非国民通信

ノーモア・コイズミ

労組を見たことはありますか?

2019-12-29 22:01:53 | 雇用・経済

労組の組織率、過去最低の16%台に パート推定組織率8.1%で変わらず(毎日新聞)

 労働組合の組織率が今年の推計で16.7%になり、9年連続で過去最低を更新した。厚生労働省が19日公表した労働組合基礎調査で明らかにされた。全国組織である連合は結成30年を迎えたが、労組の縮小が進む。

 組織率は全労働者に対する労働組合員の割合を示す数字で、2012年調査から17%台だったが、今年6月末現在の状況を全労組に聞いたところ、前年より0.3ポイント下がり、初めて16%に落ち込んだ。

 

 さて表題の通り労組の組織率が過去最低を記録したそうですが、残念でもないし当然と言ったところでしょうか。まぁ、日本の企業内労組はユニオン・ショップ制を基本としていますから、組織率=労組の存在する会社の割合みたいなものです。そうすると、8割超の人は組合のない会社に勤めている、組合なんて見たことがない方が普通と考えられます。ならば、この組織率の低さを評価する材料を持っていない人も多いのかも知れません。

 現代日本において、組合は存在しない方が普通です。組合とはどんなものか、現物に接したことがない人の方が圧倒的に多いと言えます。だから組合の実態よりも、経済誌やネット言論に書かれるような偏見まみれの組合イメージで物事が判断されがちなところもあるのではないでしょうか。なにせ下手をすれば組合員より外国人と接する機会の方が多そうなのが現代ですから。

 もっとも、労組のない企業において労使協定を結ぶ立場にある「(労働者の)過半数代表者」に比べれば、まだ実在が確認できる分だけマシな気はします。私自身が渡り歩いてきた勤め先もまた組合が存在しない方が一般的で、そうした会社に正社員として雇用されていたこともありますが、この「過半数代表者」というものを見たことは一度もありません。きっと、法律の条文にのみ存在する幻獣みたいなものなのでしょう。

 それはさておき、組合など存在しない会社の方が普通です。だいたいの人は、組合のない会社で働いています。組合とはどんなものか、直に接する機会がないまま生涯を終える人が多数派なのです。組合の組織率が高くあるべきか低くあるべきか――それを考えようにも、実物を見ることができない珍獣が相手では、難しいところもあるのではないでしょうか。

 ただ一口に組合と言っても、だいたい3種類くらいに分けられるように思います。特定企業に属さず個人加入を中心とする例外的な組合、企業との対決を辞さず「連合」から排除された少数派組合、民主党の支持母体として労使協調の理想を追う御用組合、最大勢力は3つめの連合であるわけですが、この連合にしてもあくまで組織率16%の中の最大勢力に過ぎない、と。

 意図して少数派あるいは例外的な組合へ加入しようとしない限り、遭遇する可能性が圧倒的に高いのは御用組合の連合です。私も今はそんな企業内労組に加入しているのですが、組合員として過ごして感じたのは、組合と町内会、あるいはPTAって似ているな、というものだったりします。まぁ私自身はPTAに加入したことはないので、そこは人づてに聞いた話を含めてですけれど。

 自分の勤務先の多数派労組の特徴として挙げられるのは、「事実上の強制加入」「会費が結構高い」「よく分からない組合費の使途」「一部で盛り上がっているだけのレクリエーション活動には熱心」「(民主党候補への)寄付金集めには熱心」「いつも役員の押し付け合いが起こる」「未加入者への嫌がらせに熱心な人がいる」「人事部から組合幹部へ定期的に『寸志』が渡されている」等々でしょうか。この辺、町内会やPTAでも似たようなものがあると思うわけです。

 町内会やPTAもそうであるように、企業内労組もまた本来の目的を忘れ、一部の人が張り切っては周りを振り回すだけの厄介者になっている印象は拭えないところです。企業内労組が存在すれば同業他社より給与水準が高いかと言えば、そんなことはありませんし、企業内労組があってもパワハラや退職強要はなくならない、企業内労組の存在意義ってなんなのでしょうね?

 今の勤務先は、転職エージェントの人から「組合の強い会社(の子会社)」として紹介されました。ただ、この「強い」とはどうやら、経営側に対して「強い」という意味ではないようです。何に対して「強い」かと言えば従業員に対して強い、人事部を後ろ盾に各部署にヤミ専従の組合役員が闊歩する姿は間違いなく「強い」組合ですが、じゃぁ従業員の不利益となる決定を会社が下したときに戦ってくれるかと言えば、労働者側の代表として合意するだけだったりします。こういうのを見ると、少なくとも多数派労組に関しては既に歴史的使命を終えているのだな、と感じるばかりですね。労組の組織率もさることながら、労組の世界の政権交代もまた意識されるべきだと思います。

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黒字と借金

2019-12-22 21:54:25 | 政治

 当たり前のことですが、誰かがお金を貸すということは、誰かがお金を借りると言うことです。逆もまた然りで、誰かがお金を借りるということは、誰かがお金を貸すことを意味します。勿論お金を物理的に裁断したり焼却したりすることはできますけれど、原則としてお金は持ち主が変わるだけで、なくなったりはしないものです。

 また「貸す」という言葉こそ使われませんけれど、銀行に「預ける」という行為もまた同様です。借りるのではなく預かっているだけ――ということはなく、銀行は貸し手の求めに応じて返済する義務を負いますから、要するに預金者に借金をしているのと同じ意味合いを持っているわけです。預金残高の多い銀行は、それだけ借金が多いと言うことができます。

 もし預金者から借りた金を銀行が自らの収益で返済しようとしたのなら、それは即座に不可能であることが分かるでしょう。ただ、預金者サイドからすれば返済されても困るので、銀行には資金がプールされている、それだけの話です。預金者が引き出そうとする金額だけを返しているのが銀行という代物ですけれど、だからといって銀行の返済能力を疑う人はいません。

 さて一般会計が公表されると決まって「借金が~」と連呼する人が現れます。銀行であれば預金者から借りている金額の多い方が社会的信用は高いようですが、政府に対しては別の見方をしたがる人が多いのかも知れません。しかしまぁ、銀行から急にお金を返されたら預金者は困るわけです。国債を買っている人もまた、似たようなものではないでしょうか。

 誰かが借金をするということは、別の誰かが貸している、ということです。借金が増えれば、それだけ他の人の貸し付けが増えることを意味します。そこで借り手と貸し手の間のパワーバランスは変わる可能性はあるとしても、お金が増えたり減ったりはしません。この辺は、借り手が日本国政府であろうと何ら異なるものではないわけです。

 金融機関の取り付け騒ぎは、経営破綻するという噂や不確実な情報、デマが引き金になることが多いと言われます。ならば現代は日本国政府を相手に取り付け騒ぎを起こそうとしている反政府勢力の活動が目立つとすら思えてきますが、いかがなものでしょうか。銀行が預金者から借りているお金を返済すれば、その銀行の経営が健全化されると考えるなら、日本国政府の借金も同様なのかも知れませんが。

 財務省やIMFと違って、市場は嘘を吐きません。世界のどこかで金融不安が起こると、決まって「安全な通貨」として日本円が買われ、円高が進みます。世界の金融市場では、日本の通貨は信頼できるものであり続けているようです。日本国政府の借金は増え続けていますが、それは銀行が預金者から借りる金を増やしているのと同じようなものと市場からは見られているのでしょうか。

 なお日本国政府が借金を増やす一方で、日本国の経常収支は大幅な黒字が続いています。経常収支が黒字になりやすいのは新興国であって、一般的に先進国の経常収支はあまり大きくならないのですが、日本は近隣窮乏化政策の総本山たるドイツに次ぐ経常収支の黒字大国だったりします。もう日本は先進国から離脱しているのではないかという話はさておき、「国民一人当り○○万円の借金が~」みたいな言説とは大きく矛盾していますね。

 しかるに経常収支が黒字なら豊かな国かと言えば、そうでもないわけです。例えば収入が20万円で支出が20万円の暮らしと、収入が40万円で支出が40万円の暮らし、豊かなのはどちらでしょう? 日本国を家計で例えるなら、収入が20万円で支出が19万円、一方のアメリカは収入が40万円で支出が41万円みたいなものです。ではこの先の日本国及び政府がどうあるべきかを思うと、少なくとも緊縮財政は違うだろうな、と。

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日曜祝日くらいは休ませろ

2019-12-15 22:06:34 | 雇用・経済

 さてコンビニ業界でもようやく、元日を休業とする動きが出てきたことが伝えられています。正月前後に色々なモノが壊れ急遽買い出しが必要になった経験はないでもありませんが、とはいえ元日の休業くらいは許容されてしかるべきでしょう。(実質的なものも含めて)従業員を支配することを重視する日本的経営の観点からすれば苦々しいことかも知れませんけれど、負担ばかり重く収益は小さい元日営業に合理性は乏しいですし。

 なお元日に限らず、もう少し休ませた方が良いのではないか、と思われる類は他にもあります。例えば、建設業ですね。とりわけビル等ではなく個人宅を建てるタイプの「職人」には、もうちょっと休日を与えるべきではないかと強く主張したいです。

 どうにも、そういう星の下に生まれついているのか私の住む周囲では工事が多いです。東西南北どこかで古い家が取り壊されては新しい家が建てられ、そこに若い夫婦が引っ越してきては夫の方が転勤になる――何はともあれ自分の住居の隣で家が建つまでを数限りなく眺めてきました。そして気づいたのは、家を建てる仕事は、決して土曜日を休みにしないことです……

 先月は勤労感謝の日という祝日が、土曜日にありました。現代では国家神道を由来としない祝日は専ら月曜日に移されていますが、新嘗祭の日は月曜日に移されることなく、今年は土曜日に重なったわけです。これほどの神聖な祝日にも関わらず、私の住居の隣で家を建てる人々が休むことはありませんでした。どうにも業界の掟で、土曜日は絶対に休まないようです。祝日である以前に、結構な雨でもあったのですが。

 江戸の職人は、やれ暑いから、やれ天気が悪いからと、ことある毎に仕事を休んだと伝えられます。それに比べて平成や令和の職人は、休むことを知りません。土曜日でも、祝日でも、荒天でも、建設現場は大賑わいです。しかも年内の引き渡しに向けたラストスパートなのか、今週は日曜日も威勢良く作業を続けています。なんとも、ご苦労なことですね。

 そして巷の会社は9時からの始業が多数派でもあるわけですが、家を建てる人々の朝は早いです。だいたい8時くらいからが多いですけれど、もう少し早くに現場に来て作業を始めるやる気に満ちた職人も多い、最近はやはり年内の引き渡しに向けた追い込みなのか、7時頃からバリバリ、ガンガンと作業を始める日すら増えてきました。そんな朝の早い時間から、何ともご苦労なことです。

 隣で家が建つのを眺める人生を送ってきた私としては、土日くらいは休ませて欲しいと思います。年内の引き渡しができなくても、別に構わないですよね? 週休2日にはほど遠い職場も多いですけれど、土曜と日曜はちゃんと休めるようにすべき、最低限、祝日ならば休めるようにすべきでしょう。それから、現場への出勤時間は9時くらいにしてやって欲しいところです。さらに加えて言うならば、私が体調を崩して寝込んでいるときは、平日でも休ませて欲しいと切に願います……

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自由律俳句8

2019-12-14 22:11:58 | 文芸欄

 

生活道路の渋滞には先頭がある

― 管 理人 ―

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民主と報道

2019-12-08 23:02:09 | 政治

 先週の政治界隈では「桜を見る会」についての報道が目立ったわけですが、この辺の影響はどうなのでしょうか。問題そのものへの評価では現・首相側に否定的なコメントが多いようにも見える一方、結果として与野党間の支持率に大きな変動をもたらしているかと言えば、必ずしもそうとは言えないようです。

 世の中には、報道されるものと、されないものがあります。あるいは、報道されるものにしても繰り返し大きく取り上げられるものもあれば、小さく一度きりの掲載に止まるものもあるわけです。例えば、地方の首長選でも民主党系諸会派(以下、民主党と略)が自民党候補に対抗馬を立てれば報道は熱を帯びますが、共産党以外の与野党相乗りでは結果が小さく報じられるだけで終わる等々。

 とかく野党には「何でも反対」のイメージがつきまといます。これはまさしく偏見というもので、実際は与党と共に歩む場面の方が多い、何ら反対することなく粛々と進められている物事も多いわけです。ところが、報道の量と実際の活動の量は比例しません。大きく取り上げられるのは専ら、民主党が与党に反対しているときだけ、です。

 この結果として、民主党には実態と異なるイメージが国民の間に植え付けられることになります。例えば地方でどれだけ自民党・公明党の推す候補に相乗りし「与党として」活動していても、その報道は小さく、まれに対立候補を立てれば大きく報道される等々、この結果として「自民党の対抗馬」のイメージを獲得しているのが、その一つです。

 国会でも(往々にして共産党を除いた)与野党間で争点のない問題は報道からスルーされる一方で、民主党が反対を唱えれば否応なしに報道機会は増すわけです。これでやはり「自民党の対抗馬」としてのイメージが作られる反面、「何でも反対」しているかのような印象もまた広まっていると言えます。概ね報道によって民主党が得をしている気はしますが、全てがプラスと言うほどでもなさそうです。

 「桜を見る会」の問題も然りで、これ自体は首相や与党関係者の緩さに擁護の余地はありません。だからと言って与野党の支持率に大きな影響を及ぼしていないのは、この問題を追及したところで国民の生活に何か良い影響があると感じる人がほとんどいないであろうことと、そういう問題に「ばかり」野党が熱心であるとの印象を振りまいていることが考えられます。

 もちろん、「桜を見る会」の問題以外にも国会議員の活動は多い、民主党議員だって「他の」問題にも少なからず取り組んでいることでしょう。ただ報道を通して政治を見る一般の国民にとっては、民主党が専ら「桜を見る会」問題の追及にばかり注力しているように感じられるはずです。これが与野党の支持にどう影響しているのか、報道の影響はプラスでもマイナスでもあります。

 我が国において政策的な誤りは政治家のキャリア上の躓きとならない一方、金銭や交友関係のスキャンダルは政治家にとって致命傷になります。「桜を見る会」の問題は(民主党政権時代もガバガバだった云々に目を瞑れば)首相や側近を追い落とす好機にもなるのでしょう。ただ与党のイメージダウンにつなげることこそできても、「ならば次は民主党に」と投票先を変える決意をする人が出てくるかと言えば、ここは別問題なのだと思います。

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日本の縮図かどうかは分かりませんが

2019-12-01 21:43:02 | 雇用・経済

 私の勤務先ですが、営業社員の約3割が東京本社に勤務しています。そして残りの7割が、全国の地方拠点に勤務しています。一方で売上については東京エリアの伸びが突出しており、2019年度の上半期は東京の営業だけで全社の受注の70%に到達しました。東京の3割の営業が7割を稼ぎ出し、地方の7割の営業が3割を販売する――皆様のお勤め先はいかがでしょうか。

 もっとも私が入社した頃は、ここまでではありませんでした。東京本社に勤務する営業社員は2割程度で、その全社に占める売上比率も4割に届くかどうかという水準だったのです。そして当時から会社全体の人員はあまり増えていないのですけれど、東京に勤める営業社員の受注が伸びていくのに従って、全社の売上も順調に伸びているようです。

 人を増やさず業績を伸ばしているのですから、まぁ上手く行っているように見えるのかも知れません。ただし、地方の拠点は閉鎖が相次ぎ、地方拠点の営業社員一人当りの売上は伸びていなかったりします。ひたすら、東京の営業だけが会社を引っ張っている状態です。そうした面では一概に、上手く行っているとは言いがたいところもあります。

 東京本社に君臨する営業部門のトップは、東京エリアの傑出した伸びを「自分の指導の結果」と信じ、「東京のやり方を地方に展開する」と称して東京勤務の営業社員を次々と地方に転勤させています。しかし、東京で顕著な売上を達成したはずの営業社員が地方に行くと、会社の思惑とは裏腹に営業成績を大きく落としてしまうのが常だったりするわけです。

 そうして地方に移って数値を落とした営業の姿を見て、我らが部門長は肩をすくめて語ります――「○○はもう一度、こっちで指導してやらなきゃダメだな」と。実際のところ、地方で成績を悪化させた営業社員が東京に戻って再び大きな受注を取ってくることは珍しくありません。やはり部門長の直々の指導あってこそ、と会社では考えられているのですが、どうしたものでしょう。

 東京の営業ばかりが傑出した成果を上げ、地方の営業は低迷している、東京の営業を地方に送っても成果は乏しく、地方の営業を東京に連れてくると劇的に数値を伸ばす、この原因を会社では(東京の)トップ層による指導機会の差に求めています。ただ私には、東京本社の偉い人との接点ではなく、顧客層の違いにこそ原因があるように感じられるところです。

 比較的少額の商材を主力としていた過去の時代は、東京と地方の営業で極端な受注額の差はありませんでした。なぜなら手頃な価格の商材であれば「地方にしか拠点のない中小零細企業」も十分な顧客となっていましたし、「大企業の地方拠点が持っている決裁権の範囲」でも取引がまとまったわけです。これなら、地方と東京で大きな差は付きません。

 ところが会社の売上目標が引き上げられ、取り扱う商材も高額なものが増えるにつれ、「東京だけが伸びる」傾向は顕著となりました。「地方にしか拠点のない中小零細企業」にとって私の勤務先が重点商材と位置づけるサービスは完全にオーバースペックでしかなく、「大企業の地方拠点が持っている決裁権の範囲」では契約が難しい金額でもあったことから、地方の営業には重荷にしかならなかったのです。

 一方で「全国各地に拠点を持つ大企業の東京本社」を相手に営業をかけられる東京本社の営業社員にとって、商材の大型化は売上増大の絶好機でした。より規模の大きい顧客にアタックできるだけではなく、顧客企業の本社と契約できれば、当然ながら顧客企業の地方拠点の契約も同時に付いてくるわけです。これで東京エリアの営業の売上は倍増、しかし地方の営業は伸びが見られず……

 私の勤務先の例は、少し極端かも知れません。しかるに通信技術が発達し、情報化社会が進む中で、経済活動における地理的要素の重要性はむしろ高まり続けているのではないでしょうか。敢えて地方に進出するのは人件費の安さを当て込んだコールセンターみたいな代物くらいで、より成長性の高い産業ほどテナント料も人件費も高く付く東京に社屋を構えるものです。

 ただ現代の会社経営において東京に拠点を置くことが重要である反面、日本社会全体からすると東京への一極集中は既に限界を迎えています。上述の通り、通信技術の発達と情報化の進展は、この問題の解決とはなっていません。全国どこでも同じように仕事ができるようになるどころか、「東京にいないと」できないことの方が増えているわけです。

 この辺の解決方法に簡単なものはないのかも知れません。しかし最低限、現状に自覚的である必要はあろうと思います。東京の営業ばかりが大口受注を獲得し、地方の営業が売上を低迷させる姿を前に、「あいつ(地方の営業)は、やっぱり俺が直接指導してやらないとダメだな」みたいに語る会社の偉い人の姿を見ていると、頭が痛くなってきますね。

コメント (2)
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