非国民通信

ノーモア・コイズミ

反省しているのは東京電力だけ

2014-08-31 22:46:17 | 社会

原発事故後に自殺、東電に4900万円賠償命令(朝日新聞)

 東京電力福島第一原発の事故後、福島県川俣町から避難を強いられ、一時帰宅中に自殺した渡辺はま子さん(当時58)の遺族が、東電に計約9100万円の賠償を求めた訴訟で、福島地裁は26日、東電に計約4900万円の支払いを命じる判決を言い渡した。潮見直之裁判長は「はま子さんの自殺と原発事故との間には相当因果関係がある」と、遺族側の主張を認めた。

 東電によると、原発事故と自殺の因果関係を認めた判決は初めて。遺族側の弁護団は「避難による精神的苦痛を正面から認め、被害者の権利救済の道を大きく開いた」と評価した。

(中略)

 判決は、はま子さんが58年間暮らした山木屋の人々とのつながりや養鶏場の仕事を原発事故で失い、不慣れなアパート暮らしを余儀なくされたと指摘。「耐え難いストレスがはま子さんをうつ状態にさせ、自殺に至らせた」と認めた。「一時帰宅の際に感じたであろう展望の見えない避難生活への絶望、生まれ育った地で自ら死を選んだ精神的苦痛は、容易に想像しがたい」とも指摘した。

 

 原発事故とは無関係なところで自殺してしまう人も普通にいますので、その責任割合については第三者の判断を仰ぐ余地がありそうですが、事故の重大性を鑑みれば東京電力に一定の責任割合が認められるのは必然と言えるでしょうか。概ね遺族側の主張が認められたとのことですけれど、しかるに原告弁護団の言葉として「避難による精神的苦痛を正面から認め」とも伝えられています。果たして「苦痛」の大元である避難を強いたのは、ここで賠償の支払いを求められている東京電力だけなのかどうか、その辺に釈然としないものがないでもありません。

 訴えを起こした人は福島県川俣町の元住人であったそうです。不運にして計画的避難区域の端っこに位置し、川俣町の内部でも原告の住んでいた一部地域だけが避難指示の対象になってしまったわけですが、もうちょっと当時の政府にバランス感覚があれば、今回のような事態は防げた気がします。つまり、もう少し避難区域は小さく設定すべきではなかったか、避難を強いることのリスクを考慮していれば、防げた自殺もあったのではないかと。避難による精神的苦痛の存在罪は、裁判でも認められていることなのですから。

 住民の居住の権利を行政の権限によって奪う、そうした判断には最大限の慎重さが求められるところです。その辺、当時の民主党内閣には望むべくもないものではありましたが、決して防げないことではなかったはずです。原発事故そのものによる健康上のリスクも「ある」か「ない」かの二択を迫れば「ある」のかも知れませんが、現時点ではその痕跡は何も確認されていません。一方で被曝を避けるためとの大義名分で強いられた避難生活の結果はどうでしょう。ここで裁判に発展したケース以外にも被害と呼ぶべきものは多々あるはずです。被曝よりも避難の方が大きな被害を生んでいる、その現実には向き合う必要があります。

 事故の規模や性質の面では比較の対象としてあまり適切ではないチェルノブイリ原発事故でも、被曝ではなく避難によって生み出された被害は深刻でした。日本はチェルノブイリ事故から何も学んでいなかったのでしょうか。健康のためなら死んでも構わない、なんてジョークもありますけれど、被爆を避けるためと称して、放射線によって考え得る被害よりも格段に大きな被害を避難によって作りだしてしまうのは愚か極まりないことです。避難指示が過剰ではないか、避難する方が逆にリスクが大きくないか、その辺を考えるべき責任は問われてしかるべきものです。

 仮に避難が必要であったとしても、その避難による負担を軽減することも可能だったはずです。避難先の環境が劣悪か快適か、住民をバラバラに四散させて避難させるのか、それとも地域単位でまとまって避難(移住)させるのか、緩和策はいくらでもあります。避難生活による精神的苦痛の多寡を左右するものは、決して原発事故だけではありません。ただ単に被爆の影響を課題に煽り立てるばかりで、避難を指示した住民のその後のケアを怠ってはいなかったのか、その辺は東京電力ばかりではなく、行政にも責任が求められる範囲です。

 判決では「展望の見えない避難生活への絶望」等々と語られている一方、原告の故郷である川俣町は既に避難指示解除準備区域に含まれています。明るい展望が開けているとまでは言いがたいにせよ、何から何までもが絶望的であったのかどうか、ガソリンを被って自殺するまでに追い詰めるものがあったとしたら、そこは原発事故そのもの以外の何かもあったように思えるところです。現実以上に将来を絶望的なものと感じさせたのは何なのか、福島にはもう人が住めない云々と吹聴して回った人々もいたもので、その辺は朝日新聞も幾分か荷担してきたはずですが、そういう連中の妄言を真に受けて将来を悲観してしまった人は少なくないのではと推測されます。

 率直に言って当時の政府が定めた避難区域は大きすぎた、被曝によって想定される健康被害を遙かに凌駕する被害を生み出してしまったものと考えられますが、それ以上に広い範囲の住民を避難させるべきだと説いて回る手合いもいたものです。もし、そうした人々の主張に行政が媚びて避難区域を広げてしまっていたら、今回のような自殺者は倍増していたことでしょう。闇雲に避難を説いていた人は、いい加減に反省して欲しいと思います。何らかの被害が発生しても責任を問われ賠償を迫られるのは東京電力だけかも知れませんが、それを良いことに間接的にではあれ自殺者を生むような主張を続けるのは人として恥ずべきことですから。

 

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出版業界の選択

2014-08-29 23:32:54 | 社会

 先日の記事の補足的なことを考えてみますと、「薄利多売」か「固定ファンの囲い込み」のどちらを志向しているかは割に重要な気がします。販売価格を引き下げる代わりに幅広い客層に売り込んでいくことで売り上げのトータルを大きくしていくのか、それとも販売価格を維持して固定客から集金していくのか、どちらが利益を最大化してくれるのかは状況次第ですけれど、総じて経済が上手く行かない国においては間違った方が選ばれがちなのかも知れません。

 モノとしての実態がある商品が主力の場合、薄利多売路線は遠からず限界に突き当たると考えられます。たとえば牛丼の価格が大幅に引き下げられたとしましょう。そこで最安値を付けた牛丼チェーン店は業界内の最大手委にのし上がったとして、では業界全体の利益はどうなのか、と。牛丼が半額になっても、食べる量を2倍に増やす人は滅多にいません。大半の人は牛丼一杯で帰ってしまうのなら、売り上げは下がってしまいます。そこを他店から(安値を武器に)客を奪うことで補うとしても、今度は客を奪われたライバル店の売り上げが下がってしまうわけで、どこか特定の企業が一人勝ちすることはあっても業界全体が栄えるのは難しそうです。

 逆にモノとしての嵩よりも他の部分に価値がある商品の場合はどうでしょう。書籍や音楽CDのようにモノそのものではなく中身に刻み込まれた情報の方に主だった価値がある場合です。こちらは牛丼とは別で、半額ならもう1冊あるいはもう1枚、買っていく客もある程度までは想定できます。値下げすることで売り上げ部数の増加を見込めるわけですね。牛丼の価格が下がっても客が一度に食べられる量は増えませんけれど、本やCDを多めに買い込むのは、そんなに無理なことではないですから。ついでに制作するのにかかるコスト面でも、薄利多売路線への向き不向きはありますね。牛丼は増産した分だけ材料費が嵩みますが、書籍を増刷するコストなんて微々たるものなわけで。

 しかるに薄利多売が直ちに業界の縮小を招くような世界ほど不毛な値引き競争が激烈、一方で薄利多売と相性の良さそうな世界では再販制度や業界の連携によって販売価格が維持されていたりします。まぁ、とかくお金が絡むほど不合理な方が選ばれている印象が拭えないでもありません。ちなみに海外企業によるゲームソフトのダウンロード販売では、もう完全に薄利多売路線が主流でゲーム1本当たりの利益は減少傾向であろうことが推測されますが、一方で販売本数を伸ばすことには成功している、トータルの売り上げは上々のようです。日本のゲーム業界は概ね反対の方向を向いていると言わざるを得ませんが、将来はどうなるのでしょうね。

 一口に出版業界と言っても、再販制度や固定ファンの囲い込みによって命脈を長らえているところもあるとは思います。今のやり方を転換すれば、その「変化」に適応できない出版社が出てくることは避けられないかも知れません。そうは言っても、現状維持の中で潰れていく会社も多々あるわけです。日本の出版界は薄利多売に走るよりも価格の維持を選んでいるようですが、あくまで定価で本を買わせようとする以上、顧客をガッチリつかんで囲い込む必要があります。その帰結としてサイレント・マジョリティではなくノイジー・マイノリティが主たるターゲットになってしまうところもあるのではないでしょうか。マジョリティを相手に薄利で商売するよりも、マイノリティに定価で本を買わせる方を選んだ、そのノイジー・マイノリティの代表格がレイシストであり、出版(書店)業界が媚びる相手になっているようにも思えます。

 

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本屋と人権意識

2014-08-27 22:52:39 | 社会

 人権教育、というと一般には学習者すなわち学校に通う生徒を対象にしたものを指す場合が多いようですが、企業研修のカリキュラムの中に含まれている場合もあります。テンプレ的なものを繰り返しているだけみたいなケースもあれば、担当者が露骨にやる気がなくて「やらなきゃいけないことになってるから一応やってます」という態度を隠せていない会社にも遭遇したことがありますけれど、まぁ世間体を重んじる企業として「人権を尊重しています」という題目を掲げている企業は珍しくありません。実態はさておき、従業員に向けて「差別はいけません」と伝えてはいるわけです。

 いわゆる大企業、要するに有名税的なものを支払わざるを得ない企業は総じて、悪い意味で目立ってしまうことを恐れるものです。だからこそ綺麗事を並べて上辺を取り繕うものですし、社員にもそれを求めると言えます。内実はともあれ、表向きだけであろうとも悪いことではありません。内心がどうあろうとも差別的な態度や言動を表に出さないことは、善良な市民であることの必須条件ですから。頭の中で何を考えようとも、表向きは差別に否定的な姿勢を取る、それは常識ある振る舞いと認められるべきものでしょう。

 一方で、それなりに名の知れている会社でも差別に否定的ではない、むしろヘイトスピーチに協力的であるとすら言える企業もまたあります。出版社や、書店がそうですね。今や大手出版社の多くはレイシストがお得意様、ヘイトスピーチ盛りだくさんの雑誌や書籍を盛んに出版していますし、大半の書店はそうした本を特設コーナーに平積みして積極的に売り出しているわけです。差別の拡大に積極的に関与しているとすら言える出版社や書店チェーンの人権教育はどうなっているのか、幾分か興味深いところでもあります。

 まぁ昔から売れ筋の本に良書はないと言いますか、似非科学や陰謀論のオカルト本、ゴーストライターの書いた芸能人やスポーツ選手の本、売る側がゴリ押しする作られたベストセラーこそが書店の棚を賑わしてきたものですけれど、本を作る、売る側にも最低限の良心は期待したいところです。悪趣味本もあってしかるべき、アングラ文化もまた無価値ではありませんが、ヘイトスピーチ本がメインストリームに躍り出て書店の最も目立つ場所に積み上げられる有様は、流石に問題があるのではないでしょうか。ポルノ本なんかよりも先に有害図書指定されるべきものがあるように思います。

 名のある出版社が自社の看板雑誌で当たり前のようにヘイトスピーチを連呼する、それが電車の中で大々的に広告され、書店も憚ることなく大売り出し、そういう状況がレイシストに自信を与えているところは少なくないでしょう。イジメの加害者は教師に黙認されることで、自分たちの行為は許されていると確信するものです。レイシスト達もまた、昨今の出版業界、書店業界の振る舞いによって大いに勇気づけられているのではないでしょうかね。自分たちの発言は、表に出してもよいものだと感じているわけです。

 出版業界も、色々な面で岐路に立っているのかも知れません。電子書籍が普及するには相当な時間がかかりそうに思われるところですけれど、電子書籍など存在せずとも書籍全体の市場規模は縮小が続く、amazonなどの海外資本とも争わなければならないとあっては「今まで」通りではいられないのでしょう。従来の再販制度にも功罪両面あって一概に無くすべきとも堅持すべきとも言いがたいわけですが、現状維持は救援の当てのない籠城のようなもの、生き残りのためには何らかの策を考えなければならないのかも知れません。そこで出てきた結論がレイシストへの迎合であったなら、悲しい限りですが。 

 

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企業が働かせたがっている人

2014-08-25 21:58:51 | 雇用・経済

 「本分」と思われているかどうか、というのは割と重要なのだと思います。それが「本分」だと考えられていれば「やって当たり前(できて当たり前)」のこととして扱われる一方で、逆に「本分」ではないと思われていると「わざわざ手助けしてくれるなんて感謝しなきゃ」みたいに受け止められるものなのではないでしょうか。典型的な例は「普通の」公務員と自衛隊の場合ですかね。例えば災害対応など、公務員が住民のために働いても当たり前のこととして扱われるのに対し、自衛隊はどこでも感謝感激雨あられです。

参考、ハラヘリヘリハラ

 この辺、少し前に取り上げた「家事ハラ」云々も似たようなところがあって、家事が「本分」であると周りからも思われている側の人は、いかに家事をこなそうと感謝されることなどないわけです。一方で、家事が「本分ではない」と考えている/考えられている側には、自衛隊よろしく「手を貸しているのだからもっと感謝されるべき」みたいな認識があるのではないでしょうか。ここで「働きぶり」にダメ出しされようものなら、即座にそれが不当な非難であるかのように受け止められると言えます。

 家事に関しては概ね男性側に「手伝ってやっている」的な感覚が根強い反面、「稼ぎ」という面ではどうでしょう。あくまで補助的なレベルの家事参加で「やったつもり」になってしまう男性も多い一方、同様に補助的な働き方に満足している女性も多いように思われます。なんだかんだ言って非正規雇用であることを自ら望む人も頭数としては少なくなくて、経済系の論者ほどその手の声を大きく取り上げたがったりもするものですが、夫の稼ぎの「補助」的な収入で満足する人の声を強調するのは賢明と言えるのかどうか……

 

「本当は働きたい」願望に火をつける(東洋経済)

「ハローワークに求人を出したが、さっぱり音さたがない」「前任者が辞めて以来、1年以上空席のままだ」……。多くの企業が人手不足に頭を悩ます中、中小・ベンチャー企業の人材採用は特に深刻な状況である。そこで今、新しい労働力として注目を集めているのが、眠れる優秀人材、”主婦”だ。

(中略)

一般常識もビジネスマナーも心得た優秀な人材を低コストで雇用できることを掲げ、ビースタイルは企業の主婦向け業務を開拓してきた。

(中略)

フルタイム派遣2人を入れていたころより、コストは15~20%減。

(中略)

12年からは、よりハイスキルの主婦向けの派遣事業「しゅふJOBエグゼクティブ」を開始。年収500万~1000万円以上クラスの管理職、専門職の実績がある主婦を、パートタイムで派遣するものだ。現在、米国公認会計士の資格を持つ経理スペシャリストや、経営企画部門でIPO(新規株式公開)をリードした経験のある女性、海外MBA(経営学修士)を持ち営業企画のキャリアを積んできた女性など、幅広い職種のプロフェッショナルが、約500人登録されている。日数や時間にもよるが、企業はこうした即戦力となる人材を、月額20万円前後で活用することができる。

 

 他のニュース記事を見ても「主婦」を労働力として活用しようと、そういう取り組みを進めている企業は非常に多いことが分かります。内閣も「女性の活用」云々を掲げてはいるところですが、その辺とのシナジーはどうなのでしょうか。真ん中の部分は色々と略しましたが、この東洋経済が持ち上げている類の主婦の活用は「低コスト」であることがポイントのようです。「しゅふJOBエグゼクティブ」なんて恥ずかしい名前の事業もあるようで、随分と輝かしいキャリアを持った人が派遣登録されているとのことですけれど、結局は「月額20万円前後で活用することができる」と。企業側の費用負担が月20万なら働く人の取り分は額面でも14万が相場です、これじゃ暮らせませんよね、旦那の稼ぎがなくちゃ。

 少しだけ景気が上向いて、非正規雇用に限れば今までのような超・買い手市場ではなくなってきている、どんな薄給でも重労働を強いられる環境ではなくなりつつあります。そうは言っても、人件費を抑制することで利益を確保して内部留保を積み上げるのが日本的経営です。何とかして「安い労働力」を調達したいというニーズは根強い、そこで政財界が考え出した結論の一つが「外国人労働者の受け入れ」と言えます。そしてもう一つの鉱脈として目を付けられているのが、この女性の活用に名を借りた主婦の――家計補助的な働き方に満足する主婦の――活用なのではないでしょうか。

参考、生活のために働く人のために

 女性でも、自分の生活のために働く人と、あくまで稼ぎのメインは夫で自分は補助的な働き方に甘んじる人がいるわけです。企業はとにかく、安い労働力が欲しい。しかし自分の生活のために働く人は、当然ながら給与の高低を見てくるものです。一方で夫に一定の収入がある主婦の場合、その辺の敷居が低いと言いますか、単独では暮らしていけないレベルの給与、旦那がその程度であったら結婚などしなかったであろうレベルの給与でも、取り立てて不満を持たずに働く人が多いのではないでしょうか。だから今、目を付けられているのかも知れません。

 女性の活躍云々と看板には掲げつつ、その実は主婦を薄給で働かせているだけ、こうした傾向が強まるのなら、むしろ将来的には男女間の格差は広がりこそすれ縮小されることはない、国際的に見ても日本は今以上に男女格差の多きな国として不名誉な方向で目立つことにもなりそうに思えてきます。働く女性が増えると言っても、それは必ずしも男女の平等を意味するものではありません。家計補助的な働き方に満足する主婦を安価な労働力として活用する、そういうのが主流になってしまえば、人件費を抑えて利益を確保する日本のデフレ志向経営も変わらない、経済発展にも繋がらないとすら言えます。

 

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日本人が思っているよりも事態は深刻

2014-08-22 22:03:51 | 政治・国際

ヘイトスピーチ規制へ自民、議員立法を検討(読売新聞)

 自民党は、在日韓国・朝鮮人への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を取り締まるための法整備を検討するプロジェクトチーム(PT)を近く設置する方針を固めた。

 7月に韓国の朴槿恵大統領と会談した舛添要一東京都知事の要請を受けた安倍首相が、高市政調会長に検討を指示していた。

 首相は、日韓首脳会談の実現に意欲を示しており、韓国側が問題視しているヘイトスピーチに対応する姿勢をアピールすることで、日韓関係の改善につなげたい考えがあるとみられる。

 主要7か国(G7)でヘイトスピーチに関する法規制がないのは米国と日本だけで、国連の自由権規約委員会も7月、日本に対策強化を求める報告書を公表した。ただ、法務省などは「憲法が保障する表現の自由に抵触しかねない」として法規制に慎重で、自民党は、欧州の法規制の状況を研究し、議員立法による新法制定の可能性を探る方針だ。

 

 ……とまぁ、こんな動きも伝えられています。報道されている国連からの報告書もそうですし、EUからも経済協定の締結に際して人権条項を設けるように求められるなど、レイシストの楽園と化した日本の現状は諸外国から少なからず懸念されるものとなっているようです。結局のところ日本を変えて行くには敗戦が必要なのか、ヘイトスピーチに対して自発的な対策が取られてきたとは言いがたい我が国ですが、結果として出てくるのはどれほどのものでしょうね。

 もっとも、表現の自由を盾にした反対側からの否定論も根強いものがあります。表現の自由を錦の御旗にヘイトスピーチが野放しにされてきた結果として今に至るだけに、そろそろ「このままではダメだ」という意識を持って欲しい気がしないでもありません。危険な伝染病も感染者がごく少数で完全に隔離されているのなら、検証の不十分な新薬を投入するリスクを冒す必要はないでしょう。しかし伝染病が猖獗を極め深刻な危機を招いているのなら、ある程度の副作用を覚悟して防疫に努める必要も出てくるところですから。

 ある程度まで似たような趣旨を持ったものとしては人権擁護法案なんてのもありましたが、これも世間の反発が強かったわけです。人権侵害に励む側からもそうですし、政府による恣意的な規制が強まることを懸念する立場からの反対の声もまた大きく、結果としてヘイトスピーチを取り締まる直接的な仕組みは何もないままです。副作用の弊害ばかりが叫ばれる日本は今やワクチン後進国、隠れた伝染病輸出国にまでなってしまったのですが、片方の害ばかりを絶対視して全体のバランスを見失うという点は、このヘイトスピーチ(規制)を巡る議論にも通底しているような印象が拭えません。

 G7でヘイトスピーチに関する法規制がないのは米国と日本だけとも伝えられています。何せ我が国はグローバリズムに背を向ける孤高のガラパゴス、海外から制度を輸入するように見せつつも日本独自のものにすり替えてしまうことはしばしばです。例えば裁判員制度、アメリカの陪審制度は有罪か無罪かを決めるものですが、日本においては量刑を決めるものだったりします。あるいはホワイトカラー・エグゼンプションやワークシェアリングも、日本では専ら残業代を踏み倒したり正社員の給与をカットしたりという思惑でしか語られていないわけで、まぁヘイトスピーチ規制も「日本版」になると諸外国のそれとは全く内実の異なるものになってしまう危惧はあります。

 ついでに言えば、今回報道で対象と名指しされているのは「在日韓国・朝鮮人への差別をあおるヘイトスピーチ」と範囲が狭いですね。例えば福島という土地、及び在住者、福島の産品に対して事実無根の危険性を吹聴し、それが敬遠、排除されるように仕向ける類の言動はヘイトスピーチに該当しないのでしょうか。こうなると、朝日新聞や東京新聞も取り締まりの対象になります。あるいは生活保護受給者に対する色々と話を盛ったネガティヴキャンペーンもどうでしょう。これなら読売新聞も取り締まれそうですが、生活保護受給者バッシングは国策的なものもあるだけにセーフかも知れません。まぁ、そういう恣意的な運用になる危険性はあります。だからといってヘイトスピーチの自由を保障し続けるのはどうなのか、時には失敗の可能性もある手術を受けたり、副作用のあり得る薬を飲み続けなければならないこともあります。片方のリスクだけを絶対視して一方のリスクへの取り組みを阻むような、そんな愚かな議論だけは御免被りたいところです。

 

在日女性、在特会を提訴=「差別表現で苦痛」-大阪地裁(時事通信)

 インターネット上の差別的表現で精神的苦痛を受けたとして、在日朝鮮人のフリーライター李信恵さん(43)が18日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と桜井誠会長に計550万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。

 

 ……で、あるフリーライターが桜井誠という通名――日本のメディアは実名報道に及び腰のようで――で知られるレイシストを訴えたことが伝えられています。この辺は、既存の法制度でどこまで対応できるかを問う試金石になるでしょうか。ヘイトスピーチを直接に取り締まる制度がない以上このような手法に出る必要があるわけですけれど、結果やいかに。

 しかしまぁ、「精神的苦痛を受けた」とは一種の定番ですが、とってつけたような印象を拭えないフレーズでもあります。ヘイトスピーチの差し止めを求められる専用の法規制はないですから、こうした「精神的苦痛を受けた」みたいに汎用的な文句を持ち出さないと訴訟事由としては認められないのでしょう。何だか訴訟の意味が最初から希釈されてしまうような印象がないでもありませんが、現状では他に手がないということです。

 仮に100%に近い勝ち目があったとしても、訴訟が負担の重い行為であることには変わりがありません。行動力と、経済的及び時間的なそして精神的な消耗に絶えるだけの余力が不可欠です。訴えたくても訴えられない人も多いことでしょう。加えて原告をある程度絞り込まざるを得ないですので、有象無象を相手にするのは難しい、ヘイトスピーチが蔓延しても、訴えられる相手は一部の代表者に限定されてしまい、その追従者までをも押し止められるかは甚だ疑問でもあります。

 ついでに憲法判断には踏み込まないと三権分立の法規を高らかに歌い上げる最高裁もあれば、痴漢行為を巡って被告に無罪の立証を要求するトンデモ裁判官も普通にいたりするわけです。少なくとも行政と同程度には司法も信頼できない、行政の整備するヘイトスピーチ規制と同じくらいの危うさは、裁判官の判断に委ねる場合にも覚悟せねばならないでしょう。表現の自由を唱えてヘイトスピーチの横行を対岸から眺めていられれば気楽なものですが、そうしている間にも事態は悪化を続けているところですし。

 

ヘイトスピーチ規制勧告へ=日本国憲法に抵触せず-国連差別撤廃委(時事通信)

 【ジュネーブ時事】国連の人種差別撤廃委員会の対日審査の2日目の会合が21日、ジュネーブで開かれた。日本政府への勧告書となる「最終見解」では、在日韓国・朝鮮人らに対するヘイトスピーチ(憎悪表現)の法規制導入を求める意見が盛り込まれる方向となった。

 人種差別撤廃条約の第4条は、人種差別をあおる表現を「犯罪」と明記している。日本政府は憲法が保障する「表現の自由」との整合性を考慮する必要があるとの立場で、4条適用を保留している。

 政府代表の河野章外務省総合外交政策局審議官は、「不当に言論を萎縮させる危険を冒してまで(ヘイトスピーチ)処罰法を制定する必要があるとは考えていない」と回答。外国人差別をなくす啓発活動に取り組んでいると述べ、理解を求めた。

 ただこの日も委員からは「ヘイトスピーチは暴力だ」として、規制導入が促された。勧告書作成を担当するケマル委員(パキスタン)は「(ヘイトスピーチ規制は)憲法と矛盾しない」と明言。29日に公表する勧告書に盛り込む考えを示した。

 

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ご一緒にヒアルロン酸はいかがですか?

2014-08-20 23:01:59 | 社会

歯科医が「顔のしわ取り」急増…厚労省は困惑(読売新聞)

 歯科医がヒアルロン酸注射による顔のしわ取りに参入する動きが広がっている。

 普通は美容医療だが、歯科診療の延長で口周りのしわ取りも治療メニューに加えるというもの。歯科医過剰の時代、他との差別化による生き残り策の一環というが、厚生労働省は「一般的な歯科治療ではない」と困惑、歯科医によるしわ取りの実態について情報収集を始めた。

 ◆医師が一般的

 ヒアルロン酸によるしわ取りは、一般的には美容外科医ら医師が手がける。保険の利かない自由診療で、医師が海外の製剤を個人輸入するなどして行う。

 ところが、輸入代行会社ウェルハート(東京都千代田区)によると、2、3年前から歯科医の注文が増え始め、ゼロだった輸入希望者は今や500人近く。同社が開く歯科医向け美容治療セミナーも、毎月開催するほど希望者が多い。

 7月に都内で開かれたセミナーには、歯科医5人が参加。座学と実技に熱心に取り組んだ。講師の美容歯科医、清水洋利さんは「歯科治療の延長上の選択肢として希望者に行うなら問題ない。技術的にも、麻酔で日常的に注射をする歯科医には向いている」と話す。

 参加した40代の男性歯科医は「入れ歯をインプラント(人工歯根)にして上唇の縦じわが残り、気にする人がいる。美容外科より気軽な歯科で治療できれば喜ばれる」という。

 

 医師と歯科医師では学部も資格も違うわけですが、歯科医師がヒアルロン酸注射による顔のしわ取りに参入する動きが広がっているそうです。まぁ、非合法ではないのでしょう。もとより審美歯科など歯科医師による美容医療は盛んだっただけに、こういうところに手を伸ばしてくる歯科医院が増えたとしても驚くことではないのかも知れません。

 保険診療と自費診療を併用する混合診療の解禁を巡る論議は絶えません。まぁ現行の医療に対して患者側が大いに不満を持つのは当然と思われるところも多いですから、今は禁止されている混合診療の解禁を求める声が共感を呼ぶことも多いのは致し方ないところでしょうか。翻って医療関係者の口からは「保険診療の縮小を招く」などの批判が聞こえるわけですが、医師ならぬ歯科医師に限ってみると、話は違うようです。

 実際のところ、歯科医院の多くは「保険診療では十分な治療ができない」と保険外すなわち自費での診療を「より良い治療」として勧めています。まぁ、保険診療の場合の治療費から医者の取り分を逆算してみれば保険診療で経営を成り立たせるのは難しいのだろうな、「保険診療は数だよ!」みたいにならざるを得ないのかなと同情しないでもありませんが、患者としてはたまったものではありませんね。

 案外、この歯科医療の世界は未来を占う上での判断材料になると思うわけです。歯科医療の世界では一足先に混合診療が実質的に解禁されていると言って過言ではない、その歯科医療の領域で起こっていることを見れば、将来的に他の医療分野でも起こりうることが推測できる、と。単純に混合診療が解禁されて保険外のオプションが選びやすくなるだけなら良さそうなものですけれど、どうにも歯科医療の事例を見るに、やはり保険診療が蔑ろにされて自費診療に熱を入れるところが増える可能性は高そうです。

 ある40代の男性歯科医の言葉として「美容外科より気軽な歯科で治療できれば喜ばれる」云々と伝えられています。その「気軽さ」が恐いなと私などは感じるところ、やっている行為は同じでも美容外科よりも「気軽に」歯科では扱われてしまう、果たして安全性などの面で問題は起こらないのでしょうか。歯医者と言ったら、歯科助手という名の無資格のアルバイトにあれこれと手を出させる世界でもあります。治療を受けても逆に悪化することもあり得るのは、歯科に限ったことではないにしても……

 

 厚労省によると、医療施設で働く歯科医は2012年時点で全国に約10万人おり、人口10万人当たりの数は40年前の倍ほど。歯科診療所は約6万8000という過当競争の時代だ。

 

 なお歯科医の過剰ぶりについても伝えられています。コンビニの店数よりも歯科医院の方が多いらしいですね。ウチの近所も、コンビニは駅前まで行かないとありませんが歯医者ならどこにでもあります。もう歯科医院で公共料金振り込みとか宅配便の集荷とか雑貨の販売などもやってくれたら便利になるのにと思わないでもありません。ともあれ、とかく競争が賛美される我が国において過当競争の続く歯科医療の世界では何が起こっているのでしょう。果たして競争賛美論者が語るようなサービスの向上が起こっているのか、消費者に利益がもたらされているのか、競争が招く帰結もまた歯医者の世界から推測することができるように思います。

 

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ハラヘリヘリハラ

2014-08-18 21:49:11 | 社会

家事ハラは夫婦関係破綻のサイン?(JIJICO)

今、「家事ハラ」という言葉をよく耳にします。「家事ハラスメント」の略称で、もともとは女性の家事労働の価値の低さへの問題定義から生まれた言葉でした。しかし、最近では、家事協力をする夫に対し、妻がダメ出しをするという現象を指す言葉として使われています。

現代は夫婦共働きが増え、安倍総理が掲げる「女性の活躍推進」や雇用均等法等も手伝って、男女の労働に対して差別が無くなってきましたが、まだまだ妻の家事負担が明らかに大きいことは否めません。

そこで各家庭で「夫婦で家事を分担し合おう」というルールが作られるのですが、世の夫の中には「妻が家事をしてくれるもの」という期待を抱いて結婚をする人が多いのも事実です。一人暮らしの期間が長い男性でない限り、ほとんどの男性は、さほど家事は上手ではありません。しかし、子どもが生まれたりすると、妻にしかできない育児の問題が新たに生じ、夫も家事を手伝わないわけにはいかなくなります。

 

 この「家事ハラ」なる用語については、最初に使い始めたと称する人と、それとは異なる意味合いで使い出した会社との間で一悶着あったりもしたようです。まぁ言葉に特許があるはずでもなく、最初に使い始めた人の用法に他の人が従わなければならない道理はないとは思います。そう言えば「フェミニスト」なんてのも昔は「女に甘い奴」みたいな意味合いだったみたいですね。この頃ですと「壁ドン」ですとかネット発のスラングでも、全く別の使い方で広められているのもあります。たぶんこの「家事ハラ」も家事を手伝う夫へのダメ出しの方の意味合いで浸透していくのでしょう。

 なお「世の夫の中には『妻が家事をしてくれるもの』という期待を抱いて結婚をする人が多いのも事実」とのこと、逆に世の婚活女子の中には「夫が外で稼いできてくれるもの」と期待を抱いている人も多いと推測されますが、こちらも男女分担で女性も会社に勤めるとして、しかるに女性の側の収入が低くて家計の助けにならない、そういう場面で夫が妻の稼ぎの悪さを詰るようなケースも今回の「家事ハラ」の裏返しみたいな形で想定できます。将来的には、それが話題になるような場面もあるかも知れませんね。果たしてどういう珍名称が付けられるのやら。

 昨今は俄に注目を集めるようになった「大人の発達障害」なんかの絡みで職場における得手不得手を意識した意見も出てきましたが、実際のところは「まだまだ」でしょうか。発達障害であろうとなかろうと、しばしば仕事において不得意なこと、どうやってもうまくできないことが出てくるものですけれど、その場合の対処法はいかにあるべきなのか、人それぞれの長所と短所に応じて仕事を割り当てていくべきだという声もあれば、「できない」人を甘えだの怠けだのと罵倒する人もまた多いように思います。そうした中で気を病む人も出てくる、そこに至るまでの過程で「パワハラ」と認定されるケースも出てくるのですが、では「家事ハラ」の場合は?

 この辺は男性に限らず女性でもあり得ることですが、どうあっても家事がろくにできない人もいるわけです。もし家事が「誰にでもできる簡単なこと」であるのなら、それを「できない」人は結局のところやる気の問題として扱われざるを得ないのかも知れません。一方で家事にも「向き不向きはある」と考えるのなら、誠意はあっても家事は任せられない人というのも考えられることでしょう。専ら「誰もが」家事をできて当たり前、やるのが当然という前提で話が進められることが多いですけれど、本当に「誰にでも」やる気があればできることなのかどうか。企業の人事を動かすような人は、「できて当然」という認識に添って人を異動させるもの、そこで「できない」ようであればしばしば「やる気」の問題として当人が責められるところですが、家事も似たような感覚で語られがちなのかな、と。

 まぁ、発達障害の議論よろしく「それぞれが長所を活かせるような」ポジションでの配置を家庭において当てはめると、往々にして「どちらか」に家事負担は偏りを見せるような気がしないでもありません。家事が苦手な人にまで無理に分担させるよりも、お互いがそれぞれの得意な分野で助け合って行ければ良いなと私などは思うところですけれど、その結果として「片方が稼ぎ、片方が家事」みたいな形になりがちだと想定されてしまうところでしょうか。そして収入を得やすい方の性別が稼ぐ方の担当、そうでない方の性別が消去法的に家の担当みたいな結論になってしまうのなら、「とにかく分担」という声が強まるのは致し方ないのかも知れません。

 まぁお互いの長所を活かし、短所をカバーできるように云々と主張するのも、場面によっては強い反発を買うような気がします。「職場」においては経営側から反発を買いそうなところですし、「家庭」においては「女性のミカタ」な人々から非難を浴びそうなもの、では他ではどうでしょう。例えば食料生産の話です。日本の食糧自給率は低いと、日本独自の計算方式まで持ち出されて喧伝されています。この自給率の低さの源は専ら「家畜の餌」が輸入頼みであるところに起因するのですが、日本で家畜の餌を大量生産しようと思っても、それは無理です。じゃぁ、飼料生産国とのパートナーシップを深めて分業していくべきだと説く人もいないではありませんけれど、少なからぬ人は向き不向きを考慮せずに「自国で賄う」ことを「あるべき姿」と考えているような気がします。

 あるいは国際紛争でも、金のある国は金を出せば、兵のある国が兵を出せば良いかと言えばさにあらず、「我が国も兵士を派遣せねば」責務を果たせないとばかりに考える政治家もたくさんいるわけです。誰もが/あらゆる国が同じようなやり方で何かに貢献する必要はない、それぞれの得意な分野で対価を支払えれば十分だと私などは思いたいところですが、あまりそうは考えられていないのが日本社会なのかなとも感じています。仕事でも家事でも、食料戦争でも紛争への介入でも、それぞれの得手不得手に応じた手伝い方ではなく、誰もが同じように分担することを当然視する、そういう見方が強いのではないかと。

 

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否定できる根拠はない

2014-08-15 22:35:12 | 政治・国際

安倍首相、再三否定も… 「徴兵制」の発言、議論なぜ?(朝日新聞)

 「徴兵制につながるというとんちんかんな批判がある。徴兵制が憲法違反だということは私が再三、国会で答弁している」。5日、自民党本部で開かれた地方組織の幹部を集めた会合。安倍首相は集団的自衛権の行使を認めた閣議決定に触れる中で、徴兵制について自ら否定した。首相は最近、こうした発言を繰り返している。

 専門家の間では、高度化した現代の戦争では訓練を受けていない一般市民を徴兵しても意味がなく、徴兵制はあり得ないとの見方がある。政治的にも極めて難しいとみられる。

(中略)

 政権中枢にある政治家の過去の発言も、この見方を補強する。いま自民党幹事長の石破茂氏は02年5月、衆院憲法調査会小委員会でこう述べた。「徴兵制が憲法違反であるということには、意に反した奴隷的な苦役だと思わないので、どうしても賛成しかねる」

 

 ……とまぁ、以前にも触れましたが「徴兵制」を巡る論議があるわけです。先に結論を出すなら「否定できる根拠はない」といったところでしょうか。確かに従来は安倍が繰り返したように憲法違反に当たると考えられたものですが、同様に憲法違反である集団的自衛権の行使を「解釈の変更」という超理論によって可能にした直後の話でもあります。ならば徴兵制もまた「解釈の変更」によって可能であると考えるのが当然で、憲法違反の活動を容認すると閣議決定した人が自ら憲法違反を理由にするのは、これは甚だしく矛盾した発言であり、それに納得する人がいるとしたら本物のバカだと思います。「解釈の変更」によって徴兵制の可能性を否定する根拠は失われたとは言えるでしょう。

 そして知ったかぶり連中の決まり文句として、「高度化した現代の戦争では訓練を受けていない一般市民を徴兵しても意味がなく、徴兵制はあり得ない」云々と引かれています。ふむ、徴兵制を敷く国としてはロシアや北朝鮮、韓国に一応は中国、意外なところでシンガポールやフィンランド、そして世界最悪の侵略国家であるイスラエルなどが挙げられます。この国々の中には日本が敵視している国も含まれていますが、意味がないとされる徴兵を続けている国の軍隊は「高度化していない」ということでしょうか。そうであるならば、日本はもう少し軍備を軽くしても良さそうなものですね。

 

民間船:有事の隊員輸送 船員を予備自衛官として戦地に(毎日新聞)

 尖閣諸島を含む南西諸島の有事の際、自衛隊員を戦闘地域まで運ぶために民間フェリーの船員を予備自衛官とし、現地まで運航させる方向で防衛省が検討を始めた。すでに先月、2社から高速のフェリー2隻を借りる契約を結んだ。太平洋戦争では軍に徴用された民間船約2500隻が沈められ、6万人以上の船員が犠牲となった歴史があり、議論を呼びそうだ。

(中略)

 同省防衛政策課は、「予備自衛官になるかどうかを決めるのは船員本人で、強制できない」と強調。予備自衛官になるよう船員が強いられるおそれについては「会社側の問題で、省としては関知しない」としている。装備政策課は「有事で民間船員の予備自衛官が乗り組めば、操船技術は格段に安定する。船を操れる者と、自衛官の感覚を持つ自衛隊OBの双方が乗るのが好ましい」としている。

 

 なお、戦前も戦後も一貫する日本の戦争観として「兵站は軍事行為にあらず」みたいなものがあるように思います。前線で撃ち合うことの方に執心して後方支援に目が向いていないのは、戦前も戦後も同じ、ことによるとタカ派とハト派さえも相通じているところがあるのではないでしょうか。しかし後方支援もまた戦争の一環として、これが欠ければ先の戦争よろしく闘う前に死ぬ兵士が多数派を占めるという愚劣極まりない事態にも繋がります。そして紛れもない戦闘行為としての後方支援活動にも現代は批判の目が向けられるべきでしょう。この分野においては民間の技能者こそが、「高度化した」現代戦において戦力として価値を見出されることもあります。事実上の徴用に繋がる可能性について防衛相曰く「会社側の問題で、省としては関知しない」とのこと。実質的に強制であることを認めないのは、日本のお家芸ですから……

 率直に言えば徴兵制の必要性が出てくる可能性は低いように思いますが、そこから徴兵制を論じるのは日本国が合理的な判断をすると仮定した場合に限られます。むしろ合理主義の否定こそが日本の国是のようなもの、我が国の政治家は現実に目を背けてでも己の理想を追うものではないでしょうか。民主党や共産党からも賞賛される小泉純一郎は「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と語りました。そうして日本を世界経済の成長から取り残された孤高のガラパゴス列島にすることに成功したわけですが、合理性を重んじる政治家が権力を握っていれば、結果は全くの逆であったことでしょう。しかし理想を追う日本の政治家は、実利を伴わずとも自らの妄想で現実を上塗りしていくことの方に熱心なのが普通です。

 「(徴兵制は)意に反した奴隷的な苦役だと思わない」と、石破の発言が伝えられています。こういうロマンチシスト以上に危険なものはありません。必要性の有無よりも「こうしたい」という思いこそが政治家を突き動かすものであり、石破のような夢想家が権力を握れば、それは実行へと近づくわけです。実質的には強制的な徴用であろうとも、現実に目を向けたがらない人間は「意に反した奴隷的な苦役だと思わない」と。そうして、あたかも本当に人々が「自らの意思で」軍隊に協力しているかのごとくに現実をねじ曲げて解釈してしまうと言えます。そうなると、必然的にハードルは下がりますよね。

 そもそも集団的自衛権云々が取り沙汰される以前から、自衛隊とは日本で最も人気のある研修期間でした。多くの企業経営者は自社従業員に自衛隊員のようであって欲しいと願うもの、新入社員を研修のためと称して自衛隊に体験入隊させる会社は何ら珍しい存在ではありません。自衛隊生活を経験させることがビジネスマンとしての能力を養う上で有意とは思えませんけれど、それでも会社の偉い人達は社員を自衛隊に送りたがるわけです。合理性がなくとも、日本人はやりたいことをやる、やらせたいことをやらせます。非武装の「普通の」公務員とは裏腹に武装した公務員である自衛隊員の扱いは賞賛一色、徴兵制に合理性などなくとも自衛隊を範とする空気が高まれば、それが政策に反映される可能性も出てくることでしょう。国民を「自衛隊員のように」教育する等々。

 そもそも徴兵制の可能性は、何も批判的な立場からばかり示唆されてきたものではありません。「ない」と取り繕う側の自民党も持ち出したことは何度となくありましたし、自民党の候補を破って当選した政治家の口から聞かれることも珍しくない、防衛省から同質の計画が漏れたこともあります。狙いは論者により様々ですが、決して冒頭に引用した中で語られているような理由で、その可能性を否定できるものではないことは確かです。徴兵制を敷くことがプラスになる日は訪れないでしょうけれど、損得を省みず改革に邁進するバカ政治家は無尽蔵に存在していますし、それなりの支持を集めてもいますので……

 

自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ(共同通信) 2011年3月

 自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。これを基に議論を進め、05年に策定した改憲草案に修正を加えて、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される5月までの成案取りまとめを目指す。

(中略)

 論点では「国民の義務」の項目で、ドイツなどで憲法に国民の兵役義務が定められていると指摘した上で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」と記述。

 

40代職員は自衛隊に体験入隊を 橋下知事が検討(産経新聞) 2008年6月

 大阪府の橋下徹知事は17日、同府和泉市の陸上自衛隊信太山駐屯地を視察。「自分を律することが公務員に必要」と感想を述べ、40歳代の職員を対象に自衛隊の体験入隊を検討することを明らかにした。

 

「徴兵制あってしかるべき」 東国原知事が持論展開(朝日新聞) 2007年11月

 宮崎県の東国原英夫知事は28日、宮崎市の知事公舎であった若手建設業者らとの懇談会で「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と述べた。記者団に真意を問われた知事は発言を撤回せず、「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」と持論を展開した。

 

防衛省、人材確保に民間からの「レンタル移籍制度」(読売新聞) 2007年8月

 防衛省が、民間企業の若手社員を自衛隊に2~3年の期限付きで入隊させる「レンタル移籍制度」の創設を検討している。

 人材確保策の一環だが、背景には自衛隊の若手教育に対する企業側の期待もある。同省は、今年度中にも民間企業などに意向調査を行い、試行につなげたい考えだ。

 

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自主性を強いられるのは嫌なもの

2014-08-12 23:20:56 | 雇用・経済

若者応援企業:24歳女性「パワハラ」提訴 賃金など求め(毎日新聞)

 厚生労働省が勧める若者応援企業に就職したがパワハラなどがあったとして、神奈川県在住の元会社員の女性(24)が7日、会社と派遣先などを相手取り、賃金や慰謝料など約500万円の支払いを求め東京地裁に提訴した。代理人の弁護士は「厚労省が推奨するから若者は信用する。企業の登録はもっと慎重であるべきだ」と話す。

 女性が訴えたのは、コンピューターのシステム設計などのIT会社「LIFECREATIONS」(東京都港区)と派遣先の「富士ゼロックスシステムサービス板橋事業所」(同板橋区)など3社。

 訴状などによると、女性は2013年11月、若者応援企業のL社に1カ月の研修を受けて入社、別の会社経由で富士ゼロックスに派遣された。研修中の休みは1日で、270時間行われたが賃金は支払われなかった。L社は代理人らに「研修は任意の参加」と話しているという。

 また、女性は研修後すぐに富士社に派遣され、高度な知識の求められるシステム開発の仕様書作成を命じられた。具体的な指導はなく、パワハラやセクハラ発言を受け、長時間労働も続いた。2カ月勤務した後、適応障害で働けなくなった。

 

 ここで名前の挙がっている「若者応援企業」とは、結局のところハローワークの求人なんですよね。マトモな仕事を探したかったら、ハローワークは使っちゃダメです。「若者応援企業」は、企業が正社員の求人をハローワークに出す際、教育制度があることや労働法に違反していないことを条件に認定されるものということですが、ハローワークは求人の内容の真偽など確認したりはしないものです。時には業務内容が普通に非合法である求人もあれば、ハローワークに紹介された就職先で金銭を騙し取られたなんて事例も普通にあります。ハローワークは、失業給付の受け取り以外で利用してはいけません。

 正直なところ虚偽の認定をしたハローワークにも責任は問われるべき、責任者の処分や業務停止などの措置が取られてしかるべきものと思われますが、まぁ原告にとっては高い授業料となったようです。ちなみに他紙の報道によれば派遣先での基本給は18万円で、200時間まではみなし残業とされたとのこと、こんな就業環境であろうと「若者応援企業」という認定を与える公的機関って、いったい何なのでしょうか。利用者を陥れるような自浄能力を欠いた公的機関こそ解体の対象として真剣に検討されても良さそうなものです。

 ちなみに研修期間は1ヶ月、研修中の休みは1日で270時間行われたが賃金は支払われなかったと伝えられています。これに関して「若者応援企業」の回答は「研修は任意の参加」なのだとか。なんと言いますか、何かに連れ日本という国は「強制」とは考えたがらない、何事も「任意の参加」であったことにしたがる性質があるように思えてきます。それは誰がどう見ても強制だろうとしか言えない事例でも、日本人の口を通すと「強制はなかった、自発的なものだ」ということになってしまうようです。果たしてその任意、自発的な行動を取ったとされる当人に選択の自由は与えられていたのでしょうか。あるいは募集の段階で騙しはなかったのでしょうか。その辺から目を背けたがるのが日本の文化だとしたら、何とも嫌なものです。

 

すき家、最大940店舗で深夜営業休止 ワンオペ解消へ外国人採用拡充も(フジサンケイビジネスアイ)

 全国で2000店舗あるすき家で、現時点でワンオペがある店舗は、半数近い約940店舗もある。近隣の店舗から応援を出したり、アルバイトの勤務店舗を変更したり、外国人留学生の採用を拡充させたりといった手法をとる予定だ。「それでも(940店の半分の)460~470店は深夜営業を休止することになる」(小川会長兼社長)という。最悪の想定では、940店舗で深夜営業を休止するという。

(中略)

 小川会長兼社長は「すき家ではクルー自らが生産性を上げようと努力し、その結果、牛丼最後発企業が外食産業のトップになった」と分析。その中で、「ステージは変わった」ことを実感し、「企業としての社会的な責任を果たし、あるべき形を作っていく」ことを打ち出した。従業員の自己啓発を支援するための福利厚生の見直しなどの検討に入った。

 

 ……で、こちらは牛丼業界最大手のゼンショーの話、人手不足解消に外国人採用を拡充するとのこと。日本人を絞り尽くしたら今度は外国人を食い物にするつもりでしょうか、吐き気をもよおす邪悪といった趣ですけれど、そういう手法で店舗数№1に上り詰めたのですから、それも日本の社会に適したやり方だったのかも知れません。願わくは、遠からぬ内に破綻して欲しいものです。安倍内閣も外国人労働者の受け入れなどと称してこの手の企業が延命できるような環境作りに走るのではなく、日本の恥とも呼べるような企業が淘汰されるような路線を取ってもらいたいですね。

 上の画像は映画「十二人の怒れる男」からの一幕です。一方、上に引用しましたゼンショーの社長に言わせれば「すき家ではクルー自らが生産性を上げようと努力し」云々とのこと。このところは折に触れて言及してきたわけですが、日本ではアルバイトや派遣社員のような報われない末端の労働者までもがマネジメントの視点を持って働いています。労働者だからと言って給料分だけの働きしかするつもりはない、上から命じられたことを処理するだけ――それでは済まされないのが日本の職場です。時給1000円にすら満たないアルバイトでも、経営幹部と同じ視点に立って組織のことを考えていかなければならないのです。

 こうした文化のせいか、日本では「上」に行くほど頼りにならないところもあるように思います。上の人間は命じるだけ、要求するだけ、結果を出すのは「下」の仕事になっている、本当に頭を使って努力するのは下の人間ですから。「下」が頭を使わないで「上」から指示されただけのことしかやらないような社会では、当然ながら「上」の采配能力が問われます。しかし「下」が頭を使って何とかするのが当然視される日本社会では「上」の能力が問われる場面は必然的に少なくなるわけです。どこの会社でも「この人の言う通りにしておけば何でも大丈夫」と思えるような上司には巡り会えないもの、逆に「自分で何とかしなくちゃ」と覚悟を決めなければならない場面の方が普通なのではないでしょうか。頭は会社なんかのためではなく自分のために使いたいものですが。

 

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日本なら、日本のこととは考えない

2014-08-10 23:03:54 | 社会

中国で米現法が期限切れ食肉を卸売り―マックなどが納入停止(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 【北京】上海にある米国系食品会社が、消費期限を過ぎた鶏肉や牛肉を市内のファストフード・レストランに卸していたとの疑惑が発覚した。マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン(KFC)、ピザハットなどが納入を停止し、食品会社は謝罪に追い込まれ、直ちに改善策を講じると約束した。

 この食品会社は、米食肉大手OSIグループの中国現地法人「上海福喜食品」で、地元メディアが消費期限の切れた食肉を販売していると報道。OSIは、福喜の経営陣が報道にショックを受け、顧客や消費者に謝罪したことを明らかにした。OSIは「上海市当局の調査に全面協力するとともに、社内にも調査チームを編成し内部調査を実施する」と発表した。

(中略)

 米ジョージア大学食品安全・品質強化センター部長のマイケル・ドイル教授は、「今回のスキャンダルは米国の食品加工業者全体に対する疑念を呼び起こすだろう」とし、「食品業界ではどう見られているかが、そのまま現実にはね返る」と警告する。

 

「毒食肉」の源はアメリカ?(ニューズウィーク)

 中国と日本、アメリカのファストフードチェーンに使用期限切れの鶏肉と牛肉を販売し、多くの取引先と消費者を激怒させた上海の上海福喜食品。ケンタッキー・フライドチキンやピザハットを傘下に持つ米ヤム・ブランズなど大口顧客を次々と失うなかで先週、同社幹部ら5人が刑事拘束された。

 これを受け、上海福喜食品の親会社である米イリノイ州の食材卸大手OSIグループは声明を発表。「心からおわびする。再発防止に全力を挙げる」と謝罪した。シェルダン・ラビンCEOは一連の問題について、「絶対に許されないことで、衝撃を受けている」と強調した。

 しかし、OSIの問題は上海福喜に限ったことではなさそうだ。先週まで6年間、ウェストシカゴにあるOSIの巨大な食肉加工工場で働いていたローザ・マリア・ラミレスは「床に落ちた肉を拾って生産ラインに戻すのは日常茶飯事」だった、と言う。

 

 この辺、日本でも盛んに報道されているところですが国内報道と海外報道では温度差があると言いますか、専ら日本では「中国製の」食品問題として語られている一方、アメリカの報道では問題の発覚した工場の親会社である中国資本ではない企業にも批判の目が向けられています。かつてJTが中国の工場で作らせていた冷凍餃子に毒物が混入された際にも顕著でしたね。日本国内の報道では専ら「中国産の加工食品が」という取り扱いでしたが、海外報道の多くは「JTの冷凍餃子が」と伝えていたものです。

 食品の安全問題は頻繁に取り沙汰されるものですけれど、何らかの問題が国内で起こったときと国外で起こったとき、その受け止め方に違いが大きいとなると「都合のいい話だな」と思わざるを得ません。中国の特定の工場で偽装なり混入なり期限切れの出荷なりが起こったとして、その後に中国政府なりが「(その他の)中国製の食品は問題ない」と見解を発表したとしましょう。こういうのに日本人の多くは疑心を抱きがちですが、では日本の食品工場が安全性を脅かす問題を起こしたとして、日本からの輸出品目全般が周辺国の市場から敬遠された場合を想定してみてください。そこで日本政府が「(その他の)日本産の食品は問題ない」と説明した場合はどうでしょうか。

 直近ではマルハニチロ――の委託先であるアクリフーズ――での毒物混入事件がありましたが、大多数の日本人はこれを特定メーカー/工場/製品の問題と捉え、日本国内で生産された食品全般に嫌疑を向けるまでした人は決して多くなかったはずです。それは間違っていないことですけれど、しかるに中国なり外国の特定の工場で問題が発覚した場合の対応はというと、どうにも特定企業の問題とは考えたがらない、当該の「国」全体に疑いの目を向けることを当たり前のように感じている、そんな人が目立っているように感じます。

 問題を起こした中国工場の親会社である米OSI社にも色々と問われているようですが、かつて中国で製造された冷凍餃子にメタミドホスが混入された時に、それを作らせていた日本の会社に批判の目が向けられることはどれだけあったでしょうか。どうにも「悪いのはアイツ」と我が身を省みず他人を咎め立てすることに馴れきっている我が国ですが、色々な意味で大人げないなと思いますね。食の安全にはうるさいように見えて、あれが良くないこれが危ないと出鱈目にダメ出しするばっかりで必ずしも的の方を向いていない、そんな印象も拭えないところです。

 

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