非国民通信

ノーモア・コイズミ

ヘイトスピーチの自由

2006-08-31 23:57:16 | ニュース

姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」 (朝日新聞) - goo ニュース

 さて、いかにも石原氏らしい発言ですが、例によって一社を除く全ての大手メディアはこれを黙認するということで、報道したのは朝日だけということになりました。関係ブログを見て回った限りでは賞賛が批判をやや上回る程度、掲示板の書き込みの類では姜尚中教授への人格攻撃が中心の反応、mixiなんかはもっと石原支持が強いかな、と思ったのですがmixiはニュース提供元が初めから偏っているので内部での報道がなくあまり騒がれていない、といったところでした。

 基本的に2ちゃんねるなどの匿名コミュニティは日本の縮図であって掃き溜めではないと考えていますし、ブログなどの流れや大手メディアの対応(一社のみしか取り上げていない)を見る限りでは石原氏の発言は過半数以上の支持を得ているものと推測されます。かつて石原氏は、外務省の田中均外務審議官宅で不審物が見つかった事件に際して「爆弾が仕掛けられて当たり前」とテロを容認する発言を行い、国民の賞賛を浴びました。このときも石原氏の発言を批判する向きもありましたがネット上では概ね好意的に受け止められていたように記憶しています。加藤紘一の実家も火をつけられて当たり前、と言ったところでしょうか。

 今回の姜尚中教授に関する発言もあからさまな差別発言ではありますが、非常に共感を呼んでいる、メディアもそれを黙認することで暗黙のうちにそれを承認しています。国によっては特定の人種や階層への憎悪を煽るような発言は処罰の対応になりますが、日本には言論の自由が保障されており、多数派の立場からの発言であれば公の場で他人を誹謗しても許されるようです。記事もただ事実を伝えるばかりで、それが社会にどのような悪影響を与えるかなど、そういったことは考慮していません。そして報道しなかった他社にとって見れば、恐らく何ら問題はないということなのでしょう。自分に刃向かう相手へのテロを容認するような発言、差別発言、こういった発言を容認しては、自分たちは言論の自由を守っていると勘違いしているのでしょうか。

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ご冥福をお祈りさせて頂きます

2006-08-30 22:38:07 | ニュース

車転落3児死亡 「どう謝り、償えば」 今林容疑者 両親がお詫びの言葉 (西日本新聞) - goo ニュース

 この度の痛ましい事故につきましては、謹んでご冥福をお祈りさせて頂きます。しかし、この記事を読んでちょっと違うのではないかとも思ったわけです。これって、両親が出てくるべき問題なのでしょうか? もちろん加害者側の近親者としてお詫びの気持ちを表明するというのは十分にわかるのですが、これが完全に自主的なものであってくれればな、とも思うわけです。

 日本社会は、親と子を別れさせてくれない―――若者が親から自立できていないと社会通念上はそういうことになっていますが、実態は周りの圧力に寄るところも多いのではないでしょうか。私も長期のバイトや就職の際には身内の誓約書(うちの子が迷惑かけたら私たちが責任をとります、って奴です)の提出を求められたりしましたが、親は関係ねぇだろ、親はよぉ!と思ったものです。就職して親元から離れようとしても、会社がそれを許してくれない、連帯責任の引受先として親とのつながりを要求してくるのです。(これって変じゃないかと父に聞いてみましたが、父からすれば当たり前のことのようでした。私が入るような3流企業でも父が働く上場企業でもこの辺の考え方は変わらないようです)

 さて、今回の事件です。飲酒運転で3人の死者を出してしまったわけですが、悪いのは飲酒運転をした人であってその親ではありません。両親が同乗していて飲酒運転を黙認していたならその責任は問われるでしょうが、この場合加害者の両親には何の責任もありません。そうなのですが、子供の責任は親がとれ、と、そんな風潮があるのではないでしょうか。会社に提出する誓約書もそうですし、まだ記憶に新しいイラクでの日本人人質事件では被害者である人質達の両親への批判が殺到、日本中が狂奔したものです。そういえばつい先日に右翼の襲撃を受けた加藤紘一氏の場合も、被害にあったのは氏の母親が住む実家の方でした。幹事長を務めるほどになっても、やはり社会が親からの自立を許してくれない、子供が何かをしたら親に責任をとらせよう、そういう考え方が根強いことが窺われます。

 よくある若者叩きの場合も、その原因が親に求められることが多いです。子供がニートになったのは、親の教育、家庭環境に問題があったからだと。とはいえ就職しては会社から連帯責任を求められ、子供が事故を起こせば謝罪を求められ、子供がお上には向かえば親も非難の対象になる。日本の親は大変ですね。

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立ちふさがるのは誰か?

2006-08-27 20:26:12 | 非国民通信社社説

 とりあえずはこの記事をざっと読んでみてください。あまりにもひどい記事ですが(ちなみに記事に否定的なコメントを書くと削除されるようで、私のコメントも削除されました)、サンプルとしては悪くないです。ついでに、ルサンチマンの概念も今回の項目の前提として把握しておいていただけるとより理解が進むかと。さて、長い記事ですが・・・

 要約すれば、奴らが高給をもらっているのは許せん!と。一言で済む内容を上手いこと引き延ばしています。これは典型的なルサンチマン型の思考ですね。ではルサンチマンに駆られていない、自然な状態で考えてみましょう。27歳で年収1200万円です。いい給料ですね、うらやましい限りです。で、給料が高い―――これは悪いことですか?

 悪いことではありませんね。給料は高いに越したことはありません。高額の給与は生活の選択肢の幅を広げてくれますし、特に日本では社会的ステータスの保障として強い意味を持ってきます。給料は高い方がいい―――当たり前のことです。ところが、これを善くないと言う人がいるわけです。「異常」だそうで。えぇ、どうして? 誰だって、給料は高い方がいいんじゃないの?

 ルサンチマンの働きとは、優劣を善悪に置き換えるものです。今回の場合は、給与額の高低を善悪に置き換えているわけですね。もっとも、該当記事のライター氏の所得だって私の給与に比べれば3倍くらいはあるようですが、きっと本物の低賃金層は眼中にないのでしょうね。ともあれ「この状態を放置すると、どうなるか。確実にモラルハザードが起きるだろう。」と、断言しています。これはもう善悪、道徳の問題のようです。「人は実力以上のカネを手にすると勘違いし、倫理観が麻痺するということだ。これは民放キー局で性犯罪が多発したり、「社内不倫は知っているだけで8人いる」(フジテレビ若手社員)といった数々の証言から、ほぼ立証されている。実力ではなく「濡れ手で粟」で大金を持つと、性欲に走る人間が多いのだ。」、自身の思いこみと都合のいい例を引き合いに出して他人を性犯罪社予備軍として扱う記者のモラルの方が危ないとは思いますが。

 「講談社では17:30に終業のチャイムが鳴るが、毎日、たいした仕事もせず、チャイムと同時に帰宅する中高年社員もいるという。」実話かどうかは怪しいところですが、全く、いい会社です。仕事なんかに精魂つぎ込むのは止めてさっさと帰りましょう! さて、他の会社も見習って欲しいところですが、どうもこれが悪いことであるかのように書かれています。えぇ? それじゃあ、講談社の人たちが貧困層のように年収300万で毎日12時間働くようになれば気が済むんですか?

 何か社会的な問題によって困窮していても、その困窮に立ち向かわない、困窮を受け入れ、正当化し、肯定し、それに反するものを排斥するのがルサンチマンの働きと以前に私は書きました。日本の場合は劣悪な労働環境によって多くの人々が困窮しているわけですが、それには決して立ち向かわない、逆にそれを善とし、肯定し、それに反するもの(この場合は講談社の恵まれた労働環境)を悪として排斥しているのが引用した記事であるわけです。そしてこういうルサンチマンにとらわれ多考え方が幅を効かせ、蔓延している限り世の中はよくならないわけです。なぜなら、恵まれた労働条件は悪として否定されてしまっているから。

 「もし本当に勝ち組を固定化せず再チャレンジ可能な社会にするなら、出版社やテレビ局のような既得権者は、一番最初に権利を剥奪されるか、厳重に管理されなければならない。具体策としては、まず規制産業の賃金は公務員並みに規制する。規制撤廃された時点で自由化する。」要するに、労働者の中では例外的に恵まれた層を引きずり落とすべきであると。こういう主張が受け入れられることは、経営サイドにとって本当に都合がよいことでしょうね。経済構造にではなく、中間層でしかない労働者の中の成功した部分に怒りの矛先を向ける、経営サイドから見れば労働者間で憎しみあうばかりで自分への怒りは向かってこない。理想的です。2ちゃんねるの公務員叩きと一緒ですね。

 ルサンチマンを超越した自称スーパーマンから見れば、まあ馬鹿げたことです。そんなことより、労働者誰もが講談社の社員のように定時で帰って高額の給与を貰える、そんな社会を目指しませんか? 「国民は~、国力は~」などとお国のためにと言わずに、労働者は待遇の改善を目指していくべきです。好待遇を勝ち取った労働者を排撃するのではなく、その好待遇を広げるべく戦うこと、社会をよくしていくとはそういうことです。ただそのためには、経営側と戦う以前にああいう記事を書く、ルサンチマン=奴隷の道徳に駆られ、善悪を持ち出して他者を引き落とそうとする人々とも戦わねばならないのが頭の痛いところです。ルサンチマンとはニーチェが言うところの奴隷の道徳です。奴隷にとって何が許せないかと言えば、それは横暴な御主人様ではありません。御主人様は敬愛すべき、決して刃向かってはいけない相手、そして憎いのは自分より楽な仕事をしている奴隷、自分より餌をたくさん貰える奴隷なのでしょう。

 他に「ほとんどの新聞社は、労基法を完全に無視して休みをとらせないので、実際の労働実態を考えると、20代のうちは時給にすれば、それほどおかしな水準ではない」とか。休みを取らせないのは、おかしいですよ。頭のおかしい人にとってはおかしくも何ともないのかも知れませんが。引用記事で執拗に誹謗されているのはあくまで給与の高さ、労働時間の短さ(私は別に短いとは思いませんが)であって、低賃金労働や長時間労働は問題視されていないことに注目していただきたい。排撃の対象は低賃金労働と長時間労働で利益を上げる企業社会ではなく、好待遇を得た労働者であることに注目してください。そしてその根拠となるのは怪しげな思いこみによるモラルでしかありません。労働者が好待遇を得るべくいつか立ち上がったとき、これを阻もうとするのは誰でしょうか? 搾取する企業にたいしてではなく、企業から勝ち取った人々へと憎しみの矛先をずらそうと企てる人々がいます。

追記、
 ちなみに私は高所得者には累進課税、それを財源に社会保障として配分というのが当然のことと考えています。世の中には講談社の社員(しかし引用記事の内容が事実に基づいているかかなり疑わしいのですが)よりももっとたくさんの給与を得ている人たちがいます。引用記事は講談社の社員はろくに働いていない、不労所得だ!と決めつけていますが、もっとたくさんもらっている経営者なんかはどうなんでしょうねぇ? こういうプロ奴隷から見れば御主人様がたくさん儲けるのは当たり前のことで疑問なんてないのでしょうか。小泉政権のもとで高所得者への減税が進み、課税の累進性も失われ二次所得による配分は抑制され続けてきました。ああいうプロ奴隷から見れば社会保障による配分も許し難い不労所得、「国民の働く意欲を削ぐ」ものなのでしょうか。

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Get your gunn

2006-08-26 22:54:24 | 文芸欄

Marilyn Manson

Goddamn your righteous hand 全くあんたの正義の手ときたら
I eat innnocent meat             俺は純血の肉を喰らうのさ
The housewife I will beat        その主婦を俺は叩くだろう
The profile I will kill            胎児は俺を殺すだろう
What you won't do I will         あんたがして欲しくないことを俺はやるだろう
I bash myself to sleep           無理やり眠りにつく
What you saw I will reap         あんたが見たものを俺は手に入れる
I scar myself you see             承知の通り自分で自分を傷つける
I wish I wasn't me                  俺が俺でなかったらいいのに
I am the little stick                俺はちっぽけな棒だ
You stir me into shit              あんたは俺を糞の中でかきまわす
I hate therefore I am              だから俺自身が嫌いだ
Goddamn your righteous hand   全くあんたの正義の手ときたら
Goddamn, Goddamn                なんていやな なんていやな
Goddamn, Goddamn                なんていやな なんていやな
Pseudo-morals work real well   愚かな連中向けのトーク・ショーで
On the talk shows for the weak エセ道徳は立派に機能してる
But your selective judgements   しかしあんたの厳選された判決と
And goodguy badges                いい男の象徴は
Don't mean a fuck to me          俺にとっては何てことはない
I throw a little fit                    俺はちょっとばかし頭にきた
I slit my teenage wrist             それで血気はやって手を出した
The most that I can learn          俺の学んだことのほとんどは
Is in records that you burn        あんたが燃やした記憶のなかさ
Get your gunn, Get your gunn    お前のガンを取れ お前のガンを取れ
Get your gunn, Get your gunn    お前のガンを取れ お前のガンを取れ
Pseudo-morals work real well    愚かな連中向けのトーク・ショーで
On the talk shows for the weak  エセ道徳は立派に機能してる
But your selective judgements    しかしあんたの厳選された判決と
And goodguy badges                いい男の象徴は
Don't mean a fuck to me           俺にとっては何てことはない
I am the VHS                         俺はVHSだ
Record me with the fist             自慰しながら録画しなよ
You want me to save the world   世界を救ってほしいんだろ
I'm just a little girl                   俺は小さな女の子なのに
Pseudo-morals work real well    愚かな連中向けのトーク・ショーで
On the talk shows for the weak  エセ道徳は立派に機能してる
But your selective judgements    しかしあんたの厳選された判決と
And goodguy badges                いい男の象徴は
Don't mean a fuck to me           俺にとっては何てことはない
Get your gunn, Get your gunn     お前のガンを取れ お前のガンを取れ
Get your gunn, Get your gunn     お前のガンを取れ お前のガンを取れ

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カッコーの巣の上で

2006-08-24 21:42:58 | ニュース

ニートに「発達障害」の疑い、支援に心理専門職も (読売新聞) - goo ニュース

 ついに来るべきものが来たという感じですね。前々からテレビではニートは自閉症だ、統合失調だと公言して憚らない御用学者はいましたが、ここで読売も同様の説を持ってきましたか。

 今回の扇動記事の根拠となっているのが対象となった若者155人のデータとか。いかにも少ないですが、口実としてはこれで十分なのでしょう。「首都圏などにあるニートの就職・自立支援施設4か所を選び、施設を利用したことのあるニートの若者155人について~」とありますので、対象とされた155人はいずれも就職支援施設利用者、すなわち働く意志のある求職者であることがわかります。イギリスであればこれはニートとは呼ばれませんが(そもそもニートという言葉自体が日本でしか使われていないわけですが)、日本でのニート適用範囲は広いので求職活動中であろうと相手が社会的弱者ならお構いなしです。

 「発達障害またはその疑い」という時点で大いに怪しいものですが、それでも信じたい人は信じるでしょうし、そういう人も多いことと予測されます。しかも記事表題は「ニートに発達障害の疑い」であって「検査対象となったごく少数のニートの一部に発達障害の疑い」ではありません。広くニート全般に発達障害の疑いを投げかけているわけです。そして今後はこの診断がよりどころとなり、社会的弱者に対する差別の理論的裏付けとなるでしょう。骨相学のように優劣を決める似非生物学的な拠り所として歓迎され、ニートと呼ばれて蔑まれる社会的弱者は治療すべき病人として収容、矯正の対象ととらえられるようになるでしょう。

 「実態をさらに把握したうえで、支援機関に心理などの専門職を配置するなど、きめ細かい支援のあり方を検討する」ニートは病気であるとして、生物的に社会人とは違うと、ロボトミー手術でもして治療するつもりでしょうか。教育改革国民会議座長を務めた江崎玲於奈氏曰く「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になりますよ」と。いずれ失業者はハローワークで求人票をもらう際に占い師の診察を受け、それぞれの障害段階にあった処方がなされていくのでしょうか。

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母親の年金だけが生活の糧でフィールズ賞

2006-08-23 22:03:53 | ニュース

ペレルマン氏「自分の証明正しければ賞不要」 (朝日新聞) - goo ニュース

 およそ日本では絶対に認められそうにない人が話題になっています。1966年の生まれということで今年で40歳、一時は研究施設に勤めていたようですが自己都合で退職、現在は無職だそうです。「サンクトペテルブルクの郊外で母親と生活。わずかな貯金と元数学教師の母親の年金だけが生活の糧」とのこと。日本で言うところのニートですね。事情は一切考慮されず、親のすねをかじる、甘えている、将来的な国家の不安定要因になると、周囲が一丸となって悪口雑言を浴びせられていたでしょう。ロシアではいざ知らず日本であれば。

 人前に姿を現すこともほとんど無く、フィールズ賞受賞の契機となった論文もインターネットを通じての発表とか、日本であればさぞかし、ひきこもり、コミュニケーション能力がない、自閉症統合失調症などと規定され、汚物でも見るような視線を浴びることでしょう。髭を蓄えた容貌もまた日本であれば蔑みを強めたことと予想されます。たぶん、こういう人を表彰することに日本では国民の理解が得られないのではないでしょうか。あるいは、受賞を拒否したことさえ不敬であるとして社会の憎悪を招いたかも知れません。

 まあペレルマン氏のような人は、日本を含む何処の国にも少なからずいるものです。そしてたまたま、ペレルマン氏は才能があり、発表の機会があり、理解者に恵まれました。ただそんな人はごく僅か、割合で言えば宝くじに当たるよりも小さな確率でしかありません。ほぼ全ての人が、日本であれば社会不適合者として、社会の憎悪の的として生きてゆくことになります。別に悪いことをしているわけではないのですが、そういう生き方を許さない社会もある訳です。生き方なぞは人それぞれ、他人にとやかく言われるものでもなければ、会社が決めたルールから外れただけで社会的に破門される筋合いもないと思うのですが、そういう考え方も許されない、抑圧的な社会もあるのです。ペレルマン氏の生き方には憧れるのですが・・・

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極左?のつぶやき

2006-08-20 21:15:44 | 非国民通信社社説

 右か左か?と聞かれたら、とりあえずは「極左」と答えています。とはいえ、右翼か左翼かと、そういう分類があまり意味をなさなくなっている節もあります。とりあえず日本を中心とした地図を開きまして、右側にある国、つまりアメリカ帝国ですね、これに追従して左側にある国、アジア諸国を蔑視するのが右翼、逆に左側にあるアジア諸国のとの関係を重視し、右側にあるアメリカの介入を警戒するのが左翼と呼ばれるでしょうか。私は元々がロシア文学が専門でアジア諸国よりもさらに地図上は左にあるところが専門、そういうわけで私は極左です。

 私が小学生の頃にはソ連も崩壊し、社会主義、共産主義はとっくに死んでいました。ただ反共主義だけが生きのこっていました。社会主義、共産主義とは非人間的、非民主的、反自由、とにかく危険で良くないものなんだと、そう教えられて育ちました。まあ今の若い世代はだいたいこんなものでしょう。ただとりわけ反抗的だった私は同世代の人々と袂を分かつことになってしまいました。

 他国はいざ知らず(でもたぶん日本と似たようなもの)、日本ではとりわけ若年層の保守化、右傾化が進んでいます。特にネット上では。マイケル・ムーアは10年ほど前に出版した本の中で、ネットを使えと説いていましたがそれは間違いでした。10年前ならいざ知らず、今やネットは保守派の牙城です。

 とはいえ、右傾化は別にネットの中に留まるものではありません。先日は小泉ジョン一郎首相の靖国参拝を批判していた加藤紘一氏(氏も保守政治家の一人には違いないのでしょうけれど)の自宅が焼き討ちにあいました。お上に逆らう不届きものへの天誅であると、ネット上では喝采を浴びているこの事件ですが、事件翌日の新聞記事で自称右翼(まあ氏に他意はないのですが昨今の右翼の一般像からはあまりにもかけ離れているのでこう書きます)の鈴木邦男氏がコメントを出しておりました。たしか、メディアが右翼を追い詰めているとか。「追い詰める」という表現が引っかかったのですが、これは「駆り立てる、後押しする」のニュアンスのようでした。曰く、社会が、メディアの報道が保守一辺倒になってきて、逆らう奴は皆殺しにしてしまえ、そんな雰囲気になってきているとか。

 右傾化は何処の国も同じようなものではないかと思いますが、例えばドイツと比べた場合、日本には修正主義とヘイトスピーチが言論の自由に含まれていることが際だつのではないでしょうか。おかげでネット上には捏造された資料や典拠ばかりが拡大再生産され続けています。やがてそれはネットの外にも出てくる、捏造され歪曲された典拠に基づいて地図上で左の国を誹謗する書籍が書店で山積みにされてはベストセラーになったりします。

 私がいわゆるネット右翼を見てうらやましいと思う(そして同時に気持ち悪さも感じる)のは、その団結と甘やかしです。つまりネット右翼はそれに対立する左翼とされる層に比して非常に結束が固い。仲間意識が強いわけです。

 決して仲間を見捨てない。どんなに馬鹿で「本当こいつ頭オカシイだろう」と思われるネット右翼でも必ず仲間がわんさかと押し寄せ助けに来る。これが左翼ブログならどうだろうか。一部の例外を除いて(例えば北国ブログなど)ほとんど助けなどブログ主には期待できない。一人で必死に反論するか、あるいは放置、そしてそのうちコメント板の閉鎖に追い込まれる事多々である。
ネット右翼問題を考える国民会議

 アジア諸国や社会的弱者へのヘイトスピーチには無条件の支持が集まります。一度「同士だ!」と認定されればそれで決まり、いかに怪しげな主張であっても、その政治的立場、方向性が同じであれば絶対に味方が集まるものです。ところが左翼にはそれがありません、たとえ政治的立場が同じであっても、怪しげな主張は批判を浴びます。方向性が同じであれば全てよし、と甘やかしては貰えないのです。そしてもし、自分と対立する主張の人物の家に火をつけたら? 加藤紘一氏の自宅への放火は喝采を浴びました。これが左翼による皇居や小泉、安倍、石原の家への放火だったら、反対派からだけではなく、同じ左翼と分類される人々からもその手法を非難されたことは想像に難くありません(*1)。

 どうしてこんなことになってしまったのでしょうか? 国民性、などというものは都市伝説に過ぎません。まあ要因は多々あるでしょうが、彼らを増長させたのは右と左の手法の違いに寄るところもありそうです。まず右派は参加するのが容易です。言ってることはむちゃくちゃでも、やってることが犯罪行為でも、アジア諸国や社会的弱者への憎しみさえ共有していれば、無批判に受け入れて貰えます。たぶん、居心地のいい場所なのでしょう。何らかの契機に反対派から攻撃を受けても、ネット右翼はどこからか寄り集まってきて守ってくれます。貧困層の分断が進む中でこの連帯は賞賛にすら値するかも知れませんね。

 そして対立する相手への姿勢。ネット右翼の対応はあくまで「攻撃」でしたが、攻撃を受ける側はそれに対抗する適切な対応をとってきませんでした。たとえばネット右翼がよくやるのは、気にくわない言論を封じ込めるべく、掲示板やブログのコメント欄を占領すること、団結心が強くいかに問題のある手法をとろうとも支援が期待できる側には簡単な手法です。これによって個人サイトやブログの閉鎖、封じ込めを狙います。対してブログ管理者側が誠実なコメントで対応しようとしてしまう場合が多々あります。一見すると良識的なようではありますが、これは攻撃を目的としたコメントには何の意味もありません。相手はあくまで攻撃によって潰すことを目的としているのであり、話し合うことを、説明を求めてコメントしているわけではありません。だからどんなに丁寧に説明し、論拠を示し、完璧な反論をしたところで意味はないのです。そんなことをしたところで、それを否定するような論拠はいくらでも捏造されていますし、もとより聞く耳など持ってはいません。ネット右翼にとってあなたは倒すべき敵に過ぎないことを自覚しなくてはなりません。

 社会意識の豊富なネット右翼達は自警団活動にも熱心です。お上に刃向かう不逞の輩がいないか、目を光らせているのは今や国家機関ではありません(*2)。今日もネット右翼は目をこらして反体制的な言論を探し、攻撃の機会をうかがっています。そしてそれはネットの中だけには留まりません。時には不正なアクセスすらも駆使してサイト管理者の居住地を割り出し、そこへ押しかけるなんてのもあります。最近ではオーマイニュースのブログで、これが韓国メディア起源ということもあって攻撃が集中、登録していた市民記者の個人情報が書き込まれ、結局はコメント記入を内部関係者に限るという事件がありました。ところでさらされた個人情報は?

 ブログが炎上した場合はコメントを削除したりせずに「誠実な対応」「謝罪」がキーだと言われていますが、家が炎上した加藤紘一氏は謝罪すべきなのでしょうか? 悪意ある攻撃者にそれはないでしょう。話せばわかる、などという夢から覚めなくてはなりません。修正主義やヘイトスピーチにまで言論の自由を認めてきた日本ですが、どんな発言でも尊重する、そんな姿勢はもう通用しません。彼らはこちらがどんなに適切なことを言ったところで聞く耳を持っていないのですよ! たとえコメントが真剣なものに見えたとしても、それに返答する意味はあるのでしょうか? 議論をする態度の裏で、自分の意見を絶対に曲げるつもりはなく、結局屁理屈で通すだけ、それはあくまで目的、あなたの主張を突き崩すという目的を持った書き込みであり、たとえ論駁されようともまた新たな(捏造済みの)論拠を持って粘り強く反論してくるだけです―――あなたが根負けするときまで。彼らにとってあなたは打倒すべき敵であって、聖戦の相手に過ぎません。十字軍戦士は敗れることはあっても過ちを悟ることはないのです。

 他人の意見に理解を持つ、自分と異なる意見を尊重する、それはそれで立派な考え方なのですが、結局これが修正主義や差別的言動を野放しにし、右派に過剰な自由を許し、自信だけでなく社会的地位を与えてきました。今では修正主義の言論に配慮せずに創作を発表することすらできず、大手メディアも差別を煽るばかり。そしてこういった修正主義や差別心を取り入れては、自分たちは他人の意見を尊重している、中立的な立場で語っている、偏りがない公正な報道だと勘違いしている有様です。

 お上の行動を批判した政治家の自宅が焼き討ちにあう、修正主義に準拠していない漫画を掲載したら右翼(彼らを後押ししているのは普通の人々なのです!)が押し寄せてくる(*3)、そしてそれが社会的に支持され、批判されない。右派が勝利の余韻に浸っているときに、左派が「自分たちは他人の意見に耳を傾けた、異なる意見をも尊重し、柔軟な対応をとった」と、そう考えているとしたらもはや希望はありません。せめて内的な圧力、自制はかけないでいただきたい。相手を尊重するときは相手を選ぶべきではないか、そう思うのです。修正主義者やヘイトスピーチを繰り返す右傾化した人々を相手に、何を遠慮しなければならないのでしょうか。頭から相手の主張を否定し、純粋に潰すことを目的に集団で挑みかかる、そんな相手に誠実な対応は必要ありません―――そもそも無駄です。我々は理想を掲げてきましたが、それが通用しなくなってきました。そろそろ方向転換が必要でしょうか?


*1,これも結局はネットの中だけに留まりません。例えば選挙でも同様の効果があり、憎しみや軽蔑を共有している「同士」には無条件の支持、支援が集まります。いかに失政を繰り返して日本を窮地に追い込んでいようとも、同士である限り支持が減ることはないのです。これはアメリカ帝国主義の"show the flag"の考え方にも通じるところがあります。すなわち、敵か味方か。そして味方であるならば、検討する前にまず支援すべきだ、と。

*2,中国や北朝鮮ではネット利用への規制があるわけですが、これはどうでしょうか? 日本の場合、ネットの普及は体制への支持拡大、反体制的言論の押さえ込みに非常に大きな役割を果たしてきました。インフラ面でもアレな北朝鮮はともかく、中途半端に整いつつある中国の場合、むしろネット上での活動を活発化させた方が体制の維持には役立つのではないでしょうか。

*3,参考URLhttp://page.freett.com/tekkin1989/kunimoe/newpage1.html

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恐らく、喜ばしいニュース

2006-08-17 00:08:10 | ニュース

北方領土の対立が背景 陳謝と処罰要求の政府 (共同通信) - goo ニュース

 さて、北の方の海では領海に侵入した日本の漁船がロシアの警備艇から銃撃を受けて拿捕され、死者が出たとか。国際法上はロシア領ですが、日本ではイデオロギー上、日本領であるという日本国内から限ってみれば難しい地域での事件でした。この事件が日ロ関係にどんな影響を与えるでしょうか。何らかの強攻策や軍備増強の格好の口実となるでしょうか。

 あの9.11のテロ事件の2ヶ月後、ジョージ・ブッシュ大統領は国民の熱烈な支持を受けてCIAの権限拡大と国防費の大幅な増額を勝ち取り、「でも、すべてひっくるめて、ローラと私にとっては信じられないほど素晴らしい一年だった」との声明を出しました。一方、日本では北朝鮮によるロシア沿岸でのミサイル実験を受けては即座に国民の歓呼の声の元、経済制裁を発動、内閣官房長官安倍晋三氏は「金正日に感謝しないといけないな」と述べました。そして今回の拿捕事件ですが、やはりロシア側に感謝し、喜びを表明する日が来るのでしょうか。

 不幸にも死亡された船員とご遺族の方々には謹んで哀悼の意を捧げさせていただきますが、ここはどうでしょうか、仮想敵国であるロシアの銃弾に倒れたのですからいっそのこと靖国にでも祀ってあげたらいかがでしょうか。まあ靖国に祀られる資格があるのは天皇側の軍人のみ、戦没者であっても民間人や対戦相手の死者は祀られることはありません。とはいえ一億総サムライを自認する日本人のこと、サムライなら軍人みたいなものです。敵の銃撃に勇敢に立ち向かった英雄として祀ってあげてはいかがでしょう。身内が日本のために命を捧げた英霊となることを遺族は喜び感激する、まあ公式にはそういうことになります。天皇は当面のところ参拝しませんが、実権者である国家元首は直々に参拝してくれますから、遺族は死を悲しむ代わりに喜ぶ、靖国参拝を復活させるだけではなく、靖国のそういう役割も試しに復活させてみたらどうですか? 国民の過半数は支持するでしょう。

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好戦的な国民の国

2006-08-16 00:16:09 | ニュース

戦争起きたら「率先して戦う」 日本41% 中国14% 韓国10% (西日本新聞) - goo ニュース

 この記事に関連して、もう一つ引用を

 これに関連して、私は最近、一つの興味深い経験をした。あるひきこもり経験者と話したとき、彼はこんなことを言っていたのだ。「もしいまの時点で志願兵を募ったら、ひきこもっている人たちが結構応募するかも知れない」と。実は私も同様の懸念を持っていたので、むしろ彼の発言に驚いた。しかし、これは実際にありうることなのである。(斉藤環『「負けた」教の信者たち』)

 第一次大戦前夜、社会の落伍者だったアドルフ・ヒトラー青年は戦争が始まると軍に志願、個人としてはめざましい功績を挙げ、どん底から輝かしいキャリアへの第一歩を踏み出したわけですが、まあ別にヒトラーに自分を重ね合わせているというわけではないでしょう。ただそうでなくても、他国に比べて日本には軍隊への強い共感、敬意が存在しているのは間違いありません。

 そもそも日本では軍や兵士のことを堂々と語れる雰囲気があります。それは中韓と違って侵略した側の国家であったせいでしょうか、軍隊のことを誇らしげに語ることができる。結局は負けたのですが、その負の側面には目を向けず、栄光の歴史として軍が語られている。戦後の混乱期には敗軍の将である戦犯達が非難された頃もあったようですが、今では悲劇の英雄として顕彰されるばかり、ちょうど昨日は国家元首が彼らの栄光を称えに靖国神社へ参拝しては喝采を浴びたとか。まあ栄光と言っても張りぼての栄光なんですが。ともあれアメリカの侵略行為も積極的に肯定する、国際問題の解決に武力を用いることに抵抗や後ろめたさがない社会な訳です。

 表題記事では触れていませんが、日本人は「サムライ」が大好きです。アメリカ人など西洋人もサムライは大好きですが、それでもサムライを崇め、自らサムライ気分に浸っているのはなんといっても日本人であるわけです。かつて江戸時代に存在した侍とは少数派でした。大半は農民だったり、商人だったり職人その他だったり、ともあれ日本にいた人の大半は侍ではありませんでした。ところが今では多くの日本人が自らをサムライになぞらえ、サムライを国の象徴と勘違いしています。このサムライとは何でしょうか? 日帝の兵士のことでしょうか? サッカー日本代表のユニフォームカラーは「サムライブルー」だとか。旧日本軍の兵士の色とはかけ離れていますし、江戸時代の少数派であるサムライの色でもなければ日本の多数派であった農民の色でもありません。ただ「国家を背負って立つことの意味がわかっていない」などの精神論に基づく非難がなされたことは、サムライらしいような気もします。

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痕跡を消せ

2006-08-12 17:10:21 | 文芸欄

B.Brecht

仲間とは駅で別れろ、
朝、街にはいるとき上着のボタンをきちんととめろ、
ねぐらを探せ、たとえ仲間がノックしようとも、
開けるな、いいか、ドアは開けるな、
それよりまず
痕跡を消せ!

ハンブルクであれどこであれ、親に出くわしたら
そしらぬ顔でやりすごし、角を曲がれ、気づかぬふりをして、
親にもらった帽子を目深にかぶれ、
見せるな、いいか、顔は見せるな、
なよりまず
痕跡を消せ!

肉があればそれを食え! とっておこうと思うな!
雨が降ればどの家へでもはいり、そこにある椅子に坐れ、
だが腰は据えるな! 帽子を置き忘れるな!
よく聞けよ
痕跡を消すのだ!

何を言うにも、二度は言うな、
他人が同じ考えだとわかっても、同調するな。
署名をせず、写真を残さず、
現場に居合わせず、何も言わない、
そんな奴がつかまるはずがない!
痕跡を消すことだ!

もし死ぬつもりなら、墓が建たないよう
手配しておけ、立てば居場所が知れる、
まぎれもない字で名前がわかる、
死の年号がお前の罪の証拠になる!
いまいちど繰り返す、
痕跡は消すのだ!

(と、僕は教えられた)

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