非国民通信

ノーモア・コイズミ

脅威でなくなった結果

2022-05-29 22:20:02 | 編集雑記・小ネタ

 さて先日はバイデン大統領が来日し、極右層を歓喜させるコメントを連発して帰りました。他にも国連安保理の常任理事国に日本を推すみたいなリップサービスもあったわけですが、どうしたものでしょう。実現性はさておき、世界の最先端を走る超大国であった30余年前の日本であれば常任理事国にふさわしかったかも知れません。しかし衰退を続け国家全体の経済規模では中国の足下に及ばず、平均年収では韓国の後塵を拝するようになった現代の日本が本気で常任理事国を目指すとしたら、それは諸外国の失笑を買うだけです。

 ただ「衰退したからこそ」アメリカが態度を変えたところもあるように思います。30数年前の日本は少なからぬ産業分野で世界の頂点に君臨しており、日本企業に太刀打ちできないアメリカ側では感情的なジャパンバッシングが吹き荒れていた他、日米半導体協定など市場への不当な介入も続けられました。この時代は日本こそがアメリカのハイテク、防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の脅威として受け止められていたのですが、翻って現在、日本にアメリカの脅威となり得る何かは残っているでしょうか。それが何もなくなったからこそ、アメリカは安心して日本の常任理事国入りを支持できるようになったと言えます。

 経緯はさておき、世界で最も忠実な国である日本を万が一にでも常任理事国に据えることが出来れば、それは実質的にアメリカが2票を持つことになるわけです。アメリカの意向に従う国だけで「国際社会」を構成したいと願う人々にとって、それは望まれるものなのかも知れません。ただアメリカを盟主と仰ぐ国は経済力や軍事力で先行してこそいるものの、人口規模の面では少数派に止まります。アメリカの覇権ではなく世界の平和を守ろうとする意思があるならば、イギリスを外してインドやブラジル、南アフリカあたりを常任理事国入りさせるべきでしょうね。

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ナチスというより大日本帝国だ、と思う

2022-05-27 22:37:32 | 政治・国際

ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」(朝日新聞)

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウクライナからの男性の出国を認めることを求める請願書について、反対する姿勢を示した。ニュースサイト「ウクライナ・プラウダ」が22日、伝えた。

 戦時下のウクライナでは、18~60歳の男性は、原則として出国が認められない。報道によると、これを可能にすることを求める請願書に2万5千人の署名がインターネット上で集まっているという。

 記者会見で請願書への意見を求められたゼレンスキー氏は、ロシア軍が攻撃を続けているウクライナ東部で「毎日50~100人が犠牲になるかもしれない情勢の下、彼らは国家と我々の独立を守っている」と強調。その上で「自分がこのような請願書に対処するのにふさわしい人物と思わない」と述べた。

 さらにゼレンスキー氏は「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示したという。

 

 実際のところ出国を試みて国境で拘束されるウクライナ人男性も一定数いることは伝えられていますが、ただ日本を含めて西側諸国のメディア報道はどれほどのものでしょう。戦時中の翼賛体制さながら、ゼレンスキー政権を全肯定する声しか伝えられてこなかったところもあるはずです。結果として、戦争参加を望まないウクライナ人の意思は踏みにじられて来たと言えます。

 「署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」とゼレンスキーは一方的に請願を斥けていますが、ゼレンスキーの兵隊になることはあくまでゼレンスキー体制を守ることであって、ウクライナに生きる人々を守ることとは必ずしも一致しません。日本でも国体護持を掲げ、国民の命よりも国家体制の存続を優先させた人々がいましたけれど、それは当時の日本の「体制」を守るためであって日本人にとっては災いだったはずです。

 「戦争が始まった。海で陸で野獣のように殺し合う。安全な場所にいる者が他人をそそのかして戦わせる」と、日露戦争時にトルストイは書いたそうです。翻って現在はどうでしょう。国民の犠牲を厭わず勝利を訴えるゼレンスキー体制を、まさに安全な場所にいるNATO諸国と日本がその背中を押し続けています。NATOの世界戦略としては、ウクライナの犠牲でロシアという仮想敵国を弱体化させるのは理想の展開には違いありません。しかしそこに良心があるのかは疑問です。

 日本のメディアを賑わすウクライナ人のコメントは、平和と訳されつつも実は勝利を祈るものや日常の困窮を訴えるもの、そしてロシアへの憎悪を露にするもの、停戦を降伏であるかのようにミスリードするもの等々、多少の種類はありますけれど一つだけ共通しているのはゼレンスキー体制に批判的な声は一切報じられていないことです。しかしそれはウクライナの世論を公正に伝えているのでしょうか。今回の請願署名に現れているように、本当は現体制に肯定的ではない異なる声も存在しており、それは知られるべきものと思います。

 ウクライナのサッカー代表の主将を務めたアナトリー・ティモシュチュク氏はロシア非難の声明を出さなかったことために、ウクライナサッカー協会からライセンスと過去のタイトル、トロフィーの剥奪処分を受けています。ロシアとの戦争に協力的でないものは非国民扱いなのかも知れませんが、ティモシュチュク氏のようにゼレンスキー体制に与することを望んでいない人も本当は多くいるはずです。果たしてウクライナでは「君死にたまふことなかれ」などと唱えることができるのか、ゼレンスキー体制はまさしく大日本帝国を彷彿とさせます。

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軍事力では防げない

2022-05-25 22:48:58 | 編集雑記・小ネタ

「ミサイル防げる原発はない」 原子力防災担当相(朝日新聞)

 山口壮原子力防災相は13日の閣議後会見で、原発への武力攻撃に対する防衛について「ミサイルが飛んできてそれを防げる原発はない。世界に1基もない」と明言した。ロシア軍がウクライナの原発を攻撃した事態を受け、自民党や自治体などから原発の防衛力強化を求める意見が出ているが、担当相として厳しい見方を示した形だ。

 原発の防衛強化をめぐっては自民党安全保障調査会が先月、「地対空ミサイル等の防護アセットの展開・配備」などを求める提言をまとめ、全国知事会も3月、ミサイル攻撃に対し自衛隊の迎撃態勢に万全を期すよう要請している。山口氏は「原発の防衛を高めるのは当然」とする一方、ミサイルからの防衛は「これからもできない」とした。(関根慎一)

 

 原子力防災相の発言自体は事実を述べただけと言えますが、それに対する反応はどうでしょうか。これ幸いとさらなる軍備拡張を求める人と、原発廃止を求める人に二極化するイメージですけれど、どっちも自説の補強のために昨今の社会情勢を利用している気がしないでもありません。

 実際のところはミサイルを防げるかどうかは原発でなく軍事基地でも住宅地でも同じであって原発をなくすことで解決するものではないですし、世界に突出した圧倒的軍事大国であるアメリカでも2001年には同時多発テロで世界貿易センターとペンタゴンに飛行機を落とされています。アメリカの軍事力を持ってしても防げないものは防げないのです。

 結局、今回のウクライナ侵攻がそうであるようにあらゆる戦争(テロ含む)には前段があって、それを理解することしか道はありません。例えば同時多発テロを起こしたアルカイダの起源はアメリカからの武器供与を得てソ連と戦ったイスラム義勇兵にあるわけです。現在もアメリカはロシアと戦わせるためにウクライナ地域の武装勢力への支援を強めていますが、供与した兵器の行方を追跡できないことはアメリカ側も認めています。アルカイダのように、いずれはウクライナからもアメリカにお礼参りに現れる勢力が現れることもあるでしょう。それを防ぐ手段が軍事力でないことは言うまでもありません。

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プーチンはソヴィエト体制に否定的、一方ゼレンスキーは

2022-05-23 20:58:53 | 政治・国際

 さて5月9日はロシア(ソ連)の対ドイツ戦勝記念日でもあり、この日にロシア側が決定的なアクションを起こすと西側諸国が一方的に期待していたところですが、現実には目立った進展のないまま日々が経過しています。そして同日にはウクライナでもゼレンスキー大統領がいつもながらに(平和ではなく)勝利を訴える演説を行い、特に修正されることもなく日本でも報道されたのは周知の通りです。

 

ウクライナ大統領「われわれは勝利する」 戦勝記念日演説(ロイター)

「ナチズムに勝利したこの日、われわれは新たな勝利に向けて戦っている。道のりは厳しいが、われわれが勝利することは間違いない」とし、ウクライナ人は史上何度も自国を守るために戦ってきた自由な人々であり、「独自の道」を歩んできたと表明。

「われわれは今日、この道で戦争を戦っている。領土は一切誰にも渡さない。われわれの歴史は一切誰にも渡さない」とし「反ヒトラー連合諸国とともにナチズムを負かした祖先を誇りに思う。われわれは誰かがこの勝利を併合することを許さない。私物化することを許さない」と述べた。

 

 ここの「ウクライナ人は史上何度も自国を守るために戦ってきた」というのは事実ですけれど、戦ってきた「相手」は誰だったのでしょうか。歴史を振り返れば現在ウクライナと呼ばれる地域はモンゴル(タタール)であったりポーランドなりが支配していた時期もありましたし、それがキエフ公国以来のロシアの版図へ復帰した後も、独立を求めてはロシアと敵対している国の後援を受けてボリシェヴィキと激しく争った時代もあったわけです。

 2014年以降のウクライナが何を敵視してきたかを鑑みれば、現政権が継いでいるのは第二次世界大戦時にも独立を求めてソ連と戦った人々の魂であり、ソ連の構成国としてモスクワからの指令に沿って戦った人々のそれではないでしょう。にもかかわらずゼレンスキーが自身を戦勝国の一員であるかのように位置づけているのは、なんとも奇妙なことです。2016年にはキエフの「モスクワ通り」が、ドイツの支援を仰いでソ連と戦ったウクライナの民族主義者の名を冠した「ステパン・バンデラ通り」へと改名されたそうですが……

 ウクライナの現体制がソ連の功績を時代を都合よく自陣営に結びつけているのとは裏腹に、ロシア側のプーチン大統領はソヴィエト政権による支配体制を否定的に語ることが多かったりします。一応はロシアこそがソ連の中心であり多数派を占めていたわけですが、当のロシアからすると他の14の構成国から見た場合と比べてもなお、良い時代ではなかったと評価されているのかも知れません。

 ソ連における多数派はロシア人でしたが、その最高指導者はグルジア人のスターリンであったり、フルシチョフにブレジネフとウクライナ系が続いた時代もありました。自分の家族にも故郷であるグルジアにも等しく冷酷であったスターリンとは異なり、フルシチョフはクリミア半島をロシアから自身の育ったウクライナへ移管させるなどして将来の禍根を作っています。少なくともロシア人からすれば、自分たちが多数派として優遇された記憶には乏しいことでしょう。

 アフリカで部族間対立が深刻化する理由として、ヨーロッパによる植民地支配が挙げられることがあります。アフリカを占領した列強諸国の定めた行政区分は民族を分断あるいは混在させており、文化や言語によるまとまりとは異なる形で国家が生まれてしまった、その結果として異なる文化・言語を持つ人々の国内での対立や、一部少数派が文化・言語を共有する国境外の同胞との結びつきを強めるような事態を生んでいる、という説です。

 こうした構図はソヴィエト政権による15の構成国支配においても実は同様で、ソ連の行政区分は必ずしも居住する民族や言語・文化に沿ったものではありませんでした。ましてやソ連という同一の国家として70年を経過した後に、この行政区分が適用されたまま国家として独立すると、どこも必然的に多民族国家とならざるを得ないわけで、結果として少数派として取り残される人も出てしまい、一部は未解決のまま今に至ります。

 では多民族国家として国家内で複数民族の共存は可能なのか、欧米から非難されつつも民族意識に依拠せず政権を安定させることが出来ている国がある一方、ウクライナでは排他的な民族派が選挙ではなく暴力革命によって政権を奪取してしまいました。クーデター政権はロシア語の使用禁止を打ち出すなど、ウクライナのロシア系住民に対する明確なメッセージを掲げてきただけに、クリミアやドンバス地域の離反を招いたのは当然と言えます。

 ウクライナが多民族国家かつ民主国家であろうとするのであれば、ロシア系住民もまたウクライナ民族派と同じウクライナ国民として尊重する必要がある、構成比を考えればカナダにおけるフランス語話者と同レベルの扱いを保証すべきですが、そうした意思を現体制が有していないことは2014年以降の8年間で明確に証明されています。そうなると残る選択肢は、少数派を抑圧する国家であり続けることでしょうか。取り敢えず反ロシアの旗を掲げさえしておけば、欧米と日本からは民主主義の同志と認定してもらえますので。

 もう一つの解決策は、国境線をソヴィエト連邦の行政区分に基づいた現状から、住民の帰属意識に沿ったものに改めることですね。ロシアへの帰属意識の強い地域はロシアへ編入し、そしてウクライナへの帰属意識が強い地域だけで国家を構成すれば争いの種は減ることでしょう。まぁゼレンスキーはソ連が好き、ソ連の定めた国境線を維持したい、それをNATO陣営も後押ししている様子ではありますが。

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差別と言い切るべきだと思う

2022-05-20 22:11:43 | 編集雑記・小ネタ

避難の外国人をどう扱うべきか ウクライナ問題が突きつける課題とは(朝日新聞)

 戦禍のウクライナを逃れてきた人々への支援の輪が広がり、埼玉県内の自治体も続々と住居の提供などを打ち出している。一方で、県内に多く住むクルド人は、迫害を受けて祖国を逃れてきたが、公的支援は乏しい。日本に避難してきた外国人間の差が、浮き彫りになっている。

(中略)

 川口市に住む30代のクルド人の男性は、5年前から難民申請をしているが、いまだに認められない。働くことは許されず、医療保険にも入れず、県外への移動も禁止されている。自治体からの支援もない。入管の収容におびえながら、他人名義で家を借りて妻と子ども3人と何とか暮らしている。

 男性は、戦禍から逃れてきたウクライナ避難民への支援は必要だと認めつつ、「彼らと私たちは立場が違うのかもしれない。差別とは言わないが……」と言葉を濁す。

 政府はウクライナから逃れてきた人たちを「避難民」と位置づけ、クルド人やアフガニスタン人ら「難民」とは区別している。避難民は90日間の短期滞在の在留資格で入国させ、1年間働ける特定活動への切り替えを認め、その更新も考慮するなど、前例のない対応をしている。

 

 こういうウクライナ人と、その他の難民との扱いの違いは幾度となく指摘されているところですが、今のところ改められる様子はありません。ヨーロッパと同様に日本もまた二重基準を設け、手を差し伸べる相手を出身国によって選別しているわけです。日本と欧米がウクライナ人への特別措置を深めるほどに、アジアやアフリカ諸国から逃れてきた人々との処遇の差は広まるばかり、こういうものを「差別」と言います。

 幸いにしてトーンダウンしましたけれど一時はウクライナを特別にEUに加盟させるなんて話もあって、長らくEU加盟を拒まれているトルコからは当然ながら疑義が呈されました。そしてフィンランドのNATO加盟を巡っても、やはりトルコからは反対意見も出ていることが伝えられています。優遇される国とそうでない国、後者に属する側からすれば、すんなりと賛同できるものではないのでしょう。

 日本の外交面ではしばしば「価値観を共有する国」という言葉が使われます。確かにまぁ、どこの国/人を優遇し、どこのどこの国/人を冷遇するかという面では、価値観の共有とやらはあるのかも知れません。ただ差別的な取り扱いを受ける側の国と人からどう思われているかは少しくらい考えた方が良いでしょうね。「価値観を共有する国」とは結局のところ排他的な仲良しサークルに過ぎず、そこに属さない国々とも共存しない限り平和などあり得ないのですから。

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「武器」はどこから来たのか

2022-05-17 22:43:37 | 政治・国際

 去る5月9日、アメリカではウクライナ支援のための「レンドリース法」が制定されました。このレンドリース法、日本では「武器貸与法」と訳されます。元の英語では"Lend-Lease Act"ですけれど、いったいどこから「武器」が出てきたのでしょうか。「貸与」は分かります。しかし"Lend"にも"Lease"にも"Act"にも、「武器」という意味はないはずです。"Lendlease"という名前の会社も調べたら見つかりましたが、不動産屋であって武器商人ではありませんでした。

 実際のところレンドリース法は軍事支援に係る手続きの簡略化を図るものであって、そこに含まれるのは武器だけではありませんし、法の制定以前から武器の供与は始まっていたわけです。レンドリースを「武器貸与」と訳してしまえば、その内容を歪曲して伝えることになってしまいます。正しい訳であるとは言いがたいですが、誤訳が発生しうるほどの難しい単語でもないことは明らかで、ならば意訳を超えた「意図のある訳」と解釈する他なさそうです。

 先日も言及したように、ガンジーが掲げた「非暴力」が日本ではしばしば「無抵抗」と訳されて来ました。この辺は武を尊ぶ日本の精神がよく現れていると言いますか、抵抗とは力があってこそ可能になるものと信じる人々、力なき抵抗など想像できない人々からすれば暴力(軍事力)の放棄は無抵抗に等しいものだったのでしょう。多くの日本人にとって「武」の有無は決定的な意味を持っている、非暴力は無抵抗と受け止められがちで、逆に軍事支援であるからには「武器」を指すものと自然に考えられてしまうと言えます。

 戦争は本来、武器だけで成り立つものではありません。兵員の生活や輸送に必要な物資もそうですし、それを支えるインフラ資材がなければ戦争など行えない、武器しか持たない軍隊など戦地に辿り着く前に崩壊してしまうわけです。これを理解しなかったのが昔年の大日本帝国で、餓死・病死が戦死を上回ることすらありました。だからこそ軍事支援は武器「以外」でも当然のこととして行われているのですが、それでも「レンドリース」に「武器貸与」との訳を当てるところに日本の変わらぬ戦争観が滲み出ています。

 実際のところ日本もまた、平和ではなく勝利を訴えるウクライナ現政権へと軍需物資の支援を続けています。日本も立派にウクライナの戦争へ積極的に協力しているのですが、それでも「武器は送っていないので軍事支援ではない、戦争参加ではない」との国内向けの建前があるのかも知れません。日本が送った物資も戦争継続には立派に貢献していますけれど、「殺傷能力を持たないので武器輸出ではない、軍事ではない」みたいな理屈が国内では通用するわけです。そしてアメリカの軍事支援と日本の支援との違いを強調するべく、レンドリースに敢えて「武器」という原語には存在しない訳を付加してきたのでしょう。

 

・・・・・

 

 昨今「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」と考えている有権者が増加しているとのことで、朝日新聞と東京大学の共同調査によると6割を上回ったそうです。こうした傾向を否定的に見ているメディアもありますけれど、調査を発表した朝日新聞でも一面を飾るのはNATO陣営のプロパガンダやウクライナの大本営発表をそのまま垂れ流すような記事なのですから、自業自得ではないかという気もします。私自身、現実が大手メディアによって報道されているとおりであるならば防衛力強化しかないと思いますので。

 護憲派と目されるようなメディアであっても、大々的に報じられるのは専らロシアの非道であって、公正な報道と呼べる代物にはロシア国内で稀に出てくる反体制発言と同じくらいの頻度でしかお目にかかれません。大手はどこの新聞を読んでも、急にロシアが攻めてきた、一方的に侵攻してきたようにしか読めない記事を前面に掲げているわけです。そうした報道を信じるのであれば、防衛力すなわち軍事力の強化しか選択肢はないと判断するのが当然です。

 しかし現実には戦争の開始へと至るまでに長い段階がありました。首脳会談レベルでは合意があったはずのNATO不拡大は反故にされ、ウクライナでは暴力革命による体制転覆もあった、ロシア側の当初の要求はウクライナのNATO非加盟であり、この時点では平和的な解決も可能だったことは言うまでもないでしょう。そして外交での解決を拒んだのはウクライナでありNATOです。勿論ロシア側には泣き寝入りという選択肢もあったにせよ、外交での解決という選択肢を自ら放棄した側が戦争での解決を選んだ国を非難するという構図には、疑問を感じるところもあります。

 外交での解決を放棄するのであれば、他に何が解決策となるのでしょうか? 本当に隣国が突如として攻め込んでくるのなら、防衛力=軍事力の強化が必要だと考える人の増加は妥当です。逆にもし軍備増強へと舵を切ることを快く思わないのであれば、戦争が始まる前に対立を解消することは可能であったと世に知らしめる必要があります。ウクライナとNATOは外交での解決を拒んだから戦争を回避できなかったのであり、軍事力に頼る前段階での解決は可能だった──そう伝えてこそ、防衛力=軍事力強化への反対に一貫性を持たせることが出来ます。

 軍事力による解決を望まないのであれば、別の手段での解決のために不断の努力が求められるはずです。戦争には必ず前段があります。しかるに護憲派と目されるようなメディアであっても、いざ戦争が始まってから攻めている側の国を非難するだけに終始する、一方の国にのみ肩入れし「勝利」を希求しているのが実態です。現代でこそ平和を謳いつつ、過去には開戦を煽る急先鋒だった新聞社もあります。そうした精神は現代にも脈々と受け継がれているのではないでしょうかね。

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関心を持つ人は多くても知識を持っている人が多いかは別の話

2022-05-15 22:28:47 | 編集雑記・小ネタ

 時に元官僚で「○○を批判して○○省にいられなくなった」みたいな肩書きで局所的に支持を集めている人がいるわけですが、そういう人の主張を聞くとむしろ官庁側にも一定の自浄作用はあるのかな、と感じるすることが多いです。歴史を振り返ればソヴィエト政権から弾圧されたという肩書きで西側諸国に華々しいデビューを飾った人も結構いましたけれど、「被・弾圧」という冠なしではどうだったのかなと言う印象は拭えません。近年でも資金洗浄の罪で国際手配されながらもプーチンと対立しているからという理由でイギリスでは国賓扱いだった元オリガルヒがいましたね。

 先にロシア外務省が発表した日本の入国禁止者のリストを見たときに私が思い浮かべたのは上記のようなことですが、世間一般の受け止め方はどれほどのものだったでしょうか。何が載っていようが「悪いのはロシア」で初めから結論が決まっているところも多い気はしますけれど、例えばリストの16番には共産党委員長である志位和夫が挙げられているわけで、この辺がどう受け止められているのかは少し興味深いです。

 政治に関する「知識」のある人であれば妥当な判断と受け止めていることでしょう。しかし政治に「関心」はあるけれども知識がない人は当の政治家にすらも多く、そうした人々からすれば意外な人選に映っている可能性はあります。政治に関心はあるけれども知識はない、己の偏見と信念に沿って突き進んでいる人からすれば、「共産」と名前の付くものは元・共産党国家であるロシア寄り、中国寄りに映っているのではないでしょうか。実際は真逆なのですが、ロシアに対してと同様に共産党に対しても色眼鏡でしか見ていない、それでも政治に関心だけは持ち続けている人が結構いるように思います。

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第四の輪:国際関係

2022-05-13 22:27:57 | 雇用・経済

序:日本経済の現状

第一の輪:金融政策

第二の輪:財政出動

第三の輪:税からの続きです

 最後の提言となります第四の輪は、国際関係の見直しです。日本は明治以来、徹底した脱亜入欧の路線を継続してきました。それはロシアのウクライナ侵攻が始まって一層のこと顕著になったと言えますが、そこに未来はあるのでしょうか。何より本稿の主題となります経済の面から見ると、むしろ機会を逸しているばかりであるように思われます。

 昨今の急激な物価高の要因としては、燃料価格の高騰が大きいわけです。しかし対応の余地がないとは言えないでしょう。例えばインドなどはロシアから割引価格での石油輸入を急増させています。インドという国家の損得を考えれば賢い判断ですけれど、同じことを日本が出来ないはずはありません。このような世界情勢であるからこそ、ロシアから化石燃料を安く買う好機です。アメリカ陣営の意向に沿うかではなく、日本にとって利益があるかどうかで政策を決める、その権限を独立国家である日本は有しているのですから。

 またウクライナとは異なり自国民の国外脱出を制限していないロシアでは、既に300万人を超える出国が確認されています。その中には国際的なビジネスから切り離され本拠地を移さざるを得なくなったIT技術者も少なくないと伝えられるところですが、これもまた日本にとっては好機ではないでしょうか。ロシア国内限定で活動する技術者であればいざ知らず、世界を相手に仕事を引き受けている技術者ともなれば、当然ながら日本のビジネスにも貢献できるところは大きいはずです。

 通常であれば日本の低い賃金水準ではライバル国に勝てない、欧米の企業だけではなく中国や韓国の企業であっても、IT技術者に対しては日本企業のそれを上回る給与を提示しているのが実態です。しかし今、欧米諸国では空前のロシア排除が進められている、それは決して為政者に限ったことではなく、普通のロシア人が契約を打ち切られたり、取引から除外されている状況です。つまりは欧米というライバルが不在、平時と異なり競争相手が激減していることを意味するもので、日本にとっては割安で技術者を獲得できるまたとない好機と言えるでしょう。

 世界の人口は70億を超えましたが、内40億人以上はアジアに暮らしています。一方、北米大陸とヨーロッパの住民はロシアを含めても12億人程度です。人口の増加ペースもアジアが欧米を大きく上回り、人口規模の差が今後も開いていくことは確実です。経済力に関して欧米の先行は確かであるものの、アジア諸国の経済成長率は日本を除いて非常に高く、欧米諸国との差は着実に縮まっています。現在はさておき遠くない時代にアジアが世界市場の中心になることは不可避です。

 その日が訪れたとき、日本はどこにいるのでしょうか。あくまでもアメリカ第一、アメリカの世界戦略に合致するかどうかを基準にした政策を続けるのか、それとも発展するアジアの一員として存在感を残せるのか、間違いは早急に正されなければなりません。日本はアジアでは珍しい対ロシア制裁に熱を上げている国ですけれど、要するに欧米と歩調を合わせている一方でアジア地域内では孤立しているとも言えます。それは果たして日本の国益にかなうのでしょうか?

 欧米諸国への厚いウクライナ支援は、白人たちの強い絆を感じさせるものでもありました。一方で、アジアやアフリカで軍事侵攻が発生した時、及びアジア人やアフリカ人が祖国を追われて庇護を求めてきた時との歴然たる扱いの差を露にするものでもあったわけです。どんなに美辞麗句を並べて事態を正当化しても、欧米諸国がウクライナ人とアジア人・アフリカ人を同列に扱っていないことは隠せませんし、そこに反省が見られない以上は今後も変わることはないと断言できます。

 ならばこそ、日本はもう少しアジアの一員としての自覚を持った指針に沿って行動を改めていく必要があるのではないでしょうか。日本人は自国を西洋の一国、自分たちを(名誉)白人と考えているのかも知れません。しかし欧米諸国の目から見れば、日本人も中国人も韓国人も同じです。ウクライナが公開した感謝対象国のリストに日本の名前が挙っていなかったことは象徴的で(参考)、日本が欧米諸国から「同胞」と心の底から思われることは決してないのです。

 「釣った魚に餌はやらぬ」という諺もありますけれど、今のアメリカと日本の関係そのものではないでしょうか。アメリカから見れば日本は無条件で従ってくれる都合の良い国です。この関係に満足している日本人も多いですが、現代の日本が利を得ているとは言いがたいわけです。そこは多少の駆け引きがあってしかるべきで、アメリカを含む周辺国から利益を引き出すことも必要でしょう。取り敢えずはマーシャル・プランの発動要件を満たすことを目標に、アメリカとは異なる動きの一つも見せることから始めるのが良いと思います。

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第三の輪:税

2022-05-12 22:38:21 | 雇用・経済

序:日本経済の現状

第一の輪:金融政策

第二の輪:財政出動からの続きです

 日本経済の再生に向けた第三は、税です。日本で働く人々の給与が上がらない中、事実上の税である保険料負担ばかりが増加して国民の生活を圧迫する等々、税制次第で人々の暮らし向きは変わります。そして日本経済が上向かない理由には消費の低迷が挙げられており、そのことは政府も認めているにもかかわらず、何故か消費への課税を強めることで国民の消費に制約をかける政策を続けているのが日本という国です。消費を抑制したいのでなければ、そこへの課税は強めるのではなく緩めるべきと言えますが……

参考:消費税についてのまとめ

 上記はちょうど10年前、野田内閣時代に消費税増税への動きが本格化した際に書いたもので、その当時から消費税が抱える問題については何一つ変わらず、何一つとして解消されていません。消費税増税によるダメージはひたすらに国内の消費者や一部事業者へ転嫁されたままです。詳細は上記リンク先のまとめをお読みいただければと思いますが、負担は偏在し国内消費は低迷、増税の口実であった社会保障は全く充実に向かわずと言った有様です。

 この消費税については、完全なる撤廃が最良の解決法です。消費税を撤廃することで税がシンプルなものとなり事務処理コストを低減させることができますし、逆進性の強い税を廃止することは格差の是正にも繋がる、そして消費への課税をなくすことで国内消費の促進効果が期待できます。消費税の撤廃こそが、簡単でありながら最も効果的な経済対策であり、合理化であることに議論の余地はないでしょう。

 一方で消費税増税は民主党が強く主張し自民党との合意を取り付けたものであり、その後の自民党安倍内閣は民主党政権時代を「悪夢」などと呼んでおきながらも消費税増税については民主党との約束を遵守するなど、与野党双方が悪い方向で意見を一致させているものでもあります。何をやるべきかは明白でありつつも、単に政権交代では解決しない、与党だけではなく野党側の政治家にも考えを改めてもらう必要があるという点ではハードルが高いのかも知れません。

 消費税増税以外の面でも、やれることはあります。例えば現状では給与所得にこそ緩やかな累進課税が存在するものの、資産からの所得は別枠で税率が低く抑えられており、中途半端な高給取りよりも資産から所得を得る大富豪の方がトータルで適用される税率が低くなる逆転現象が発生しています。これは給与からの所得に対する課税と資産からの所得に対する課税が徹底して分離されていることによるものですが、もし国家の財政を気にするのであれば、ここにメスを入れるのも良いでしょう。分離課税を撤廃することは社会的な公平性にも繋がります。

 そしてもう一つ、人件費にも設備投資にも取引先への支払いにも回されない眠ったお金へも、課税は強化して良いでしょう。これは財政上の問題と言うよりも、景気刺激策という面で有意義です。つまりは人件費や設備投資、取引先への支払いの増加が節税に繋がる仕組みを作る、そうすることで資金の循環を促していくわけです。消費に課税して消費を押さえ込むのではなく、経済成長に貢献しない眠ったお金の方をターゲットにする、そうした転換が望まれます。

 

第四の輪:国際関係へ続く

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第二の輪:財政出動

2022-05-11 22:39:05 | 雇用・経済

序:日本経済の現状

第一の輪:金融政策からの続きです

 日本経済の再生に向けた第二は、至って当たり前のことではありますが財政出動です。しかるに日本では与野党ともに財政再建や無駄削減の方を好む、有権者もまた国家財政を家計と同様なものと捉え、財政支出は浪費であるかのように勘違いし、節約(緊縮財政)に励む政党・政治家に票を投じがちではないでしょうか。日本の政治には民意に応えるほどに経済を悪化させ国民の生活を犠牲にするというジレンマがあります。国民に嫌われる勇気を持てるかも、重要なのかも知れません。

 背景として、お金を限りある資源であり大切に使わなければならないと、そう信じ込んでいる人が多いように思います。しかしお金を使って、それがなくなったのを見たことがある人はいないはずです。お金を使っても、それは持ち主が変わるだけなのですから。何かを購入して代金を支払ったとき、自分の手元からお金はなくなるように見えますが、それは売り手にお金が移動しているだけです。お金はなくならない、ただ所有者が変わるだけ、これは理解されるべきです。

 そこで日本政府がお金を使った場合です。使った分だけ日本政府の支出は増えますが、使われたお金は別の人の懐に納まります。海外の投資家が入り込むと少しばかり問題となりますが、日本国内でお金のやり取りが行われている限り、日本国内のお金がなくなることはない、政府の帳簿にマイナスが増えることはあっても、その分だけ民間の帳簿にプラスが上積みされて帳尻が合うわけです。反対に税が上がってもお金が増えることはない、政府の帳簿が黒字になって、その分だけ民間が赤字になる、お金の量はなくならず、ただ移動するだけです。

 これを踏まえ、まずは何より政府からお金を動かしていく必要があります。昔ながらの土木事業は何かとムダ呼ばわりされがちですが、しかるに日本全国の生活インフラの老朽化は顕著であり、むしろ大々的に行ってこそ経済ではなく国民の安全を支えることにも繋がります。これに加えて需要はあるが採算性の問題で不足している分野の公営化も進めていくべきでしょう。営利事業として成り立たせるのが難しく、民間任せでは解決しない問題は山積みされています。

 顕著なのは福祉系人材の不足で、有資格者に関しては必ずしも不足していない一方で賃金水準の低さを理由に職を離れる人が多いと伝えられるところです。ならば国が十分な給与を払うことで問題を解決してしまいましょう。それ以外にも問題はあるとしても、賃金の問題に関してなら解決するのは簡単な話です。単にお金を出せば良いのですから。民間企業にとっては採算性の問題で難しいことも、国にとっては容易いことです。ただ日本国内でお金を移動させるだけですから。

 地方の公共交通機関は軒並み赤字、どこも都市部の路線の黒字で補填していると聞きますけれど、一部は国営に戻しても良いのではないでしょうか。地方住民の生活インフラを守り、民間企業の経営を守り、そして国有インフラに勤める新たな雇用を創出する、誰も損をしません。日本政府の帳簿にマイナスは増えますが、それは日本で働く人々の賃金になっているだけ、決してお金がなくなるのではなく、政府から働く人へとお金の所有者が変わるだけです。何も問題はありません。

 現在は円安が急激に進み、国外から何かを買うには不利な状況です。しかし円とドルの相場は変わっても、円と円の相場は当たり前ですが変わりません。国外から何かを買う力は減っても、日本国内で生活する人を雇う力が減っているわけではないのです。民間企業が十分な賃金を払おうとしないのであれば、代わりに国家が模範となる雇用主として賃金を払う、民間で出来ないことは「官」が行う、それが日本で生活する人々を豊かにしていく方法ではないでしょうか。

 

第三の輪:税に続く

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