非国民通信

ノーモア・コイズミ

何でも放射能のせいにしていると、本当の原因を見落とすので危険です

2011-10-30 23:26:37 | 社会

「子どもの甲状腺機能に異常」報道は行き過ぎ 専門医学会が「原発と結びつける理由なし」(J-CAST)

   「福島から避難した子どもたちの甲状腺機能に変化があった」として、福島第1原発の影響を疑う声が相次いでいる。ところが、子どもの甲状腺の専門医などでつくる学会が、調査データを取り寄せて分析し、「放射線被ばくと直接結びつけて考慮すべき積極的な理由はない」との見解を発表した。どうしてこうなったのか。
 
   波紋が広がっていたのは、長野県松本市のNPO法人「日本チェルノブイリ連帯基金」(JCF、鎌田実理事長)と信州大学医学部付属病院が行った調査。

(中略)

   JCFでは、10月初旬になって、この結果を公表。発表では、「原発との関係は分からない」とされたが、JCFの鎌田実理事長(諏訪中央病院名誉院長)が報道陣に、「色々意見はあるが、被ばくの可能性は捨てきれないと思う」などと発言したこともあって、各紙は「甲状腺機能に変化」などと見出しに付けて報じた。このことから、あたかも原発が原因で甲状腺に異常が生じたかのような不安が広がっていた。

   だが、甲状腺の病気を専門とする医師でつくる日本小児内分泌学会は、10月11日になって、この報道内容に反論する声明を発表した。学会では、信州大学から検査の実際のデータを受け取って検討。その結果、今回の検査結果で基準値から外れた幅は、いずれもわずかなものであり、「一般的な小児の検査値でもときにみられる範囲」「これらの検査結果を放射線被ばくと結びつけて考慮すべき積極的な理由はない」と結論づけている。

(中略)

   また、総論として、仮に被ばく後数ヶ月で甲状腺の病気が発症したとすれば、相当量の放射性ヨウ素の被ばくが起きていることになる。だが、これまでに行われた高放射線量の被ばくが疑われる子どもに対する調査でも、ひとりも甲状腺機能に変化を起こすような高線量の被ばくは確認されていない。このことから、「今回の場合は、検査値のわずかな逸脱と放射線被ばくとを結びつけて考慮すべき積極的な理由は、ないものと考えます」と結論づけている。

 まぁ、ちょっと前ですけれど引用元でも触れられているように「(福島の子供達の)甲状腺機能に変化」みたいな見出しが、毎日新聞なんかを筆頭とする考えの足りないメディアに相次いで飾られたことがあったわけです。基本的に新聞は嘘を吐くまではしないにせよ、掲載する情報を断片的なものに止めたり必要な解説を省いたり憶測を交えたりと、読者を意図的にミスリーディングしようとすることも多々あります。その辺は、勝手に誤解した読者の方に責任が転嫁できるとあってか、大手新聞社でも遠慮なく誤った印象を与えるような記事を連発することがあって、その一つがこの「(福島の子供達の)甲状腺機能に変化」なのでしょう。メディアも「お客様重視」と言うべきなのか、とかく読者や購買層の世界観に合致するであろう方向に偏りがち、とりわけ原発事故後はそうした報道姿勢が強まったようにも思います。

参考、神奈川新聞による印象操作の例 同じく読売新聞の場合

 さて、検査対象に選ばれた子供達の甲状腺機能に変化は確かにあったようですが、それは日本小児内分泌学会によると「一般的な小児の検査値でもときにみられる範囲」でしかありませんでした。このような診断結果から報じられるべきは「福島の子供達の甲状腺機能に他県との差は見られなかった」といったところでしょうか。しかるに見出しを飾ったのは「(福島の子供達の)甲状腺機能に変化!」でした。確かに変化がなかったわけではないだけに、全くのウソではないのかも知れません。実態とは異なるものを想像したのは読者の問題とも言えます。しかし、やはり公器たるもの読者に誤ったイメージを与えないよう、単なる観測事例だけではなく、それが何を意味するのか判断するための情報をも適切に提示して欲しいものです。こういう場面でこそ、メディアの質が問われます。

 当時のアメリカ大頭領であったブッシュとも繋がりのある大富豪一家にしてイスラム教徒の腎臓病患者が大規模なテロ事件を起こしたとき、アメリカ社会から嫌悪の対象とされたのはイスラム教徒でした。ある青年がマリリン・マンソンの音楽を聴き、それからボーリングで遊んだ後に銃乱射事件を起こしたとき、槍玉に挙げられたのはマリリン・マンソンでした。ちょっと派手な殺人事件の容疑者宅でゲームソフトや漫画、アニメなどが見つけられれば、それが原因にされがちでもあります。何かに連れ、事件との関連性は恣意的に作られがちです。何か適当に「それっぽいもの」を事件を引き起こした要因として排除や憎悪の対象に選んでしまう、その恣意性に無自覚な様もまた原発事故後は強まるばかりなのではないでしょうか。

 放射線の影響などとは無関係に、甲状腺機能には一定の割合で変化が出てしまうものです。ヨウ素剤を大量服用又は長期連用することで、甲状腺過形成や機能低下を生じることだってあります(ある種の人が主張していたようにヨウ素剤を広範に配布していたら、相応の健康被害が生じていたことでしょう)。いつの時代であれ癌になる人もいれば鼻血を出す人もいるわけです。しかるに原発事故後は、こうした「いつの時代にもあったこと」を、さも「原発/放射能のせい」であるかのごとく吹聴して回る人もいれば、信じて疑わない人もまた少なくありません。しかるに何らかの体調不良が見られたときに「原発/放射能のせい」と勝手に断定されてしまうと、本当の原因が見えなくなってしまうこともあり得ます。

 専門家任せにせず、自分たちで判断する、という姿勢は必ずしも悪いものではないのかも知れません。ただし、その結果として無免許の医師が横行するかの如き事態を招くとあらば黙認してもいられないのではないでしょうか。福島近隣でも被災地でも、そして全く関係ない地域でも体を悪くする人は必ず出てきます。そこで適正に医師の診察でも受けられていればよい、あるいは原因が特定されて対策が採られるようであればいいのですが、何でもかんでも「原発/放射能のせい」にされてしまうことで誤った診断結果が社会的に下されてしまうことだってあり得るわけです。こうなったときこそ、本当に危険が高まるのではないでしょうか。何でも放射能のせいにしておけば読者のウケは悪くないとしても、そうやって読者の勘違いを焚きつけるような記事を乱発するメディアには猛省を促したいところです。

 

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民意に添った先は

2011-10-28 23:26:13 | 社会

枝野氏、東電に「2・5兆円のリストラ策を」(読売新聞)

 枝野経済産業相は24日午前、東京電力の西沢俊夫社長らと経産省内で会談した。

 枝野氏は「(賠償金支払いに)公的資金を使うので、10年間で2・5兆円のリストラ策は最低でも特別事業計画に盛り込んで欲しい」と述べ、国の支援は厳しいリストラが前提との意向を強く示した。

 東電は11月にリストラ策と、国に対する支援申請を盛り込んだ緊急特別事業計画をまとめる。

 枝野氏は西沢社長に「被害者の目線に立った計画にしてほしい」とも述べ、賠償を円滑に進めることを優先した内容にするように求めた。

 緊急計画のもとになる、東電の経営を調査した「経営・財務調査委員会」の報告書は、東電の当初の試算額の約2倍にあたる2兆5455億円のコストが削減できると分析していた。

 この枝野という議員は衆愚政治を体現していると言いますか、いわゆる「民意」の中でも聞き入れるべきではない(聞き入れることが社会にとってマイナスに作用すると思われる)部分を、ことごとく代弁してくれているような気がします。ある意味では国民目線に近いのでしょうけれど、それが国民のためになるとは限らないことを、枝野は身を以て示し続けることでしょう。

 さて枝野は「被害者の目線に立った計画にしてほしい」との触れ込みで、東京電力にリストラを迫ったそうです。「被害」を与えているのは東京電力だけではなくて、謂わば火事場泥棒的に自説(実態からかけ離れた放射能の脅威)を広めては風評被害を煽り、福島近隣住民に脅しをかけ続けている人々なんかも含まれるべきではないかと思われるのですが、まぁそういう人が幅を利かせることを防げなかった責任は我々の社会が全体として負担するしかない、つまりは税金で賄われるしかないものなのかも知れません。ともあれ、枝野は東京電力にリストラを迫りました。しかし、これは何を招くでしょう。東京電力の人員削減が進めば、賠償や事故の収束が円滑に進んだり、今後の電力供給が安定化したりするのでしょうか?

 何かに連れ「罰」が最優先されてしまうのも民意には違いありません。被告人の罪を最大限に厳しいものにしようと頑張ってこそ「被害者目線」として扱われがちな時代でもあります。こういう時代の空気に考えなしに同調してしまう政治家ほど、まずリストラありきみたいな発想になって、それが賠償などの円滑化や電力供給の安定化に結びつくのか、あるいは足を引っ張ることにはならないかといった配慮は二の次にしがちです。しかるに世間の耳目を集めた事件の「加害者」を強く罵倒すれば罵倒しただけ世間の支持は得られるものであるにせよ、それが問題解決に結びつくとは限りません。むしろ厳罰化論がそうであるように、犯人を罰することにばかり関心が集まり、被害者のケアが背景に追いやられることだってあるわけです。

 そもそも、本当に無責任で儲けにしか関心がないような会社であったなら、リストラ策はむしろご褒美です。人員削減を強行して不足分は労働強化で補わせ、賃金もギリギリまで抑え込んで利益を確保しようとする企業は枚挙に暇がありませんが、一応はそういう企業を批判的に見る向きもあります。だけど、政府がその背中を押し、それを主導してくれるとなったらどうでしょう? 東京電力にブラック企業と同じことをやれと、枝野/民主党政権は迫っているわけです。どうしても日本の世論上は、一般労働者に経営責任を負わせるのは当たり前、財務状況が悪いなら労働条件の不利益変更も当然のことと、資本主義とは異なる道徳律が優先されがちです。その道徳律に沿った実績が積み重ねられていくことで、いずれは公務員や東京電力社員に止まらず、民主党政府推奨の元あなたの給料が下げられてゆくことにも繋がりますが、それもまた民意に添った結果です。東京電力がここで歯止めを掛けてくれることを期待するほかありませんね。1人の労働者として東京電力を応援します。

 ギリシャでは、公務員と民間企業の労働者が肩を並べて政府に抗議する光景が見られます。公務員の賃下げは遠からず民間企業の賃下げにも繋がること、労働者の権利を守るために共に戦わねばならないことを理解しているのでしょう。翻って日本では、世論こそが政府に賃下げを迫っているわけです。あいつらが高給を取っているからダメなのだ、あいつらの給料を下げるべきなのだと、そう固く信じて疑わない国民達が行政に圧力を掛け、賃金カットを求めてきました。そして民意に応えようとする政府と企業経営者の元、日本で働く人の給与は順調に低下を続け来たと言えます。きっと日本人のアイデンティティは「他罰」なのでしょう。それはすなわち「我欲」の対極にあるもので、自分の立場を間接的に危うくすることになろうとも、他人が良い思いをすることを許さない、そういう精神です。

 かつて菅直人は「首切りのうまい経営者は優れた経営者であるはずだと言ってたくさんの給料をもらっている。国は国民をリストラすることはできない。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い」と言って日産のカルロス・ゴーンを批判していました。しかしゴーンが首を切ったのは自社で働く人たちです。自分の会社に出資する人や顧客を切り捨てたわけではありません。そして菅直人が切り捨てようとしていたのは日本政府で働く人――つまり議員なり公務員なりです。公務員の削減や給与カットで国民に媚びを売ろうとしている政治家がカルロス・ゴーンを批判するとは、何とも臍が茶を沸かすような話ではないでしょうか。

 政府を企業に喩えるなら、社員に相当するのは公務員です。では国民は? 立場的に近いのは政府のためにお金を出す人々、つまり投資家であり株主に該当するのが国民と言えます。ゆえに、国民に向けて公務員の削減を訴える政治家とは、会社に喩えるなら株主に向けてリストラの強行をアピールする経営者みたいなものです。そしてリストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い、と宣う首相がいた一方で、公務員/東京電力社員を削減する政治家ほど立派だという考えは全く反省されてすらいないのではないでしょうか。国民全体を考えたら、それは間違いに他ならないと私は思いますけれど。ましてやゴーンのリストラは経営立て直しのためであるのに対し、菅/民主党がやろうとしているリストラは投資家/国民に「我々は頑張っています」とアリバイ作りをするため、点数稼ぎをするためのものでしかありません。ゴーンと日産株主よりも、民主党政権と世論はもっとタチが悪いです。

 税金(公的資金)が投入される先に対する国民の態度は、強欲な投資家が会社に対して見せる態度よりもずっと思慮分別に欠けるケースが目立ちます。株主の中には「会社は我々のものだ」と主張して、従業員の負担など省みることなく、ひたすら自分たちの利益ばかりを追い求める人もいますけれど、では国(政府)にお金を出している国民(納税者)は彼らを批判することができるのでしょうか? 税金が使われる先で働く人に対して、国民がどれほど傲慢なまなざしを向け、働く人の権利をどれほど蔑ろにしているかを思えば、まだしも投資家筋の方が歯止めが利いているようにすら感じるところです。自分たちの金が投入される先で働いているからと言って、それを理由に相手を支配することができるわけではないのですが、「会社は株主のもの」と語る投資家よりも、その辺の普通の人の方がずっと、自分が出した金が使われる先に対して横暴に振る舞っているような気がしてなりません。我々の「民意」は、実は経団連なんかよりもよほど、財界寄りなのではないでしょうかね。

 

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出世したいと思わない方が良い

2011-10-25 23:26:10 | 雇用・経済

「若手社会人」と「内定学生」。出世したいのはどっち?(マイコミジャーナル)

内定学生と若手社会人の双方に、今の会社、または入社する会社に対して愛社精神があるかを尋ねたところ、内定学生は、「非常にある」(28.1%)、「まあまあある」(60.9%)を合わせて89.0%と、2008年の調査以来最高の数値となった(昨年比8.0pt増)。

一方、若手社会人は“愛社精神がある”と回答した人は40.9%となり、調査以来最低の数値であった。

(中略)

次に、若手社会人に「どこまで出世したいか」を尋ねたところ、1位は「出世したいと思わない」(51.0%)で、2008年の調査以来4年連続の1位となった。

内定学生は、昨年まで「部長・プロデューサーまで」が27.3%で1位だったが、今年は「役員まで」(28.1%)が最多回答となった。厳しい就職活動を経て内定を得た学生の、仕事に対するモチベーションの高さが垣間見られる。

 さて、若手社会人(入社2~5年目)と内定学生(2012年4月入社予定)の「仕事に関する意識調査」が発表されました。概ね、内定学生と若手社会人との間で回答に隔たりのある結果が出ているようです。内定学生の89%は「愛社精神がある」と回答したのに対し、入社2~5年目と年齢的には大差ないはずの若手社会人で「愛社精神がある」と回答したのは40%と調査依頼最低の数値だったとか。まぁ歴史の短い調査ですし、そうドラスティックに変化しているわけでもなさそうですので数値の変化への評価は保留するとしても、内定段階と入社後で決定的な違いが生まれてしまう点には、色々と考えさせられるものがあります。

 そして「出世」に関する意識調査でも同様、内定学生は「役員まで」出世したい人が最多をマークし、「出世したいと思わない」人は15%に止まっている一方、若手社会人は常態的に50%以上が「出世したいと思わない」と回答しているわけです。その辺を引用元記事では「厳しい就職活動を経て内定を得た学生の、仕事に対するモチベーションの高さが垣間見られる」などと評しているのですが、それはどうでしょうか? 確かに内定学生の出世志向に関してはこの2年で顕著な上昇傾向が見られますので、就職活動の激化が影響しているところはありそうです。しかるに、若手社会人に関しては、ほぼ一貫して過半数が「出世したいと思わない」と回答してきました。5年前であれば多少は雇用情勢が好転していた時期のはず、それでも「出世したいと思わない」の比率は変わっていません。

 経済誌や就職セミナーを通じてコンサルの虚言を擦り込まれてきた内定学生と、従業員として企業の内部から実態を目の当たりにしている若手社会人とで意識が違うのは、まぁ当然のことでしょうか。週刊ダイヤモンドなんかを読んで「わかったつもり」になっていると、それまで抱いてきたイメージと実際の会社との違いに愕然とすることも多いはずです。現実を知ることで考え方が変わる、その結果として今回の調査に見られるような、内定学生と若い手社会人とで大きな意識の差が出てきたわけです。これはつまり、諸々の就職支援や就職ビジネスが、学生に対して会社という物の本当の姿を伝えられていない、誤った印象ばかりを植え付けていることを意味するものでもありますね。

 加えて、内定学生に出世意欲があると言うより、「出世意欲の強い人が選別されている」ところもあるはずです。「出世したいと思わない」新卒学生を敢えて採用しようという企業は、あまり多くないのではないでしょうか。出世意欲の高さを「仕事に対するモチベーションの高さ」と取り違えている採用担当者も多いわけです。同時に、新卒で採ってくる正社員は幹部候補生みたいな企業文化もまたあるように思います。ブラック企業が場当たり的に採ってくる中途採用者や、派遣やパートなどの非正規は周辺的存在だけれど、優良企業が新卒で計画的に採用する正規雇用者は管理職候補であり、出世意欲が強くて当然みたいなところもあるのではないでしょうか。

 典型的な例が、我が国の中枢にいる官僚の世界です。いつまでも下っ端でいることは許されません。年を取ったら、相応に出世しないと追い出される世界です。まぁ追い出すにしても再就職先は世話してやる慣例があって、それが天下り云々と囂々たる非難を受けているわけですが、ともあれ順調に幹部への階段を上らないと組織に残ることが許されない仕組みになっているのが官僚の世界だったりします。この辺は一昔前の大企業でも似たようなところがあって、社内で出世しきれない人は子会社に出向させられたり、女性の一般職であれば寿退社を期待されたりと、結局のところ会社に残る人は幹部候補生というのが暗黙の了解になっているところもあるはずです。どんどん出世するわけでもないのに会社に居続けられても困る、という感覚は官民問わず存在しているように思います。

 昔であれば、それが成り立つ余地もあったのかも知れません。人口が増加し、かつ第一次産業から第二次、第三次へと労働人口が流入し、加えて女性社員は早期に退職する/させられるともなれば、当然のこととして会社に籍を置く若い世代の頭数は年長世代のそれを大きく上回ることになります。必然的に会社に残った年長の男性正社員は、数の多い若手社員を率いる役割が求められるわけです。ゆえに、会社に長く勤めることが前提の男性正社員は採用段階から幹部候補生であり、どんどん出世して管理職として手腕を発揮してくれなければ困る、そうした要因が出世意欲の高い学生を選別することに繋がってきたのではないでしょうか。売り手市場のバブル期なら企業側に選ぶ余地は小さくとも、超・買い手市場の今は採用側の意向がダイレクトに反映されます。その結果として内定学生の出世意欲の強さがあるのです。

 ところが、現代では人口は減少に向かい、自営業や第一次産業から企業への労働人口の流入も期待できません。「女性は家庭で」というバブリーな価値観は「女も働け」へと移り変わり、女性が会社に止まる期間も長くなりました。こうなると、今までのように「若い人>年長者」という会社の人員構成が成り立たなくなってくるわけです。むしろ年長者の方が頭数が多くなってしまう可能性の方が濃厚なくらいで、そうなると部下(=若手)を率いるべき管理職としてのポストにあぶれる年長者もぞろぞろ出てくる、管理職になれない=出世できない中高年社員が発生することになります。そうした上位ポストで活躍できない「無能な」中高年社員をノンワーキングリッチと呼び、もっと簡単に解雇できるようにしろと迫るのが近年の雇用改革論の主流を形成しているのですが、これでは旧態依然とした雇用慣行を堅持するための改革でしかありません。むしろ変革すべきは、出世を前提としたシステムの方ではないでしょうか。

 出世を前提としたシステムを見直すべきなのです。これから若い人は減る一方なのですから、年長者が率いるべき若手の数だって減っていきます。だから部下を持たない/持てない中高年だって本人の努力や意欲とは無関係に出てくるわけです。それでも会社に残る年長者は出世すべき、出世できない(=会社に認められない)人は解雇できるようにしろ、などと唱えたところで社会の変化には対応できません。そうではなく、出世しない人でも会社に残って年金受給年齢まで働ける方向へとシフトしていくことが必要なのです。出世できない人が出てくるのは人口構成からして逃れられないのですから、そうである以上は出世できなくとも不満には思わない人を会社に迎え入れ、幹部ではなく部下として活かすことを考えるべきでしょう。出世できない中高年を切り捨てて、代わりに出世したがる新卒学生への入れ替えを繰り返したところで、まぁ人件費削減にはなるのかも知れませんが、それでは雇用が不安定するばかり、失業者が街に溢れるだけでもあります。時代に適応するために必要なのは、出世しなくとも働き続けられる環境作りの方です。

 

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実害のある話

2011-10-23 23:04:07 | 社会

“産地偽装”は「言われなき中傷」 2chまとめサイトなどにJAグループ熊本が強く抗議(ITmedia)

 熊本県のJAグループ熊本は10月19日、ネット上で「福島県産米がJAあまくさの米袋を使って産地偽装している」などという情報が流れているとして、こうした情報を掲載しているサイトに対し「強く抗議する」というコメントをWebサイトに掲載した。

 19日のテレビ番組で放送された、福島県の農家が米を廃棄する映像の中で、農家がJAあまくさの米袋に米を詰めるシーンがあり、2ちゃんねるとそのまとめサイトが「福島の農家がJAあまくさ(熊本)の米袋に産地偽装しているのが堂々と流れる」などとテレビ映像のキャプチャーとともに掲載していた。JAあまくさは「言われなき中傷」「JAテレビ放送の内容とはかけ離れ、悪意的ネット配信に対し、大変遺憾に感じ強く抗議します」としている。

(中略)

 JAあまくさによると、「これを見た一般消費者が、熊本産米への不信感を抱き、購入しないなどの誤解が生じている」という。「福島県でなぜ熊本県産米の袋が使われているのか」という質問も多数寄せられているといい、「熊本県産米を全国に向けて販売しており、販売先で仮に使用済みの紙袋を使用する場合は、農産物検査証明の表示を除去、または抹消することになっている」と説明。違反すると法に基づき罰則が科せられる。JAグループ熊本は「販売先に対し使用済み紙袋に×印を付けるよう指導している」という。

 さて、福島の農家が廃棄のために中古の袋に米を詰めるシーンを指して、産地偽装だとネットで言いふらす人や、それを真に受ける人が少なからず発生した模様です。もう、何度目でしょうか? 似たような「騒ぎ」は6月くらいから繰り返されているように思います(参考、8月の例9月の例)。引用元でも指摘されているように他県の使用済紙袋が使われたのは、あくまで廃棄のためであって産地を偽って市場に流通させるためではありません。こんな指摘は、以前から何度となく繰り返されてきたはずで、ちょっとは学ぶ意欲のある人なら知っていて当然のことです。しかるに現状はごらんの有様、「一般消費者が、熊本産米への不信感を抱き、購入しないなどの誤解が生じている」とのこと。あれだけ放射能云々と大騒ぎしておきながら、何も学んでいない、使い古され、誤りを指摘されて久しいネタを煽り立てる人の多さを痛感させられます。

 自ら無知であろうとする人はどうしようもありませんが、実際に被害を生じさせているのですから看過するわけにも行かないところもあります。原発事故に由来する放射線量の増加で何らかの健康被害が見られたかと言えば捏造情報ばかりにしか行き当たらない一方で、放射「能」への煽られた恐怖やデマに基づいて繰り返された福島の居住者や産品に向けられた排除は今なお止むことがなく、大いに深刻視されてしかるべきものです。除染に力を入れるのも結構ですが、こういう目に見える実害にも本腰を入れた対策が求められるのではないでしょうか。

よつば牛乳から3桁のセシウム検出?の真相 - Togetter

よつば牛乳から3桁のセシウムを検出した検査会社マシスの実態 - Togetter

 詳細はリンク先をお読みいただければと思いますが、これまたネット上で発生した「騒ぎ」の一つで、マシスなる検査会社が「無料検査キャンペーン」で牛乳の放射線量を測定したところ「3桁のセシウムを検出」という結果が出されたわけです。幸いにして「その数値はどう見てもおかしいだろう」と詳細を調べた人もいて、「放射線の検出に関しては実質専門外」「測定に使った装置が適切でない」「転記ミスw」という、マシス社のどうしようもない実態が明らかになりました。一方で、「(牛乳は)危険だと言うことがわかって良かった」と大はしゃぎしてしまう人も少なからずいたのです。誤った測定結果によって「3桁のセシウム」という謂われなき悪評を流されたよつば牛乳にも、多少の損害はあったことでしょう。東京電力ばかりに賠償責任を負わせようとしている我々の社会ですけれど、責任を負うべき「加害者」は東京電力の他にも多々いるような気がします。

 問題のマシス社は個人向けの放射線測定の受付を止めることにしたみたいですが、それまでは営業活動に積極的だったのか、方々で不適切な測定を繰り返し、放射能の恐怖を煽りたい人に少なからずネタを提供してきたようです。中には東京新聞に掲載された「八王子の土壌からヨウ素検出!」などの記事にまで発展することもあって、まぁ民間企業と個人の間で起こったことならまだしも、一応の公器たる大手新聞社の紙面にまで登場するとなると流石に問題ではないでしょうか。ある意味、無免許医師が幅を利かせるようなものです。不適切な検査団体が不適切な調査によって導き出した不確かなデータを新聞がそのまま垂れ流す、そうして誤った情報に読者が踊らされるのですから、こういう事態が放置されるようなことなどあって良いはずがありません。

 まぁ、どんなに嘘くさい怪情報でも「信じたい」というモチベーションが重なると簡単に信用されてしまうものなのでしょう。自分の世界観を補強してくれるようなものであれば、それが客観的に通用するものであるかどうかが二の次にされてしまうところも大きいと思います。例えば凶悪犯罪の増加、とりわけ少年犯罪の増加みたいな統計とは明白に矛盾する代物であっても、そう信じたがる人は信じ続けるものですし、どれほど働く人の給料(特に中高年の給料)が下がり続け、一方で役員報酬に株主配当と内部留保が増加を続けても、「一生懸命働いて会社のためにお金を稼いでも、中高年のノンワーキングリッチの人たちの給料に多くが消えていってしまう」などと言い切る人は後を絶ちません。外国人や周辺諸国の脅威を煽るのに好材料でありさえすれば見え透いた作り話でも真実として扱う人がいるように、原発や放射線の害を煽るのに好都合でありさえすれば、巷の噂の真偽などまるで気にせず世間に広めようとする、そういう輩も多いわけです。どうしようもないな、とは思いますが、だからといって放っておくと被害は広まるばかりです。

 

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ダイヤモンドの夢と日本の現実

2011-10-20 23:02:35 | 雇用・経済

 外国人を差別の対象とするものだけではなく、偏見に乗じて福島に関わるあらゆるものを排除しようとする言論もまたヘイトスピーチであるように、戦前戦中の日本像を塗り替えようとするものだけではなく、比較的近い年代における日本の記憶を歪曲しようとするものもまた歴史修正主義の一つではないかという気がします。案外、自分たちの生きていた時代のことでも誤って伝えられていたり、勘違いが重ねられたまま実態とはかけ離れたイメージが構築されているところはないでしょうか。

 少なからぬ日本人が忘れているように思えるのは、「リストラ」という言葉が流行り始めた時代のことです。不況が始まって真っ先に人員削減の標的とされたのは、相対的に給与の高かった中高年でした。この特定の年齢層を狙い撃ちとした首切りの横行とともに、リストラという言葉が一般に広まったわけです。しかるに、この中高年が犠牲にされた時代の記憶は、とりわけ経済について知ったかぶりをする人ほど忘却の彼方に追いやっている傾向があるように思います。

 日本人から失われた記憶のもう一つは、年功序列型の賃金体系や終身雇用制度が、限られた時代の限られた会社における男性正社員に限定されたものであったことです。それは出世への道を閉ざされた非正社員や女性にとっては昔から縁遠いものでしたし、明日をも知れぬ中小零細企業においてもまた同様だったわけです。そして、今となっては大企業においても廃れて久しい。にも関わらず年功序列批判、終身雇用批判が止むことはありません。それは共産主義を実践しようとする国や政党が絶滅危惧種と化した現代においても反共主義が衰えないことを彷彿とさせる、時代錯誤精神の発露と言えるでしょう。

経済学の常識からみると
派遣社員の賃金は正社員より高くすべき(DIAMONDonline)

 最近何かと話題の「格差」については、規制緩和や市場原理がその原因だとよくいわれますが、これはまったくのデタラメです。ボリュームの点で、日本における重大な格差は、大企業の中高年正社員や公務員と若年層の非正規社員との格差で、これは市場原理が働かないから引き起こされています。

 さて、今日は久々にお笑いダイヤモンドを読んでみましょう。まぁ、相変わらずと言うべきか進歩のない内容ではありますが、ツッコミどころには事欠きません。「派遣社員の賃金は正社員より高くすべき」と、おそらくは編集スタッフが付けたと思われる見出しにはもっともなことが書かれていますけれど(負わされたリスクの分だけ報酬は上乗せされてしかるべきですから)、どうも引用元の作文で著者が言いたいことは別物のようです。なんでも「規制緩和や市場原理がその原因だとよくいわれますが、これはまったくのデタラメです」とか。

 にも関わらず、同じ段落で「大企業の中高年正社員や公務員と若年層の非正規社員との格差」が問題視されているのは不思議な話です。まず、そこで挙げられている非正規社員の急増は、まさに規制緩和によって生み出されたもなのですが。公務員と民間企業との賃金格差は数値のトリック(常勤の公務員給与と、パートタイムを含めた民間企業全体の給与が比較されている等々)でしかないので無視するとして、では本当に差があるもの、例えば大企業と中小企業の従業員の格差などは気にならないのでしょうか。それはもちろん、市場原理によってもたらされたものです。


 そもそも派遣社員というこの日本で問題になっている雇用形態は、コストの面で見れば企業にとってそんなにいいものではありません。なぜなら派遣会社にピンはねされるからです。手取り20万円の派遣社員を雇うのに企業は40万円ぐらい負担しないといけません。

 それでもなぜ派遣社員を使うかというと、景気が悪くなった時に解雇できるからです。企業は派遣社員を使うことによって人件費を変動費にすることができます。そのためには少々割高な費用でも割に合うわけです。

 先だって、上記作文の著者が具体的に非正規雇用にどのようなイメージを抱いているか見てみましょう。何でも派遣会社にピンハネされるから、派遣社員は安くないのだとか。う~ん、エメラルドの都ならぬダイヤモンドの都では、そういうことになっているのかも知れませんね。では日本の場合はどうなのでしょうか? まず派遣会社もまた立場は弱いことは認識しておく必要があります。基本的に派遣会社は派遣先企業の言いなりですから。一方的に派遣契約を打ち切られては、派遣社員だけではなく派遣会社だって収入のアテを失う、大損害を被るわけですが、それでも黙って引き下がるのが派遣会社と派遣先企業の一般的な力関係です。謂わば労働力という在庫を本社に変わって引き受ける下請け企業のような立場、というのもまた派遣会社の一面です。そんな派遣会社が、手取り20万円のために派遣先企業に40万円も請求するみたいなボッタクリが可能なのでしょうか。下請けに厳しくコスト削減を求めておきながら、派遣会社には言われるがままに支払うとか、そんな馬鹿な会社経営者がいるとは流石に考えにくいです(身内が偽装雇用のための派遣会社を経営してるなんてケースもありますけれど)。

 派遣社員と派遣会社の取り分は7:3が相場です(一般的な職種の場合どこも談合しているかのように7:3で、派遣社員側の取り分が多いことを売りにする派遣会社というのは激レアです)。手取りが20万円なら額面は23万くらいですから、派遣会社の取り分は10万程度になります。日本で手取り20万円の派遣社員を雇うのに必要な市場価格は33万円です。もし40万円も支払っている会社が実在するなら、その会社は無知に付け込まれてぼったくられています。ちなみに一般的な派遣社員(規制緩和によって増加した専門性の低い派遣社員)の給与水準は、だいたい派遣先企業の新入社員と同じくらいです。そこで手取り20万円の正社員を雇った場合の人件費はどれほどのものでしょうか? 人件費は給与だけではありません。従業員の社会保障費の事業主負担分もあれば、交通費や諸々の福利厚生費だってあるわけです。結局、手取り20万円の正社員を雇うには30万程度の人件費は必要になります。それに加えて正社員なら採用活動のためのコストも掛かる、真っ当な企業ならボーナスも出すでしょう、そして社員を会社に引き留めておきたいのなら、僅かなりとも昇給させてやる必要がある、マトモな企業ほど正社員は高く付くのです。

 一方で、いわゆるブラック企業、社会保障費を払わないような脱法企業すらありますし、そうでなくとも福利厚生は最低限、退職金も賞与も昇進も実質0みたいなところも少なくありません。確かに、この手の企業にとって派遣社員は割高なのでしょう。とりわけホワイトカラーの場合、ブラック企業ほど直接雇用が多かったりするものです。しかるに福利厚生の充実した優良企業ほど、そうした給与外のコストを投じないで済む派遣社員は安上がりになります。派遣社員の方が自前の正社員より切りやすい、という感覚もまた存在しますけれど、結局のところそれもまた人件費削減という目的に集約されるわけです。どう言い繕ったところで「働く人の取り分を減らす」ことが主眼になっていることには変わりがありません。

 尚この辺は個人的な体験に基づく話ですが、派遣社員が雇い止め(=クビ)にされてそのまま、というケースは全くと言って良いほど見たことがなかったりします。決まって、前よりも若い人が新たな派遣社員として補充されますね。目の当たりにしてきたのは不況だから派遣社員を切る、というより「トウが立ってきたから」切るケースばかりです。ある意味、究極の「若者に雇用機会を与える」制度なのでしょう。中高年になる前に解雇して、若い人を新たに雇い入れる、そういう目的で使われている部分も少なからずあるはずです。しかし若者もいずれは年を取るもの、中高年になったら切られることが確実な仕事には就きたがりません。そんなわけで規制緩和によって若者向けの雇用が増えたにも関わらず、新卒者は中高年になっても働き続けられそうな仕事に殺到するため競争は激化するばかり、規制緩和は若者に全く希望を与えていないことがよくわかります。(参考、若者優遇はもう終わりにしよう


 一見、解雇規制がきびしい方が労働者にはやさしいしくみに思えますが、労働市場の流動性がなくなるので簡単には転職できませんし、一生懸命働いて会社のためにお金を稼いでも、中高年のノンワーキングリッチの人たちの給料に多くが消えていってしまうために若年層の給料が非常に安くなりがちだったりと、長い目で見れば労働者にとっても悪いことの方が多いでしょう。

(中略)

 きびしい解雇規制というのは、じつは新卒の学生に一番不利なしくみなのです。中高年の正社員をひとり解雇できれば、新卒を3人雇うことができても、正社員の権利は法律で固く守られているのでそのようなことは起こらないのです。

 さて日本で働いたことのある人であれば鼻で笑ってしまうような文章が続きます。言うまでもなく、若年層よりも中高年層の方が速いペースで給料が下がっており(世代間格差が縮小しています!)、逆に上昇したのは何かと言えば経常利益であり役員報酬であり、株主配当だったりするわけです。「中高年のノンワーキングリッチの人たちの給料に多くが消えていってしまう」なんてのは、まぁ決算書や統計という以前に数字すら読めない人の妄想でしかありません。そして解雇規制が緩いことになっているアメリカで今、何が起こっているかを考えてください。労働市場の流動化とやらで若年層や労働者階級が我が世の春を謳歌しているでしょうか?

 アメリカの場合は日本と違って差別的な理由での解雇が厳しく制限されており、日本で行われているような特定の年齢層を狙い撃ちにしたリストラのようなものはやりにくい、むしろ差別を受けにくい人(つまり就職面で有利な人、再就職しやすい人)の方が解雇対象として選ばれる傾向もあり、解雇規制の強さのために流動化に結びつく部分もあります。にも関わらず国内の経済格差は大きく、職にあぶれた人が大規模なデモを起こしているわけです。一方、日本で転職ブームが起こったのは、今のように規制が緩められてはいなかったバブル時代でもあります。結局のところ労働市場の流動化、というより転職のしやすさは偏に景気に左右されるものでしかなさそうです。不況期では人は切られるだけ、解雇規制が緩んだ分だけ社会に失業者が溢れて社会保障費が急増し、国内消費の低迷に拍車が掛かるだけのことにしかなりません。

 引用元には「中高年の正社員をひとり解雇できれば、新卒を3人雇うことが」と書いてあります。ただし、中高年の正社員を1人解雇して代わりに新卒を3人雇う企業というのは、流石に現実的な想定ではないでしょう。まぁ、作文の著者である藤沢数希の頭の中では人件費は固定費なのかも知れません。人件費は一定で、どこか(中高年の取り分)を減らせば、その分が代わりの誰か(新卒雇用)に使われると、そう想定しているようです。ただ現実の企業は人件費を筆頭としてコスト削減に血道を上げているもので、必要もなく人を雇ったりはしません。もし解雇された中高年が本当に働いていない「ノンワーキングリッチ」であったなら、新たに人を採用する必要もまたないわけです。誰かを解雇した分、人件費をカットするだけの話です。人を減らしても人件費を一定に保とうなんて考える馬鹿な社長はいませんから。まぁ、解雇対象の中高年が若手3人分の能力を持った実力者なら、新たに3人を雇う必要も出てきますけれど!

 ともすると日本の解雇規制は厳しいというファンタジーがあり、一方で新卒者の就職難がある(既卒者はもっと大変なのですが)、この両者を恣意的に結びつけた結果として、若年層に味方する風を装った解雇規制緩和論もまた出てくるわけです。端的に言って「風が吹けば桶屋が儲かる」的な代物でしかないありませんが、まぁ若年層にとっては自身の置かれた苦境を中高年という他人のせいにできる、企業側の応援団みたいな人たちからすれば雇用主の責任を被雇用者の側に転嫁できるということで、ある種の人々にとっては使い勝手の良い世界観なのでしょう。

 ところが、労働や雇用関係の法律を守る姿勢すら見せない、いわゆるブラック企業が幅を利かせ一方的な解雇が横行し、中高年になる頃にはもれなく首を切られる非正規雇用の割合が増大した、解雇規制が急速に弛みだした21世紀は若年層にとって希望の時代だったのでしょうか? むしろ反対に、失望が深まるばかりの時代だったはずです。

 例えば社員の平均年齢の低さをアピールする、若さが自慢の会社も少なくありません。若い人に雇用機会を積極的に与えている、素晴らしい会社なのでしょうか? ところが、そういう企業は往々にしてブラック臭がするなどと言われて新卒者から敬遠されています。なぜ? 結局のところ真面目に仕事を探している人ほど、自分が中高年になっても働ける職場を求めるものです。中高年になっても出世しない(=会社からは無能と見られている)と、整理解雇の対象にされることが必至の職場なんて、よほどの自惚れ屋以外は見向きもしないわけです。当たり前のことですが平凡な新卒者は中高年になったからと首を切られそうな会社は避けるもの、結果として少ない椅子を争うことになります。

 近年の不況で一時的な下落はあったものの、規制緩和で若者向けの雇用は増えました。中高年がリストラされ、トウの立った非正規が追い出された分だけ、若者には仕事が回ってきます。ともすると解雇規制の緩みは若者に利益を与えているように見えるでしょうか。しかるに問題は、若者もいずれは年を取ると言うことにあります。今の若者も非正規なら10年後、正規雇用でも20年後には「若者に雇用機会を与えるため」との錦の御旗の元、会社からお荷物とみなされ、追い出される日がやってくるわけです。こういう未来を若者は望むでしょうか? 少なくとも新卒者がどういう企業を志望しているかを見れば、中年にさしかかった社員を次々と追い出し、どんどん若い人ばかりを雇い直している企業を避けていることは火を見るより明らかです。規制緩和で増えたはずの若者向けの仕事は、若い人に歓迎されていません。若い人に優しい社会は、いずれ年を取る人には優しくない社会でもあります。

 

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トヨタ労組を支持する

2011-10-18 23:29:47 | 社会

 東京電力の調査によると、今夏と昨夏の電力需要ピークは大工場やオフィスビルなど大口利用者で29%、小口は19%それぞれ減ったものの、家庭は6%減にとどまったそうです。口先では節電を唱えつつも、実際に節電できていないのが家庭部門であり、大幅な節電で厳しい夏を乗り切るのに貢献したのは大企業だったわけです。結局のところ家庭レベルでは「欲しがりません勝つまでは」的なノリで節制が称揚されただけで、日々の生活を窮屈なものにこそすれ、電力の安定供給への寄与度合いは微々たるものだったのでしょう。

 これは色々と考えさせられることでもあります。その気になれば大幅な節電が可能であった大企業において、これまで節電に十分な力が入れられてこなかったのはなぜでしょうか。電力会社への憎悪に燃える人たちが「日本の電気料金は高い!」と喧しい昨今ですけれど、それが企業側からどれだけ意識されていたかは怪しいものです。日本の企業が電気代の高さを本当に気にしていたのなら、もっと早くから節電に努めていたことでしょう。しかし人減らしなどのコストカットが猛威を振るう中でも、電気の節約は後回しにされていたわけです。財界筋が高い高いと連呼してきたのは法人税などであって(アメリカと同水準なのですが)、電気料金でなかったことは認識しておくべきですね。


土日操業の節電を拒否 トヨタ労組「家族への負担大」(朝日新聞)

 トヨタ自動車労働組合(組合員6万3千人)は15日、愛知県豊田市で開いた定期大会で、今冬や来夏は「土日操業」による節電協力はしない方針を明らかにした。

 今夏は電力需給が厳しくなる木金に工場を止め、余裕がある土日に動かして節電に協力した。「電力需要のピークを抑える効果はあったが、組合員や家族、地域への負担は大きく、継続して行うのは難しい」と総括。政府や電力会社が、電力の安定供給に努めるべきだと訴えた。

 さて、酷暑を乗り切る上で節電に大きく貢献した工場部門では何が起こっていたのでしょうか。やはり有効だったのはピークシフト、操業時間を昼間から深夜に移したり、平日から土日に移したり、ですね。特に自動車業界が土日操業に動いたのは影響が大きかったはずです。ただし、そのツケを回されるのは工場で働く従業員達だと言うことは忘れないでください。引用元記事の見出しでは「家族への負担」が挙げられていますけれど、実際に働く当人にだって負担が大きいのは当然のことでしょう。人それぞれの部分はあるかも知れませんが、やはり通常とは異なるシフトでの勤務を強いられるのは、労働側としては避けたいものです。

 このトヨタ労組のように、今からでも声を上げる人が出てきたのは歓迎したいところです。震災以前はさも労働者側を慮る風を装っていた人々が脱原発と称してヘイトスピーチを繰り返すばかり、節電のためとシフト勤務を余儀なくされる労働者のことなどすっかり忘れられがちであるかに見えましたけれど、ようやく反対の声が表に出てくるようになったことは、僅かながらも明るい兆しと言えます。工場の操業を深夜や土日にシフトさせる、つまり深夜や土日に従業員を働かせることによって、原発停止が続く中でも電気はギリギリ賄えたのかも知れませんが、そのために労働者が犠牲にされてきたわけです。こうした構図に無頓着な世論や、それに媚びる行政に対して異議を唱えることにもなるアクションの一つくらいあって良いでしょう。

 そもそも震災による影響を被った東北や関東ならいざ知らず、60Hz地域であれば平常運転は可能でした。しかるに、後先考えず「まず停止ありき」で原発停止に踏み切った結果として、中部以西でも節電が必要になった、そのツケを自動車業界などの、とりわけ工場部門や関連企業で働く人が押しつけられることにもなったわけです。深刻な事故を起こしたわけでもない電力会社が電力の安定供給に奔走する中、足を引っ張ってきた、間接的に労働者を苦しめてきたのは誰なのか、それもまた考えられてしかるべきでしょう。逆風の中でも電力会社の企業努力は求められますけれど、それを邪魔する人々をどうにかするのも必要な気がします。これ以上、働く人が犠牲にされては堪りませんから。

 

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ご機嫌取りはいらない

2011-10-16 22:44:01 | 政治

九電報告書厳しく批判=社長留任に不快感―経産相(朝日新聞)

 九州電力が経済産業省に提出した玄海原発をめぐる「やらせメール」問題の最終報告書について、枝野幸男経済産業相は14日、同社が検証を委託した第三者委員会報告書の「つまみ食い」であり、「理解不能だ」と厳しく批判した。当地で記者団に語った。

 九電はこの日、引責辞任の意向を表明していた真部利応社長の留任を正式決定したが、社長の進退も含め対応の見直しを迫られる可能性がある。


九電、「やらせ」報告書再提出検討 経産相の批判受け(朝日新聞)

 九州電力は14日、経済産業省に提出した「やらせメール」問題の最終報告書を、月内にも再提出する検討に入った。佐賀県の関わりを認めない内容について、枝野幸男経産相が強く批判したためだ。県の関わりを一転して認めるかどうかが焦点となる。

 枝野氏は同日、訪問先の中国で記者団に対し、報告書について「世間に対して出すということについて何を考えているのか」と述べ、再提出を求める考えを示唆した。また、九電の第三者委員会が県の関与を指摘したのに、報告書に盛り込んでいないことを「つまみ食い」「公益企業のガバナンス(統治)としてあり得るのか。大変深刻な問題」などと批判した。

 九州電力の提出した報告書に枝野が「理解不能」などと言い出したことが伝えられているわけです。事業仕分けの時からそうでしたが、枝野がグダグダ言い出す度に「じゃぁ、どうしたらいいんだよ」と思います。相手の出方に関わらず、元から枝野は憤慨してみせるつもりで待ち構えていたのではないでしょうか。今回の九電報告書の場合ですが、第三者委員会の指摘内容と異なる部分があることと、佐賀県の関与を盛り込んでいないことが批判されているようです。ならば、第三者委員会の私的をそのまま引き写し、県が暗に指示してきたから「やらせ」に踏み切りましたと、そう報告すれば良かったのでしょうか。間違いなく、そのように報告していたとしても枝野は大仰に憤って見せたはずです。

 どちらかと言えば第三者委員会は九州電力と関係が深いですし、それが県の関与を指摘したときには、むしろ責任の転嫁先を用意したように思えて「ちょっと(電力会社に)甘いかな」とも感じたものです。九州電力に対しても「自分の判断でやりました」と報告するより「佐賀県に指示されたのでやりました」と言い訳した方が自社の立場は守りやすいわけで、報告書の内容がそうであったならば「九州電力は県のせいにして言い逃れしようとしている!」などと大いに責められたであろうことは想像に難くありません。どうなんでしょうね、ことによると九州電力側も枝野のダメ出しは織り込み済みで、再提出分の方が本命だったりして……

 九州電力の社長だけではなく菅の場合もそうでしたが、少なくとも個人的には全てを投げ出して辞任してしまった方が楽な状況にある(あった)はずです。だからといって続投させておけば事態が好転するかというと微妙なところですが、辞めた方が楽であろう状況に敢えて止まり続ける判断は、ちょっとは評価されても良さそうなものです。枝野は九州電力の社長留任に対して露骨に嫌な顔を見せているわけですけれど、菅に対して野党筋が「早く辞めろ」と迫っていたとき、枝野は何を思っていたのでしょうか。ここぞとばかりに電力会社を批判してみせれば国民のウケは悪くないのかも知れません。ただ、それが事態収束の役に立つのかどうかは首を傾げるところです。政治の役割は、有権者のご機嫌を取ることではないのですから。


過剰な除染「効率低い」 IAEA調査団が助言(朝日新聞)

 日本政府の求めで除染の進め方について助言するため来日中の国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の調査団が14日、除染で過剰な対応を避けるよう求める報告書をまとめた。そのうえで森林や線量の低い場所での全面的な除染は時間や費用の面で効率が低いとした。

 環境省の基本方針案は、事故による放射性物質の飛散で追加される被曝(ひばく)線量が年1ミリシーベルト以上の地域を国の責任で除染するとしている。しかし、1ミリシーベルト以上とすると対象は広範囲にわたるため、他の除染作業への人繰りに支障が生じたり、除去土壌がさらに多くなったりすると指摘する関係者もいるほか、兆円単位の費用も課題となっている。

 さて、IAEAが至極当たり前のことを語っています。5ミリシーベルト以上ではなく1ミリシーベルト以上の地域まで除染するなどというのが我が国の方針ですが、これは効率が低いと。長期的な目標として「自然放射線量+1ミリシーベルト」を考えるのはともかくとしても、いきなり1ミリシーベルト以下に踏み込むのは時期尚早というものなのでしょう。人的資源や費用など、振り向けられるリソースにも限りがある中で1ミリシーベルト以上の地域を除染対象に含めてしまうと、色々と無理が出てくる、除染そのものの進捗にすら悪影響が出てくると考えるのは至って当然のことです。ましてや放射線だけが唯一にして絶対のリスクであるならいざ知らず、他に対処すべき物事はいくらでもあるのですから。

 それでも我が国の政府が「1ミリシーベルト以上」を掲げたのは、結局のところ「有権者のご機嫌を取ること」と優先した結果ではないでしょうか。「1ミリシーベルト」と言わないとグダグダと煩い人も多い、そういう人の批判をかわすべく「1ミリシーベルト」という基準値が設けられてしまったように思います。こういう形で世論に媚びるからこそ近年の政治は上手く機能しないのではないかという気がしないでもありません。過剰な基準が設けられることで住民の生活が制限されることにはならないか、基準値を超えたら即危険という錯覚を生み、住民に無用の不安を植え付けることにはなるまいかとの危惧もありますし、IAEAが説くように非効率でもあります。日本政府には方針を決定する権限がありますけれど、外部の有識者の助言は重く受け止めて欲しいところです。

 

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いらないのは偏見を広めようとする政治家の方です

2011-10-14 22:55:04 | 社会

「セシウム牛いりません」大分県議、絶叫大会で(読売新聞)

 大分県由布市湯布院町で10日に行われた「由布院牛喰(く)い絶叫大会」で、同県畜産協会長で同市区選出の近藤和義県議(77)が「セシウム牛は要りません」と叫び、被災者からは「失礼な発言」と憤る声も出ている。

 近藤県議によると、大会冒頭のあいさつ後、最初に見本として、「セシウムで汚染されたわらを食べた牛の被害が広がっている。由布院の牛肉は汚染のわらを食べていないので安全だ」と絶叫。一呼吸置き、「セシウム牛は要りません」と声を張り上げたという。

 近藤県議は読売新聞の取材に対し、「国の対応のまずさを批判する内容だった」と説明。しかし、福島県いわき市から大分市に避難している男性(70)は「現地で生活を立て直そうとしている人に失礼な発言」と怒っていた。

 なんだかもう、どこから突っ込んだらいいのが戸惑うレベルのニュースです。そもそも「セシウムで汚染されたわらを食べた牛の被害」って具体的に何を指しているのでしょうか。放射性セシウムが基準値を超えた牛肉を毎日3キロほど50年ばかり食べ続けた場合、LNT仮説を採れば発がんリスクが微増すると考えられないこともないですが、流石にそれは現実的な想定ではないので健康被害の可能性は無視するのが妥当として、他にあり得るとしたらせいぜい福島や東北産の牛肉卸売価格が大きく下落し、生産者が大きく被害を被った辺りですかね。でも、そうした「被害」をもたらしたのは原発事故ではなく、セシウムに関する都市伝説レベルの風説を流布し、実態のない脅威を煽り立ててきた人であるように思われてなりません。

 どんなに微量でも放射性物質が含まれては危険だと、謂わばワン・ドロップ・ルールを振りかざす人もいますが、では湯布院の牛肉は元より、原発事故以前に流通していた食品はどうなんだろうと首を傾げるところもあります。日常の食品に含まれる放射性セシウムは、むしろ一昔前の方が多かったりするわけです。結局のところ今も昔も、個人レベルで気にしなければならないほどの放射線量ではないというだけ話で、いつの時代もどこの地域も決して「放射能0」ではありません。放射性カリウムだって立派な放射性物質ですし、ましてや湯布院にたくさんある温泉からも微量の放射線は計測されることでしょうし。

 問題の県議は「国の対応のまずさを批判する内容だった」と説明しているそうです。どこが? まぁ、国の対応は百点満点ではなく批判されるべき点もあるでしょうけれど、「セシウム牛は要りません」との発言が国の対応への批判にどう結びつくというのか、理解不能です。ただ単に、そう言い訳しておけば済まされると思っているだけではないでしょうか。福島の住民や産品に対する偏見を植え付け、嫌悪を煽り立てるような発言を繰り返しておきながら、まるっきり無反省な人にはよく見られる傾向ですね。悪いのは原発/東京電力と責任を転嫁するばかりで、自らが実践する差別行為を正当化している人もまた少なくありません。放射「能」への恐れを背景とすれば、何でも許されると思い込んでいる人もいるということです。

 ちょっと脱線しますけれど、湯布院の牛肉を持ち上げるための発言でもあったようです。比較対象を貶めることでしか対象を持ち上げられないってのは三流の証ですが、ともあれ湯布院の生産者と東北の生産者は市場ではライバルでもあるのでしょう。販売先が国内に止まる限り、一方が売上を落とせばもう一方にはチャンス、一方が売上を伸ばせばもう一方はピンチにもなります。そして「国際競争力のある強い農家」なんてのは当然のことながら、国内でも強い競争力を発揮するわけです。農業を保護すべく強い農家を作れば、競合する国内の農家にとっても脅威となることもあり得ます。農業を保護したいのか、農家を保護したいのか、採るべき道は必ずしも一緒ではないので、その辺は区別すべきだと何度も当ブログでは主張してきましたが、世間や政府筋ではどうなんでしょう?

 さて「セシウム牛は要りません」に戻りますが、本当に酷い発言です。福島を中心とした東北エリアの畜産物のイメージを不当に貶めようとするヘイトスピーチの一つに数えられるべきでしょう。市場での流通が許されている牛肉を「セシウム牛」などと呼ぶとしたら、それは事実に基づいていませんし、それを忌避すべきものとして扱おうというのなら、謂われなき理由による排除を扇動している、すなわち紛れもない差別行為です。にも関わらず「セシウム牛は要りません」みたいな発言が罷り通るとしたら、それは我々の社会が流行に沿ってさえいれば偏見を広めようとする発言をも容認することを意味します。

 横行する差別や偏見に立ち向かうには、正しい知識が必要だと言われます。そして学校教育では授業で放射線を取り扱うことになったとも耳にしましたが、行き着く先はどうなるでしょう。最大公約数的なものとしてICRPの知見に沿って教育が行われるのであれば結構なことですが、これがアメリカにおける進化論みたいなことになったらどうしよう、などと危惧するのは悲観的に過ぎるでしょうか。ある種の人々の信仰や世界観に相容れない学説が子供達に教えられることに強く反発する人々が、日本にもいないとは言い切れませんから。

 アメリカの原理主義的なキリスト教徒の中には、進化論を聖書の教えに反するとして学校で取り扱わないよう要求する人もいます。そして放射線に関するICRPの考え方は、昨今の日本における反原発論者の多くが信奉しているものとは相容れないわけです。ICRPの学説に沿って考えれば、武田邦彦が断言するようなことは起こりえない、小出裕章が示唆したようなことは決して起こらないことが明らかになってしまいます。ある種の人々が信奉する世界観とは明らかに異なるものが学校で子供達に教えられようとしているとき、熱狂的な信仰心を持つ大人たちは何を言い出すでしょうか。まぁ、何事も時間が解決してくれるものなのかも知れません。いずれ流行は去り、放射能フィーバーに駆られている人たちも自然に離れてゆくことでしょう。放射性ヨウ素よりは半減期が長くて厄介な代物かも知れませんが。

 

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痛みを伴わない改革を目指せるか

2011-10-12 23:11:15 | 政治

TPP、180議員が反対署名…大半は民主(読売新聞)

 野田首相が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉について、参加表明の意向を固めたのは産業界の国際競争力強化により、経済成長を促す狙いがあるが、慎重論の根強い政府・与党内に深刻な対立を生む可能性もはらんでいる。

 首相にとっては、意見集約に向け、指導力が問われることになりそうだ。

 TPPを巡っては、反対する民主党議員らで作る議員連盟「TPPを慎重に考える会」(会長=山田正彦前農相)が署名活動を続けている。政府に交渉不参加を表明するよう求める内容で、8日現在で、署名に応じた国会議員の数は180人に上り、大半が民主党議員だという。

 山田氏は署名が200人を超えた段階で、政府に提出する考えだ。また、同議連として近く、大規模なTPP反対決起集会を開くことも検討しており、議連の役員は「不退転の決意で戦っていく」と述べ、推進派の説得には応じない考えを強調している。


TPP交渉参加、異論相次ぐ=意見集約は難航必至―民主(時事通信)

 民主党議員を中心とする「TPPを慎重に考える会」(会長・山田正彦前農林水産相)が同日、国会内で開いた会合には、TPP交渉への参加に否定的な約50人が出席した。山田氏は「(執行部は)早期に結論を出したいようだが、TPPがどういう内容なのか、われわれも国民も分かっていない」とけん制した。 

 さて、民主党内閣が参加を表明しているTPPですが、民主党議員を中心に反対派が結成されているようです。民主党は相変わらずですね。執行部が合意形成を軽視するのは小泉政権以降に共通のことであって今の民主党に限ったことではないにせよ、そこに民主党ならではの拙劣な党内抗争が絡むと、下手をすれば当の民主党こそが最も内閣の足を引っ張っているみたいなケースにもなるのでしょう。ともあれ反対派議連は「TPPがどういう内容なのか、われわれも国民も分かっていない」上に、「推進派の説得には応じない考えを強調している」とのこと。わかっていないから説明責任を果たせと迫るのなら筋が通りますが、どうもTPPを批判的に検討しようというのではなく最初に否定ありき、全否定の構えが取られています。これは手強い。

政府は自由貿易協定(FTA)交渉にしても、ちんたらやっているが、それではいけない。米国とも率先してFTAを結ぶべきだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)はじめ農産物の輸出国とのFTA締結は農業分野が障害と言われているが、反対しているのは生産者ではなく、役所と関係団体にすぎない。コメなどの基幹農産物については、不足払いの仕組みをキチンとつくり、所得の補償を担保してやれば生産者は反対しない。米国とFTAを結べば、日本は得るものの方がはるかに大きい。FTAを結ぼうと、日本が本気で提案したら、むしろ米国の方が恐れるだろう。 ―――■小沢一郎ウェブサイト■

 巷のうわさによれば反対派には小沢一郎に近い議員も多いなんて話を聞きますが、言うまでもなく小沢は対米FTAを持論としてきたわけです。小沢シンパだったらむしろTPPには肯定的な方が自然に見えますが、それよりも小沢の仇とばかりに現執行部のやることなすことに反対するみたいな人が多いのかも知れません。まぁ、ある種の「反動」に沿って動いている人も少なくないのではないでしょうか。何かしら自分の嫌いなものに反対するためなら、それがダブルスタンダードになろうと全く気にかけていない様子の人も少なくありませんから。

 TPP参加に踏み切ろうとしているのが自民党内閣であったなら賛成に回る人や、あるいは小沢が民主党のトップであったなら賛成に回る人もいることでしょう。ある種の「党派性」みたいなもので左右されるところもあるはずです。一方、いつでも外国(周辺国)を日本に対する脅威と見なし、防衛手段の増強を訴えているような人がTPPに反対の姿勢を示すとしたら、それはそれで筋が通っているように思えるのですが、こういう人に対して反動的な態度を取っている人の場合はどうなのか、この辺に私は疑問を感じています。

 軍事力の強化に頼らずとも、話し合いで戦争は回避できると説く人もいるわけです。まぁ、私もそう考える1人ですけれど、しかるに外交努力によって軍事的衝突は避けられると主張する一方で、軍事「以外」の衝突に関しては話し合いによる解決の可能性を微塵も考えていないばかりか、むしろ外交関係の破談を自明の真理として論を進めたがる人が多いように思います。経済摩擦しかり、食糧問題しかり。

 「○○が攻めてきたらどうする」と我が国の先軍主義者は説きますが、ハト派は「そうならないように外交に力を入れなければならないのだ」と応えます。戦争が起こることを前提として軍事的手段による解決を目指すのではなく、まず戦争を起こさせないための努力をする、軍隊ではなく話し合いで物事を解決しようと考えるわけです。ところが、これが非軍事的な問題となるとどうでしょうか。とりわけ食糧問題では「○○が売ってもらえなくなったらどうする」と、軍拡論者のそれと酷似した前提に沿って話が進められがちです。私に言わせれば、そうならないように国際協調関係を構築していかねばならないのですが、どういう訳かハト派もしくは左派と目される人の大半は、外交関係が破綻した後に来る事態への防衛策を訴えるばかりで、衝突が起こる前に話し合いで解決しようという姿勢を垣間見せすらしません。どうやら外交努力によって回避できるのは戦争のみ、と信じられているようです。

 軍事的な面では諸外国を敵と見なす姿勢に反対の立場を取る人も、というより反対の立場を取っている人ほど、貿易や食糧問題に関しては諸外国を日本に対する侵略者として考える傾向が強いような気もします。そして戦争は話し合いで避けられると語るその口で、貿易や食糧問題に関しては正反対の態度を取るわけです。たぶん、軍隊好きの排外主義者に対する反動で動いているだけで、心の底では外交努力による問題解決の可能性など信じてはいないのでしょう。こういう人たちには率直に失望しますし、むしろ反グローバリズムを掲げたナショナリズムという形で排外主義に結びついていくところもあるように思います。

 国内に目を転ずれば、今さら栄光ある孤立を気取って門戸を閉ざしたところで、何も解決するものはありません。好むと好まざると世界の波の訪れは避けられない、その中でいかに上手く立ち回るかを考えるべきでしょう。現内閣が説くほどに急ぐ必要があるのかはさておき(ただ、受け身であるより主体的に関与していった方が日本の居場所は確保しやすいものと思われます)、いつまでも現状維持ではいられません。何を変革するにしても普通は「痛み」を伴うもので、その「痛み」を脅しに使って変革を止めようとするのが近年の政財界では標準的な振る舞いみたいなフシがないでもありませんが(派遣法改正や最低賃金引き上げ等々)、ともあれ日本だけが旧態依然としたままではいられないのです。

 時代の趨勢が不可避的に変化していく中で利益を得る人も出れば、不利益を被る人も当然ながら出てくるものです。利益を得る人にはしかるべく課税し、不利益を被る人にはしかるべく保障していくことで対応していくほかありません。しかるに、この変革に伴う「痛み」を金銭的に保障していくと、左派は「札束で頬をひっぱたくやり方だ」みたいに詰り(この傾向は原発事故後は目立って強まったように思います)、右派は「既得権益保護だ」と叫ぶわけです。変化に伴う不利益を被る人に保障をしていくのは、往々にして国民の幅広い層から反発を買うものとすら言えます。

 では、どうすれば反発を買わないのか。最大公約数的な支持を得た回答が「痛みに耐えよ」というものでした。金銭的な保障をしていくのではなく「(これは正しいことのためなのだから)痛みに耐えよ」と説く、こういうやり方を採った首相が最も国民の賛同を集めたわけです(もっとも、行われた改革はグローバル化に適応するためというより、ガラパゴス化を深めるためのものでしたが)。もちろん私はこうしたやり方に反対なのですが、世間はどれほどのものでしょう。口先では小泉政権のやり方に批判的であるかのごとく振る舞う人もいますけれど、一方で変化に伴う「痛み」を保障することに、やれ「札束で頬をひっぱたくやり方だ」、やれ「既得権益保護だ」と憤るとすれば、結局のところ「痛みに耐えよ」に行き着くしかないわけです。こうなると、不利益を被る人を切り捨てて世界の変化に付いていくのか、それとも「痛み」を脅しにして世界の変化に背を向けるのか、絶望的な二択になってしまうものなのかも知れません。

 

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せっかく制度を作っても

2011-10-10 22:46:33 | 雇用・経済

雇用促進減税、申請伸びず 条件厳しく想定の3%どまり(朝日新聞)

 人を多く雇った企業の法人税を軽減する雇用促進税制が低空飛行を続けている。菅直人前首相の肝いりの施策で年間約17万5千人の雇用創出効果があるとうたっていたが、受け付け開始1カ月後の8月末までに想定の約3%しか申請が出ていない。目標達成への道のりは険しい。

 厚生労働省の調べによると、8月末までの申請は全国で705社にとどまり、見込まれる新規雇用者数は5771人足らずだという。9月以降は申請が増えている可能性もあるが、制度の効果が見込みを大きく下回るのは間違いなさそうだ。

 雇用促進税制は、リーマン・ショック後の不況で、完全失業率が5%台に達するなど厳しい雇用情勢への対策のひとつ。雇用者数を年10%以上増やすなどの条件を満たした会社は、法人税額から大企業で10%、中小企業では20%を上限に、次年度に増えた雇用者1人あたり20万円の税額控除が受けられる。今年度の税制改正の目玉として8月から申請の受け付けを開始し、3年の時限措置だ。

 報道によれば「菅直人前首相の肝いりの施策」なのだそうですが、申請は想定の約3%に止まっていると伝えられています。この手の制度の利用率が想定を下回るのは恒例のことですけれど、いくら何でも3%は低すぎですね。どうしてこうなってしまったのでしょうか。記事の見出しには「条件厳しく」とあります。何でも「雇用者数を年10%以上増やすなどの条件を満たした会社は~」とのこと、社員十人未満の零細企業ならいざ知らず、中堅以上の企業が一度に10%以上もの社員を増やすのは難しそうです。そんな急に社員を増減させるのは、よほどのブラック企業としか……

 知名度が不十分、ということも考えられます。菅直人前首相の肝いりの施策、との触れ込みですが、果たして法案成立時の報道はどれほどのものだったのでしょうか。往々にして、国会で揉めている法案ばかりが報道され、当たり障りのない法案はスルーされがちです。とかく野党はいつでも反対してばかりいる、みたいに勘違いしている人がいますけれど、実際のところ共産党ですら与党案に賛成したケースの方が反対したケースより多いわけです。ただ、与野党での対立が起こらないと報道されないだけです。

 新聞やテレビ報道だけを見ていると、あたかも凶悪犯罪が増加しているような錯覚に陥る、あるいは福島第一原発の事故が一向に収束へ向かっていないような印象を受けるものなのかも知れません。そして国会ではいつも与野党が対立しているとも。しかるに、メディアの注目を集めない大半のケースでは何事もなく平安であり、作業は順調に進展し、与野党合意の下で法案は成立を重ねているものなのです。しかし、それは知られることが少ないわけでもあります。野党が派手に反対して世間を賑わせたものばかりが人口に膾炙し、そうでないものは気に留められることもない、そして今回の雇用促進税制は後者だったのでしょう。

 相手に伝わっているか、を意識するのも大事です。こちらが何かを発信したところで、相手がそれを見ているか、聞いているかは別問題ですから。例えば原発事故後に、政府は屋外の稲わらを家畜の餌に使わないよう告知しました。しかし、ロクに聞いていない農家も少なくありませんでした。会社の上司と部下の関係であれば「聞いていないおまえが悪い」ということになるのかも知れませんが、やはり「伝える努力」というものも必要だと思うのです。「私は言いましたよ」と聞いていなかった相手を咎め立てすれば自分を正当化できると考えがちな人も多そうですし、特に民主党執行部にはそういうタイプが多そうに見えて仕方がないのですが(特に枝野とか)、相手に伝わらなければ意味がない、制度は知られなければ意味がないわけです。

 なお法人税が雇用に応じて控除されるとのことで、方向性としては賛成できるものでありますが、赤字企業の場合はどうなるのでしょうか。法人税とはすなわち、赤字企業は払わなくていい税、儲かったときだけ払えばいい税です。儲かっていない企業にとっては旨みのない制度なのかも知れません。そもそも売上増ではなくコストカットによる収益確保が目立つ日本企業の場合、雇用増=人件費増による法人税減免というのは相容れないものにもなってしまうのでしょう。せっかく人を減らして上げた利益を税金として持って行かれるのは気に入らないから法人税を下げろと要求してきたところに、じゃぁ法人税を控除するから、その分だけ人を雇えと言われたならば、出てきたのが反発ばかりであったとしても不思議ではありません。

 アメリカでは、寄付した金は課税の控除対象となります。税金を払うのが嫌だから寄付してしまおう、という感覚も少なからず働いているわけです。日本の場合はどうでしょう、法人税を払うことを厭う空気は少なからずあるわけですが、法人税で取られるくらいなら社員の給料に回してしまえ、みたいな感覚が働くかと言えば甚だ微妙なところでもあります。働く人の取り分が増えれば国内の購買力も上がる、企業が製造したモノも売れるようになる、間接的には政府の税収増にも繋がるわけで、こういう形での法人税減免は悪くないと思うのですけれど、歓迎されるかどうかは……


日曜保育、愛知県が人件費補助 工場の土日操業アシスト(朝日新聞)

 愛知県は、日曜日の保育園の受け入れ児童枠を拡大するための補助制度を新設すると3日発表した。夏の電力ピークを抑えるために自動車工場などが実施する「土日操業」に伴い、工場従業員の子どもの預け先を確保するのが狙い。

 補助制度は、保育園を運営する県内市町村に対し、日曜日の児童受け入れに伴う保育士の人件費の一部を県が負担する。また、小学校低学年の児童を預かる「放課後児童クラブ」を日曜日に開く場合も補助対象にする。夏場の7~9月の3カ月間に限定する補助制度は全国初という。

 さて、4ヶ月ばかり前の報道になりますが、こちらの制度の利用率はどれほどのものだったのでしょうか。ともあれ節電に迫られた結果として、操業を土日にシフトさせる企業も少なくありませんでした。当然のことながら、従業員は土日に働きに出なければならなくなります。そうなると、学校もない土日に子供をどうしたらいいのかという問題も出てくるわけです。そこで、保育士も土日に働かせればいいじゃないか、ということになります。単に操業時間をシフトさせる業界のみならず、そこに関わる諸々の業界関係者が対応を余儀なくされることがわかりますね。節電のためとはいえ、なかなか罪深いことです。

 そうした状況への支援として、愛知県では日曜保育のための人件費を補助することにした、というのが引用した記事の伝えるところです。まぁ、致し方ないことなのかも知れません。何の援助もないまま、お国のため節電のため土日に出動する企業戦士を支えるべく、保育士の皆さんは日曜日もサービス出勤してください、みたいな事態を避けようとしている分だけマシな方です。もっとも、来年以降は労働者が土日に働かなくて済むよう、電力供給面でアシストする方をこそ頑張って欲しいところでもあります。電力不足のしわ寄せを受ける人を支援するより、電力不足を解消してしわ寄せを受ける人が出ないようにすることの方が上策ですから。

 

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