういうことは前にも書いたなぁ」と思うことも増えました。長くやってれば必然でしょうか。まぁ、同じような展開の繰り返しでも長寿番組として愛されるコンテンツだってあります。それに一度でも書いておけば読者に知れ渡るというものでもないですから、似たようなことでも繰り返し書くのは無意味ではないのかも知れません。「一貫して同じ主張を繰り返す」のも、作家なら退屈ですが政治家なら芯のある行為と受け止められることもありますし。

 可能な限り「他の人が言わないこと」を書きたいと昔から思っていたものですが、インターネット普及途上期ならいざ知らずソーシャルメディアの氾濫する時代ともなりますと、ちょっと検索してみれば(注目されていないだけで)自分がブログで書こうとしていることを先につぶやいている人がいたりする、それを目にしてしまうわけです。本当の独自性を出すのは難しくなったな、と。それでも若い頃なら勢いと情熱で突っ走れた気がしますが、まぁ過去を懐かしむほど年を取ったと感じるばかりですね。もっとも「政治家なら」若手で通用する年齢ではありますが……

コメント

財務省が言うなら間違いない

2017-05-14 22:17:54 | 雇用・経済

高等教育は「個人利益」 財務省、公費での無償化に慎重姿勢(ロイター)

[東京 10日 ロイター] - 財務省は10日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で、高等教育の無償化案に関する論点を示した。高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的だ。

(中略)

高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。

 

 さて政府自民党や大阪維新村が高等教育の無償化を言い出しているわけでして、それがなぜか改憲論の一節だったりするので奇妙な話ですが(教育無償化になぜ憲法の改正が必要かを説明できる人はいないでしょう)、総論としてはさておき各論として高等教育の無償化は望ましい話と言えます。しかるに、この高等教育の無償化案に関して財務省は「個人の私的利益」に繋がるとの理由で否定的な見解を示しているとか。財務省の観点では森友学園に国有地をタダ同然で払い下げるのは公共性に適っている一方、高等教育を無償化するのは私的利益のようです。

 まぁ、常に誤った判断を下すのが財務省ですから、財務省の主張の逆を行けば概ね間違いはない、誤りを避けられるというものです。財務省が「個人の私的利益」に繋がると説くからには、高等教育の無償化の公益性は疑う余地がないでしょう。財務省が反対することだからこそ、自信を持って推し進めるべきです。的中率が50%の予報は判断材料として使い物になりませんが、的中率0%の予報には信頼が置けます。財務省のお墨付きとして、公共のために高等教育の無償化を早期実現させることが望まれます。

 実際のところ、普通の国では国民の教育水準の向上は国家の各分野での競争力向上に繋がるものと考えられているのではないでしょうか。教育水準の低い人間ばかりの国と、教育水準の高い人が大半を占める国、文化面でも経済面でも、どっちが強い国であるかは明白です。国家を繁栄させたいのであれば、国内居住者の教育水準を引き上げていくのは不可欠なプロセスと言えます。ところが、普通でない国もある、世界経済の発展から取り残された異形のデフレ国家である日本には世界の常識が通用しないわけです。日本は自国民の教育水準が向上することを望まない人が幅を利かせる、ガラパゴス列島ですから。

 日本人は愛国心が強いので、高等教育修了後もそのまま日本で働こうとする人が圧倒的多数を占めるのですが、一方で日本の会社が求めるのは馬鹿の一つ覚えのコミュニケーション能力だったり、若さや出身大学のネームバリュー、体育会系の部活動の経験だったりします。世界で通用する人材になるための教育ならば大学にも可能なのかも知れませんけれど、日本で通用する人材になるために大学が出来る事って、いったい何なのでしょうか? 日本社会で活躍できる人間を輩出するために日本の大学が選んだ道は、就職予備校への道だったりもするわけです。

 例えば「履歴書を手書きする能力」や「面接で架空のエピソードを披露する能力」に関しては、日本人が世界一だと思います。しかし、こうした「日本で就職するために必要な能力」を教育したところで、日本の経済発展には何ら寄与しないのは言うまでもありません。結局のところ日本の会社が求めるのは高度な教育を受けた人材ではなく、安く若く従順な人でしかない、そうした状況下では高等教育も「他人に差を付けるための手段」にしかならない、社会の発展に繋がらないものになってしまうのでしょう。猫に小判、豚に真珠、日本の会社に知性と教養です。

 「高卒者と大学・大学院卒者では『生涯所得が6000─7000万円異なる』」というのは紛れもない現実として、ではそこに正当性はあるのか。大卒者の方が所得が多いのは、それだけ会社に利益をもたらす人材であるから、と言うのなら話は分かります。そして高等教育を受けた人材が会社に利益をもたらすのなら、高等教育の無償化により国民の教育水準が上昇すれば、それは国家全体の生産性の向上に繋がるはずです。一方で単純に学歴によって差別的な取り扱いをしているだけであれば、高等教育は社会の生産性の向上ではなく、「個人の私的利益」にしか繋がらないものとなるのでしょう。

 まぁ、労働者の教育水準を生産性に結びつけられる社会であれば、国民の教育は国家のためにもなる、しかし教育水準の向上を生産性向上に結びつけられない愚かな経営者の支配する社会では、財務省的な世界観が成り立ってしまうのかも知れません。そして我が国は――大学で学んできたことを企業から問われない社会です。国それぞれに独自の文化や風習、評価基準はありますけれど、日本のそれはどうでしょうね。日本が世界経済を牽引し続けているのなら日本のやり方が正しいと言えますけれど、反対に日本の経済的地位が沈下を続けているのなら、間違っているのがどちらかは考えるまでもありません。

コメント

生産性を下げる人々

2017-05-07 23:17:11 | 雇用・経済

 「無能な働き者、これは処刑するしかない。理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすからである。」 ……とはドイツの軍人が語ったとの触れ込みで広まった都市伝説の一節ですが、由来の疑わしさはさておき納得のいく言葉ではあるように思います。他に「有能な怠け者、これは総指揮官に向いている。有能な働き者、これは参謀に向いている。無能な怠け者、これは連絡将校もしくは下級兵士に向いている」等々。

 まぁ有能な人間というのは本当に希有な存在ですので、どこの組織も基本的には「無能な働き者」と「無能な怠け者」で構成されているわけです。傑出して有能な人々の集団であれば何事も上手くいくのでしょうけれど、普通の賃金で集められるのは特別な才能を持った人ではない、平凡な人々です。実際に使えるのは「無能な働き者」と「無能な怠け者」だけ、その中でいかに適切に人を起用できるのかが、管理職や経営者には問われます。

 

自己責任で「休日出勤」したら上司に怒られた! 勝手に働いたらダメな理由

せっかくのお休みなのに、仕事が気になってしまい、自主的に休日出勤したことはありませんか。昔であれば「やる気がある」と認められた行動かもしれませんが、今はそういう時代ではなくなろうとしています。

しかし中には、休日であっても会社に行きたくなってしまう人もいるようです。ネットの掲示板には、自主的に休日出勤をしたら、上司に叱られてしまったという体験談がありました。投稿者は、自己責任で出勤しているとの認識で、不満を抱いたようです。

 

 ここで出てくる「自己責任で出勤している」投稿者は、典型的な「無能な怠け者」と言えます。幸いにして投稿者の職場にはマトモな上司がいたようですが、とかく自主性を尊び指示を待つことを絶対悪とする日本の職場では、このように自主的に休日出勤するような人こそ「やる気がある」と高く評価されがちではないでしょうか。巷には自主的に残業することを勧めるコンサルタントの類いも少なくありません。「自主的に」労働時間を延ばすことは、日本の会社で認められるための最大公約数的な方法であり続けています。

 一方で日本の労働生産性は先進国では最低クラスです。まぁ日本は既に先進国からは脱落したと言われればそれまでですが、とにかく「時間当りの」生産性が低いわけです。そして、この突出して低い生産性を支えているのが日本の会社で地位を得ている「無能な働き者」達ではないかと、私は思います。「無能な怠け者」はなるべく労力を使わずに仕事を終わらせるものですが、逆に「無能な働き者」は仕事を創ってしまう、言われなくても余計な仕事を増やしてしまいますから。

 ここで「無能な働き者」の仕事ぶりにメスが入るような社会であれば、日本の生産性にも多少の改善は見られるのかも知れません。しかし、会社から疎まれるのが「無能な怠け者」であるならば、どうなるでしょうか。指示を待つことを絶対悪とする日本の職場では、無能な怠け者は許されません。逆に「指示を待たずに、自主的に」行動する無能な働き者が賞賛されがちです。そうなると、仕事を増やす方が模範になる、仕事を最低限の労力で片付けようとする人が相対的にマイナスの評価を受ける、かくして生産性は低下の一途を辿ると言えます。

 上記引用の投稿者も、意識が高いと言いますかビジネス本の類いを鵜呑みにするタイプと言いますか、いずれにせよ「良いこと」と思って自主的に休日出勤していたのでしょう。それが怒られたから心外だ、と。確かに、一般的な職場では褒められる行為なのかも知れません。実際、積極的な休日出勤やサービス残業で昇進していった人の姿を見ることは珍しくありませんから。しかし、無能な働き者が自主性を発揮することを許すほどに、職場の生産性は低下していくのです。

コメント