「そっちの投票用紙に変えてくれないか?」
「・・・どうぞ。」
「いや、やっぱりやめだ。そっちの用紙をくれ。」
「どっちも同じですよ。」
「そんなことは分かってるさ、でも選挙なんだから、何か一つでも選びたいじゃないか!」
今はなきソヴェト連邦では、選挙の投票先は共産党しかありませんでした。結果として、せめて投票用紙でも選ぼうとか、あるいは右手で用紙を箱に入れるか左手で入れるか悩む等々、ジョークが発展したわけです。現代でも選挙で選ぶものがない国が残存していたりもしますけれど、一部の国の選挙に限らず「選べない」ってのは本当は笑えない話でもあります。たとえば貧困によって人生の選択肢を奪われている人なんてのは日本でも珍しくない、というより21世紀に入って増加に転じてもいるぐらいですから。
先週、日本では電子マネーの普及が進まない云々に言及しましたが、積極的に使いたい人と、無理に使いたいとも思わない人の比率って、どれくらいなのでしょうね。とりあえず薄利多売の飲食店「経営者」からすれば、僅かでも手数料を取られる電子決済は「使って欲しくない」と思っているところが多そうですが――薄給の飲食や小売りの「従業員」からすれば僅かでも手間の減る電子マネーを「使って欲しい」と思っているのかも知れません。
「もう少し便利になれば」とか、「どこでも使えるようになれば」など、条件付きで使ってみたいと考えている人なら結構いそうですが、電子マネーも種類が多くて勝手が悪い、どれか一つは使えたとしても、「どこでも」「どれでも」使えるにはほど遠いのが現状です。ならば店舗を選ばない現金が便利と感じてしまう人も少なからず残る、やはり電子マネーの普及が進まないのも致し方ない、と思います。現金払いは遅れてる!迷惑!と意識の高い人が嘆息しても、何の意味もありません。
今のところ、使える範囲が最も広いのはSuicaでしょうか。ウチの職場の自販機でも、唯一Suicaだけは使えます。ただ私は、なんとなくSuicaを使いたくなかったりします。電子マネーに抵抗はありませんが、Suicaは嫌です。その理由は、冒頭のジョークと同じです。
……私にとってJRって、「他に選択肢がないから」使わざるを得ない会社のイメージが強いです。まぁ転居なり転職なりすればJRを使わないという選択肢も視野に入るのですけれど、逆に言えば転居や転職をしない限りは「JRしか(通勤の)選択肢がない」わけです。毎日のように遅延に付き合わされるとしても、他に選ぶ余地はありません。どんなに不満があっても(亡命しない限り)共産党に投票するしかないソ連の有権者よろしく、どんなに不満があってもJRに乗るしかない――そういう日々を送っていると、Suicaを使うか使わないかという選択が唯一の「(JRのサービスを利用するかしないか)自分で決められること」に思えてしまいます。まぁ、小さな拘りですが、とりあえずSuica以外の電子マネー事業者には頑張って欲しいです。ただし競争万歳で乱立するのではなく、統合する方向で。