非国民通信

ノーモア・コイズミ

ヤッホー、無職になったぞ

2009-12-31 23:00:09 | 編集雑記

 先日は派遣村の話を書きましたが、実は私も12月限りで派遣切りに会いました。まぁ私の場合は会社の寮に住んでいたりするわけでもないので契約打ち切りで即路頭に迷うというわけでもなく、貯金せず浪費に回す人こそ内需を支えている功労者なんだと主張しておきながら、さりとて金のかかる趣味も持っていないだけに貯金がないわけじゃない、そこまで深刻な事態ではないのですが……とりあえず収入の当てが無くなりました。すぐに困窮するわけではないにせよ、あまりのほほんともしていられません。

 会社を辞めたり契約を打ち切られたりは慣れっこですが、しかるに今までと違うのは、良くも悪くも失業給付金がもらえそうなところです。つまりは失業が「自己都合」扱いの場合、失業給付が始まるのは待機期間+αで実質4ヶ月後、そこまで悠長に構えてはいられないので条件を下げてでも再就職先を探さざるを得ない、だから失業保険なんてまるっきり縁のない制度だったのですが、今回は諸事情により「会社都合」になりそうなのです。それは必ずしもポジティブな理由からではないのですけれど……

 自分から会社を辞めた場合「自己都合」になるのは致し方ないところとしましょう、しかるに派遣契約打ち切りの場合も、往々にして「自己都合」扱いになりがちです。なぜなら派遣先都合による契約打ち切りであっても、派遣会社が新たな仕事を紹介してくれる限り、制度上は失業扱いにならないのです(雇用主は派遣先企業ではなく派遣会社であり、派遣会社から解雇されたわけではないので)。そこで派遣会社からの紹介を断れば離職票が送られてきますが、そうなると自己都合扱いにされてしまいます。働く意欲がないから~ではなく、今までの仕事よりも条件の悪い仕事しか紹介されないからと、そうした理由であっても紹介された仕事を断れば「自己都合」、失業保険とはそういう運用なのです。だから条件が悪くても呑むしかないようにできているのです。

 ところが、派遣会社が匙を投げる時もあります。「あなたには仕事を紹介してあげません」「紹介できる仕事がありません」みたいな理由(前者は表に出さないでしょうけれど)で派遣会社側が仕事の紹介をも放棄することがあります。こうなると流石に自己都合にはならない、会社都合という形になる……はずです。こういう事態になって初めて派遣社員は失業給付の対象になる、何とも気の遠くなるような話ですが、幸か不幸か私もこのパターンになりそうなのです。というのも派遣会社の担当営業に新たな仕事を紹介するよう要求したのですが、「すみません、12月は1件も仕事が取れなくて、紹介できるお仕事がないんです」と頭を下げられてしまいまして。

 派遣先企業と派遣元企業がグルになっている同グループ内の「専ら派遣」会社はさておき、そうでない場合は派遣先企業と派遣元企業(派遣会社)の力関係も重要です。派遣先企業と派遣社員、派遣会社と派遣社員の関係は不十分ながらも問題視されつつありますが、派遣先企業と派遣元企業の間柄だって健全とは言えませんから。往々にして派遣会社は派遣先企業の言いなりですし、他の派遣会社がより低い時給を提示してくれば、あっさり乗り換えられてしまうものでもあるわけです。いわば大手企業と下請けみたいなもので、この辺の競争抑制も必要でしょう。

 ……で、私の場合です。一生懸命働くフリをしていた頃は現場の上長からの評価も高かったみたいで珍しく時給が上がったりもしたのですが、その後は有給を消化しては嫌な顔をされ、働くフリをするのも面倒くさいのでさっさと仕事を片付けて後はぼんやりしていたら勤務態度を咎められと、次第に評価を下げていきました。そして折悪しく部署が縮小されることになり、口減らしの話が出てきたわけです。そこで(少しだけ)時給が高く会社から見れば高コストであり、かつ働きぶりが企業風土にそぐわない私がクビキリの対象に選ばれてしまったのかも知れません。やれやれ。

 

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「公設」派遣村の狙い

2009-12-30 10:53:39 | ニュース

「派遣村」再現阻止を強調=失業者支援施設を視察-菅副総理(時事通信)

 菅直人副総理兼国家戦略担当相は28日、住まいを失った失業者が年末年始に一時宿泊施設として使用する東京・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センター内の施設を視察した。菅副総理は視察後、「今年は公園ではないところで年を越してもらいたい」と語り、昨年末に都心の公園にできた「年越し派遣村」を再現させないよう、政府と自治体が連携して失業者対策に取り組む考えを強調した。

 なんと言いますか、見出しがアレですよね。ここに引用された範囲では菅直人副総理兼カイワレ担当相の発言は無難なものに見えますが、引用されない部分で記事の見出しにあるような派遣村再現「阻止」みたいなニュアンスも含まれていたのでしょうか。他紙でも「年越し派遣村」の再現を防ぎ~などと書かれていましたので、客観的に見てそう受け取れるものではあったのかも知れません。しかし、派遣村「阻止」と言われると、派遣村こそが退治すべき悪玉みたいな印象になってしまいますよね。貧困や失業を阻止するならわかりますが、「派遣村」を阻止するって……

 ことによると、本当にそれが狙いなのかも知れません。「派遣村」という耳目を集める存在によって国内の貧困問題、劣悪な雇用の問題が顕在化してしまうことは、そうした現実を覆い隠したい立場からすればなんとしても再現を阻止したい、防ぎたいものなのでしょう。「派遣村」に失業者やその他諸々が集って世間の関心を集める前に、何とか防波堤を築いてしまいたい、普段は貧困になど関心を持たない「普通の」人の目に失業者の姿が映らないようにしたい、そうした欲望を持つ人は間違いなくいるわけです。そして彼らは決して政府から切り離されてはいないのですから。

「公設派遣村」スタート=「条件厳しく」批判も-全国136自治体で緊急窓口(時事通信)

 年末年始に住まいのない求職者を支援する東京都の「公設派遣村」が28日、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センター内に開設された。国の緊急雇用対策の一環で、1月4日まで就職相談や食事の提供を行う。ただ、ハローワークでの求職登録が必要など利用条件が厳しく、一部の労働組合からは批判の声も上がっている。

 昨年末、東京・日比谷公園にNPOなどが開設した「年越し派遣村」にならい、国の緊急雇用対策本部の貧困・困窮者支援チームが、職を求めながら路上で越年せざるを得ない人たちを減らそうと発案した。都をはじめ全国136の自治体が派遣村など緊急の生活相談窓口を設置し、運営費は国の補助金で賄われる。

 都の派遣村には28日、定員500人に対し、約200人が入所。ハローワーク職員や医療関係者が就職や住宅、健康などの相談に応じる。支援対象は、都内のハローワークで求職登録し、電話などで利用を予約した人に限られる。都は「求職者以外の人が来ると混乱を招く」として、場所を正式に公表していない。

 この「公設派遣村」の利用条件の厳しさは大手メディアからさえ指摘されるところですが、これを成功と見るか失敗と見るかは目的次第です。例えば何かと目の敵にされる官僚だって、国民の生活を向上させるという面では不十分でも、政府与党の示した方針を実現させるという面では十分に役目を果たしてきたと言えるわけです。採点基準をどうするか、何を正解とするかによって丸を付けられるかどうかは変わってくるものですから。そこで貧困層や失業者の社会復帰を支援するため、という面では「公設~」の閉ざされた姿勢は大いに問題がありますけれど、貧困と失業の問題を「覆い隠す」ことが目的であるならどうでしょうか?

 前もって「公設」の派遣村を作ることでゲリラ的な発生を防ぐ、派遣村を政府がコントロールすることで、政府の思惑を超えて派遣村の存在が波紋を広げないよう管理するのが目的であるなら、この公設派遣村の運用は理に適っています(日比谷公園にキャンプなんて張られたら目立ってしょうがないですから、もっと人目に触れない場所へ……とか)。あるいは公設派遣村を利用できるかどうかを厳しく峻別することで、失業者とそうでない人々との間に境界を造ることも、公設派遣村の「裏」の役割なのかも知れません。先年の「ゲリラ」派遣村では「誰にでも」門戸が開かれたことで、失業者もそうでない人にも、ある種の繋がりができていたと言えるわけですが、その紐帯を断ち切り失業者を隔離する、そうした機能をもこの「公設」派遣村は果たすのではないかと思います。

 東京都の派遣村に厳しい利用条件が設けられた理由は「都外の人や働く意欲の低い人まで殺到しかねず、混乱する恐れがあるため」だそうです。国家主義的な首長の君臨する自治体なのですから、東京都という狭い括りではなくせめて日本全体を視野に入れて欲しい気もしますが、より問題なのは後半部、つまり「働く意欲の低い人~」ですね。表向きは「働く意欲」によって受け入れの可否を決めることになるわけですが、逆に見れば受け入れを拒んだ人に「働く意欲が低い」とレッテルを貼る行為でもあります。厳しい利用条件故に派遣村にも入れず路頭に迷う人も出るでしょう、でも政府が悪いんじゃありません、彼らは「働く意欲が低い」のであり、自業自得なんです――そうやって行政を免罪するための布石であるとも考えられないでしょうか。「派遣村」の表向きの目的からすれば愚策ばかりに見えますが、もしかしたら「裏」の目的を果たすべく最善のプランで動いているだけなのかも知れません。「表」の目的が果たされず国民は「官(僚)」の無能を詰る、その影で政府は思惑通りに事態を進めている……みたいなことにならなければいいのですが。

 

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民主党の望む先

2009-12-28 22:51:36 | ニュース

普天間、国外移設を否定=「抑止力の点でグアム無理」-鳩山首相(時事通信)

 鳩山由紀夫首相は26日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「現実の中で考えれば、抑止力の観点からみて、グアムにすべて普天間を移設させることは無理があるのではないか」と述べ、米領グアムなど国外移設の可能性を事実上否定した。アール・エフ・ラジオ日本の番組収録で語った。社民党が有力な国外移設先と位置付けるグアムを首相が排除する考えを示したのは初めて。同党からは「真意が理解できない」と批判する声が上がっている。

 首相は普天間の国外移設に関し「果たして抑止力という観点から、十分かどうかという議論は、やはり相当大きくある」と強調。その上で、米海兵隊約8000人のグアム移転で米側と合意していることを指摘し、「それ以上(の国外移転)というのはなかなか難しい」と語った。

 つい先日は「常時駐留なき日米安保」構想を封印すると宣言した鳩山総理ですが(参考)、続いてグアム移設の完全否定と相成りました。まぁ方向性は元より明らかだったはず、このような決定に至るのは時間の問題に過ぎなかったとも言えるでしょうか。連立を組んだ手前、鳩山に期待を掛けざるを得なかった社民党も苦境に追い込まれつつあります。ハト派でありながら無い物ねだりで民主党を支持してしまった人の心中やいかに? 実はハト派ではなく鳩(山)派でした、なんてオチを付けて済まされる自体でもないですし。

 ただこの県外移設、国外移設を放棄するにしても、その理由如何によって情状酌量の余地がある、将来的な期待を残すものもあれば、逆に一切の希望を持てないものもあるわけです。例えばアメリカ側の要望でこうせざるを得なかったというのなら、まだマシだったのではないでしょうか。別の政党が結んだものとはいえ、両国政府間の合意を盾にアメリカ側が一歩も譲ってくれなかった、期間内に妥協を引き出せなかった、だからやむなく国外移設は棚上げに……というのであれば、まだ多少なりとも将来への含みは残されたでしょう。

 しかるに国外移設を放棄する理由はといえば「抑止力」の問題だそうです。つまり米軍サイドが立ち退いてくれないからではない、アメリカ側の都合ではなく、「抑止力」とやらを欲しがっている側の都合で国外移設が不可能だと、そう明言しているわけです。結局のところ、民主党政権が米軍に「駐留を続けて欲しい」と願っているからこそ、基地は国内に残されるということです。アメリカ側が折れてくれないから、交渉する日本政府が力不足だから国外移設が実現しないのではなく、日本(政府)側がそれを望まないから米軍基地はなくならない、それがはっきりしました。

首相、普天間のグアム移設否定 憲法改正に意欲(共同通信)

 鳩山首相は26日午後の民放ラジオ番組収録で、米軍普天間飛行場移設問題に関し、社民党の主張する米領グアムへの全面移設を否定した。事実上国外移転を断念する発言。また「地方と国の在り方を逆転させる地域主権(実現)という意味での憲法改正をやりたい」と、民主党政権での改憲に意欲を表明。自民党との協議にも前向きな姿勢を明らかにしたが、憲法9条改正には慎重な考えを示した。

 憲法を巡っても社民党との間の軋轢は広がるばかりです。野党時代の主張を封印するのが得意技の民主党であり鳩山首相であるわけですが、改憲論は特別のようです。自民党との協議にも前向きだとか。「憲法9条改正には慎重な考え」ということで社民党に配慮したつもりなのでしょうけれど、それは自民党筋が憲法9条を最大の標的にしてきたからこそ9条が防衛線になっていただけの話、9条を後回しにして「外堀を埋める」作戦できたところで、それで油断する人はいないでしょう。ましてや地域主権云々は経団連や橋下などポピュリズム系首長の肝煎りですから、どっちの方向性を向いているかは言うまでもありません。

 

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Arch Enemy Within

2009-12-27 11:11:18 | 編集雑記

 コアな支持層の声が判断を鈍らせる、ということもしばしばあると思います。コアな支持層の声は当然のことながら自らの耳に届きやすいものではあるのですが、だからといってそれが幅広い層に通用する意見であるとは限りませんから。例えば自民党の場合です。21世紀の自民党の「コアな」支持層といえばなんと言っても極右層ですけれど、この極右層に媚びた結果がどうなったかを考えれば冒頭の一文の意味はご理解いただけるでしょうか。極右層に阿ねって日教組などの労組、アジア諸国やついでに民主党を仮想的に見立ててきた結果は、ごらんの有様です。

 この辺は民主党だって同じことで、何が何でも民主党支持の人もいるわけです。その辺の民主党信奉者にしてみれば小沢の献金問題だって検察の陰謀になってしまうもので、ついには小沢までそうした論調に感化されつつあるように見えるのですが(こちらの後半部)、それはあくまで信者同士の内輪の話、外の世界では通用しません。排外主義を掲げて支持層(極右層)との結束をいくら強めても自民党の支持は萎むばかりであったように、陰謀論を訴えて党と信者がいくら自己弁護/擁護を繰り返したところで、民主党を与党の座に押し上げた本当の功労者である無党派層は離れていくばかりです。

 そして小沢だけではなく、鳩山にも金銭面での疑惑は尽きません。やっぱり「コアな」民主党支持層にとっては追求する方が悪いということになっているようですが、それは少数派の意見であって真の多数派である無党派層には全く通用していない言い訳でもあります。それだけに国民新党などの身内が庇い立てする動きこそあれ、支持率低下のペースは再加速、自民だろうが民主だろうが政治とカネの問題には厳しい目線を向けてきた党からのみならず、スネに傷ある党からも追求を受けているわけです。

 いうまでもなくスネに傷ある党とは自民党のことですが、自民党側に問題があるからといって民主党の疑惑を帳消しにできるものではないのは、欧米諸国にも問題があるからといって日本の戦争責任を相対化することが許されないのと同じことです。自民党は自民党で反省すべき点はありますが、それとは別に民主党の疑惑を追及するのは間違ってはいません。

 で、ここからが本題の予定だったのですが(前フリが全然まとまらなかった……)、自民党の民主党に対する姿勢は党として統一されていないように見えます。つまり現党首の谷垣や小池百合子、安倍晋三といった民主党に否定的な人もいれば、河野太郎、小泉純一郎、そして舛添といった民主を引き合いに出して自民党を批判するばかりで、その過程で少なからず民主党を称賛している人もいるわけです。一般に極右層は民主のやることなら全否定ですが、一方で極右とは距離を置くタイプは、より政治姿勢が近いと感じる民主党にこそ肯定的になるのでしょうか。

 安倍や小池と違って谷垣は極右とは言えませんが、何を思ったか靖国神社に参拝するなど自民党のコアな支持層=極右層に目を向けるタイプであり、小泉は右派色も強いですけれど、自民党支持層「以外」の部分に目を向けている点では前者のグループとは異なります。そしてこの「コアな支持層」を狙うか(谷垣や安倍)、コアな支持層「以外」すなわち浮動票に訴えるか(小泉や舛添)で、否定する対象が異なるようです。前者は民主党すなわち「外」を責め立て、後者は自民党すなわち「内」を攻撃する、と……

 総じて「内」に敵を見出すタイプの政治家の方が人気があるような気がします。「外」に敵を見立てた安倍以降の自民党は、極右層からの支持を強固にすることはできたかも知れませんが、支持の広がりは皆無でした。逆に広範な支持を獲得したのは自民党にありながら「自民党をぶっ壊す」と拳を振り上げた小泉であり、責任を負うべき立場にありながら責任を追及する立場にあるかのごとく振る舞い、自分が責任者であるはずの厚労省への批判を繰り返していた舛添だったわけです。民主党だってどうでしょうか、支持獲得に繋がったのは自民党ではなく官僚を攻撃の対象に定めたから、与党となった今や「内」であるはずの官僚を事業仕分けなどを通じてこれ見よがしに叩いてみせたからではなかったでしょうか。

 自治体首長なんかでも、人気のあるのはそういうタイプですよね。つまり、「内」をこそ攻撃の対象にするタイプです。「ウチの職員は皆頑張っている」なんて言ったら非難囂々ですが、「ウチの職員はどうしようもない意識改革が必要だ~」などと言えば喝采を浴びるわけです。「外」ではなく「内」を叩くことこそが国民の共感を得ることに繋がっているのではないでしょうか。一見すると、我が身を厳しく律するかのような態度で……

 高校の頃「世を挙げて皆濁れるに我一人澄めり」という漢文のフレーズがなぜか流行ったことがあります(漢文の先生の言い回しが面白かったからだったかと)。流行ったのは私のクラスだけのことなのですけれど、日本の有権者の心理はこれに近いのかも知れません。自分が属する社会を批判するように装いつつ、その実は自分自身を批判の対象から外しているわけです。かの産経新聞の「溶けゆく日本人」など、これぞ反日と呼ばれるべき悪意に満ちた日本人に対する誹謗中傷としか思えないわけですけれど、逆に「愛国」を称する人々からさえ歓迎されているのは、要するに「自分自身を批判の対象から外す」センス故でもあります。自分を批判の対象から外しつつ、「内」を論難する、これこそが最も広範に受け入れられるスタイルなのでしょう。

 ……そういうわけで、自民党が往年の支持を取り戻すには小泉や河野、舛添のように民主党は無視してひたすら自民党自身を批判することであり(「我一人澄めり」という顔をするのは忘れずに!)、谷垣のように「与党」という「外」を批判している間は国民の支持は広がらない気もしますが、まぁ自民党の支持など広がってもむしろ困るものですからどうでもいいです。

 

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日本人の場合

2009-12-26 11:11:38 | ニュース

超大手銀行の信じられない忘年会(リアルライブ)

 某大手銀行に勤めているという彼は、短髪長身のいかにも体育会系といった雰囲気の新入社員だった。そんな彼が、初めて参加した忘年会での出来事。場も盛り上がってきた頃、おもむろに先輩がズボンとパンツを脱ぎ捨てた。そしてビールジョッキに男性のシンボルを突っ込み、掻き回したあげくに新入社員に一気のみを強要してきたという。
 どうやらその部署では新人に対する恒例の通過儀礼であったようだ。
 「いや、もちろん飲んださ」という新入社員くんの言葉に、思わず絶句する友人。車内には何とも言えない、微妙な空気が流れていた。

ドイツ人の場合:アルコールには殺菌作用があるので大丈夫と納得して飲む

フランス人の場合:怒って店長を呼びつける

イギリス人の場合:口もつけず、皮肉を言って店を出る

アメリカ人の場合:訴訟に発展する

中国人の場合:これは珍味だと平気で飲む

ロシア人の場合:アルコールでさえあれば何ら気にせず飲みまくる

 ……これはよくあるエスニックジョークで、ビールに蠅が入っていた場合の話ですが、蠅ならぬ男性器だった場合はどうなんでしょうね。ドイツ人でも中国人でも流石に怒り出しそうなものですが(ロシア人は酔っていて気づかないかも知れません)、日本人の場合は違うようです。まぁ人による部分はあるでしょうけれど、大手銀行に勤めるような体育会系のエリートサラリーマンだったら迷わず飲むのかも知れません。何よりも「上」の命令に従うことが大事のようですから。「政府が決めたことに役人が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ」とは小沢一郎の言ですが、「上」の決めたことに「下」が文句を言うな、文句があるなら辞めろと迫る、そうしたノリはどこでもあるのでしょう。

 映画「フルメタル・ジャケット」(←寝ぼけてたのを訂正しました)では教官の号令一下、訓練生達が股間をさするシーンがあります。何でも「上」の命令であれば馬鹿げたことであっても従うように訓練しているのだとか。で、日本では新人研修と称して自衛隊に体験入隊させる企業が後を絶たないわけですが(参考)、とりわけ銀行などの金融系はその傾向が強いとも聞きます。冒頭に引用した例は極端な例かも知れませんけれど、常日頃から上意下達の精神を養おうと教育が続けられているとも言えそうです。

 昔、全寮制のエリート校に通っていた友人が、寮に入った初日に全裸でブリッジをさせられ股間をしごかれたという話をしていたが、どうもエリートの世界には、常人には理解し難い男同士の結束力を高めるための通過儀礼が存在するらしい。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』にも、男同士が戦場で互いに助け合うためには同性間での性交渉が不可欠であるというような事が書かれている。まさにサラリーマンこそ、現代の武士道なのだろう。

 まぁ同性愛の伝統こそ大幅に廃れた現代ではありますが、サラリーマンこそ現代の武士道である、すなわち軍事階級的な精神を体現する存在であるとするなら、それは大いに頷けるところです。すなわち軍隊的な、命令には絶対服従の精神を良しとするのがサラリーマンの世界であり、社会人の常識でもあるわけです。そしてどこの国にもイカレタ連中はいるものですけれど、日本の場合はそれが「模範」になるのが特徴とも言えるでしょうか。

 さすがに「信じられない」と形容されてはいます。ただこれは、社会的な尊敬を受けない人々の行為ではなく、社会的な尊敬を受ける「エリート」の行為でもあるわけです。そして体育会系という日本企業社会のエリート層の間では特に制止が入るわけでもない、そこまで異常な行為ではないと判断されたわけでもあります。「上」からの命令であればどんな愚行も厭わない、そうした人を選別していくのが日本の会社である、そうした側面は否定できないはずです。先輩のチンポ酒を断ればサラリーマン失格の烙印を押されます、だけどどうなんでしょうか、日本以外の国ではチンポ酒を飲むタイプと飲まないタイプ、どちらが評価されるのでしょう?

 

 ←アッー!

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舛添に称賛される民主党

2009-12-24 23:16:19 | ニュース

舛添氏ほえる「私が先頭に立ち衆参同日選へ」「自民は独裁的リーダー必要」(産経新聞)

 自民党の舛添要一前厚生労働相(61)は22日夜、都内で講演し、民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)違反の追及の先頭に立って活動する意欲を示すとともに、民主党の小沢一郎幹事長のような強力なトップが自民党にも必要だとの認識を示した。舛添氏自身が天下をとると宣言したような発言や政界再編をにおわせる言葉もあり、参院選に向けて舛添氏の動きが注目されることになりそうだ。

 講演で、舛添氏は当面の政治活動として、「来年は衆参同日選に持っていき、一気に公約違反を追及する。私は先頭に立ってやりたい」と述べた。また、「今、自民党に一番、必要なものは民主党の小沢幹事長よりもっと独裁的な指導者だ」と述べ、小沢氏の政治手法を評価する一方で、谷垣禎一総裁らの指導力不足を暗に批判した。

(中略)

 中長期的課題の政界再編では「今、仮に私が首相になったら閣僚の7割は民主党から選ぶ」と述べた。

 自民党と同じようなことを民主党が繰り返した場合の評価ですが、まぁ立場により様々です。最近では自民がやるなら批判するが民主がやるなら擁護する、その手の声が目立つ気もします。逆に「コアな」自民党支持層は自民がやっていた内は擁護するが民主がやるとなると非難する側に回ったりするものですが、この辺はあくまでネット上の話で、現に議席を持つ(あるいは持っていた)政治家レベルとなるとどうでしょうか。例えば小池百合子みたいに「中共の~」などと言い出して事業仕分けに噛みつく人もいる一方で、反対に河野太郎は「正直うらやましい。もっと厳しくやって」「オレにやらせろという気持ち」と、事業仕分けに喝采を送っていました(参考)。かの小泉純一郎も「小泉構造改革路線を忠実にやっているのは民主党だ」と語るなど、自民党の中でも民主党の政治姿勢に率直な称賛を送るタイプは散見されるようです。

 そこで今度は舛添です。小沢一郎の政治姿勢を評価し、「今、仮に私が首相になったら閣僚の7割は民主党から選ぶ」とまで言いました。この辺は上述の小泉発言同様、所属政党に揺さぶりを掛ける意味合いもあるのでしょうけれど、両者の政治姿勢を見ればむしろ当然の発言にも見えるのではないでしょうか。安倍晋三や小池みたいな極右系の政治家は民主党のやることなら何でも反対しますけれど、小泉に河野、舛添といった極右系ではなく、より幅広い層に支持のあるタイプの政治家は、民主がやろうが自民がやろうが、自身の政治信条に近い状態であれば一定の共感を示すようです。

「首相就任、拒む必要ない」=小沢民主幹事長(時事通信)

 民主党の小沢一郎幹事長は21日、テレビ東京の番組収録で、「首相になって本当にみんなのためにやれると皆さんが思ってくださるときがあれば、拒む必要はないとは思っている」と述べ、将来の首相就任の可能性に言及した。

 民主党自体は政権交代前から特に何も変わっていない、元からこういう政党だったのであり「こんなはずではなかった」などという人は自信の願望を勝手に民主党に投影していただけではないかと思われますが、しかるに小沢一郎は随分と変わったのではないでしょうか。端的に言えば、増長しています。昔の彼は典型的な「派閥のボス」タイプであって「表」の役職にはあまり興味を示していなかった、民主党代表への就任も乗り気には見えませんでしたし、そして代表辞任だって実にあっさりしたものだったはず、それがいつの間にやら首相就任への色気まで見せだしたようです。確かに舛添も称賛する独裁ぶりを歓迎する声は少なくないでしょうけれど……

小沢氏「なぜ僕だけなんだ」 西松事件で検察批判(朝日新聞)

 民主党の小沢一郎幹事長は21日収録のテレビ東京の番組で、公設第1秘書が起訴された西松建設事件について「公平な裁判で必ず無罪になる」と語った。検察の捜査対象になったことについては「なぜ僕だけなんだ。(検察は)公平公正な権力の使用をしなければいけない」と批判した。

 西松建設事件は、小沢本人よりも、その支持層の「化けの皮」を剥いだ事件だったように思います(小沢がクリーンな政治家ではないことは元からわかりきっていたことですから)。つまり自民党議員のカネの問題には容赦ないくせに、それが民主党議員に及ぶや沈黙し出したり、あるいは掌を返して裏金の容認に走ったりと、要するに「自民党なら批判するが、民主党なら擁護する」、自公政権に批判的な態度を取っている人々の中にもこうした手合いが多いことを露わにした事件だったのではないでしょうか。

 先の天皇会見に関しても、天皇云々に視線が集中するばかりで見過ごされがちですが、本当に批判されるべきは、「政府が決めたことに役人が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ」と、自身を批判した宮内庁長官に辞職まで迫ったことであるはずです。意見を聞き入れるかどうかは政治家の判断に委ねられるものであるにせよ、「党幹部に異議を唱えるものはクビを覚悟しろ」などという態度が許されて良いはずがありません。しかるに、「宮内庁は内閣の指示に従うのが当然でしょ」みたいなことを言い出す救いようのない愚か者もいるわけです。この辺は「教職員は指示に従うのが当然(だから黙って国旗を掲げろ、君が代を歌え、反対する奴は辞めろ)」みたいなのと一緒です……一緒ですが、自民党筋がやれば批判するくせに、民主党筋がやれば擁護する輩も多いのが実態です。やれやれ、所詮は自民が嫌いか民主が嫌いか、その違いがあるだけなんですね。

 ……で、小沢曰く「なぜ僕だけなんだ」だそうです。半年前は、こんなことを言う人ではなかったような気がするんですけれどねぇ。私が見落としていただけでしょうか、それとも太鼓持ちに甘やかされて急速に劣化が進行中なのでしょうか。むしろ「なぜ小沢だけなんだ」みたいな論調は、節操のない民主党支持層がよく口にしていたものだったはずです。「なぜ日本だけなんだ」と口にする歴史修正主義者のごとき勢いで「なぜ小沢だけなんだ」と、小沢の疑惑を相対化し、矮小化を図ろうとする連中が――取りあえずブログ界では跋扈していたものです。そういう連中を私は大いに軽蔑したものですが、よりによって小沢本人が言い出しますかね? ありがちな自己弁護ですけれど、かえって小物臭さが漂ってきます。

「捜査は公平」と法相、小沢幹事長の検察批判に(読売新聞)

 民主党の小沢一郎幹事長が、西松建設の違法献金事件を巡る公設第1秘書の初公判を受け、「権力は公平公正な使用をしなくてはいけない」と検察批判を展開したことについて、千葉法相は22日の閣議後記者会見で、「検察の捜査の活動だから、当然のことながら公平公正に行っていると私は承知している」と述べた。

 千葉法相は就任早々に事件捜査への指揮権発動を示唆するなど、司法への介入姿勢を示していただけに警戒すべき部分もある人ですが(参考)、今回は良識ある判断をしてくれたようで何よりです。ネット上のコアな民主党支持層にしてみれば、小沢なり鳩山なりの党幹部に検察のメスが入れば「検察の行き過ぎ」ということになるようですが、法相が支持層とは異なる判断をしてくれて本当に良かった!

 

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「ズル休み」なんてあり得ない

2009-12-23 11:51:52 | ニュース

goo注目ワードピックアップ・・・ズル休み、実は会社にバレているかも…(goo注目ワード)

「今日は仕事、休んじゃおうかな…」疲れがたまった、前日のお酒が残っている、気分が乗らないなどの理由で会社を休んでしまったという経験はないでしょうか。escala cafeが女性を対象に行った調査では「ズル休みしたことがある」と回答した人が43.8%にも上るなど、決して少数派ではない実態が明らかに。実際に休まないにしても、ズル休みの誘惑に負けそうになったことは誰にでもあるのかもしれません。いざ休むとなると、どう報告するか悩むもの。会社には何と伝えるべきか… ズル休みに関する相談は、教えて!gooにも多数寄せられていました。

●「熱が出た」「風邪をひいた」が無難?

・「ずばり、ずる休みについて」

ズル休みにはどんな言い訳を使うかを問うと、最も見られたのが「病欠」を理由とする回答。「体の調子が悪い」や「熱が出た」「風邪をひいた」などが多く、それほど深刻な状況ではなく、あまり追求されないような「無難」な理由付けをするという回答も聞かれました。疑われないよう、電話口で演技をするという声もありましたが、中には「あちらが嘘だと思っているかどうかは、どうでも良いと思っている」と開き直った意見も。さらには「無断欠勤でなければズル休みではないと思っていた」という回答もありましたが、その場合は「迷惑がかからないよう、きちんとフォローを行うのが常識」とのこと。ズル休みを後ろめたいと感じている回答者も多い一方で、仕事に責任を持てるのならズル休みをしても良いのでは、という肯定派の声も少なからず聞かれました。

●そのウソ、実はバレている可能性も

会社を休んだことに関して、上司や同僚からあまり深くは追求されることはないものですが、その後の行動次第でウソがばれ、信用を失ってしまうこともあるかもしれません。Gigazineが紹介する海外サイトのコラム「ズル休みをするときの注意点6つ」には、「メールではなく、必ず電話で欠勤する理由を伝えること」「ズル休みした日の出来事をSNSに書き込まない」「翌日、新しい服を着ていったり、派手な格好をしてはいけない」などの注意点が挙げられています。中でも興味深いのが「ズル休みをするのであれば、火曜日か水曜日にするのが良い」というもの。「会社には不可解な欠勤の波があり、土日の休み明けに欠勤する人が多い」のだそう。その波を外して休みを取るようにするのがコツなのだとか。

 長々と引用しましたが、どう思います? 社会人だのサムライだの社畜だのといった形容が似合いそうな人々からすれば別なのでしょうけれど、私なんかはこの「ズル休み」という表現が適切でないと思いますね。そもそも、休むのに理由が問われるのがおかしい。当日いきなりの申し出は良い顔をされない、最悪でも始業前の連絡は求められるかも知れませんが、そうであっても有給休暇の使用は労働者の権利であり、労働者側の必要に応じて行使できるものです。病気などの特定の理由がなければ認められない、なんてものではありません。理由の如何に関わらず、定められた範囲内であれば自由に使えるのが有給休暇です。従って、有休を使っている限りそれは正当な権利を行使しているだけのことであり、「ズル休み」などと言われるのは何かが間違っています。

参考、「有給休暇の本来の使い方は、遊ぶため」です。 - ニートの海外就職日記

 日本のように労働者が従順で権利意識の低い国では話が別ですが、sick leave(病欠給)という制度の整った国も多いようです。つまり、病気になった時のための休暇ですね。有給とは別枠で存在し、病欠の間も給与は支払われる、こういう制度も海外にはあるわけです。有休は好きな時に使って、病気になったらsick leaveを使う、有休は好きな時に使えるが、sick leaveは病気になった時しか使えない、そういう違いがあります。で、こうしたsick leaveが存在する国で病気と偽って会社を休む、そこで有給ではなくsick leaveを使うとしたら、これは間違いなく「ズル休み」です。ですが、そんな制度は存在しない、どんなに具合が悪かろうと休むためには有給を消化しなければならない日本においては、「ズル休み」など成立し得ないはずです。単に休むこと自体を「ズル」と呼び習わしているのでなければ!

 まぁ日本でも例外的に「ズル休み」と呼べるのは、嘘をついて忌引きを取った場合くらいですね。忌引きだけは日本の職場でも一応は認められていることになっていますが、これはもちろん身内に不幸があった場合に限られるわけで、そうでもないのに忌引きで休めば「ズル休み」です。ただ、それくらいですよね、滅多にあり得ないレアな例外があるだけです。基本的に日本では有給以外では会社を休むことが認められていない、そして有給に理由は必要ないですから、要するにズル休みをしようにもその余地がないと言えます。にもかかわらず「ズル休み」という概念は存在している、もしかしたら病気以外では休んではいけない学校か何かと、会社が一緒くたにされているのかもしれません。「社会人」などと称している連中に限って、実は学生気分が抜けていないような気がします。よくよく考えれば会社ってのは何かと中学校じみたところもありますし……

 

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政治主導と住民至上主義

2009-12-21 22:58:09 | ニュース

 この辺でも触れたように、天皇会見を巡って小沢が宮内庁側から抗議されたわけです。驕り高ぶる小沢は「政府が決めたことに役人が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ。政権交代して政治主導になったことに頭が切り替わっていない」と吐き捨てました。その後も怒りは収まらなかったようで、「あいつこそどうかしている。天皇の権威を笠に着ている」などとも喚いているそうです(出典)。外交の場に天皇を持ち出す輩こそ天皇の権威を笠に着ようとしているのではないかと思いますが、まぁ官僚の口は封じるが天皇は公の場に引っ張り出す、これも政治主導って奴なんでしょうね。

 さて宮内庁側の抗議内容には頷けない部分も多いのですが(立場上は仕方がない発言にも思えますけれど)、だからといって何故「口を挟むな」「辞めろ」などと言われねばならないのか、そこはもうちょっと問われるべきです。慣例に過ぎない「30日ルール」を破ったことなんかより、そっちの方がよほど重大ではないでしょうか。政治家に黙っては従え、言うことは聞かない奴はクビだ――これが民主党の唱える政治主導であるのはわかりますが、そんな非道が罷り通って良いのでしょうか。王様に意見するならクビを覚悟しなければならないとは、大した民主主義です。

 しかるに、この小沢一郎や民主党の実行する「政治主導」は決して類例がないものではなく、他に実践者は数多いるようにも思えます。ある意味で日本の最先端、政治主導の到達点とも言える鹿児島は阿久根市の事例を見てみましょう――

阿久根市長 法律守らないのも仕事? 元係長復職 重ねて否定 不信任の動きを挑発も(西日本新聞)

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は15日、市議会の一般質問に対し、元係長の懲戒免職問題で処分を効力停止とした10月の鹿児島地裁決定を無視し続けていることついて「政治家の仕事は『法律を守りました』では言い訳にならない。政治家は結果責任。いい社会をつくるためにあらゆる手段を使わないといけない」と持論を述べ、法令に背くことも場合によっては必要との考えを示した。

 懲戒免職問題をめぐっては、地裁の決定を不服とした市側の即時抗告を福岡高裁宮崎支部が棄却。市側は14日が期限だった最高裁への特別抗告を断念したが、市長は元係長の復職を認めず、給与もボーナスも支払っていない。

 この日は児玉賢一郎議員が「阿久根では法律を守らなくていいのか。(市長は)法令順守の模範になるべきだ」と質問したが、市長は「公務員の世界では違法行為が日常的に行われている」「模範演技をするのは難しい」と答弁。決定には従わない方針で「阿久根の例として全国に波及させる」とも語った。

 この市長に関してですが、現時点では2つの問題が盛り上がっています。一つは障害者への差別的観点に基づく記事を自身のブログに載せたこと、もう一つが不当に懲戒解雇処分を下し、裁判所から効力停止の決定が下ったにも関わらず復職を認めていないことです。前者にも当然のことながら批判があり、そして後者にも「法律を守るべき」と、それなりの批判があります。しかるに市長は居直るばかり、改める姿勢は皆無のようです(逆に規定を変更して「賞罰審査委員会」に市長が任命する民間人を起用できるようにしたとか)。

 元係長が懲戒免職にされた理由は、市長が張り出すように命じた張り紙をはがしたことです。それだけのことでクビが飛ぶとは流石に日本でも非常識なことと受け止められたのか、裁判所は懲戒処分の効力停止を決定しました。当たり前のことですね。でも、どうでしょうか、こうした感覚は阿久根の無法者だけではなく、国政の中枢にいる人物にも共通している気がしてなりません。小沢風に言えば「市長が決めたことに職員が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ。」でしょうか。今のところ小沢は法律を無視した勝手な処分にまでは踏み切らない、ただ公の場で恫喝するに止まっているわけですけれど、そうした「政治主導」がエスカレートしていくと、この阿久根の例のようになるわけです。

阿久根市議会 市長に怒りの3決議 一部は反対 問題越年か(西日本新聞)

 「議会軽視もはなはだしい」「これは市長降ろし」‐。鹿児島県阿久根市議会は18日、竹原信一市長に謝罪や法令順守などを求める三つの決議案を突き付けた。障害者を差別的に記載したブログや元係長の懲戒免職問題、議場での侮辱発言。だが、決議に法的拘束力はなく、竹原市長が従う気配はない。決議に賛成した議員、反対した議員がそれぞれの立場で憤った。混迷する阿久根市政は火種を抱えたまま、越年しそうだ。

(中略)

 一方、市長を支持する市議4人は決議に反対。石沢正彰議員は、ブログ問題について「一方的に差別と決めつけ、障害者団体を盾に竹原降ろしを声高に叫んでいる。県議会の非難決議は市町村に対する圧力」。山田勝議員は、元係長の懲戒免職処分をめぐり法令順守を求めた決議について「懲戒免職は、市民の気持ちを尊重した市長の行為。決議には賛成できない」と述べた。

 それなりにまともな議員もいることが救いですが、公然と市長を擁護する議員もいるから頭の痛いところです。前半の障害者差別を擁護している連中はウヨっぽい論理ですね、社会的弱者をある種の利権者みたいにとらえる感覚が透けて見えます。そして懲戒免職問題の方では「市民の気持ちを尊重した市長の行為」だそうです。市民の気持ちと言えば尊重すべきものにも見えますが、裁判所の決定を無視する理由としてはどうでしょうか? 法律の側に不適正なものがあるという「理」で語るならともかく(例えば法律が人権を侵害するようなものであれば、それは法をこそ変えねばなりません)、単に市民の気持ちという「情」を持ち出す相手には常に警戒が必要です(国民がユダヤ人を嫌っていたからと、それを虐げるように法を変えるとしたら?)。

 民意を尊重すると言えば聞こえは良いのですけれど、民意ばかりを絶対視した結果として現れてきたのは、すなわち「民意によって選ばれた存在」=「政治家」の排他的優越意識ではないでしょうか。つまり「民意によって選ばれた」政治家こそが絶対的に正しく、それに異を唱えるような官僚であったり職員であったりは誤っている、そうした感性が蔓延っているように思われてなりません。こうした面では「住民至上主義」と「政治主導」は相通じるところがあって、ともすると「選挙で選ばれたわけではない存在」を排除する方向に傾きがちでもあります。阿久根は日本の未来、日本の明日を映す鏡に見えるのですが、いったいどこに行き着くのやら……

 

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意図がわからない

2009-12-20 11:14:23 | ニュース

「年収2000万円」浮上=子ども手当の所得制限(時事通信)

 鳩山内閣が2010年度に創設する子ども手当の所得制限の水準を、年収2000万円とする案が政府内に浮上していることが18日、分かった。この場合、支給対象外となる子どもは全体の約0.1%となる見通し。ただ、政府・与党内には、現行の児童手当の制限額をベースに検討する案や、所得制限の設定自体に反対する意見も依然、根強い。

 子ども手当は、中学卒業までの子ども1人当たり月2万6000円(10年度は半額)を支給する制度。厚生労働省は10年度予算概算要求で、所得制限を設けず、財源を全額国費で負担することを前提に約2兆3000億円を要求していた。しかし、民主党が来年度予算に関する重点要望に所得制限の導入を盛り込んだため、政府内で調整が進められている。

 それが自民党の政策であるか民主党の政策であるかによって評価を違える人も多いわけですが、取りあえずこの「子ども手当」は麻生内閣の定額給付金と同様に評価されるべきものだと思います。現時点では甚だ不十分ではありますが、これがベーシックインカムへの第一歩になるなら、意義のある政策なのではないでしょうか。

 しかるに、国民のウケは今ひとつであり、同時に政府与党内部でも意見が割れているようです。これはまさしく、定額給付金の再来ですね。定額給付も国民の支持が得られたわけではありませんでしたし、支給だけが先に決められ、その支給基準を巡って与党内部で方針が二転三転するのも定額給付金の場合とそっくりです。ただただ、その政策を実行しようとしている政党が違うだけ、まぁ同じことを懲りずに繰り返すのが美しい国の流儀なのでしょう。

 「子ども手当」にせよ、「定額給付金」にせよ、その支給の意図が明確でない、初めに支給ありきで話が進められているのも混乱を深める要因の一つです。景気対策なのか貧困対策なのか、それとも少子化対策なのか社会保障拡充への布石なのか、その辺がどうもはっきりしません。本来であれば目的によって評価基準も異なるわけで、例えば景気対策ならばウダウダ言わず速やかに支給することが、あるいは貧困対策なら低所得層に絞って長期的に支給することが、そしてベーシックインカムへの一歩なら敢えて一切の制限を付けずに支給することが、それぞれ求められるわけです。支給の「狙い」によって重視されるべきポイントは異なってくるはずなのですが、そもそも何のために「子ども手当」を支給するのかどうか、その時点で与党内以前に民主党内ですら意思統一ができていないのではないでしょうか。せいぜい「マニフェストに乗せたのだから」実行しなければならない、ぐらいで……

 所得制限を付けるにしても、どういう意図で所得制限を設けようというのでしょうか? 財源不足のため支給対象を絞り込む必要があるというのなら、最低でも国民新党の言う860万円程度で線を引かないと意味がありません。引用記事ですら指摘されているように年収2000万円で支給対象外になるのは僅かに0.1%です。これが政府の支出を抑えるという目的であるなら、全くのナンセンスです。しかも藤井財務相に至っては所得制限の目安として「一億円」などと言い出す始末です。そんなところに制限のラインを設けても支給総額にはほとんど影響がないはずですが、いったい何を意図しているのでしょうね?

 所得制限の基準が年収2000万円だろうと1億だろうと支給総額には大差ない、財源の問題には無関係なわけです。では何のために所得制限を設けようというのでしょう。世論の中には一律給付に反対する声も少なからずありますから、そうした人への「媚び」でしょうかね。高所得者を支給対象から外すことで、「自分たちは金持ちを優遇したりはしていない」とアピールしたいのかも知れませんね。もっとも高所得者からすれば子ども手当など端金に過ぎず、証券優遇税制の継続や所得税の累進課税が低いまま据え置かれることで得られるプラス分の方が遙かに大きいわけです。だから高所得者を支給対象から外しても格差是正や富の再配分の面ではやはり意味のないことで、せいぜいが「アリバイ作り」ぐらいにしかなりません。でもそのアリバイ作りが目的である可能性は、決して低いものではなさそうです。

 

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追加、
 こんな記事がありました。やっぱり「民意」に調子を合わせるためと見るのが妥当なようです。

子ども手当に所得制限「賛成」72%…読売調査(読売新聞)

 読売新聞社の緊急全国世論調査で2010年度予算編成について聞いたところ、ガソリン税などの暫定税率維持に賛成する人は52%で、反対の33%を上回った。

 中学生まで支給する「子ども手当」に所得制限を設けることには「賛成」が72%に達し、「反対」は22%にとどまった。

 民主党は衆院選の政権公約(マニフェスト)で、暫定税率廃止を明記し、「子ども手当」は所得制限をしない前提で示していた。国民の多くは、景気低迷や国の厳しい財政状況を理解し、こうした目玉政策の修正も容認する現実的な判断を示したと見られる。

 暫定税率の維持については、「賛成」と答えた人が男女、各年代とも5割前後となり、すべてで多数を占めた。民主支持層に限ってみても賛成55%が反対33%より多く、政権公約の修正を認める人が多数だった。

 「子ども手当」への所得制限については、子育て世代に当たる30歳代で賛成が75%、40歳代でも72%に上った。民主支持層でも賛成79%が反対16%を大きく上回っている。「子ども手当」に対しては「バラマキ政策だ」という批判もあり、実施に際しては何らかの歯止めが必要だとの認識が大勢と言えそうだ。

 

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12/21追加、
 結局、子ども手当に関しては所得制限を設けない「方針」が表明されました。方針は方針であって最終決定ではないですし、今までを見ればまた二転三転する可能性も否定はできませんが、まずは評価できる決断と言えるでしょうか。必ずしも民意に添った決断ではありませんけれど、闇雲に民意に従うばかりでなく、逆に国民を説得していくような方向性だってあってしかるべきですし。

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本当に実現させる気があったのか

2009-12-18 22:51:25 | ニュース

駐留なき安保は「封印」=米軍不要論は長期課題-鳩山首相(時事通信)

 鳩山由紀夫首相は16日夕、自身がかつて掲げた「常時駐留なき日米安保」構想について、「現実の、総理という立場に立ち、その考え方はやはり今、封印しなければならない」と述べ、日本防衛のため米軍に基地を提供する現行の日米安保体制を基本的には堅持する考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 同構想は、首相が旧民主党代表時代の1996年に発表したもので、平時には米軍は日本に駐留せず、有事の際に限って出動を求めるとの内容。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、国外・県外移設を求める沖縄県民や社民党に配慮して鳩山政権が結論先送りを決めた経緯から、米政府内の一部には、首相が日米同盟を縮小の方向で根本から見直すのではないかとの警戒感が生じているとされる。首相発言は、米側のこうした懸念をひとまず払しょくするのが狙いとみられる。

 日頃の政治姿勢からは似つかわしくないように思われるのですが、鳩山にもそんな構想があったんですね。とはいえ「封印」だそうです。アメリカ側への配慮云々であろうと引用元の記事は随分と好意的に解釈していますが、実際のところはどうなんでしょう、本当にそれが持論だったのか、というあたりから問われる必要が出てくるようにすら思われます。

 ただ、首相は「かつてそういう思いを持っていた」と認めた上で、「相当長期的な、50年、100年という発想の中で、他国の軍隊が居続けることが果たして適当かどうかという議論は当然ある」とも指摘。持論の撤回はしない考えを示すとともに、長期的課題として在日米軍の撤退も排除せず、同盟の在り方を議論すべきだとの認識を示した。

 「持論の撤回はしない考え」とされていますが、さりとて「封印」を宣言したわけです。撤回ではなく封印だとして、ではいつまで「封印」するつもりなのでしょうか。状況により自説を修正することは認められるとしてもそのタイミング次第では意味合いも変わってきます。柔軟な対応なのか、それとも日和っただけなのか、あるいは初めから支持層を欺いてきただけなのか……

 記事には「長期的課題として在日米軍の撤退も排除せず、同盟の在り方を議論すべきだとの認識を示した」とあります。それは大筋で同意しますが、同時にこの「認識」は短期的な解決の放棄をも示しているはずです。なんと言っても「常時駐留なき~」は「封印」されてしまったのですから。要するに米軍基地の県外移設や撤去を求める人々に対して「いつか」実現してみせるからと良い顔をする一方で、「今は」妥協してくれと暗に求めているのではないでしょうか。まぁ基地問題の即時解決が難しいのは理解できますが、どうにも本気が疑われるフシがあります。元より「いつかどうにかする」と約束するだけなら素人にも務まる話です。素人では乗り越えられない難局を巧みに切り盛りして見せてこそ政治家の役目が果たされるものだと思うのですが。

 ともあれ、決定権が自分の手にはなかった野党時代には「持論」であったはずのものを、政権獲得という自らの政策を実行に移す機会を得た途端に「封印」してしまったわけです。これでは、初めから実行する気がなかったのではないかと疑われても仕方がないでしょう。夫婦別姓制度を巡ってマニフェストからの削除が取りざたされた際には「これまでは野党だから(否決前提に)提出できた」と語った党幹部もいたそうです(参考)。政権交代が現実味を帯びた途端に靖国参拝の憲法解釈に関する記述を政策集から削除したなんてこともありました(参考)。野党時代には公開を要求していた官房機密費の扱いはどうなったでしょうか?(参考) 全ては野党でいるからこその主張であって、与党になるなら持論を封印する、すなわち実現はさせない、それが党の基本方針なのかも知れません。

 結局のところ、当時の与党であった自民党政権に対抗する都合上、自民党とは反対のことを言ってみただけのことだったとも推測されます。「私たち(民主党)は自民党とは違う」、そう言って有権者を欺くために、自民党政権が受け入れられないであろう主張を掲げてきたのでしょう。それは本心からの主張でなかったかも知れませんが、何しろ野党の主張です、自民党が否決してくれるから実現の可能性は無い、だからこそ「心にもない」構想を「心おきなく」展開できたのではないかと。しかるに自らが与党となってしまえば話は違ってきます。何しろ「与党」ですから自分たちが国会に提出すれば、それは実現に向けて動き出してしまうわけです。その事態は避けたい――となると何か理由を付けて「封印」するのが得策という結論に至るのではないでしょうか。自分以外の誰かが確実に否決してくれるであろう状況になるまで、すなわち下野するまで、ですね。

 

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