非国民通信

ノーモア・コイズミ

尊属殺人なんて概念もありましたね

2007-01-31 00:40:03 | ニュース

職場の酒席で上司を批判 「4階級降格は妥当」 逆転敗訴で上告 札幌高裁判決(北海道新聞)

 職場の懇親会での発言を理由に、管理職の部長から四階級降格の処分を受けたのは違法だとして、空知土地改良区(滝川)の総務部長だった男性(58)が地位確認を求めた訴訟で、札幌高裁(末永進裁判長)は、男性の請求を認めた一審判決を取り消し、「管理職は酒席でも節度ある言動が必要」として、男性の請求を棄却した。男性は高裁判決を不服として二十九日、上告した。

 改良区は同年十二月の理事会で、男性の発言を理由に「管理職としてふさわしくない」として、管理職の総務部長から管理係長に降格させた。

 男性は札幌地裁滝川支部に地位確認を求め提訴し、「酒席での役員批判を理由に四階級も降格させるのは裁量権の逸脱で違法」などと主張。改良区は「発言は職場秩序を乱すもので、総務部長の素質に欠ける」と反論した。

 これに対し、高裁判決は「懇親会の費用は改良区が負担しており、職務に関連がないとは言い難い」とした上で、「総務部長には酒席でも節度ある言動が求められる」とした。さらに、男性が二十年以上前に酒席での口論を理由に降格処分を受けたことも挙げ「今回の発言は管理職としての適正も欠き、係長への降格は裁量の範囲内」とし、処分は妥当とした。

 上司に意見した部下が不興を買ってなんと4階級もの降格処分、この処分の撤回を求め訴訟に発展したものの、高裁では請求を棄却と。そうそう、現場の人間と違って役員はお飾りの名誉職の場合が多いから、たいていは仕事の邪魔なんですよね。役員がしゃしゃり出てきたせいで仕事に支障を来した経験のある人は少なくないのではないでしょうか。そりゃ言いたいことの一つや二つはあるでしょうねぇ。

 しかるに世の中には上司を何よりも大切にする会社、組織はままあるわけでして、上司のご機嫌を取るのも仕事の一つになっているケースがしばしば。上司が思いつきで怒り出せば頭を下げて何とか話を合わせ、上司の妨害をやり過ごしながらきっちりと自分の仕事を進めるのが会社で要求される能力の一つでもあります。

 教皇無謬説なんて概念がありますが、頻繁にお目にかかるのは上司無謬説、上司の言うことに誤りはなく、上司の言葉は絶対の真理、もし上手くいかないのであればそれは上司の指示が間違っていたのではなく部下が上司の指示をどこかで間違えたからであり、その責任は部下にある。上司は常に正しく、上司と部下の意見が食い違うのであればそれは部下の誤りを意味する。ゆえに上司は下からの声に耳を傾ける必要などなく、ただ下へと指示を下せばよい、そして下は上へと意見する必要などなく、ただ上を仰ぎ見ていればよい、と。

 さて、犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬を噛めばニュースになる、この論法と同じ論理でしょうか、上司が部下を批判するのはニュースになりませんが部下が上司を批判したら大問題に発展したのが今回の事件です。上司から部下への公私にわたる誹謗中傷、人格攻撃や暴力行為なんてのは珍しくありませんが、それに対して「節度ある言動が求められる」云々の口実で4階級も降格されるケースはあり得るのでしょうか? わたしは私でそれなりにいろいろな職場を渡り歩いてきましたが、部下が上司を面前で批判することが許されている会社は見たことがありません(陰口は別ですよ)。それから上司が部下を日常的に罵倒する会社は珍しくありませんでしたが、それを理由に上司が処分を受けるようなケースは見たことがありません。

 被告である改良区側は「発言は職場秩序を乱すもので」と主張していますが、そこで乱されたという職場秩序とは何だったのでしょうか? これがもし、上司が部下を批判したのであったなら「管理職としてふさわしくない」という発想が出てきたでしょうか? それこそ発言内容が不当な侮辱であったとしても、それを気にする方がおかしい、そんな風に判断されるのではないでしょうか。

 そもそも、部長から係長までの降格、逆に係長から無精まで昇進するのにどれだけの時間が必要であったかを考えてみていただきたいのですが、この処分の重さは異常です。いったい何がこの一件をそこまで重大視させるのでしょうか? 絶対に犯されてはならない秩序として上下関係があり、批判とは常に上から下へと行われるもの、その上下関係が崩されることがあってはならない、許されてはならない、そんな意識が働いているのではないでしょうか。部下が上司を批判しただけでこれほどの降格人事、それを高裁が承認する、ここに「上」の「下」に対する恐れと後ろめたさ――すなわち白人農場主が黒人奴隷に抱いていたのと同じ感情――を感じたのは私だけでしょうか?

 

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壺三の詩

2007-01-30 00:45:25 | 文芸欄

詠み人知らず

      _______
      \      /
       │    │
       │    │
       │    │
       │    │ 
  /⌒ヽ__// ∥\\__/⌒\
  ( ◯ / /)  (\\ ○ )
  \ / ./● I  I ●\\/ 
   /  // │ │ \_ゝヽ   
   /     /│  │ヽ    ヽ
  /    ノ (___) ヽ    |
  │     I    I      |   やあ
  │     ├── ┤     |
  \    /   ̄  ヽ    /
    \    __   '  /

ようこそ「美しい国」へ

この残業はサービスだから、まず死ぬまで働いて欲しい。

うん、「タダ」なんだ。済まない。
地獄の沙汰もって言うしね、残業代を払おうなんて思っていない。

でも、この法案を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
「人生\(^o^)/オワタ」みたいなものを感じてくれたと思う。

過労で死んで次の世で再チャレンジする、そういう気持ちを忘れないで欲しい、
そう思って、定率減税やめて増税したんだ。

じゃあ、土日も出勤してもらおうか。

 

 ←人生\(^o^)/オワタ

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中山補佐官が蓮池氏に圧力

2007-01-29 22:52:34 | ニュース


中山恭子拉致担当補佐官が蓮池薫氏に“圧力電話”(ゲンダイネット)

 拉致担当の中山恭子首相補佐官が、拉致被害者の蓮池薫氏に“圧力電話”をかけていたと、26日発売の「フライデー」が報じている。

 コトの発端は、今月17日の電撃訪朝から帰国した山崎拓元副総裁と薫さんの兄・透氏との面談だ。当日のテレビや翌日の新聞は「透さん、山崎氏訪朝を評価」などと伝え、透氏の「弟も喜んでいる」という発言も報じられた。

 この面談にカリカリしていたのが安倍首相。実は、17日の定例会見で記者団から山拓・透面談を知らされた。執務室に戻るなり、顔を真っ赤にして「なんで、そんな重大事を自分に伝えない!」とスタッフを怒鳴り上げ、スッ飛んできた中山補佐官は、即座に薫氏本人に電話。「喜んだ」という報道を撤回するよう圧力をかけたというのだ。

 フライデーの取材に透氏は「弟に、中山さんから電話がかかってきたというのは聞いています」と事実を認め、「なぜ(官邸は)大騒ぎするのかな。自分たちが何もしていないから後ろめたいのだろうか」とコメント。弟の発言を撤回したのは、「もともと間違い」と話している。

 「対話と圧力」を掲げる日本の北朝鮮外交、エロ拓こと山崎氏が北朝鮮へ対話に出かけたところ、政府支持層から非難囂々、産経新聞などはいきり立つあまり、エロ拓が松茸を加えてどうこうと政治とは全く関係のない事柄まで掲載する有様でした。そこで、当事者である拉致被害者側の反応はどうだったでしょうか?

何が起きているのか「拉致家族会」(ゲンダイネット)

 山拓氏と蓮池透さんの会談は、透さん側の申し込みで、17日、都内のホテルで行われた。平沢勝栄代議士などが同席する中で、透さんは「政府のやり方では解決できない。ただ時間だけが過ぎる中で(山崎訪朝は)風穴を開けた」「弟(薫さん)も喜んでいる」といった発言をしたらしい。

 翌日の新聞は、「透さん、山崎氏訪朝を評価」「安倍政権の強硬路線に家族からも疑問符」などと報じた。

 ところが、そこから事態は急転だ。会談の内容を知って家族会が緊急会議。「山崎訪朝は評価せず」「二元外交だ」との見解をまとめ、蓮池さん兄弟も「喜んでいるなんて言っていない」「山崎氏に利用された」と語り、おかしな雲行きになっているのだ。

 家族会の大半が山崎氏の訪朝を感情的な怒りのコメントで迎えたのに対し、どうも蓮池氏は様子が違った模様です。これは、拉致問題の解決を望む側であれば当たり前の反応かも知れません。「対話と圧力」などと口にしながら一方的に対話を拒み、海の向こうから北朝鮮を非難するだけの圧力一辺倒の強硬路線が続いた結果、当然のように交渉は途絶え拉致問題の進展は完全に止まってしまいました。そんな中で何とか交渉の窓口を作ろうとした山崎氏の行動は一定の希望を託せるものであったのでしょう。

 ここで思い出されるのは、彼ら拉致被害者が帰国した当時のことです。彼ら拉致被害者が両国政府の合意の元で日本に一時帰国した際、彼らの何人かは今一度北朝鮮に戻ろうとしました。いったんは日本に戻り、その後で北朝鮮に戻るとの約束であったために、国家間の約束を守るという意味では当然の判断でしたし、彼ら拉致被害者の中には家族を北朝鮮に残しているものも多く、それを放り出してしまうことができるはずもありませんでした。

 しかし、両国間の約束を反故にしただけでなく当の拉致被害者の意志すらも無視して、拉致被害者たちは日本に留めおかれました。せっかく開けた解決のための窓口は再び閉ざされ、拉致問題は解決されるべき問題から北朝鮮非難のための大義名分へと変容することになりました。

 その当時、一度北朝鮮の家族の元に戻ろうとした拉致被害者たちを周囲の人々は「洗脳されている」と断言しました。戻ろうとする拉致被害者は洗脳されているから、北朝鮮に命じられてそう発言しているだけ、そのように扱われることで彼ら拉致被害者の意思は圧殺されていました。代わって拉致被害者の意志を代弁したつもりになっていたのが周囲の家族会で、彼らは拉致被害者の代弁者として北朝鮮への恨み辛みを語り、日本に残る意思を表明しました。拉致被害者当人は北朝鮮に洗脳されているからその発言は正しいものではない、家族会の主張こそが正しく被害者の意志を伝えている、そんな論調が今に至るまで続いてきたわけです。

 そんなわけで北朝鮮政府の元で北朝鮮のプロパガンダを叩き込まれてきた拉致被害者たちは、日本に戻るや今度は家族会のプロパガンダを叩き込まれることになりました。北朝鮮にいても日本にいても、自分の意思ではなく政府の意思、周囲の圧力団体の意思を語らされる、その点ではあまり変わりのない日々が続いているのではないでしょうか?

 そこで今回の中山補佐官による圧力電話「おまえは自分の意思ではなく政府の意思を代弁しろ」と、そんなところでしょうか。いつまでたってもやり口が変わらないようです。

So much for Abe's reconciliation policy

 早くも安倍と彼の右派支持層は、2002年9月に5人の被拉致者を北朝鮮から解放させた小泉の成功を否定する動きに出ている: 彼らがもっと多くいると主張している被拉致者(北朝鮮が存在しないあるいはすでに死亡したと説明している人も含めて)、を解放しなければならないといい始めた。この問題の解決には対決ではなく直接交渉が必要だと、小泉は早くから覚っていた。安倍路線は、こういうアプローチははなから拒絶する。その一方、この問題が解決しないこと自体を、反北朝鮮的、強硬路線的な方向へ、日本の軍事、その他の政策を推し進める口実に利用する。


 

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給食費が払えない

2007-01-28 16:43:59 | ニュース

給食費滞納、全児童生徒の1% 総額22億円(朝日新聞)

 給食を実施している全国の国公私立の小中学校で、全児童生徒の約1%にあたる10万人近くが05年度に給食費を滞納し、滞納総額は22億円余りになることが24日、文部科学省による初の調査でわかった。滞納がある学校は全体の約44%。滞納の理由について学校側は、60%の子どもについて「保護者としての責任感や規範意識」の問題、約33%については「経済的な問題」と見ている。

 滞納した児童生徒がいるのは43.6%の1万3907校で、総額4212億円余の給食費のうち0.5%の22億2964万円が滞納された。滞納した児童生徒は計9万8993人で、小学校で6万865人、中学校で3万8128人。

 PCトラブルのために少し時機を逸してしまいましたが、つっこみどころ満載のこのニュースは是非お読みいただきたいところなのです。世の中には産経新聞しか取り上げないニュースもあれば毎日新聞しか取り上げないニュースもあるなど、各新聞の問題意識によってニュースは取捨選択されています。そんな中でこのニュース、給食費の滞納問題は大手新聞社が足並みを揃えて取り上げました。どうやら全国民に関わる重大な問題として各新聞社の意見が一致する深刻な課題のようです。

 記事によると22億2964万円にのぼり、これは総額4212億円余の給食費のうち0.5%に相当するそうです。つまり、今まで一人あたり200円でやりくりしていたのであればその0.5%に相当する1円が未納、従来200円でやりくりしていたものが199円でやりくりせねばならないことになるわけです。ワォ、こいつは深刻な問題だぜ! ちなみに国民年金の未納率は平成16年度で36.4%、滞納も含めれば半数近いでしょうかね。ついでに言えば日本政府は国連分担金を毎年滞納しています・・・

 滞納の原因について学校側の見方を選択式で尋ねたところ、保護者の姿勢を問題としたのが60.0%で、保護者の経済状況をあげたのは33.1%だった。

 どんな選択肢があったのかが気になりますが「保護者としての責任感や規範意識」を滞納の原因として選択した人が6割に到達。反動教育の成果でしょうか、教育現場でも規範意識の論理は確実に浸透してきているようです。そこでもう一つ気になるのが、滞納の原因は何か?ということです。

 このニュースはほとんどの全国紙で取り上げられているにもかかわらず、不思議なことにどのメディアも滞納の原因には触れていません。ただ、学校側への聞き取り調査の結果――60%の子どもについて「保護者としての責任感や規範意識」の問題――を紹介するだけです。そこからわかるのは学校側では保護者の規範意識に原因を求める人が6割を占めていることであって、実際の原因は推測するほかありません。

 いずれにせよ問題に対処するにはまず原因を正しく把握することが重要であり、それに対する感想を聞くのは後回しでも良さそうなものです。しかるにこの文部科学省の調査では給食費滞納の原因は公表せず(調査はしたのでしょうか?)、ただ給食費滞納の原因はなんだと思いますか?とアンケートを採っただけでした。これではただの世論調査です。

 児童生徒の数で見た都道府県別の「滞納率」は表の通り。沖縄が6.3%と突出しており、北海道(2.4%)、宮城(1.9%)、福岡、大分(1.6%)などが続いた。

 唯一データらしいデータといえばこんなところ、日本で最も経済的に立ち後れている沖縄の滞納率が傑出しており、次に来るのが最北の地である北海道、いずれも景気回復から取り残された人の多そうな地域です。この辺から推測される限りではやはり滞納の原因は経済的なものが大半であるように見えますが、とにかくちゃんとした調査が求められるところです。

 ちなみに滞納費の総額22億2964万円は、多連装ロケットシステムMLRS1台19億3933万円とOH-1観測ヘリコプター1機24億4750万円の中間くらいの値です(兵器の値段は2003年度のもの)。これが高いか安いかは読者諸兄の判断に任せます。ついでに言えばこの調査にかかった費用はどれくらいでしょうか?

 過去と比べて給食費の滞納が増えたかどうかについては、「かなり増えた」が13%、「やや増えた」が36%で約半分の学校が増加傾向とした。「やや減った」は9%、「かなり減った」が3%で、「変わらない」は39%だった。

 これもただの世論調査であり、実態を表したものではありません。実際に滞納が増えたかどうかの調査は行われず――もしくは公表されず、ただ学校の先生の考えるところでは「かなり増えた」が13%、「やや増えた」が36%。この調査からわかることは、実際に滞納が増えたかどうかは不明ながらも滞納が増えたと考えている人が全体の49%存在するということだけです。

 これと似たような例として思い起こされるのは、凶悪犯罪、少年犯罪、外国人犯罪などを巡る言説です。これらの犯罪は実際には増えていない、むしろ長期的には減少傾向にあるにもかかわらず、世論調査では増加しているとの回答が多数を占めがちです。現実では問題が減少象に向かっている場合でも、逆に増加していると勘違いした回答が得られる場合が時々あるわけでして、その一つが凶悪犯罪の問題であり、そしてもう一つが給食費滞納の問題なのかもしれません。

 もっとも凶悪犯罪に関しては、微罪を見逃さないことで検挙数を稼ぐ努力の結果であるとはいえ、検挙数の増加という一応の論拠があるだけにまだ世論調査の結果も納得できるものがあります。しかし給食費の滞納に関しては、そもそもデータに隠された部分が多すぎです。わかっているのは全体の0.5%相当が滞納され、沖縄など経済的に立ち後れた地域で滞納が多いことだけ、これを論拠に増加したか減少したかを語ることは不可能であり、ただ個人的な体験に基づく感想を述べることしかできないはずです。

学校給食費 「払わない」は親失格だ(朝日新聞)

 なぜ滞納するのか。文科省が学校の見方を聞いたところ、経済的な事情で「払えない」保護者が33%、払えるのに「払わない」保護者が60%だった。

 給食費を集めたり、保護者に払うよう求めたりしている教職員の判断なので、実態を反映した数字とみていいだろう。

 経済的な事情で払えない場合には、就学援助の制度や、生活保護による教育扶助がある。しかし、文科省によれば、保護者が就学援助制度を知らなかったり、教育扶助の資金を他に使ったりする家庭が多かった。

 その憤りと断言に満ちた論調が産経新聞を彷彿とさせる1月28日付の朝日新聞社社説の中から、それほど感情的ではない部分を抜粋しました。例によって単なる世論調査と実態調査を混同した上で断言を積み重ねており、上記引用の論者も「金があるのに払わない奴が6割もいる、けしからん!」とそんな論調なのですが、その中から実際には多数を占めるであろう経済的な事情による滞納者に触れた部分がここです。

 曰く「就学援助の制度や、生活保護による教育扶助がある」と。しかし日弁連の調査によると生活保護の拒否66%は「違法」(初出は朝日新聞、掲載期限終了のため人民網にリンク)

 失業や病気で生活できなくなった人を支える生活保護制度について、日本弁護士連合会(日弁連)が電話相談を実施したところ、自治体窓口で保護の申し出を拒否されたうち、66%が自治体の対応に生活保護法違反の可能性があることがわかった。保護申請書を渡さないケースがほとんどで、病気で生命の危険があったのに働くよう求めたり、生活が苦しい親族に援助してもらうよう説得したりしたケースもあった。日弁連では、保護費を抑えようとして申請をさせない「水際作戦」が広がっているとみている。

 他人を断罪しようとする前に、もう少し現実に目を向けるべきでしょうね。

 

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何とか戻ってきましたが

2007-01-28 14:34:53 | 編集雑記


 HDD換装にて復活しました。

 2ヶ月前にPCを切り替えまして、そのときにバックアップをとっていたのですが、そこから先はまだ環境の移行期間ということでほとんどバックアップはなし。

。・゜・(ノД`)・゜・。 

 そんなわけで2ヶ月分のメモ書きが消滅しました。またネタ集めはやり直しです。

 これから各種アプリも再インストールしなきゃなりません。今週はPCのトラブルと通院だけで土日が終了する予定。その辺が片付けばまた会社です。

 

 ←ウァーン・゜・(ノД`)ヽ(゜Д゜ )ナクナ

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。・゜・(ノД`)・゜・。 うえええん

2007-01-25 22:25:21 | 編集雑記

 またPCが逝かれました。

 前回11月にトラブルが頻出して12月に買い換えたばかりなのでまだ購入してから一月半なのですが・・・

 今回の流れは、

 ハングアップ→強制終了→再起動せず 三 (lll´Д`)

 一向につながらないサポートと1時間ほどやりとりの末、システム領域もしくはHDDが物理的に破損の可能性が濃厚と・・・

 そんな訳で今日は他人のPCからお届けします。myPCの復旧は試みますが、たとえHDDが無事でもデータは死亡確定の見込み、書きかけの原稿が・・・収集した資料が・・・練り上げた環境設定が・・・夜な夜な積み上げたゲームのデータが・・・

( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

 実は先日、会社のPCまで壊れました。もうPCを10年以上、使い続けているわけですが、今までに壊れたのは学校、会社を含めても1度きりでした。それがこの二ヶ月で3台も崩壊、毒電波でも出ているのでしょうか・・・

 昨年末のトラブルに懲りて、PC依存度の高すぎる生活を見直そうと思ったですが、相変わらずテレビを見るのもDVD見るのも音楽を聴くのもPC、ニュースを調べるのも原稿を書くのもPC、趣味は相変わらずパソコンゲームと2ちゃんねるです。ついでに私の携帯はネットにつなげません。

 ファイルが壊れているだけなら再インストールでどうにかなるかもしれませんが、今回は急なトラブルのためにバックアップを取れていないのが深刻です。う~ん、友人のPCやネットカフェから日に一度のチェックくらいは出来そうですが、落ち着いて原稿を書くのは無理っぽい・・・

 しばらく瞑想の日々を送ることになりそうで、ブログの更新が途絶えるかもしれませんが、見捨てないで下さい。ハァ・・・

 

 ←ウァーン・゜・(ノД`)ヽ(゜Д゜ )ナクナ

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社長の子は他所の子よりも高いのだろうか?

2007-01-24 23:24:52 | ニュース

「50歳で社長」認めず算定、ヤマダ電機賠償訴訟 前橋(朝日新聞)

 家電量販最大手のヤマダ電機(本社・前橋市)の山田昇社長の長女直美さん(当時26)が02年12月、前橋市内で乗用車にはねられ死亡した事故をめぐり、社長夫妻が男性運転者に対し、慰謝料を含めて計7億2691万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、前橋地裁であった。小林敬子裁判長は男性に6702万円の支払いを命じた。原告の主張する賠償額は、直美さんが将来、ヤマダ電機の社長を継ぐことを見込んで算定したが、同地裁はその特別な事情をくむ認定はしなかった。 03年4月に同地裁で言い渡されたこの事故の刑事裁判の判決では、男性が脇見運転をして赤信号のまま交差点に進入、青信号で歩いて横断していた直美さんをはねるなどして死亡させた、と認定している。

 訴状で原告側は、直美さんが入社3年目で、同社の課長職である社長室長だったことから、35歳で取締役、50歳で社長に昇進していたと想定し、将来得られるであろう収入「逸失利益」を5億7215万円と算定。一方、被告側は「全労働者の平均賃金」をもとに計算した4277万円が妥当と主張していた。

 この記事から分かることは、ヤマダ電機とは山田さんの会社であり、将来的にも山田一族の会社として世襲していく予定だったということでしょうか。ともあれ死んだ人に罪はありません、ご冥福をお祈り申し上げます。

 曰く「35歳で取締役、50歳で社長に昇進していたと想定し、将来得られるであろう収入「逸失利益」を5億7215万円と算出」、上場企業の社長の割には控えめにも見えますが、それでも「全労働者の平均賃金」の約14倍、給与所得に限ればこんなものでしょうか。ともあれ入社3年目で課長職相当、35歳で取締役就任が既定路線とは何とも明るい未来、それが世襲によって得られるものであるのならなおのこと妬ましく思われることもあるでしょう。

 子供の命はいわゆるひとつのプライスレスですし、この手の訴訟では原告被告どちらか片方の主張が一方的に受け入れられることは滅多にありません。ですから原告側が戦略的として多めに請求することは非難されるべきことではないのかもしれません。その結果は被告側の主張から少し歩み寄った形で判決6702万円也。

 ただ、この裁判での原告側の主張が非常に危険なものであることは指摘しておかねばなりません。この裁判において原告は、被害者が将来的に社長になるとの前提で賠償を請求したわけですが、ここで使われる論理が富裕層ではなく貧困層にも適用されるとしたらどうでしょうか?

 格差の拡大に警鐘が鳴らされている中で、とりわけ危険視されているのが格差の固定化、特に貧困層の子弟が成人後もそのまま貧困層に止まる格差の世襲化であります。政府の首相も世襲政治家なら経団連のトップも親族から社長の地位を継いだ二代目、ヤマダ電機でも社長の座は自分の子供に継がせることを当然視しているなど、特権階級及び富裕層の世襲による固定化が今なお非常に顕著です。この特権階級、富裕層への道が中流以下の層に対しても開かれており、それが対等な条件の下で上昇の機会を用意されているのであれば競争社会として一面では肯定することも可能なわけですが。

 しかるに現状では機会の平等すら怪しく、下流から中流へ、中流から上流への移動が稀なケースとなりつつあります。統計上も親の収入が子供の就学状況、進学状況と強く相関しており、当然のように低賃金の親の子は低学歴で低賃金の職へ、高収入の親の子は高学歴で高収入の職へと、親の社会的地位をそのままなぞるケースが増加しています。社長の子は社長になり、貧乏人の子は貧乏人に、生まれた時点での有利不利がはっきりと存在し、越境が非常に困難となっているわけです。

 そこで社長は自分の子供の損害賠償として、うちの子は社長になるのだから社長としての取り分を補償すべしと主張しました。ではこれが貧困層の子だったら? 社長の子が社長になるのが当たり前なように、貧乏人の子は低賃金の職しか選択肢がないのが現状です。故に、貧乏人の子はろくな仕事には就けないだろう、だからそれ相応の金額を補償すべし、と。

 競争社会を許容するための最低限の条件は、機会の均等にあります。ですから誰にでも均等に機会があるとの前提で将来が予測されねばなりません。つまり、社長の子であってもパートの子であっても、将来的には機会が均等にあるとの前提が要求されます。社長の子が死んだとき、この子は将来は社長になるから高額の補償、パート従業員の子が死んだとき、この子は将来まともな職に就けないだろうから低額の補償、それでは機会の均等を認めているとは言えないわけです。

 とはいえ現実には、機会は著しく不均等なのです。パート従業員の子はヤマダ電機の社長にはなれません。その辺りをよく分かっているからヤマダ電機の社長は高額の慰謝料を請求したのでしょう。しかし司法には現実を追認するのではなく不正をただす役割も求められます。公正な競争社会に必須である機会均等の原理に基づくならば、社長の子もパートの子も同じ機会を持つものとして裁かねばなりません。もし社長の子に特別な補償を認めるようであれば、それは機会の不均等を追認し、司法がお墨付きを与えて機会不平等を推し進めるようなものです。そこで今回の判決、親のコネとはいえ若くして課長職とあって通常労働者の5割り増しの判決となりました。これをどう評価すべきでしょうか?

 

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自民党政治家よりもすごい人

2007-01-23 23:18:17 | ニュース

与党で戦いぶりに評価の声 「米シュワ知事みたいに」(共同通信)

 与党内で22日、宮崎県知事選で当選したそのまんま東氏の戦いぶりを評価する声が相次いだ。保守分裂による「漁夫の利」以上に、そのまんま東氏の候補者としての「魅力」が勝因との受け止め方が広がっており、与党としても素直にかぶとを脱がざるを得ないようだ。

自民党の谷津義男選挙対策総局長は記者団に「お笑いのような選挙をやったわけではない。他の候補者よりも宮崎県のことを考え、一番県民を引き付ける演説をした。自民党推薦候補の方が数段劣る。タレント候補ではない。ただ者ではないと思った」と手放しで称賛。公明党の太田昭宏代表も全国県代表協議会で「宮崎県知事選は、そのまんま東候補が一番真剣で、一番懸命に訴えていた。その姿が県民に受け入れられたのだろう」と強調した。

 野党候補が自公連立の分厚い壁のまでに次々と敗れていく中、自民党候補に圧倒的大差をつけて宮崎県知事に当選したそのまんま東さんに関する論評です。勝者を讃える意味合いでしょうか、戦前とは打って変わって東氏への讃辞が激増しています。今では東氏が芸能界を離れた後でかなり真剣に学んできたことも語られるようになり、単なるタレント候補ではないという評価に変わりつつあります。投票前はそんなに高い評価ではなかった気もするのですが、当選後は随分と各所の期待を集めているようです。

 肯定的に見れば、無党派の力で自民党を凌駕したこと、何かを変えてくれる可能性を秘めていると、そう見ることもできます。しかし今になって東氏の当選に賛辞を送っている人々が、選挙前に東氏を応援している姿を見た記憶がないのが気になります。今になってこれだけ東氏を賞賛できるのなら、なぜ選挙期間中に東氏をもっと支持できなかったのか? 意地悪な見方ではありますが・・・

 私は東氏の談合に肯定的なところを高く評価しているのですが、それはさておきやはりタレント候補は強いなぁ、と。シュワルツェネッガーも横山ノックも、石原裕次郎の兄も青島幸男も、後付でいろいろな理由付けはできるわけですが、やっぱりタレント候補は強いわけでそのタレント力は自民党すら寄せ付けないもの、民主党なんかは足元にも及ばない集票力があるわけです。だから、理想を捨ててでもなりふり構わず自公政権の打倒を狙うのであれば野党共闘よりタレント路線の方が現実的にすら見えるのですが、この辺はどうなんでしょうかねぇ。

有権者は政策で首長を選べ!
宮崎県知事をそのまんま東に任せる愚かさ

宮崎県知事選でなんとそのまんま東が当選した。
自民党は保守分裂を悔やみ、民主党は地方組織の弱さを露呈したわけだが、負け比べではすまないほどの結果に両党ぼう然自失だろう。

泡沫候補扱いだった元タレントを勝利させた宮崎県民は一体何を考えているのだろうか?
芸人出身では横山ノックが知事としていかにお粗末であったか散々見てきているにもかかわらず宮崎県民はこの男を選んでしまった。
未成年を雇ういかがわしい店に出入りし、暴力で警察の厄介になった人間に行政を任せるとは正気の沙汰ではない。
また彼は2度離婚しているが、家族の長をしっかり務めることができない人間が県の長とは冗談にもならない。

 政策で主張を選べ!というこの人の意見には同意できます。しかし、一読して分かるように上記引用の著者である糸山氏は東氏の政策への批判は一切行わず、その素行だけをあげつらっています。結局のところ政策を重視せよと語る論者ですら政策を語らずスキャンダルを語る有様、東氏の支持者にしたところで政策への支持よりも人柄云々への曖昧な期待が勝るのではないでしょうか。横山ノックだってクビが飛んだのは政策の誤りではなくセクハラによるものであり、府民の関心は政策ではなくスキャンダルにありました。それだけに後付で東氏の政治姿勢を賞賛している人達が東氏の政策をどれくらい知っているのかもやはり疑わしい、そうではなくタレント候補であることの強みこそが勝因とみた方が素直と思われます。

「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ

 フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を紹介した7日放送分にデータ捏造(ねつぞう)などの問題が判明し、制作した関西テレビ(大阪市)が20日、発表した。番組では、納豆を食べた被験者の中性脂肪値が正常値になったとコメントし、字幕で数字をつけて紹介。だが実際には測定しておらず、他の実験でも測定や検査をしないまま、架空の数字を番組で流していた。会見した千草宗一郎社長は「放送局としての信頼を著しく損ない、視聴者の信頼を裏切ることになり、誠に申し訳ない」と謝罪した。

 こちらは今更ながらの捏造事件、納豆で痩せられるとデマを流したところ、全国の小売店から納豆がことごとく売り切れる事態に発展、しかるに数日で嘘がばれたと。

 やっぱテレビの影響力は絶大なのです。いくらインターネットが普及したところで依然としてテレビの優位は揺るぎません。内容が嘘っぱちでも、テレビで紹介されたことであればそれを信じ込む人は後を絶たず、検証する人はなかなかいません。今回の納豆事件はテレビが国民を騙すことができることを証明しました。テレビの吐く嘘は真実よりも影響力が強いようです。

 そこで、テレビ界随一の扇動家にしてタレントであるみのもんた氏、個人的には嫌いな人ですが、みのもんた氏の影響力は絶大です。彼がその気になれば日本中の小売店からココアや納豆を消滅させることなど造作ありません。そんな彼がもし選挙に出たら・・・

 みのもんたが選挙に出たら、自民党では歯が立たないでしょうね。それどころか自民党と民主党が手を組んでも負けるでしょう。テレビの力とタレント力を最高レベルで身につけたみのもんたに選挙で勝てる人など存在しません。みのもんたが選挙で勝つことが有権者の幸福につながるかは疑わしいですが、とにかく勝てる候補であることには間違いありません。そこで選挙戦術に当たって理想論より現実論を語る人は、もっとタレント候補の可能性を真剣に検討すべきではないでしょうか。私は理想家なので支持できる政党に投票しますが、ね。

 

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恥じることはなにもない

2007-01-23 00:40:54 | ニュース

オランダに売春婦を称えるブロンズ像が登場へ(ロイター)

 [アムステルダム 19日 ロイター] オランダのアムステルダムにある赤線地帯に近々、世界中の売春婦を称える像が登場する。

 オランダ通信(ANP)によると、この像は元売春婦のマリスカ・マヨールさんが芸術家に製作依頼したブロンズ像で3月末にお披露目予定。

 マヨールさんは「多くの国々で、売春婦たちは苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていない。像は売春に携わる全ての男女に力を与える意味がある」と像を設置する理由を述べた。

 ここ数年は後退の傾向こそ見られるものの、非国民通信社の独自基準では世界の最先端を突っ走るオランダからのニュースです。まあ内容はご覧の通り、売春婦を讃える銅像を制作中、公開予定とのことです。一方その頃、日本ではというと・・・

OZMA裸問題 政府レベル協議へ(スポーツニッポン)

 昨年大みそかのNHK紅白歌合戦でDJ OZMA(年齢非公表)と共演した女性ダンサーが裸に見えるボディースーツ姿で踊った問題をめぐり、政府の教育再生会議は19日、放送倫理・番組向上機構(BPO)などとの意見交換を検討する方針を決めた。山谷えり子首相補佐官が記者会見で明らかにした。

 この日の全体会議では、出席委員が問題の録画映像を視聴した上で、未成年向けのテレビ放送の在り方について論議。委員からは「孫と見ていたが、とんでもない」「ショックを受けた」などの意見が相次いだ。

 これを受け再生会議は、BPOのほか公共広告機構(AC)、日本広告審査機構(JARO)などと協議する必要があるとの認識で一致。山谷氏は会見で「子どものテレビ視聴について社会、家庭は関心を持ってほしい」と強調した。

 視聴者からの非難囂々だったOZMA氏のおっぱいスーツ問題でとうとう政府が腰を上げた模様です。やはり日本は性的な表現に厳しい。性的なものを忌避すべきもの、恥ずべきもの、隠すべきものと見なす傾向が強まっているのではないでしょうか。性的なものを表の世界から隔離し裏の世界に封じ込めようとする日本から見ると、性産業の女性が堂々と立ち上がったオランダに尊敬の念を感じないでもありません。

 「多くの国々で、売春婦たちは苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていない。像は売春に携わる全ての男女に力を与える意味がある」ここで売春に携わる女性とせずに男女としたところに深みを感じる発言ですが、何はともあれ売春婦達は苦労しているのに敬意を払われていない現実があるわけです。性的なものを隔離したがる日本社会ではなおのこと、性産業従事者の裏の世界の人間、自分達とは違う世界の人間として見る傾向すらあります。しかし、人に必要とされているからこそ売春婦などの職業があるわけで、人に必要とされている職業を立派に勤め上げている人が蔑視される謂われはないはずです。

 これは何も性産業従事者だけに当てはまるものではありません。たとえば勝ち組と負け組、ホワイトカラーとブルーカラー、正規雇用と非正規雇用、エリートとワーキングプアの関係においても同様です。富裕層から貧困層への軽蔑、自分とは別の世界の生き物であるとする意識は確実に存在します。しかし、低賃金のブルーカラーであっても、非正規雇用のワーキングプアであっても、何らかの点で必要とされる役割を果たしているのであれば、貧しくとも敬意を得るに値するのではないでしょうか?

 たとえば掃除のおばさんに挨拶されても平気で無視する背広組もいるわけですが、たぶん彼らエリートサラリーマンから見れば掃除のおばさんなんてのはまさしく別世界の存在であり、自分と同じ人間とは思っていないのでしょう。とはいえ、オフィスを掃除してくれる人がいなけりゃ当然、困るわけです。掃除のおばさんだって社会から必要とされているわけで、その必要とされる役割をきっちりと果たしている。ならば当然、敬意を持たれるべきなのです。格差社会の存在が浮き彫りになり、それを肯定する人もいれば否定する人もいる中で、格差は賃金だけではなく人間の尊厳にまで及んでいます。職業上の地位によって畏敬される人がいる一方で、蔑視される人もいる訳です。そんな尊厳の格差社会に売春婦の銅像が抗議の声となってくれるでしょうか?

 

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共闘への道、乗り越えるべき課題

2007-01-22 00:09:45 | 非国民通信社社説

 参議院選に向けてはまだ時期がありますが、野党共闘を巡る論議は活発化の傾向を見せています。火をつけたのは先日の共産党志位委員長による民主党批判でしょうか。どうやらこのままでは野党共闘は実現しそうにない、それで危機感を感じているブロガーも少なくないようです。

 野党共闘を訴える人々の主流となるビジョンは、民主党に共産党が協力することで自民党政権を打倒するというものでしょうか。このため、打倒すべき相手である自民党ではなく、協力すべき相手である民主党への批判はお門違いだ、利敵行為だ、そんな見解が表れてきます。

 ただ民主党の側から見れば共産党からの批判が共闘の妨げに見えるのかもしれませんが、逆に共産党の側から見れば民主党――それ以上に民主党支持層からの批判が共闘の妨げになっている側面もあります。つまり民主党のために道を譲らない共産党、民主党のために投票を呼びかけてくれない共産党への批判は反自民のブロガーや言論人の間で根強く、これがお互いの溝を深めているわけです。たとえば森田実氏など「民主党は共産党批判を強めるべきである」と断言していますが、そんなやり方で協力が得られると考えているのであれば思い上がりも甚だしいと言わざるを得ません。

 与党側の共闘に目を向けてみると、公明党が自民党の政策を批判することは時々あります。ホワイトカラー・エグゼンプションに公明党は反対しましたし、共謀罪にもかなり及び腰で賛成したくないようです。そこで共産党の民主党批判が間接的に自民党を助けてしまう利敵行為であるというのなら、公明党の自民党批判はどうでしょうか? 間接的に野党を助けてしまう利敵行為であり、政権維持のために控えるべきものでしょうか? 公明党の場合は政権維持を優先して結果的に自民党に追随するのがいつものパターン、おかげさまで与党共闘は大成功、自公政権は盤石です。共産党と民主党の関係もこうあるべきでしょうか?

 先だって国民新党と社民党が国民投票法案への反対で共闘することを表明しました。国民新党は明白な改憲派であり、憲法改正への布石である国民投票法案に賛成する可能性が憂慮されていましたが、亀井幹事長曰く「わが党は改憲の立場に立つが、自民党新憲法草案を成立させるための国民投票法案を慌ててやる必要はない」。改憲には賛成するものの、自民党の独走への警戒感から反対勢力として釘を刺す役割が必要と考えたのでしょうか? 一方で民主党の鳩山幹事長は賛成の意向ですが・・・

 現在、政府自民党を牛耳っているのはタカ派、新自由主義者、右派に偏っていますが、かつてはハト派や中道派が主導していた時期もありました。一方で現在の民主党は与党自民党と対決する必要性もあってかハト派寄りの中道路線を掲げていますが、新自由主義者や改憲論者が幅をきかせていた時期もありますし、小沢代表自身もかつては日本を代表するネオコンの論客でありました。だから、民主党が政権を取っても現在主流の中道派が失脚して右派が台頭すれば現在の自民党政権と同質のものとなりますし、逆に自民党が政権を維持しても、現在の主流である右派が失脚してハト派が勢力を盛り返せば一定の変化は期待できます。どのみち、現行の自民党にNO!を突きつける必要があるわけですが、民主党が勝てばそれで済むというものでもなさそうです。

 野党はただ反対しているだけ、と信じ切っている人が有権者の中には多いわけですが、困ったことに民主党はことあるごとに自民党に賛成してきました。今に至る労働の規制緩和が容易く国会を通過してきたのも民主党の協力あってのことです。現在でこそ対決姿勢を強めていますが、つい最近まで民主党は自民党の盟友でした。そんな民主党が打倒自公政権の盟主であろうとするのであれば、今まで自民党に賛成して労働規制緩和を進めてきたその政策を、誤りであったと公式に認めて欲しい気がします。もしそれができないのであれば、今見せている自民党への対決姿勢はあくまで政権獲得のためのパフォーマンスであり、政権獲得後は再び新自由主義路線に復帰するものと予測されても仕方ありません。

 それでも現状の自民党政権があらゆる面で最悪の政府となりつつあるのも事実です。彼らの政策は我々国民の生活や安全を脅かすものであり、断固として阻止されねばなりません。その点においては、このブログの読者の誰もが同意できるものと思われます。しかるに、そこから先で意見が分かれてくるのではないでしょうか? 自公政権は打倒されねばなりません、しかしとにかく自公政権を打倒すればいいのか?と。選挙まではまだ少し時間がありますから、一度立ち止まって考えてみて欲しいのです。サダム・フセインは問題のある指導者でした、イラク人民のためにサダム・フセインは打倒されねばならない――そこまでは合意ができていても、とにかくフセインさえ打倒すればよいとばかりに不適切な方法でそれを行った結果はどうだったでしょうか? フセインを捕縛、処刑しただけでは問題が解決しなかったように、自公政権を打倒するだけでは後々に禍根を残すばかりかもしれません。

 不勉強にして昔のことにはあまり自信がないのですが、昔の自民党と今の自民党のどこが違うのでしょうか? 昔の自民党であれば地方に利益を誘導して、利益を誘導してもらった人々が自民党に投票する、お互いの利益によって結びついていた側面が今より強かったのではないでしょうか。一方、今の自民党政権は企業経営者など限られた一部の特権階級に利益を誘導することはありますが、圧倒的多数を占める中流以下の階層へは利益を誘導するどころが締め付けを強めるばかりです。これでは中流以下からの支持を失い、代わって中流以下への利益誘導を唱える別の政党にとって代わられるのが当然です。

 しかし、自民党は支持を失いませんでした。国民に利益を与えなくても、自民党は支持を得られることに彼らは気づいてしまったのです。そこで彼らは遠慮なく、国家権力の拡大に走りました。もし自民党が中産階級以下への利益誘導をやめた時に、その多数派である中流以下が自民党への支持をやめていれば、たとえ自民党が政権を維持していたとしても、常に有権者からのプレッシャー、国民に利益を誘導しなければ支持を失い政権の座を追われる重圧に晒され、今のような暴走は不可能だったのではないでしょうか。

 これは民主党が相手でも同じことが言えます。自民党だから駄目、民主党なら大丈夫、ではなく、有権者から白紙委任された状態、無批判な状態が政権を暴走させるのです。だから民主党に対しても国民の利益を計らなければ支持を失うというプレッシャーをかけ続けることが必要であり、もしそれを怠って無条件の支持を与えるのであれば、必ずや自民党と同じく自己=政府の強化に走るでしょう。もし自民党打倒の最右翼だからと民主党の抱える様々な点に有権者が目をつぶるとしたら、それは民主党から見れば「国民は自民党打倒のためなら我々の問題に目をつぶって支持してくれる」こととなり、民主党の自民党化を後押しすることとなるでしょう。

 さて、そこで問われるのが共闘のあり方です。その一つが民主党に共産党が協力するもの、現段階ではこれが主流であり、実現しやすい形に見えるのかもしれません。しかし、他に選択肢はないのでしょうか? 逆に共産党に民主党が協力するという手もあります。共産党候補のいる選挙区では民主党は候補を立てない、民主党は支持者に共産党候補への投票を呼びかける、これも一つの方法です。私が巡回しているブログやTBをくれるブログの大半は消極的な民主党支持者が多いわけですが、「自民党よりはマシだから」という消極的な理由で民主に票を集めるばかりでなく、積極的に共産党に投票するのはいかがでしょうか?

 「死に票」という言葉を使う人がいます。この表現は意思を持って投票した人に対して失礼だと思うので私は嫌いなのですが、ともあれ当選に結びつかなかった票は「死に票」となるわけです。これは共産党だけでなく民主党でも同じで、当選しなければ同じ死に票です。この死に票の存在が惜しい、野党の票を一つに集められないか?というのが共闘論の一つのテーマですが、それが民主党候補に集められるべきものなのかどうか、それを確信するのはまだ早いように思われます。

 そもそも、多くの選挙区では自民+公明の票数が民主+共産の票数を上回っています。単純に共産党の票が全て民主党に流れたとしても、それだけで自公政権の打倒は不可能でもあります。野党共闘は一つの補強策にはなりますが、政権獲得のためにはさらなる策が必要です。

 有権者の投票傾向を以下の数値だと仮定してみましょう。公明党は自民の支援に回り、社民党は擁立を見送ったとした場合、大雑把にこれくらいの数値になるでしょうか。

自民党支持 : 31%     .
民主党支持 : 24% (26%)
共産党支持 :  5% ( 3%)
投票しない  : 40%     .

 全体の投票率が60%くらい、そのなかで民主党と共産党の票数を足しても僅かに自民党候補に追いつかない状況を考えるとこれくらいの数値が平均的なものでしょう。共産党支持層の中には野党共闘のため自主的に民主党候補に協力する人もいると考えると最終的には()内の数値ぐらいと見ます。この仮定の正確性はさておき、ポイントになるのは単純に民主と共産を足しただけでは勝てないということです。それは野党共闘が実現した沖縄知事選でも明らかであり、それに加えた新たな策が必要なのです。

後編へ続く

 

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