通信制高校生、過去最多 不登校の生徒らの受け皿に(朝日新聞)
通信制高校で学ぶ生徒が過去最多の21万8428人にのぼることが、文部科学省が27日に公表した今年度の学校基本調査(5月1日現在の速報値)で分かった。少子化で高校全体の生徒数は減っているが、増加する不登校の生徒や、多様な学び方をのぞむ生徒の受け皿となっているという。
通信制高校は、自宅などで学習し、郵送やインターネットなどを利用してリポート提出や面接指導などを行う。近年はICT(情報通信技術)の進展で私立を中心に学校数も増加。昨年度の生徒数は20万6948人で、学校基本調査が始まった1948年以来、初めて20万人を超えていた。
以前から何度か書いていますが、私の勤務先では新型コロナウィルスの感染拡大前からリモートワークの制度がありました。ただ、実際にリモートワークを行うのは障害などの理由で通勤できない「訳あり」の人に限られていたわけです。それが政府の緊急事態宣言を受けて急遽、「普通の」社員もリモートワークを始めることになったのです。
当初は戸惑いを見せる人がいなかったわけではありません。ただ利用者が「訳あり」の人に限られていたとはいえリモートワークの制度自体は既に用意されていたことから、極端な混乱はなく対応できました。問題になったのはせいぜい、スマホ専門で自宅にネットワーク環境を持たない人々の処遇ぐらいでしたね。
ともあれ、それまでリモートワークは事実上の障害者枠だったのが、「普通の」社員も一斉にリモートワークを始めたわけです。かつては訳あってリモートワークに従事している人に対して一定の距離感もあったのですが、誰もがリモートワークを行うようになって「普通」の水準も変わったように思います。出勤できない理由のある人々が、特別な存在ではなくなりましたので。(参考、世の中は前に進んでいる)
この通信制高校に関しても然りで、今の社会情勢であればそれが「普通」になっても良さそうなものです。通学を前提とした学校教育がこれまでの「普通」でしたが、今は通信制の教育のノウハウこそ取り入れられるべきと言えます。わざわざ学校に通わなくとも勉強は出来る、そのための方法論や実績は積み上げられてきたのですから。
引用元の記事では例によって「増加する不登校の生徒や、多様な学び方をのぞむ生徒の受け皿」云々と、やはり「訳あり」の人のための学校として位置づけられているように見えます。ただ昨今の感染症拡大状況を鑑みれば、誰もが同じ場所に集まって授業を受けるというスタイルの弊害は明らかであり、「普通の」児童も通信制で学ぶべき時代となっているはずです。
東京への一極集中が進む中では学習機会もまた地域格差が大きいもの、そうした中では地理的な制約が緩い通信制の学校はもう少し、代替的な選択としてではなく評価されるべきではないかと思います。しかるに「普通」を変えていこうとする人もいれば、通勤・通学が当たり前の社会への回帰を目指す人もまた目立つわけです。
自国の教育が機能不全に陥った――と言うものではないと思いますが、コロナ前は猫も杓子も留学推しの大学が猖獗を極めていました。今も昔も大学で学んだ内容など問われないというのが日本の就活ですけれど、近年は留学経験をアピールしていくのが日本の大学の戦術として定着しつつあったと言えます。留学と称しつつ海外旅行と何が違うの分からない類いも多いようですが、それでも全学生に留学を必修化する云々と猛り狂う大学は少なくありません。
その気になればリモート環境でも仕事は出来るように、通信制でも勉強は出来ます。ただ、出社することそのものに価値を見いだす人もまた幅をきかせているのが現状です。同様に学校界隈でも、登校することそのものに意義を感じている人は多いのではないでしょうか。そして留学アピールもまた、単に外国に滞在することそのものを評価している結果なのかも知れません。
いずれにせよ、引用元でも言及されているようなICTの進展によって可能になったことを最大限に活用できるかどうかは、我々の社会の今後を占う上で分岐点になると言えます。日本はおろか世界中どこにいても同じように仕事が出来る、同じように勉強が出来る、それが技術的には可能になってもなお、通勤・通学を標準とする伝統的なやり方に固執するなら、後は世界から取り残されていく未来しかないでしょう。