非国民通信

ノーモア・コイズミ

大学→専門学校→地元のスーパー

2010-12-30 22:57:55 | ニュース

大学卒業者に「専門学校」人気  実践的な就活支援、資格取得も(東京新聞)

 大学卒業後に、専門学校で学び直す人が増えている。具体的な就活ノウハウを二人三脚で教えたり、就職に有利な資格取得がウリだ。大卒でも就職が難しい「就職氷河期」に、大学にはない支援の手厚さが魅力のようだ。

 「もっと具体的に何ができるのかアピールできないと伝わらないぞ。なんで、どうしてそう思うの」

 ビジネス系専門学校大手の大原学園東京校(東京都千代田区)が、今春開設したビジネス専攻コースの模擬面接試験の授業。「物事を最後までやり遂げる力があります」と自分の長所を語る学生に、担任の千葉博さんは語気を強めた。

 「面白くない」「独り善がり」。次々と繰り出す厳しい指摘に泣きだす学生もいる。座り方や女子学生のメークにまで指摘が飛ぶ。こうした指導で学生たちは面接を突破する力をつけていく。

 大卒者に専門学校人気がじわりと広がっている。文部科学省の学校基本調査によると、本年度の専門学校入学者二十六万六千九百十五人のうち、大学・短大などの卒業者は二万四千八百六十三人(約9・3%)と少しずつ増えてきている。

(中略)

 大学を今春卒業した男子学生(23)は、在学中に金融業界約五十社を回ったが、結果が出なかった。「資格が取れ、新卒扱いで就職活動ができる」と同コースに入学。六月に地元スーパーから内定を得た。

 入学金と学費で百二十六万円かかるが、「内定を取るだけでなく、企業が求めるビジネススキルも身に付けられる」と就職部の堤敦本部長は話す。

 「企業が求めるビジネススキルも身に付けられる」などと専門学校サイドは豪語していますが、そのために百二十六万円もの学費を払った結果が「地元スーパーから内定」だとしたら、ほとんど詐欺のようなものといっても差し支えないと思います。別に地元スーパーをバカにするつもりはありませんが、少なくともそれは元々の希望ではなかったはずです。見せかけ上の就職実績を作るために本人が希望していた職種や業界とは全くかけ離れたところに押し込めるというのなら、それはまさしく失業者に介護や農業を勧めたがる手合いと変わるところがありません。仕事に就かせさえすればどこでも良いのか(本人の意向を無視しても良いのか)、その辺は問われてしかるべきです。

 本人が望んだ業界なり職種なりに就かせることに成功しているのなら、この手の就職学校にも相応の社会的意義はあるのでしょう。しかるに、ピックアップされた選りすぐりの例であるはずの「大学を今春卒業した男子学生(23)」ですらごらんの有様です。地元スーパーに就職するために、わざわざ専門学校にまで通わなければならないとしたら何とも世知辛い話です。まぁ今やパートですらも書類の段階でガンガン落とされるくらいの異常な買い手市場ではありますが、「そこまでしなければいけないのか!」と思わずにはいられません。仕事は選ぶな、就職させてもらえるだけありがたく思えと、そういうレベルで話が進められているような気がします。

 就職する本人からすれば、元々の志望とはかけ離れた職場に押し込まれるという悲劇を受け入れるほかない一方で、就職「させる」側は気楽なものです。就職できない新卒者が溢れれば多少は問題視されるわけですが、そうなったら本人が望まない業界にでも何でも、とりあえず就職させてしまえば社会的責任を果たしているかのごとく装えるのですから。就職さえさせてしまえば問題はないのだと、そういう発想の至り着く先が金融志望の学生をスーパーに押し込む専門学校であり、「就職難は仕事を選り好みする学生が悪いのだ」みたいなことを平然と口にする連中であると言えます。

参考、他人の就職を世話する仕事

 ともあれ、就職に関するハードルが空前絶後の高さに跳ね上がった現在、需要が高まるのは就職を売りにした専門学校であったり、上記リンク先で触れたような「他人の就職を世話する仕事」でしかないわけです。そしてこの手の専門学校の類で教えられているのは座り方や女子学生のメーク等々というのですから肩をすくめるほかありません。面接の受け方を教えるのも結構ですが、「企業が求めるビジネススキル」=「就職するためのスキル」になっていないでしょうか。そりゃ「企業が求めるビジネススキル」と言うものが実は曖昧極まりなく教えられるようなものではないのはわかります。結局のところ就職活動とはさながら事業仕分けのごとく、相手に隙を見せず、いかに好印象を与えるかで結果が決まってしまうものなのでしょう。そのためには新卒で就職できていない時点で既にアウト、志望を変えて地元のスーパーとか、とりあえず採ってくれそうなところを受けなさいと言うことになるのかも知れませんね。

 しかしまぁ、高卒では就職口がないから大学に進学するケースは珍しくありませんし、大卒で進学できない人が大学院に進むケースもないことはなかった、そして昨今では新卒を装うための「就職留年」という本末転倒の制度が大々的に用いられるようになったわけです。加えて大学を卒業してから、新たに専門学校に入る人も増えている、しかも専門教育が目的というより「就職」そのものを学ぶための学校であったりするのですから、何とも虚しいものです。就職のために費やされる膨大な労力こそ、この国の最大のムダの一つでしょう。そして増加する専門学校卒業生にだって就職は必ずしも容易でない気がしますが、その辺がクローズアップされようものなら「専門学校生が増えすぎたからだ」みたいな目眩のするような妄論が出て来るような気がします。とりわけ経済や雇用に関しては、どんなに愚かしい言論が権威筋から出てきたとしても不思議ではないのが日本という国でもありますから。

 

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カレンダーにない休日

2010-12-29 21:51:30 | 編集雑記

 今、働いている職場では海外メーカー数社の輸入代理店みたいなこともやっていたりします。まぁ私の担当業務とはあまり関係のないところでもあるのですが、人によっては大変みたいです。というのも輸入代理店である日本の会社は営業を続けている一方で、実際に商品を生産する海外メーカーの方は、クリスマス休暇と称して早くも12月上旬から次々と休みに入ってしまうのです。幸か不幸か国内顧客からの引き合いは相次ぐ一方で、メーカーの方は休業中で商品が入荷しない、となると「いつになったら納品してくれるんですか?」という問い合わせもまた相次いでしまうわけです。

 これが輸入代理店業務が本業の会社であったなら、お客さんも「メーカーが休みなので」と言えば簡単に納得してくれるのかも知れません。しかるに私の勤務先の本業は自社で生産した商品の販売でして、そうなるとお客さん側でも、普通に自社生産の商品だろうと思い込んで発注してくるケースが多かったりします。そうなると「何でそんなに納期が遅いんだ!」みたいなことを言われることも出てくるわけです。国内で作っている製品は年末年始もガンガン出荷できるだけに、実は輸入品である製品を同じ感覚で注文されると、お客さん側では「何でよ?」と感じることになってしまうようです。

 ともあれ、海外メーカーはクリスマス休暇だの冬期休暇だの旧正月だのと称して、2週間や3週間、余裕で休業してくれます。しかるに我々の正月休みは1週間に満たなかったりするので辛いです。まぁ一口に海外メーカーといってもピンキリなのでしょうけれど、こういうところでも日本と海外の労働日数には大きな開きが生じているように思います。有給の付与日数と消化率で大きな差があるのに加えて、こうした「カレンダーにない休日」の数が膨大な余暇日数の差を形作っているのではないでしょうか。

 一時期、恥ずかしげもなく披露された妄論の一つに「日本は祝日が多い(だから有給日数が少なくても日本人は休んでいる)」というものがありました。海外だって祝日なんていくらでもありますし、少しばかり日本の方が祝日が多かったとしても、有給の付与日数や消化率から生じる10数日以上の差を埋めるのは難しいところです。ましてや昨今ではシフト勤務の仕事も多い、あるいは祝日のある週は土曜日出社だったり、カレンダー通りに休める仕事ばかりでもないわけです。僅かばかりの祝日の存在を以て日本人が休んでいるかのごとく語るのは、いくら何でも無理があるでしょう。

 そして祝日以上に大きいのが、上述の祝日ではない休業日、すなわち「カレンダーにない休日」の存在です。これは日本でも、例えば正月前後は祝日ではありませんが慣例として休業日に設定されている企業が多いのはご理解いただけるでしょう。あるいはお盆休み等々が挙げられます。これもまたシフト勤務系の仕事ですと公然と無視されがちですけれど、祝日以外でも慣習的な休日は存在するわけです。この祝日「以外」の休みの日数を考慮に入れると、「日本は祝日が多い」みたいな言説はなおさら妄論の度合いを深めるのではないでしょうかね。せいぜい1週間程度しか間を開けずに働き続ける社会は、世界でもトップクラスの「働かせる人」に優しい社会なんだと思います。

 

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政府の方針から外れているわけではない

2010-12-27 23:46:17 | ニュース

朝鮮学校補助金、都が当面支出中止 全国初、他の自治体に影響も(産経新聞)

 北朝鮮影響下の思想教育や反日教育が問題となっている朝鮮学校に対して、東京都が補助金の支出を当面中止する方針を固めたことが23日、分かった。今年度分の補助金は支給せず、年内に朝鮮学校の関係者に「適用除外」を伝えるとみられる。支出中止に踏み切るのは全国で初めて。朝鮮学校への補助金支出をめぐっては自治体で対応が分かれており、都が朝鮮学校への姿勢を明確に示すことで態度を決めかねているほかの自治体に与える影響は大きいとみられる。

 朝鮮学校は都道府県が各種学校として認可し、昨年度は各自治体が全国約70校(幼稚園から高校まで)に計約8億円の補助金を支出している。都は学校法人「東京朝鮮学園」が経営する都内の朝鮮学校10校に対し、毎年計約2400万円の補助金を支出してきた。

 都内には朝鮮学校を含めて27の外国人学校があり、都は毎年10月上旬から補助金の申請を受け、調査を実施してきた。

 しかし、今年9月に拉致被害者家族会が朝鮮学校への助成見直しを都に要請した際、石原慎太郎知事が「反日教育を行い、かつては拉致事件で朝鮮総連が動いた状況証拠もある。手当を出すことは外国では考えられない」として、見直しを示唆。都はすべての外国人学校に対する補助金申請手続きを一時的に凍結した。

 しかし、凍結状態が続けば「年度内に補助金の交付が難しく、学校運営が困難になる」(関係者)と判断。朝鮮学校を「適用除外」とし、ほかの外国人学校には申請手続き再開を通知することにした。

 朝鮮学校が除外された理由について、都は(1)北朝鮮による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃で政府が朝鮮学校の高校授業料無償化の運用手続きを停止するなど今後が不透明(2)補助金支出に関する議論が都議会でも続いている-などを挙げる。

 報道によると「全国約70校(幼稚園から高校まで)に計約8億円」の補助金が支出されているにも関わらず、「都内の朝鮮学校10校に対し、毎年計約2400万円」とのことですから、元より随分と扱いに差があることがわかりますね。都内の朝鮮学校を除く残りの約60校は平均1300万円の補助金を受け取っているのに対し、朝鮮学校には1校当たり240万円程度しか支出されていないことになるわけで、この時点で既にしみったれた話です。

 それはさておき「北朝鮮影響下の思想教育」とされるものが補助金支給の上で問題となるのなら、歴史修正主義の影響下の実質的な思想教育や、国旗掲揚や国歌斉唱を強要する類の思想教育はどうなるのでしょうか。「手当を出すことは外国では考えられない」などと石原慎太郎は語っていますけれど、まぁ外国といってもピンキリです。まぁ中国や北朝鮮、イランとイラクにアフガニスタン、ソマリアやジンバブエなど死刑存置国仲間の「外国」だったら、たぶん考えられないことなのかも知れませんね。

 なにぶんにも首都の決定ですから、産経新聞すらもが指摘するように「ほかの自治体に与える影響は大きい」ものと考えられます。先に可決された性表現規制に関しても、さっそく宮城県で類似の条例が検討され始めたそうです(参考)。これまで判断を保留してきた自治体が、首都の決定を見て一気に結論を下そうとする傾向は少なからずあるでしょう。この朝鮮学校に対する差別的取り扱いもまた、例外となることはないはずです。

 さらなる問題として、この決定が政府方針と一致を見ることだということを挙げねばなりません。本文中にもありますが政府もまた朝鮮学校の高校授業料無償化の運用手続きを停止しているわけで(朝鮮学校に通う生徒にとっては全く関係のない理由で!)、言うなれば東京都の決定は政府に歩調を合わせたものでしかないのです。民主党都議が一部の選挙期間中を除き、一貫して石原都政を支えてきたのは多少なりとも政治に関心がある人にとっては常識ですけれど、まぁ国会議員でも都議会議員でも民主党は民主党ということなのでしょう。 


公設派遣村、今年はなし 厚労副大臣が明言(共同通信)

 厚生労働省の小宮山洋子副大臣は24日、住居がない人や生活困窮者の年末年始の対策について、記者団に「対応は30日までで、昨年のようなことはしない」と述べ、政府として今年は「公設派遣村」を開かないことを明言した。昨年は国の要請で、東京都が公設派遣村を提供。国立オリンピック記念青少年総合センターに約830人を受け入れたが、今年は石原慎太郎都知事が「協力しない」と拒否。

 この辺もまた、民主党と石原慎太郎の共同歩調が窺われる一幕であります。国政では小沢一郎を中心とした政治上の駆け引きばかりが話題になって政策論議が進んでいないと嘆く声も聞かれますが、そりゃ致し方ないところなのかも知れません。国民新党や社民党、共産党などの少数政党を除けば民主党も自民党もみんなの党も、政策面では大差ないのですから。たちあがれ日本に政権入りを打診し、石原慎太郎と共同歩調を取る党と自民党等の有力野党との間で、何か論議すべき程の政策上の相違があるのでしょうか。似たような党ばかりが多数を占めている以上は、「我こそが真の改革派なり」と相手を貶めつつ自らの正当性を訴えるか、あるいは与党のスキャンダルをつつくか、それぐらいしかなくなってしまうのは当然の帰結です。石原みたいな輩と全面的に対決できる党が与党になってほしいところですが、まぁ首都の多数派が選んだ人物と、全国有権者の多数が選んだ政党では、そう差が出るはずもないんですよね。まるっきり別の社会に属する人が票を投じているワケじゃないのですから。

 

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たちあがれw

2010-12-25 22:53:54 | ニュース

たちあがれ日本に連立打診 首相、内閣改造も視野(朝日新聞)

 菅直人首相がたちあがれ日本に対し、連立政権への参加を打診したことが明らかになった。来年の通常国会に向け政権基盤を強化するための内閣改造を視野に入れ、平沼赳夫代表を拉致担当相で入閣させることを要請した。ただ、たちあがれ日本内では連立に反対する声が強い。

(中略)

 首相はこれまで公明党や自民党との連携で、ねじれ国会を乗り切ることを検討してきた。だが両党は対決姿勢を強めており、参院での過半数確保に少しでも近づくことをめざし、小政党との連携を模索。新党改革の舛添要一代表とも9日に会談し、舛添氏の入閣も検討している。

 首相は11月18日にたちあがれ日本の与謝野馨共同代表と会談して「連立を組む用意がある」と打診。今月4日にも極秘会談し、平沼氏の入閣を求めた。与謝野氏は6日に平沼氏に報告。連立入りへ本格検討に入っていた。

 迷走する民主党政権ですが、勃ちあがれ日本や舛添に秋波を送っていることが伝えられています。そりゃ国民新党や社民党なんかと比べれば政策上の距離は格段に近いのでしょうけれど、もうちょっと議席の多いところと組まないと意味がないように思えます。でもまぁ民主党からすれば比較的、組みやすい相手ではあるのかも知れませんね。まず社民、国民新、そして共産党では政策があまりにも違いすぎますから。では政策的に似通った党である自民党やみんなの党はどうなのか、あるいは自党の政策よりも連立の維持を優先することでは実績抜群の公明党はどうなのでしょうか。特に自民党と公明党は国政上では争っている風を装いつつも、地方議会では共に手を携えて首長を支えてきた長年の盟友です(例えば東京都議会など)。地方自治体の政治に少しでも理解がある人にとっては、むしろ自民と民主が組む方が自然に見えるような気がします。

 

公明は政府、自民との距離感に腐心(読売新聞)

 公明党は、支持率低迷に悩む菅政権からの秋波を警戒している。

 「政権に取り込まれた」と見られれば、来春の統一地方選に不利になると考えるからだ。一方で、政権との対決姿勢を強める自民党との距離の置き方にも苦心している。

 公明党の山口代表は22日の中央幹事会で、今後の党運営について、「戦う野党として、主張を明確にしていく」と明言。記者会見では、参院が問責決議を可決した仙谷官房長官と馬淵国土交通相が辞任しなければ、来年の通常国会で両氏が関連する審議を拒否する方針を改めて示した。両氏には「辞めてもらうのが原則」とも強調した。

 背景には、失態続きの菅政権を批判する方が統一選を戦いやすいとの判断がある。公明党は過去2回の統一選で候補者を全員当選させており、党執行部にとって、「全員当選」は今回も至上命令だ。

 これは公明党に言及した記事ですけれど、他の野党も考えていることは同じようなものでしょう。ジリ貧の民主党と組めば、政権批判の余波を食って自党の評価も落とすであろうことは火を見るより明らかです。引用元で述べられているように「失態続きの菅政権を批判する方が統一選を戦いやすい」わけで、世論を気にするタイプの政治家であるほど「今は与党批判に回っていた方が得」と判断するのが自然です。そういった意味ではポピュリズム色の強い自民党の若手やみんなの党は、いかに政策面で一致するところが多かろうとも与党入りは絶対に避けようとするはずです。では、ポピュリズム色の薄いところはどうなのでしょうか?

 たちあがれ日本が結成されたときに書いたのがこちらのエントリになりますが、政策的なものはともかくポピュリズムからは縁が遠そうなところに、ちょっとだけ肯定的なイメージを持ったりしました。とかく政治の世界では若いというだけで評価されがちな中、あえて70前後の爺ばかりで結党したのは見上げたものです。で、顔役の平沼はと言えばポピュリズムの権化たる小泉から離反し、その小泉が差し向けた「資格」を退けて当選を果たした筋金入りの地盤型政治家だったりします。浮動票頼みの政治家にとって今の与党に加わることは火中の栗を拾うがごとしですが、世論を敵に回しても地盤の強さで勝てる政治家であるならばどうでしょう。そうした意味で、たちあがれ日本は民主党と組む可能性が他党に比して高い部類に入るのかも知れません。

 菅内閣もさることながら、先の鳩山内閣も含めて民主党というものが、しばしば実態からかけ離れたイメージによって支持されたり嫌われたりする党であるところに、こうした迷走の原因があるような気がします。例えば石原慎太郎が差別発言を繰り返しても取り立てて支持率が落ちたりはしないですけれど、これは正しい理解に沿って支持/不支持がなされているからと言えるでしょう。差別発言を何とも思わない人が石原を支持し、差別発言に反発する人は元から石原を支持しないのあれば、そこで差別発言が出てきたとしても元から「支持しない」人が憤るだけで、支持層は全く気に留めない、支持率には影響が出ないわけです。では逆に差別に否定的な人々が支持し、差別の正当化を図る人々が嫌ってきた政治家が差別発言を繰り返したらどうなるでしょうか? 当然のように支持者は離反する一方、元々の反対派は相変わらず反対派であり続ける――そうやって支持率が落ちていくことも考えられます。そして民主党政権とはそういうものであるように思われるのです。

 地方行政と国政は違いますし、全ての自治体がそうであるわけではないにせよ、私の地元における民主党とは自民党と相乗りで首長候補を立てて自民党と共に与党であり続ける党でしかないわけで、その民主党があたかも自民党の対抗馬であるように語られると「何のギャグだよ!」という気分になります。まぁ実際に国政で民主党政権がやってきたことにしたところで、自民党政権でも普通にやったであろうことばかりではないでしょうか。元より目指しているところは変わらない、小泉と同様、敵視するものは官僚であったり古い自民党であったりする党なのですから。

 しかるに政策の根本では自民党と変わらない民主党でありながら、自民党への批判票で躍進してしまったところに現政権の欠陥があるのかも知れません。支持層は自民党とは「違う」結果を求めるのに、実際にやることは自民党と同じことばかり、これでは支持層が離反するのは当たり前ですし、逆に自民党の政治に肯定的だった層が民主党を見直すようになるかと言えば、そんなことは決してなく相変わらず自民党支持のままだったりするわけです。だから民主党の支持率は下がることはあっても上がることはない、内閣改造というカンフル剤を打つことしかできないと言えます。

 そして「なんとなく左っぽい」イメージを持たれがちな菅直人です。イメージとは裏腹にその実態は「ええかっこしい」と言ったところで、とかく理はなくとも猛々しい多数派の論調に流されやすいように見えます。そうなると必然的に政策は財界寄り、右寄りに傾斜するばかりで、こうなると左派が支持するはずもありませんし、右派は相変わらず「左っぽい」イメージを抱いて菅を嫌い続けるわけです。正直、今の民主党にはもう有効な手立てを打つことはできないように思えますが――民主党を選挙で勝たせてしまった以上は、もうしばらくこの政権に付き合うしかないのでしょう。

 

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メリークリスマス

2010-12-24 23:26:55 | 文芸欄

 

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ちょっと新鮮に見えた

2010-12-23 21:53:42 | ニュース

「大麻買えるのはオランダ住人だけ」は妥当 EU裁判所(朝日新聞)

 専門店での大麻の販売・使用が公認されているオランダで、店に立ち入り、大麻を買えるのは同国居住者に限るとしたマーストリヒト市の規制について、欧州連合(EU)の欧州司法裁判所は16日、規制は妥当との判断を示した。

 オランダ国内には、自治体が大麻の扱いを公認する「コーヒーショップ」が約500店ある。オランダ司法省はこの判断を踏まえ、規制を全国的に進める考えで、観光客が集まるアムステルダムの「ドラッグ・ツーリズム」にも影響を与えそうだ。

 マーストリヒト市は周辺のベルギー、ドイツなどから大麻目当てで来る客が引き起こす迷惑が絶えないとして規制を定めたが、コーヒーショップの経営者らは、居住者かどうかで客を差別的に扱うのはEU域内のサービスの移動の自由に反すると訴えていた。

 司法省は「裁判所の判断内容を精査のうえ、店への立ち入りを規制する具体策を検討する」としている。

 オランダで大麻の販売と使用が公認されているのは有名なところで、だからといって薬物中毒等による深刻な社会的影響が発生するわけでもないことを示す好例ともなっています。その辺は日本国内の大麻も覚醒剤も同列に扱う乱暴な論者にとっては受け入れがたいようで、ある種の不都合な真実とも呼べるでしょうか。死刑制度を廃止しても凶悪犯罪が増えたりはしないことや、最低賃金を引き上げても町に失業者が溢れたりはしない等々、外の世界には日本の主流派が目を背けたくなる事例に事欠きません。

 さて、ここでは一部の自治体が「大麻を買えるのは同国居住者に限る」と規制をかけたことが伝えられています。この規制に対しては「居住者かどうかで客を差別的に扱うのはEU域内のサービスの移動の自由に反する」と反発も少なくなかったようです。日本だったら、どうだったでしょうか。オランダではコーヒーショップ経営者らが訴えに出たそうですが、日本だったら店舗経営側は唯々諾々と自治体に従い、ごく一部の少数派が差別的取り扱いに対する抗議の声を上げる程度が関の山であろうという気もします。

 それ以前に日本だったら「同国居住者」という枠ではなく、「日本人であるかどうか」というが基準になるのでしょうね。国籍によって扱いを隔てるのは日本では珍しくないことですが、国内に居住しているかどうかを条件とマーストリヒト市の規制は日本人から見ると新鮮に感じられるところもあります。「外国人お断り」はつとに知られるところですけれど、「国外居住者お断り」なんて掲げているのは見たことがありません。とりわけ税金みたいな「義務」的な部分とは裏腹に選挙権のような「権利」の部分は明白に国籍で分けられているのが日本だと当たり前だったりしますが、この辺は国籍ではなく国内居住を要件として考える発想も持って欲しいところです。日本に住んでいる以上は、日本社会の一員なのですから。

 

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日本的経済観

2010-12-20 23:41:54 | ニュース

トヨタ下請けの調査、豊田市行わず 「答えにくいかも」(朝日新聞)

 トヨタ自動車が昨年末、系列メーカーに部品価格を3割以上引き下げるよう要請したことを受け、愛知県豊田市が「市内の中小企業への影響を継続的に調べる」と表明したにもかかわらず、実際には調査を全く実施してこなかったことがわかった。市は「担当職員が『下請け企業には答えにくい調査では』と想像して、実施をためらってしまった」と説明している。

 豊田市は2008年秋の世界同時不況で、市税収入の多くを頼るトヨタの業績が悪化したことなどを受け、市内の景気動向を把握するための「景況調査」を定期的に実施してきた。中小製造業者への調査では、担当の産業労政課が、約200社にアンケート用紙を配布し、「業績見通し」や「雇用者数の変化」などの項目について調べてきた。

 一方、トヨタは昨年12月、3年間で部品価格を平均3割下げる目標を掲げ、系列メーカーに要請。同市はこの影響についても、いったんは景況調査を活用して調べると決めた。今年2月の市議会本会議では、当時の産業部長が「新たに調査項目に追加し、中小企業への影響を把握していく」と明言していた。

 ところが、今年6月と8月、11月に発表した景況調査には、部品価格引き下げの影響についての記述が一切なかった。 

 朝日新聞の取材に対し、同課は、「実際には、調査を実施してこなかった」と認め、「担当職員が設問を検討するなかで、『下請け企業は親会社との関係悪化を気にかけ、実態に即した回答をしないのではないか』と想像を膨らませ、調査項目を追加できなかった」と説明した。また、今年度の新任の課長は、こうした検討内容について報告を受けておらず、調査が実施されないままになっていることに気付かなかったという。

 まぁ、日本の企業と監督部門の関係とはこういうものです。企業の暴走を抑えるための法律はあっても実質的には全てが黙認状態で何もかもが雇用側の思うままであったりするわけですが、会社と会社の関係も似たようなものなのでしょう。「上」と「下」の関係が非常に鮮明であり、かつ絶対的なのが日本のビジネスシーンの特徴なのかも知れません。そしてこの強固な上下関係を是正しようという動きが完全に欠如しているばかりか、むしろ積極的に追い求めているフシすら見受けられるのです。

 

<外国人監督が語る> ニッポン野球の正体。 ~バレンタイン・ヒルマン・ブラウン・コリンズの証言~(Number web)

 '07年、ヒルマンは札幌の保守的なビジネスマングループから講演を頼まれた。彼はそのなかで、選手を褒めることと、一対一の対話の重要性を強調した。そして日本では監督やコーチが選手を殴ったり、脅したり、体罰を加える傾向があると非難した。

「聴衆は私の指導法にあまり興味がなさそうだった」とヒルマン。「なぜ私に講演を頼んだのか不思議だね。日本人は上から命令されたり怒鳴られたりするのが好きなのさ。聴衆から忠告された。あなたはもっと強く出るべきだ、さもないとなめられて収拾がつかなくなりますよ、とね。だからこう言ってやった。それは単にあなたの権勢欲を満足させるためでしょう。相手をへこませる必要がどこにありますか、と」

 ここ十数年来の構造改革路線の元、日本は著しく経済的に衰退した中で、格差の拡大と固定化が急速に進みました。ヒルマンに講演を依頼したビジネスマングループから見れば、それこそが成功なのでしょう。経済的な利益を度外視してでも「強いものをより強く、弱いものをより弱く」することが近年の日本的経済運営だったと言えます。小泉カイカクによって経済が衰退する中で、雇う側が絶対的に強い労使関係ができあがったわけですが、それは元より後者が狙いであったと見た方が整合性がとれるはずです。たぶん、チームを強くするよりも選手を厳しく統制するような監督こそ日本のビジネスマンの理想なのでしょう。勝利(経済的利益)のために合理的な行動をとるよりも、自身の信念に殉じて規律ある組織作りの方を好む、そんな考え方が日本経済を支配しているわけです。単に強ければ良いというものではない、勝てば良いというものではない、と。そうして金儲けよりも、権勢欲を満足させることの方が優先されているのですね。

 

米EA 「任天堂のサポートはウンコ。少しはアップルを見習え」 : オレ的ゲーム速報@刃

サード製タイトルに対して任天堂のサポートが少ない事は
全てのサードパーティーが不満に感じています。

サードパーティーのサポートが手厚い企業はアップルです。
アップル自体はゲームを製作していませんから。
ファーストパーティーとサードパーティー製タイトルの間には通常、ある種の緊張感があります。
任天堂は世界でも独自の存在です。
彼らが偉大なのはファーストパーティーとサードパーティー製タイトルのおかげです。
でもまあ実際は、ファーストパーティーのハードとファーストパーティーのタイトルが
彼らを偉大にしているのでしょう。しかし、それは私たちにとって非常に厳しい状況です。
任天堂ハードで、任天堂以外の偉大なタイトルというと思い付くのは難しいです。
マリオでもゼルダでも何でもいいんですが、全て任天堂タイトルです。
任天堂ハードが、サードパーティーのサポートに手厚いという事は一度もありませんでした

 これは海外記事の翻訳で原文はリンク先にありますが、EAという大手ゲーム制作会社が任天堂に不満をこぼしているわけです。ここで言われるまでもなく、任天堂がサードパーティーに厳しいのは割と知られた話でもありますね。その一方で、一般のユーザーに対しては非常に優しいらしく、色々と心温まるようなエピソードが伝えられてもいます。ある意味、任天堂は日本的ビジネスを象徴しているのかも知れません。一つは手元に貯められた、使われていない資金が豊富なことが挙げられますが、もう一つはユーザーに優しくサードパーティーに厳しいという部分です。例えばこちらで取り上げたワタミの例のように、顧客サービス向上を旗印に従業員に無理を強いるような企業経営が横行しているわけです。顧客は大切にする一方、そのためには従業員を絞り上げることを厭わないのが日本的経営であるとするなら(それに加えて、身内に厳しく当たってみせることを以て顧客あるいは住民優先の姿勢とする風潮はないでしょうか)、ユーザーには優しく、サードパーティーには厳しくを地でいく任天堂は、まさしく日本的企業の象徴と言えそうです。

 

年収1500万円は中間所得者? 「金持ちでない」と経財相(共同通信)

 海江田万里経済財政担当相は19日、民放の報道番組に出演し、2011年度税制改正大綱で、給与所得控除の上限とすることが決まった年収1500万円について「金持ちではない。中間所得者だ」と述べた。

 高所得者層を狙った増税との批判が出ていることに反論した。しかし、年収1500万円を超える給与所得者は全体の1・2%に当たる約50万人で、海江田氏の認識に批判が出る可能性もありそうだ。

 この国の知的貧困を最も端的に表しているのは、まさしく経済分野であるように思われるのですが、経財相の海江田氏が何とも珍奇な主張を繰り広げています。まず先の税制改正で法人税が引き下げられ、その代わりなのか各種控除に上限が設けられることが決まりました。そうなると「金持ち増税だ!」と金持ちでも何でもない人々から強い反発が出てくるわけです。大手新聞社にだって年収1500万円を超えるような人は、それこそ最前線で記事を書いているような人の中には決して多くないはずなのですが、総じて「気分はエグゼクティヴ」なのが日本人なのかも知れません。貧乏でも金持ちの目線で、下っ端でも経営者の目線で物事を語りたがる、そういう人ばかりですから。

 何はともあれ、高所得者が対象となる増税には反発も大きいわけです。それに対する反論として「(年収1500万円は)金持ちではない。中間所得者だ」との発言が出てきたようですが、流石この国で経済を任されるだけあって、何とも愚かしいばかりです。まず引用元でも指摘されているように給与所得で年収1500万円を超えるそうとなると全体の1.2%にしかなりませんし、それよりも仮に年収1500万円が中間所得者であったとしたらどうだというのでしょうか? 上限に引っかかる年収1500万円は金持ちではなく中間所得者なのだから、増税は批判されるに値しないと海江田氏は暗に主張しているように見えますが……

 増税の対象が高所得者であれば問題だが中間所得者であるなら問題ないと考えているとしたら、まぁこれもまた日本的なのかも知れません。構造改革が直接の打撃を加えたのは貧困層である以上に中産階級でした。中流を叩いて「下」に落としたわけで、これが大いに歓迎されたのは記憶に新しいところです。あるいはネット上で経済に詳しいフリをしている人の言葉を思い起こしてください、彼らは正社員なり中高年なりを無駄な重荷と批判する一方で、社長や役員が高額の報酬を得ることには肯定的なはずです。公務員なりマスコミなり、世間的には「小金持ち」レベルのイメージで通っている職種もまた盛んな非難の対象でもありますね。本当の「上」には批判の目を向けず「中の上」くらいをスケープゴートにすることを好む、それがこの国の世論であり、海江田氏の発言もこの世論に沿ったものなのでしょう。

 

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今週の気になったニュース

2010-12-18 22:51:49 | ニュース

 どうにも多忙のため取り上げる時期が遅れてばかりですが、色々と気になったニュースを取り急ぎ3題ほど。

東京都の性描写規制条例が成立 出版界反発「慎重に運用」(共同通信)

 過激な性行為を描いた漫画やアニメの販売を規制する東京都青少年健全育成条例の改正案を採決する都議会本会議が15日午後、開かれた。民主、自民、公明の賛成多数で可決され、条例は成立した。漫画家や出版業界の反発を考慮して、「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」などの付帯決議が付いた。条例施行は、自主規制については来年4月1日から、販売規制については同7月1日から。

 民主党が結党以来、一貫して石原都政を全面的に支えてきた純然たる東京都の与党であることは多少なりとも政治に関心を持つ人にとっては常識だと思いますが、今回も与党として都知事肝煎りの条例成立に貢献したことが伝えられています。まぁ民主党ですからブレることもある、特に選挙期間中ともなると日頃の行動を翻して、まるで野党であるかのごとき主張を繰り出すこともあった党です。そのせいかどうかは知りませんけれど、今回の規制案に反対する役割を民主党に期待する向きもあったように見えるのですが――ここでは与党としての筋を通したわけですね。

 ある意味では、表現の自由の弊害が出たとも言えます。つまり日本ではヘイトスピーチに関する制限が存在しないこともあって、歴史修正主義や各種の差別的な言動が野放しにされてきた、公職にある人間すらもヘイトスピーチを平然と口にしてきたわけです。そして今回、憎悪扇動の対象となったのが性表現であったと見るべきでしょう。嫌悪感や偏見に基づいて何かを排除しようとする言論が横行する中では、性表現へ向けられたヘイトスピーチも当たり前のように流通してしまうのです。今回の条例成立が意味するのは、「アイツは悪影響がある」という意識さえ広まれば、その悪影響が客観的に証明されるものでなくとも規制の対象としうる、排除の対象としうるということでもあります。根拠など何もないけれど、周りが「有害」だと「思う」ものを規制する、そのための法案が成立したのですから。

橋下氏、大阪市職員に「一族郎党覚悟しろ」 政治活動情報めぐり(産経新聞)

 大阪府の橋下徹知事は12日夜、大阪市鶴見区で行われた地域政党「大阪維新の会」のタウンミーティングで「大阪市職員は政治活動をしている。政治活動に公務員が首をつっこんでくるのはおかしい。負けたときは一族郎党どうなるか。われわれが勝ったときには覚悟しとけよ」と述べた。

 橋下知事は地域の住民団体に対し市職員が維新の会を応援しないよう圧力をかけたとする情報があったと説明。「一族郎党」については「誇張の範囲」としたが「維新の会が市役所をコントロールできるようになればきっちり詰める」と語った。

 今さら橋下発言に突っ込む気にもなりませんが、「自衛隊員にも同じことを言ってみろよ」と思わないでもありません。武器を持たない公務員を悪罵する政治家が有権者の絶大な支持を集めることは、これまた現代政治の常識と化しつつありますけれど、同様に公務員であるはずの自衛隊員には賞賛の言葉が並べられるばかりです。先の暴力装置発言を巡る騒動でもわかるように、それが曲解に基づいたものであろうと、少しでも自衛隊を否定的に語っていると扱われようものなら政治責任を問われるほどでもあります。この国の人間にとって自衛隊とは神聖不可侵な存在なのでしょう。

 「いつまでも学生気分では困る~」みたいな言論は定番中の定番として知られるところです。とかく日本の職場では、学校教育が否定の対象とされがちですから。では、学生であることを「卒業」させて社会人となるために何を要求されているでしょうか。研修先としての自衛隊は大人気、新人研修の一環として自衛隊に体験入隊させるケースは決して珍しいものではありません。学校で教わったことを捨てさせ、軍隊での教育を受けさせることで「社会人」として認められるとしたら、要はこの社会が軍隊をこそ「範」としていることを意味しています。そうでなくともニートや引きこもりを自衛隊に入れろなんてことを主張する人気政治家も多々いるわけで、教育者としての自衛隊人気は高まるばかりです。現代日本において「聖職者」と扱われているのは、教員ではなく自衛隊員なのかも知れません。

雇用・投資拡大の「約束」拒否=法人減税で―経団連会長(時事通信)

 日本経団連の米倉弘昌会長は13日、2011年度税制改正の焦点である法人税率引き下げに関連して、減税と引き換えに経済界が雇用・国内投資の拡大を約束するべきだとの意見が出ていることについて「資本主義でない考え方を導入されては困る」と述べた。個別企業が将来の雇用・投資規模を確約することは、株主への責任などから無理であり、「約束」を明確に拒否した発言だ。

 都内で記者団に語った。米倉会長はさらに「新成長戦略に書いてあること(経済活性化に取り組む方針)をないがしろにするのは、政府の『自己否定』だ」と言明。法人税率の5%程度の引き下げに踏み切らなければ、政府の経済運営は一貫した姿勢を欠くことになると指摘した。 

 法人税減税もまた決定されてしまったわけです。しかし、企業の内部留保が積み上がるばかり、非金融法人の現金預金残高が上昇の一途にある、すなわち国内企業が金をだぶつかせている中で法人税減税に踏み切れば何が起こるでしょうか(参考)。現時点ですらも金が余って仕方がないのに、法人税減税でさらに余剰が増える、眠ったまま動かない金が増えるだけです。経済活性化に取り組む気があるのなら、企業が余らせている金を吸い上げ政府が代わりに活用してやった方が遙かにマシと言えます。金がないから事業拡大に踏み込めない企業が多いのであれば減税にも意味はありますけれど、金の有効な使い道を見いだせず徒に自己資本比率を高めるばかりの日本企業に減税するのは、それこそ豚に真珠というものです。

 にも関わらず経済政策上は意味のない法人税減税にこだわるのは、要は「隣の子もそうなのだから」という理由で自分も同じものを欲しがるガキの理屈なのかも知れません。隣の子よりも自分に科される額面の税率が高いことに我慢できない、だから法人税を下げろと駄々をこねるわけです。そして家計のアナロジーみたいな経営感覚が幅を利かせる日本でもあります。お金は使う人に渡してこそ経済活性化に結びつくものなのですが、「無駄遣いする子にはあげません」「大事に貯金するんですよ」と語る母親のような金銭感覚を政財界もまた共有していて、使いもしないところにお金を回そうとするムダが平然と繰り返されているのではないでしょうかね。

 

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猫の習性

2010-12-17 23:08:28 | 文芸欄

 百獣の王とも言われるネコ科の大型動物は、おはようからお休みまで暮らしを見つめていたりするわけですが、身近なネコにもそういう習性があります。

 

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自己犠牲の罠

2010-12-14 23:47:44 | ニュース

「市長給与半減」の公約 山形県新庄市長「反省してる」(朝日新聞)

 「マニフェストで『市長給与50%カットします』としたことは反省しています」。山形県新庄市の山尾順紀市長は6日の市議会本会議で、前回市長選のマニフェストに掲げ、実施した自身の給与カットについて、「反省」を口にした。

 渡部平八市議が一般質問で「市民から『市長も給料を半分にしたんだから、職員も市議も……』の声があり、企業へも影響を与えている」などと市長の考えをただした。

 山尾市長は「当時の市財政は(北海道)夕張の次に悪かった。『どうしたらいいか』の迷いの中で『50%カット』になった」と経緯を説明。そのうえで「私の給与が人(の給与)を動かしているとしたら、あってはならないこと。将来市長になる人を制約してしまう問題も抱えている」との認識を示したが、給与の見直しなど具体的な方策については言及しなかった。

 山尾市長は初当選した3年前の市長選で、市長給与の減額をマニフェストに明記。カット率は当初「30%」だったが、告示後「50%」に変え、当選後実施した。昨年の年間給与は594万円だった。

 かの安倍晋三が首相就任して真っ先にやったのが自らの給与返上だったわけですが、それから4年、安倍晋三に続けとばかりの動きが全国各地で絶えることがありません。こうした流れは各選挙区住民からも概ね好意的に評価されていると見え、さらなる支持拡大に向けて給与のカット率を30%から50%に引き上げた人もいることが伝えられています。結果としてめでたく当選と相成ったからには有権者から大いに歓迎されたものと推測されるのですけれど、自らの給与削減を自慢げにアピールする人も多い中で、例外的に反省の弁を口にした人が出てきたようです。

 何でも「『市長も給料を半分にしたんだから、職員も市議も……』の声があり、企業へも影響を与えている」と議会から指摘されたとのこと。往々にしてこの辺は既定路線でもあるはずですが、良くも悪くもこの市長は「覚悟」が足りなかったのかも知れません。昨今の流行りとしてはまずトップが自らの給与をカットし、しかる後に「上の人間も身を削っているのだから……」と「下」の人間が給与削減に抗いにくい状況を作っていくわけです。総理が/知事が/市長が財政再建のために犠牲を払っているのに、議員や職員が安穏としていられるのはおかしい――こうした世論を煽ることで有権者の支持を取り付けていくのが現代的な政治家というもの、議会から指摘されたような状況は、本当に有権者から支持されるタイプの政治家であればむしろ狙い通りであったと言えるでしょう。

 国民あるいは市民は、議員なり公務員なりの給与削減を求めています。だから首長なりが自らの給与を削って、「自分に続け」と議員や職員に迫ればどこでも喝采を浴びてきました。ただ山形の議会でも指摘されたように、そうした動きは「企業へも影響を与えている」、すなわち民間企業で働く人々の給与にも影響を与えることになるわけです。給与カットの動きが首長だけ、あるいは公務部門だけに止まるなんてことはそれこそ絵空事であって、結局は給与所得者全体へと削減の流れは波及するものですから。それを後になって「反省」というのも考えの足りない話ですが、しかし反省できる分だけ良心的と言わざるを得ないところに、この国の政治的貧困を感じざるを得ません。

 安倍晋三が首相の座を投げ出しても安倍晋三の真似を続ける政治家は後を絶たないように、政権交代がなった後でも「上」が身を削ってみせることで「下」の負担増をも正当化しようという流れは変わっていないわけです。国民、とりわけ低所得層や社会的弱者の負担が増えるような税制を含む法改正がしきりに論議されている中でも、そうした改正の是非が直接的に論議される代わりに「まず先に国会議員が身を削るべきだ」みたいな感情論ばかりが先立ってはいないでしょうか。国会議員の定数を削減するなり議員報酬を減らすなりして為政者自らが「痛み」を受け入れてこそ、国民も負担増に納得できるのだと言わんばかりの論調が世に溢れています(給与収入で暮らしているわけでもない資産家の議員にとっては痛くもかゆくもなかったりするのですが)。とどのつまり、「上」も犠牲を被るなら「下」の犠牲は許されると……

 現代日本の政治においては、むしろ無欲を装っている人間ほど危険なのかも知れません。往々にしてその手の政治家は、他人の欲望を抑えつけることに熱心ですから。自らの給与を削っては慎ましい生活に務め、国民にも同じことを求めるような政治家こそ、最も警戒すべき存在と言えます。それよりはまだ、どん欲で贅沢好きな人間の方が安心できるというものです。議員定数なり議員報酬がカットされて、国会議員も痛みを分かち合うのだからと低所得者層にまで負担増を求める政策が受け入れられてしまうくらいなら、むしろ国会議員がリッチな生活を送って、国民の負担増となる政策が総スカンを食らい続けた方が、まだしも健全と言えはしないでしょうかね。

 

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