非国民通信

ノーモア・コイズミ

イランには期待しています

2024-04-21 21:10:56 | 政治・国際

G7外相会合「イランに制裁科す用意」 ロシアの凍結資産は活用模索(朝日新聞)

 イタリア南部カプリ島で開かれていた主要7カ国(G7)の外相会合は19日、共同声明を採択し、閉幕した。同日早朝にイランで起きたイスラエルによるとみられる攻撃については事態の悪化防止を呼びかけたが、直接の言及は避けた。ロシアの侵攻が続くウクライナには、全面支援の姿勢をあらためて打ち出した。

 G7は、日本、フランス、米国、英国、ドイツ、イタリア、カナダの7カ国と欧州連合(EU)が参加する枠組み。昨年の日本に続いて、今年はイタリアが議長国を務めている。

 会合の議題の中心は、シリアにある自国の大使館への空爆をめぐって、イスラエルに報復したイランへの制裁拡大だった。G7は声明で、イランによる攻撃を「最も強い言葉で非難する」と強調。「地域の不安定化と事態のエスカレートにつながる受け入れられない一歩だ」と指摘した上で、イランの今後の行動に応じて「制裁を科す用意がある」と表明した。

 一方で、19日早朝に米メディアなどが報じたイスラエルによるイランへの攻撃については、「すべての当事者に事態のエスカレートを防ぐように強く求める」と述べるにとどめた。

 

 イラン側に対して一方的に制裁を科そうとする一方でイスラエルには申し訳程度のコメントにとどめる姿勢を以て、日米欧のダブルスタンダードであると批判する向きもあります。確かにアメリカとその衛星国の二重基準は随所で発揮されてきたところですが、この件に関しては一貫性を見せているのではないでしょうか。ただ、その一貫性の基準が人道や正義ではなく「アメリカを宗主と仰いでいるかどうか」にあるだけの話です。

 2014年にウクライナでクーデターが発生し、ロシア系住民への攻撃も始まりましたが、それでキエフ政権が制裁を受けるようなことはありませんでした。そして事態が好転しないまま2022年を迎えロシアによる直接介入が始まったところで日米欧はロシアへの制裁を強めることになったわけです。一方イスラエルでは建国以来パレスチナ人への迫害は続いており、ガザ地区などはさながらゲットーの様相を呈してきたところですが、しかし同様に日米欧からの制裁がイスラエルに及ぶことはありませんでした。そしてイランがイスラエルへ直接の介入を行った結果が、今回の制裁強化です。東欧及び中東における「アメリカ政府の代理人」への攻撃は断固として許さない、そんな日米欧の一貫した姿勢がG7外相会合にも現れていると言えるでしょう。

 軍事力の行使そのものを悪と見なすのであれば、ロシアやイランよりもまずキエフ政権やシオニスト政権を倒さなければならなかった、それこそが戦争への「抑止力」と見なされるべきです。しかるに日米欧諸国は戦争の火種を見守りつつ、そこに根本的な解決のための介入をしようとする国家を非難しているのが現状で、では実際に戦争を望んでいるのはどちらなのか、本当に平和を追い求めているのはどちらなのかと疑問に感じないでもありません。

 遙かな昔、エルサレムの住民はバビロニア王国の征服によって強制移住の憂き目に遭いました。この「バビロン捕囚」はアケメネス朝(ペルシャ)の再征服によって解放の勅命が下されるまで続いたわけですが、同様の状態に置かれているパレスチナ人を解放できそうなのは、ペルシャの末裔であるイランしかないのかも知れません。欧米諸国は口ではイスラエルに自制を求めるようなポーズを取っても、その行動に制限を課すようなことはしていない、あくまで同じ宗主を奉じる同志国として実質的には支援関係を続けています。周辺のアラブ諸国にもイスラエルを止めるだけの力がない中、期待できるのはやはりイランしかない、というのが率直な感想ですね。

 もう一つ歴史を振り返ると、かつてロシアはウクライナでスウェーデンと戦い、これに勝利したことで大国への道を歩み始めました。今もまたロシアはウクライナでNATOと戦っているわけですが、これに勝利すればNATOの東進を止められる、歴史の転換点にも繋がるでしょうか。冒頭の事例が端的に示すように、現代はアメリカとの関係が国際社会における善悪の基準となっています。アメリカの傀儡であれば蛮行も許され、アメリカと敵対する国には反撃すらも許されない、そんな道理の通らないパクス・アメリカーナの時代が「今」なのです。そうした非対称性を突き崩す役割を、ロシアやイランに私は期待しています。

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目次

2024-04-21 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2024/ 4/14

雇用・経済    最終更新  2024/ 4/ 7

政治・国際    最終更新  2024/ 4/21

文芸欄      最終更新  2024/ 2/23

編集雑記・小ネタ 最終更新  2024/ 4/11

 

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「理系」を巡って思ったこと

2024-04-14 23:38:35 | 社会

 近年、理工系の学部で「女子枠」を導入する大学が急増しているそうです。元より男女の偏りが顕著な学部であるだけに、それを是正しようとする意図自体は評価されるべきものでしょう。もっとも同じ理系科目が入試に用いられる医学部などは女性受験者の方が強い場面も見られるわけです。将来的な外科医志望者を確保すべく逆に女性の合格者を制限していたケースもまた近年で告発されており、それを鑑みるとどうなんだろうと感じるところもあります。

 一般には最も入試難度の高くなる医学部において、男性側に下駄を履かせてバランスを取ることすらあった実態を考慮すると、単純な学力面では女性の大学受験者を優遇する必要性はないと言って良いでしょう。医学部に進学しても特定の診療科に女性が偏在してしまう、学力は十二分なのに理工系を進学先に選ぶ女性は少ない、こうした「偏り」をどうにかしなければならないのは当然ですが、しかるに「女子枠」を設けるような現行の試みが上手くいっているかと言えば首を傾げないでもありません。

 医学部と歯学部は入学時点で明確に隔てられているのに、外科と精神科、泌尿器科と眼科が全て同じ学部というのも、考えてみると少々不思議な話です。「医学部」と「歯学部」の二つだけに分けるのではなく、「内科学科」「皮膚科学科」「放射線科学科」等に分かれていても良い、そこで外科学科が女性受験者に不人気ならば女子枠を設ける、逆に女性の応募が多数派になる学科には男性枠を設ける、それだったら釣り合いは取れそうな気がしないでもありません。ただ18歳の時点で細かく専門を決めさせることのデメリットもまた大きいでしょうか。でも歯医者になるコースだけは18歳の時点でガッツリ定まっていることを考慮すると、意外になんとかなる気もします。

 個人的に最悪だと思ったのは数年前の「リケジョ」ブームですね。これは完全に女性をおもちゃにしている、その旗頭として起用されたのが小保方晴子という作られたアイドルであり、輝かしいキャリアを歩んできた一方で研究内容は真っ当とは言いがたい代物であったことは象徴的です。これも背後には理系分野での女性の活躍を期待する意図から産まれたものではあったのでしょうけれど、中身のない偶像を(男性達が)作り上げたところで何の意味もありません。

https://www.titech.ac.jp/student-support/students/extracurricular/organizations

 ちなみにこちらは女子枠を大きく設けている東京工業大学の公式ページですが、曰く「文化系の大学とは異なり、本学は、実験・実習・演習など、とかく勉学に追われ~」だそうです。以前にも取り上げましたけれど、「理系」を自認する人々の中には「文系」を敵視する人が一定数います。まぁ文系学部と言いますと、低成長と格差拡大を理論的に支えてきた経済学や、アメリカ政府の広報官のような国際政治学もある、「英語で」授業をしていることを誇り語学留学の斡旋にばかり積極的な英会話学校もどきも増えているだけに、一定の批判はあってしかるべきでしょう。

 とはいえ文系学部でも英会話と英会話と語学留学など、とかく英語に追われて忙しい学校もありますし、理系学部でも暇を持て余しているところはいくらでもあります。そして学部を問わず経済的な問題で勉強「以外」に忙しい学生だっていくらでもいるわけです。東工大は難関大学として自らを誇るところはあるのかも知れませんが、他の何かを貶めないと自らを誇ることが出来ないとしたら、それは随分と残念な話、「お里が知れる」振る舞いであるとは言えます。

 東工大ではサークル活動のための時間として水曜日の午後があてられているとのこと、大学に入ってまで学校に時間割が決められているというのも私としてはちょっと嫌ですが、それ以上に「これと同じことを体育会系に言えるのか?」と思いました。「文系と違って自分たちは忙しいんだ」とマウントを取る姿は余所でも普通に見られますけれど、では「体育会系と違って~」と、反撃されそうな相手にも喧嘩を売ることが出来るのか、そこを私は問いたいです。

 加えてもう一つ、拘束時間の長さを誇るべきではない、とも思います。教授の実験に付き合わされ研究室に泊まり込む日々が続いたとして、では時間を費やせば成果が得られるかと言えば、それは全く別の話ですから。会社でも労働時間が長ければ評価されてしまう、仕事をした気分になってしまう傾向が見られますけれど、これこそまさに日本企業が抜け出せずにいる誤った考え方であるはずです。どれだけ時間を費やしたところで成果を生まなければ意味がない、意味があるのは拘束時間の長さではなく成果である、そこは意識されなければなりません。

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アメリカのために戦う部隊なのに

2024-04-11 22:19:07 | 編集雑記・小ネタ

陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現(朝日新聞)

 陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していた。政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない。同隊は7日、取材に公式アカウントであることを認めた上で、「本日はコメントすることができない」とした。

 同隊は5日、硫黄島(東京都)で日米合同で開催された戦没者の追悼式に参加したことをXの公式アカウントで紹介。「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」「祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」などと投稿した。

 日本は1940年、欧米からアジアを解放し「大東亜共栄圏の確立を図る」との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。

 

 大日本帝国の精神の引き継ぐ自衛隊としては至って自然な感覚だったのだと思われますが、公式Xで「大東亜戦争」と表記したことが一部で物議を醸しているようです。冥福を祈る対象は「日米双方の英霊」とのことで、ここに(日本以外の)アジア人が入らないあたりに自衛隊側の真意が窺えるところでしょうか。実態を伴わなかったことを別にすれば「欧米からアジアを解放」という大東亜共栄圏の大義名分自体は悪くないものと思います。しかるに現代において日本が仮想的と見なしているのはアジアの国々であって、いわば「アジアからアジアを開放」して「アメリカの覇権を確立する」ことが外交方針となっているわけです。この点では戦前から明確に意識が違うところ、それが良いものかどうかは別ですが……

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何が給料を引き上げるのか

2024-04-07 23:09:30 | 雇用・経済

 さて連合などの発表によれば「定期昇給を含む」賃上げ率は5%を上回るところが多い、中小企業でも4%台後半が平均なのだそうです。私の勤務先も定期昇給を含めた賃上げ率は結構な高い数値となっていますが──残念ながら誰もが定期的に昇給するわけではなく、昇進するのは一部の人に限られる、微々たるベアの上昇で我慢せざるを得ない人もまた多いのではないでしょうか。私も成果手当に関しては決して悪くない評価をもらっていますけれど、入社当時と大差ない給料のまま働き続けています。

 ここで私は思ったのですが、御用組合の連合傘下にある企業と、戦う組合が多数派を形成している企業、そして組合のない企業と、それぞれ賃上げ率に目立った差はあるのでしょうか? 大企業と中小企業という会社規模に分けて賃上げ率は発表されていますけれど、組合の方向性の違いや有無による分類があるのなら、それは興味深いところです。

 時には組合の要求に対する満額回答どころか、組合要求を上回る賃上げ率を発表する企業もあります。あるいは組合が会社のイエスマンで、微々たる賃上げでも「苦渋の決断」であっさり受け入れてしまうケースもあります。一般には組合がなければ会社への要求を通しにくいとされるものですが、しかし組合のない企業の賃金水準が組合のある企業に比べて大きく劣るかと言えば、同程度の事業規模であれば顕著な差はありません。賃上げと組合の因果関係はどこまで実存するのか、そこも気になります。

 かつてヘンリー・フォードは低コストな自動車生産で市場を席巻しましたが、それは日本企業が得意とする人件費削減によるものではなく、むしろ大幅な賃上げを行っていたわけです。フォードは賃上げだけではなく1926年には早くも週40時間労働を取り入れるなど労働時間の削減においても時代の先端を歩んでいたと伝えられます。しかしフォードは一貫して労働組合の結成には否定的で、フォード社における組合の完全な結成は社長の代替わりを待つしかありませんでした。

 組合潰しのためには暴力の行使すら厭わなかったヘンリー・フォードが、従業員に対しては同業他社を大きく上回る賃上げを提示してきたことは、賃上げのメカニズムを考える上で興味深い例と言えます。組合側は当然のこととして賃上げを自らの成果と誇るところですけれど、しかし組合がなければ賃金が上がらないかと言えばそうでもありません。労働者の代表として組合の存在意義がなくなることは考えにくい一方で、本当に組合が役目を果たせているのかは問われるべきものがあるでしょう。

 また新卒社員の初任給に関しては、5%どころではない大幅な賃上げが発表されるケースが相次いでいます。既存の社員は1万円の賃上げでも大幅アップなのに、新卒初任給は3万アップ、5万アップ、なかには8万アップなどという企業も出ているわけです。こうした企業の中には一定の勤続年数を重ねた社員よりも初任給の方が上回る事態も発生しているようで、確かに勤続10年の私の給料よりも高い給与で新卒を募っている会社が今となっては珍しくない、何だかなぁと思います。

 新卒社員の初任給の引き上げもまた、組合の要求によって実現されたものではないはずです。組合が会社と微々たる賃上げを巡ってプロレスを続けているのを尻目に、若い社員を確保したい会社は初任給ばかりを大きく引き上げているわけで、ここでもやはり組合の有無なんかよりも会社側のニーズや市場原理の方が人件費を動かすのだなと意識させられます。雇用側からすれば何も知らない新卒の若者の方が勤続20年の氷河期中年よりも価値がある、そう思ったら組合の要求などなくとも賃金は(一方だけが)上がる、そういうものなのでしょう。

 採用抑制が絶対の正義だった時代に入社した人々は20万程度の横並び初任給から昇給とも無縁で働き続けてきた一方で、企業が若い子の確保を競う時代に入社した人々は最初から25万、30万と景気の良い給料を提示されています。もっとも世界に目を向ければ10万円以下の月給で働く人もいる、パートタイムの外国人労働者でも日本円で50万円以上の月給を得られる国もあるわけです。高い給料を得るために必要なのは組合の交渉でも本人の努力でもない、時と場合の巡り合わせが最も大切なのだと断言する他ありません。

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