みなさん、民間企業で働いたことはおありでしょうか? そんなもの、あるに決まっていると思う人の方が多そうですが、しかるに民間企業で働いた経験のある人の発言とはとても思えない意見もしばしば耳にします。例えばありがちな公務員批判の中で、「民間企業ではこんな事はない~」と、よく民間企業がそれに対比されるものとして引き合いに出されるわけですが、これには大いに疑問です。民間企業って本当にそんな大したものか?と。私には目糞鼻糞の部類に見えるのですが、たまたま私の働いたことのある民間企業に問題が集中していたのでしょうか、それとも、「今自分が在籍している民間企業」はダメだけれど、他の民間企業は素晴らしいのだと、そう考えているのでしょうか。
明日から(これを書いているのは9月30日です)郵便局が民営化されます。我々は民営化の弊害をリアルタイムで見せつけられることになるでしょう。公務員批判が盛り上がる中で、とにかく「官から民へ」移行させれば物事が改善されるかのような錯覚も生じるのかも知れません。「官」への漠然としたネガティブイメージを抱き続けている人にとって民営化は改革に見えるのでしょう。ところが現実はさに非ず……
地方を中心にして、既に各地で簡易郵便局の閉鎖が相次いでおり、住民の生活に必要なインフラが失われつつあります。これは郵便局だけではありませんね、ローカル鉄道も医療機関も相次いで廃止され、移動手段や通信手段、医療など生きるために欠かせないはずのものが次々と失われているわけです。これらの廃止や閉鎖の理由は概ね経済的な理由によるもの、採算がとれないからと言うもので、それはたぶん民間企業としては正しいのでしょう。不採算部門を維持して経営を破綻させることはよくないこととされていますから。
逆に「官」の世界では全くの不採算部門でありながら、税金を投入することでそれを維持しているケースも目立ちます。例えば、自衛隊ですね。設立以来、一度たりとも黒字なんて出したことはない完膚無きまでの不採算部門ですが、それでも公的資金を投入し続けることで維持されているわけです。少なくとも税金の使い道を決めている人にとって、自衛隊はいくら赤字でも必要なものだから、と言うことなのでしょう。
別に自衛隊だけではありません。警察も消防も、大赤字で採算なんて全くとれていないわけですが、それでも採算性は度外視して税金を投入して維持しています。経営面では負担であってもそれが必要とされているから、そういう判断が働くわけです。この辺りは納税者からの理解があるのかそれとも自覚がないのか、いずれにせよ赤字部門への資金注入を批判されることはありません。
ところが、公共交通機関あたりになってくると話が違ってきます。赤字の市バスや市電の経営を税金で穴埋めしようとすると結構な非難がわき起こるものです。教育や福祉部門にも似たようなところがあるでしょうか、その赤字を税金で補填しようとすると、色々と否定的な意見が出てきます。赤字を埋める対象が自衛隊だったら何ら問題視されないところですが、この差は何なのでしょうね?
中途半端に利用者から料金を徴収すると、その料金だけで独自に採算をとって経営すべきだと、そういう発想が出てくるのかも知れません。逆に最初から無料にしておけば、公的資金を投じるのが当たり前のこととして受け容れられるのかも知れません。そして前者に位置づけられるのが医療や教育、福祉や公共交通の分野で、後者に置かれているのが軍隊や警察、消防など概ね公安関係でしょうか。税金の使い道を決める人が何を重視しているかが分かるような気もします。
国によっては教育や医療が無償であったり、その他各種の公共サービスが無料であったりします。逆にそうしたものがことごとく有料で、無料で国民に提供する行為を社会主義的だとして時代錯誤のレッテルを貼ろうとする国もあります。ではどうでしょう? いっそのこと、あらゆる公共サービスを有料のものとして考えてみたらどうなるでしょうか?
例えば警察が有料になった場合です。暴漢に襲われて、助けを求めたら出張費用及び事務手数料として代金を請求される、保険未加入者はさらに自己負担が増えたり、サービス利用資格がないとして追い返されたりするとしたらどうでしょう。あるいは消防の場合ですが、自宅が火事になって消防隊が出動、その出動に対して料金を請求される、支払えなければサービスが受けられない、消火活動の前にサービスの受給資格を審査される、保険未加入者は全額自己負担で数百万円お支払いを求められる、どうしたものでしょう?
無茶苦茶? しかし、医療や福祉、教育の面ではこの無茶苦茶が当たり前のこととして受け容れられているわけです。受給資格を問われ、自己負担を求められ、応じられない人は切り捨てられる、我々がそれに慣らされているだけです。
「官から民へ」というスローガンの目指すところは何なのでしょう。莫大な利益を上げている企業のように採算性を高めて国庫負担を減らすことでしょうか。むしろ私にとって目指すべきは「民から官へ」、モデルとすべきは企業ではなく消防のようなものではないかと思われるのです。つまり、支払い能力や受給資格の有無とは関係無しに誰もが必要なサービスを受けられるモデルです。
利用者からの料金徴収によって経営する場合ですと、どうしても利用者を増やす必要性に迫られます。利用者を増やして売り上げを増やす、そうやって利益を増やさないと経営が成り立たないわけです。だから十分な利用者が見込めない、利益が見込めない地方の郵便局や鉄道、医療機関が次々と切り捨てられていくのであり、それを防ぐためには利益を増やさねばなりません。しかし、そのためには何が必要なのでしょうか?
現場に負担を押しつける、現場の人件費を切り詰めるというのは誰でも思いつく最も安易な方法です。福祉の場合、特に介護の場合はこの対応が中心ですが、決して褒められたものではありません。他には? 利用者を増やし、売り上げを増やすことでしょうか? しかし郵便や鉄道はそれでも良いかもしれませんが、医療や福祉の面でこれを行っていいものかどうか? 医療や介護の売り上げを増やすためには、医療や介護を必要とする人を増やす必要がありますし、そうであるならば傷病者や自立が困難な人が増えることを願わねばなりません。それは人として許されませんよね?
患者の確保がままならず、廃業する医院も少なくないわけですが、でも患者の数が少ないと言うことは別に悪いことではないような気がします。それはたぶん、火事が少なかったり泥棒が少なかったりするのと同じことです。そうなのですが、医者は患者を増やさねば収入に深刻な影響を受け、消防や警察は災害や犯罪の数とは関係なく収入を得られます。どっちが良いのでしょうか?
採算性を無視していいというものでもありませんが、その採算性を口実に住民にとって必要なインフラが次々と切り捨てられているとしたら、それは憂慮されるべきことです。そしてどうしても採算がとれない、維持が困難であるというなら、それは民間企業ではなく「官」がやらねばならない義務です。その義務を「官から民へ」「小さな政府」「構造改革」などの空疎なスローガンで誤魔化しているとしたら、そんな為政者は国民にとって害悪でしかありません。