非国民通信

ノーモア・コイズミ

勉強を教えている時間は短い

2014-06-29 22:56:48 | 社会

中学教諭:日本の教員働き過ぎ 1週間53.9時間で最長(毎日新聞)

 経済協力開発機構(OECD)は25日、日本を含む34カ国・地域の中学校教諭の勤務状況に関する調査結果を公表した。1週間当たりの勤務時間は日本が53.9時間と最長で、授業以外に部活動や事務作業に長い時間を使っていた。一方、自らの指導力に対する自己評価は極めて低く、参加国・地域の平均を大きく下回った。「仕事に忙殺されているうえ自己評価も低い」日本特有の教員像が浮かび上がった。

 2013年の国際調査「国際教員指導環境調査」(TALIS、タリス)の結果で、調査は08年以来2回目。日本の参加は今回が初めて。34カ国・地域にある中学校の教員と校長を対象に実施した。

 1週間当たりの教員の平均勤務時間は38.3時間。日本は最長の53.9時間で、そのうち部活動など課外活動指導が7・7時間と参加国平均(2.1時間)の3倍超。書類作成など事務作業の時間も5.5時間と参加国平均(2.9時間)のほぼ2倍で、これらが長時間勤務の要因だった。授業時間は17.7時間で、参加国平均(19.3時間)より短かった。

 

 OECDによる調査結果が発表されまして、各紙から概要が伝えられています。どこも着目点は同じようで、ここに引用した毎日新聞の見出しにもある通り日本の学校教員の労働時間の長さが第一に伝えられているところです。まぁ、この辺は周知のことと言いますか過去の調査からも知れているものであり、むしろ私であれば見出しには「日本の学校教員を取り巻く状況に改善なし」とでも書きたくなりますかね。今さらながらに言われずとも、問題の所在は既に把握されていたわけで、そこにメスを入れられることのないまま放置されており、何も良くなっていない――この点こそ伝えられるべきではないかと思います。

 もう一つ注目して欲しいのは、単なる労働時間の長さという学校教員に限らず日本社会全体に共通することではなく、反対に「時間をかけていない」領域の方ですね。働く時間が長いのは教師だけではない、それは日本のどこの職場でも同じようなもの、それはそれで大いに問題でありますが、一方で費やされている時間が「短い」分野もあるわけです。すなわち学校教員の場合であれば「授 業 時 間」であることが今回の記事で伝えられています。日本以外では本分と見なしている国が多いであろう授業時間が、日本の場合は短い、教師の労働時間全般が長いにもかかわらず、授業時間だけは国際平均より短いのです。

参考、必要とされていないから

 自分の小中学校時代を思い起こしても、専ら学校行事に向けて整列と行進の練習に明け暮れておりマトモに勉強を教わった記憶がありません。勉強とは、塾でやるものでした。とかく日本の大人は学力テストの点数に一喜一憂するものですけれど、では日本の学校で学力テストの対象となるような教科のために、どれだけ力が注がれているのでしょうか。カリキュラム一つ比較してみても、日本では体育だの道徳だの総合学習だのホームルームに掃除だのと、学力テストの対象にならない代物にばかり時間割が割かれており、諸外国のそれに比べて「勉強するところ」としての意味づけが際立って薄いことが分かります。

 学力低下だの脱ゆとりだの教育再生だのと声高に叫ばれているわけですが、学校教員の労働時間は長いままでありながら勉強を教える時間だけは短い、そんな状況を誰も変えていないようです。ならばやるべきことは簡単、勉強だけが全てではないとか人間形成とか下らないヨタを切り捨てて、勉強「以外」の時間を減らすことです。式典で国旗を掲げて国歌を歌わせている時間があるなら、ちゃんと勉強を教えるのが学校の役割ではないでしょうか。学校行事や道徳教育と言ったムダを徹底して削減して、もっとリソースが授業に回されるようにしなければなりません。

 まぁ、学校で勉強を教えない、勉強「以外」のことを重んじるというのはある意味で日本社会の縮図にも思われます。学校を出て会社に入っても、新人研修と称して仕事とはまったく無関係なことを強いられるなんてのは、至って普通のことですから。社員に仕事を教える代わりに穴を掘らせたり無人島で生活させてみたり、カルト宗教とそっくりの自己啓発セミナーを開催したかと思えば自衛隊に体験入隊させてみたり等々、それが日本社会における「教育」なのです。大人相手の教育だってこんな有様なのですから、子供を対象にした教育だって本来の役割とはまったく無関係な方向に暴走したって、何ら不思議ではありません。

 

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私なら新電力は選ばない

2014-06-27 22:22:32 | 社会

電気購入先、消費者の54%「乗り換え」検討 経産省調べ (日本経済新聞)

 電気の購入先を選べるようになると、消費者の54%が購入先の乗り換えを検討したいと考えていることが経済産業省のアンケート調査で分かった。購入先を選ぶときに重視するのは49%が「料金の安さ」と回答。下げ幅が5%以下でも、およそ半数の人が乗り換えを検討するという。

 今月成立した改正電気事業法で2016年に家庭向けの電力小売りが自由化される。経産省は4月上旬にインターネットを通じて1500人から回答を得た。全体の63%が小売りの自由化を「進めるべきだ」と回答。自由化に期待する項目としては回答者の79%が「電気料金の抑制」を挙げた。

 自由化後の電気の購入先の変更については「検討したい」と「やや検討したい」が合計で54%。変更に1週間かかると、47%が乗り換えをやめると回答した。契約手続きの簡略化が競争促進にとって重要との結果が浮かび上がった。

 16年以降は異業種の企業が多様な料金メニューを用意する見通し。回答者が最も興味を持っているのは「長期契約による割引」(63%)で、「時間帯によって料金が異なるメニュー」(55%)がつづいた。ガスや水道、通信とのセット割引には半数超が「興味がある」と回答した。

 

 経産省によるアンケート結果が発表されたそうですが、回答者は1500人と言うことで省庁がやるにしては寂しい数値のような気もしますね。曰く「インターネットを通じて~」とのこと、ここに集った1500人が平均的な人々なのか、それとも何らかの面で目立った関心を持った人々であるのか、その辺もまた問われるように思いますけれど、新聞社はその辺までは気にしないものなのでしょう。

 ともあれ回答上は消費者の54%が乗り換えを検討するということになっているわけです。ただし変更に時間がかかるならば47%が乗り換えをやめると回答したそうで、料金が安くなるなら検討しないでもないけれど、そのために面倒な手続きを踏まされるのなら別に良いかな、ぐらいなのでしょうか。この辺は電話回線――例えばNTTからKDDI乗り換えてみる――みたいな感覚が近いのかも知れません。

 1500人なんてネット上で呼びかければ簡単に埋まってしまう数値です。反原発・反東京電力・反福島な方々が賛同者を募って一斉にアンケートに回答すれば、結果は違ったのかも知れません。その場合はもっと強行に、何が何でも既存電力会社から乗り換えるという意思が示されたことでしょう。しかし今回の集計結果から見えてくるのは、引用元の見出しから受ける印象よりは随分と「緩い」意向が多いようです。

 なお購入先を選ぶときに重視するのは49%が「料金の安さ」で、回答者が最も興味を持っているのは「長期契約による割引」(63%)、「時間帯によって料金が異なるメニュー」(55%)とのこと。「長期契約による割引」には一般論として中途解約による違約金なども設定されるものですが、この辺は理解されているでしょうか。東京都が東京電力との間で結ばれた契約を一方的に破棄しようとして、当然ながら違約金の支払いを求められたこともありました。この場合は例によって東京電力側が悪玉視されたところですけれど、商行為として正当な請求はあるわけです。

 そして「時間帯によって料金が異なるメニュー」が挙げられています。まぁ今でも、時間帯によって電気料金が割安に設定されているプランは利用できますよね。電力需要のピーク時間帯と、需要の少ない深夜とでは料金が異なるもので、その辺を積極的に活用していきたいと考える回答者が多かったようです。しかし、時間帯によって料金が異なる中で、わざわざ電気代の高い時間帯を選ぶ人がいるでしょうか?

 事業者にとって好都合なのは電気代が安くなる時間帯、すなわち深夜です。時間帯別の料金設定がエスカレートするほど、事業者は深夜に操業した方がコストを削減できることになる、引いては日本社会に深夜労働を拡大させることにも繋がりかねません。3年ばかり前には震災と菅内閣の暴走によって日本全国に電力不足が広がる中、節電に協力すると称して平日日中の操業を土日や深夜にシフトさせるような動きも少なからぬ事業者に見られたものですけれど……

 なおアンケートでは専ら料金面ばかりが気にされている辺り、実際のところはどうなのかと首を傾げないでもありません。もうちょっと、供給の安定性とかは考慮されなかったのでしょうか。ほんの一瞬の供給の乱れで、製造中の精密機器は一瞬にして産業廃棄物の山に変わってしまいます。安いけれど安定性に疑問の残る電力会社と契約して、その不安定性を補うために自前の発電設備を増強する――みたいなことになったら完全に本末転倒です。

参考、自由が与えられていない電力会社もあるのですが

 トラブルなどで新電力の安定供給が難しくなった場合は、東電からの融通などがあり、送電が止まる恐れはない――東京都が電力調達先を東京電力から新電力へと切り替えた際には、そう伝えられました。新電力からの安定供給に問題が出た場合、結局は東京電力がケツを持つことになっているようです。いやはや、東京電力に同情するばかりです。本当に「自由化」というのならば、もうちょっと東京電力にも自由が与えられても良さそうなもの、しかし自由化とは真逆の制約ばかりが課されるばかりなのですから。

 まぁ、ある意味で日本社会は独特の電力会社への信頼感があるのかも知れませんね。原発を強行停止させて電力会社の事業を妨害しても、それでも電力会社は必要な電力の供給を続けてくれるであろうと、そういう責任の丸投げが続けられたのが悪夢の菅内閣時代でした。電力会社を信頼していなければ、とてもできないことです。能力のない電力会社であれば、行政による妨害が即座に停電の頻発を招き、国内産業をショートさせてしまうことになります。それでも日本の電力会社なら何とかするだろうという目論見があったのでしょう。今回の新電力への切り替えにしても然り、新電力が危ないことになってもそのときは東京電力など既存の電力会社な何とかしてくれるであろうと、そういう甘えがあるのだと思います。

 

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おまけ

 なお新電力に関しては色々とトラブルも多いと言いますか、悪質な事業者も目立つようです。

 

新電力:新規参入で実態不明の業者多く トラブルも(毎日新聞)

 東京電力福島第1原発事故後、電力会社に一定価格での買い取りを義務づける固定価格買い取り制度(FIT)の導入もあり、再生可能エネルギー市場が注目された。新規参入が相次ぐ中で、G社のケースのように太陽光発電事業などを巡るトラブルが目立ってきており、適正化に向けた対策が求められる。

 国連環境計画などの報告書によると、国内の昨年の再生可能エネルギーへの投資額は約3兆円で前年比80%の伸び。経済産業省によると、新電力会社の届け出は原発事故前の約45社から現在は250社を超えている。

 だが、届け出は書類審査のみ。事業内容などは詳しく調査されず、実態が不明な業者が多い。民間信用調査会社「帝国データバンク」の4月の調査では、新電力206社のうち事業実態が判明しない「未詳」に分類された業者は72社(35%)に上った。

 新電力会社を宣伝文句に使う業者もおり、ある新電力の代理店業者は「見せかけのために届け出だけしておく業者が多い」と指摘する。G社も新電力会社本来の電力供給事業は行っていなかった。

 太陽光発電事業を巡っては、投資を集めた長野県のファンド販売会社が今年5月、ずさんな資金管理を理由に金融庁から業務改善命令を受けるなどトラブルが絶えない。FITに関しても、固定価格が高いうちに発電計画だけ国に提出する業者が相次ぎ、経産省が2月、計画認定の取り消しに乗り出した。

 電気事業法の改正案が今月、国会で可決され、大口顧客のみに可能だった新電力による電力供給は16年をめどに一般家庭も含め全面自由化される。経済産業省の担当者は「これまでは門戸を広げるため、書類の不備がなければ、新電力の届け出を受理していた。全面自由化に合わせ、審査を厳格化し、実績のない業者を洗い流したい」と話している。【前谷宏】

 

 そして原発批判の文脈の中で、「利権が、利権が」と連呼して喝采を浴びた愚かな議員もいたものですが、原発であろうと太陽光発電であろうと、金が動く以上は何であっても利権は生まれますし、裏で金が動くことだってあり得るのです。

 

太陽光認定で経産省職員に10万円 新冠の牧場主 贈賄申し込み容疑で逮捕(北海道新聞)

 【新冠】再生可能エネルギーの「固定価格買い取り制度」の運用見直しに絡み、太陽光発電の設備認定が取り消しにならないよう経済産業省職員に現金を渡そうとしたとして、道警捜査2課と苫小牧署などは2日、贈賄申し込みの疑いで、日高管内新冠町万世、軽種馬生産牧場「ベルモントファーム」会長、川上晋容疑者(69)を逮捕した。

 川上容疑者は、太陽光発電を計画する東京都内の事業者に所有地の売却を予定。同省は事業が進まないことから、この事業者の認定失効を検討しており、道警は川上容疑者が失効を免れるよう便宜を図ってもらう目的があったとみている。

 

再生エネ固定価格買い取り、3月は7割増 太陽光発電の駆け込みで(北海道新聞)

 再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度で、認定を受けた太陽光発電設備の出力容量が3月に急増し、前月末までの累計から約7割増えたことが20日、分かった。実際の買い取りでは、設備認定時の価格が適用される。4月に買い取り価格が引き下げられたため、その前に認定を受けようとする駆け込み申請が集中した形だ。

 4月申請分から導入された認定取り消しの新ルール逃れの思惑もあったとみられ、事業者の意識が問われている。

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みんなもう飛び込みましたよ

2014-06-25 22:20:06 | 社会

嗚呼…残り2戦分の日本戦チケットも盗まれる(読売新聞)

 【サンパウロ=渡辺晋】W杯の日本初戦が行われたレシフェのグアララペス国際空港で、20代の日本人男性が窃盗の被害に遭ったと、在レシフェ出張駐在官事務所が16日(現地時間)、明らかにした。
  
 同事務所によると、男性は15~16日朝にかけて、友人数人と空港3階にある休憩所のソファで夜を明かしたが、目が覚めた時にかばんがないことに気づいたという。中には約500レアル(約2万3000円)の入った財布やパスポート、カメラ、ノートパソコン、残る2戦分の日本戦チケットなどが入っていた。

 サンパウロの空港でも、いすに置いた荷物が盗まれる被害があり、同事務所は「荷物から目を離さず、仮眠の際には必ず体に巻き付けるなどの注意を怠らないでほしい」と呼びかけている。

 

 W杯の日本代表に関しては概ねFIFAランキングを反映するような結果となりましたが、その裏ではこんなこともあったそうです。国外では日本の感覚が通じないところも当然あるのでしょう。もちろん日本でも置き引きとかはあるにせよ、日頃はあまりそのリスクを感じることはないのだと思います。しかし、ブラジルでは通用しなかったと。確かに日本でなら、椅子に荷物を置いたまま眠り込んでも盗まれる可能性は非常に低いです。じゃぁ日本在住者のモラルは高いのかと言えば、それまたちょっと特殊な感じもします。

 例えば花見などのイベントや飲食店での会計前の席取り行為などはどうでしょう。花火やお祭りなど野外でのイベントの際には事前にブルーシートなどを貼り付けてナワバリを主張する人が後を絶たず、これをモラルに欠けると非難する人もいます。セルフサービス式の飲食店でも、空席に私物を置いてから注文の列に並ぶ人が多くて、いざ会計を済ませて食べようとしたらどこの席もお嬢様方の荷物で埋まっているなんてことは頻繁にあるわけです。この辺も、マナーとしてどうなんだろうと思わないでもありません。

 そうは言っても、こうした席取り行為が成り立つのもまたモラルの高さ故と言いますか、要するに置き引きをする人がいないからです。ブラジルだったら、こういう身勝手な席取りに励む人は滅多にいないのではないでしょうか。私物を置いて席を離れれば盗まれる可能性が高い、盗まれても目を離す方が不用心だと考えられる、日本以外の国ではどこもそういうものだと思います。しかし日本では置き引きをする人がいないので、私物を置いて「ここは私の席」と主張する傍迷惑な人が後を絶ちません。モラルが高いのか、それとも低いのか……

 サッカー関係で言いますと、現地の日本人観客が試合後にゴミを拾ったとかで感心されるなんてこともあったそうですが、一方で試合後に盛り上がった人の中にはどさくさに紛れて痴漢行為を働いて捕まった輩もいたなんて話もあります。まぁ、試合を応援するフリをして実は騒ぎたいだけの人はどこにでもいるものですけれど、日本ですと周りが盛り上がっている場では簡単に箍を外して無礼講気分に他人を巻き込む人も多いような気がしますね。時にモラルが高いように見せかけつつ、その一方でモラルの決壊を垣間見せる、そんな一面も日本にはあるのではないでしょうか。

 誰か一人が行列に横入りすれば非難されるけれども、大勢で横入りすればそれが当たり前のこととして受け入れられ普通に横から入り込む列の方に人が並ぶ、そんなのは当たり前の光景です。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って奴ですね。先週は東京都議会で女性議員にセクハラに相当するヤジが飛んだとかで色々と取り沙汰されています。今となっては大きく問題視されていますけれど、しかしヤジを飛ばした段階ではどう思われていたのでしょうか。ヤジには舛添知事も笑ったと伝えられ、当人は周りに釣られただけでヤジの中身は聞いていなかったと弁明しています。本当のところはどうなのでしょう。

参考、コミュニケーション能力の高い人、とは

 日本社会で生きていく上で最も重視される「コミュニケーション能力」とは、要するに内容がなくとも盛り上がれる能力だと以前に書きました。興味深い話題にしか食いつけない人はコミュニケーション能力不足です。反対につまらないネタでも付き合って笑えるのがコミュニケーション能力というもの、ここでの舛添知事もまたコミュニケーション能力を発揮したのかも知れません。内容的に面白いものなのか眉を顰めるべきものなのかを斟酌するよりも、周りの空気に添った反応を示したわけです。

 そもそもヤジを飛ばした人もまた同様で、そういうヤジが許される空気を感じ取ってのことなのではないでしょうか。断じて個人の資質の問題でもなければ特定政党の問題でもないと認識されるべきものです。対立する政党(会派)に対して政策論議からかけ離れた単なる悪口を投げかけるのは頻繁に見られる光景で、セクハラに該当するかどうかにかかわらず、それはどうなんだろうと自省されても良さそうなものですが、野球選手でも議員でも新人はヤジの飛ばし方を指南されるものだとも聞きます。「周りが皆やっていること」となると善悪の判断が省略される、そういう傾向は日本の至る所で見られるような気がしますね、それこそ選良であるはずの議員の間ですら普通にあることなのですから。

 

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法人税の高いところに企業は集まっている

2014-06-22 22:43:17 | 雇用・経済

法人税の上乗せ分廃止要請へ…政府、東京都に(読売新聞)

 政府は、2015年度から予定している法人実効税率の引き下げをめぐり、標準税率(34・62%)に約1%を上乗せしている東京都に対し、上乗せ分を廃止するよう要請する方針を固めた。

 実効税率を数年で20%台にする目標を実現させるため、税率が最も高い東京都にまず協力を求める。都が上乗せしたままだと、都に納税している企業が不利になると説得する構えだ。

 法人実効税率は、企業のもうけ(所得)にかかる国税と地方税の負担割合を指す。このうち、地方税である法人住民税と法人事業税は、自治体が一定の範囲で独自に税率を上乗せできる。特に、大都市部では、税率を高めにしても企業が集まるため、税収を確保する意味でも税率を他の自治体より高くしている例が多い。

 

 この「実効税率」という用語、誤った印象を与えやすいので改めるべきだと前々から思うんですよね。「実効」税率などというと、あたかも実際に化される税率に見えてしまうフシもあるのではないでしょうか。より正しく有権者へ実像を伝えるためには「額面税率」と呼んだ方が適当ではないかと提案したいところです。これなら額面給与と手取り給与の違いのようなもの、実際に課される税はもっと少なくなるということが一般にも理解されるはずです。

 それはさておき、消費税が引き上げられれば次は法人税が引き下げられる番です。社会保障財源として消費税率の引き上げが不可欠だと叫ばれ、しかし消費税が引き上げられても社会保障の危機論は絶えることなく、その進捗が見えないまま増税分は法人税の引き下げに使われてしまう――この日本のお決まりのパターンは今後も繰り返されることになりそうです。当初は金融緩和、財政出動に異常な為替レートの是正とオーソドックスな政策で経済情勢を好転させつつあった安倍内閣も昨今は揺り戻しが来たと言いますか、再びこの十数年来の不況へ突き進みたがっているかのごとき政策が少なからず提言されているのは大いに懸念されます。

 法人税の引き下げも、ある種の人々に精神的な満足感を与えるであろうことは確実ですが、日本の財政並びに経済に関してはどうなのでしょう。給与水準が下がり続け、GDPが横ばいを続ける中でも日本の非金融法人の現金・預金残高は大幅な上昇を続け、空前の内部留保を積み上げてきたわけです。資金に余裕があっても使い道を見いだせない企業ばかりという日本において、黒字の企業にしか課されない法人税を減税したところで結果は知れています。内部留保の額=豊かさだと考えるのであれば法人税減税もアリなのかも知れませんが、それは完全にガラパゴス的発想です。

 日本と同じように消費税を上げて法人税を下げることを優先していった国としては財政破綻したギリシャなどが真っ先に思い浮かぶところでもあります。なるべく貧しいところから税を取りたい、金を余らせている企業には課税したくないという経済界の思想信条と日本国の財政を心中させようというのは、それこそ行政が真っ先にストップをかけねばならないものではないかとすら言えますね。それでもなお、アホアホしい法人税引き下げ論は絶えることがありません。

 日本の法人税は高いかのごとくに言われますが、それはあくまで「額面」の話でもあるわけです。そして額面の税率が日本より低いように見える国でも先進国と呼ばれる国は社会保険料の雇用者負担が日本よりもずっと大きくなっていたりするもので、法人税と社会保険料の雇用者負担の合計で考えれば日本は税負担が軽い部類に入ります。逆に法人税の額面税率が日本より高い国としては、なんだかんだ言って世界のナンバーワンであるアメリカが出てくる、ではアメリカが法人税の高さによって企業から敬遠されて経済が衰退しているかと言えば、現実は全くの逆です。経済誌で語られているような法人税引き下げの論理が通じる世界など地球のどこにもありません。

 日本とアメリカに言えることは、地方と東京に置き換えても当てはまるようです。つまり、法人税率が高かろうと、企業は集まるということですね。法人税が日本より高いはずのアメリカにも当たり前のように企業が林立して経済を支えているように、法人税が他の自治体よりも高い東京はまさに一極集中が止まることを知らない有様です。結局のところ、企業を惹きつける上で重要なのは法人税の低さよりも、もっと別のものであることがわかります。税率が高かろうと良い市場があれば企業は活動の拠点を求めるものですし、逆に税率が低かろうと田舎に引きこもったりはしないものです。中には怪しげな小国に書類だけの法人を登記して節税という名の実質的な脱税に励む悪質な企業もありますけれど、そういう企業を呼び込むために法人税を下げるというのも馬鹿げた話でしょう?

 

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報道されていない部分に大きな差があった

2014-06-19 23:15:58 | 社会

若年層の未婚理由、明らかな男女差…少子化白書(読売新聞)

 政府は17日の閣議で、2014年度版「少子化社会対策白書」を閣議決定した。
  
 第1子を出産した女性の平均年齢が2012年で前年より0・2歳高い30・3歳となるなど「晩産化」が進んでいるとして、仕事と子育てを両立出来る職場環境の実現が必要だと指摘した。

 12年の平均初婚年齢は、男性が30・8歳(前年比0・1歳上昇)、女性が29・2歳(同0・2歳上昇)と晩婚化も進んだ。

 内閣府が昨年秋に全国の20~79歳の男女1639人を対象に行った意識調査で、若年層の未婚、晩婚化の理由について聞いたところ、女性の回答は「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」(55・3%)が最も多かった。男性は「経済的に余裕がないから」(52・0%)が最多で、男女間の意識の差が浮き彫りになった。

 「子どもを持つ場合の条件」について、20~40代の女性は「働きながら子育てができる職場環境」という回答が最も多かった。

 

 ……という報道があるわけですが、記者は速報性を重んじたのでしょうか、とりあえずアンケートのトップにある項目を並べてみたといった印象を受けないでもありません。この調査はweb上でも既に公開されており(なんだかんだ言ってお役所はweb上での情報公開が早いんですよね)、内容を閲覧することができます。そして読売新聞が見出しに掲げる通り、若年層の未婚理由には「明らかな男女差」があるのですが、例示された「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」「経済的に余裕がないから」云々以上に顕著な差を見せている項目の存在が目を引くところだったりします。

参考、平成26年版少子化社会対策白書

 未婚・晩婚が増えている理由として挙げられた「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」では男性が47.4%、一方で女性は55.3%です。次に「経済的に余裕がないから」は男性52.0%、女性43.8%と、それなりに差があるのは確かです。ところが他の項目を見ていきますと、より際だった男女差を示すものもあったりします。一つは「希望の条件を満たす相手にめぐり会わないから」で、これは男性22.1%に対し女性は33.7%と、読売新聞が報道した2項目以上の大きな開きを見せているわけです。そして「仕事(または学業)に打ち込みたいから」は男性が17.8%に止まる反面、女性は33.2%とダブルスコアに迫る勢いです。逆のパターンとしては「異性とうまくつき合えないから」の男性22.0%、女性14.7%で、この項目が最も男性比率が目立っています。

 希望の条件を満たす相手に巡りあわない――そう考えているのは女性側に大きく偏っていることが調査から分かります。しかし「条件」ってなんなのでしょうね。そこを解明できていれば何を対策すべきかも示されようというものですが、残念ながら公開されていません。たぶん調査もされていないのでしょう。「条件」にはやはり年収などが上がりそうですけれど、まぁ邪推と憶測は控えることとします。そして「仕事(または学業)に打ち込みたいから」との回答も女性側が圧倒的に多かったところ、「仕事」と「学業」ではまったく別物のように思えないでもないのですが、どうなんでしょう。結婚あるいは出産を機に職場を離れる人も多い、離職を期待されることも多いだけに、学業はともかく仕事と結婚の関わりは女性にとってこそ深刻な問題になるようです。

 「子どもを持つ場合の条件」についても読売の報道では「働きながら子育てができる職場環境」とトップ項目だけ紹介されていますが、これもまた男女で大きな乖離を見せている項目がありました。その最大は「出産・育児について相談できる人が地域にいること」で、男性13.7%に対して女性31.6%と2倍を大きく上回る差が出ています。他には「配偶者の家事・育児への協力が得られること」も男女で開きがありますが「出産・育児について相談できる人が地域にいること」ほど大きなものではない、同程度に差が出ている項目としては「配偶者以外の家族に、育児に協力してくれる人がいること」などが続くわけです。配偶者の協力は当然のこととして求められている一方、協力者が絶対に配偶者である必要はない、別の誰かの協力でも良い、それが「地域」で求められているフシも窺われます。案外、お節介な世話焼きオバチャンが隣人として求められているところもあるのかも知れませんね。それが非婚者の見合いの世話でもするようになれば、もう政府から感謝状が出るレベルでしょうか。

 なお理想の家族構成なんかのアンケートもありまして、一人暮らし、夫婦二人、核家族、二世帯同居など項目があるわけですが、男女ともに際立って人気のないのは「親・子ども・母方の祖父母(妻の親)の三世代世帯(同居)」でした。似たような構成のはずの「親・子ども・父方の祖父母(夫の親)の三世代世帯(同居)」は男性18.4%、女性14.4%から支持を集めているにもかかわらず、妻の親世帯との同居は女性からさえも5.0%の支持しか得ていません。サザエさん世帯の構成は、実は男女双方から敬遠されているようです。育児に協力してくれる人、相談できる人が身近に求められている一方で、妻側の親世帯との同居が最も嫌がられている、この辺にも実は意外な闇があったりするのでしょうか。

 

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不信の裏にある期待

2014-06-17 22:50:03 | 社会

骨折なのに「専門外」女性の救急搬送38回拒否 (読売新聞)

 埼玉県川口市内で転倒して脚を骨折した女性(57)が昨年2月、複数の病院から計38回にわたって救急搬送の受け入れを拒否されたことが同県への取材で分かった。

 女性は悪性リンパ腫の既往歴があり、「専門外」などの理由で拒否されたという。

 県消防防災課によると、女性は昨年2月の夜、川口市の自宅風呂場で転倒し、救急出動を要請した。女性がかかり付けにしていた病院は満床だったため救急隊員が搬送先を探したが、「専門外」などの理由で38回拒否され、2時間22分後に受け入れ先が決まった。

 

 ちょっと前の話ですが、こういう報道がありました。まぁ、救急搬送の患者がたらい回しにされた云々という類は、定期的に出てきますね。この読売記事では(下らないので引用はしませんが)後半部であらぬ方向に非難の矛先が向けられていたりもするのですけれど、しばしば受け入れ側の医療機関が暗に咎め立てされているような印象もあるようで、医療関係者サイドからの反論――そもそも受け入れのリソースがない、受け入れたくても無理なのだ、専門外の患者を受け入れても適切な措置ができる保証はないのだ云々――も、まぁお決まりのパターンとして出てきます。

 ただ今回の事例で注目したいのは、患者が「かかり付けにしていた病院」がまず駄目だったことですね。満床とのことですので、ない袖は振れない、無責任に受け入れても廊下に寝かせるわけにも行かないということでやむを得ないのはわかりますけれど、かかりつけの病院があってもこの結果ですと、患者側としてはどうしても不安を募らせてしまうものなのではないでしょうか。かかりつけであろうと夜間ともなれば担当医がいないことも普通にあり得ますが、そうは言っても患者がまず頼りにするであろう医療機関から突き返されてしまうのですから。

 「お薬手帳」を断れば20円安くなる、なんてネタがちょっと話題になったりもしました。僅かに20円ですけれど、まぁ金額が小さければ小さいほど節約の意識が働く人も多いところもあるでしょうか、そして20円の差額のために「お薬手帳」を断る人がいるというのは、どう見られるべきなのでしょう。患者サイドの無理解を嘆いてみせる訳知り顔の論者も散見されますが、しばしば医療側と患者側の関係には、学校教師とイジメ被害を訴える生徒のそれを思い起こさせるものがあるような気がしてなりません。

 いきなり大学病院なり大きな病院にやってくる患者は、色々とメディア上では悪し様に言われますよね。まず、かかりつけの医師の診断を受けるべきだとか、紹介状ナシで大学病院にやってくる患者の初診料は上乗せで云々とか、そういう話もあるわけです。医療側の都合としても、概ねそういうものなのだと思います。しかし患者としては、地元の町医者では駄目だと考えている、大きな病院に行けば何かが好転すると、そういう期待を持っているのではないでしょうか。かかりつけの医師なんかでは頼りにならない、しかし大学病院の名医なら話はまた違うだろう、と。

 医療への不信と期待が、国民の間には同居しているように思います。いくら病院通いを続けても一向に良くならないのは、この地元のかかりつけの医師がヤブだからだという不信と、別の病院に行けばちゃんと診断してくれるのではないかという期待があって、それが紹介状ナシで大学病院を受診しに来る患者にも繋がっているのではないでしょうか。それを避けたいならば医療側はもっと「地元の町医者で無理なら大学病院でも無理、医療には限界がある」と周知徹底した方が良さそうです。

 この辺は医療訴訟にも通じるところがあって、総じて患者は「必ず治る、手術は成功する」という期待を持っているもののように思われます。それが失敗に終わるとしばしば医師個人の怠慢や不正のせいに――実際にそういう事例もないわけではないにせよ――見えてしまう、元から結構な博打であったとは考えられないケースが多いのではないでしょうか。なぜなら、患者側は医療を信じているから、「本当は上手く行くはずだった」と信じているから、ですね。

 実際のところ医療機関を受診しても、いくら通院を重ねても何一つとして良くならないことは普通にあることです。そういう中で医療を信じている人ほど、「今」受診している医師に不信を抱くものなのではないかという気がします。3時間待たせて3分ちょろっと診察しただけ(まぁ3分で診察を終えないと待ち時間が3時間では済まないのは分かりますが)、それで処方箋を渡されて薬を飲んだけれど具合は良くならない、こんな経験は誰にでもあると思います。そうした中での投薬の記録すなわちお薬手帳に患者側は意味を見出すでしょうか。

 むしろ医療の限界を、よく知らしめた方が良いのではないかという気がします。治せないのは手を抜いているからではありません、と。かかりつけの医師は頼りなく見えるかも知れませんが、大学病院に行っても似たようなものですと周知すれば、紹介状ナシで大学病院に来る人も多少は減るでしょう。代替医療のカモにされる人が後を絶たないのも、「どこかに治せる人がいるはずだ」という期待があってこそ成り立ちます。症状が良くならなくとも、それでも可能な範囲で最良の治療を受けていると受診する側が信じられるならば、患者は医師の指示を受け入れることでしょう(そしてお薬手帳に払う20円も惜しまない、と)。しかし、「もっと他にマトモな治療方法があるのでは」と希望を持たれてしまうほど、医療側と患者側の信頼関係は崩れてしまうように思えます。

 

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ファンタジーの方がむしろ

2014-06-15 11:22:02 | 社会

銃撃ゲーム、欧米過熱 ファンタジー主流の日本と別路線(朝日新聞)

 海の向こうで、ゲーム機用ソフトが暴力的に変化している。米ロサンゼルスで10日(日本時間11日)に開幕した世界最大のゲーム見本市「E3」でも、街中や戦場で敵を撃ち続ける描写がリアルな新作が人気を集める。ファンタジー色の強いゲームが多い日本との違いが際立っている。

 大画面の中の街が、黒煙に包まれた。重低音の銃声が体を揺らす。激しい銃撃戦の後で地面に血がにじんだ。ちぎれた兵士の左腕が落ちていた。「ウォー」。約1万人が詰めかけた会場は興奮に包まれた。

(中略)

 ゲームの暴力化と因果関係があるかはともかく、米国の現実社会では銃による事件が後を絶たない。E3会場と同じカリフォルニア州でも半月ほど前、銃の乱射事件が起き、6人の市民が死亡した。

 

 ……さて、朝日新聞の記者がなにやら勘違いした記事を披露して恥をさらしているわけですが、どうしたものでしょう。まぁ何事も「政治的に正しい」認識というものはありますよね。事実関係よりも世間で信じられている通りに語る方が何かと好まれるものです。経済誌だって歴史小説だってwikipediaだってそう、しばしば「お約束」を優先して現実とは矛盾した記述が採用されるのは至って普通のことです。そして「ゲーム」を巡る報道も然り、世間の「ゲームとはこういうもの」という偏見に添って作られた典型が、今回の朝日新聞記事と言えます。

 色々とツッコミどころはありますけれど、例えば見出しにもある「ファンタジー」はどういうニュアンスで用いられているのでしょうか。私なんかは概ね「現実ではない」という意味合いで使うことが多く、週刊ダイヤモンドや中日(東京)新聞などが典型的なファンタジーとして思い当たるところです。一方で「剣と魔法の世界」的な意味合いで使われることも多い、長くなるので引用は省略しましたが今回の朝日新聞記事も、どちらかと言えばそういう認識に立っているようです。しかし、実際の日本のゲームは「現実的ではない」という面においてこそファンタジー色が強かったりします。

 総じてリアル系の描写は日本の市場からは歓迎されない、もしくは日本のメーカーが作りたがらないところは否定できません(まぁムキになって「例外」を挙げたがるバカもいるような気もしますが)。リアリズムの追求は野暮なこと、ゲーム性を損ねるものと言わんばかりに訳知り顔で語る論者も少なくないところです。もっとも欧米で開発されたゲームにしてもリアリズムとゲーム性を都合良く使い分けているのが一般的ではあるのですが、ともあれ日本ではリアル路線は概ね好まれないとは言えるでしょう。

 「ゲームの暴力化と因果関係があるかはともかく」と逃げ道を作りつつも、朝日新聞報道はあたかもリアルなゲームと暴力/銃撃事件との関連性を想起させるような誘導を行っています。しかし私にはむしろ、ファンタジーに満ちあふれた日本のゲームの方を懸念した方が良いのではないかなと思われないでもありません。どっちが悪質とまでは言いませんけれど、何せ自国のことなのですから。

村上 龍      :野球は格闘技だ サッカーは戦争だ

ズボニミール・ボバン:「サッカーは戦争だ」などと言う奴は、本当の戦争を知らないんだ

 リアルな表現や「結果」が描写されないだけで、日本のゲームだって銃撃やそれに類似した戦闘行為は盛りだくさんです。ただ日本のゲームでは刃物で斬り合い、兵器を撃ち合っても傷つくのは女の子の服くらいというだけの違いです。欧米で好まれるリアル路線のゲームは戦闘行為は少なからず「痛々しい」イメージもセットで付いてくるものですが、日本のファンタジー溢れるゲームにおける戦闘行為はあくまで「かっこいいもの(かわいいもの)」に終始します。

 

祖父の軍歴知りたい…厚労省に「軍人履歴原表」開示請求3割増 「永遠の0」「艦これ」影響(産経新聞)

 「祖父の軍歴を知りたい」。先の大戦での日本海軍の軍人・軍属の人事記録「軍人履歴原表」を管理する厚生労働省に、そんな問い合わせが増えている。終戦から時間がたつにつれ減少傾向だったが、平成25年度は前年度比3割増になった。その背景には、海軍航空隊を描き映画化もされたベストセラー「永遠の0(ゼロ)」や、日本海軍などの軍艦を擬人化したゲームのヒットもあるようだ。(道丸摩耶)

 岡山県に住む30代の女性は今年3月、海軍にいた祖父の軍歴の開示を厚労省に請求した。祖父は戦後間もなく死亡し、数年前に祖母も死去。祖父を知る人がいなくなる中、「祖父はどんな人だったのか知りたかった」と話す。

 当時の軍艦を擬人化したゲーム「艦隊これくしょん(艦これ)」でさまざまな軍艦を知り、祖父が乗っていた船に興味もわいた。インターネットで、孫であれば人事記録を請求できることを知り、血縁を証明する書類などをそろえて厚労省に送った。1カ月もたたないうちに、女性の元に祖父の経歴が記された軍人履歴原表が届いた。会ったこともない祖父が生きた証し。「知りたい情報が載っていた。取り寄せてよかった」と女性は喜ぶ。

 

 ちょっと掲載時期がずれますけれど、朝日新聞の記者にはこの辺の記事も読んで欲しいと思います。「ゲームの暴力化と因果関係があるかはともかく、米国の現実社会では銃による事件が後を絶たない」と匂わせるのも勝手ですが、せっかくですから日本のゲームと世論との因果関係辺りも考察されてはいかがでしょう。暴力性を見せない戦闘行為が当たり前の「リアルではない」ゲームは、冒頭の引用で取り沙汰されたような血まみれのゲームと比べて果たして安全なのかどうか。戦闘行為から暴力性を隠してしまえば、日本でもアメリカでも年齢制限からは免れられるのですけれど……

 

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恣意的なチョイス

2014-06-12 21:31:41 | 社会

 先日は、何故○○は××のせいと言われるのに、一方で△△は××とは関連づけて考えられないのか、みたいな話を書きました。例えば子宮頸がん予防ワクチンの接種者を対象にしたアンケートなら「肩こり」とかもあって良さそうなもの、実際にワクチン接種と関連するのか単なる偶然かといった関連性はさておき肩こりに悩まされたアンケート対象者ぐらいはいたはずですが、なぜか発表された集計結果に「肩こり」はカウントされていませんでした。肩付近に打ち込むワクチンなのに。

 そして「被曝」との関連性云々で、何故かピックアップされているのが「鼻血」です。繰り返しますが鼻血が出るほど被曝したら絶対に鼻血だけでは済まない、逆に鼻血だけで済んでいるのなら被曝とは別の要員と断定できるわけですけれど、「どうして鼻血なのか」という疑問は残るところではないでしょうか。頭髪が薄くなったのを被曝と関連づけて考える人がいても不思議ではないのに、どうして鼻血なのか、薄毛と原発事故との関連性だって「ないとは証明されていない」ことには違いがありませんし、それに悩まされる人だっていくらでも集められるはずです。なぜ反原発派は毛根の危機を訴えずに鼻血を選択したのか、それを考えるのは無意味ではないと思います。

 結局のところ「子供を盾にする」文化が我々の社会では強いのかな、という気がしますね。額の禿げ上がったオッサンなんて、いくら担ぎ上げたとしても世間の同情を引くことはできません。御輿にするなら、子供に限ります。だからこそ「頭髪が薄くなる」という中年以降の男性に目立って現れる症例はスルーされた、逆に鼻血という子供に起こりやすい症例がピックアップされたのかも知れません。鼻血を出す子供くらいいくらでもいますし、子供が被害を被っているというイメージを形成できれば概ね「勝ち」です。そうして「子供を守れ」と声を上げれば相手の口を塞ぐのは至って簡単なことですから。

 「鼻血はストレスによるものだともいわれていますが、鼻血というものは、ストレスでは出ない。メンタルケアの「いろは」もわかっていない。ストレスで鼻血が出たという報告は全くありません」――と、ちょっと耄碌している感じの「専門家(朝日新聞定義による)」が断言するなんてこともありました。それも酷い話だな、と思います。ストレスは万病の元、体調が悪化すれば鼻血が出ることもあるでしょうし、ストレスと高血圧との関係は広く認められているもののはず、そして血圧の上昇によって鼻腔内の血管が切れることもあり得ます、もちろん感情の昂ぶりによっても、ですね。世間には「おにぎりで食中毒なんて聞いたことがない」と宣う医師もいたものですが、ストレスで鼻血は出ないと言いきる人もまた同類なのでしょう。

 まぁ、ストレスとは万病の元であるが故に、特定の症例との関連づけが難しくなるところもあるのかも知れません。そしてストレスのように特定しがたい因子に代わって生け贄が別に選ばれる、他の何かが「○○のせいだ」と叫ばれ原因として(根拠の疑わしいまま)断定される事態は、意外に少なくないのではないでしょうか。代替医療よりはマシというだけの話で通常医療だって実に頼りないもの、身体的な不調を訴えて複数の医療機関を受診してもこれといった対処法はなく症状は悪化するばかり、そんなケースが当たり前です。ここで「それは○○のせいなのです」と力強く断言する、話術に巧みな代替医療の業者につけ込まれてしまう人がいるのもやむを得ないことなのかという気すらしてきます。

 風力発電にも健康被害を訴える人がいて、概ね同情はできますし私としても住居の近辺に巨大風車が設置されるようなことはあって欲しくないなと願うばかりなのですけれど、そこで健康被害の元として挙げられる一つとして低周波があったりするわけです。ただ低周波による健康被害の可能性は、あんまり高くないらしいですね。むしろ騒音によるストレスの方が十分に考えられる、小さかろうと風車の唸る音が四六時中鳴り止まないとあらば、それは気の休まる暇もない、ストレスが溜まってどこかが悪くなってもおかしくないと考えられそうなもの、しかし騒音によるストレスを訴えるのは、今一つ世間的な理解を得にくいのかな、とも。

 総じて騒音被害を訴えると、クレーマー扱いされがちです。騒音源に対してうるさいと声を上げれば、我慢しろ、耳栓でもしてろ、お前だってうるさいだろうがと世間から非難囂々、時には区長自ら騒音被害を訴える住民をモンスター呼ばわりするようなパターンだってあるくらいです。ストレスは万病の元であるが故に特定の症例との関連性を訴えにくい、そうなると「精神的苦痛を被った」という微妙な言い回しをせざるを得なくなることもあるでしょうか。それよりは、「低周波」という耳慣れない、なんだか恐ろしそうな用語を持ち出して健康被害を訴えた方が世間の理解を得やすいところがあるとしたら、なんだか嫌な話だなと思いますね。

 

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今時の議員は

2014-06-09 22:42:35 | 政治

もう国会議員は呼ぶな 福島県町村会、怒りの提案(河北新報)

 「県選出国会議員は招待するな」。福島市内で4日あった福島県町村会(会長・大塚節雄湯川村長)の定期総会に来賓の県関係国会議員16人全員が欠席し、反発した首長が異例の緊急提案を行った。提案には拍手が沸き、「地元軽視だ」と多数の首長が賛同した。

 総会には、東日本大震災と福島第1原発事故からの復興加速を国に要望する議案が提出された。国との橋渡し役を担う国会議員は不在で、代理出席した秘書らもあいさつ後、早々に退席した。

 発言を求めた須藤一夫浅川町長は「国会の会期中とはいえ、要望の受け手となる国会議員が来ていないのはどういうことか」と真っ向から批判。秘書が審議を聞かずに帰ったことも怒りに拍車を掛け、「国会議員は招待しなくていい。会長、副会長で検討してほしい」などと提案した。副会長の古川道郎川俣町長は「厳しい指摘を重く受け止める」と応じた。

 総会では、県内原発の全基廃炉や汚染水問題の早期解決を国と東京電力に求める特別決議も議題に上り、全会一致で採択された。

 

 福島県町村会の定期総会にて来賓の国会議員16人が誰一人として出席しなかったそうで、「怒りの提案」とやらが打ち上げられたそうです。傍目には笑い話のように見えないでもありませんが、実際のところはどうなのでしょう、この手の町村会の集いにおいて国会議員が出席する日頃の割合をも併せて報道してもらいたいところです。16人くらいに声をかければ2、3人くらいは顔を出してもらえるのが通例であったのか、あるいは呼んでも社交辞令として代理の秘書なり書面なりが送られてくるだけなのが当たり前なのか、その辺の比較対象がないと判断に困るところもあります。

 小中学校時代を思い起こせば、学校行事の度に地元議院から送られたメッセージが披露されていたのを思い出します。校長なり何なり学校のお偉いさんが自らに箔を付けたいのか、地域の有力者に声をかけまくった結果と思われますが、この辺はどれほど一般的だったのでしょうか。ともあれ、私の通った小中学校ではことある毎に議員や市長から届けられたとされる祝辞なり挨拶なりが読み上げられたものですけれど、まぁ実に無意味な代物でしたね。とはいえ学校のお偉いさんと地域のお偉いさん、両者のパイプ作りの上では必要な事だったのかも知れません。

 それはさておき、件の町村会には招待されたはずの国会議員が誰一人として出席しなかったとのこと。引用元でも述べられているように国会の会期中でもあるだけに、国会に張り付いて皆勤しておかないと思わぬところで難癖を付けられることも考えられる――議員の「出席率」をこまめに監視してグダグダ言う人もいる――わけですが、こういう地元の集まりは優先順位としてどの程度のものと考えられているのか、その辺は興味深くもあります。

 ただ須藤一夫浅川町長の語った「要望の受け手となる国会議員が来ていないのはどういうことか」云々は、昨今の政治を考える上では良い指摘かも知れませんね。何はともあれ議員を選出した「地元」の人間からは「要望の受け手」としての期待が不可避的にあるわけです。その辺の役目を果たそうとした国会議員が今回は一人もいなかったようですが、良くも悪くも政治の「今」を象徴しているようにも思います。

 先の東京都知事選では、東京という地域の問題はスルーして専ら国政上の問題ばかりを訴えていた候補もいました。長らく東京からも政治の現場から離れていたご隠居だけに、語れるのはそういうことしかないのかな、とも感じたものです。総じて地域に密着した具体的な問題は語るのが難しいです。自分の足で調べて、自分の頭で考えなければなりません。一方で天下国家の大きな問題を語るのは誰にとっても(私にとっても!)簡単です。そういう問題は新聞やテレビ、ネット上だけでも情報が集まりますし、どう対処すべきかの提言も(的外れなものが多いのはさておき)世に溢れている、その中から適当なものを選んで受け売りすれば済むだけですから。

 しかるに、地域の具体的な利害を語るよりも天下国家を巡る大望を語る方が、しばしば有権者からは好意的に受け止められてしまうように思います。ポピュリストになるほど地元の問題を細かに論じることからは遠ざかり、より「大きく」物事を一般化して話を広げたがるものです。そして特定地域や業界――要するに選出された地元であり、支持母体――の抱える問題解決のために奔走する議員ほど、「しがらみがある」「族議員」云々とネガティヴに捉えられ、普遍的な問題を語っているようでいてその実は空疎な絵空事を唱えているに過ぎない議員や政党が、「しがらみのない」公明正大な存在として好意的に評されてはないでしょうか。

 そういう時代であるからこそ、地元の「要望の受け手」となる議員が、今回の町村議会においては消失してしまったとも言えます。自分を選出してくれた地域の要望を叶えるために奔走する国会議員、それもまた政治家の在り方として正しいように私には思われるのですけれど、現代政治においてそれは地元への利益誘導としてむしろ糾弾される可能性が高いものとなってしまってもいるわけです。結果として当選するのは選出区の「要望の受け手」となり得るような議員ではなく、地域との結びつきが希薄で天下国家を語って票は取れても中身のない人物、そんな地元の役に立たない議員ばかりが増えているような気がします。

 

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薄毛じゃ駄目なんですか?

2014-06-07 12:02:16 | 社会

 先日は神奈川県藤沢市による子宮頸がん予防ワクチンの接種者を対象に行ったアンケート結果をネタに取り上げたりしたわけです。神奈川新聞の「接種者44パーセントが発症」という煽りとは裏腹に挙げられた症例はと言えば「注射部の痛み、かゆみ」が1118人で最多で、他には「注射部の腫れ、あかみ」「だるさ、疲労感、脱力感」「手足の痛み」「頭痛」「発熱」「めまい」等々、要するに「注射をすれば普通にあること」や「注射の有無とは無関係に普通に起こりうる体調不良」でしかなく、それがワクチン接種に起因するのかどうかはまったく示されていないものでした。

 むしろ私には思われるのですが、もっと他の症例だってあり得たのではないでしょうか。子宮頸がん予防ワクチンは肩付近に打ち込むわけで、ならば「肩こり」とかもあって良さそうなものですし、ワクチンが作用する部位を鑑みれば手足ではなく「下腹部の痛み」とかが想起されても不思議ではないはずです。その他にも「抜け毛」とか「嘔吐感」とか「食欲不振」あるいは「肥満」「学校の成績が下がった」そして「鼻血」とか諸々、こういった類は例によって注射の有無とは無関係に起こりうるものですけれど、この辺を「ワクチン接種のせいだ」と考える人がいなかったとしたら、ちょっと奇妙な話です。果たしてワクチンに容疑をかけるものと、ワクチンとは無関係と考えるものの違いはどこにあるのやら。

 被曝して鼻血が云々と、荒唐無稽なことを言い出す人がいます。そもそも鼻血が出るほど被曝したら鼻血だけでは済まない、鼻だけではなく体中の至る所から流血して遠からず死んでしまいそうなものですが、不思議と鼻血の訴えばかりが突出して、肛門から血が出たのは放射能のせいだなどと言い出す人はいません。鼻ではなく歯茎から血が出ることだってあったはずです、それを「被曝したからだ」と訴える人がいないのに、何故か鼻血ばかりが放射能のせいだと叫ばれる、このような主張では自家撞着も甚だしく信憑性を落とすばかりだと、被曝との関連性を唱える側の人は考えないものなのでしょうか?

 漫画『はだしのゲン』では、主人公の髪の毛が抜け落ちます。まぁ、放射線の影響で頭が禿げるというイメージも、昔は結構あったはずです。実際に脱毛するほど被曝する可能性は、やはり今回の原発事故ではなかったわけですが、それは鼻血に関しても同様です。イデオロギーに染まって事実を歪曲してでも原発事故の被害を大きく見せかけたがっている人が、なぜ鼻血ばかりをピックアップしたのか、なぜ頭が禿げるぞとは言い出そうとしなかったのか、その辺の「選択」には色々と興味深いものがあります。

 鼻血が被曝に関係がないとは証明されていないというのなら、頭髪が薄くなるのだって同じこと、メタボになったのもインポになったのも同様ですし、膝が悪くなったり治療した歯が痛んだりするのもそう、物覚えが悪くなったのも春先に鼻水が止まらないのも郵便ポストが赤いのだって、やはり原発事故との因果関係が「ないとは証明されていない」わけです。子宮頸がんワクチンも然りなのですが、普通に起こりうる症状の中から「これは○○のせいだ」というのものが取捨選択される過程は、ちょっとした研究テーマになり得るものなのかも知れません。どうして鼻血なのか、薄毛では駄目なのかと、その辺は一見すると下らないようでいながら、デマゴーグ達の心理を探る上では真面目に考察される価値があるような気もします。

 

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