非国民通信

ノーモア・コイズミ

ルサンチマン

2006-05-28 21:13:43 | 非国民通信社社説

 電話加入権値下げで損害を受けたと、NTTを提訴する動きがあるようです。値下げはありがたいことですが、それを許さない人もいるようです。そう言えば某オンラインゲームで課金アイテムの値下げがありまして、それに激怒していた人もいました。国民年金保険の免除を社会保険事務所サイドで進めていた件も槍玉に挙げられていますね。すでに破綻している国民年金、可能な限り払わずに済ませたいものですがわざわざ免除申請するのもばかばかしい、そんな人たちのために役所の側で手続きを全面的に代行してくれたようで、ぜひ私の住んでいる地域でも同様のサービスを進めて欲しいところですが、どういうわけかこれが「不正」なのだそうで。

 さて、話を進める前にいったんここはルサンチマンについて語りましょう。日本だけではなく世界中の精神の中心に居座る大事な概念ですが、あまりいい説明がありませんので、根幹部分だけをわかりやすく。ルサンチマンとは、怨恨と訳されることがあります。それだけではわかりませんね。初めに、何か嫌なことがあります。よく持ち出されるのは、酸っぱいブドウの話。ブドウを食べようとして食べられなかった狐が悔し紛れに「あのブドウは酸っぱかったんだ」と。この例はあまり良い例ではないように思いますが、自らが直面した苦痛に対して自らの状況を正当化するのがルサンチマンの働きです。

 例えばニーチェが批判したキリスト教精神の場合ですが、まだキリスト教が異教であった時代のこと、キリスト教徒達は支配者達によって迫害されます。この迫害に対して、迫害される自分たちを正当化=肯定するのがルサンチマンです。つまり自分たちは正しい=迫害されている自分たちは正しい=迫害されることが正しい、と。こうなると迫害されないように立ち向かうのではなく、正しさのために積極的に迫害されることを望むようになる、ここで価値観が転倒しねじ曲げられているとニーチェは批判したわけです。迫害する側ではなく迫害される側が正しいと信じ、積極的に迫害される側であろうとする、それに対して迫害されないように立ち向かえとニーチェは主張していたように思えますが、しかし巷のニーチェ本はどれを読んでもよくわかりませんなぁ。

 「金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」なんて教えもこのルサンチマンのおかげでしょう。貧乏な人が自分は正しい=貧乏なことは正しい=金持ちは正しくない、と。そして貧乏は正しいのだから貧乏であろうとする、裕福であることを否定する。本来は貧乏よりも裕福な方がいいはずなのに、貧乏である自身を肯定するために価値観がねじ曲げられ、倒錯してしまう。そうして貧困を積極的に受け入れ、裕福になろうとしなくなる。これがルサンチマンであり、ニーチェ曰く奴隷の道徳であると。

 何らかの困難に直面したとき、その困難に直面した自分を正当化、肯定する、そして困難を負わされることを肯定し、困難をはねのけるのではなく自ら望むようになる、それがルサンチマンの働きです。そしてルサンチマンに支配された世界は価値観が倒錯したまま進むことになります。すなわち困難に対してそれを克服しようとするのではなく、その困難をあたかも正しいことであるかのように信じ込み、求め続ける。ルサンチマンに支配された世界は自ら望んで悪い方へと進んで行くのです。

 電話加入権にしても、高かったわけです。だったら安くすればいい訳ですが、ところが安くするのに反対意見が出る。なぜなら高額な電話加入権に苦しめられてきた人たちにとって、高額な電話加入権を負わされているということこそが正しいのであって、電話加入権の負担から解放されるということは正しくないから。破綻している国民年金を払うことがあたかも正しいことであるかのように語られるのは、無駄金を支払っている自分たちは正しい=無駄金を支払っていることが正しい=無駄金の支出から免れている人は正しくない、と価値観が倒錯しているからです。破綻した国民年金の負担から解放されればそれはよいことのはずなのに、そうはならない、無駄金の納入を強要されているのであれば、そうならないように立ち向かわねばならないのに、なぜか肯定してしまう。それでは年金財政が破滅へと突き進んでいくことを止められはしませんし、その破滅に巻き込まれる人も一向に減らないでしょう。

 たぶん、世の中を良くしていくことは簡単です。ただ、それは国民の望むところではありません。そして現実には世の中は良くなっていく代わりに国民の望む方向へと進んでいきます。そうなってしまう原因は多々ありますが、その一つがこのルサンチマンでしょう。何か社会的な問題によって困窮していても、その困窮に立ち向かわない、困窮を受け入れ、正当化し、肯定し、それに反するものを排斥する。例えば日本の労働条件ですが、劣悪ですね(企業植民地に比べればまあマシなのかも知れませんが)。ではなぜ劣悪な労働条件なのでしょうか。それは、劣悪な労働条件が肯定され、正しいものとされているから、逆にまともな労働条件が正しくない、疚しいものとされているからではないでしょうか。今まで劣悪な労働条件下にいた人にとって、その劣悪な労働条件こそが正しい、あるべき姿でした(そしてその劣悪な労働条件下にある自分たちは正しい)。そしてそれに反するまともな労働条件などは当然正しくない、あってはならない存在です。

 ルサンチマンの根源には妬み、羨望もあります。本当は迫害されたくない、本当は金持ちの方がいい、本当は電話加入権は安い方がいい、本当は国民年金なんて払いたくない、本当はまともな労働条件で働きたい。しかし、現実にはそうもいかないときに、ルサンチマンが忍び寄ってきます。叶わぬ、或いは叶いにくい希望のために立ち向かう代わりに、価値観を転倒させることで現状を肯定、正当化すること。それはある意味で堪え忍ぶ役にも立ってきたわけですが、言うまでもなく状況の改善を妨害する障害でもありました。非正規就業者をニートと呼んで蔑み、憎悪するようになって久しいですがそれは劣悪な労働条件を強いられていない自由人への妬みと羨望の結果でもあります。劣悪な労働条件の下で働かざるを得なかった人々にとっては、そこから免れている人が絶対に許せないのでしょう。もし世の中をより良いものにしたいのであれば、劣悪な労働条件からの解放のために戦わねばなりませんが、それを押えるのがルサンチマンです。

 奴隷の道徳であるルサンチマンに駆られた人々にとって自分たちの置かれた状況は正しいのであり、それを転覆させるなど許し難い行為なのです。世の中を良くしていくのは簡単です。しかし、今まで悪い世の中に生きてきた人にとって、悪い世の中を肯定し望んできた人にとっては世の中を変える、そして良くなった世の中で自分たちに代わってより良い世界を享受する人たちがいる、そんなことは絶対に許せないことなのです。

 我々が戦わねばならないのは政府や企業だけではなく、それによって虐げられながらそれを支持している人々でもあります。劣悪な環境下で長時間労働を強いられている人々が、その誤りに気づき立ち上がってくれればよいのですが、現実にはそういった人々は自らを肯定しがちです。一方で代わりに否定されるのはそれほど働いていない人たちです。仕事に人生を捧げていないというだけで彼らは社会のゴミとして一心に憎悪を浴びています。会社のために生き、会社のために死んでいく、そういう生き方ばかりが正しい生き方として肯定される、会社のためではなく自分のために生きることが許されない世界、そんな世界を崩壊させたいと私は願っていますが、そんな世界の重荷を担わされているロバたちは荷を担わされていることに誇りを持ち、荷を振り落として走り出そうとはしないのです。

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国語教育の必要性について

2006-05-21 21:31:04 | 非国民通信社社説

 国語教育の必要性が叫ばれているようです。理由の一つは英語教育の早期化を推し進めた結果の反動でしょうか。週に3時間や4時間程度、質の低い英語教育を続けたところで何年かけても外国語の習得などできるわけがありませんから、英語教育の早期化にはこちらも反対ですが。というよりむしろ質の低い教育は時間の無駄ですから、公立の小中学校自体、解体してしまっても良さそうなものですが、それはさておくとしましょう。

 国語教育の必要性が叫ばれるもう一つの理由は、イデオロギー上のものでしょう。国家を信仰している人々にとって日本語は神の言葉ですから、その神聖な言葉をもっと崇めなさい、と。ましてや汚らわしい異教の言葉のために日本語よりも多くの授業時間を割り当てるなど許せない、と。或いは(本人達に自覚はないでしょうが)若年層に対する差別意識、自分たちは正しい日本語の伝承者だが、今の若い世代はそうではない。そう言った願望の中に生きている人々にとっては、自分たちの側への矯正こそが望ましい。つまり、日本語をわかっている自分たち、わかっていない若者、そんな世界観を維持し、信じさせ、自分たちの側に屈服させたい、と。彼らが教えたがっている国語とはすなわち自分達の言葉、自分たちが規定し、教え導く言葉とも言えます。新聞、テレビ、政府、インターネットなど各種のメディアがこぞって偽情報を用いて若年層への憎悪を煽り立てている中では当然の帰結でしょう。

 そもそも国語教育とはいったい何だったのでしょう。私が受けてきた国語教育およびその直系である現代文とは、おおむね国家主義のイデオロギーとは少なからずずれていたような気もします。矯正が主題であったことは間違いありませんが、イデオロギー上の理由で国語教育の必要性を説く人々が望んでいるのとはかなり違う、少なくとも国体への信仰心を駆り立てるものではありませんでした。たぶん、推進派の望み通りに国語教育が強化されても、その思惑とは裏腹に国体への信仰心は養われないでしょう。

 むしろ教えていたのは権力関係、媚び、へつらい、すなわち現代社会でもっとも必要と規定されているコミュニケーション能力、社会人としての常識を教えるものだったのではないでしょうか。国語=現代文の試験問題を思い出していただきたいのですが、一部には漢字や文法など明確な回答のある問題もありますが、得点の大半を占めるのは解釈次第で回答がいくらでも分かれるものばかりです。しかし、それでも正解は一つなのです。よくある話では、作者の意図を回答させる問題、実際に作者に答えさせてみると、正答とは違ったと。それはそうです、国語=現代文における正答とはすなわち作者の意図したものではなく出題者の意図したものなのですから。だからあれは建前では「作者の意図」とされていますが実際には「出題者の意図」を答えなければなりません。そして出題者の意図と違っていれば、それは不正解です。

 基本的に国語=現代文は高校卒業までで終わりですが、卒業後にも似たような問題に突き当たります。たとえば就職関係、新聞などにはよく就職相談のコーナーがあって、読者の投稿に功成り遂げた偉い人が御高説をたれるわけですが、よくある回答の一つが「正解はありません」。まあこれは間違いですが、とりあえず新聞紙上は「正解はありません」がイデオロギー上は正しいということで。で、新聞を離れて現実に戻りましょう、現実ではどうでしょうか? 「正解は存在します、しかも一つだけです、それは相手によって違います」と。

 国語の試験の場合、課題となる文章が同じ、設問が同じでも出題者=採点者の意図次第で回答は変わります(そして概ねそれは一つしかありません)。国語でよい評価を得るためには、出題者の意図を汲み取る能力、出題者の望んだ回答を差し出す従順さが必要になるわけです。これは採用試験でも同じことで、審査官の意図と願望を汲み取り、相手の望んだ回答を差し出すことが求められます。たとえば「作者の意図」を答える設問で実際に作者が答えてもそれが正解とされるかどうかは出題者=採点者の意図次第であるように、たとえ真実であってもそれが正解になるかはわからない、それが国語です。そして採用試験でも同様に、たとえ真実を答えてもそれが正しいとされるかどうかは相手が何を信じ、望んでいるかによります。真実を答えるのであれば簡単なものですが、だいたいの場合それは相手が望んでいることとは違います。あくまで要求されているのは出題者側が望んだ答えを理解し、それに従った回答を差し出すことです。

 これは会社=社会での関係でも同じです。真実を突きつけるのではなく、相手の願望を汲み取り、それに合わせることすなわちコミュニケーション能力が声高に要求されています。上司の願望に理解を示さない、上司に合わせてくれない上司の思い通りに動いてくれない人々を大手マスメディアが総出を上げてバッシングにかかっています、コミュニケーション能力に欠ける若者が増えている、と。たぶん現実には増えていないと思いますが、新聞の世界ではたぶん増えているのでしょう。

 モスクワの政治集会、当宣伝員がソヴェト連邦の首都における輝かしい成果を語る。
「ゴーリキー通りには10ブロックの住宅を建設し、レーニン通りでは13ブロックも建設された。ソーコリニキ区ではなんと6つの工場が建設されたのだ!」
「宣伝員同志」と一人の労働者、「あたしはゴーリキー通りに住んでおりまして、レーニン通りを通って、毎日ソーコリニキ区へ働きに行くんですがね、新住宅も工場も見たことがない。」
 宣伝員は答えて曰く「通りをぶらぶらする暇があったら、もっとよく新聞を読みたまえ!」

 さて、会社からしてみれば部下のコミュニケーション能力は欲しくて仕方がないようです。企業の権力が非常に強まっている現在であれば要求は出し放題です。そうなると、ただ役目を果たしてくれるだけでは満足できない、常に上の立場の人間が快適でいられるよう、上の望みを察して上の幸福のために自分を曲げてくれる、コミュニケーション能力に長けた召使いが欲しくてたまらないようです。そういった意味では、国語教育の必要性が叫ばれるのも理解できますね。盲信しやすく自身を失いやすい小中学生のうちに国語教育によって出題者という権力者の意図を汲み取り、その意図に従うこと、そして意図を汲み取り、従うことを高く評価することでそれを良いことであると信じさせること、これは理想の教育であるといえるでしょう。

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野党共闘という陥穽(本編)

2006-05-01 23:49:10 | 編集雑記

 いつの間にやら毎日50件ほどのブログを巡回しておりまして、最近では読むだけで手一杯で書く前から疲れてしまうという本末転倒の有様、とはいえ私個人の情報収集能力と知識には限りがあるので他人様のブログにも常にアンテナを張り巡らせておかねばなりません。そこで昨日、巡回ブログの一つにちょっと気になるエントリがあったわけです。「コレは素晴らしい!」てなエントリであればさりげなくリンクを張ったりして誘導して終わるのですが、今回は「コレはちょっと危ないのでは?」と。コメント欄に何か書こうと思ったのですが、長くなりそうだったので一旦は保留、一晩ゆっくり考えてみたわけですが、やはり見過ごすことはできないなと思った次第です。前置きが長くなりましたが、今日のエントリは私が「同志」だと思っている人への批判になります。不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、ページを分けて書きます。

 気になったエントリというのは、「らんきーブログ」さんの「必読!野党共闘戦略」のことです。例によって必要と判断した箇所のみしか引用しませので、気になられた方はリンク先を直接お読みください。

 おおざっぱに言えば「復活!三輪のレッドアラート」というブログのエントリが紹介されていて、それを私がここで引用すれば孫引きになってしまうわけですが、ともあれ「復活!三輪のレッドアラート」をらんきーブログさんが賞賛しているわけです。該当するのはコレ、

さて、繰り返し繰り返し、耳にたこができるほど繰り返していますが、安倍政権は「経済がダメ」なのです。
正直目も当てられません。
何故安倍政権は経済がダメなのか?一言で言えます。

「誰も日本経済がダメになりかかっている」と正確に指摘しないからです。
さて、ここで問題です。
では何故野党はそれを止められないのでしょう?

それも明白です。
野党はもっと日本経済の現状を指摘できないからです。

その悪影響を見極める事です。学者先生と丹念な協議を行う事です。
その場合は「結論を出せる先生とお話をする事」、これは大事です。
学者の中には何でも相対的だと言いたがる愚図が多いのです。

素人の政治談議である「三輪のレッドアラート」が何故影響力が大きいのか考えて見ればよろしい。
えらそうな断定調だからです。(笑) これは間違いない。

 私に言わせりゃ経済がダメなのは何も安倍政権に始まったことではなく、小泉政権でもひどいものでした。ただ「経済がダメ」という声は安倍政権に入ってからの方が強くなりました、それは安倍が小泉の負の遺産を引き継いでいることにもよるわけですが、ともあれ安倍政権に入ってから与党の経済政策への批判の声は急速に高まり、従来の自民党支持層からの反発も強まっている、自民党に背を向ける人が出始めている、その辺りに希望を感じる人もいるのではないでしょうか。

 一方で共産党は元より民主党でさえ、学者先生と丹念な協議を行い、「日本経済がダメになりかかっている」と正確に指摘を続けているわけですが、残念ながらこの声が国民に届いているとは言い難く、野党が自民党に不満を持つ層への受け皿となり得ていないわけでもあります。

 三輪氏の主張が現実に基づいているかどうか、その辺りは留保するとして、私が非常な危機感を感じたのはこれにらんきーブログさんが――失礼な言い方で申し訳ないのですが――安易な賛同を見せていることです。交流のある方への社交辞令的な側面もあるのでしょうが、それを認めてしまっていいのかな?と。

 学者の中には何でも相対的だと言いたがる愚図が多い、これがどこの国の学者のことを指しているのかはわかりかねるのですが、ともあれ「結論を出せる」ということ、「断定」が肝要であると三輪氏は説き、らんきーブログさんはこれに賛同しています。そしてこの考え方は、危険だと思うのです。

 そもそも結論を出すのは簡単ですが、それが正しいのかどうか批判的に検証することを拒み、都合のいいデータばかりを選別して作り上げた結論を持ち出して偉そうに断定する、こうすれば確かに支持は得られるかもしれませんが、それでは小泉純一郎と、あるいは石原慎太郎と、もしくはアドルフ・ヒトラーとどこが違うのでしょうか? 情報の受け手はお偉いさんが持ち出した情報を批判的に検証したりはしません、カリスマ指導者が誤った結論を出せば、民衆はそれについて行くもの、納豆を買い占めに走るわけで、時にそれは深刻な被害を生みます。

 悲劇的な小泉の暴政を安倍が受け継いだことで今や日本の政治状況はあまりにもひどい状況にある、そんな中でも与党自民党は安定した政権基盤を維持し続けている、こんな閉塞的な状況においては、これを打開してくれる革新的な何かが切望される、明確な答えを与えてくれるカリスマが切望されるのかもしれません。その点では三輪氏のビジョンは正しいわけですが、この閉塞的な状況を打開してくれる、混迷の時代に明確な回答を与えてくれるカリスマを求める機運こそが、石原慎太郎や小泉純一郎を待望したのではなかったでしょうか?

 小泉純一郎の登場前は今ほど格差は大きくありませんでしたが大企業の業績すら悪く、デフレスパイラルから抜けられない、泥沼の中にいるような鬱屈した雰囲気がありました。そこに登場したのが「何かをしてくれそうな雰囲気を持った」小泉純一郎という男、彼は御用学者と丹念な協議を行い、「日本経済がダメになりかかっている」と指摘し、御用学者の出した結論にそって「偉そうな断定口調」で国民の絶大な支持を集めたわけです。小泉と御用学者が導き出した結論が正しいものであったかどうかは読者諸兄の判断に任せますが、どうも三輪氏のエントリを読む限りでは新しい小泉純一郎を求めているようにしか見えないわけで、三輪氏がそういう路線に走るのは致し方ないことと思うのですが、らんきーブログさんまでがそれに賛同しているかに見えるのが非常に気になったわけです。

左右中道、そんなに捉われずに「おかしいところはおかしい」と論議されてきているようだ

 このようにらんきーブログさんは語ります。経済政策は小泉と同レベルでも上辺を取り繕うのが格段に下手な安倍内閣、右からも「おかしいところはおかしい」と論議されるようになってきたわけであり、これは悪いことではありません。ただこれは立場にとらわれずに論議されるようになってきたと言うよりも、共闘の枠組みがスライドしてきた結果ではないでしょうか? 従来であれば右派の世界では右派内部での共闘の枠組みを重視し、左派と対抗するために右派内部では批判を差し控え、大同小異で団結する、まぁ昔の左派もそんな感じでしょうか。ところが最近になって右派の間でもあまりの暴政に限界が来たのか、対抗すべき相手が左派から自民党の経済政策に代わりつつあるわけでして、これが右派の共同体から反自民の野党共闘、左右共闘の連合へと変化をしつつあるわけです。

 ただこれが「おかしいところはおかしい」と論議される状況を呼んだかと言えば、少なからず疑問が残るわけです。従来の右派の間では敵は反日サヨクであり、それと対抗するべく左派は批判するが左派の敵=政府自民党のような「敵の敵」は味方、味方への批判は利敵行為として目をつぶろうとする傾向があったわけです。そしてこれが右派の連合から左右共闘の反自民連合となるとどうなったでしょうか? この新たな連合の敵は政府自民党であり、それに立ち向かうべく政府自民党は遠慮なく批判する、右から馳せ参じた勢力も左から馳せ参じた勢力も、共同して自民党に当たるわけです。しかるにこの場合の敵の敵――左派から見れば「自民党に反旗を翻す右派」、右派から見れば「自民党打倒に燃える左派」――への批判は利敵行為であるとして慎むべきであるとするような空気もまた、強まっているのではないでしょうか。

 私が念頭に置いているものの一つは、民主党が相手でも容赦なく批判する共産党でして、この共産党による民主党批判に対して、打倒自民を訴える共闘論者からの共産党批判も絶えないわけです。これは利敵行為として慎むべきである、自民党を政権の座から引きずり下ろすために民主党の下に結集しなければならない、「おかしいところはおかしい」と論議する代わりに沈黙を要求する、これもまた野党共闘論の一面ではないでしょうか。

 もう一つ念頭に置いているのは、共闘を訴える左派ブロガーの間での三輪氏への礼賛ぶりです。たしかに自民党の経済政策はダメ、政権の座から引きずり下ろしてやらなければダメ、その思いは共通であり、理解し合える部分もあるわけですが、同時に決して共感してはならない部分も三輪氏のブログには少なくないはずです。三輪氏が周辺のアジア諸国に向ける敵意、偏見、蔑視・・・ それでも敢えて三輪氏への批判は差し控え、自民党打倒のために共闘関係を重視するというのであれば、「おかしいところはおかしい」と論議されるようになってきたのではなく、逆に論議が差し控えられるようになってきたと言われるべきではないでしょうか。

こうなると、このうねりは大きなものになっていくのではないでしょうか?
「おかしいところ」が一点に集まってきているんですから。

 自民党打倒のためにうねりは大きなものになっていくでしょう、しかしそれは、小さなものを飲み込むうねりかもしれません。「おかしいところ」が一点に集まって、そこへ人々が結集する、争点が集約されるその陰で、そこから外れたもの、切り捨てられたものが蔑ろにされていくのかもしれません。もし何か大きな目的を達成するために少数派を切り捨てるのであれば、それは自民党のやり方をも継承することを意味するもの、たとえ政権交代が成ったとしても・・・


 突然の批判をらんきーブログ、ぶいっちゃん様にはお詫び申し上げます。

 コメントの受付は終了しました。真摯なご意見をありがとうございました。

 

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帰ってきた走れマルクス・アルレリウス・アントニヌス(前編)

2006-05-01 23:36:02 | 文芸欄

5年くらい前に書きました

 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。マルクス・アウレリウス・アントニヌスはローマの皇帝である。またの名を鉄人皇帝、遙か東方では大秦国王アントンとしてその名を知られている。当然マルクス・アウレリウス・アントニヌスは政治のことは熟知している。邪悪に対して人一倍敏感であったかは定かでないが、『自省録』や『資本論』を書いたりしながら暮らしてきたわけである。今日未明マルクス・アウレリウス・アントニヌスはローマを出発し、野を越え山を越え、十里離れたこのシラクスの市にやってきた。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは内気なエンゲルスと暮らしており、近々二人して書き上げた『共産党宣言』も出版する予定であった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスはそれ故、出版社とあれこれ打ち合わせをするためにはるばる市にやってきたのだ。

 喫茶店で、編集者と会う。いつもの担当、といっても決まった担当編集者が付いているわけではないのだが、ともあれいつもの人とは違う編集者がやってきた。
「どうもマルクス・アウレリウス・アントニヌスさん、編集のЫです。」
 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは名刺を受け取った。
「Ыさんですね、マルクス・アウレリウス・アントニヌスです、よろしくお願いします。」
「えぇ、それじゃ早速なんですが、お預かりした原稿ですね『資本論』の方ですが、これ、編集部の方でもなかなか評判は良かったです。」
「はぁ(評判「が」、じゃなくて、評判「は」?)」
「なんですけど、ちょっとうちの方にも色々と事情がありまして・・・」
「事情、ですか?」
「ええ、うちの方でも当面は刊行点数を絞ることになりまして。」
「つまり、出版は難しいということですか?」
「すみません、刊行点数を減らすということで、いつ刊行できるか、ちょっとお約束できない状況なんです。」
「はぁ・・・」
「申し訳ありません。マルクス・アウレリウス・アントニヌスさんの原稿、本当におもしろかったです。ただそれをすぐ出版できないのはあくまでうちの事情でして・・・」
 どうなんだろう? と、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは考えた。それはまぁ、不況なのだから刊行点数を減らすというのは別に珍しいことではあるまい。売れ筋に絞って出版していかないと、出版社としてもなかなか採算は取れないだろう。それはわかる。そこでマルクス・アウレリウス・アントニヌスの本が優先的に刊行されないのは、要するに私の本がどうせ売れないだろうと、そう編集部で判断したからではないのか? 本当におもしろいと言いながらも刊行できないというのは、つまりそういうことなのだろう。しかし、それではまずい。
 マルクス・アウレリウス・アントニヌスが以前に書いた『自省録』はそこそこの評価を得た。が、そんなに売れたわけではなく、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの家計は火の車であった。エンゲルスが働いて何とか生活費を捻出してくれているからいいものの、マルクス・アウレリウス・アントニヌス自身の収入はほとんど0である。エンゲルス係数*1は上がるばかりである。あまりエンゲルスに甘えてばかりもいられまい。だからこの大著の『資本論』こそはどうにか出版してもらいたかったのであるが・・・
「あの、マルクス・アウレリウス・アントニヌスさん、それで『共産党宣言』の方なんですけど、」
「あぁ、はいはい、『共産党宣言』はどうでしたか?」
「こちらもまだ未完ですよね?」
「えぇ、エンゲルスとの共著でもありますし、まだもう少し手を入れたいところがありまして・・・でも、もうほとんど完成です。近いうちに決定稿をお渡しできると思いますが・・・こちらはどうなるんでしょう?」
「『共産党宣言』は今編集部でも少々もめているところでして。」
「ほぅ。」
「ある程度手直ししていただければ何とか刊行できそうなのですが。」
「手直しですか?」
「えぇ、今のままでもおもしろいです、ただちょっと・・・

*1 生活におけるエンゲルスへの依存度を示す係数

 それから色々と具体的な提案を聞かされた。まあ要するに、もう少し売れ筋を狙って書いてくれということだった。大切なのは売れることよりも良い本を作ることであるようにも思われたが、資本主義社会にあってはそうも行くまい。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは自らの生産力から疎外されたプロレタリアートなのだ。労働力を資本家に売却するしかない。資本家が買うのは労働ではなく労働力なのだ。自らの生産手段を持たないマルクス・アウレリウス・アントニヌスは資本家の意向に添ってものを書くしかないのである。万国のプロレタリアよ団結せよ!
 だいたい、売れるか売れないかなんて作品とは関係ないんじゃないのか? 売れるか売れないかは、出版社側の努力次第であって、作者がどうにかできるものではない! 内容の良し悪しを判断した上で本を買うようなヤツなんて滅多にいないじゃないか! 売りたければ宣伝など販売戦略にもっと力を入れるべきであって、作者の側に何かを求める方が間違っている! ヤマトだってガンダムだって、本放送は打ち切りだったじゃないか! 売れ行きと内容は関係ないのだ。
 だが、本は出さねばならない。大著の『資本論』は難しくとも『共産党宣言』のようなコンパクトな本であれば出版社の方も何とか出してくれるだろう。とにかく、出版しないことには何にもならないのだ。だから、マルクス・アウレリウス・アントニヌスはとりあえず妥協することにした。とりあえず目の前の編集者の意見を聞き入れる振りをした。どうしても譲れない部分はあるが、何とか表現を工夫して凌ぐことにしよう・・・ そうしてマルクス・アウレリウス・アントニヌスは編集者との打ち合わせを終えた。とにかく、出版しないことには始まらないのだから仕方あるまい、と自分に言い聞かせた。 

 それから都の大路をぶらぶら歩いた。マルクス・アウレリウス・アントニヌスには竹馬の友があった。カラカラ帝である。今はこのシラクスの町で、浴場を経営している。その友を、打ち合わせが終わったから訪ねてみるつもりなのだ。カラカラとは彼が好んだフード付きの外套に由来する愛称である。彼はセプティミウス・セウェルス帝の長子で、弟ゲタを殺して単独の浴場経営者となった。212年にアントニヌス勅法を発し、浴場内の全有料入場者にローマ市民権を付与した。財政難からアントニニアヌス銀貨を導入し、後のインフレの口火を切った。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにマルクス・アウレリウス・アントニヌスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなマルクス・アウレリウス・アントニヌスも、だんだん不安になってきた。路で逢った手のつけられない若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえにこの市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであったはずだが、と質問した。手のつけられない若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「年寄りに乱暴するんじゃない」
「うるせえじじい、とっとと質問に答えないと命日が早くなるぞ!」
「王様は、首を斬ります」
「なぜ首を斬るのだ」
「人件費が経営を圧迫している、というのですが、誰もそんな、好き好んで経営を圧迫しているわけではありません」
「たくさんの首を斬ったのか」
「はじめは王様の妹婿さまを。それから、ご自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキスさまを」
「おどろいた。国王は乱心か」
「人を、信じることが出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質一人ずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば断頭台にかけられて、斬首されます。きょうは、六人首を斬られました」
 聞いて、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは激怒した。「呆れた王だ、生かして置けぬ」
 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、単純な漢であった。原稿を、持ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの懐中からは原稿が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、王の前に引き出された。
「この原稿で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「プロレタリアートを資本家による搾取から救うのだ」とマルクス・アウレリウス・アントニヌスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ」
「言うな!」とマルクス・アウレリウス・アントニヌスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、社員の忠誠をさえ疑って居られる」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私欲のかたまりさ。信じては、ならぬ」暴君は落ち着いてつぶやき、ほっとため息をついた。「わしだって、経営の立て直しを望んでいるのだが」
「なんの為の経営の立て直しだ。自分の地位を守るためか」こんどはマルクス・アウレリウス・アントニヌスが嘲笑した。「罪のない社員の首を斬って、何が経営の立て直しだ」
「黙れ、下賤の者」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかなことでも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、首を斬られてから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと首を斬られる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、──」と言いかけて、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは足もとに視点を落とし瞬時ためらい、「ただ、私に情けをかけたいつもりなら、斬首までに三日間の日限を与えて下さい。今書いているものだけでも原稿を完成させたいのです。三日のうちに、私はローマで原稿を完成させ、必ず、ここへ帰って来ます」
「ばかな」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」
「そうです。帰ってくるのです」マルクス・アウレリウス・アントニヌスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。エンゲルスが、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にカラカラ帝という浴場経営者がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いていこう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人の首を斬って下さい。頼む。そうして下さい」
 それを聞いて王は、残虐な気持ちで、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰ってこないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの漢を、三日目に斬首してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの漢の首を斬ってやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと斬首するぞ。ちょっと遅れてくるがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」
「なに、何をおっしゃる」
「はは。くびが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」
 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。
 竹馬の友、カラカラ帝は、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、友に一切の事情を語った。カラカラ帝は無言で首肯き、マルクス・アウレリウス・アントニヌスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。カラカラ帝は、縄打たれた。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。

中編へ続く

 

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帰ってきた走れマルクス・アルレリウス・アントニヌス(中編)

2006-05-01 23:35:50 | 文芸欄

 マルクス・アウレリウス・アントニヌスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、ローマへ到着したのは、翌る日の午前、日は既に高く昇って、臣民たちは野に出て仕事をはじめていた。エンゲルスも、きょうはマルクスの代わりに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来るマルクス・アウレリウス・アントニヌスの、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさくマルクス・アウレリウス・アントニヌスに質問を浴びせた。
「なんでもない」マルクス・アウレリウス・アントニヌスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、『共産党宣言』を書き上げる。早いほうがよかろう」
 エンゲルスは頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗な衣装も買って来た。さあ、臣民達に知らせて来い。完成は、あすだと」
 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、また、よろよろ歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を整え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚めたのは夜だった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは起きてすぐ、『共産党宣言』に着手した。それはいけない、こちらには未だ何の支度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、とか色々あったが、夜明けまで議論をつづけて、『共産党宣言』執筆は進められた。真昼になっても執筆は続けられた。第3章を書いていたころ、黒雲が空を覆い、ぼつりぼつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。何らかの祝宴に列席していた臣民たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちを引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気に歌をうたい、手を拍った。完成を前にしてマルクス・アウレリウス・アントニヌスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。何らかの祝宴は、夜に入ってもいよいよ乱れ華やかになり、臣民たちは、外の豪雨を全く気にしなくなった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、一生このままここにいたい、と思った。臣民たちに傅かれて生涯暮らして行きたいと願ったが、今は、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬことである。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。そのころには、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの宮殿にぐずぐずとどまっていたかった。マルクス・アウレリウス・アントニヌスほどの漢にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしいエンゲルスに近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには私の膨大な草稿があるのだから、決して仕事が無くなることは無い。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。読者との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、たぶん偉い漢なのだから、おまえもその誇りを持っていろ」
 エンゲルスは、夢見心地で首肯いた。
「支度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、未発表の草稿の山だけだ。他には、何も無い。全部あげよう」
 エンゲルスは揉み手して、てれていた。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは笑って臣民たちにも会釈して、玉座から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って断頭台に上がってやる。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、悠々と身支度を始めた。雨も、いくぶん小振りになっている様子である。身支度は出来た。さて、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
 私は今宵、首を斬られる。首を斬られる為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪知を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は首を斬られる。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いマルクス・アウレリウス・アントニヌスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。ローマを出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや追っ手の心配はない。エンゲルスは、きっと佳い思想家になるだろう。私には、今、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ち前の呑気さを取り返し、好きな革命歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ折り返し地点に到達した頃、降って湧いた災難、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一気に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木端微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に浚われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上がり、海のようになっている。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは川岸にうずくまり、漢泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために首を斬られるのです」
 こういう時は後で生け贄を捧げる約束をしなければ願いを聞き届けてはもらえないものであるが、マルクス・アウレリウス・アントニヌスがそれを怠ったので、濁流は、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はマルクス・アウレリウス・アントニヌスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠と共産主義の偉大な力を、今こそ発揮してみせる。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、ざんぶと流れに飛び込み、二百五十六匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の階級闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐憫を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。マルクス・アウレリウス・アントニヌスはシマウマのように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。後は自転車があればよかったのだが、自転車はない。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一体の山賊が躍り出た。
「おぅ、ワレ、ちょっと待たんかい」
「何をするのだ。私は日の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ」
「どっこい放さぬ。持ち物全部を置いて行け」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ」
「その、いのちが欲しいのだ」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。おもしろい、大秦国王アントンの力を見せてやろう」
 山賊は、ものも言わず棍棒を振り挙げた。アントンはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如くに襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃ナックルアロー、延髄斬りから必殺の卍固めでギブアップを奪った。その後一気に峠を駈け降りたが、さすがに疲労し、折りから午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは幾度となく目眩を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上がることが出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、異種格闘技戦を制し韋駄天、ここまで突破してきたマルクス・アウレリウス・アントニヌスよ。おおまるくす・あるれりうす・あんとにぬすよ、しんでしまうとはなさけない。愛する友はおまえを信じたばかりに、やがて首を斬られなければならぬ。おまえは、希代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、ローマ皇帝に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一杯に努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、出来ることなら私の胸を裁ち割って、深紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実と共産主義の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な漢だ。私は、きっと笑われる。私の帝国も笑われる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。カラカラ帝よ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。一度だって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。今だって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、カラカラ帝。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。カラカラ帝、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。異種格闘技戦も制して、一気に峠を駈け降りてきたのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれてこい、と耳打ちした。おくれたら、身代わりを斬首して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事もなく私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。カラカラ帝よ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。ローマには私の宮殿が在る。羊も居る。エンゲルスは、まさか私をローマから追い出すようなことはしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、共産主義だの、考えてみれば、くだらない。社員を殺して会社が生きる。それが資本主義社会の定法ではなかったか*2。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。──四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

*2 この戦いの特色は、労働者軍の募集によってよりもむしろ解雇によって勝利が得られるということである。将軍たる資本家達は、相互に、誰が最も多く産業兵卒を除隊しうるかを競争する。(『賃労働と資本』)

後編へ続く

 

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帰ってきた走れマルクス・アルレリウス・アントニヌス(後編)

2006-05-01 23:35:44 | 文芸欄

 ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起きあがって、見ると、岩の裂け目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにマルクス・アウレリウス・アントニヌスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ぼうと長いため息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生まれた。義務遂行の希望である。わが首を斬らせて、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の首なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいいことは言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! マルクス・アウレリウス・アントニヌス。
 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓六腑が疲れている時は、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。マルクス・アウレリウス・アントニヌス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真のローマ皇帝だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として首を斬られることが出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生まれた時から正直な漢であった。正直な漢のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳ね飛ばし、叩きのめし、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人達を驚愕させ、犬を蹴り飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十六倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「今頃は、あの漢も、断頭台に上っているよ」ああ、その漢、その漢のために私は、今こんなに走っているのだ。その漢を死なせてはならない。急げ、マルクス・アウレリウス・アントニヌス。おくれてはならぬ。愛と誠と共産主義の力を、今こそ思い知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向こうに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてぎらぎら光っている。
「ああ、マルクス・アウレリウス・アントニヌス様」うめくような声が、風と共に聞えた。
「どなたさんぞな?」
「拙者、大石鍬次郎と申す。カラカラ浴場の従業員にござる」その若い従業員も、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でござる。むだでござる。走るのは、おやめ下され。もう、殿をお助けすることは出来ませぬ」
「いや、まだ陽は沈まぬ」
「ちょうど今、殿が斬首になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ」マルクス・アウレリウス・アントニヌスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。太陽を直接見るのはどうかとも思うが、走るより他は無い。
 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽くして、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは走った。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も消えようとした時、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。
「アテネの勝利だ!」

 市は勝利の知らせにわきかえった。以来、アテネの勝利と勝利を告げるため十里の路を駈け抜けたマルクス・アウレリウス・アントニヌスを記念して、世界中で42.195㎞が走られることとなった。そして一度は挫けたマルクス・アウレリウス・アントニヌスが湧き水で再び立ち上がった故事より、途中に給水ポイントが設けられることとなった。

 一方そのころ、カラカラ帝の首が斬られた。カラカラ帝はあまり好かれていなかったので、この処置はおおむね歓迎された。ちなみにカラカラ帝には跡継ぎも居なかったので、カラカラ浴場は取りつぶしということになったが、この処置に不満を持ったのがカラカラ浴場の47人の従業員であった。
 カラカラ浴場従業員のリーダー格である大石鍬次郎の下に従業員達が集まっている。
「大石殿、おかしいではありませぬか。いったい殿に何の落ち度があったというのですか!」
「さようでござる。罪を犯したのはあのマルクス・アウレリウス・アントニヌスであって、殿ではござらぬ。」
「言うてはならぬ、殿は親友であったマルクス・アウレリウス・アントニヌスのため、その罪を自ら引き受けたのだ。」
「されど大石殿、そうであるならばマルクス・アウレリウス・アントニヌスも首を斬られるべきではござらぬか。殿が首を斬られて、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは何のお咎めもなしとは、納得がいきませぬ。」
「うむ、お主達の気持ちはわかる。わしとて納得はしておらぬ。されど今は忍従の時ぞ。」
「耐えてなどおれませぬ! 我等は従業員として殿の無念をはらすべく、即刻ローマに攻め入り、マルクス・アウレリウス・アントニヌスを血祭りに上げるべきものと存じます。」
「まぁ、待て。奴はローマの皇帝だ。うかつに手は出せぬ。それに、討ち入りは最後の手段と心得よ。大切なのは、浴場の再興ではないのか?」
「カラカラ浴場は取りつぶしとの王の決断でございます。今更覆せるものではございませぬ。」
「たしかに難しいかも知れぬ。されど、わしもお主等も妻子ある身、働くべき職場をなくしていかがする? よいか、命を粗末にするのは最後の手段じゃ。まずは、我等が生き延びる手段を探そうではないか。」
 大石鍬次郎はいきり立つ従業員達を何とかなだめ、自身はカラカラ浴場再興のため奔走を始めた。

 一方そのころのことであるが、パンノニアにアッティラという王がいた。在位434-453。兄ブレダとともに父王ルガスの後を継いだが、兄を倒して単独で王となり、パンノニアに権力を確立した。さらにローマ帝国に迫ってテオドシウス2世に貢納を約束させた。451年にガリアに侵入したが、トロワ近くのカタラウヌムの戦いでアエティウスの東ローマ・西ゴート連合軍に敗れ、ガリアから撤退。翌年北イタリアに侵入したが、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの説得にあって彼はマルクス・アウレリウス・アントニヌス主義に改宗した。そしてパンノニアに引き返し、その地で共産主義政権を打ち立てた。世界初の本格的なマルクス・アウレリウス・アントニヌス主義政権である。ここにあたってマルクス・アウレリウス・アントニヌス思想の重要性が急激に認められるようになったわけであったが、同時にマルクス・アウレリウス・アントニヌス思想の歪曲も行われるようになった。
 パンノニアの国家イデオロギーとしてマルクス・アウレリウス・アントニヌス主義は大きな力を持つに至ったのであるが、しかるにパンノニアにおける最大のマルクス・アウレリウス・アントニヌス主義理論家とされたのは王であるアッティラであり、彼の見解に反するような解釈体系が提出されようものなら、それはただちに異端として粛正の対象となった。そうしてマルクス・アウレリウス・アントニヌス主義はマルクス・アウレリウス・アントニヌス=アッティラ主義へと変容していった。
 冒頭で編集者ともめていたことからもわかるように、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの著作でその生前に刊行されたものは決して多くなく、膨大な草稿、未決定稿が残された。パンノニアではこの膨大な遺稿の整理、編集出版の作業が国家事業として進められることになったのであるが、いまだもって完全な全集はできあがっていない。そもそもその多くがまずパンノニア語で刊行され、しかる後にもとのローマ語で刊行されるという転倒ぶりで、一部の研究者を苛立たせてもいる。マルクス・アウレリウス・アントニヌス=アッティラ主義研究所の手になる序文や注釈に関しても政治的偏向が指摘されており、何かと注意が必要になってくるわけであるが、まぁそれはあくまでマルクス・アウレリウス・アントニヌスの死後のこと、この物語の時代とは少しかけ離れている。未来のことはさておき、現在に話を戻すとしよう。

 大石鍬次郎の奔走は、実を結ばなかった。必死の訴えも空しく、カラカラ浴場閉鎖の決定が覆されることはなかったのである。ここに至って47人の従業員の行き場はなくなった。大石鍬次郎は今は牢人となった元従業員達に向かって言った。
「主らの中には妻子のあるもの、老いた親のある者、まだまだ若い者もいよう。命を惜しむのは臆病ではない。わずかなりとも生きたいと思う者はこの場を去り、再就職先を探しに行ってくれてかまわぬ。誰も悪くは言わぬ。」
 だが、席を立つ者はだれ一人としていなかった。
「切腹は必至、後悔せぬか。」
 47人の従業員達は微動だにしなかった。47人の従業員全員が、立ち上がった。
 雪の降る夜、47人の従業員は刀を手に、鎖帷子を着込んでローマの宮殿を襲撃した。不意を打たれたローマの衛兵達は常日頃の統制の取れた動きを見せることが出来ず、従業員達に次々と討たれていった。ましてや従業員達は最初から完全武装、覚悟のほども十分とあって、その志気の差も歴然たるものであった。大石を先頭に、47従業員は誰一人として欠けることなく、皇帝の玉座を目指した。

 47従業員ははじめ部屋の外に控えていた下僕を斬った。この時エンゲルスと話していたマルクス・アウレリウス・アントニヌスは「ホタエナ」(ローマの方言で、騒ぐなの意)と、何にかふざけているのだろうと思ってこれを叱りつけ、その言葉の終わるや終わらぬに、二人の従業員が、ひとりは「コナクソ」と叫び、エンゲルスの後頭部に斬付け、一人はマルクス・アウレリウス・アントニヌスの前頭部を深く一太刀払った。脳漿が流れ出る程の深手である。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは身を退いて床の間に置いてあった刀を取ろうとして、後ろ向きになり二太刀深く右肩から左の背骨に掛け、大袈裟を浴びせられた。しかしマルクス・アウレリウス・アントニヌスとて鉄人皇帝の異名を取った漢である、屈せず従業員に立ち向かったが、刀を抜くに暇無く、三の太刀を鞘のままで受止めた。敵の鋭い太刀は、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの太刀打から六寸ばかりのところを、鞘越しに刀身三寸余を鉛のように削って、余勢は流れて深くマルクス・アウレリウス・アントニヌスの前額を鉢巻なりに薙いで終わった。
「エンゲルス、エンゲルス、刀はないか」
と、悲痛の声をあげて斃れたのである。この時マルクス・アウレリウス・アントニヌスの刀の鐺がローマ風に低くなっている天井を突破ったところから見て如何にその壮烈なものであったかがわかる。
 エンゲルスも刀は屏風の後に置いたので、短刀で立ち向かったが、全身に十一カ所の深手浅手。従業員は「もう宜い、もう宜い」と、大きな声を出して笑いながら去った。
 その後に、マルクス・アウレリウス・アントニヌスもエンゲルスも蘇生し、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは行燈のところににじり寄って刀を抜いてこれを照らし、
「残念、残念」
と二言言い、エンゲルスをふり返って、
「エンゲルスエンゲルス、どうした、手が利くか」
 エンゲルスが、
「手が利かぬ」
というと、マルクス・アウレリウス・アントニヌスはよろめきながら行燈をさげて、次の六畳へ出て(斬られた室は二階八畳二室六畳二室の中一番奥の八畳)、手摺りのところから、大きな声で階下にむかって、
「医者を呼べ」
と命じ、
「エンゲルス、僕は脳をやられたから、とても駄目だ」
という言葉が最後であった。
 エンゲルスは一日存命。出血多量のため、十七日八ツ頃(午後一時から二時)静かに絶命した。

 この事件はすぐに天下の知るところとなった。ローマの宮殿を襲撃し、皇帝を斬殺したその罪は重罪であり、当然のように47人の従業員は全員、切腹を命じられた。しかし、切腹は必至と承知の上、わが身の危険も顧みず経営者の仇を討つとはあっぱれである。これぞ従業員のかがみである。太平の世で長らく忘れられていた従業員道を彼らは思い起こさせてくれた、と世間では47従業員を称えるものこそあれ、悪く言うものはいなかった。彼らこそ真の従業員である、と。
 切腹の日。47人は死に装束を身にまとい、誰一人として臆することなく、胸を張って刑場に入った。全員が覚悟を決めており、その迷いのない堂々たる様に、群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から47人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに47人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」
 どっと群衆の間に、歓喜が起こった。
「万歳、王様万歳」
 一人の少女が、緋のマントを大石鍬次郎に捧げた。大石鍬次郎は、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「大石鍬次郎、あの色は労働者の血の色を表しているのだ。早くそのマントを着るがいい。このかわいい娘さんは、大石鍬次郎が白軍のような姿をしているのを、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」
 従業員は、ひどく赤面した。

 ともあれ、47従業員とその仲間に加わった暴君ディオニスは、人々に賞賛される中、見事、切腹して果てた。彼ら47従業員の物語は今に至るも年末に語り継がれている。また、暴君ディオニスがいなくなったのでシラクスの市で今後、首を斬られる者はいなくなるのではないかと期待されたが、なかなかそうも行かなかった。ままならぬものである。

(古伝説と、シルレル、といってもメシチャンスカヤ通りのブリキ職人として名の知れたあのシルレルではなく、『ヴィルヘルム・テル』や『三十年戦役史』を書いたシルレルの詩と、西洋史の一幕と、それほど古くない日本史上のエピソードと、マルクス及びマルクス主義の思想とその顛末などから)

 

 ← 万国のプロレタリア、団結せよ!

コメント

補足

2006-05-01 22:33:58 | ニュース

本文、これぞ防衛、護身の極意なり

46 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:07:14 ID:ZPqPPLkR0
防犯ブザーでいいじゃん。武器なんかどうせ使えないんだし。

という発想にならないとこがヲタwwwwwwwwwwwwww
自分は弱いから武器ダイスキwwwwwwwwwwwww
9条改正wwwwwwwwwwwww

57 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:08:03 ID:9dZtn2/F0
ケンカ慣れしてない香具師ほど
飛躍すんだろうな、たぶん

61 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:08:19 ID:SG0WrpiT0
オタが武器を持っても逆に奪われて
切られるだけだろ
つうかオタっぽくない格好すればいいのでは

159 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:14:53 ID:YYIiGN2N0
>>127
ナイフ持って歩いてたら捕まるのは当たり前だろ

おまえらってかなりDQN思考だな

175 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:15:51 ID:dR7p7HcD0
ナイフなんてリーチも大して変わらんし相手は本気になるしで、護身用としちゃ
何も良いところ無いのになあ。

182 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:16:19 ID:y15/0lCy0
喧嘩慣れしてれば、まず身を守ることから考えるんだけどな
どうせお前らすぐ硬直するんだろ

233 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:20:21 ID:GTtFcU8W0
ガタガタ震える手で10徳ナイフとか取り出しても効果ないだろw

247 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 18:21:13 ID:n5xV7V860
刃物の使い方を知らないような奴が持ち歩いたところで、
何の役にも立たないだけw

269 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:23:05 ID:GTtFcU8W0
大体護身用って人を攻撃したり威嚇する事が前提だろう
そんな理由が通るわけないんだよ

271 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:23:14 ID:hxuSiLpn0
ヲタだろうがなんだろうが刃物持ってたらDQNだろ

はっきり言っておまえらに失望した

287 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 18:24:25 ID:F4YN4+6K0
正当防衛が目的じゃないだろ・・・これだからオタは・・・

299 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:25:17 ID:hxuSiLpn0
真面目な人は刃物なんか持たない

315 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:26:03 ID:SnkUujOVO
みんな、カッコつけて刃物持ち歩くから捕まるんだよ

モーニングスターとかメイスとかフレイルみたいな鈍器なら大丈夫だろ

323 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:26:51 ID:BMlh+i4f0
ヘタに武器持つと却って危険だよ。
相手を余計に興奮させてしまうし、挙句にその武器奪われてぼっこぼこ。
皮肉なことに自分を守るために持参した木刀やメリケンサックに顔形を変えられて
しまうのさ。

330 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 18:27:14 ID:oGgPEumL0
重要なのは対処法じゃなくて予防法

335 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:27:28 ID:QGqff4G60
警察の態度に疑問があるのは当然として
護身目的に刃物なんか持ち歩いて、どのタイミングで使うんだよ。
近づいた奴に対して先に刃物出したら自分が捕まるぞ。

足腰鍛えるとか複数で行動するとか大声上げるとか
下向かず前を見てきびきび歩く、危ない場所には寄らない、とか地道にやれ。

375 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:30:06 ID:6HRsc1eV0
ナイフも格闘技も必要ないだろ
「絡まれないような態度と格好をする」
これだけでいいのに

それでも運悪く絡んできたら、冷静に逃げつつ110番。
ケンカしたって空しいだけだしあちこち痛くなるし、
だいたい、いい大人が殴りあいだのするもんじゃないよ。みっともない

385 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 18:31:18 ID:9JX7KqKx0
ヘボが刃物ちらつかせてもそれで自分が刺されるのがオチ。

人通りのある方に走って逃げるのが一番、大声を出せばなおいい。
それが出来ないのは痴漢にあってるのにされるがままになってるようなもん。

391 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:31:49 ID:AFGVowfT0
秋葉でナイフ持ち歩いてるヤツって護身用じゃなくて、「月姫」に影響されたヲタが大半だろ?

423 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/05(火) 18:34:02 ID:GTtFcU8W0
気の弱いオタクが刃物ってある意味怖いよなあ
いきなりウワーーーッとか言って刺しそう

509 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 18:40:52 ID:oGgPEumL0
襲われるのを前提に物事を考えてる奴多過ぎ
どんだけ挙動不審なのかと

 

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君の働きは私より下だ。しかし~

2006-05-01 20:56:40 | 非国民通信社社説

 こちらのエントリは以下のエントリの補足として書かれたものです。まずは下記リンク先のエントリをご覧下さい。

君の収入は私より上だ。しかし、君が待遇改善を求める権利は命を賭けて守る


 本編に上手く織り込むことができなかったので別枠で書きますが、本編での主張と似たような形で、以下のようにも主張したいと思います。

「君の働きは私より下だ。しかし、君が待遇改善を求める権利は命を賭けて守る」

 労働者の怒りが政財界に向けられる代わりに、自分より高給の労働者、何らかの点で恵まれていると感じられている労働者に怒りが向けられる傾向を本編では指摘しました。大まかに言えば下流から中流に対する攻撃、下から足を引っ張ろうとする動きが乗り越えるべき課題の一つなのですが、この逆もあります。大まかに言えば中流から下流への蔑視、上から頭を押さえつけようとする動きもまた、対になるものとして同様に克服されねばならないでしょう。

 端的に言ってしまえば「奴らはその程度の働きしかしていないのだから、今以上に要求する権利などない」とする考え方が、政財界の外にも存在することです。自分より厚遇されている層に向かって「お前達は十分に恵まれているのに、それでも待遇改善を求めるのは強欲だ」と噛みつくのと同様に、自分とは違った仕事をしている層に向かって「お前達はろくに働いていない、お前達に待遇改善を要求する資格などない」と。

 具体例其の1としては、フリーターやワーキングプア層に対する自己責任論ですね。そういう結果に陥ったのはそれまでの努力を怠ってきたからで、そうなったのは本人の責任、だからそうしたワーキングプア層が待遇改善を求める権利などないとするものです。

 これには認識の誤りもあります。もちろん努力云々が無関係ということもないのでしょうけれど、諸々の巡り合わせの結果として薄給の仕事しか選べなくなることもありますし、そうした仕事に従事している人にも生活を支える必要があります。人として生きていくために、貰うべきものは貰わなければなりませんし、それを要求する権利は誰にでも保障されており、否定されてはならないものです。

 パターン其の2は、他人には理解されにくい仕事の場合です。とりわけ、傍目には楽な仕事に見える、無くても良さそうに見える仕事ですね、こうした仕事に従事している人に対する眼差しも決して温かいものではありません。たとえ実際にやってみると大変な仕事であるとしても、周りはなかなか分かってくれない、そんな中で待遇改善を求める声を上げても「お前はろくに働いていないクセに要求ばかりは一人前だ!」とばかりに袋だたきにされるのがオチです。

 「給与に見合うだけの仕事をしているなら」とか、「やるだけのことをやってから主張すべき」とか、そんな風に言う人もいますが、他人の仕事、他部署の仕事、他業種の仕事をどれだけ把握できているつもりなのか問いたいものです。たぶん「自分は(他人よりも)しっかり働いている」という誇りを持つためには他人の仕事を評価しない、低く見積もった方が辻褄が合うのかも知れません。しかし他人の仕事の評価を下げて、何か良いことでもあるのでしょうか。

 この辺の考え方は上下の方向性を問いません。正社員が非正社員を見て「奴らは責任を負わされていない、賃金もそれ相応でしかるべき」そう考えている一方で、非正社員は正社員を見て「奴らの仕事も俺たちの仕事も一緒なのに、奴らは俺たちの倍以上貰っている、既得権益にしがみついている」そう考えているでしょう。公務員が相手の場合も同じで、民間の人は「奴らは怠けてばかりいる、それなのに給与が上がるなど許されてはならない」と、そう考える人も多いでしょうか。実態がどうであるかはさておき、他人の労働を低く見積もり、それに対して支払われるべき対価を低く見積もる、それが巡り巡ってあなたの給与に反映されているのかも知れません。

 下から上へ「正社員で高給取りのクセにろくに仕事もできない~」という思いもさることながら、やはり主流になるのは上から下へ、その力関係を後ろ盾にした上から下への軽蔑が強い影響力を行使しているところもあります。役員から管理職へ、管理職から平社員へ、正社員から非正社員へ、ホワイトカラーからブルーカラーへ、職のある人から無職の人へ、高給取りからワーキングプアへ、こうした上から下への軽蔑、「お前達は俺たちより劣っている、俺たちと違って大した利益を生み出していない、お前達は無能で、お前達の待遇はそれに見合ったモノなのだ」と、そんな軽蔑です。

 相対的に上に立つ層は、下に立つ層の要求を軽蔑によって押さえ込もうとします。下からの声に理解を示そうとしません。では「下」は? もちろん、中には「上」に対して敢然と反抗する人もいます。しかし中には「上」からの視点を内面化してしまう、「上」からの軽蔑にいつの間にか同意してしまう人もいます。自分達は無能であり、自分達の置かれた境遇は自分達に見合ったモノ、自分達は利益を生み出していない、そんな自分達に待遇改善を求める資格などない、そう考えるようになってしまう人もいます。自覚のないままで。

 知らず知らずのうちに「上」からの軽蔑を内面化してしまった人は、自分は無力であり、権利がないと感じるのでしょうか。それゆえに自ら矢面に立って要求を掲げることはしません。その代わりに、「誰か」が自分の要求を代弁してくれることを待ち続けます。自分が動くのではなく他人が動いてくれるのを待っている、投票率の低さはそれ故でしょうか。

 あるいは、貧困層に左翼嫌い、労組嫌いが多いのもそれ故でしょうか。自分が前線に立つのではなく、「誰か」が手を差し伸べてくれるのを待っている人にとって、今の無力な左派政党や労働組合は一際強い失望を与えてくれるものかも知れませんし、それが他人である以上、決して思い通りには動いてくれない、主張を思い通りに代弁してはくれない、そのことも強い失望を与えるものかも知れません。そしてその失望、思い通りに動いてくれない、自分達を助けてくれない失望の故に、かえって恨み辛みをぶつけようとするのでしょうか。

 労組批判を耳にする度に思うのは、「労組はあなたの母親じゃありませんよ」と言うことです。「あなた」を無条件に守ってくれるために労組が存在しているのではなく、自分達を守るために集まったのが元々の労組なのです。だから「労組に守ってもらう」というのではなく「労組を使って自分を守る」のが労組の機能なのではないかと思うのです。もっとも「誰か」が手を差し伸べてくれることを期待して待っている人ばかりなのか、自分から動く人はあまりに少ないようです。

 働きぶりが「下」だと言われる、社会に貢献していない、会社の役に立っていない、十把一絡げの使い捨ての労働力として扱われる、そういう経験が重なると自らの権利にも自信がなくなってくるかも知れません。しかし、仮に働きが「下」であったとしても、それは我々の生きる権利とは別問題、誰にでも自らの生きる環境を向上させる権利、それを要求する権利はあります。決して「誰か」が代弁してくれることを待たねばならないものではなく、自ら堂々と表に出すべきものなのです。

 

 まぁ、私が言えた義理じゃございませんが。

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共闘への道、乗り越えるべき課題(後編)

2006-05-01 00:03:02 | 非国民通信社社説

 一つの方法は、自民党から票を奪うことです。左派(共産党)の支持をいくら奪ったところでその票田は僅かに5%が限度、すぐに枯れてしまいます。しかし右派(自民党)の支持を奪うなら、票田として豊かであるだけでなく、自民党の支持基盤を切り崩すことで相手を弱めることにもつながります。これはイギリス労働党トニー・プードル・ブレア首相のとった策で、左派に訴えても有権者数には限度があることに見切りをつけ、労働党を右傾化させることで保守党の票を奪うことに成功したものです。

 これで民主党が自民党を上回ることができなかったとしても、自民党と民主党がお互いに食いつぶしあうことで自民党を過半数割れに追い込むことができれば一応の成功といえます。自民党と民主党が右派の票を取り合う間に社民党や共産党が勢力を伸ばせればなおのことよし、過半数の議席を失った自民党、民主党ともに単独での採決が不可能となれば、左派政党がキャスティングボードを握ることとなり、現在の自民党のような他党の理解を得ないままの強行採決を防ぐことができるようになります。

 この方法の欠点は、民主党に右を向かせることで民主党の第二自民党化をより一層、進めかねないことであり、現にイギリスのブレア労働党は政権交代こそ果たしたもののその内実は保守党を引き継ぐものでありました。そしてもう一つの致命的な欠点は、左派政党がキャスティングボードを握る条件として自民党と民主党という二大保守政党による対決路線の継続を必要としていることにあります。これが万一、単独採決ができなくなった自民党と民主党が互いに手を組むこととなれば、もはや誰も止めることができなくなってしまうわけです。

 そこでもう一つの方法は、最大の票田である投票しない層を掘り起こすことです。これはどの政党も既にやっていることではありますが、有権者のうちで最も多いのは自民党に投票する人でもなければ民主党に投票する人でもなく、選挙に行かない人です。彼ら無投票層をいかに獲得できるかで選挙の行方は大きく左右されますし、この方法にはデメリットがありません。

 とは言え、選挙に興味がない層を投票に来させる、それも野党に投票させるのはなかなか難しいことです。左派ブロガーの多くは民主党が自民党より「マシな」政党であるとするわけですが、政治に興味のない人の多くは逆に自民党が他の党よりも「マシな」政党であると思いこんでいる場合が多いわけです。「他の内閣よりも良さそうだから」なんて理由で政府を支持している人々は少なくないわけですね。

 そこで、そんな政治に興味のない人達の票を軽々とかっさらうのがタレント議員です。最近では宮崎県知事選でタレント候補の そのまんま東氏が自民+公明党が推薦する候補を押さえて当選しました。各種タレント候補の政治力に関しては何も言えませんが、その選挙での強さは圧倒的です。だからもし自民党政権打倒のためには手段を選ぶべきではない、自民党の暴走を阻止するためなら理想を捨ててもかまわないとすら考えるのであれば、タレント候補をそろえることも検討した方がよさそうです。

 3番目の方法論として、公明党の引き抜きも考えられます。創価学会の表向きのスローガンは「生命の尊厳」「万人の幸福」「世界の平和」、これは自民党とは相容れません。むしろ民主党の方が少しだけ近い訳で、治安維持法によって弾圧されてきた団体でもあるせいか共謀罪にも本音では賛成したくないように見えます。ホワイトカラー・エグゼンプションにも公明党は反対でした。ならばどうして自民党に付いているの?

 共産党の全面的な協力などなくとも、公明党の協力さえ取り付ければ自民党の過半数割れは確実です。左派系のブログとなりますとその読者も民主党や社民党、共産党支持層が多いだけにどうしても野党支持層同士での共闘を呼びかけるものに偏りがちですが、対決相手である与党側の弱体化のためにも与党からの公明党の引き抜きも真剣に検討する意義があるのではないでしょうか? もし創価学会が上層部の命令よりも世界平和云々と表に掲げた教義を優先できるのであれば、彼らの立場は政府与党よりも野党側に近いはずなのです。党利党略によって自民党と結託する公明党全体の引きはがしは無理としても、公明党支持層の中には指導者への崇拝より万人の幸福や世界平和を優先させたい人もいるはずで、そういう層への呼びかけもまた意義があるのではないでしょうか。

 さて野党共闘の他に、左右共闘を訴える声も少しずつではありますが出ています。これも自民党の打倒のためには一つの方法ですが、危険性もあります。どうも左派系のブログに右派系のブロガーが接触してきたことから話が盛り上がってきたようなのですが、たしかに普段は最悪の関係にある右派ブロガーから友好的に話を持ちかけられると、パッと道が開けたような感じがしてしまうのかもしれません。しかし右派と一口に言っても鈴木邦夫氏のようなしっかりとした人物もいれば、修正主義者やレイシストなどの妄想家も多いわけで、相容れない要素があまりにも多いような気がします。

 フランスとオランダでは左右共闘によってEU憲法の批准を阻止しました。左派はEU拡大による新自由主義の拡大を阻むために、右派は移民の増加を恐れる排外主義から、結果的に左右が共闘してEU憲法の批准に反対したのでした。そしてこれと似たようなケースが日本の人権擁護法案の場合に見られました。左派は法案を悪用した表現規制の強化を恐れて反対し、右派は自分達の憎む差別対象者が法案によって守られることを阻むために反対、結果として左右が共に反対することとなりました。このあたりはどう評価されるべきなのでしょうか?

 特定の問題に関しては左右共闘も可能なのですが、これが複雑に主張の絡み合う選挙となるとどうか? ホワイトカラー・エグゼンプションについては左右ともに反対で共闘できるかもしれませんが、しかるに選挙の争点はそれだけではありません。財界べったりの自民党の経済政策には反対するが排外主義には賛成、軍拡路線や諸々の介入にも賛成している右派が共闘を持ちかけてきたとしましょう。そこで自民党の阻止を至上命題としている左派はどうすべきでしょうか? 右派との共闘を実現するために、右に擦り寄っていくのか、それとも妥協せずに戦うのか? 右派との共闘が成れば自民党打倒への道は開けるかもしれません。しかし、共闘の条件として右派側の掲げる主張への協力を求められるとしたら? 私は自民党阻止のためであってもレイシストと組むことはできませんがね。

 回りから見てそうであるかは分かりませんが、自分はマイノリティの味方でありたいと思っています。だから、最大野党である民主党に共産党が協力すべきだ!という論調にはどうしても圧迫感を感じるわけです。要するに小さいモノは大きいモノの一部になれってことですか?と。 あるいは、共産党が候補を立ててもどうせ当選できないんだから云々と語る人もいます。おまえは無力なんだから出てくるな、強いモノに従っていればいいのだ、そう言われている気分にもなります。どうせ当選できないのだから候補者は立てるべきではない、共産党への票は全て死に票だ、そんな発言は少数派の思いを踏みにじるものです。普段は良心的なブロガーであっても、この民主党と共産党との共闘問題に関しては無神経に人を傷つけているケースが少なくないように感じられるのが何とも痛ましい。多数派が少数派に、強者が弱者に同調を迫るのであれば、それでは自民党のやっていることと変わりがありません・・・

 まぁ、民主党は共産党からの批判を受け入れてしっかり対決路線を貫いて欲しいところ。自民党との対決路線さえ続けていれば、たとえ民主党が保守化、右傾化してもそれは自民党とのつぶし合いとなるだけであり、むしろ左派政党にとってはチャンスですし、逆にリベラル路線に転向、左傾化するのであれば左派政党としてようやく共闘する意味が出てきます。最悪なのは、民主党が自民党に賛成したり反対したりと態度の曖昧なまま安易に少数野党を吸収してしまうことで、これでは少数派の声は永遠に封じ込められてしまいます。(もしかしたらそれこそが、自民党のような強者の政党に対する利敵行為であるかもしれません!)

 先に書いたように、今の自民党政権はあらゆる意味で最悪の状況にあり、次回選挙での阻止は至上命題です。自民党の暴走を止める、この点では誰もが肯けるところです。しかし、現行の共闘論、民主党に少数野党が道を譲る形での共闘論には弊害が多すぎるのではないでしょうか。全ての要件を満たす理想的な選択肢は存在しないかもしれません。どこかで妥協はしなければならないのでしょう。しかし、今ここで道を一つに限ってしまうことが果たして好ましいのでしょうか? 一口に野党共闘と言っても、まだもう少し、道を探る必要性はありそうです。

 

 

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目次_

2006-05-01 00:00:00 | 目次

上の方が新しい記事です

コミュニケーション能力の高い人、とは

コミュニケーション能力云々の補足

「普通」の働き方

「一票の格差是正」につきまとうもの

改革という名の退行に背を向けて

消費税についてのまとめ

若者優遇はもう終わりにしよう

いつも裏切られる革命、あるいは失敗する神々

善良な市民

目指してる未来が違う

プラヴダ主義経済学

第三の道/雇用編

第三の道

シリーズ・バブル以降 第1章 第2章 第3章

民意、民意、民意…

王冠が見えないだけだ

内需が回復しないワケ

同じて和せず

リアリズムの欠如

モンティ・パイソンのリアリズム

轍から抜け出すために

僕は歩兵でいい

不寛容に寛容な国

生活保護vsワーキングプア

日本は誰に住みよいか

殺人教時代

他人の犠牲を善行に見せるには

Beyond the Realms of Punishment

道徳による偽装

道徳家であるが故に

日本を誰が「拒絶」しているのか

安心よりも不安を煽る国

The fascist regime

道徳は阿片である

死刑制度を巡る言論を読む

サムライの時代から

士農工商?

下流志向って何だろう?

社会人って何だろう

原因と結果、支持と不支持

民から官へ!

小さな国でも世界一

they don't like their constitutions

空を自由に飛びたいか

君の収入は私より上だ。しかし~

信じやすい人たちの甘い夢

構造改革を考える

日本にも「ポゴ党」を

日本人とモラル

行き過ぎた個人主義?

誰もが不満を持つが、選挙の結果は変わらない

現代のレイシズムとしての能力主義

中立・中道を疑う

俺たちはサムライじゃない

信念を守れ

恐怖、沈黙、同意を越えて

「ニート」は実在するのか?

政策から目を背けてはならない

誰が権力者にふさわしいか

談合万歳

共闘への道、乗り越えるべき課題

愛国心より忠誠心?

不健全な力関係

富裕層の傲慢・貧困層の怠慢

ニラ茶でわかる消費税のからくり

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