先日の記事で私は、過去を変えることは出来なくとも、未来に向けて改めることは出来ると書きました。これまでが公正ではなかったとしても、これから公正になることは出来る、と。ただ勿論それは、心がけ次第でもあります。現状に何の疑問も持たなければ、相も変わらぬポジショントークを続けることしかできないことでしょう。
例えば日本の公安は共産党を今なお監視下に置いていますが、その根拠は「暴力革命路線を捨てていない」からだそうです。ただ暴力革命が対象を危険視する理由になるのなら、2014年にウクライナで起こった政変は何だったのかと問いたくもなります。あれこそ正真正銘の暴力革命なのですが、どういうわけか日本を初めとする西側諸国では暴力による体制転覆に何一つ異議が出ないまま承認されています。選挙なしで体制を覆しても構わないと日本政府が考えているのなら、どうして「暴力革命路線を捨てていない」との理由で特定政党が監視対象になるのか、そこは筋が通りません。
ロシア側の発表もウクライナの大本営発表と同程度には割り引いて受け止める必要がある、真偽を確かめながら聞く必要がありますが、残念なことにこれは事実でした。日本の報道は「悪しき両論併記」が伝統であり、間違った情報が広められることもあれば、正しいことも伝えられている、適切に取捨選択さえ出来れば真実を知ることは不可能ではない──少なくとも最悪の状況には陥っていないと私は思っていました。ところが今回、我が国の公安は開戦前の記述を綺麗に削除してしまったわけです。
国際テロリズム要覧2021 > 極右過激主義者の脅威の高まりと国際的なつながり(公安調査庁)
2014年,ウクライナの親ロシア派武装勢力が,東部・ドンバスの占領を開始したことを受け,「ウクライナの愛国者」を自称するネオナチ組織が「アゾフ大隊」なる部隊を結成した。同部隊は,欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ,同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる。
幸いにして、web魚拓という形で公安が削除した記載を読むことは現時点で可能です。これすら消されるようであれば、日本もロシアに負けない情報統制が始まったということになりますが、今後はどうなることでしょうか。いずれにせよ、このアゾフ大隊はアゾフ連隊とも呼ばれウクライナ軍の一翼を形成しており、開戦前は上記の引用の通りに評価されていたものでもあります。ところがロシアとの戦争が始まるや、反ロの英雄みたいに扱われるようになったわけです。
「国際テロリズム要覧2021」中の「アゾフ大隊」に関する記載の削除について(公安調査庁)
「国際テロリズム要覧」は、内外の各種報道、研究機関等が公表する報告書等から収集した公開情報を取りまとめたものであって、公安調査庁の独自の評価を加えたものではなく、当該記載についても、公安調査庁が「アゾフ大隊」をネオナチ組織と認めたものではありません。
アゾフ大隊に関する記述を抹消した公安の言い分が上記となりますが、いかがでしょうか。いやしくも政府機関が公式に掲載した以上、それを公安の見解ではないと主張するのは無責任です。公安調査庁の発表は個人ブログの文章とは違います。もし公安とは見解が異なるのであれば、それは掲載しないなり説明を加えるなりの対応は必要ですし、何もなしに載せるのであれば、少なくとも公安として疑義を持つような類いの報告ではなかったということのはずです。
いずれにせよ、アゾフ大隊が開戦前までは「内外の各種報道、研究機関等が公表する報告書」によってネオナチ組織であると目されていたことは分かります。それをロシアと戦う上で不都合だからと覆い隠してしまう、なかったことにしてしまおうとする公安の姿勢には大いに疑問を持たれてしかるべきです。そして公安の本来の役目としてもどうなのでしょうか。
「敵の敵」を味方として贔屓目に扱うケースは、余所の国でもよくあることです。例えばアメリカは、親米政権を転覆させたイランの革命政権と戦わせるため、イラクをテロ支援国家指定から除外しサダム・フセイン政権への支援を行ってきました。そしてアフガニスタンの内戦に介入したソ連と戦わせるため、ムジャヒディン勢力に資金と武器を供給してきたわけです。
サダム・フセインが後にどんな運命を辿ったかは言うまでもありません。ランボー3では同志であったムジャヒディン戦士の中からはアルカイダが誕生し、彼らの一部は2001年にアメリカへ恩返しに訪れました。手を携えていた当時は「敵の敵」として都合の良い相手ではあったのでしょう。しかし時を経てツケを払わされたことは認識される必要があります。
アゾフ大隊に関しては、将来的にもわざわざ日本へ関わってくることはないのかも知れません。しかし「敵の敵」として贔屓目に扱ってきた相手から手痛いしっぺ返しを食らうことは、これに限らずあり得るわけです。そこで公安の果たすべき役割はどこにあるのでしょうか。ポジショントークで「敵の敵」の抱える問題には目をつぶる、そんな姿勢で公安が役割を果たすことが出来るとは、私は思いません。
公安に限らず日本政府、野党政治家の大半もウクライナからの大本営発表を信じるばかりで疑う姿勢を見せいてません。それは自分たちが「どちらの陣営に属しているか」旗色を明確にすることにこそ繋がりますが、一方で情報収集の面では絶望的に信用できない振る舞いであると言えます。日本の国益を考えるなら、特定の勢力へ一方的に肩入れするのではなく物事を俯瞰的に見る、不都合なものでも事実は受け入れる姿勢が必要ではないでしょうかね。