非国民通信

ノーモア・コイズミ

google八分?

2007-03-31 12:46:30 | 編集雑記

 何故かは知りませんが、googleで検索してもトップページにヒットしなくなりました。

 昨日までは「非国民」で検索すれば3番目に出てきたのですが、今日になって消えてしまいました。検索順位の6番目に古いエントリが引っかかるのですが、どこまで行っても肝心のトップページは表示されず。ついでに「非国民通信」で検索した場合、こちらは昨日までなら検索結果の一番上に「トップページ」が表示されていたのですが、こちらも消えてしまい、代わりに大昔のエントリが表示されるようになりました。

 う~ん、まったく検索に掛からなくなったわけではないようなのですが、やはり検索してもトップページにたどり着けないというのは変です。いや、google八分という代物がありまして、お偉いさんにたてつくようなことをすると検索結果から外されるというもの、都市伝説とも言われていましたが、さてどうなのでしょうか。

 正直、運営側から何か苦情なり削除要請なりが来ていたわけでもありませんし、そもそも訪問者数にしたところであまり多くはない中小ブログである非国民通信のために、わざわざgoogleが何かするというのも考えにくいところです。一時的な現象でしょうか? 

 なにはともあれ、当面はgoogle検索によって非国民通信のトップページに飛ぶことができなくなりました。これでアクセスがどれくらい減ってしまうのか、戦々恐々です。

 

 ←ヽ(´Д`;)ノアゥア...

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どんな子供を育てたいのだろう?

2007-03-30 22:03:31 | ニュース

道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ(朝日新聞)

 政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。

 第1次報告では「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子供たちが確実に身につける」と提言しており、再生会議で充実策を検討してきた。

 再生会議が徳育を教科に格上げするのは「道徳の時間は取られているが、きっちり行われているかというと、先生方も熱心でない方もいるし、教材も充実していない」(小野氏)との現状認識からだ。現在は教育委員会が刊行した読み物資料などが使用されているが、小野氏は「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識や道徳心、規律を教えていくこと」と述べている。

 防衛庁を防衛省に昇格させたその次は道徳の「徳育」への昇格ですか。あまり使われない言葉ですが、強いて言えば「体育・徳育・知育」とセットで使いますかね。内容はお寒いもののようで、お決まりの規範意識や規律を教えるものだそうです。しかし、道徳の授業って海外ではやってるんでしょうかね? 国歌の強制などと同様に一部の特殊な国に限った独特の風習のような気がしますが、強いて言えば向こうでは宗教教育がそれに該当するのかもしれませんね、日本ではキリスト教教育の代わりに国家神道教育になるのでしょうか。

ミランのコーチに聞く選手育成論
第1回:イタリアの子どもと日本の子どもの違いは?


 学校教育に関して、日本の子どもは運がいいと思います。日本では体育の時間にたくさんスポーツをできるけれど、イタリアの子どもは教育制度のせいで運動があまりできないからです。このことがもたらす結果は、サッカーに関しては顕著です。同じ年齢なら日本の子どもの方が運動神経もいいし、テクニックもあるし、ボールタッチも柔らかい。これはプロを目指すサッカー選手のキャリアに役立ちます。

 例えば、平均よりも運動時間が長いイタリアの子どもでも1週間に4~5時間しか体を動かせない。日本の子どもは、サッカーに夢中になるための時間と機会がイタリア人に比べるとたくさんあると思います。

 一般にヨーロッパでは学校は勉強するところなので、日本の学校のように専任の体育教師を用意して週に何度も体育の時間を設けたり、体育会系の部活動への参加を義務化したりするケースは非常に限られています。日本で言う塾の感覚に近いでしょうね。当然、卒業式などの式典もない場合がほとんどで、何かやるにしても卒業パーティであって少なくとも自治体の職員が監視に乗り込んでくるような代物は存在しないわけです。

 明治維新以後の富国強兵政策の中で柔術が柔道に、剣術が剣道になり、「武士道」なる新語が流行するなど、やにわに技術だけではなく精神性が強く要求される世界が作られていきました。武術が武道になり、単に強ければよいとするものではなく、精神面を云々されるようになったわけです。学問の世界もそれと似たようなものでしょうか、ただ学問を教えるのではなく、精神面の指導を重視する形で今の学校制度が作られてきました。

 日本の子供達の学力が低下している、日本の子供達は学習意欲が低い、そう言われるわけですが、日本では「勉強だけできてもダメ」と口を酸っぱくして言われるではありませんか。そういう国で学力を追い求めるのは難しいわけです。日本では学校は勉強をする場所ではなく、人間形成の場と位置づけられているわけで、その中では勉強だけではなく生活態度や振る舞いの面でも、○を貰わなければ立派な人間とは認められない、日本の小中学校は教育機関である以前に矯正機関なのです。

 日本の小中学校の運動会というと、ひたすら整列練習とマスゲームの繰り返しで、運動能力を競うようなものではないわけですが、では何を求めていると北朝鮮的な規律になるのでしょうか。この整列とマスゲームに象徴される学校体育には専任の体育教師がいて、その体育教師がしばしば生活指導を任されていたりもします。日本の公立学校は今でも十分に規律を追い求める組織として存在しているわけです。

 そして今回の「徳育」なるもの、体育のように専任の教員を用意したり、それが生活指導を兼務したりすることもあるのでしょうか、教育委員会の定めた方針に従って。上で引用したACミランのニコレ氏は日本の子供をついてこうも言っています。

 一番大きな差は、同じ練習であってもイタリアの子どもたちを指導するときよりも、日本の子どもたちを指導するときの方が、指導しやすくなることです。日本の子どもは苦労することを怖がらない。イタリア人の子どもは、あまり苦労をせずに試合に勝ちたいと思っていますから。

 明治以降の日本では苦労することを美徳として教えます。できるだけ苦労せずに楽に生きられるような環境を作ることを悪と見なし、苦労しないと生きていけないような環境に甘んじる。それが勤労賛美に繋がり今のいびつな労使関係を作ったり、困窮者を見捨てる文化を作ってきたわけでもあります。徳育で称揚され刷り込まれるのはこういう近代日本の価値観でしょうか。少なくとも政府から見れば、もっと楽に生きさせろと要求する民衆よりも、甘んじて苦労を受け容れてくれる民衆の方が都合が良いですからね。

 

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よくありそうな事件ではありますが

2007-03-29 22:25:17 | ニュース

教育実習生に言葉でセクハラ 男性教諭を処分 福岡(朝日新聞)

 教育実習中の女子学生(22)や担任する生徒にひわいな話をするセクハラなどをしたとして、福岡市教委は26日、市立中学(東区)の男性教諭(48)を減給1カ月(10分の1)の懲戒処分にした。授業中にインターネットのアダルトサイトへの接続方法も教えていたという。教諭は4月以降も同じ中学に勤務するが、市教委は一部を除き保護者らに処分内容を説明していない。

 市教委によると、女子学生の実習期間は昨年10月に2週間で、この教諭が指導教官だった。ホームルーム中、生徒らに女子学生へ性的な質問をするよう要求。「初体験はいつですか」と尋ねられ、返答できない女子学生を笑いながら見ていた。職員室での指導の際には、「さっさと帰ってください」「生徒はあなたの実験台」などと侮辱する発言もしたという。

 女子学生の前で生徒へのセクハラ発言を繰り返し、登下校時や給食中に女子生徒に性器の話をしたり、男子生徒に風俗産業について語ったりしていた。パソコンを使った授業では数人の男子生徒にアダルトサイト接続方法を教え、生徒が試すなどしていたという。

 実習期間中に女子学生が他の教諭に相談して発覚。問題の教諭は「軽々しい発言だった。反省している」と話しているという。処分が減給にとどまった理由について、市教委は「体に触れたわいせつ行為はなく、相応の処分」と説明した。

 中学校の話だそうですね。教育実習生に対するセクハラがメインのようですが、中学校生徒へのセクハラの分も加味した判決なのかどうか、判決はかなり軽いように見えますが。まぁ私の通っていた高校は男子校だったこともあって、各種の語呂合わせがことごとく下ネタだったり、英語の特別授業(出たい人だけ出ればいい授業)と称して英文でポルノを読む授業?があったり、まぁおおらかなものでしたが、でも中学校時代はそれなりに純情だったので今回のセクハラ教員に出会っていたらそれなりに不快だったでしょうね。

 それでまぁ、古い男子校だったもので先生方も全員男だったわけですが、それが指導が入ったとか何とかで女の先生も雇わなきゃいけないとか、それで女の先生が赴任してきたわけです。しかるにそこは筋金入りの男子校、むさ苦しい野郎どもの巣窟に迷い込んだ子羊のようなもので、1年で辞めてしまいました。うん、生徒達のセクハラ発言も少なからずありましたね。

 まぁ、毎日男達に囲まれているガキンチョ達が、突然やってきた大人の女に興奮して暴走するのはご愛敬と言うことにしておきましょう。なんだかんだ言っても生徒と先生、子供と大人の間柄であって、性的な発言も下から上へ、あくまで子供の悪戯に過ぎません。しかしこれが逆の力関係、上から下へとなると、地位や立場を利用した嫌がらせになるわけで、冗談では済まされないセクハラやパワハラとなるわけです。

 さて、今回の事件は随分と処分が軽いように思われますが、一応は悪いことと認められたようですね。しかし今回のように発覚することなく、被害者が泣き寝入りしたまま闇に消えるセクハラやパワハラも多いのではないでしょうか。「圧迫面接」なんて言葉もあります。面接する側が意図的に威圧的な態度を取ったり、相手を不愉快にさせるような質問をするなどして被験者側の対応力を診断するという代物ですね。まぁつまり、入社後に待ち受けているであろうパワハラやセクハラに対して、反抗的な姿勢を見せることなく従順に泣き寝入りしてくれるかどうかを探るわけです。おそらくは試験を口実にして各種ハラスメントを面接官側が楽しむという側面も強いのでしょう。

 今回のセクハラ事件もまた似たようなところがあるのではないでしょうか? 教育実習生という、この期間にどのような診断が下されるかによって今後の人生が変わってしまう、非常に弱い相手の立場につけ込んだのが指導教官というわけです。求職者が採用されるために面接官の無礼な態度にも従順でいるように、教育実習生もまた指導教官の機嫌を損ねないようにしないといけないわけで、ここにつけ込んだセクハラやパワハラは枚挙にいとまがないでしょう。たぶん問題のセクハラ教官「これくらいのセクハラに動じていては先生なんて務まらないよ」とか言いつつネチネチと嫌がらせを続けたものと推測されます。嫌な奴ですが、こういう輩に媚びを売らないと仕事にありつけないのですから、なおさら嫌なものです。

 

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有権者の20%の賛成で可決

2007-03-28 22:44:31 | ニュース

エジプトの改憲承認 投票率低迷、政府発表で20%台(朝日新聞)

 エジプト司法省は27日、前日行われた憲法改正の国民投票で75.9%が賛成し、憲法改正は承認されたと発表した。改憲は政府の治安権限を大幅に強化し、勢いを増すイスラム系政党の設立を禁止するなど、ムバラク政権の基盤強化につながる内容。野党と市民団体は強く反対して投票ボイコットを呼びかけ、投票率は27.1%と低迷した。

 複数の市民団体や野党は独自集計から、投票率を「数%台」とし、公式発表よりさらに低かったと主張。ボイコットを呼びかけたイスラム系最大野党ムスリム同胞団のハビブ副団長は、投票率が2~5%だったとして「エジプト人は警察国家づくりを拒否した。政府が市民の要望に耳を傾けるまで、運動はやめない」と語った。

 改憲により、当局はテロ容疑であれば令状なしで市民の拘束や捜索、盗聴ができるようになる。宗教に基づいた政党の設立は禁止され、88議席を持つムスリム同胞団は候補の擁立が難しくなる。「改革のために改憲が必要」とするムバラク大統領に対し、野党側は「ムバラク氏が次男に将来、政権を移譲するための準備」としていた。

 エジプトでは選挙や国民投票のたびに政府の干渉や操作がうわさされ、市民の不信感は根強い。改憲を「民主主義の破壊」と批判するカイロ・アメリカン大のハッサン・ラガブ教授(政治学)は「仮に投票に行き、反対票が賛成を上回っても、結果を操作されれば意味がない。意思表示の方法は棄権しかなかった」と話した。

 まぁ、他人事とは言えない話です。日本でも憲法改正、その下準備としての国民投票法案が強行採決されようとしているわけです。そしてその国民投票法案には、最低投票率に関する規定が存在しない、投票率が5割を切っても、投票率が27.1%でも、あるいは数%台の投票率であったとしても、その中で過半数を取れば憲法改正が成立する、そういう法案です。

 今回のエジプトの憲法改正を巡る国民投票、政府の発表では投票率が27.1%、そのうちで賛成が75.9%です。約20.6%の人が憲法改正賛成に投票した計算になりますね。残る79.4%の人は反対に投票したか、もしくは投票しなかったわけです。これで憲法改正に賛成した人が多数派であるとはなかなか言えないと思いますが、エジプト政府は制度を最大限に活用して憲法改正を押し通す模様、そして日本も制度上はエジプトと同じ国民投票法案を用意していますが・・・

 日本とエジプトで違う点はと言えば、エジプトでは選挙結果への介入操作が強く疑われているところでしょうか。反対票が賛成票を上回っても結果を操作されてしまうならば無駄、ならばボイコットしようという有権者が多数を占めたようです。これが日本になりますと、この手の疑惑が話題に上ることは滅多にありません。選挙をボイコットするのではなく、積極的に反対投票しようとする機運が今のところは強いでしょうか。

 しかし、最高裁判所が憲法上の規定よりも政府の意向を優先するのもまた日本の実情です。選挙管理委員会が選挙の公正性よりも政府の意向を重視する、これがあり得ない話かどうか、私には今ひとつ自信が持てません。将来の日本で起こりうることが、今エジプトで起こっています。ことの経過を注意深く観察することとしましょう。

 

 ←ちなみに私は憲法27条と30条に反対する改憲論者ですが

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1000/20000

2007-03-27 22:37:57 | ニュース

キヤノン、非正規雇用者から千人を正社員に登用(朝日新聞)

 キヤノンは、グループ各社の工場で働く非正規雇用の労働者のうち1000人を08年末までに正社員に登用する方針を明らかにした。正社員化は段階的に行い、まず派遣社員を期間工として雇用し、この中から試験に合格した人を正社員として採用する。この方針は、27日に各工場の責任者を集めて説明する。

(中略)

 キヤノンのグループ各社の国内工場で働く派遣・請負労働者は昨年暮れ時点で2万人余。このうち、主に派遣労働者(1万3000人)から08年末までに期間工として2500人、正社員として1000人を直接雇用する。これ以後も正社員の登用を進め、職場における正社員の比率を高める。同社の期間工は最長2年11カ月の期間限定社員をいう。

 違法な偽装請負から直接雇用に切り替えるという方針は全く評価できないわけではありませんが、いかにも目先の批判をかわすためと言いますか、明らかに不十分ですね。偽装改善とでも呼びましょう。

 そもそも2万人を超える派遣・請負労働者の中から正社員に登用するのは2年間で1000人限定、約20人に一人です。公務員試験よりは競争率が低いですが、東大入試よりは競争率が高いですね。そりゃまぁ、普通に入社試験を受けてもキャノンの正社員に採用される確率は低いわけですから20分の1というのも特別に低いわけではないのでしょうが、今までが不当な雇用形態だったものを是正するというのであれば、やはり不十分かと。正社員採用セミナーの広告に「派遣社員などで現在キャノンに勤務中の方は参加をご遠慮下さい」などと堂々と掲げてきたキャノンですから、期待する方が間違っているのかもしれませんが。

 アメリカの企業ではフロントに一人は黒人を置いておくそうです。人の目に触れるところに黒人を配置することで「うちは黒人を差別していませんよ、黒人にも機会を与えていますよ」とアピールするそうです。キャノンが非正規雇用出身者を正社員に登用する場合にもこれと似たような思惑はあるのではないでしょうか。「うちは非正規雇用の人間にも正社員になる機会を与えていますよ」と。

 正社員になればそれで待遇が改善するかというとそうも言い切れないのが現在の雇用情勢であるわけですが、まぁ失業不安が減るだけでも一応はよしとしましょう。そして不十分ながらも正社員化への道を開いたことは、とりあえずマイナスではありません。しかし、これが新たに差別を正当化する装置として機能し、階層の固定化を推し進める可能性があることにも注意しなければならないでしょう。

 たとえば、黒人にも(白人に比べて不利ではあっても)チャンスがあり、(白人に比べれば少ないながらも)出世する人がいるとします。そうなった場合、出世していない黒人はどうなるでしょうか? 黒人にも成功するチャンスがあるのに、そうならないのは本人の努力不足、甘えだ、そう切り捨てられてしまうこともあるのではないでしょうか? 同様にキャノンの非正規雇用の場合も、(枠は僅かではあるにせよ)チャンスがあり、正社員に登用される人が出てくるわけです。しかしそうなったときに、正社員になれず非正規雇用に甘んじている人たちがどう扱われるでしょうか? 正社員になれるチャンスは用意されているのに、そうなれないのは本人の能力不足、怠けているからだ、そう言って逆に差別が正当化されてしまう可能性もあるわけです。

 あるフランスの移民出身の政治家が、自分は毎日15時間働いてきた、人の倍以上の努力をして今の地位に就いた、移民でも人の倍以上頑張れば成功できるのに、今の若者は社会のせいにするばかりで甘えている云々と、そう語っていました。移民であるというだけで15時間働かないと、人の倍以上働かないと成功できないその不利を強いる差別が問題なのに、それを逆に正当化してしまう、飼い慣らされた被差別階層出身者もいるわけです。

 非正規雇用者を一斉に直接雇用にするわけでもない今回の是正策、あくまで例外的な一部だけを取り立てる是正策は、非正規雇用者の間により一層の分断を作るものであるかもしれません。

 

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国会まで行ってきました

2007-03-26 23:57:47 | 編集雑記

 今日は、ヒューマンチェーンなるものに参加してきました。今回は改憲を巡る諸問題に抗議すると言うことで、詳細と言うほどではないですが、案内はこちらに↓

レイバーネット

許すな!憲法改悪・市民連絡会

 さて、集会では共産党の笠井議員の話がありました。なんでも憲法調査特別委員会で意見を述べようとしたところ「どうせ笠井さんは反対だから聞かなくていいよ」と言われたとか。どうやら委員会内部でも話し合ってどうこうというレベルではなく、最初から完全に立場が固まっている模様です。そんな人たちを相手に抗議の集会を開いたところで、どうせ聞く耳を持たないだろう、そう思う人もいるのではないでしょうか。

 私自身は机上の空論が専門であって直接行動は面倒くさい、情熱の枯れ果てた人間なのでシュプレヒコールについて行けない、ついでに言えば田舎者ゆえ都心に出るのはなかなか骨でもあります。ただ今回は、ブログで愚痴を言う以外に何かできることがないか、それを探すつもりで集会に参加してみた次第です。

 デモの参加者の平均年齢は非常に高かったですね。国会の中の平均年齢と同じくらいでしょうか? それから国会の中は男性中心ですが、国会の外のデモの参加者は女性が大半でした。若い男は全く見かけませんでした。別に若い男を漁りに行ったわけではないのですが、かろうじて若者の男性である私には、少しばかり居心地の悪さを感じてしまう空間でもありました。

 若い男はどこにいるのでしょう? たぶん、仕事中なのでしょう、平日の夕方過ぎですから、会社に拘束されている人がこんな時間に国会前にいるなんてことはないわけです。デモに参加したければ、有休を使うなり早退するなり、いずれにせよ雇用者側のお許しをいただかなければならないわけですから、なかなか気軽に参加するというわけにはいきません。そんなわけで、例外的に融通の利く仕事をしている人、定年後の人、主婦層が参加者の大半を占めているようでした。

 さて、天木センセェが今日のブログで経済的自立のすすめなるものを説いておられます。

 若い人たちから助言を求められることがある。今なすべき事はなにかと。そんな時に私はこう答える事にしている。なるべく早い段階で経済的自立を確保するように目標を設定しろと。最低限の生活を確保できれば、あとは自分の好きな事をしながら人生を送る事が出来る理想的な人生を追求できるのだ。なによりも精神の自立が得られる。自分に正直な発言が出来るようになる。要するに自分を解放できるのだ。定年になってから自由になっても、それはもう遅いのだ。

 言っていることはごもっともなんですが、今の若い人を取り巻く労働環境は、最低限の生活を確保しつつ後は自分の好きなことをやれる時間的余裕も確保する、これを許すようなものではありません。もちろん例外的に十分な給与と余暇を与えられる職場もないわけではないのでしょうが、それはあくまで例外の話、大半は仕事に全生活を捧げ尽くすことを強いられる長時間労働だったり、あるいは使い捨ての非正規雇用だったり、働いても生活保護水準以下の給与しか出ない超低賃金労働だったりするわけです。

 こういう労働環境の中で経済的自立のために働いている人から見れば、今夜のデモの参加者は「俺たちが必死で働いているのに、あいつ等は自分の好きなことをやっている、気にくわない奴らだ」そう映ることがあるかもしれません。間違いなく、デモに参加していた有閑階層と、ほとんど姿を見ることができなかった主として男性の労働力世代、この両者の間には深い溝があり、日本においてデモや集会が社会的支持を得られなくなった背景にはこの辺りの溝が作用しているような気がします。

 逆に、経済的自立を確保していない若年層はどうでしょうか? ニートとかパラサイトなどと呼ばれる、実数としてはそれほど多くない階層です。この階層は経済的自立のために会社に隷属する必要がなく、デモに参加する時間的余裕ぐらいはあるはずです。ところが、そういう若者がデモにやってくるかと言えばそんなことはなく、むしろ逆に政府への指示が強い傾向にあったりします。

 坂本龍馬は実家からの仕送りを受け取りながら討幕運動に奔走しましたが、親からの金銭的援助を受けながら護憲運動その他に奔走する若者が社会的な尊敬を集めることはもはやないでしょう。(親から)自立しているのが一人前の大人、社会人だとする価値観が根強いわけですが、これは裏を返せば経済的に自立していないのは人間として未熟、子供だとする蔑視でもあります。そしてこの蔑視は左右問わず非常に根強い。

 しかしそうなると、デモに参加する時間的余裕があるはずの無業者層を欠陥品として周辺に追いやってしまうことになるのではないでしょうか? たとえ経済的に自立できていなくても、それは人としての価値には何ら関係のないはずですが、どうでしょうか? 就職せずに親に食わせてもらいながら政治運動をしている若者を応援できるでしょうか? もし、経済的に自立していないことを理由に彼を一人前の大人として認めない、彼が立派なことを言うのを認めないのであれば、この手の政治運動は完全に有閑階級の占有品になってしまいます。

 たぶん、今の社会環境で従来型のデモをやっていても、お偉いさんは聞く耳を持ちませんし、若者が理解を示すことも少ないでしょう。日本の社会状況に合わせた、日本型の新しいデモ形式を模索する必要があるように思うのです。今夜のデモの参加者は時間帯の問題もあって非常に偏った年齢・性別構成を示していましたが、これが全年齢を巻き込んだ運動にならなければ、希望は見えてきません。

 

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信念を守れ

2007-03-25 20:51:22 | 非国民通信社社説

 3月24日付の朝日新聞朝刊の記事がネタとしておもしろそうでしたので、少しだけ引用します。人のフリ見て我がフリ直せとは良く言ったもの、安倍総理の迷いもまた考えるヒントになります。

 安倍首相は18日、東京都内の映画館で銀幕に見入った。60年代の米デトロイトを舞台にした「ドリームガールズ」だ。
 「大衆に受けるためなんだよ」。音楽プロデューサーはスターを夢見る黒人女性グループに、ソウル音楽からポップスへの転向を説く。戦略は当たり彼女たちは夢をつかむが、やがて「本当にやりたかった音楽は何か」と自問し始める――。

 「『左』におもねっても、安倍さんを支持していた保守的な考えの人が離れるだけです」
 1月22日夜、首相公邸。

 選挙を前に石原慎太郎が少しだけとは言え神妙な顔を見せるようになったわけですが、安倍総理も似たようなもので、首相就任後は(その本性からすれば)ややおとなしく振る舞ってきました。しかるに思うように支持率は伸びず、本人には迷いが、支持者には不満が鬱積しているようです。安倍総理なりに協調路線を探ってきてさえ悪法が続々と飛び出すこの有様、それが開き直って当人のやりたいことをやり出したら偉いことになりそうですが、どうもその方向へ向かいつつあるようで、油断なりません。

 多数決で勝てるようにと、時に政治家は自らの信念を曲げて支持の獲得を優先させることがあります。唯我独尊の石原都知事が「専門家の意見を聞いて判断する」などと言い出したり、安倍総理が中国を訪問したり、時に「らしからぬ」行動に出るのを我々は目にしてきました。そしてこの「らしからぬ」行動で支持を集めることもあれば、逆に支持を失うこともあり、安倍総理の場合は後者に該当するわけです。

 排外的な国家主義者から見た場合、安倍総理の今までの振る舞いは「左」に阿っている、期待はずれだ、そう映るのでしょう。逆に国際協調派のリベラリストから見れば、予想していたほど過激ではないが、それでも十二分に危険な存在であり、僅かばかりの妥協があったところで決して支持できないわけです。安倍総理がいかに本性を偽ってアジア諸国に歩み寄りを見せたり悪法の導入を先送りにしたところで、それで左派が納得することはありませんし、逆に右派は弱腰だとして失望を露わにする、そうして支持率を下げてきた面もあるでしょう。

 そこで開き直ったか安倍総理、昨今では「左」からの意見は顧みずに、自らの本性に忠実に振る舞おうとし始めているようです。(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル

 「~よりマシ」という言葉が、特に選挙が迫るとよく使われるわけです。用例としては「民主党は自民党よりマシ」「浅野史郎は石原慎太郎よりマシ」、「~よりマシ」な候補に票を集めようと。それが間違いとは言いませんが、「~よりマシ」の理論を徹底するならば「ハト派、人道派の顔色を窺う安倍晋三は、開き直ってやりたい放題の安倍晋三よりマシ」というのも成り立つはずです。ですから安倍総理が(ちょっとだけ)左に妥協したことに対して、「~よりマシ」の理論で安倍総理を支持するというのもあり得るわけで、そして僅かなりとも左に妥協することで安倍総理が支持を広げられるのであれば、安倍総理は引き続き左の顔色を窺い続けたかもしれません。しかるに世論調査で左派が「よりマシな晋三」を支持しなかった結果として、最近の開き直った晋三が出てきた、そういう見方も成り立つでしょうか。

 さて、「よりマシ」な政党として一部で期待を集めてきた民主党が、自民党のゲートキーパー法案にあっさり賛同したことで失望された方、戸惑いを覚えた方もいらっしゃるかと思います。山口二郎氏は「民主党、自民党が大連立を組むことは、ありえません」と謎の断言をしていますが、現に東京都議会では民主党と自民党の大連立が続いてきたわけでもあります。本当に民主党は「よりマシ」な政党なのか、仮に「よりマシ」としても、それは「左の顔色を窺う晋三」は「やりたいようにやる晋三」よりもマシ、その程度の「よりマシ」であってどちらも危険な相手ではないか、そういう疑惑や不信は拭い去れないのではないでしょうか。

 その候補者がどういう人で、どういう思想信条を持っているのかよくわからないのに、反石原というだけで、その人に投票していいんですか? ということを言う人も必ずいますが、それでいいんです。選挙というのは、「よりまし論」でいいんです。

 こちらは山口二郎氏のマガジン9条への投稿からの引用ですが、いかがなものでしょう。その候補者がどういう人で、どういう思想信条を持っているのかよくわからないのに反○○というだけで投票するようになる、反○○の旗印の下に批判や検証が封じ込められる、批判する人がいなくなったときこそが民主主義の死だと思うのですが、山口氏にとっては違うようですね。一応、山口氏なりに言い分はあるようで、いくつか抜粋します。

なぜなら、定数一を取らなくてはいけない首長型の選挙については、勝たないと意味がない。結果が全てなんです。得票総数では反自公を上回っていたなんてことを言っても、そんなものは自己満足でしかない。

そこをみんなわかっていなくて、選挙運動も一生懸命やればいいみたいな、変なアマチュアリズムがある。それじゃだめなんです。「清く正しく」みたいなものは、選挙に負けたら何も意味を持たないんです。

だから市民派、護憲派には、ここでだだをこねたら、それ以上どういう選択肢があるの? と私は問いたい。

守るべき最後の一線だけは共有しておけば。「憲法9条は変えない。」「集団的自衛権は認めない。」「自衛隊は海外で武力行使はしない。」それだけで十分でしょう。

 私は安倍総理が見たという「ドリームガールズ」を見たことはありませんが、そこに登場する音楽プロデューサーが語ることは、概ね山口氏と同じようなことでしょうか?

 そこをみんなわかっていなくて、音楽活動も一生懸命やればいいみたいな、変なアマチュアリズムがある。それじゃだめなんです。「清く正しく」みたいなものは、売れなければ何も意味を持たないんです。だからソウル音楽をやりたい人には、ここでだだをこねたら、それ以上どういう選択肢があるの? と私は問いたい。守るべき最後の一線だけは共有しておけば。「今のメンバーは変えない」「ミュージシャンとしてやっていく」それだけで十分でしょう。

「選挙に勝つためなんだよ」。山口二郎氏は自民党型政治の転換を夢見る市民派、護憲派に、理想的な候補から勝てそうな候補への票の集中を説く。戦略は当たり市民派、護憲派たちは選挙に勝利するが、やがて「本当にやりたかった政治、護憲は何か」と自問し始める――。

 こんなシナリオがあるかもしれませんね。そしてもう一つ、こうも言えそうです。

『ポップス』におもねっても、ソウル音楽を支持してきた昔からのファンが離れるだけです

『右』におもねっても、平和憲法を支持してきた保守的な考えの人が離れるだけです

 「ドリームガールズ」ではポップスに阿った結果として商業的な成功を収めたわけですが、『左』に阿ったとされる安倍総理は懐古主義者からの支持を失いました。さて護憲派が『右』に阿ったらどうなるでしょうか? 戦略面での成功を収めた例もあれば、失敗した例もある中で、共通しているのは「本当にやりたかったのは何か?」という疑問が残されたことです。

 自分の応援する候補が勝つことを至上命題とした場合、反石原なり反自民なりに争点を単純化させて、批判されるべき点からは目を閉ざして一斉行動を取った方が良いように見えるのかもしれません。憲法問題にしたところで、争点を単純化させてそこから外れるものを切り捨てる、そういうやり方が「大衆に受けるためなんだよ」というところでしょうか。

 正直なところ、石原慎太郎でなければそれだけで東京が良くなる、自民党でなければそれだけで日本が良くなるとは思えませんし、憲法9条さえ守ればそれで良いのか、その辺りに強い疑問を感じるわけです。確かに9条は大きな争点に違いありません。しかし、それ以上の問題として国家権力に制限をかける憲法から国民を制約する国家主権の憲法へと、憲法の基本的な性格を変えようとする動きもあるわけでして、その辺りを問わずして9条だけに問題を矮小化させてしまっては真に守るべきものが守れるとは言えません。

 多数決が幅を利かす世の中で、「大衆に受けるためなんだよ」と語る音楽プロデューサーも、反○○や9条問題だけに争点を単純化して付和雷同を呼びかける山口氏も、ある意味では間違っていないのでしょう。ただ、そうすることで「本当に目指していたのは何か?」と、いつか後悔することになるかもしれませんし、あるいは安倍総理のように元からの支持者を失望させるだけに終わるかもしれません。下手に戦略論議を振りかざし、当初の目的を見失って迷走するよりも、常に目標を見据え続けていること、信念を守ること、これも一つの道でしょう。

 

 We are defenders of the faith

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民主党も無党派も

2007-03-24 22:12:57 | ニュース

石原氏の車に同乗の松沢・上田氏らを民主が批判(朝日新聞)

 神奈川県知事選に立候補した松沢成文氏と埼玉県の上田清司氏の民主党出身知事2人が22日、東京都知事選に立候補した石原慎太郎氏と並んで選挙カーに乗ったことが波紋を広げている。民主党の鳩山由紀夫幹事長は23日の記者会見で「はなはだ残念。石原都政8年の歩みを見て、今後4年間、知事を続けるのがふさわしいのかということを松沢氏に認識してもらえればな、という思いはある」と、松沢氏らの行動に戸惑いを隠さなかった。

 私が民主党のどこが好きかと問われれば、党議拘束の緩そうなところを挙げます。中には党の方針に背いたら除名する、個人の判断ではなく政党の判断が絶対の党もあるわけですが、民主党はさにあらず、てんでバラバラに行動しているわけでして、民主党としては浅野候補を支援していく方針であるにもかかわらず、民主党系の知事の中には公然と石原候補と連携していく人がいるようです。ちなみに私の選挙区の市議会議員が配っているビラを見ましたら、民主党執行部の姿勢をぼろくそに批判しておりまして、どこの会派に属する議員かと思いきや民主党の人でした。民主党は党の決定よりも個人の方針が優先される党みたいですね。まぁ、そういうところは嫌いではないです。

 ともあれ、都議会において民主党は全ての決議に賛成してきた、石原都知事に一度も反対したことがない純然たる与党であり、石原都政を支えてきた政党です。それが今になって石原都政を批判する、これは民主党の歩みの否定でもあるわけで、一貫して石原都政を支援してきた民主党であるにもかかわらず、選挙が始まって初めて反石原に回る、ある意味では変節です。ですから、松沢成文氏と上田清司氏の行動はむしろ筋が通っているのかもしれません。今まで石原慎太郎を支持してきた政党の人間がその支持を継続したところで不思議に思うようなことはないはずです。むしろ鳩山幹事長には何故今になって初めて反石原なのかをしっかりと説明し、納得させる責任があるのではないでしょうか。

 まぁ、厳密に言えば浅野氏は民主党の候補ではありませんし、石原氏は自民党の候補ではない、支援を受けているだけであって、政党の枠組みに縛られるものではないのかもしれません。お互い、無党派として都民に訴えていくわけです。無党派であることがプラスになるとの判断があるのでしょう。そしてそれ故に、無党派というものが私にはどうしても好きになれません。

 それが確たる根拠に基づいてのものか、それとも単なる偏見に基づいてのものか、いずれにせよ政党という存在に不信感を抱いている人が多数派なのではないでしょうか? 誰もが既存の政党政治に不信と不満を持っている、だから逆に、その政党との繋がりのなさを訴えることがプラスになる訳です。自分はあの薄汚い政党政治家とは別の人間ですよ、そう訴えることで有権者に期待感を与える側面があると思います。そして私は、無党派候補のそういう側面が嫌いです。

 ちなみに、今回の統一選挙における無党派ブームに火を付けたのが宮崎の東国原知事、この人もまた、しがらみのなさ―――あの薄汚い政党政治家とは別の人間性―――を訴えて当選したわけです。当選後はさっそく石原都知事と会談したり、高齢の議院を指して「眠っているのか死んでいるのかわからない」などと暴言を吐くなど、危険な兆候が随所に見られます。そしてつい先日にはこちら

東国原知事が慰安婦問題で「強制の確証ない」=外国人特派員協会の会見で(PJ)

 そう言えば石原慎太郎も、最初は純然たる無党派候補として自民党候補を破っての当選でした。あの当時はしがらみのなさ、薄汚い官僚政治家との違いへの期待を受けての当選だったのではないでしょうか。いつの時代も無党派候補は期待を集めますが、期待を集めて当選した無党派候補のその後の姿にも注目しておかないと、いつまで経っても同じ過ちを繰り返すことになるのではないでしょうか。

 

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日本人の条件

2007-03-23 22:41:28 | ニュース

中東外交「青い目、金髪は駄目」=人種引き合いに日本の貢献強調-麻生外相発言(時事通信)

 麻生太郎外相は21日午後、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。
 外相は「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか一回もない」と語った。中東での日本の貢献を強調するのが真意とみられるが、外交と人種や外見を重ね合わせた表現には欧米などから批判を受ける可能性がある。

 人を支える立場の人間は、上に立つ人の足を引っ張らないよう行いを慎むものですが、さてさて安倍内閣の閣僚達は好きこのんで物議を醸すような連中ばかり、安倍総理も部下の暴走ぶりにはさぞかし頭の痛いことと思われます。まぁ、本人の不徳の致すところかもしれませんが。あるいは、安倍内閣としては全く問題のない言動・行為と言うことなのでしょうか。

 さて今回の問題発言はこちら、幸か不幸か日本ではあまり話題になっていないようです。しかし、有道氏のブログにはこの麻生発言に対する外国メディアの反応がまとめてあります。この辺を読む限りでは「欧米などから批判を受ける可能性がある」ではなく、間違いなく批判を浴びていますね。

 いずれにせよ、麻生大臣の頭の中では日本人とは黄色い顔をしているものであり、青い目で金髪の人間は日本人に含まれないようです。そう言えば昨年のことになりますが、甲府市の英会話学校が"Blonde hair blue or green eyes"を条件とする求人広告を出して物議を醸しました。今なお金髪碧眼が外国人の象徴として通ると思っている人は少なくないようですね。

 そもそも中東で搾取してきた、平気をぶち込んで住民を虐殺してきた、そういう国のために国連で裏工作を行い、資金を提供し、法を曲げて後方支援を続けてきたのが日本なのですが、その辺りの裏事情は気づかれていないから大丈夫という算段なのでしょうか? それとも単に日本がどういう外交をしてきたのかをこの大臣は知らないのでしょうか?

 金髪碧眼が不可、黄色人種であることがプラスになる、というのであれば別に日本でなく中国や韓国でもよさそうなものですし、日本人でも民主党の弦念議員や日本代表の三都主や闘莉王、大横綱の大鵬だってダメと言うことになりそうです。麻生大臣の頭の中には彼ら日本の功労者が日本人の枠に含まれているのでしょうか?

 日本国籍とは、排他的な国籍です。二重国籍が許されません。ですから日本国籍を取得するためには元の国籍を放棄しなければなりません。そして元の国籍を放棄して日本に帰化した人々は、一体どこの国の人なのでしょうか? 有道氏のサイトには別の例としてある風俗店の看板が掲載されています。曰く「中国人&帰化人、残留孤児、中国系混血人児、接待に入店禁止、純血日本人男児のみ。」と。

 レイシズムに満ちた断り書きですが、ここで注目したいのは「帰化人」という項目です。要するに、元の国籍を捨てて日本国籍を取得しても、決して日本人とは認めませんよ、そういうメッセージがここにはあります。外から来るものは決して受け容れない、その人がいかに日本を理解し、日本に親しむ努力をしようとも絶対に同胞としては認めない、そんな意思表示です。そして麻生大臣の今回の発言の根底にあるのも、このような排外主義だったのではないでしょうか。

 

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卒業論文ではダメらしい

2007-03-22 22:33:36 | ニュース

大学卒業に認定試験、教育再生会議分科会が検討で一致(読売新聞)

 政府の教育再生会議の第3分科会(教育再生)は20日の会合で、大学の学部教育の質を担保するため、卒業時の認定試験の導入を検討することで一致した。
 分野別に試験を実施し、試験結果を基に大学が卒業を認定する仕組みを想定している。5月の第2次報告に盛り込みたい考えだ。

 会合では、出席委員から「極端に言えば九九が出来なくても大学に入れる」などと、大学生の学力低下を懸念する声が相次ぎ、4年間の学部卒業時に何らかの認定試験を設ける必要性で大筋合意したという。

 大学生の学力が落ちているので卒業認定試験の導入を検討しているのだそうです。一応、大学を卒業するに値するかどうか、卒業論文などの形で大学側が個別に卒業資格認定を行っているはずですが、その辺りは視野に入っていないのでしょうか。

 ともあれ、学力低下を懸念しており、この学力を引き上げたいという思惑があるようです。アプローチの仕方としては飴と鞭の2通りありそうですが、今回は鞭の方を使いたいのでしょうか、試験によって学力向上を働きかける方向で合意したとか。

 逆に鞭ではなく飴によるアプローチとしてはどんなものが考えられるでしょうか? この場合は、学力の向上を直接的な利益に結びつけることによって達成できそうです。たとえば、良い大学に入って優秀な成績で卒業すれば、高給と好待遇の社会的地位が待っている、それならば学生の側の学習意欲も高まりそうです。

 しかるに、日本は学歴社会ならぬ学校歴社会と言うべきでしょうか、ネームバリューのある大学を出ることが就職におけるアドバンテージとして機能はするものの、そこで発揮した学力、成績云々は問われません。ですから大学に入るまでが勝負で、後はきっちり4年で卒業できれば就職面では問題なし、これでは学生が勉強しないのも無理はありません。

 ついでに言えば、学歴が問われるのは新卒で就職されるときだけで、そこから先は職歴の世界、有名大学の出身でも新卒時に就職機会を逃し、職歴に空白期間を作ってしまえば人生オワタ\(^o^)/、一気に就業機会が狭まってしまうのが現状です。必死に勉強しても報われる可能性が低い、インセンティブに欠けるのですから学生が勉強しなくなるのは、やはり当たり前でしょう。

「よく勉強すれば、将来いい仕事がある」も17・8%と低く、中国(53・8%)、韓国(41・7%)と対照的
 以前に別のエントリで取り上げましたが、ある調査によると日本の子供は中国、韓国の子供に比べると勉強への意欲が低いようで、逆に際だって高いのがスポーツ、運動関連の項目でした。そうですね、日本は学歴社会である以前に体育会系社会ですから、学力向上よりもスポーツ活動に参加して体育会系になることの方が、将来の就業の上で有利になります。だから日本の子供は学力向上ではなく、より魅力的なインセンティブを持つスポーツ云々を志向するのかもしれません。

 今の日本では、学会よりも財界、大学よりも会社の方が圧倒的に重んじられているわけでして、会社の価値観に大学が従属しているのが現状です。ですから会社の求める方針に従って大学も変革してきたわけで、会社側が出身校のネームバリューだけを求めて学力を問わなかったからこそ今の学力低下があるわけです。大方の大学のカリキュラムは3年間で卒業に必要な単位が取得可能で、4年目は就職活動に専念することを念頭に置いて組まれているはずですが、これだって企業側の採用時期の前倒しに対応した結果です。

 だから、何らかの必要に応じて勉強する人、勉強するための動機付けとして何らかのインセンティブを必要とする人が、大学入学後に勉強を迫られるような構造にはないわけで、この辺にメスを入れない限り大学生の学力向上は難しいのではないでしょうか。あるいは好きで勉強している人もいるわけで、こういう人たちにはインセンティブは必要なく、大学の学力向上の牽引役として期待できるはずなのですが、残念ながら彼らへの視線は冷たいのです。就職活動よりも大学での研究を優先するような人を企業は歓迎しませんし、卒業後に職を持たないまま勉強を続ければニートと誹られる、大学院に進んで博士号まで取得したとしても、研究職に就けるのは全体の4分の1という有様で、残る4分の3は職歴なしの中年として路頭に迷う有様です。

 思うに、何かの目的のために勉強する人にとって、学力向上云々はニンジンとしての魅力がなく、好きで勉強する人にとっては社会からの支えがない、ここに鞭を付け加えた程度で学力向上云々は難しいのではないでしょうか。

 

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