非国民通信

ノーモア・コイズミ

山本太郎に共感している人は頭を冷やすべきだと思う

2011-05-30 22:51:44 | ニュース

学者は「ゼロではない」よく使う…班目委員長(読売新聞)

 東京電力福島第一原子力発電所1号機で、東日本大震災発生翌日に冷却用の海水注入が一時中断した問題で、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大教授)は25日、「再臨界の可能性はゼロではない」という自らの発言に関し、「学者は、可能性が全くない時以外は『ゼロではない』という表現はよく使う」と述べた。

 同日の委員会後の記者会見で答えた。一方、「ゼロではない」という発言を、その場で聞いた人たちが驚いたとされることについては、「周りが大変驚かれたという印象は全然もってない」と、再臨界を巡る解釈に温度差があったことを認めた。

 何でもこの班目氏が「(海水注入による)再臨界の可能性はゼロではない」と発言したために福島第一原発への海水注入が一時停止と判断されたとかで、色々と取り沙汰されています。まぁ、その可能性がいかに低かろうとも0ではないという意味で「ゼロではない」と述べるのは誤ってはいないのでしょう。あなたが明日、隕石に当たって死ぬ確率だって0ではありません、極限まで0に近い確率であろうとも、決して0ではないのです。60億を超える地球人の中には隕石に当たって死ぬ人だっています。だからといってヘルメットを常備して外出しなければならないとしたら馬鹿げた話ですが、しかるに班目氏の「ゼロではない」発言を耳にした政府関係者は「再臨界する!」と解釈してしまったようです。

 概ね日本では曖昧さは嫌われます。常に二元論に沿って行動しながら、まだまだ日本人は曖昧だから良くない、と自らを戒め続けてきた文化なのです。「ゼロではない」とか「直ちに影響はない」みたいな曖昧さを残した説明は、それが実態を正確に伝えるものであったとしても日本社会では受け入れられません。日本人にとっては「ある」のか「ない」のか、あるいは「危険」なのか「安全」なのか、その二者択一しかないのでしょう。だから「ゼロではない」などと語ろうものなら、班目氏の発言がそう解釈されたように、直ちに危険があるかのごとく受け止められてしまうわけです。こういう社会では「絶対に安全」と言い切るか、「絶対に危険」と叫ぶか、そのどちらかを選ぶしかなさそうです。


山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か ツイッターで大反響(シネマトゥデイ)

 原発問題に関する発言を問題視され、決まっていたドラマを降板させられたことを自身のツイッターで告白した山本太郎に、心配の声が寄せられている。

 25日夜、山本は自身のツイッターに、「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」とツイート。山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかり。わずか2日後のことだった。

(中略)

 23日、シネマトゥデイの取材に応えた山本は、「電力会社はメディアの最大のスポンサーですし、さまざまな事情はあります」と言っていたが、言葉どおりの現実が彼を待ち構えていた。たったひとりで立ち上がり、デモにも堂々と参加を続けてきた山本に、ネット上では、「やっぱり干されてしまった!」「ひどすぎる!」「これが現実かよ……」と、同情の声が次々に上がっている。心配するフォロワーたちに向け、山本は「抗議するからTV局、プロデューサー教えて、などなど励まし有難う! 外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない。一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えている。

 …で、こういう人もいるようです。山本太郎は行動に先だって「芸能界で仕事干される」などと宣言していたそうで、まぁブログをやっているとよく見かけるタイプですかね。「どうせ消されるんだろうけれど」とか「どうせ公開されないんだろうけど」とか前置きしてコメントを書き込むタイプと同じ匂いがします。それはさておくにせよ、山本が要求しているという「20mSV撤回、子供達の疎開」なんかはいかがでしょうか。どうも20mSVという数値に反応している人の大半は、これが「夏までの暫定基準」でしかないことを無視している気がします。ましてや全地域で基準上最大の放射線量が観測されるわけでもなし、実際に浴びる放射線量は20mSVを格段に下回ることでしょう。そうでなくとも、単に20mSVという基準を撤回するなり引き下げるなりすることに意味があるのかを問いたいところです。

 飲酒や喫煙、睡眠不足に運動不足、偏った食生活や肥満に過労等々、生活習慣に起因する健康リスクは20mSV程度の放射線の影響なんかとは比べものにならないほど大きいわけです。だからといって、政府が国民に「健康で規則正しい生活」を強制するとしたら、それは大きなお世話ではないでしょうか。それで寿命が延びるとしても、国民の自由への干渉は極力避けてしかるべきです。政府なり自治体が定める「正しさ」を押しつけられる謂われはありません。退去や疎開が当事者にとってどれだけ重い負担であるかも少しは考えてほしいものですし、ましてやそれが強制的に行われるとあらば、これこそ声を上げて反対すべきところでしょう。自らの意志で避難したい住民を支援しようというのなら理解できる範囲ですけれど、住民の意思を無視して「ここは危険だから早く立ち退け」と自らの信じる善意を押しつけ強要するような振る舞いは、まさしく橋下や石原が好む国旗/国歌の強制と何ら変わるものではありません。世の中には自分の気に入らないものが強制されれば反対する一方で、自分が共感するものが強制されようとしているときにはそれを賛美する人もいます。でも私は、公権力を個人の領域に踏み込ませようとする動きそのものこそ危惧すべきだと思うのです。

 山本太郎の主張するところでは、反原発発言が問題となってドラマを降板させられたそうです。へー。ちなみに「外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない」とか。「現場には迷惑掛けられないから言えない」ではなく、ドラマを降板させられたというエピソードが捏造だから言えない、じゃなくて? だってテレビを点けてみれば、盛んに電波芸者が公務員叩きと同じようなノリで原発叩き、東電叩きに明け暮れているわけです。橋下を筆頭とする機を見るに敏な若く軽薄なポピュリスト達は挙って反原発の旗を掲げるようにもなりました。お笑いダイヤモンドや毎日ブルジョワ新聞などのメディアも反原発一色、今や反原発は「乗るしかない このビックウエーブに」と言った風情です。似たような立場を取る他の電波芸者が喝采を浴びる中、あくまで流行に沿っている言動を取った山本だけが外されるなんて、とても考えられません。

 ちなみに山本太郎によると「電力会社はメディアの最大のスポンサー」なのだそうです。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー だけど電力会社のCMって、そんなに目にしますかね? 最大のスポンサーならCMの流れる頻度も最大であってしかるべきですが、実際はどれほどのものでしょう。ましてや電力会社のCMといったら「電気を大切にね」みたいな営利目的の広告というより啓発活動みたいな代物が大半です。原発の安全性を主張するCMなんて、それこそ地元住民に向けたものを別とすれば、よほどの物好きが自分から探しに行かないとお目にかかれるものではなかったはずです。電力会社のCMが流れる番組なんてたかが知れているのに、「電力会社はメディアの最大のスポンサー」みたいなネット上で流れたヨタを真に受けている人は反省した方がいいと思います。寧ろオーナーが脱原発に熱心な、被災地で最も繋がらなかった携帯電話の会社の方が、そのCM頻度からして間違いなくスポンサーとして多額の金をつぎ込んでいることでしょうに。

 かつて「ソ連政府に睨まれる」ということこそロシア人にとって最高の国際的ステータスだった時代がありました。「ソ連政府の弾圧を受けた」という肩書きがあれば、どう見ても三流としか思えない学者でも結構な評価を受けたものです。中には狙ってその地位を手に入れたと思われる人もいて、当初は反体制的な詩で国際的な名声を高め、しかる後に転向してソビエト連邦国家賞を受賞したエフトゥシェンコなんて詩人もいます。山本太郎も、寧ろこの一件で知名度上昇、将来的には売れるのではないでしょうか。当人は「圧力にも屈せず巨悪に立ち向かう俺カコイイ」と自分に酔いしれているだけではないかという気もしますが、周りのマネージャーなりはある程度、狙っているようにも思います。山本太郎の「痛さ」もさることながら、それを賞賛する人々にも私は肩をすくめずにはいられません。

 

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労働者の権利

2011-05-28 22:58:17 | ニュース

国家公務員給与削減、連合系労組が合意 5~10%案に(朝日新聞)

 東日本大震災の復興財源を確保するため、菅政権と連合系の公務員労働組合連絡会(連絡会)は23日、国家公務員給与の削減幅について合意した。課長以上の幹部を10%▽課長補佐・係長を8%▽係員を5%それぞれ削減する。ボーナスは一律10%減らす。給与法の改正後に適用し、2013年度末まで実施する。

 菅政権は当初一律10%減で3千億~4千億円の確保を目指したが、削減幅で譲歩した。片山善博総務相と連絡会が同日協議し合意した。政権は労働基本権を拡大する国家公務員制度改革関連法案とともに、給与法改正案を6月3日に閣議決定したい考え。法案が成立すれば人事院勧告を経ない削減は初めて。

 元より公務員の給与カットを「目的」としてきた現内閣ですけれど、震災という「追い風」を得て勢いづいたのか、ついに人事院勧告を経ない給与削減に踏み込んだことが伝えられています。こういう労組側が反対しにくい状況での断行は卑怯ですね。元より給与カットで確保される財源は一律10%減で3千億~4千億円とのことですから、係員を5%の削減に止めたとなると2千億円強という辺りになるでしょうか、90兆円を超える歳出から見れば微々たる数値でもあります。歳出から見れば0.2%程度、この辺は景気の動向次第で簡単に飲み込まれてしまうレベルです。売上アップではなくコストカットで利益を確保することを是とする日本的経営感覚からすれば好ましい政策に見えるのかも知れませんが、給与所得者の生活に与える影響の大きさに比した予算の捻出効果は大いに疑わしいところです。まぁ、叩けば叩いた分だけ支持が得られるのが公務員というものですから、政府の人気取りとしては悪い策ではないのでしょう。

 さて「公務員労働組合連絡会」が削減幅について合意したことが伝えられていますが、別に公務員全体や、全ての組合が同意したというわけではありません。日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)や国家公務員一般労働組合(国公一般)は今回の削減案に反対しているようです。

根拠なしルール無視の国家公務員賃下げ強要は認められない-改めて大臣による説明求める(国公労連)

625万人の「国民生活を第一」に破壊する国家公務員給与10%カット-人間と経済つぶす悪循環(国公一般)

 国公一般に関しては原発がらみで俗論の垂れ流しに終始する姿勢を露わにしたばかりでもあるだけに、給与カットに関する分析でも自説に都合良く物事を歪曲していないか疑わしく思わざるを得ないところもあるのですが、ただ論拠の公平性はさておき直接の利害関係者として自身の権利、自身の取り分や地位を守るために声を上げる資格はあると思います。部外者から見れば利権の類であろうとも、自己犠牲を強要される謂われはありません。労働者として、あらかじめ定められた賃金を受け取る権利は誰にでもある、労働条件の不利益変更を迫られたときに抵抗する権利は必ずあるはずです。非常事態にかこつけた強引な賃下げには労働者として断固、立ち向かうべきです。

 一方、東京電力に関しても給与カットや人員整理、年金の減額などが迫られています。労働者として、この事態にどう向き合うべきでしょうか。


東電社員がテロ予告?原発を盾に恫喝発言連発(探偵ファイル)

「ああそうそう、なんでウチの社員に給与出すんだなんて言ってる人たちがいるけど、ウチの社員結構現金な人多いから、給与カットした瞬間に仕事しなくなるよ。福島も柏崎も同時にメルトダウンするし関東も大停電して復旧しない。 それでもいい?ww」

「ちなみに冗談のように聞こえるけど、働いてる社員がやる気なくして全員帰ったらメルトダウンだって普通になるし、首都大停電も普通に起きる。これは紛れもない事実。」

 出所が出所なので真偽の程は怪しいものですが、上記引用は東京電力社員を自称する人の書き込みとされるものです。いうまでもなく激しいバッシングにあったようですけれど、言い回しはさておき東京電力同様に人件費削減を迫られたJALの場合はどうだったでしょう。強引なリストラに空の安全を危惧する人も多数派ではないながらも存在しましたし、年金受給権に関しても理解を持った人はいたわけです。しかるに東京電力の場合は? 私は労働者として、企業の責任とは別に労働者の権利は守られるべきだと思いますし、社会インフラを運用する上での安全面もまた考慮されなければならないと思います。事故を起こした企業の責任は問われるとしても、過度なバッシングによって本来業務を滞らせインフラを危うくするようなことがあっては社会全体にとってもマイナスになりますし、そこで働く労働者には自身を守る権利があるはずです。東京電力の労働者が自身を守るために声を上げるなら、私も労働者の一員としてそれを応援するつもりです。

 しかるに上述した国公一般なんかは東京電力に対する社会的憎悪を煽る側に立ってきたわけです。まぁ、このご時世ですから東京電力を叩く側に立っていた方が幅広い支持を得やすい、得策であることには違いないのでしょう。でも東京電力で働く労働者の立場に対してはどうなのかな、と首を傾げずにはいられません。敢えて世間を敵に回すこととなろうとも、労働者の権利を守るという立場から東京電力社員の権利をも守ろうとするのなら尊敬に値することですが、東京電力という嫌われ者を罵る一方で自身の労働者としての権利を守ろうとするのなら、これまたムシのいい話でもありますよね。まぁ自分を守ろうとするのを否定はしませんが、同じ立場に置かれた人を守る意識も持つべきではないでしょうか。どのみち公務員も東京電力社員も、世論上はどっちも「敵」であり、世間の認識上はどっちも高給取り、似たもの同士なんですから!

 

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 本文とはあまり関係がありませんが、今後は不適切な測定が流行りそうな気がします。例えば公務員給与の場合、ホワイトカラーの正規職員の平均給与と、パートタイムまで含めた全職種の労働者の平均給与を並べて論じるのが一般的です。これは条件が全く異なりますので比較対象としては甚だ不適切ですが、公務員叩きに好都合であるためによく用いられてきました。そして今後は、「地面に擦りつけて放射線濃度を測定」みたいな誤った測り方が一般化するのではないでしょうか。これまた特定の目的以外には不適切なものであろうとも、東電叩きや反原発論には好都合ということで頻繁に行われるものと予測されます。どうにも不合理な叩き方が許される社会の「共通敵」が新たに増えたのだと、そう私には思われてなりません。

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ムシのいい話

2011-05-26 23:03:51 | ニュース

未払い賃金の支払いを 元中国人実習生が労基署に申し立て(中日新聞)

 福井市の縫製会社トーエツで働いていた中国人実習生、孔小玲さん(21)が、正当な給料をもらえないまま解雇されたとして17日、会社に未払い賃金を支払うよう、福井労働基準監督署に申し立てた。同署は近くトーエツを調査する。

 福井市役所で同日、孔さんと市民団体「外国人研修生権利ネットワーク福井」の高原一郎事務局長らが会見した。高原事務局長によると、孔さんは2010年3月に来日し、研修生として半年、衣服のアイロンがけや裁断に従事。同年9月から実習生として働き、今月10日に突然解雇された。実習8カ月間のうち4月分を除く7カ月間は、研修手当とほぼ同額で、正規の半額ほどの月約6万円しか払われなかったという。

(中略)

 昨年3月、3年の予定で来日。研修生として働き、実習生となったら月収は2倍の約12万円に増えるはずだったが、実際に支払われたのは研修生時代とほぼ同額の6万1000円~6万4000円。残業は1カ月で約200時間に上り、時給100~200円の「内職」もさせられ、15時間ミシンをかけ続けたこともあったという。「解雇や帰国をちらつかされ不満を言い出せなかった」と孔さん。会社では現在も12人の外国人実習生が働いているという。


中国、食品輸入規制緩和の方針 温首相、宮城で言及(朝日新聞)

 来日した中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は19日、東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪れ、福島第一原発の事故を受けた日本産食品の輸入規制について、「安全を確保できる条件の中で、農産品などの輸入規制を緩和させていきたい」と報道陣に語った。復興視察団や貿易投資促進を目的とする代表団を日本に派遣するほか、観光客の回復などに努める考えも示した。

 被災地を目にした温首相は「悲しい気持ちで心がいっぱいだ。中国政府と国民を代表し、心からお見舞いを申し上げる」と述べた。「日本の皆さんは自らの努力で、また国際社会の支援の下で、必ずや困難を克服し、家々を再建できると信じている」とも話した。

 中国では、宮城県女川町で中国人研修生20人を避難させ、自らは命を落とした日本人の行動が感動を呼んだ。温首相は「災難を前にして、どこの国の人とかを考えなかった。みんな友人、親戚だという考えだった。高く称賛したい。日本の皆さんの中国人民への友好感情を感じることができた」とたたえた。

 最初に引用したニュースに関しては、今さら何かを言うまでもないでしょう。日本ではよくあることです。典型的な外国人研修生の話でしかありません。そもそも募集時点で明示された待遇や業務内容が実際と異なるのは日本人向けの求人であっても当たり前、例外的に勤務先が原発であった場合に限って国内世論や行政府は怒りを露わにするようですが、それ以外の点で応募者を欺いても慣例として黙認されてきたのが日本です。ましてや日本人がやりたがらない仕事を日本人より安い給料でやらせるためにブローカーに金を払って「買ってきた」外国人研修生の扱いがどうなるかなど火を見るより明らかですから。

 ……で、「中国では、宮城県女川町で中国人研修生20人を避難させ、自らは命を落とした日本人の行動が感動を呼んだ」と伝えられています。温家宝首相も「高く称賛したい」などと述べたそうです。だけどここで言及された「中国人研修生」の給料は、果たしていくらだったのでしょうね。ことによると冒頭の福井の事例よりはマシであったのかも知れません。でも中国人研修生20人を避難させたのは、自身の大切な財産である奴隷を守ろうとしていただけではないかという気もします。あたかも美談のごとくに伝えられているようですが、中国では外国人研修生とはどういうものなのか知られているのでしょうか。もし遍く知られているのなら、日本に研修生として働きに来る人なんていないですよね。今回のエピソードを契機に外国人研修生というものが両国政府黙認の人身売買であることが幅広く知られるようになれば、感動を呼ぶどころか怒りを買うことともなりそうです。少なくとも温家宝首相は実態を知っているはずですが、敢えて目をつぶり美談として受け止める世論に調子をあわせたのでしょう。


風評被害防止で協力=農水産品「科学的証拠で対応」―日中韓首脳(朝日新聞)

 菅直人首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領の3首脳は22日午前、東京・元赤坂の迎賓館で会談し、福島第1原発の放射能漏れ事故に伴う日本の農水産品や工業製品をめぐる風評被害の防止に向けて協力することで一致した。日本の要請が受け入れられた形で、政府は海外の輸入規制に歯止めがかかると期待しており、他国にも働き掛けを強める方針だ。

 3首脳は会談終了後、共同記者会見に臨み、首脳宣言を発表。菅首相は中韓首脳の福島訪問に改めて謝意を示し、「日本の食べ物を含めた安全性を世界にアピールする最も効果的な役割を担ってもらい、大変大きな助けになった」と述べた。

 さて首脳陣は宮城を訪問した後に福島を経由して東京で締めるという形になったようです。「風評被害の防止に向けて協力することで一致した」そうですが、だからといって日本政府が事態の好転を期待していい状況かどうかは定かでありません。両国首脳に福島を訪問してもらって「日本の食べ物を含めた安全性を世界にアピールする最も効果的な役割を担ってもらい、大変大きな助けになった」と菅は語ります。ただ、「世界」の視点はどうなのでしょう。国内レベルで見れば概ね「県」という行政区を基準とした差別や風評被害が広められているわけで、これに対する措置として要人の福島訪問は一定の意味があるのかも知れませんけれど、日本以外の国に住んでいる人は福島が日本のどこにあるかなんて考えてもいないような気がします。この十数年来、日本の外交とは常に国内に向けたパフォーマンスであって、今回もその延長と考えれば納得できないでもありませんが……

 例えばBSE騒動の時など、日本側はどう反応していたでしょうか。日本人の9割以上はアメリカのどこの州で問題が発生したかなど全く気にしていなかったはずです。アメリカの州と言ったら時に日本全土よりも広かったりもするのですが、そんな広大な州という区切りさえ輸出側から見た「外国人」である日本人にとっては意味をなしていませんでした。その国の「外」に住んでいる人にとっては県や州などの行政区単位での区切りなど関係ない、どこかの「国」で問題が発生すれば、その「国」から輸出されるもの全体が危険視されてきた、少なくとも日本の世論は「国」単位で危険視してきた、日本の政府も世論に追従して「国」単位でブロックを掛けてきたわけです。だからまぁ、日本人からすれば原発事故とは全く無関係に見える地域の産品までもが輸入規制の対象にされたり海外の消費者から敬遠されたりするのも、ある意味では因果応報なのかも知れません。

 もっとも因果応報だからと言って済むものでもないですから、生産者なり行政なりは何とかしなければならないところです。そこで問われるのは、国単位という大雑把で野蛮ですらある区切り方や、科学的根拠に乏しい偏見や怪情報に振り回されないだけの理性です。ただ日本国内に住む人ですらデマやトンデモの類にすがりつき、政府は(東電は)嘘を吐いている、本当はもっと汚染されているのだと公言して憚らない人がウジャウジャいるのですから(放射線量なんて市販の装置でも計れるのですから自分で計ってみたらどうでしょう、市場に流通している食品の放射線量が基準値以下であると証明してしまうことを恐れているのでなければ!)、隣人にばかり冷静さを求めるのは贅沢に思えてしまいますね。

 

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カルトJ

2011-05-24 23:23:41 | ニュース

君が代不起立「実名公表」 橋下知事、検討の意向(朝日新聞)

 「大阪維新の会」の大阪府議団が5月府議会で成立をめざす、君が代斉唱時の教員の起立義務化条例案について、維新の会代表の橋下徹知事は18日の記者会見で、不起立を繰り返した教員の学校名と実名の公表を検討する考えを示した。

 府は現在、懲戒処分した職員の実名を原則として公表していない。橋下氏は会見で「職務命令違反を繰り返す教員の名前は保護者も知りたいと思う。府民の総意をもとに実名公表の基準を考える」などと述べた。


君が代条例他会派そっぽ 過半数の維新押し切るか(朝日新聞)

 しかし、自民側は20日の会派間協議で、一本化には応じないと伝えた。同党議員の中にも斉唱時の起立徹底には前向きな意見も多いが、条例化には慎重な立場だ。花谷充愉(みつ・よし)幹事長は「府教委が起立を指示しており、条例化は不要。国を愛する意識の高揚などをめざす我々の条例案と理念が違う」。

 公明府議団も条例に反対する方針だ。清水義人幹事長は「条例で縛るのは反対だ。府教委が現場で丁寧に指導すべきだ」との考えを示した。民主府議団の幹部も「(校長が職務命令を出す)ルールがあるのに、なぜ条例化が必要なのか」と反対の構え。維新側が9月議会で提出を検討する不起立教員の処分を明文化する条例案についても「強権政治だという意見が多い」と否定的な立場だ。

 この手の条例に関しては語り尽くした感もありますが、しかるに自民党を含めた既成政党が幾分か慎重な態度を取っているのは興味深いところです。何かに連れ新興の政党ほど、そして若い政治家ほど世論の期待を集めがちな時代ではありますけれど、やはり昔からある政党や古株の政治家の方が良識や自らの負う責任への自覚を備えているものなのかも知れません。もちろん全てが全てとは言いませんけれど、若い政治家には小泉以降の政治文化が色濃く染みついていると言いますか、とかく「敵」を見つけ出しては攻撃を加えるばかりで、その結果として引き起こされるものに対する責任感が欠如しているように思います。こと政治の世界に関しては老害ならぬ「若害」とでも言うべきものが深刻なのではないでしょうかね。


義援金出さなかった生徒の名前、黒板に貼り出す(読売新聞)

 秋田県大館市の同市立第一中学2年の2学級で、それぞれの担任教諭が、生徒会が企画した東日本大震災の義援金集めで寄付をしなかった生徒計約20人の名前を教室の黒板に掲示していたことが20日、わかった。

 同校では保護者からの苦情で取り外した。

 同校によると、義援金集めは被災地を支援しようと生徒会が企画した。全生徒に募金を呼びかけるチラシを配り、11日から17日まで1人200円以上を納めるよう呼びかけた。

 受け付けは17日朝までだったが、同日の帰りの会で担任教諭2人が、納めていない生徒計約20人の名前を紙に書いて黒板に貼って寄付を促した。担任は納付した生徒の名前をチェックしており、約15人の生徒が掲示後に寄付したという。

 同校の菊地俊策校長は読売新聞の取材に対し、「生徒全員が全会一致で決めたので任意の募金ではないと考えていた。宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だったが、保護者や生徒に不安を与えたなら責任を感じる」と話している。

 ……で、この記事です。2学級同時に発生したと言うからには、担任教師の独断ではなく学校ぐるみで行われたと見るべきでしょうか。取材を受けた校長も「宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だった」と述べている辺り、学校全体の方針として寄付を「しなかった」生徒の吊し上げが行われたものと推測されます(教員の独断であった場合、一般に校長は監督責任から頭を下げるものですが、今回は違うわけです)。そして君が代斉唱時に起立しなかった教員の実名を公表しようと訴える知事が人気を集め、義援金集めで寄付をしなかった生徒を晒し上げる学校まで出てきた、これは例外的な事件ではなく、世相を如実に反映した現象であるように思われます。

 結局のところ、自分の属するコミュニティの中の「正義」が絶対のものとして幅を利かせていると言えます。国家斉唱時には起立するのが当たり前、上の命令には従うのが当たり前、義援金集めには協力するのが当たり前、学校で決めたことには従うのが当たり前――そういう「当たり前」が誰にでも共有されているものだと信じ切っているのでしょう。だからこの「当たり前」に同調しない人が異常な存在にしか見えないわけです。実際のところ、ある人が「当たり前」だと思い込んでいるものも、その実は外から冷めた目で眺めている人にとっては拘る方が馬鹿馬鹿しいような事柄であったりします。ただ自分の周りにいる人々、自分の付き合っている人々、自分が支持している人あるいは自分を支持してくれる人々、こうした人の間でのみ共有されている「当たり前」が、あたかも普遍的なものであるかのごとく勘違いしている人が増えているのではないでしょうか。

 特定のコミュニティの中で「正義」として共有されているものの「中身」を、自分の頭で考えることなく、ただ盲目的に信奉し、歪んだ正義感から周りの人間もまたそうあるべきだと思い込む、その結果として全体主義的な「正しさ」の押しつけが繰り返されるわけです。すなわち国歌を起立して声に出して唄うことだったり、被災地に寄付をすることだったり、そして電力会社を罵り原発を全否定することだったり、こういう流れに同調しようとしなければ、異端分子として社会的制裁や「矯正」の対象と見なされるのでしょう。君が代を歌うくらいはどうということもない、寄付だって別に悪いことではないとも言えますが、そうではなく特定の人々が信奉しているだけのカルト的な「正しさ」の強要に危ういところはないのか、それこそ問われるべきものです。

 こうした「正しさ」への信奉の中では、しばしば当初の目的は消え失せてしまうものでもあります。大阪では自民党の幹事長が「国を愛する意識の高揚などをめざす我々の条例案と理念が違う」と橋下に異を唱えました。少なくとも「起立させること」を最初から追っていた人は滅多にいないでしょう。起立させることが目的化した橋下条例案には、マトモな保守であれば本末転倒を感じるはずです。秋田の中学校の場合だって、全員に寄付をさせるのが目的であるかのごとき様相を呈していますけれど、果たして被災地支援の在り方としてそれはどうなのでしょうか。被災地のためを考えるなら金額の多寡の方が重要ですし、善意を問うなら強制など論外です。そして昨今の脱原発論となるや、安全で安定したインフラを提供するという発想などどこへやら、ひたすら原発潰しだけが目的化してデマの拡散に邁進、その過程で生まれる電力不足などの弊害は黙殺され、恐怖を煽っては福島在住者に対する諸々の差別的扱いを助長するばかり(挙げ句に「ネット上で探したけど証拠が見つからなかった」などと歴史修正主義者の如き論法でなかったことにしようとする輩も出る始末です)、とどめに「(農産物などが)汚染されている、政府は情報を隠しているんだ!」と言い張って風評被害を広める等々、まぁ酷い有様です。それでもやはり、彼らの頭の中ではそれが「正しい」ことなのでしょう。そしてこの「正しさ」を共有する人々は頑迷さの度合いを深めるばかり、自分たちの「正しさ」を疑うこともなく、「正しさ」に同調しない人を敵視する、そうした傾向が強まっていると言えます。

 

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中部以西も危機的状況のようです

2011-05-22 23:10:47 | ニュース

九電、最大15%の節電を要請へ 7月から(朝日新聞)

 九州電力の真部利応(まなべ・としお)社長は18日の記者会見で、7月から最大15%の節電を企業や家庭に求める方針を明らかにした。定期検査中の玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開が、佐賀県などとの調整の遅れで7月以降にずれ込むほか、火力発電に使う燃料の調達が難航。冷房需要が増える夏の電力の供給不足を防ぐねらいだ。

 真部社長は「原発の再開や燃料調達に全力を尽くしているが、電力不足で大停電を起こすことは絶対に避けたい」と述べ、本格的な節電に理解を求めた。すでに、JR九州や西日本鉄道は運行本数の削減などを検討。「夏休みを長くしたり、休日を入れ替えたりするなど工夫をお願いしたい」(真部社長)としており、くらしや企業活動に大きな影響を与えそうだ。

 広瀬隆の脳天気な予測とは裏腹に今年の夏も相当に暑くなるとの見込みを昨日の天気予報で聞いて暗澹たる気分になったりもするこの頃ですが、西日本もまた風向きはよろしくないようです。とばっちりを食らうのが浜岡原発「だけ」で済めばまだしも、やはり影響は全国に拡大していかざるを得ないのでしょう。東京電力のように、原子力だけではなく火力や水力、その他諸々でバランスのとれた発電手段を備えた電力会社もあれば、相当に原発依存度の高い地域もあるわけで、こうなると東京電力管内に原発融通どころの話ではない、自身の管轄区の住民に我慢を求めざるを得ないわけです。火力発電所をフルパワーでフル稼働させれば理論上は間に合うかに見えるエリアだって、想定外の事態に備えるべく余力は持たせねばなりませんし(ある種の脱原発論者にとっては不要のことらしいですが、彼らの想定の甘さには呆れるばかりです)、急に燃料の調達を増やすのも簡単ではない(燃料輸送に必要なタンカーまで不足する可能性すらあるとか)、かくして西日本でも節電が必要になる可能性が濃厚となりました。引用したのは九州地方の話ですが、関西や中部エリアもまた例外ではありません、その結果として――


自動車業界、7~9月の土日操業決定 夏の電力不足対策(朝日新聞)

 国内の自動車メーカー14社でつくる日本自動車工業会は19日、夏の電力不足対策として、7~9月は川崎重工業を除く加盟社の全工場を、電力需要の少ない土、日曜日に稼働させ、代替として木、金曜日は休業すると発表した。

 部品メーカー約450社でつくる日本自動車部品工業会も歩調を合わせる。国内で自動車の製造にかかわる人口は約80万人と言われており、多くの働き手の生活が変わる。東海地方や九州北部など工場集中地域では、小売業や交通機関、保育施設なども対応を迫られる可能性がある。

 自工会では管理部門などの対応は各社に任せるが、トヨタ自動車では、工場だけでなく、本社も含むほぼ全社で「土日稼働、木金休業」とする方向で近く労働組合と調整に入る。労組も受け入れる見通し。デンソーなどグループ主要各社も追随する模様だ。

 節電と「電気代の節約」を混同し、電力が余っている深夜の電力使用をムダと呼んでいるノータリンも散見されるところですが、必要なのはピーク時の最大使用量を抑えることです。そのために必要なのはピークシフト、つまり働く時間を「ずらす」必要が出てきます。全員が一斉に平日の昼間に働くという実は「贅沢な」電気の使い方は今後は難しくなる、その代わりに全員が電気を「分かち合う」ことを余儀なくされるわけです。皆で一斉に電気を使う代わりに、交代で電気を使うことにする、昼ではなく夜に働くこと、平日だけではなく休日に工場を稼働させることでピーク時の電力使用は抑えられます。ただ電力の余っている時間帯(夜間、土日祝日)に働くことを強いられる労働者側としては、安易に賛同したくないことでもあるはずです。夜間労働が健康に与える影響の大きいことは言うまでもありませんし(それに比べれば放射線の影響の方が……)、ここで決められたという休日のシフトだってどうでしょうか。

 周りの人間と休日がずれるというのは、まぁ我慢できる範囲かも知れません。今だって普通に、例えば小売や飲食関係など土日祝日には休めない人も少なくないですし。ただ知人や家族と休日が異なってしまうことを負担に感じる人もいるでしょう。その辺は民主党の休日分散化案でも大いに批判されたところですが、父親だけ、あるいは母親だけ休みの日が出来ても、代わりに家族全体で休めない日が出てしまうのでは困るという人もいたわけです。ましてやシフト勤務は休日の減少に繋がりがち、往々にして土日が休みの職場は祝日も休みですけれど、曜日シフトで週休2日の職場は祝日とは無関係に週休2日に限定されていたりするものです。カレンダー通りに休めば年間休日120日+だけど、カレンダーとは無関係に木、金のみ休業になったら年間休日は105日相当に減少します。この自動車業界各種が祝日の扱いをどうするかは知りませんけれど、節電に協力すると見せてさりげなく労働強化に走る会社も出てくることでしょう。


地下鉄間引き試算 10~20%節電ケース 大阪市交通局(産経関西)

 東京電力福島第1原発の事故や中部電力浜岡原発の停止で夏場の電力不足が予想される中、大阪市交通局では、政府などからの節電要請を受けた場合に備え、「間引き運転」のシミュレーションを始めた。市営地下鉄など9路線について、10~20%の節電に必要なダイヤを試算。市交通局は「万一、計画停電などが決まった場合などに対応するための準備」としており、実際に実施するかは現時点では未定という。

 試算は1日約120万人が利用する御堂筋線のみと、御堂筋線やニュートラムを含めた全9路線を対象にした2通りで実施。消費電力がピークとなる朝のラッシュ時(午前7~9時)に、電力を10~20%カットするため必要なダイヤを試算した。

 この結果、御堂筋線では朝ラッシュ時のダイヤを、より本数の少ない夕方ラッシュ時のダイヤに変更することで10%削減、休日ダイヤに変更すれば20%削減が達成できるとしている。

 通常ダイヤでは定員の140%程度の混雑率が、夕方ダイヤの場合は170%、休日ダイヤでは200%になる見込み。

 いうまでもなく電力需要のピークから外れる朝のラッシュ時間帯に節電しても意味がないのですが、大阪市交通局は何を意図しているのでしょうか。まぁ、ピーク時以外でも節電に励めば、電気代は節約できます。電車の本数を減らせば、車両のメンテナンス費用など運行に掛かる諸々のコストも節約できることでしょう。乗車率200%のサウナに詰め込まれる通勤客にとっては悪夢ですが、かといって通勤に利用する交通機関を選べるような人は少ない、ほとんどの人はどれほど不快であろうとも決まった電車を使わなければならないだけに、乗客が減って収入が落ちる心配もいらないわけです。普段は乗客に不便を強いれば色々と評判を落としそうなものですが、昨今の節電意識が高まる中では「率先して節電に協力する優良な組織」として逆に社会的な賞賛を浴びることもあるのでしょう。大阪市交通局にとっては良いことずくめなのかも知れません。利用者にとってはいい迷惑ですが、ここで不便さを訴えるのは原発推進派の非国民なのです。


中部電、企業の余剰電力買い取りへ 新日鉄などから(朝日新聞)

 中部電力は16日、自家発電設備をもつ管内の民間企業から新たに余剰電力を買い取る方針を決めた。浜岡原子力発電所の全炉停止による夏の電力不足を補うには社内だけでは限界があるため、中部電の約6分の1にあたる発電力をもつ企業に幅広く協力を求める。

 経済産業省によると、中部電管内の東海3県と長野、静岡両県では、民間企業約100社が自家発電施設を持ち、発電能力は443万キロワットにのぼる。中部電のピーク時の電力供給力の約6分の1の規模がある。

 中部電はこのうち、発電規模の大きい鉄鋼メーカーや製紙メーカーなど「安定して送電してもらえる企業」(中部電幹部)を中心に、余剰電力の買い取りの打診をすでに始めている。

 地域最大規模の60万キロワットの発電施設を持つ新日鉄名古屋製鉄所(愛知県東海市)には現在、数万キロワットの買い取り電力量を増やせないか打診中だ。新日鉄側は「中部電への販売量を積み増す方法を検討している」(広報)と前向きで、追加分で一定の電力量は確保できそうだ。

 トラック用ホイール製造で国内首位のトピー工業がもつ火力発電所(愛知県豊橋市)からは、買い取り電力量を1%増やすことが決まった。トピー工業は「発電余力はほぼない発電所だが、夜間や祝日もフル稼働して中部電の要請にこたえる」(担当者)という。

 さて裕福な企業の工場には自家発電設備を備えているところもあるわけですが、そういった企業の発電設備から余剰電力を買い取ろうという方針が決まったそうです。電力会社の頑張りにも限界がありますから、これも一つの解決策ではあるのですが、どうにも「飢餓輸出」という言葉が脳裏をよぎります。飢餓輸出って、ご存じでしょうか。外貨獲得のために、国内で必要な物資をも輸出に回してしまう状態を指します。何かと社会主義「国」的(≠社会主義)な考え方が強まるばかりの日本ですが、社会主義国の得意技がついに日本でも見られるのかも知れません。つまり自社で必要な電力をも、電力会社への販売に回してしまう可能性はないでしょうか。工場の生産設備を止めてまで電力を売りに走るところは少なくとも、工場の空調など労働環境に関わる部分を抑えて、それで浮いた分の電力を売るくらいは普通にありそうです。工場で働く人は猛暑のなか熱中症寸前で喘ぐばかり、でも外貨獲得のために電力は売られてゆく…… あるいは勤務時間のシフトを駆使し、電力需要の高い時間帯(=平日の昼間)は電力を売る時間として、電力需要の低い時間帯(=夜間、休日)に従業員を働かせる等々、一部の社会主義国で見られたものにも決して引けを取らぬ、多大な犠牲の上に立った「輸出」が見られる日は遠くなさそうです。

 恐ろしいのは、こうした飢餓輸出が現実のものとなったとしても、それは社会的な非難の対象となるどころか、反対に美談として扱われ賞賛を集めるであろうということです。どれほど従業員に負担を強いても、元より労働者側の立場を慮ることのない世論に加えて昨今の節制ムードや脱原発気運のなかでは、「節電(電力不足)に協力する企業」としての好感度の増加が批判を遙かに上回ることでしょう。むしろ従業員や利用者に多少の不便な思いをさせるぐらいの方が、身を削って世の中に貢献しているかのような印象を与えることすら考えられます。脱原発のため節電に務め、電力売却にも務めます云々と宣言すれば、左派でも考えの足りない人が喝采を送るであろうこと請け合いです。一方その影で働く人は追い詰められるばかり、ふざけた時代になったものだと思います。

 

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好まれる政治家像

2011-05-20 23:19:51 | ニュース

 この頃の選挙や街頭演説なんかで各候補や現役議員の主張を聞いていて気になったのですけれど、猛々しく脱原発を説く人が多い一方で、直近の電力不足に向けて「節電せよ、我慢せよ」以外の対応策を説く人は極めて少ないのではないでしょうか。電力不足の可能性を認めることは、暗に(それが現時点のことであろうとも)原発の必要性を認めることになるわけで、脱原発の熱狂に水を挿すものとして世間からは快く思われない危険性もあるのかも知れません。しかるに、石原慎太郎のように「原発推進派だ!」と息巻くような例外的な少数派であっても、やはり差し迫った電力危機に対する感度は随分と鈍いものでした。反原発であろうが原発推進派であろうが、電力不足という住民の生活に密接に関わる分野への言及には乏しい――そしてこの傾向はメディアを賑わすような注目度の高い選挙戦ほど顕著であったように思います。

 たぶん、身近な問題に対処する政治家を国民は好まないのでしょう。なぜなら、身近で具体的な問題への対処は、直接的に利益をもたらす行為であり、言うなれば住民の「我欲」を満たしてやる行為でもあるからです。一部の住民が抱えている問題を解決するということは、一部の住民に対する利益供与であるとして、むしろ有権者から、とりわけ無党派層から嫌悪される要因ともなっているのではないでしょうか。ゆえに特定の誰かの利益には繋がりにくそうな、近い問題ではなく「遠い」理想を語る政治家の方が「公」にふさわしい人物として受け止められるわけです。とかく地方議員がムダ呼ばわりされるのも、実は真面目に活動している地方議員ほど住民の身近な問題に取り組んでいるからなのかも知れません。顔の見える身近な人のためではなく、もっと漠然とした「公」のためを主張する人が不偏不党にして公明正大と見なされる、だからこそ「遠い」理想を説く人が政治家として支持を集め、「卑近な」問題に対処しようとする人が蔑視されてきた、それが日本の政治風景ではないでしょうかね。


原発“中断”発言の橋下徹大阪府知事に福井県知事かみつく(産経新聞)

 大阪府の橋下徹知事が原子力発電所の新規建設や稼働期間の延長をしないための府民運動を展開するとしていることについて、原発14基を抱える福井県の西川一誠知事は13日の定例会見で、「関西の55%の電力が福井から供給されていることを、関西の自治体、消費者はわきまえてもらいたい」と反論した。

 西川知事は、原発はリスクや課題を伴っているとし「県、立地市町は犠牲を払いながら国の原子力政策に協力している」と説明。「日々、安定した電気の供給を受けているありがたみを消費者に考えてもらいたい」と述べた。

 これに対し、橋下知事は「(西川知事は)原発でやってきたのに今さら停止、廃止ってどやねんということなんでしょうけど、僕らは消費者サイドとして感謝しながら、福井のリスクを取り除くためにも行動を起こそうとしている」と話した。

 さて、原発関係では完全にイっちゃってる人も目立ちますが(参考)、流石にこの辺はネット上でお互いを慰め合っている人だけだと思いたいところです(でもネット上や週刊誌上で語られる原発像を真に受ければ、こういう結論に到るものなのかも知れません)。一方、ここに取り上げた橋下の場合は概ね最大公約数的なものとして、今日の世論を象徴していると言えます。震災後は石原と石原に反対している「つもり」の人とで主張の距離が縮まった、似通ってきたと何度か書いてきたものですが、それは石原だけではなく橋下についても当てはまるのではないでしょうか。

 昨今の急進的というより狂信的といった方がふさわしいかに見える脱原発の流れの中では必然的に電力不足という危機が我々に襲いかかる、「痛み」が生じるわけです。そして世論が一色に染まろうとしている時代ほど「痛み」に対する感覚が問われます。「痛み」を被る人々に配慮できるのか、それとも「痛み」を無視して己の信じる「正義」を押し通そうとするのか――いうまでもなく橋下は後者に属する人間ですが、世論はいかほどのものでしょう? そして橋下に反対している「つもり」の人は? 震災後に我々の社会を覆い尽くした節制ムードを歓迎する向きは少なくなかったはずです。街の随所から明かりが消え、「贅沢」と見なされるものほど自粛を強いられる、電車の本数が減ったりATMが使えなくなったりと不便なことも増えましたが、「今までが便利すぎたのだ」「もっと慎ましくあるべきだったのだ」とばかりに、これを賞賛する声も少なくありませんでした。人の欲望が抑えつけられることに快感を覚える人々は石原や橋下だけではなく、それに反対している「つもり」の人にも少なくないように思います。

 奇跡的に冷夏になるか、それとも運悪く猛暑になるかは定かではありません。「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ない」と広瀬隆は力強く断言しましたけれど、そんなものは確率の問題でしかないわけです。昨年のような猛暑になって、電力不足から深刻な問題が生じる可能性もありますが、そうなったときに「想定外だった」とでも言い訳するつもりなのでしょうか。もっとも電力不足から生じた問題の責任を電力会社を悪者にすることで済ませようという算段は、当然ながら橋下の頭の中にはあるはずです。橋下に反対している「つもり」の人の中にも電力会社を責め立てたくてうずうずしている人は少なくなさそうに見えるだけに、橋下的なるものはますます以て支持を広げていくことでしょう。

 「福井のリスクを取り除くためにも行動を起こそうとしている」とも橋下は語ります。原発所在地から「汚れ」を払ってあげようと言わんばかりの「お為ごかし」が今時の脱原発論には顕著ですが、橋下もその系統ですね。むしろ補助金を受け取る地元自治体が「利権が~」として悪者にされがちで、遠く離れた都市部から、原発所在地の住民を更生させてやるのだ、これはおまえのためなのだ、みたいな傲慢さが溢れています。まぁ、橋下や都市部の住民にだって意見を述べる権利はありますけれども、それが地元自治体や住民を悪者にしているフシはないでしょうか。福井の西川知事には電力を供給する側の責任を考えての逡巡も感じられますけれど、一方の橋下には迷いが見えません。非難するだけで済む立場は楽なものです。関西電力や福井県サイドが近畿圏の住民生活や産業を支える責任感から原発を稼働させたとしても、その時は脱原発論者として猛々しく振る舞い、原発を稼働させる福井県なり電力会社なりを非難すれば橋下はより一層の支持を集めることでしょう。関西地区のために発電所を稼働させれば、「福井のリスクを取り除くため」という橋下の好意を踏みにじったものとして詰られる、原発所在地にはさらなる重荷がのしかかります。ただ嫌われ者を罵っているだけの人もいれば、結果に責任を感じる人もいる、そして有権者が好むのはいつも……

 

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行政は「目立つ」問題には対処しようとするけれど

2011-05-18 23:21:04 | ニュース

「団体限定」避難住宅、応募3件 仙台市「孤独死防止」(朝日新聞)

 東日本大震災の被災者のための仮設住宅や市営住宅などへの応募を、仙台市が「10世帯以上の団体申し込み」に限定したため、「そんなに集められない」と被災者に戸惑いが広がっている。被災者の孤独死が相次いだ阪神大震災を教訓にした策だったが、締め切りまであと3日の時点で応募はわずか3件。用意した住宅は1割も埋まらず、市は早くも見直しを迫られている。

 「必ずグループ単位で申し込んでください。単独では仮設や市営住宅に入れません」。今月9日夜、仙台市若林区の若林体育館。市の担当者が約300人の被災者に説明すると、「仲良しグループだけが集まればいいのか」「私のようにグループに入らない人はどう生きていけばいいの」と批判の声があがった。

(中略)

 仕方なく自力で動き始めた人もいる。若林区の荒浜地区で被災した40代の女性は、もともと地区で生まれ育ったわけではなく、町内との関わりもほとんどなかった。不動産会社を回って物件を探す。もっぱらの関心は民間の賃貸住宅に入居する際に公的な助成を受けられるかどうかだ。「近所付き合いは人それぞれ。単独でも仮設に入れるようにしてほしい」と訴える。

 ちょっと前のニュースですが、こんな問題もあったようです。被災者の孤独死が多かったという阪神大震災の教訓から仮設/市営住宅への応募を「10世帯以上の団体」に限定したところ、条件を満たせない人が続出したとか。中でも切実に感じられるのは「私のようにグループに入らない人はどう生きていけばいいの」「近所付き合いは人それぞれ。単独でも仮設に入れるようにしてほしい」と言った声ですね。自分もそういうタイプだから身につまされるところがないでもありませんが、ともあれ人付き合いを好む人もいれば、そうでない人もいる、人付き合いを好まない人でも不自由しないような配慮が求められるところです。

 元より日本では経済的な豊かさは否定的に扱われ、むしろ貧しい中での「助け合い」的なものに理想を見いだす人が左右問わず多かったように思います。経済的な困窮から自殺を選ぶ人が万を超える中ですら、経済的な豊かさを追うのは間違いだと、そういった気運が幅を利かせてきたわけです。震災後は、こうした傾向がなおさら強まってはいないでしょうか。経済面に関する危惧の表明が、あたかも人命軽視であるかのような二元論の中で全否定され、助け合いの精神が美化され称揚される――別に助け合いは悪いことではありませんけれど、それが必須になる社会とは、一方で陰湿なムラ社会的側面を持ちがちです。「仲良しグループ」の中に入れば生きていけるけれど、その影で「私のようにグループに入らない人はどう生きていけばいいの」と悲鳴も聞こえる、こういう社会は独善家の理想でしかありません。個人で好きなように生きられる、そういう個人のワガママ、言うなれば「我欲」が許容される社会であって欲しいと願うばかりです。


愛知県:トイレ掃除いや! 観光人材育成研修、相次ぎ脱落(毎日ブルジョワ新聞)

 愛知県が緊急雇用対策として10年度に実施した「観光地域づくり人材育成事業」で、雇用した6人のうち、研修修了者が1人しかいなかったことが14日分かった。関係者によると、中途退職した5人の中には「観光に役立つ人材を育てると説明されたのに、トイレ掃除や駐車場の誘導をやらされた」と不満を述べた人が複数いたという。県観光コンベンション課は「見解の相違だと思うが、誤解を招いたとしたら申し訳ない」と釈明している。
 
 同事業は「観光を担う地域のリーダーを育成する」とうたい、昨年6月~今年3月に実施。ハローワークなどで参加者を募った。予算は約2970万円。県観光協会に委託し、県の産業、歴史などを学ぶ講義研修35日間と、同協会や旅行会社、ホテルなどで観光業務を体験する実技研修56日間で構成された。
 
 参加者には研修中、月給二十数万円が支払われた。トイレ掃除などは実技研修の一環だったが、昨年11、12月に各1人、今年1月に2人、2月に1人が中途退職し、研修を終えたのは1人だった。
 
 同課は「観光業務の実態を知る意味で意義がある事業だったと思う。トイレ掃除などに不満な人がいたのは事実だが、どんな業務でもやり遂げてほしかった」と話している。

 こちらはまぁ、よくある話です。結局この手の緊急雇用対策の類は継続的な雇用を保障するものではなく、失業者に腰掛けを提供するものでしかありません。緊急雇用対策を活用して、そこから「年金受給年齢まで働ける仕事」に進めると期待する人など、リアルに失業を経験した人にはなかなかいないでしょう。国や自治体が「公共事業」としてコンサルや人材紹介会社の類に事業を丸投げし、他にやることがない失業者が給付金を受け取りながら名ばかりの研修を受ける、そして受講した研修は次なる就業先を探す上では何の役にも立たない、ただただ失業者にとっての「つなぎ」であり、国や自治体にとってのアリバイ作りでしかないものが圧倒的なのです。

 それはさておきトイレ掃除などに不満な人がいたそうで、6人の内5人が中途退職したことが伝えられています。まぁ真面目に就職先を探している人であれば、この手の緊急雇用対策や研修に参加して安穏とはしていないでしょう。研修に参加することで当座の生活費を受け取りつつ、影で就職活動していた人もいるはず、途中で就職を決めて研修という名の茶番から速やかに足を洗った人もいるのではないかと推測されます。とはいえ6人中5人が中途退職とはブラック企業並み、よほど内容が悪かったのでしょうか。「観光を担う地域のリーダーを育成する」とのうたい文句ではありますが、実態はトイレ掃除や駐車場の誘導ということで不満を漏らす人も多かったとのこと。おそらくは募集時の説明と実際の内容が大きく異なっていたのでしょう。この辺は日本の求人では当たり前のことですが――


原発で作業「求人時に明示を」 厚労相が業界に要請へ(朝日新聞)

 大阪市で求職した男性労働者が、求人内容とは異なる東京電力福島第一原子力発電所敷地内での作業に従事させられていた問題を受け、細川律夫厚生労働相は13日の閣議後会見で、東京電力や業界団体に対し、求人内容を適切に明示するよう要請する方針を示した。

 同省が13日中に、求人の募集をする際には就業場所や賃金、労働内容といった労働条件を明らかにするよう求める要請書を出す。大阪市の例では、宮城県女川町でダンプカー運転手を募集する内容だったのに、実際の業務は福島第一原発で原子炉を冷やす作業の一部を担うものだった。細川氏は会見で「だますようなかたちで労働者を原発の作業所で働かせることがないよう措置をする」と述べた。

 そしてこの記事です。言及されている問題に関しては先日取り上げたましたが、いやはや酷いものです。ふざけるのもいい加減にしろと言いたいです、細川厚労相に。日本なんですから求人広告の記載と実際の業務内容が違うのは当たり前、それを今に至るまで黙認し続けておきながら原発に「だけ」は反応してみせる、何とも調子のいい話ではないでしょうか。「だますようなかたちで労働者を意に沿わぬ形で働かせること」を長年にわたって放置しておきながら、それが原発関係ともなるや、これ見よがしに憤ってみせるのですからパフォーマンスもいいところです。私みたいに実際に仕事を探す側の人間からすれば、求人広告の時点で作業場所が原発かそうでないかだけが確実であったところで何の意味もないのですけれど!

 ブルジョワ新聞では、「どんな業務でもやり遂げてほしかった」と主催者側の言い分で締めくくられています。まぁ、世間の反応も似たようなところでしょう。課せられた仕事を嫌がって退職する人に対する視線とは基本的にそういうものであり、記事の見出しも端的にそれを表しています。しかし原発作業「だけ」は例外なのかも知れません。仕事から逃れようとすることは糾弾され、個人のワガママであるかのごとく非難めいた形でばかり語られるけれど、原発での作業を厭うことだけは許される、「被害者」として同情を買うもののようですから。原発が唯一にして絶対の悪として人々の頭の中で肥大化していく一方で、原発「以外」の問題に対して世間は鈍感になるばかり、騙されて原発で働く人がいなくなることはあっても、騙されて求人時に明示された条件とは全く異なる内容の仕事を強いられる人は減ることがなさそうです。


運動すると乳がんリスクが低下-国立がん研究センター(医療介護CBニュース)

 国立がん研究センターはこのほど、「積極的に運動する女性は、しない人に比べて乳がんになりにくい」とする研究結果を発表した。

 研究は1990年と93年に岩手、秋田、茨城、新潟、長野、大阪、高知、長崎、沖縄各府県の10保健所地域に住んでいた40-69歳の女性約5万人について、2007年まで追跡した多目的コホート研究。研究開始時と5年後のアンケートから、仕事のほかに余暇運動を行う機会が「月3日以内」「週1-2日」「週3日以上」の3グループに分け、乳がんの発生率との関連を調べた。平均約14.5年間の追跡期間中、対象者約5万人のうち652人が乳がんになった。

 調査結果によると、「週3日以上」の余暇運動を行うグループは、「月3日以内」のグループに比べ、乳がんリスクが約3割低下することが分かった。さらに、肥満度を示すBMI(体格指数)25以上と25未満に分けて分析すると、BMI25以上のグループでは、「週1日以上」の余暇運動を行う群の乳がんリスクが「月3日以内」のグループより4割近く低くなることが分かった。

 ……で、蛇足ですがこんな報道もありました。生活習慣のリスクは、ガンとの関係だけを見ても十分に高い――放射線の影響よりもずっと高いわけです。だからといって健康的な生活を送ろうなどと言う殊勝な気持ちが湧いてくることもなかったりしますし、健康的な生活を強いられるとしたら余計なお世話とすら思えるのですが、取りあえず普通の人にとってはリスクを「総合的に」考えることが大事でしょう。個々のマイナス要因はどれも好ましいものではないにせよ、小さなリスク要因を避けるための対応策が大きな負担を伴うようであっては本末転倒ですから。放射線から逃れるために過剰な対価を支払うべきなのかどうか、逆に生活習慣を乱すようなことがあっては、それこそ「健康のためなら死んでもいい」ならぬ「脱原発のためなら死んでもいい」みたいな笑えない冗談の世界です。原発や放射線「以外」から生じる問題に関しては恐ろしく世の中が鈍感になりつつある時代ですけれど(脱原発の「影」に追いやられてしまったのでしょう)、やはり大局的な視点やバランス感覚を失ってはいけないと思います。

 

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権利と利権と断罪と

2011-05-16 23:13:53 | 編集雑記・小ネタ

 「権利」という言葉と「利権」という言葉があります。どう違うのでしょうか。自らの権利を守ろうとしている人に「利権を手放そうとしない!」みたいな非難が向けられているのを見ると、どうやら指し示す対象は同じもののようです。ただ、前者の方が肯定的な意味合いで使われることが多く、後者は否定的な意味合いで使われることが多いのが最大の違いなのでしょう。「効率化」とか「合理化」というと左派はあまり良い顔をしない人が多いようにも思いますが、これが「ムダ削減」となると諸手を挙げて大歓迎する人も少なからずいたわけで、指しているものに大差はなくとも使う単語次第で擁護されたり罵倒されたりするものなのかも知れません。

 それはさておき、民主党のやったことの中では例外的に幅広い支持を集めたと言える事業仕分のことを考えてみましょう。政権交代当初より内閣支持率とは裏腹に個別政策に関しての支持は決して高くなかった民主党政権ですが、事業仕分に関しては概ね肯定的に評価されてきたわけです。ただ、この事業仕分に関しても2つの基準に沿って、大まかに4通りの受け止め方があったように思います。基準の一つ目は事業仕分を「自民党の路線の延長線上にあるものと見なすか」それとも「自民党とは一線を画すものと見るか」、そして基準その二は「事業仕分を肯定的に評価するか」「事業仕分を否定的に評価するか」ですね。そこで……

 以上の4通りに分けられるのではないでしょうか。まず「1」のパターンに当てはまるのは小泉純一郎に河野太郎、舛添要一など新自由主義+ポピュリズムのタイプが挙げられますし、いわゆる無党派層はここに近いと思います。そして「2」は当事者ではありますが枝野や蓮舫など民主党陣営、そしてネット上の民主党支持層が当てはまるでしょう。「3」は事業仕分に小泉カイカク的な断罪のノリを早い段階から感じ取った人々で、一応は私もここに、政党であれば共産党がここに近かったと言えます。そして「4」は保守本流とは似ても似つかない「真性保守」な人々、民主党のやることなら取りあえず否定せずにはいられない極右層が該当するわけです。(参考、河野太郎と小池百合子のカイカク観

 共に事業仕分を賞賛した1と2のタイプに共通するのは、何らかの「利権」を断罪せずにはいられないというところでしょうか。誰か「悪い奴」をあぶり出して、それを吊し上げることを優先する、そういう政治姿勢ですね。そして事業仕分に関しては民主党の失速と共に悪影響も低減しつつある一方、今度は原発事故を契機に再び「1」と「2」の黄金コンビが結成されつつあるようにも思います。この頃は何かに連れ「利権が、利権が」と喧しい河野太郎が急速に株を上げているみたいですけれど(原発事故に関してはどうしても現・与党が責任を問われがちなこともあって事業仕分に関しては「4」であった極右層も河野太郎の側に回りつつありますし、「3」であった人も原発だけは二重基準で接する人が少なくないわけです)、まぁ相変わらずこの国の人々は小泉カイカクの惨禍を繰り返そうとしているのだなと感じないでもありません。

 原発に関しては、とかく利権によって動かされているとまことしやかに語られています。ただ先日の報道にもありましたが(参考)、火力発電所に関しても「稼働率が上がれば、尾鷲港に入港するタンカーの数が増えるなど、地元経済への波及効果があるだろう」と語り、日頃から発電所の稼働率アップを求めてきた市長もいたりするわけです。何も利権が発生するのは原発だけではありません。何であろうとお金が動けば、そこで儲ける人は必ずいる、美味しい思いをする人は出てくるものなのです。そこで「利権が、利権が」と論って、事業仕分よろしく本業もろとも「ムダ」の烙印を押して葬り去ってしまうようであれば、よほどわかりやすい実績を短期間で上げられるもの以外は何も出来なくなってしまうことでしょう。

 原子力や火力は元より、風力発電でも太陽光発電でも、あるいは地熱発電でもお金が動く限り利権は発生します(現に地熱発電に関しては「地熱開発促進調査事業」と「地熱発電開発事業」が事業仕分の対象とされましたし、逆に「温泉に影響が出たらどうする」と温泉地の利権を持つ人々からの猛反対を受けたりもしているわけです)。原発の利権は汚い利権で、風力や太陽光の利権はクリーンな利権なんてことは決してありません。お金が動く限り、利権を手にする人は絶対に存在するのです。それが嫌ならば研究なり運用なりに携わる人々に無償奉仕を要求するしかありませんし、実際のところ政治、とりわけ地方政治に関しては無償奉仕的なものが理想化される傾向にありますけれど、実際のところ無償奉仕でマトモに活動できる人となると、生まれながらの資産家なり政治家なりの特権階級、言うなれば最初から「利権」を手にしている人しかいなくなってしまいます。普通の人が無償で活動できるだけの「余裕」なんて、とりわけ日本社会には欠如しているものなのですから。

 結局のところ、「ムダ」や「利権」の糾弾に血道を上げる、河野太郎や枝野幸男的なもの、事業仕分的なものが幅を利かせている限り、長い目で見る必要があるものや、必ずしも実利をもたらす保証のないものは潰されてしまうことでしょう。その中には、原子力や化石燃料発電に代わりうる新たなエネルギーの研究も含まれるわけです。原発利権さえ潰せば他の「クリーンな」発電手段が表に出てくると大真面目に信じている人も少なくなさそうですが、民主党が政権を取りさえすれば沖縄基地問題は解決するとか、政権交代さえすれば景気が良くなるとか、そういう風に信じた人と同様の失望を味わうのが関の山でしょう。むしろ安易に利権がどうこうとかムダがどうこうと言わずに、いつ芽が出るかはわからずとも辛抱強く構える鷹揚さを持たないと、本当に時代の枠組みを変えられるものは世に出てこないように思います。

 

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アイアム非国民

2011-05-14 23:38:38 | ニュース

 特に言及する人がいないのを見ると、それが全国的な現象なのか、たまたま私の身の回りに限って頻発している現象なのか判然としないわけですが、震災後は自販機に「売切」が目立つようになりました。元より震災後の自粛ムード、節電モードの煽りを受けて自販機は消灯を強いられ「販売中」という張り紙で存在感をアピールするという、何とも侘びしい存在となっています。別に自販機が消灯していても私は困りませんけれど、視覚に障害のある人の中には自販機の明かりを目印にしていた人もいるようで、とかく昨今の反原発フィーバーの中では弱者の存在は蔑ろにされがちですが、もうちょっと省みるべき点があるような気がしないでもありません。

 ともあれ、自販機にやたらと「売切」が目立ちます。ことによると物流の乱れが心配された震災直後よりも状況は悪化しているかに見えます。一時は水の買い占めなんて不毛なこともありましたが、そのパニックが収まった後の今の方がむしろ、水に限らぬ飲料全般で「売切」が多発しています。なぜでしょうか? これが地産地消や自給自足とは相容れない工業製品であれば、小さな部品の調達先工場が被災したというだけで生産全般に深刻な遅延が生じたりもするものですけれど、しかるに清涼飲料全体がそこまで大打撃を受けたとも聞きませんし、何より小売店に行けば既に品薄は概ね解消しているわけです。じゃぁ、どうして自販機はことごとく「売切」ばかりなの?と。

 結局のところ自販機のように生活に必須ではなく、何となく浪費っぽいイメージのあるものは、こういう空気の中では槍玉に挙げられがちです。石原慎太郎もそうですし、石原に反対しているつもりの人でも自販機を消せと怪気炎を上げていたことを思い出します。こんな時代ですから自販機は肩身が狭い、消灯するだけに止まらず、適度に品切させることで窮乏ムードに追従し、自粛ムードに同調しないと叩かれてしまう、そういうベンダー側の防衛意識でも働いているのでしょうか。欲しがりません勝つまでは! 贅沢は敵だ! ……こういうノリに同調しなければ非国民ですから。

 さて、主立った週刊誌の内では最初期に「放射能が来る!」と恐怖を煽ったことで知られるAERAですが(戦前に朝日新聞が果たした役割を今度は自分たちが担おうという気構えが感じられますね)、こんな中吊り広告を掲載していました。中身は読んでませんが、とりあえず「東大は東京ディズニーリゾートより電力を使っている」のだそうです。どういうカラクリがあるのかは知りませんが、一般的な同規模の大学に比してどうなのかを考えるのではなく、ディズニーランドを比較対象に持ってくる辺りがいやらしいですね。東京大学の教授は放射能の恐怖を煽るのに同調してくれない人が多いせいでしょうか、腹いせに東大にネガティヴなイメージを植え付けようとする発想が窺われます。

 一方こちらは、週刊現代です。「東大の先生は買収されている」ですって。こういうことを言う輩は昔から数多いたわけで、私も古くは「あなたは公務員でしょう」云々と言われたものですし、昨今では「東京電力の関係者ではないか」みたいに影で囁かれてもいるみたいです。もっとも上杉隆みたいに、マトモなところからは決してお金をもらえないであろう人の僻み記事の方がよっぽど信頼が置けないような気がしないでもありませんが――ともあれ原発事故以降の盛り上がりの中では、今まで以上に世間の大きな「波」に抗うことが難しくなってきたように思います。科学的には正しい発言であっても世間の潮流に棹さすものであれば「買収されている」と罵倒されてしまう、嫌な時代になったものです。

 ちなみに「日本全国で合算した」発電施設の「設備容量」と電力消費量を並べて「電力は足りる」と言い張る人も散見されるわけですが、そんな楽天家の1人として知られる広瀬隆氏がお笑いダイヤモンドで「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ないので、余裕をもって乗り切れます」と断言していました。電力を融通できない東と西で電力需要が偏ったり、発電施設が設計上のフルパワーを発揮できなかったりすれば普通に危ういことは言うまでもありませんが(だから電力会社は「想定外」の事態に備えて発電量に余裕を持たせてきたのです)、それにしても「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ない」とは、何を根拠にしたものなのでしょうかね。基本的に根拠は問わず、力強く断言してしまえばそれで済まされるのが特色のメディアに載った文章ではありますけれど……

 まぁ、確率論上で言えば、昨年ほどの猛暑になる可能性は低いとは思います。ですがそれを言うなら福島を数百年に一度クラスの地震と津波が襲う確率なんて、猛暑到来の確率とは比べものにならないほど低かったはずです。いうまでもなく浜岡を電力会社の想定を超える巨大地震が防波堤完成前に襲ってくる可能性だって、ましてや津波にあって深刻な事故に繋がる可能性となるや、猛暑になる可能性に比べれば格段に低いわけです。にも関わらず、原発を語る際には数百年に一度レベルを想定せよと要求し、一方で電力供給に関しては数年に一度レベルの猛暑の可能性を「まずあり得ない」と切り捨てる、救いようのないバカです。数年に一度レベルの事態すらも想定しようとしないのは、福島の事故から何も反省していない証拠と言えます。

 ちなみに電力不足への対応として節電を強いられるわけですが、産業界への影響、ひいては自分にとっても死活問題である雇用の問題もさることながら、普通に人命の問題も出てくるでしょう。その辺はこちらでも触れましたけれど、熱中症の死者は相当に増えそうです。今から猛暑を心配しているのは暑がりの人が多いと思いますが、むしろ死の危険があるのは「暑くても平気」に感じられてしまう人々だと思います。多くは体力のない高齢者ですね。高齢になるとどうしても、暑さ寒さへの感覚も鈍ってくるようで、自分では平気なつもりでも気づいたときにはすっかり体を悪くしてしまっているケースが少なくないと聞きます。節約ムードの中、「自分は平気だから」と冷房を止めた高齢者が具合を悪くする事態は、猛暑ともなれば間違いなく増えることでしょう。どうにも反原発気運が盛り上がる中、電力不足の煽りを受ける人の存在は蔑ろにされがちですけれど、せめて自分は隅に追いやられる人々のことを忘れないでいたいです。

 

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求人と実際の業務内容が違うのなんて当たり前だろ?

2011-05-12 23:17:29 | ニュース

運転手のはずが原発敷地内作業…あいりんで紹介(読売新聞)

 大阪市西成区・あいりん地区の60歳代の男性労働者2人が、宮城県でダンプカー運転手として働くとの求人に応募したところ、実際には福島県の東京電力福島第一原子力発電所敷地内などで働かされていたことが9日分かった。

 求人の際に労働条件を明示するよう定めた職業安定法に違反している疑いがあり、大阪労働局が調査に乗り出した。

 仕事を紹介した財団法人「西成労働福祉センター」によると、岐阜県大垣市の建設業者から3月17日に「宮城県女川町で10トンダンプの運転手、日当1万2000円で30日間」と求人があり、2人に紹介した。2人は採用されたが、同月24日、1人から同センターに「原発が見える場所で作業をしている。求人と条件が違う」と苦情の電話があったという。1人は5、6号機の外で防護服を着てタンクから水を運ぶ仕事に4月21日まで従事。求人条件の2倍ほどの約60万円の報酬を得たという。もう1人は原発敷地外でタンクローリーで水を運ぶ作業をしていた。

 日本における暗黙のルールとして求人広告には虚偽記載が許されているのですから、別に驚くことはないでしょう。今回の紹介者は財団法人とのことですが、ハローワークなどの公的機関でも求人の際に示された労働条件や業務内容が実際と大きく異なるのは何も珍しいことではありません。それが当たり前であるが故にニュースになどならない、労働者側も日本で働く以上は覚悟が出来ているのか苦情など出さないのが普通です。ましてや日本随一のドヤ街として知られるあいりん地区の求人とあらば、事前に説明された通りの仕事であると期待する方がどうかしています。まぁ、強いてこの報道から「珍しい」部分を抜き出すとしたら「求人条件の2倍ほどの約60万円の報酬を得た」という点ですね。これは非常に珍しい、全国紙が取り上げるに値するほどの希少価値を持ったニュースに違いありません。

 それだけ原発に対して世間はセンシティヴであると言えます。普段は職業安定法への違反など気にしない、日本にもドヤ街と呼ばれる地域があってそこの人々がどんな生活を送っているかなど気にしない、そんな冷淡な世論も原発関係となれば話は別です。死亡災害が際立って多い林業を成長産業と呼び、職にあぶれた人々に対して「林業でもやれば」などと宣っていた連中ですら、原発周辺での死者でも出ようものなら上へ下への大騒ぎでしょう(まだ誰も死んでいませんし、今後もそういうことはなさそうですが)。してみると原発で働いた方が下手な職場よりもずっと安全面では配慮されているのではないかという気がしますけれど、それでもイメージ的に原発関係は嫌だと、そういう気運が形成されているわけです。あの従順な日本の労働者が苦情を申し出たり、あろう事か全国紙が取り上げるに到るとは、よほど日本人の心の中に占める「原発」のウェイトは重いのでしょう。


女川原発、運転再開容認する考え…石巻市長(読売新聞)

 東日本大震災で緊急停止した東北電力女川原子力発電所(宮城県女川町、石巻市)について、石巻市の亀山紘市長は9日の記者会見で、「安全対策をした上で再開する方向で考える必要がある」と述べ、運転再開を容認する考えを示した。

 女川原発の再開容認は、地元首長で初めて。

 女川原発は、運転中の1、3号機と、定期検査で原子炉が起動中だった2号機が、地震でいずれも自動停止している。亀山市長は「(地震で起きた)配電盤火災などは安全対策をしてもらわねばならない」としながら、「福島第一原発のようにならなかったことで、津波対策はある程度評価している」と語った。

 東北電力と地元との安全協定で、再稼働は県と地元2市町の了解が必要。宮城県の村井嘉浩知事は9日の定例記者会見で、「応急対策をしているか、まず政府で判断して頂く」と述べた。女川町の安住宣孝町長は先月26日の原発視察の際、「電力復旧のための環境を整える必要がある」と発言している。

 一方、こういう時代にこのような判断を下した石巻市の市長(ちなみに共産党支持で当選した候補です)には敬意を表したいと思います。各地のお調子者がそうしているように取りあえず原発を罵っておけば世論のウケが悪くない中で、敢えて嫌われる方向を選べる、こういう政治家が必要なのです。安易に世論に媚びを売って、それで悪い結果を招いても誰かを「犯人」に仕立て上げれば政治家本人は免責されがちなご時世ですけれど、それで不幸になるのは住民なのですから。原発反対と叫ぶのは簡単だけれど、それで電力不足=生活インフラの崩壊を招いたら目も当てられません。住民が生活に支障を来したとしても「これは原発推進派の陰謀だ!」と叫べば自身の政治生命は延命されるかも知れませんが、それはやはり政治家として無責任にすぎます。「脱原発が第一」なのか、それとも住民の生活を犠牲にしない範囲でより良い方向を探っていくのか、世論は前者寄りであろうとも、生活者を大切にしているのは間違いなく後者の方です。


浜岡停止で火力再稼働、歓迎と注文が交錯の地元(読売新聞)

 中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面停止に備え、同社は代替電力源として休止中の火力発電所の再稼働を検討している。

 休止中の炉がある火力発電所を抱える自治体からは、「地元経済への波及効果が期待できる」と歓迎の声が上がる一方、「付近住民の安全や環境対策には十分留意してほしい」との注文もつけられた。

 三重県尾鷲市の尾鷲三田火力発電所は、出力37・5万キロ・ワットの1号機が休止中。中部電力に対し、日頃から発電所の稼働率アップを求めてきた岩田昭人市長(60)は、「稼働率が上がれば、尾鷲港に入港するタンカーの数が増えるなど、地元経済への波及効果があるだろう」と期待を寄せる。

 一方、同発電所が海の近くにあることから、「大きな地震や津波が起きた際、燃料貯蔵タンクの安全が保てるか心配だ。防火対策に万全を期すよう要望したい」と話した。

 で、当面の代替電力源としては休止中の火力発電所の再稼働が検討されています。休止中と言うからには老朽化もそれなり、旧型で発電効率も悪そうな気がしますが、とにかく住民の生活インフラでもある電力供給を維持するためには背に腹は代えられません。とはいえ、この火力発電所の再稼働に期待する向きもあれば、懸念する向きもあることが伝えられています。前者は地元経済への波及効果を期待する声で、まぁ話は簡単に進むまいとは思いますが、取りあえず原発「以外」でも地元に利権を持ってくることはあるわけです。福島の原発事故を見て、「補助金に目がくらんで原発を誘致した側にも責任はある」みたいなことを述べていた人もいたものですが、原発でなくとも大きな施設を招けば金は動く、金が動けば利権は生まれるということは理解すべきだと思います。実際、引用元で伝えられているように地元の市長は発電所の稼働率アップを以前より求めてきたのですから! 一方で「防火対策に万全を期すよう要望したい」との声もあります。どうにも原発「以外」安全神話が形成されつつある昨今ですが、原発以外にも、というより原発以上のリスクはいくらでもあるのです。原発でさえなければOKと惚けたことを抜かしていると、遠からず痛い目を見るのではないでしょうかね。

 

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