非国民通信

ノーモア・コイズミ

それは解決にならない

2020-02-23 23:11:05 | 雇用・経済

「給料が高くて社員が辞めない中堅企業」169社(東洋経済)

大手企業ばかり考えている就活生は、志望業界の中堅、中小企業にも目を向けてほしい。今回、『就職四季報2021年版』(優良・中堅企業版)から、従業員数が1000人未満の中堅企業を対象に、平均年収700万円以上、かつ新卒3年後定着率80%超の企業を抽出。「平均年収が高く離職者が少ない中堅企業」として紹介したい。

(中略)

ランキングに掲載した会社の新卒採用数は少なく、2016年の同平均は11.8人だった。採用が1人の会社も4社ある。新卒採用や入社後の教育は、一般的に負担のかかるもので定着率も大手企業に比べて低い。その中で、3年後定着率が高い会社は、働きやすい職場環境を整備するとともに、人材育成を行っているものと推察される。

ランキングに掲載した会社のうち、上場していない会社は73社あり、未上場企業でも定着率の高い会社はある。大手企業ばかりにエントリーするのではなく、中堅企業まで視野を広げ、キラリと光る会社を見つけてほしい。

 

 こちらは「就職四季報」なる情報誌の編集長が書いたという記事ですが、いかがでしょうか。曰く「就活生は~中堅、中小企業にも目を向けてほしい」とのこと、就活業界では決まり文句の一つですけれど、それが就活生の役に立つかどうか疑問に感じないでもありません。中小企業に人を押し込みたい人の立場からはともかく、実際に働く人にとっては……

 そもそも引用元で挙げられている「中堅、中小企業」は規模こそ大企業でないかも知れませんが、中途採用を目指すような人にとっては完全に高嶺の花、というレベルです。名前が出ているのは例外的な優良企業揃いで、この辺のクラスの企業を看板に掲げて「中堅、中小企業にも目を向けて」と説くのは、それこそ典型的な羊頭狗肉と言えますし。

 根本的な問題は、こうした「中小でも優良」な会社は引用元でも認められているとおり、「採用数が少ない」ことです。「大手企業は狭き門、狙いは好条件の中小・中堅」と、訳知り顔で語る就活評論家は枚挙にいとまがありませんけれど、では中小に目を転じればどうなのか、少なくとも「中小でも優良」な企業に限れば、それもまた大企業同様の狭き門です。

 当たり前のことですが、離職率の低い会社とは、人員補充の必要性に迫られることがない会社でもあります。逆に離職率の高い会社であれば必然的に、継続的な人員補充を必要とします。単純に企業規模が大きければ、相応に人員補充=採用の機会も大きいことでしょう。しかし企業規模が小さいにも関わらず採用数が多いとしたら、そこには何があるのでしょうか?

 3年後定着率が高い――要するに辞める人が少ない会社であれば、代わりの人を新たに採用する必要はありません。それは企業規模に関わらず優良企業の条件の一つと言えますが、やはり企業規模に限らず「狭き門」へ繋がるわけです。反対に辞める人が多ければ、その分だけ代わりの人員募集も多い、「採用意欲が高い」会社となりますけれど、そういう会社を勧める人がいるならば、ちょっと警戒した方がいいと思いますね。

 前にも書きましたけれど、ウチの会社の親会社は新卒一括採用ですが、私の勤める子会社の方は通年・中途採用です。親会社の方は離職率が低いので4月の一斉入社でも困らない一方、子会社は離職率が高いので、年間を通して人員補充を行っています。そして親会社は教育体制も整っているので新卒を一から育成していますが、子会社の方は経験者採用が専らです。

 当然ながら親会社の方が「狭き門」であり、子会社の方は私のような氷河期世代のあぶれ組でも中途では入れたりするわけです。じゃぁ、子会社の方が狙い目かと言えば、そうでないことは誰にでも分かることでしょう。入社難易度の差は、会社の質の差でもあります。中堅・中小に目を向ければ解決するような問題は何一つありません。

 優良でもマイナーな会社や小規模な会社なら簡単に就職できるというのであれば、話は簡単です。そういう会社を探すのも学生にとっては一苦労かも知れませんが、結局のところ優良な会社とは離職率の低い会社であり、離職率の低い会社である以上は採用数も少なくなる、企業の規模が小さいほどかえって「狭き門」となるわけです。中小に目を向けることでは、何も解決しません。

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毅然と退けるべき意見

2020-02-16 21:44:14 | 雇用・経済

「残業好き」の人たちにとって働き方改革とは何なのか?(Yahoo!ニュース)

現場に入ってコンサルティングをしていると、定時後になった途端に生き生きしてくる連中を見る。「定時を過ぎた。10分でも20分でも早く仕事を終わらせて帰りたい」と焦って仕事をするのもいるが、「夕方6時を過ぎたので、そろそろエンジンかけるか」的な感じで、腕まくりをする者もいる。

「残業好き」な人の味方をするわけではないが、よく考えると不思議な話である。

働き方の多様化、柔軟化を進める時代なのだから、定時後、人気(ひとけ)がなくなったオフィスで、気楽に仕事をするのが好き。

休日に、ほとんど誰もいないオフィスに昼から出社し、コンビニで買ったコーヒーとチョコレートを口にしながら、ダラダラと作業をするのが、意外と嫌いじゃないんだよな。

――こういった感覚を、本当に否定していいものか、と思ったりする。他人に強要するのはよくないが、そういう働き方の「嗜好」なのだと言われたら、どう反論すればいいのだろうか。

 

 世の中には介護福祉関係など「必要とされているけれども薄給」というポジションがありますが、反対に「世の中には必要ないけれど高給取り」の職業もありまして、例えば新聞の論説委員やコンサルタントが該当するわけです。そんな害悪の化身であるコンサルタントに言わせれば、残業削減も上記のような扱いになることが分かります。

 振り返れば非正規社員の待遇改善を巡っても、似たような論調は少なからずありました。正規雇用を望む人ばかりではなく、永遠に非正規のまま働き続けたい人も多いのだと、そう説く人もいたものです。勿論やむなく非正規で働く人もいれば、あくまで家計の担い手は亭主で自身は補助的に働くだけ、という人も多いですから、その説も嘘ではないのでしょう。

 もっとも、自らが家計の担い手になっている非正規労働者の収入を安定させることと、あくまで家計の担い手たる亭主の補助として働くだけの非正規労働者を非正規のまま働かせることとでは、重みも緊急性も全く別次元です。家計の補助として働く人の失業は深刻ではありませんが、前者は違うわけで、どちらを優先すべきかは議論を待つまでもないと言えます。

 そして今回の残業を巡る話も然り、確かに残業好きは少なくありません。私の勤務先でも、定時(あるいは昼休み)のチャイムが鳴ってから仕事を始める人も多いです。時間外の仕事への取り組み姿勢を評価されて昇進を重ねた人もまた少なくないのですが、ただそうした人々が会社に何をもたらしているかを思うと、首を捻らざるを得なかったりします。

 

 ~さぞアフター6を満喫しているかと思いきや、全員が楽しんでいるわけではありませんでした。残業ゼロの環境に適応できない者が現れ始めたのです。超集中して効率的に働かなくてはならない環境に耐えかねて、自分のペースでゆっくり仕事をしたい、残業したいと、今までとは逆の声が出始めました。(『完全残業ゼロのIT企業になったら何が起きたか』米村歩, 上原梓)

 

 上記は残業ゼロを達成したという会社の社長の話ですが、必ずしも残業がなくなったことを喜ぶ人ばかりではなかったことが伝えられています。世の中、そういうものなのでしょう。SM好きもいれば、生レバーやアンモニア臭のキツイ食品が好きな人もいる、人の好みはそれぞれです。ただし、そんな人の好みを何もかも認めていくことが多様性かと言えば、これは別の話です。

 職場の昼休みに、くさややホンオフェ、シュールストレミングを食べる人がいたとして、そういう食べ物の「嗜好」なのだと言われたら、どう反論すればいいのでしょうか? あまり考えるまでもないように思います。そして「残業好き」も同じような物だと言えます。何かを認めることが多様化、柔軟化を進めることではないのです。

 定時までに仕事を終わらせるという意識を持たず、残業を前提にダラダラ仕事をする人を認めるべきでない理由は、それがコンサル同様の害悪だからです。時間を意識しない行動で周囲の足を引っ張る人、時間外の残業で評価を得て昇進する人、そういう人の存在は必然的に、「残業しなければ」ならない空気を組織内に生み出します。

 チームで仕事をする以上、なんとかして時間内に終わらせようと頑張る人がいても、残業して対処するからとノンビリ構えている人がいれば、結局は業務が滞ってしまいます。あるいはいつも遅くまで会社に残る人がいれば、定時で帰ろうとする人が逆に「なぜ同僚が仕事を終えていないのに手伝おうとしないのか?」と問われる等々、仕事を時間内に終えた人が評価を下げられることだってあるわけです。

 不寛容に寛容な社会では、寛容な人々は不寛容な人々によって強い制約を受けることになります。ヘイトスピーチやレイシズムを多様性の旗によって許容すれば、当然ながらそれによって抑圧される人々が生まれるわけです。残業好きも、同じようなものではないでしょうか。残業好きの自由を認めれば、定時までに仕事を終わらせて帰りたい人には足枷がはめられることになります。

 唯一、許される残業好きがあるとすれば、それは低すぎる賃金を補うための生活残業だけですね。これは当然ながら、「残業したい」という要望を認めることではなく、残業無しで生活設計が成り立つよう賃金を国際水準まで上げることによって解決されるべき問題です。逆に十分な給与を与えられているにもかかわらず残業したがる人がいるのなら、それは愚行権の範囲に制限されるべきものと言えます。

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研修と目的

2020-02-02 22:30:14 | 雇用・経済

ナメた態度で「社員研修」に臨んだ社員の末路 人事にマイナス評価を下される可能性も(東洋経済)

しかし、人事の立場から助言させていただくと、たとえ意味がないと思った研修であっても、誠実な態度で、真摯に受講すべきです。

なぜなら、研修における態度も、「評価」の対象になっているからです。

高い業績をあげているのに、評価が上がらない。給与が上がらない。昇進できない。

こうした不満や悩みを持っている人は、自分では気がついていない意外な盲点があるものです。その代表的な盲点の1つが、「社員研修における態度」です。

 

 皆様、会社の「研修」を受けたことはありますでしょうか。世の中には社員教育などとは無縁の中小零細企業も少なくありませんが、企業規模に見合わぬレベルで「教育」に力を入れている会社も多いように思います。もっとも、その研修の中身、教育の内容はどれほどのものかは別問題だったりしますけれど。

 「研修」を受けたことのある人は多いと考えられる一方、研修の中身が実務に関わることであったという経験を持っている人は、相当に少ないような気がします。勿論ポジションによって機会は異なりますが、とりあえず私が渡り歩いてきた諸々の会社では、いかに研修機会は多くとも実務に関わることは全く教えないのが一般的でした。

 ある意味で単一の組織として日本最大の研修機関は、自衛隊とすら言えるのが実態です。コンサルタントと称する占い師グループに委託されることもあれば、自衛隊に体験入隊させる会社もある、無人島で生活させたり、山中を行軍させて穴を掘らせたり、社訓を制限時間付きで暗唱させたり、それが日本企業における研修ですが、どうしたものでしょうね。

 当然ながらマトモな頭脳の持ち主からは「時間の無駄」と目されがちなのが会社の研修だったりしますけれど、そうした振る舞いは「人事にマイナス評価を下される可能性も」あると、東洋経済誌は警鐘を鳴らすわけです。まぁ、確かにそういうものなのかも知れません。私自身の経験としても、「この研修も評価の対象です」と明言されて来ました。実態として、この引用元の伝えるところは外れていないでしょう。

 日本を代表するブラック企業として名高いワタミも研修には熱心で、月1で早朝研修会などが開かれていたと聞きます。その他には創業者の著書やビデオレターを読んでの感想文提出が定期的に求められることなどでも話題を呼びました。渡邉美樹の説法を聞いても得るものはないですし、それで会社の売上が伸びることはありませんけれど、しかし人事評価との関係はいかがでしょうか。

 もし利益だけを追うならば、ワタミのような経営はあり得ないわけです。会社の収益を増やす上では、明らかに無駄なことばかりをやっています。しかし、「理想」を追うという視点で見れば、理に適っていると言えるでしょう。経営者の理想を追求するという意味では、ワタミの社員教育もまた目標に向かう一歩として間違っていない方法です。

 ワタミに限らずとも似たようなもので、それが会社の利益に繋がるかはさておき、会社の偉い人から見た理想に繋げるならば、それは有意義と見なされると言えます。会社の偉い人が考える「あるべき姿」に社員を近づける、このためにはコストを掛けて研修する価値があり、ひいては研修への参加姿勢が人事評価に繋がるのも当然なのだ、と。

 「成果」とは曖昧なものです。営業ならば売上の数値はあるかも知れませんが、数値化できない職種の人も少なからず存在します。では成果主義が称揚される時代の「成果」とは何なのでしょうか。一つには、会社の偉い人を「喜ばせる」ことが成果なのかも知れません。会社の偉い人が好む人間像を作り上げるための研修があり、その講師の言葉を真に受けて「良い子」になろうとする、そうした姿勢もまた成果であり、評価に結びつくものである、と。

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