非国民通信

ノーモア・コイズミ

地裁でこの判決かよ

2009-02-28 11:32:51 | ニュース

靖国合祀訴訟:神社への遺族の取り消し請求棄却 大阪地裁(毎日新聞)

 第二次世界大戦の戦没者遺族9人が「同意なく肉親をまつられ、故人をしのぶ権利が侵害された」として、靖国神社への合祀取り消しを同神社に求めた訴訟で、大阪地裁は26日、原告の請求を棄却した。村岡寛裁判長は「原告の主張する権利は、合祀という宗教行為による不快や、神社への嫌悪の感情と評価するしかなく、法的利益と認められない」とした。同神社が被告となった訴訟の初の司法判断で、東京、那覇両地裁で係争中の同様の訴訟にも影響しそうだ。

 判決は合祀について「遺族らの同意・承認を得ることが社会的儀礼としては望ましい」と指摘したが、「合祀行為には強制や不利益がなく、原告の求める権利に法的利益はない」と結論付けた。

 靖国神社が大好きな人は往々にして創価学会が大嫌いなようですので、この記事の「靖国神社」を「創価学会」に置き換えて読んでみるといいのではないですかね。たとえば自公政権の肝煎りで建てられた学会の宗教施設に、国の情報提供の元で自分の親族が同意なく祀られたとしたらどうでしょうか。まぁ、その筋の人の超理論にかかれば、「創価学会はNGだが靖国は栄誉」となりそうですね、そういう問題ではないのですが。

 それはさておき、今一つ納得のいかない判決です。これが最高裁の決定なら、「最高裁だから行政を守るのは当たり前」となるわけですが、地裁でこの判決というのも随分と酷い話です。曰く「合祀行為には強制や不利益がなく」だそうですが、この点だけでも議論の余地があるのではないでしょうか? たしかに、靖国に勝手に合祀された結果として、遺族が会費を請求されたり、宗教行事への参加を強要されることはないかも知れません。どこか知らないところで見知らぬ誰かが勝手に祀っているだけですから。でも、例えば規制論議の賑わしい児童ポルノだったら、法的な扱いはどうなっていたでしょう?

 既に撮影された児童ポルノがあるとしましょう。撮影時に諸々の人権侵害があるかも知れませんが、その後はどうでしょうか? ビデオなり写真が出回るかも知れません。しかし、ビデオや写真が出回ったからといって、それが直接「強制や不利益」をもたらすわけではありません。どこか知らないところで見知らぬ誰かが勝手にに鑑賞している、それだけのことです。ならば被撮影者が裁判に訴えても「法的利益はない」として棄却されるのでしょうか。さすがに、そう言うことはないと思いたいですね。直接的な加害/被害がなくとも法的な介入が必要な部分はあるはずです。

 神社は、護国神社への合祀を巡り、キリスト教徒の遺族が敗訴した自衛官合祀拒否訴訟で最高裁が「宗教的人格権は法的利益と認められない」とした判決(88年)を根拠に、「原告の求める権利は最高裁が否定した宗教的人格権と同一」と反論。さらに、戦没者の氏名を記入した霊璽簿などの名簿は「合祀手続きに不可欠で、神社にも信教の自由がある」と主張していた。

 ……で、被告の主張するには「神社にも信教の自由がある」のだとか。なんでしょうね、ネトウヨの屁理屈みたいな、微妙な自己陶酔感が漂っている気がします。とりあえず個人には信教の自由がありますが「神社」にはあるのでしょうか? 個人が何を祀ろうと、そこまでは介入できるものではないにせよ、宗教法人である靖国神社が組織として祀る場合は話が違ってくるはずです。個人に認められる権利が法人にも認められるなら、会社にも「生存権」があるとかそういう話になりそうです。まぁ、確かに日本では個人よりも法人に対してこそ、手厚い社会保障が用意されているだけに実質的にはその通りなのかも知れませんが。

 そう言えば以前にNHKが安倍晋三と中川昭一の要請を受けて番組を改編して、それで出演者から訴えられたことがありました。結局、最高裁がその役目を遺憾なく発揮、原告の主張を退けるに至ったわけですが、勝訴したNHKは「最高裁は、NHKの主張を認め、「編集の自由」は軽々に制限されてはならないという認識を示したものと考えます。NHKは、今後も、自律した編集に基づく番組制作を進め、報道機関としての責務を果たしていきます。」とコメントしました。NHKの用語では「編集の自由」=「政治家の介入を許す自由」だったわけです。では、靖国神社の用語で言う「信教の自由」はどういう意味なのでしょう?

 

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そう都合良くは行かないもの

2009-02-26 23:14:52 | ニュース

人間社会はそんなに単純でない=竹中氏の理論を一蹴-与謝野財務相(時事通信)

 与謝野馨財務相は24日午前の衆院財務金融委員会で、竹中平蔵元総務相が小泉政権時代、市場競争の末に富が一部に集中しても、そのおこぼれを貧困層も享受できるとする「トリクルダウン効果」を主張していたことについて、「人間の社会はそんな簡単なモデルで律せられない」と一蹴した。階猛氏(民主)への答弁。

 酔っぱらいの跡を継いで財務相まで兼任することになった与謝野氏です。今後は酷評する機会も増えるとは思いますが、とりあえず今回はまともなことを言っています。竹中やその同類が主張する「トリクルダウン効果」を一蹴していますね。そりゃそうです、「トリクルダウン効果」なんてものが実在するなら、戦後最長の景気回復を経て国民の生活水準は跳ね上がっていなければおかしいはず、それなのに給与所得は全く増えなかったのですから、僅かでも実証的な態度で経済を見る姿勢があれば「トリクルダウン効果」なんて口には出来ないでしょう。

 不況時には労働分配率が上がり、好況時には労働分配率が下がるもの、などと宣う人もいるわけですが、それが当然と言えるのは「従業員の給与が上がったが、それ以上のペースで会社の業績が伸びた」結果として労働分配率が下がった場合のことです。「会社の業績は伸びているのに、従業員の給与は全く増えていない」、その結果として労働分配率が下がっている現状はやはり異常と呼ばれるべきでしょう。「いつか」富裕層のおこぼれが回ってくる(戦後最長の景気回復がダメなら、いったいどれだけ待たねばならないのでしょうか? 56億7千万年後?)、そんな夢を見ている場合ではなく、真面目に分配を考えなきゃいけません。

年金給付水準「50%可能」 前提条件、現実離れ 厚労省試算(産経新聞)

 厚生労働省は23日、現役世代(働く人)の手取り収入に対する公的年金受給者への給付水準(所得代替率)が平成50(2038)年度以降も50・1%を維持できるとの試算を提示した。「所得代替率は50%を下回らない」として、年金不信の解消をはかった平成16年の年金制度改正時の政府公約を堅持できるとした。だが、今回の試算の前提条件となる経済状況や合計特殊出生率は足元の動向よりも甘く設定されており、試算を疑問視する声が出るのは確実で、制度改正からわずか5年で「100年安心」をうたった年金制度にほころびが顕在化した格好だ。

(中略)

 ただ、この場合の平成50年度の手取り収入は71万6000円(給付水準は夫婦で35万9000円)。名目賃金が毎年2・5%上昇することが前提だ。年金積立金も4・1%で運用できることが条件だ。出生率も1・26としている。ただ、過去10年の賃金はマイナス基調で推移。運用利回りも、足元の長期金利が1・2~1・3%のなか、16年の年金改正時の3・2%から、さらに高く想定している。

 与謝野氏にさえ一蹴される竹中に続き、今度は産経新聞にすら一蹴される厚労省試算です。例えば出生率の青写真などが果てしない回数の下方修正を繰り返してきた「実績」を鑑みれば、今回の試算も際限なく下方修正されるものと予測して間違いないでしょう。絵に描いた餅、よほど「運」が良くても達成できるかどうか疑わしいプランです。民間企業だったら「我が社の未来は有望です」と明るい材料を提示して投資を呼びかけますが(もっとも日本企業なら、業績悪化を強調して人員削減を正当化する方を好むところもあります)、それと同じノリなのかもしれません。真面目に将来を予測した結果がこの試算であるとは、とても思えないのですよね。

 算定の基準として、「平成50年度の手取り収入は71万6000円」とあります。ふむ、「平成50年」とは平成天皇が105歳まで生きることを前提とした試算みたいです。有り得ないことではありませんが、そこまで長生きできると考えて将来設計しているとしたら、相当な楽観論者で……

 ……という冗談はさておくにして、「手取り収入は71万6000円」という前提条件もまた楽観論が過ぎるのではないでしょうか。福祉国家に後れを取るばかりの緩やかなものであったとはいえ、紛れもなく「戦後最長」を記録した景気回復を経ても尚、勤労者の収入は増えなかったわけです。その所得がどうして70万円を超えるまでに増加するのでしょうか? 景気回復は労働者の所得を増やさない、この今の社会の在り方――構造改革路線――を維持するなら、企業と投資家の取り分は増えても働く人の取り分は永遠に据え置きです。こうした昨今の労使関係をキッパリと否定しない限り、手取り収入の増加を前提とした議論は現実味を持ちません。これに加えて緊縮財政路線、インフレを恐れてデフレ状態を放置するような政策が続くなら所得が増える要因はどこにも見つからないはずです。まぁ、手取り収入と給与所得は別物ですから、一部の極端な富裕層が平均値を引き上げる形で「手取り収入70万円」を達成すると踏んでいるのかも知れませんけれど。

 

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「サヨク」の継承者

2009-02-25 22:35:08 | 編集雑記・小ネタ

 またちょっと時機を失した話題ではありますが、第8回大佛次郎論壇賞の贈呈式が帝国ホテルで開催されまして、当然のことながら受賞者である湯浅誠氏もそこに出席したわけです。だからどうしたというものでもありませんが、この一件で鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいる人もいるそうです。曰く「「帝国」ホテルで論壇セレブたちと「歓談を楽し」む「反貧困」活動家をよく信用できるな、ブサヨども!」とか。

参考、帝国ホテルでの受賞パーティに出席しただけで湯浅氏をdisる人 - クッキーと紅茶と

 そう言えば、諸々のキーワードに独自の自分ルールを当て嵌めることで斬新な世界観を構築し続ける城繁幸氏によりますと、貧困ビジネスとは貧困や格差を論じることで収入を得ることを指すらしく、その例として氏が挙げていたのが件の湯浅誠氏でした。その筋の人から、今最も恐れられているのが湯浅氏なのかも知れませんね。

参考、おめでたい言説「貧困ビジネスで稼ぐ連中!」 - 花・髪切と思考の浮游空間

 さて、結果的に本が売れて収入が増えた、イイトコロに招かれる機会も増えたとして、そこに重要性を見出すかどうかで右か左か別れるような気がします。活動を私的な領域とは切り離して考える人は左に、私的な領域を犠牲にしていなければ活動そのものを全否定の対象とする人は右に多いのではないでしょうか。とりあえず産経新聞や警察発表にはそういう傾向がありましたね、デモの先頭に立った活動家を指して「一戸建ての住宅に住み、高級車に乗っている」と(事の真偽はさておき)強調する等々、反労働者の立場に立つ人は、まず自分を犠牲にすること、私財を投げ打つことをもって、貧困を訴える「資格」と見ているようです。この論理ですと湯浅氏は資格がないということになるのかも知れませんが……

参考、一戸建てに住んで何が悪い?

 かの名高い連合赤軍においては、綺麗に化粧をして運動に参加しただけで革命への熱意を疑われ「総括」を要求されたこともあったと伝えられています。本当に世の中をよくするつもりがあるのなら、悠長に化粧などしているのはおかしい、そんな人間は活動家として信用できないというわけです。そしてこういう考え方は、少なくとも現代では左ではなく右にこそ見られるものではないでしょうか? 少なくとも湯浅氏に向けられている非難の多くは、そういう性質のものですから。

 自分を犠牲にしない人には貧困を語る資格がない、そうして「献身」を求める人は潜在的に他人の犠牲を求めているわけですが、こうした「社会のための」犠牲の正当化を好むのは、今やサヨクではなく反サヨク陣営です。連合赤軍に象徴的に現れたような昔年の左翼的なものは(あまり知名度が高くないだけで、右翼団体にも似たような事例はあったでしょうけれど)、むしろ反対陣営、右派、とりわけネット上の右派などにこそ脈々と継承されているような気もします。

 民主集中制ならぬ民主党集中制と私は呼んでいますが、行動の統一を破ってはならないとばかりに民主党への集票を訴え、共産党候補の立候補を誹謗中傷してやまないような輩はどうでしょうか? むしろ共産党支持層よりも、反共産党主義者の方が、その実践としては民主集中制の原則に忠実に見えます。やはり昔年の左翼的なるものは、この場合でも対立陣営にこそ継承されているようです。

 あるいは、「徴農」「下放」です。今から過去を振り返って評価するならともかくとして、その当時に「左」とされた国で行われた政策である徴農を、現代の日本で唱えているのはどういった人々でしょうか? 中には、まさに生きる化石としか言いようがない旧世代の左翼もいるかも知れませんが、その大半は極右政治家、御用評論家の類ですね。カンボジア共産党や中国共産党の思想的な後継者は、日本共産党よりも自民党が相応しいわけです。他にはかつて左派政党の支持基盤だった都市部、若年層が今や極右政党と化した自民党の支持基盤に移り変わる等々、旧世代の左翼的なるものは、右にこそ受け継がれていると、そう判断してもあながち間違ってはないのかも知れません。

 

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どこの職場にもありそうな事例から

2009-02-24 22:40:43 | ニュース

マスコミからは人気者でも、社員からは総スカン!? “裸の王様”女社長に忍び寄る「影」(DIAMONDonline)

 しかし、ここでも問題が起きた。入社数日後から、父親の側近である、古参の社員らとの対立が始まったのである。藤芳が「経営改革」と称して、ひとりで物事を決め、ひとりで進めていくのが原因だった。

 半年程後、彼女が社長になると、複数の幹部が辞表を一斉に出した。幹部らと、藤芳は激しい応酬になった。

 「社長には、ついていくことができません。何をお考えになっているのか、わかりません。これでは……」

 「私は父の後を継いだばかりだけど、社長よ。あなたたちは、そんなことが言える身なの?」

 「ですから、もっと話し合いをさせていただきたいのです」

 「社長の私がなぜ、あなたたちと話し合うの?」

 今日はお笑いダイヤモンドからの抜粋です。ライターの主張は往々にしてアレですが、事例としては面白いと思います。今回はある「女社長」をモデルにしたエピソードですね。強いて言えば何も「女社長」である必要はなく、男性社長でも似たようなケースは多々あるでしょうし、世襲の二代目社長でなくとも、運良く一代で財をなしたワンマン経営者でも似たようなものでしょう。あるいは社長より下、課長や部長クラスでも似たタイプはいくらでもいると思います。結構、状況をリアルに思い描ける人は多いのではないでしょうか。あ~、○○みたいな奴だ、と。

 ま、その辺はさておき、この社長はダメですね。社員からすれば迷惑きわまりない。さすがのダイヤモンドでも批判の対象にされているほどです(これが女社長ではなく男性の社長だったら、扱いも違った気はしますが)。しかるに、「マスコミからは人気者」というのがポイントです、日経やダイヤモンド、PHPからも人気者なのでしょうか。社員と対立しつつも、それを苦労して乗り越えた云々というエピソードを美談仕立てに紹介され、持て囃されているのでしょう。社外からは英雄的な経営者として賞賛されつつも、実は社員には忍従を強いるばかり、基本的にカリスマ経営者ってのはそういうものですよね?

 取り上げ方の問題もあって、今回のケースでは件の「女社長」藤芳(仮名)氏に批判的な視線が注がれるものと考えられます。ただ、それはこうした手口への反発よりも「どちらに感情移入して読むか」がより強く影響しているのかも知れません。ここで「女社長」に感情移入して読む人は非常に少ないでしょう。ところが、ちょっと単語を入れ替えるとどうなるでしょうか? 似たようなロジックでも感情移入する対象が入れ替わり、別の感想を抱く人も多いような気がします。

 鳩山が「行政改革」と称して、ひとりで物事を決め、ひとりで進めていくのが原因だった。半年程後、鳩山が総理大臣になると、複数の事務次官が辞表を一斉に出した。官僚らと、鳩山は激しい応酬になった。
 「総理には、ついていくことができません。何をお考えになっているのか、わかりません。これでは……」
 「私は新政権を発足させたばかりですが、首相です。あなたたちは、そんなことが言える身なの?」
 「ですから、もっと話し合いをさせていただきたいのです」
 「総理の私がなぜ、あなたたちと話し合うの?」

 どうですかね? 先日のエントリとの絡みもあるので、ここでは鳩山を当て嵌めましたが、小泉でも橋下でも似たようなものです(適宜、単語を入れ替えてお読み下さい)。そこで使われるロジックが全く同一でも「女社長」と「古参社員」の場合、「改革者」と「抵抗勢力」の場合とで評価は全く異なるのではないでしょうか。どんなに横暴な手口であっても、有権者の歓心を買うことに成功した側と、盲目的に嫌われている側とでは、初めから結論は決まっているのです。そのやり方が適正なものかどうかを問うより、どっちかが「正義」でどっちかが「悪」、そうやって物事が判断されるのでしょう。日本は民主主義ではなく勧善懲悪の国ですから。

 

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容疑者は容疑者であって犯人じゃない

2009-02-23 22:53:32 | ニュース

阪上容疑者に給与払い続けたくない!条例の改正検討(神戸新聞)

 宝塚市の霊園整備事業をめぐる贈収賄事件で逮捕された市長の阪上善秀容疑者(61)に、二月分の給与全額百二万円が逮捕翌日の二十日に支払われていたことが分かった。阪上容疑者は容疑を否認しており、辞職までは拘留中でも給与を支給せざるを得ないためで、市議の間では「給与支払いの停止に向け条例改正が必要」との声が上がり始めた。

 阪上容疑者の逮捕後、市長の仕事は職務代理者の坂井豊副市長が務めているが、阪上容疑者が辞表の提出などで辞職しない限り、市長の身分は継続する。

 市の特別職に関する給与条例によると、期末手当は起訴後に支給停止の措置が取れるが、逮捕による月額給与の支給停止の条文はなく、辞職まで給与を支払い続けることになるという。

 市は「市民が納得できない気持ちは痛いほど分かるが、起訴されるかどうかも不明な時点で給与を差し止めるのは法的に難しい」としている。

 公的機関が率先して条例違反を犯すべきではないと思いますので、このような場合は私情を交えず厳正に規則を適用するのがまず第一の筋でしょう。少なくとも特定の容疑者を罰するために後追いでルールを作るのは好ましくありません。そもそも「疑わしきは罰せず~」との原則が生きているのなら「起訴されるかどうかも不明な時点で給与を差し止めるのは法的に難しい」とする市の判断が全てです。

 もし有罪が確定した場合、市長として勤務しなかった期間の給与を返納させるというのならわかります。誤審や冤罪の可能性もありますが、一応は裁判所の判断を尊重することにしましょう。しかし、ただ容疑をかけられた段階、起訴されるかどうかも定まっていない段階で給与支払いを停止するのはどうでしょうか? 要するに、白であろうが黒であろうが関係ない、事の真相が明らかになるのを待つつもりなどない、すなわち容疑者と犯人を同列に扱おうということです。疑わしい人間は社会的に抹殺してしまえと、そういうノリですね。ほとんど自覚はないでしょうけれど。

 「不徳の致すところ~」という考え方もありますので、嫌疑を招くような振る舞いがあったことは、確かに政治家として咎められるべきことかも知れません。ですから、疑いを招いたことで支持を失う、票を失う、批判を受けることもあるでしょう。推測に基づき、有権者の私的な判断として市長への支持/不支持を変えるのはあってしかるべき、疑惑を追及するのもあってしかるべきことです。しかし組織の決まり事を、単に「疑わしい」という推測だけで覆してしまうのはどうかと思うわけです。

 まぁ警察だってある程度容疑が固まってから逮捕に踏み切るわけで、逮捕された人は実際に有罪である確率の方が高いのでしょうけれど、しかるに誤認逮捕や冤罪もまた少なからず発生しています。報道機関も容疑者と犯人を完全に同一視する有様ですが、そうではなく、容疑者だからといって犯人とは限らないことをメディアは国民に知らしめるべきだとも思うのです。比較的同情されがちな痴漢冤罪の場合でも、往々にして有罪無罪にかかわらず容疑をかけられた時点で社会的な制裁が待っています。しかし、無実の可能性があるのなら刑罰や給与停止などの強制的手段は保留されるべきですね、そうでなければ疑いをかけた相手にはやりたい放題になってしまいますから。

 

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やっぱり鳩山はダメだな

2009-02-22 11:24:48 | ニュース

「民主に賛成の官僚以外クビ」鳩山氏、政権奪取後の構想(読売新聞)

 民主党の鳩山幹事長は9日、大阪市で開かれた関西経済同友会の会合で講演し、民主党政権での政府人事について、「(各省庁の)局長クラス以上に辞表を提出してもらい、民主党が考えている政策を遂行してくれるかどうか確かめたい。それくらい大胆なことをやらないと、官僚の手のひらに乗ってしまう」と述べた。

 民主党政権が実現した場合、中央省庁の局長級以上の幹部にいったん辞表を提出させ、民主党の方針に賛成する官僚のみを引き続き採用する考えを示したものだ。

 幹部公務員の政治任用制の拡大は民主党の基本政策の一つで、2007年参院選公約にも盛り込まれている。03年に当時の菅代表がまとめた政権構造改革案では「各省庁の局長級以上で新内閣の基本方針に賛同しない官僚には辞表を求める」と明記している。

 官僚ってのはその国の"Constitution"に仕えるものだと思っているのですが、日本の場合"Constitution"が意味するのは有名無実の日本国憲法ではなく自民党政府のことでした。官僚とは自民党に仕えるもの、実績から定義するならそう見ても間違いではないでしょう。

 さて、ちょっと古いニュースですが(同様の主旨の発言はテレビではよく見るのですが、意外にテキストで報じられているものが見つけられなかったもので)、民主党の鳩山幹事長がとんでもないことを口にしているようです。ハトより頭が悪いかに見えた弟の方が珍しくまともな仕事をしている昨今ですが、こうなると兄の方がむしろ出来が悪いようにすら見えます。

 曰く「中央省庁の局長級以上の幹部にいったん辞表を提出させ、民主党の方針に賛成する官僚のみを引き続き採用する」とか。踏み絵ですね。ブラック企業が正社員をクビにするためにこういう手段を使うとも聞いたことがありますが、それを政府公認でやろうというのだから恐れ入ります。まぁ政権が変わればスタッフも入れ替わるのはスポーツの世界でもあることですが、どうも手口が嫌らしく感じられてなりません。なんとなく「日本が嫌なら出て行け」とか言い出す人と鳩山氏が被って見えるのです。

 そもそも、官僚の方が政府閣僚より入れ替わりが少ないとするなら、官僚機構には昔年の自民党的体質によく適合した組織が残されていると考えられます。そして政策面で昔の自民党に近いのは、今の自民党よりも民主党ではないかとも思うわけです。官僚との対立を強調した小泉カイカク路線に同調するならいざ知らず、その見直しを訴えるなら、むしろ「抵抗勢力」こと官僚組織との距離は近いはずです。

 で、官僚という「悪い奴」が反対するせいで善政が阻まれている、世の中が上手く回らないのは官僚という「悪い奴」がいるからだと、端的に言えばそんな風な図式がいつの間にか刷り込まれているのではないでしょうか。実績からすれば官僚機構は"Constitution"=「自民党」の手足として働いてきたはずですが、いつのまにか役目が変わってしまったようです。

 事実問題として、どれだけ官僚が政治を動かせるのか、巷で言われるように官僚が全てを牛耳っているのか、それとも自民党政府の下部組織に過ぎなかったのかはさておくにしても、官僚のクビを切れば世の中が良くなる、政治/社会が変わるかのような幻想を持つこと/持たせることは非常に危険です。たしかに昨今の公務員叩きの飽くことない盛り上がりを見れば、これに迎合するのが有権者の歓心を買う必須要件、国民と一緒になって官僚叩きに邁進すれば票は集まるでしょうけれど、それをやるなら小泉や橋下と変わらないのでは?

 上手く行かないのは官僚のせいだ、こういう責任転嫁は受け容れられやすいものです。国民は官僚が嫌いですから、バッシングのきっかけを提供すれば大歓迎されます。もし政治が機能しなくても、それは官僚のせいにしてしまえばいい、政府はやるべきことをやろうとしているが、官僚の抵抗で実行を妨げられている、だから世の中は良くならないのだ、そう言い繕うことが出来れば政府は悲劇のヒーロー、責任は全て官僚に帰せられます。行政の長は責任を取らなくて済む、実権を握っているのは官僚であると、そう見せかけることさえ出来れば、責任の所在も転嫁できるわけです。

 民主党が政権を取ったとして、まぁ今の自民党政権よりはマシになるでしょうけれど、かといって何もかもが上手く行くはずもないでしょう。その時、自分が責任を取るか、それとも誰か嫌われ者のせいにするか、民主党はどちらを選択するのでしょうか? 民主党内閣は国民のために働いているが、官僚の抵抗があるために結果が出ないと、そういう方向に話を持っていくようであれば、それは小泉政治と変わりありません。公務員叩きに走ったり、官僚の権限を殊更に強調するような政治家/政党には、自ら責任を負おうとするのではなく、悪者を用意することで自分を正当化しようとする傾向があると、そう見ておく必要があります。

 

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指針はあるけど

2009-02-20 22:13:39 | ニュース

生活危機:派遣切り 再就職、4割あっせんせず--厚労省指針に違反(毎日新聞)

 派遣契約の中途解除などで労働者が失職する雇用問題で、厚生労働省は12日、失職者に対し派遣先が新たな就業機会の確保を図るなどとした厚労省の指針が、約4割で実施されていないとの調査結果を公表した。新たな就業機会が確保された例は約6%にとどまり、雇う側からのサポートがない派遣労働者の厳しい現状が浮かんだ。

 調査結果は、民主党の雇用関連の会議で報告された。昨年10月~今年3月に派遣など非正規労働者への雇用調整の実施、実施予定を1806事業所に任意で聞き取った。

 派遣が終了した派遣労働者に関して指針で定められた新たな就業機会の確保を図ったかの問いでは、「図っていない」が44・4%で最も多く、次いで「努力したが確保できない」が37・9%で、雇用が維持、確保できた例は▽「派遣元で(雇用)確保」(3・2%)▽「関係会社などへあっせん」(1・7%)▽「自社で雇用」(1%)--だった。

 厚労相の「指針」によりますと、契約期間が終了した派遣労働者に新たな就業機会を確保することが求められているそうです。へー。初めて知りました。まぁ私の知識も偏っていますので、私が知らないだけで世間では有名なものもあるとは思います。ですが、ここで取り上げられた「指針」はどうなのでしょうか? 私が知らないだけでしょうか? それとも、形式上は存在しているだけで実態としては存在していないも同然、制度の設計者ぐらいしか知らないような代物なのでしょうか。

 調査に拠りますと就業機会の確保を「図っていない」が44・4%、「努力したが確保できない」が37・9%だそうです。この辺の「努力」は自己申告でしょうから、実態がどの程度かは知る由もありません。本人は努力したつもりになっているだけかも知れませんし、結果が出なければ努力が足りないせいだと詰られる日本の風土に照らして鑑みれば、結果的に雇用が確保できない=努力していないと考えた方が一貫性があるくらいでしょう。で、「新たな就業機会が確保された例は約6%」とのことですから、努力の有無にかかわらず就業機会を確保しなかった派遣先企業は約94%、要するに厚労相の「指針」は有名無実、存在はしているが機能はしていないということです。

 結局、「指針」だけがあっても意味がない、それを守らせるための運用まで考えておかないと、単なるアリバイ作りにしかなりません。厚労相は指針を出したけれど、企業がそれに従ってくれない云々で済むようなものではなく、指針を遵守させるためには必要になるものまで整備して初めて意味があるわけです。私人に対しては厳罰主義で望む昨今の風潮ですが、罰則などの強制的手段をもって望むべきなのは個人ではなく法人に対する場合だと思うのですけれどネェ。

 1月26日時点のまとめでは、非正規労働者の失職は約12万5000人と見込まれ、うち派遣労働者は8万5743人で中途解除は4万2716人だった。

 ちなみに「派遣切り」ではなく「雇い止め」と呼ぶようにと、諸々の企業が要請していたこともあったようです。一方的なクビキリではなく、あくまで契約期間終了に伴い、派遣契約を延長しなかっただけだと、そう印象づけたい企業としては後者の表現を用いて欲しかったのでしょう。しかるに、今回調査に拠りますと契約期間満了に伴う失職は半分程度のようです。残る半分は、契約期間の真っ最中に行われた契約解除、雇用側の一方的な契約の不履行であり、全くの不当な行為でした。「契約期間が決まっているのだから、その契約期間中に次の仕事への準備を~」と説く論者もいますが、その手の論者は労働現場で何が起っているかには無関心なのでしょう。契約期間が決まっているにもかかわらず、その契約期間の最中にさえ職を奪われてしまう、それが実態なのです。

 

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 余談ですが、最初に記事を見たとき、派遣先ではなく派遣「元」企業に、新規就業先を斡旋する義務があるのかと思いました。実感としては、そちらの方が納得できます。雇い止めにあっても、派遣会社は割と熱心に新しい仕事を紹介してくるものですから。もっとも、速やかに紹介されるのは以前の職場よりも条件の悪い場合が大半で、よほど切羽詰まった状態ではないと受け容れられない、ゆえに斡旋を断るわけです。すると、自己都合退職の扱いにされます。実質的には会社都合による解雇なのに、「斡旋された仕事を断った」という理由で労働者側の自己都合による退職として扱われ、失業保険が受け取れなくなります。そういう事情もあるので、下手に仕事を紹介されると逆に労働者側が不利益を被ることもあるのです。昨今では派遣切りに遭った人を対象に、派遣社員以下の待遇の求人が増えているわけですが、これを断ると「選り好みするな!」とばかりに非難が投げつけられ、クビキリに走った雇用主から失業者へ糾弾の対象がすり替えられる光景が目立ちました。失業保険の運用も、これと似たような構造を持っています。

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今夜も教えてエロい人

2009-02-18 23:07:48 | ニュース

イギリスの議員が、アマゾンで売られる日本の18禁ゲーム『レイプレイ』を国会で追及(Game*Spark)

イギリスの政治家が、日本の18禁PCゲーム『レイプレイ』がAmazon.comで販売されていたことを問題視し、国会で取り上げる意向を明言したそうです。

英紙Belfast Telegraphの報道によると、実際はAmazonが直接ゲームを販売していたわけではなく、Hentai物を扱う輸入の再販業者がマーケットプレイスで陳列していただけとのこと。しかし、本来日本国内だけで販売が許可されていた製品が、イギリスのレイティング機関であるBBFCを素通りして、大衆が利用する大手のオンライン小売店で販売されていたことが問題になっているようです。

労働党の国会議員であるKeith Vaz氏は、こうした製品がイギリス国内で販売されることのないように、議会で行動を起こしていく姿勢を示すと共に、「誰であろうと犯罪行為のレイプをシミュレートするゲームを購入するのは許されるべきことではない。」とコメントしています。

 我が国では「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成して表現規制の旗振り役を務めてきた人が行政の長として君臨しているわけですが、その手の規制に熱心な議員はイギリスにも当たり前のように存在しているようです。

 さて、検索すれば普通に出てくるのでわざわざリンクは張りませんが、『レイプレイ』というゲームが問題になっているとのこと。随分と安直なタイトルですが、まぁ概ねレイプが題材になっている成人向けゲームと理解してください。で、Keith Vaz議員曰く「誰であろうと犯罪行為のレイプをシミュレートするゲームを購入するのは許されるべきことではない。」だとか。つまりは購入者が成人であっても許されないそうです。それはまた画期的な!

 しかしレイプ表現がNGだというのなら、既に文学作品として地位を確立しているはずの創作物も少なからず規制の対象になりそうですね(例えば源氏物語とか…… よくよく考えれば神話の類だったらレイプが出てこないものを探す方が難しいような気がしますし)。同様に性表現を含んでいてもこれはOK、これはNG、いったいどういう基準で切り分けするのでしょうか。嘘発見器ならぬポルノ発見器とばかりに、Keith Vaz議員の股間にポリグラフを繋いで審査するつもりじゃないでしょうね?

 あるいは小説や映画ならばレイプ描写が(販売対象を成人に限れば)許されるが、ゲームの場合は許されない、そう言うことでしょうか? ふ~む、将棋や囲碁などの「伝統的な」趣味に没頭するのは許されるがテレビゲームへの没頭は許されない、喫煙は許されるが大麻吸引は許されない、その辺と同じノリもあるような気がします。

 中には、ゲームというメディアの双方向を問題視する人もいるでしょうか。小説や映画と違って、ゲームではプレイヤーが「操作する」わけです。ただ受動的に眺めているだけではなく、プレイヤーの主体的な選択があると、そう考えられています(文学者であれば、小説にも双方向性があると見なすのが常識だと思いますが、とりあえず一般論に沿って話を進めます)。一方、小説ならば読むだけ、そこにレイプが登場しても、あくまで作者が用意したものであり、読者が積極的にレイプに荷担しているわけではないと、そう免罪されるとしましょう。しかるにゲームはプレイヤーの「操作」によって初めて進行するもの、ならばレイプという選択もプレイヤーの積極的な働きかけによって発生する……そう考えると、ゲームの方が小説より悪質に見えるかも知れません。

 でも、ゲームにしたってそう自由度があるわけではない、大半のゲームは用意された筋書きに沿って進むしかない、受け身でプレーするしかないのが現状です(特に国産ゲームは、合間に挿入されるムービーにばかり力が入っていたり)。そして今回の『レイプレイ』というゲームも同様、プレイヤーの自由意思なんてありません。用意された順路に従ってゲームを進めていくしかないのです。プレイヤーの行動次第で進行が早まるか遅くなるか、その程度の差はありますが、それは読者次第で読了するまでに掛かる時間が長くなったり短くなったりするのと同じです(あるいは「どのページを読むか」ぐらいの選択は可能かも知れませんが)。全てのゲームがそうではないにせよ、少なくとも『レイプレイ』の場合、誰がやっても結末は同じという意味では、小説や映画と際立った差はないように思われます。

 そんなことより、『レイプレイ』は日本国内ではあまり評価が高くなかったように記憶しています。そしてこのゲームの発売から3年近くが経過しているのですが、以降開発元はレイプなどの陵辱色の強い表現を持った作品の開発をしていません。あまり歓迎されなかった『レイプレイ』を最後に、開発元はいわゆる萌え路線、ハーレム路線に完全転向しました。そしてファン層は大いに広がりました。レイプを捨てることで、より幅広くエロゲー購買層から歓迎されるようになったわけです。主たる購買層は何を求めていたのでしょうか?

 前々から「エロゲーは保守だ」と力説してきたわけですが(こことかこことかこことか)、エロゲー購買層は極めて保守的な性道徳観念の持ち主が大半を占めます。彼らは伝統的な(作られた伝統かも知れませんが)性関係――女性の性が男性の管理下に置かれつつ、同時に女性もそれを好ましく思っている関係――を好みます。ゆえに、レイプという手段は下の下ですね、女性が男性に自ら傅いていない――暴力的に従わせるしかない――状況というのは、超保守的な性観念を持つエロゲー購買層には「敗北」に近いものなのです。

 そして『レイプレイ』以降に発売された萌え路線、というよりハーレム路線は大いに好評を博したわけですが、どうなんでしょう、陵辱色をなくしたら売れた、健全な選択の結果なのでしょうか? 一見すると暴力的な支配関係は解消しているように見えますが……

 ちなみにこの『レイプレイ』ですが、発売元の商品紹介ページにはこういう項目もあります。



 ……エロゲー購買層は凌辱を嫌いますから、それを「見なくていいように」というサービスが提供されているわけですね。他社のゲームでも似たようなものが、例えば「凌辱ON/OFF」設定みたいなのがあります。「そんなスイッチを付けるより、凌辱シーンをなくせ」という声も大きいみたいで、この辺もKeith Vaz議員と意見の一致するところでしょう。私みたいにエロゲー購買層であると同時にエロい人であるケースは、かなり稀です。

 さてKeith Vaz議員はレイプという表現に問題アリとしているようですが、「和姦」「純愛」なら問題なしなのでしょうか。それだったら、エロゲー購買層の大いに望むところです。ファンの望みはそちらにあるわけですから。表現規制に熱心な政治家とエロゲー購買層、一見すると対立しているようでいて、その性的嗜好は意外に似ているのかも知れません。となると、「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の創設者がヲタクに人気というのも、まぁ不思議ではないのかも知れません。

 

 ←世界がエロスで満たされますように (-∧-;) ナムナム

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アレルギー

2009-02-17 22:34:15 | ニュース

 今年は杉花粉の飛散開始が非常に早いですね、飛散量も例年より多いとか。かなり辛いです。さて、言うまでもなく杉花粉そのものに害はない、毒性があるとかそういうものではないのですが、体が花粉を害毒と誤検知して過剰反応してしまう、これが花粉症の大まかな仕組みです。他のアレルギーも概ね似たようなものでしょう。害のないものを害と錯覚し、それを排除しようとするあまり、かえって自らの身体を傷つけてしまうワケです。

「ナイフと棒持つ男」通報に警官50人→実は「つえ作り」(読売新聞)

 「ナイフと木の棒を持った男が歩いている」--。茨城県土浦市下高津で12日午後、不審者を見かけたという110番があり、周辺は約50人の土浦署員が配置されるなど一時騒然となった。

 その後、つえを作るために木の枝をはらっていたと判明、関係者は胸をなで下ろした。

 防刃チョッキと無線を持った署員が行き交い、覆面パトカーや赤色灯を付けたパトカーも集まり、聞き込みや下校途中の小中学生の見回りを行った。土浦市も青色防犯パトロールカーで周辺を巡回、市教委は、現場付近の小中学校4校に緊急の電話連絡をしたという。現場に最も近い市立下高津小は、4、5、6年生の児童の下校時間とかち合い、地区ごとに班を作り、教諭が2人ずつ付き添い集団下校。「サバイバルナイフを持っている」という情報もあったため、同小の関係者は「去年の3月の荒川沖駅の事件が頭をよぎった」と話す。

 「男性が雑木林で木の枝を刈って、つえを作っていた」という目撃情報が寄せられ、午後5時半過ぎに警戒態勢は解除された。住民からは「人騒がせな……」という声も聞かれたが、同署は「即座の通報は市民の危機意識が高まっている証拠」としている。

 何事もなかったようで、まずは一安心ですが「即座の通報は市民の危機意識が高まっている証拠」とのコメントが発表されています。う~む、凶悪犯罪が激減し、微罪を粗探しすることで必死に検挙数を稼いでいる昨今に「危機意識が高まっている」とは、いったいどういう現象でしょうか。どうやら凶悪犯罪が減れば減るほど危機意識は高まるようですが……

Warning!Warning!東京都が市民の表現の自由を奪おうとしている… - 情報流通促進計画

東京都は、「東京都安全・安心まちづくり有識者会議報告書」に基づいて、安全安心条例を改正し、街頭での市民アピールを規制しようとしていることが分かった。報告書は、来訪者に「街頭や歩行者天国において大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為を慎む。」ことを求めており、それを実現するために、条例を改正するよう提言している。

 で、この高まる危機意識を背景に、市民の自由を規制しようとする条例が準備されているようです。この報告書自体、「平成15年から6年連続して刑法犯の認知件数が減少し、東京の治安は回復傾向を示してきた」と治安のさらなる改善は事実であると認めています。しかし、危機そのものは減る一方でも「危機意識」は高まっている、存在しない危機への対策として市民の自由を縛ろうとしているのが現状です。害のないものを排除しようと過剰反応し、自らを痛めつけるその様はアレルギーに酷似しています。


 それはさておき、「安易に救急車を呼ぶな、119番通報するな」と我々の社会は合唱しているわけです。ならば枝を刈って杖を作っていた程度で110番通報するのはどうなのでしょう? 我々の社会に少しでも一貫性があるのなら「安易に警察を呼ぶな」と通報者が非難に晒されてもよさそうなものです。しかし、そうはならないのですな。同じ110番通報でも、困りごとがあって助けてほしいと、そういう内容の通報ならば通報者が非難されますが、他人に容疑をかける類の通報であればいかに軽微なものであっても大歓迎されるようです。「もし本当に危険な犯罪者だったらどうする?」とアレな人だったら擁護するでしょうか。でもそれなら救急車の場合だって「(我慢できそうに見えても)実は急を要する危険な症状だったらどうする?」という主張を認めなきゃいけません。

 ポリは50人も出動したそうですが、事件の類は何もなく「胸をなで下ろした」そうです。ええ、良かったと思いますよ。空振りの方がいいに決まっています。本当に事件が起って警察に「活躍の場」が提供されるのと、何も事件は起らず警察が無駄足を踏むのと、どっちが望ましいですか? 普通は、後者ですよね。通報された以上、事件が起らなければ我慢できない、なんて人は多くないと思いたいです。しかるに救急医療だとどうでしょうか。救急車が呼ばれたとして、患者が本当に危険な状態で「救急車が必要だった」場合と、実は大したことがなく「救急車を呼ぶ必要がなかった」場合、どっちが望ましいですか? 患者が軽症とわかって胸を撫で下ろす代りに怒り出す人がいるとしたら、その人は紛れもない悪意の人ですね。

 

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さっさと政界を去ってほしいけれど

2009-02-16 23:19:46 | ニュース

首相地元で小泉氏批判大合唱 「さっさと政界去るべき」(朝日新聞)

 郵政民営化をめぐり小泉元首相が麻生首相を痛烈に批判したことが波紋を呼ぶ中、自民党福岡県連の定期大会が14日、福岡市で開かれた。内閣支持率が低迷し、「麻生降ろし」もささやかれる中、県選出国会議員や県議からは小泉氏を批判し、首相を擁護する声が相次いだ。

 「ちょっと口が滑りすぎることもありますが、何としても未曽有の危機は麻生総理しか切り開くことはできない。結束して支えていかねばならない」。大会であいさつに立った古賀誠選対委員長(衆院福岡7区)は、麻生首相を支える考えを強調。太田誠一元農水相(同3区)も「内閣総理大臣をやった人は、辞めたらさっさと政界を去るべきだ。とりわけ政局についてとやかく言うことはタブー」と、小泉氏を厳しく批判した。

 麻生vs小泉という面白い構図になるかもしれない自民党ですが、意外に麻生派が多いそうです。まぁ地元という要因もあると思いますので、その辺は割り引いて考える必要がありそうですが、党内部でも小泉サイドに付く議員は20人程度と見られているとか。思いのほか小泉の勢力は弱いみたいですね。でも、油断は出来ません。小泉が総裁の座を争ったときだって、自民党でも中央に行くほど小泉支持は弱く、当時の対抗馬であった橋本龍太郎の方が優勢だったわけです。しかるに、末端に近づくにつれ小泉人気は高く、それが勝敗を左右しました。単に国会議員の数だけなら麻生が優勢でも、その外に小泉の支持者は潜んでいるかも知れません。

 まぁ、麻生だって本来は似たようなもの、自民党中枢では今一つ支持を集められないものの、国民人気、末端の党員の支持で総裁に就いたわけです(対極が、前任の福田ですね)。しかるに一過性の人気はあっても党内基盤が弱く、野党を説得する以前に自民党内部での調整にすら手間取っているイメージがありますね。党内よりも党外の支持が頼みの両者、小泉は党外の支持を背景にごり押しで通しましたが、麻生はそこまでの支持を取り付けることが出来なかったようでもあります。一部の世論調査ではとうとう麻生内閣の支持率が10%を切ったとか。一方で「首相に相応しい人は?」みたいな世論調査では小泉がトップを争うわけで(参考)この辺を鑑みるに小泉の時代はまだ終わっていないのかも知れません。

 とりわけ、小泉と自民党の現閣僚の対立は小泉を利するかも知れません。なにしろ、現内閣の支持率は10%未満です。残る90%は「支持しない」わけです。「支持しない」と言いつつ、でも民主党も共産党も絶対ダメと消去法的な選択で自民党しか選択肢として認めない人も多々いるでしょうけれど、それでも現内閣を「支持しない」人が多数派を占めていることに代りはありません。ならばどうでしょうか? 現内閣を擁護する側に回るのと、現内閣を批判する側に回るのと、どっちが「得」でしょうか?

 内閣を支持していない人が多数を占めています。ならば、どういう形であれ内閣の側に付くよりも内閣と対立する側に付いた方が、国民の歓心を買うには好都合のはずです。ですから、ここで支持率10%未満の現内閣――大半の国民から見限られた内閣――と小泉一派が対立するとなると、あたかも小泉が自民党の対極、国民の側に立っているかのごとき構図がつくられてしまう虞があります。

 かつて小泉が総裁の座に就いたときもそうでした。森内閣は記録的な低い支持率を記録、自民党は見限られているかのようでした。国民の大半は当時の自民党に限界を感じていました。そこで小泉曰く「自民党をぶっ壊す」と。自民党にありながら、国民から不人気の自民党と対立するフリをすることで、自民党に失望している大半の国民と同じ立場に立っている風を演出してきたわけです。そして自民党に落胆していた国民は、自民党をぶっ壊すという小泉を、その中味をよく見ないで支持することにしました……

 なんとなく、麻生内閣が森内閣と同じ役割を果たしてしまう気がします。森内閣までの自民党への不満が、自民党を批判する(フリをした)小泉への支持に繋がったように、麻生内閣への不信もまた同様です。小泉が自民党の現閣僚と対立すればするほど、小泉が反自民党の旗手に見えてしまう、現内閣を見限った人々が「それとは違うもの」として小泉を支持する、結果として自民党も支持することに繋がる可能性は否定できません。一度の罹患で免疫の出来る人は今さら小泉など支持しないでしょうけれど、学習能力のない人もいれば、そもそも小泉政権の遺した「結果」に驚くほど無自覚な人もいます。次の選挙で政権交代は必至と見られてきましたが、そう上手くは行かないかも知れません。

 

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