非国民通信

ノーモア・コイズミ

「普通」が変わるか「普通」に戻るか

2021-08-29 22:34:42 | 社会

通信制高校生、過去最多 不登校の生徒らの受け皿に(朝日新聞)

 通信制高校で学ぶ生徒が過去最多の21万8428人にのぼることが、文部科学省が27日に公表した今年度の学校基本調査(5月1日現在の速報値)で分かった。少子化で高校全体の生徒数は減っているが、増加する不登校の生徒や、多様な学び方をのぞむ生徒の受け皿となっているという。

 通信制高校は、自宅などで学習し、郵送やインターネットなどを利用してリポート提出や面接指導などを行う。近年はICT(情報通信技術)の進展で私立を中心に学校数も増加。昨年度の生徒数は20万6948人で、学校基本調査が始まった1948年以来、初めて20万人を超えていた。

 

 以前から何度か書いていますが、私の勤務先では新型コロナウィルスの感染拡大前からリモートワークの制度がありました。ただ、実際にリモートワークを行うのは障害などの理由で通勤できない「訳あり」の人に限られていたわけです。それが政府の緊急事態宣言を受けて急遽、「普通の」社員もリモートワークを始めることになったのです。

 当初は戸惑いを見せる人がいなかったわけではありません。ただ利用者が「訳あり」の人に限られていたとはいえリモートワークの制度自体は既に用意されていたことから、極端な混乱はなく対応できました。問題になったのはせいぜい、スマホ専門で自宅にネットワーク環境を持たない人々の処遇ぐらいでしたね。

 ともあれ、それまでリモートワークは事実上の障害者枠だったのが、「普通の」社員も一斉にリモートワークを始めたわけです。かつては訳あってリモートワークに従事している人に対して一定の距離感もあったのですが、誰もがリモートワークを行うようになって「普通」の水準も変わったように思います。出勤できない理由のある人々が、特別な存在ではなくなりましたので。(参考、世の中は前に進んでいる

 この通信制高校に関しても然りで、今の社会情勢であればそれが「普通」になっても良さそうなものです。通学を前提とした学校教育がこれまでの「普通」でしたが、今は通信制の教育のノウハウこそ取り入れられるべきと言えます。わざわざ学校に通わなくとも勉強は出来る、そのための方法論や実績は積み上げられてきたのですから。

 引用元の記事では例によって「増加する不登校の生徒や、多様な学び方をのぞむ生徒の受け皿」云々と、やはり「訳あり」の人のための学校として位置づけられているように見えます。ただ昨今の感染症拡大状況を鑑みれば、誰もが同じ場所に集まって授業を受けるというスタイルの弊害は明らかであり、「普通の」児童も通信制で学ぶべき時代となっているはずです。

 東京への一極集中が進む中では学習機会もまた地域格差が大きいもの、そうした中では地理的な制約が緩い通信制の学校はもう少し、代替的な選択としてではなく評価されるべきではないかと思います。しかるに「普通」を変えていこうとする人もいれば、通勤・通学が当たり前の社会への回帰を目指す人もまた目立つわけです。

 自国の教育が機能不全に陥った――と言うものではないと思いますが、コロナ前は猫も杓子も留学推しの大学が猖獗を極めていました。今も昔も大学で学んだ内容など問われないというのが日本の就活ですけれど、近年は留学経験をアピールしていくのが日本の大学の戦術として定着しつつあったと言えます。留学と称しつつ海外旅行と何が違うの分からない類いも多いようですが、それでも全学生に留学を必修化する云々と猛り狂う大学は少なくありません。

 その気になればリモート環境でも仕事は出来るように、通信制でも勉強は出来ます。ただ、出社することそのものに価値を見いだす人もまた幅をきかせているのが現状です。同様に学校界隈でも、登校することそのものに意義を感じている人は多いのではないでしょうか。そして留学アピールもまた、単に外国に滞在することそのものを評価している結果なのかも知れません。

 いずれにせよ、引用元でも言及されているようなICTの進展によって可能になったことを最大限に活用できるかどうかは、我々の社会の今後を占う上で分岐点になると言えます。日本はおろか世界中どこにいても同じように仕事が出来る、同じように勉強が出来る、それが技術的には可能になってもなお、通勤・通学を標準とする伝統的なやり方に固執するなら、後は世界から取り残されていく未来しかないでしょう。

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本人の望みとは関係なく受けさせた方がいいですよ

2021-08-22 22:26:24 | 社会

ワタミ社員「原則ワクチン接種」へ…11月から段階的に導入(読売新聞)

 外食チェーン「ワタミ」が、新型コロナウイルスのワクチンを原則として接種するよう社員に働きかけることがわかった。望まない場合、代わりに定期的に検査を受けてもらう。接種した社員を増やすことで、利用者に安心を提供する狙いがある。

 対象は国内社員の約1500人で、約7000人のアルバイトについても検討する。接種を終えた社員や検査で陰性が確認された社員は何らかの表示をつけ、利用者の目に留まるようにする。まずは11月から新たに出店を始める新業態の飲食店で導入し、段階的にグループ全店に広げる考えだ。

 ワクチン接種の義務化の動きはグーグルやウォルト・ディズニーといった米企業で幅広く広がる。感染力の強いインド由来の変異ウイルス「デルタ株」の広がりで感染者数が再拡大する一方で、接種が頭打ちになりつつあるためだ。

 国内企業は、本人の意思を尊重するという考え方が根強く、従業員に接種を強く求めることは難しいとみられている。政府の新型コロナ対策の基本的対処方針も、「最終的には個人の判断で接種されるもの」とする。ワタミの接種働きかけは、他企業に影響を及ぼす可能性がある。

 

 さてワタミがワクチン接種を原則として社員に働きかけるのだそうです。これ自体は良いことで、社員を守る、顧客を守る、ひいては公衆衛生の改善に繋がるものと言えます。ただ「望まない場合、代わりに定期的に検査を受けてもらう」などという逃げ道を用意してしまうのはいただけません。医師が不適格と判断しない限り全員接種ぐらいはやってもらえないと、安心はともかく安全は確保できないでしょう。

 曰く「国内企業は、本人の意思を尊重するという考え方が根強く、従業員に接種を強く求めることは難しい」、そう伝えられるていますが、例によって私の勤務先も似たようなところです。ワクチン接種はあくまで任意であり、それを上長が把握しようとしてはならない、ワクチン接種の有無によって業務の割り当てを変えてはならないと、親会社から通達まで飛んでくる有様ですから。

 なんともワクチン忌避者への配慮が行き届いた話ですが、いかがなものでしょうか。こうした個人の我儘を許せば、感染症の封じ込めは遠ざかり、社会全体がリスクを抱え込むことになります。すなわち公共の福祉が侵されるわけですけれど、まぁヘイトスピーチに言論の自由を適用してしまうような社会では、当たり前の結果なのかも知れません。他人を脅かすような振る舞いよりも、個人の自由の方が我々の社会では重んじられるわけです。

 とはいえ、ワクチン接種以外でも同様に任意であることが当然視されてきたかと言えば、そんなことはないはずです。例えば私の会社でも部署によっては飲み会への参加が強制であり、「(給与は出ないが)業務の一環」「評価にも関わる」と上司から説明を受けていましたし、組合からも「コミュニケーションを深めるために大切なこと」との回答をもらいました。飲み会への参加が任意などとは聞いたことがないのですが――ワクチン接種に限っては任意だそうです。

 ワタミがブラック企業の代名詞として名声をとどろかせていた当時、創業者の著書やビデオレターを読んでの感想文提出が定期的に求められるとか、休日のボランティア活動への参加を強要されるなどと、本来業務と無関係な部分での拘束が多いと取り沙汰されていました。その辺が現在どうなっているかは知りませんが、ワクチン接種よろしく本人が望まなければ拒否しても構わないのなら、少しだけホワイトに近づいたと言えるでしょうか???

 なおワクチン接種については小池都知事も呼びかけていましたが、そもそも打ちたくても打てない状況が今なお続いているわけです。私の住んでいる市では予約受付すら開始されていません。ワタミが自社のアルバイトまで含めて職域で接種機会を確保してくれるのであれば賞賛に値することですけれど、接種に関しては個人の努力任せで会社は旗を振るだけに止まるのなら、それはアリバイ作りにしかならない空疎なパフォーマンスと言えます。

・・・・・

 なおワタミでは「接種を終えた社員や検査で陰性が確認された社員は何らかの表示をつけ、利用者の目に留まるようにする」そうです。ではワタミの安心印が付いていない従業員を見かけたら、客はどうしたらいいのでしょうね。むしろ表示の「ない」人の存在に不安を感じさせる代物と思えないでもありません。

 工事現場に立ち入るにはヘルメットの着用が、手術室に入るなら清潔な手術着の着用が求められます。そこに「何らかの表示」を云々する余地など当然ないわけです。ワタミでも一部の社員に表示をつけさせるとか不毛なことに労力を費やしていないで、全従業員のワクチン接種の義務化と機会の提供に努めるべきでしょう。

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ようやく1回目

2021-08-16 00:46:02 | 社会

 先日、自衛隊の集団接種会場でようやく新型コロナウィルスのワクチン接種(1回目)を受けることが出来ました。一方で私の住む自治体の接種は今なお受付開始日すら未定の状態が続いています。この辺りの地域格差はどこに起因するのでしょうね。隣接する自治体の中には前月から受付をスタートしているところもあります。説明がない以上、とりあえず市長が無能なのだとでも思っておくしかなさそうです。

 なお勤務先の職域接種に関しては、9月から一般社員も対象者として開始されることになりました。こちらは他の企業と比べるとどうなのでしょう。早い段階から接種を進めてきた企業や大学の存在も広く報道されてきたところですが、それがレアケースなのかマジョリティなのかは今ひとつ分かりません。公表されるワクチン接種者の割合は意外に高いものの、感覚と一致しない人も多い気がします。

 上記の通り勤務先の職域接種は9月からなのですが、予約自体は1ヶ月以上前から取ることが出来ました。予約自体は早めに取れるとはいえ……接種まではそれなりに待たなければなりません。一方で自衛隊の集団接種は、予約の受付開始日から3~4日後から6日後という非常に短いスパンでしか予約が取れない仕組みになっているわけです(ex.8月16日の予約受付分であれば8月19日~22日の期間限定)。

 両者ともそれ自体は悪いことではないのかも知れませんが、全体の舵取りとしては少し問題があるように思います。多くの人々が一日でも早くワクチン接種を受けたいと願っている中で、1ヶ月以上先の予約が取れたからと黙って待つでしょうか。職域接種は1ヶ月後、しかし自衛隊の集団接種ならば直前の週になるまで予約の可否が不明――このような状況は接種希望者を大いに迷わせるものです。

 自衛隊の集団接種は残念ながら、望めばいつでも予約が取れる状況にはありません。予約の受付開始時間からずっと張り付いていても、本当に運のいい人だけしか予約の取れない状況が今しばらく続くことでしょう。私自身も予約にチャレンジするも弾かれる日々を1ヶ月以上続けた後にようやく、集団接種の予約画面まで進めたわけです。そこで、9月まで待てば職域の接種が受けられるけれどもどうしよう、と。

 少し逡巡しましたけれど、結局は1ヶ月ばかり早く打てる方が大事と判断し、職域接種の方は断りを入れて自衛隊の集団接種の方で予約を入れました。ワクチン接種を受けられる日程が早まったので、個人的には良かったと思っています。でも、日本全体としては一度予約で枠が埋まったところにキャンセルが生じたわけですから、あまり良くないことでもあったに違いありません。

 ただ似たようなことをした人は、私の他にも多いのではないでしょうか。かなり先の日程で予約が取れたけれど、後に直近の日程で予約が取れることが判明して、予約済みの接種をキャンセルした人は結構いるはずです。褒められたことではないとも思いますが、しかしウィルスと、感染リスクを広げるような行動を続ける人々から身を守るためにはやむを得ません。

 これを防ぐためには、ワクチン接種を国民の自由に任せず、政府が有無を言わさず日程まで含めて割り当てていくほかないでしょう。そうすれば、少なくとも予約のキャンセルは生まれず、接種の効率は上がります。ただ国民を厳しく統制していたはずの社会主義国ですら、政府の計画した通りに物資が行き渡ることがなかったという歴史からは、学べるものがあるように思います。

 物資を必要な数だけ用意したつもりでも社会主義国では随所に不足が生じました。ましてやワクチン接種は日程も含めて国民の任意、いわば市場原理のごときものに任されているわけで、当然ながら相応の余剰なくして適切な配分は実現されません。当初の調達予定のワクチン数で足りると考えていた人は政府の中にも多かったように思われますが、それは古くさい計画経済の発想ですね。

・・・・・

 なお職場でも新型コロナウィルス感染に対する姿勢は二極化していると言いますか、警戒している人もいれば全く意に介していない人も少なくありません。ワクチン忌避者に配慮してか、「ワクチン接種の有無で業務上のアサインを変更するようなことがあってはいけません」とのお触れが親会社から届いてもいます。しかし、機会があってもワクチン接種を受けないような人と机を並べさせられることこそが権利の侵害じゃないかと思うところです。

 たとえば頭皮にデリケートな問題を抱えているとの理由でヘルメットの着用を拒否する人がいるとしたらどうでしょう。たしかにヘルメットの着用は任意であって強制ではないかも知れません。しかし、ヘルメット着用拒否者に工事現場への立ち入りを禁止したり、オートバイへの乗車を禁止したりするのは差別でしょうか? ワクチン接種を拒む人に同程度の禁が課されたとしても、それは不当な取り扱いには当たらないはずです。

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安全ではないが安心

2021-08-08 22:59:29 | 社会

 さてオリンピックも、無事と言っていいのか分かりませんが終わりを迎えました。メダル獲得数に関しては体育会系社会の面目躍如と言ったところですが、新型コロナウィルスの感染拡大が大幅に増加する中では、単純に浮かれているだけでいいのか行政や組織委に問われるべきものはあるように思いますね。

 一言で総括するのであれば「安心・安心」のオリンピックとなるでしょうか。安全性は着々と損なわれていく一方、世間の警戒感はすっかり薄れ、マスクの着用を別にすれば行動様式は「コロナ前」への回帰が進んでいるわけです。ついに日本も欧米クラスの感染拡大が目前に迫っている様子ですが、「安全」との意識もまた広まっていると言えます。

 総じて「安心」と「安全」は反比例するものなのかも知れません。安全であればあるほど不安は高まり、安全でなくなるほど警戒を解く、そんな人も少なくないのではないでしょうか。加えて「安心」と「安全」が一致しないときは、専ら「安心」の方が幅をきかせているところもあるはずです。

 顕著だったのは2011年の原発事故の際で、こと放射線量に関しては健康被害を確認できる水準になかった一方、危険であると信じる人は多く行政もそれに阿る状態が今も続いています。これは「安心」を全てに優先させた結果と言えますが、逆に居住禁止などの極めて強力な私権の制限は躊躇なく行われ現在も是正に至らないわけで、こちらは「安全」を無視した判断としか言えません。

参考、5年後の現実

 原発事故の際に起こったような放射線量の微々たる増加による影響は「小さすぎて測定できない」のが実態ですが、これを「何が起こるか分からない→どんなことでも起こりうる」へとミスリーディングさせようとする人は少なくないわけです。一方で住民を強制退去させようものなら甚大な影響を免れられませんが、こういう明白な被害については当たり前のようにスルーする人が多いのではないでしょうか。

 世の中を飛び交う風聞を聞くと、今や新型コロナウィルスよりもワクチン接種の副反応の方が重篤であるように認識されているとすら思えてきます。感染症による発熱ではなくワクチン接種の副反応に備えて解熱剤を買い求める人々もいれば、コロナへの感染には無警戒だがワクチン接種には抵抗する人もいる、リスクと警戒感は比例よりも反比例に近いようです。

 昨今は廃れつつありますが、蒟蒻ゼリーによる窒息事故が頻繁に話題になる時代もありました。もっとも蒟蒻ゼリーによる窒息よりも、餅を喉に詰まらせて死ぬ人の方がずっと多かったわけです。しかし餅を喉に詰まらせた程度で社会問題なったり、市販される餅の規格に制限が課されるようなことはありません。蒟蒻ゼリーよりも餅の方がずっと危険ですが――危険性と警戒感は比例しないのです。

 そしてアルコールやニコチンは、大麻よりも強い依存性があります。しかし大麻の禁止が長らく当然視されている一方、酒やタバコに関しては僅かばかりの増税がある程度で、普通に社会に受け入れられています。この辺も、危険性に応じた禁止からはほど遠く、むしろ反比例の方が当てはまる状況です。

 

「コロナはエボラとエイズを混ぜた人工ウイルス」タマホーム社長の社内向け動画(週刊文春)

「コロナになったら死ぬんじゃないか」とかですね、不安になっていると思います。そういう時どうすればいいか。秘密の言葉を、こっそりと教えたいと思います。それは「大丈夫、大丈夫」ということです。「大丈夫、大丈夫」。心の中とか、自分に向かって、家族に向かって、『大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫』と言うと、本当に大丈夫になってきます

 

 上記の引用はタマホームの社長の言葉ですが、世間との距離はどうなのでしょうか。感染症の危機が迫っている反面、安心して社会活動を続けている人もまた増えているわけです。その人の頭の中では本当に大丈夫になってしまっている、それが現状なのかも知れません。

 私自身は、「安心」については各自でどうにかすべきものであって行政などの権力は「安全」一本に注力して欲しいと思っています。しかし票につながる、支持率上昇に結びつくのは安全よりも安心の方、国民が安心している限り手ぬるい対応しか行われず、日本での感染症の封じ込めには長い月日を要することが必至です。

 計画経済が破綻したことからも明らかなように、政府が「十分な量」を確保したと思っていても、それが市井に行き渡るには相応の余剰を必要とするものです。そして余剰がないのであれば、無駄を生じさせないために国民の行動を統制する必要があります。しかるにワクチン接種は任意とばかり強調され、計画通りに進められない自治体も少なくありません。

 例えば裁判員制度では、国民は出頭する場所と日程を指定され、正当な理由なく辞退すれば罰されます。ワクチン接種に関しても、これと同じぐらいの扱いで良かったのではないでしょうか。少なくとも2011年に躊躇なく進められた居住禁止のような高度の私権制限に比べれば、国や自治体が指定してワクチンを受けさせていく程度のことは屁でもないはずです。しかし国民は、小さなリスクを過大視して大きなリスクはスルーする、政治家もそれに同調してしまうようです。

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日本の特異な働き方は変わるか

2021-08-02 00:07:33 | 雇用・経済

「テレワークで生産性低下」は日本だけ? 通勤との“ハイブリッド”で重要な施策とは(ビジネス+IT)

 総務省は2021年6月1日、「令和2年通信利用動向調査」の結果を公表した。同調査では、2020(令和2)年8月末時点における世帯・企業での情報通信サービスの利用状況が取りまとめられている。

 その結果によると「在宅勤務を中心とするテレワークを導入する企業の割合は、前年比で倍以上の47.5%に達した」(2019年は20.2%)という。産業別では「情報通信業」が9割以上導入し、導入目的としては「非常時(感染症の流行など)の事業継続」が7割近くと最も高かった。

 この数字から何が読み取れるのか。レノボ・ジャパンでワークスタイル・エバンジェリストを務める元嶋 亮太氏は「緊急事態対策としてテレワークが浸透したものの、その場しのぎだった企業は少なくない。政府の感染症対策が少しでも緩和すれば、オフィスに出勤する従業員は増える傾向にある」との見解を示す。

 その理由について、同氏は「テレワークが生産性を低下させている」ことを挙げる。レノボが2020年に世界各国で実施した調査によると「テレワークでは、オフィス勤務時よりも生産性が下がる」という回答結果が得られたからだ。他の主要国がすべて10%台なのに対して、日本だけが「40%」と異様に高い。

 

 さて新型コロナウィルスの感染者数が急増する昨今ですが、日本は諸外国と比べ突出してテレワークに否定的な傾向を示す調査結果が発表されています。テレワークで生産性が下がるという回答は普通の国ですと概ね10%台で少数派に止まる一方、我らが日本は40%と一国だけ全く別の価値観を持っていることが分かりますね。

 効率的なものよりも非効率的なスタイルに道徳的な正しさを見いだす文化もあるとは思います。楽な働き方と苦しい働き方であれば、前者に何かしらの「ズルをしている」かのような印象を抱く人も日本には多いのではないでしょうか。テレワークで諸々の負担が軽減されるからこそ、それをネガティブに捉えている人も多いはずです。

 なお引用元のレノボ調査によると回答者の46%が「同僚との対面コミュニケーションがなくなったことで、ストレスや不安を感じる」とのことでした。詰まるところ日本の職場は諸外国と比べ突出して、対面コミュニケーションとやらに依存した働き方を続けてきた、と言うことなのかも知れません。

 時代や状況によって、求められる能力は異なります。棍棒での戦闘能力が重視される時代もあれば、弓馬に巧みであることを求められる時代もある、そこから鉄砲の扱い方を問われるようになれば、家柄や学歴、技術力や容姿に若さ等々と評価されるものは時代とともに変遷し、そして「コミュニケーション能力」に至上の価値を置くに至ったわけです。

 業務遂行能力よりもコミュニケーション能力が優先される中で、社会的に強い立場にあった人たちは対面コミュニケーションによる問題解決に長けていたであろうことは容易に推測されます。ところがテレワークで得意技が使えなくなってしまい焦りを感じている、コロナ前のような成果を上げられなくなっている人も多いのではないでしょうか。

 反対に、これまでのコミュニケーション能力至上主義の中で評価されてこなかった人々、対面コミュニケーションに依存しない問題解決能力を持った人々が、代わりに台頭している職場もあるように思います。コミュニケーション能力一本足打法で幅をきかせてきた従来の主流派が、傍流に追いやられて行ったとしても不思議ではありません。

 例えばサッカーでも、戦術が変わることで選手の序列が変わることがあります。4バックが3バックに変わっただけで、ファーストチョイスだった選手が構想外のトレード要員になり、干されていたと言われる選手が絶対のレギュラーに君臨したりと、状況が変わって求められる能力が変われば、そういうことも普通にあるわけです。

 全員がオフィスに出勤する業務形態とテレワークとでも、同じように求められる能力が変わってくるのではないでしょうか。そして働き方が大きく変わっていく中で、対面コミュニケーション能力に依存した人間はテレワークへの対応が難しく、生産性を実際に落としてしまっている人も少なくないと思われます。

 60歳未満のワクチン接種に関しては絶望的な状況が続きますが、いずれは新型コロナウィルスの感染拡大も止まることでしょう。そうなったときに、テレワークを継続できるか従来型の出社勤務に回帰するか、問われるものがあるはずです。世界の潮流に沿って日本も先進的な働き方を導入できるか、アンシャン・レジームの復権を許すか、ですね。コミュニケーション能力至上主義でのさばってきた人が働きやすい環境を選べば、日本は今以上に進歩から取り残されることでしょう。

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