非国民通信

ノーモア・コイズミ

それでも中国で作る理由

2008-01-31 23:09:53 | ニュース

政府、中国に正式抗議へ ギョーザ薬物中毒(朝日新聞)

 中国製冷凍ギョーザによる薬物中毒を受け、日本政府は31日、中国政府に対し正式に抗議する。同日夕、高村外相が中国の何亜非外務次官補と会談し、中国製食品をめぐる問題が頻発していることに遺憾の意を表明するとともに、食品の安全管理の徹底や捜査への協力を求める。北京の日本大使館を通じても中国政府に抗議する方針だ。

 高村氏は何氏に、薬物中毒が中国の食全体への信頼を損なう恐れがあるとの考えを伝える。今後、外交ルートを通じ、農薬の混入経路や中国の業者の刑事責任などの解明をめざす。

 一口に海外製品と言っても、二種類に分けられますよね。海外で生産して、海外の会社がパッケージに詰めて、日本でラベルを貼られて売られる、輸入食料品店で売られているような製品がその一、そして工場が海外にあるだけで、日本の会社がパッケージに詰めて、日本全国の店舗で売っている製品です。私は割と輸入食料品店で何だかよく分からないものを買ってくるのですが、まぁなんでしょうか、日本の会社の製品って、パッケージが綺麗ですよね。それに比べて海外製品は袋がヨレヨレ。

 で、JTグループの会社が中国の工場で生産していた綺麗なパッケージの餃子に、なにやらヤバイものが入っていたわけです。メーカーの責任が問われるところですが、しかるに我らが自民党政府は中国政府の早速の抗議、あれ、メーカーは?

JTの中国産冷凍食品で健康被害、同一工場の商品全てを自主回収(ロイター)

中国製ギョーザで10人中毒症状 農薬検出 千葉・兵庫(朝日新聞)

中国製冷凍ギョーザで食中毒、千葉と兵庫で3家族10人(読売新聞)

中国製ギョーザなどの撤去開始=注意喚起措置も-大手スーパー(時事通信)

中国産ギョーザの回収相次ぐ(中国新聞)

 日本語で読めるニュースをパッと見た感じ、どのメーカーの製品であるかよりも、生産国の方が大事なようで、例外はロイターだけでした。これが海外の報道になりますと、「JTの餃子が~」という見出しになるようなのですが、この辺が日本の独自性という代物でしょうか。

 一時期、日本のパソコンメーカーは台湾の業者から「箱屋」と言われていたとか。台湾で製造されたパソコンを、日本のメーカーが自社の箱に詰めて売っていたから「箱屋」、作っているのは箱だけでしょ?と。でもまぁ、ビジネスってのはそういうものです。何でも自社で作るのはかえって非効率、よそで生産したものをいかに自社のパッケージに詰め込むのかも腕の見せ所なのです。

 で、今回のケースはJTの子会社の袋に入っていた製品が問題になりました。普通ならJTが責任を問われるところ、JTが信頼を失い、JTの製品は危ない、農薬だけじゃなく、ニコチンやタールなどの有害物質も入っているらしい、とか噂されそうなもの、政府も重い腰を上げて立ち入り調査となるところです。ところが不思議なことに、矢面に立つことを免れているような???

 こうしてみると中国でモノを作るというのは、ただコストを下げるだけではなく、ある意味ではリスクを減らす効能もあるのかも知れません。つまり自社製品に問題が起こったときに、自社が非難を浴びる代わりに「中国」をその引受先にすることが出来るわけです。JTの食品が危ないのではなく中国の食品が危ないのだ、と。批判の矛先を反らし、責任を押しつける対象を用意するという意味で、made in Chinaは新たな付加価値を持つのでしょうか。

 まぁ、どの段階でも食品関係者には信頼できる品質管理を願いたいところですが、国によっては難しいようですね。食材が腐っていると指摘したら、首を切られる国があるんですって。まぁ怖い。

「腐った食材を指摘し解雇」 調理師が地位確認申し立て(共同通信)

 愛知県豊橋市の給食会社が運営する社員食堂で調理師として働いていた三重県の男性が、腐った食材などを使わないよう会社に申し入れたところ、一方的に解雇されたとして、29日までに津地裁に地位確認などを求める労働審判を申し立てた。申立書などによると、同社は愛知県や三重県など46カ所で社員食堂を運営。腐った野菜の納品などを男性は再三指摘したが改善されず、07年9月「営業方針に支障を来す」と解雇された。

 

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The fascist regime

2008-01-30 22:59:28 | 非国民通信社社説

 「実際、バンドとしては、演奏ができるよりは出来ない方がよいのだ」と、語ったのはマルコム・マクラーレンですが、皆さんご存知ですか? セックス・ピストルズのマネージャーだった人です。このマクラーレンの方針もあってバンドのベーシストがグレン・マトロックからシド・ヴィシャスに変わりもしたのですが、日本のノーフューチャーな政治状況と重ね合わせて考えてみると、色々と興味深くも感じられます。

 シド・ヴィシャスはパンクに全く関心がない人でも、名前くらいは聞いたことがありますよね? ピストルズの2代目ベーシストで、ほとんどベースが弾けなかったのでアンプに繋いでもらえなかった人です。一方、マトロックはと言えばピストルズで最も演奏技術、作曲能力共に秀でており、一番まともな人でした。そのマトロックが脱退してヴィシャスにが加入、ベースはお留守になりましたが、彼の伝説的なパフォーマンスによってバンドはセンセーショナルな成功を収めました。ほんの短い期間でしたが。

 マトロックは優れたベーシストでしたが、優れたベーシストは他にいくらでもいました。一方でヴィシャスのような狂気じみたパフォーマンスは、少なくとも当時は余人を以て変えがたいものだったわけで、それを考えればマトロックからヴィシャスへの交代は概ね成功だったのでしょう。とりわけ既存の音楽に対して鬱屈した不満を抱いていた人々にとって、確固たる演奏能力のあるマトロックよりも、徹底的に型破りなヴィシャスの方が、新しい風を感じさせたに違いありません。

 さて、保守政党の支配が続いている日本ではありますが、見方によっては世界屈指のパンクの王国なのかも知れません。だってほら、「実際、候補者としては、政治ができるよりは出来ない方がよいのだ」と言わんばかりの選挙結果ではないでしょうか。マトロックのような「普通の実力者」なんて見向きもされない、ヴィシャスのように「全くベースを弾いたことがない、全く政治に携わったことがない」候補者が圧倒的な支持を集めているではありませんか。

 例えばこの前の参院選では、東京選挙区で保坂三蔵が落選し、丸川珠代が当選しました。かの実力派の保坂三蔵ではなく、選挙に行ったことすらない丸川珠代が選ばれたわけです。長年に渡って政治の第一線で実績を積み重ねてきた候補よりも、全く政治に無関心な候補の方がよいのだと、そんなところでしょうか。まさにパンク! (メタルとパンクは仲が悪いみたいですが、なるほど確かに、メタルを愛する私としては、このパンク精神溢れる選択は理解できません、ピストルズは好きですがね)

 そしてこの間の大阪府知事選です。橋下氏が圧勝しました。今になって対立候補の非力を指摘する声も強まりつつありますが、それはどうでしょうか? ことベースの演奏技術ならぬ政治力という面では、橋下氏はそれ以上に非力なはずです。それでも橋下氏が選ばれるのはなぜか、単に知名度の問題ばかりでもなく、候補者の方向性の違いを考えてみるべきです。

 ピストルズが生まれた当時の若者達と同様に、この国の有権者達は社会に漠然とした不満を抱いています。漠然と。そして「何か」が、何かが変わらないといけないと思っている、とにかく既存のものはもう駄目だと、そう思うわけです。ならば既存のスタイルを受け継いだものではなく、既存のスタイルから外れたものに期待しようと、そう動くわけです。例えばベースを弾いたことがないベーシスト等々。

 ここで何が不満の原因なのか、それを解消するためには何が必要なのか、考えることが出来れば具体的な対応策も出てきますし、そこに訴えることも出来ます。しかし現状への中身のない不満や中身のない変革意識しか持ち得ていないと、そこでの評価基準はいかに既成のイメージから遠いか、それだけに止まってしまうのです。それがよい方向であろうと悪い方向であろうと、あるいは全く無関係な方向であろうと、とにかく既存の政治家イメージから遠いことが、待望の改革者として歓迎される要因となります。

 ただ単に選挙に勝つだけならば、より有権者の好む方向性を備えた候補、すなわちより政治とは無縁な人を連れてくるのが有効な選挙戦術になるのかもしれません。しかし、それで勝ったところで何が出来るのか、勝つことが目的になってはいないか、そこも考えねばなりません。候補者を変えれば選挙の結果も変わるかも知れませんが、それで社会が良い方に変わるのか、そこはどうでしょうか? 有権者が変わること、有権者の選択が変わらない限り、自ずと限界はあります。

 まぁ、しばらくはベースでぶん殴られる日々が続くでしょうか。自分の胸を剃刀で傷つける日々も続くでしょうか。気弱な青年が虚勢を張り続けるのは、後に大きなストレスとなって跳ね返ってくることも予想されます。それでもそのパフォーマンスに新たな時代や変革を感じ取る熱狂は得られるのかも知れません。しかし、政治とは劇場のパフォーマンスではなく、我々の生活に密接に関わってくるものなのです。

 

 ←No future, no future, no future for you!

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モノは売れるが株価は下がる、さて我々の懐は?

2008-01-29 23:05:40 | ニュース

07年の世界自動車販売、トヨタが首位=米自動車専門紙(ロイター)

 米自動車専門週刊紙オートモーティブ・ニューズは24日、米ゼネラル・モーターズ(GM) の中国合弁会社での販売台数を除外すると、2007年の世界自動車販売台数でトヨタ自動車<7203.T>がGMを抜いて首位になると報じた。

 2007年のGMとトヨタの世界自動車販売台数はほぼ937万台となったが、GMが僅かにリードした。

 しかし、オートモーティブ・ニューズは、GMの中国合弁会社に対する出資比率は約30%で過半数には達していないとして、合弁会社の販売台数51万6000台は除外されるべきとしている。

 ロイター通信の伝えるところに拠ると、トヨタの自動車販売台数は実質世界一に躍り出たとか。相変わらず日本の製造業は好調です。しかし、株価は急落を続けています。アメリカ金融市場の混乱の煽りを受けた格好ではありますが、この結果から明らかなことは、いかに製造業が頑張ったところで金融不安に対抗することは出来ないということです。

東京株式市場・大引け=終値で500円超す大幅反落、市場センチメントが急速に悪化(ロイター)

 東京株式市場で日経平均は大幅反落。終値で前週末比500円を超す下落となった。前週末の米株安や円高傾向を受けて売り先行で始まり、後場は中国などアジア株の全面安をきっかけに一段と下落。為替も1ドル106円台前半まで円高が進み、株価の下押し要因となった。

(中略)

 その他の個別銘柄では、トヨタ自動車<7203.T>やソニー<6758.T>、キヤノン<7751.T>など輸出・ハイテク株が売られた。みずほフィナンシャルグループ<8411.T>や三菱UFJフィナンシャル・グループ<8306.T>も軟調。2008年3月期の業績見通しを上方修正したKDDI<9433.T>は買われた。

 企業の景気回復こそが重要で、税制上の優遇によりそれを実現し、それが国民の生活にも波及するのだと、もう何年も前から同じことを、御用学者達から聞かされてきました。そして「厳しい国際競争」で圧勝を続ける輸出企業の牽引もあって戦後最長の経済成長が記録されたわけですが、アメリカ金融市場の相次ぐ破綻が起こるやこのザマです。

 本当に必要だったのは、消費税による増税分をそっくりそのまま法人税減税に充てるような減税策ではなく、金融市場のリスクに対する備えであったように見えます。しかしどうやら、御用学者の考えは違ったようです。

 この一月で急落した株価はさておき、この10年で着実に下がり続けてきたのが国民の給与所得でもあります。戦後最長の景気回復なのに? 御用学者は企業の景気が回復すれば、それに伴って国民の懐も暖まると主張しましたが、戦後最長の景気回復は今なお労働者の給与に反映されていません。いつになったら労働者の給与に反映されるのでしょうか? 100年後? ここでもそう、本当に必要だったのは下がり続ける労働分配率を是正することだったのに、対応策が完全に誤っていた、お陰で国民の懐の問題は全く解決されなかったわけです。

 もしかしたら、国民を欺きやすい環境が整っていたのかも知れません。言うまでもなく、国民の実感としての景気回復はこの10年、なかったわけです。自分達の懐が寂しいままなのに、景気回復など実感できませんよね? ところがここに罠があるのでしょうか、景気回復の実感がないだけに、賃上げを拒む経営側の説明に納得しやすい状況が作られます。つまり、まだまだ景気は悪いのだから、当面は薄給に甘んじるのも仕方がない、と。

 これが好景気の実感があったなら、儲けた分を労働者に還元せよとの超えも勢いづくものですが、「儲かっていない」という雰囲気が社会に漂っていると、経営側の賃金据え置きの主張も筋が通って見えてしまいます。すると賃金は低いまま据え置かれ、統計上は好景気でも、体感上の不況は続く、自分自身の感覚として不景気という意識があるだけに、経営側の説明に何となく納得してしまう、そんなループです。

 さて、体感上の不況は続いても、統計上の好景気はもはや隠すことの出来ない水準に達しました。昨年末から少なからぬ留保が付けられたものの、財界側にも賃上げを認める発言が現われ、今年の春闘では久々のまともな賃上げが実現されるかと期待されたものです。ところが、年始のこの金融市場の大暴落、これは経営側に格好の口実となるかも知れません。海外への輸出は好調だけれど、株価は下がっている、資本価値が下がって経営の先行きが不透明だと、そうしたマイナス面をアピールすることで、賃金抑制の説明とするわけです。それ自体は決して嘘ではありませんが……

 

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橋下氏を支持する人たち

2008-01-28 22:41:56 | ニュース

橋下氏、無党派層の半数獲得 若者票も集める(朝日新聞)

 朝日新聞社が27日の大阪府知事選で、投票者を対象に行った出口調査によると、初当選した橋下徹氏=自民府連推薦、公明府本部支持=は、無党派層で50%の支持を得たほか、女性から6割近い支持を集めたことが分かった。

(中略)

 投票の際に重視したのは「候補者個人の魅力」が39%と最も多く、「主張する政策」で選んだ36%を上回り、今回は政党や政策より個人が前面に出る選挙となった。

 「魅力」で選んだ層では橋下氏への投票が72%と突出。21%にとどまった熊谷氏に大差をつけた。「政策」で選んだ層では、橋下氏が37%、熊谷氏が36%と競り合い、梅田氏も26%だった。

 男女別でみると、橋下氏は女性の好感度が高く、57%が橋下氏に投票したと回答、熊谷氏に倍以上の差をつけた。年代別でも、橋下氏はすべての年代でトップで、30代で6割を超え、60代を除く年齢層で5割以上を占めた。熊谷氏が橋下氏を上回ったのは、60代の男性だけだった。

 あの閉鎖的で独善的な横綱審議委員会や大相撲協会が変革するためには、ぜひとも朝青龍に勝って欲しいなぁ、と思っていたけれど負けてしまったのが昨日の話。がっかりしていたら二度目のがっかりが大阪の府知事選、こちらは事前に予想していた結果とはいえ、しょーもないなぁ、と。別に大阪人の体を張ったボケというわけでもないでしょうが、次に来るのは軽いツッコミならぬ本気のパンチでしょうに。

 それはさておき、開票とほぼ同時に当確が出るほどの圧勝だった橋下氏ですが、自民、公明党支持者以外の強力な支持層となったのは女性と比較的若い世代、いつものパターンでした。自民党支持層、石原慎太郎支持層と同じ傾向ですね。どの候補が最も自分にとって不利益になるかを探り当てるその嗅覚と、決して自分にとってプラスにはならない候補に投票し続ける自己犠牲の精神には感嘆せざるを得ません。

 「主張する政策」で候補を選んだと自称する人は橋下氏37%、熊谷氏36%、梅田氏26%との結果ですが、「候補者個人の魅力」で選んだという人は実に72%が橋下氏に投票したとか。橋下氏の魅力って何なのでしょうね? 昨日取り上げた「誇りに思うこと」の中身と同様に、具体的に突き詰めてみれば何もない、そんな気もしますけれど。

 かの安倍晋三の就任当時、支持理由の中には少なからず「ハンサム」というのがありました。それが支持の理由になり得るのかという以前に、「ハンサムかな?」(まぁ、人の好みはそれぞれで)という疑問が真っ先に頭に浮かんだのですが、いつの間にか「ハンサム」という支持理由は跡形もなく消滅してしまいました。さて橋下氏の支持理由はどうなるでしょう? 橋下氏が変わらなくとも、周りの気持ちは容易く崩れてゆくものです。

 対立候補に支持が集まらなかった理由には、根強い民尊官卑の考え方もあるでしょう。とにかく「官」的なものは良くないものと考える、「民」に近いことを良しとする考え方があるわけです。そういう民尊官卑の空気の中では、より真っ当な「政治家」のイメージを持つ人は卑しいものと蔑視され、より「政治家」のイメージから遠いものが尊ばれる、いかに政府与党と学会の支持を取り付けていても、です。横山ノックや石原慎太郎、小泉純一郎にそのまんま東、そして橋下徹が、その内容を問わない支持を集めたのは、「官」から遠ければそれだけで良しとする、思考のオートマティズムが背景にあるのではないでしょうか。単に知名度の問題だけではなく、真っ当であれば真っ当であるだけ否定され、逆に何らかの点で「外れている」ことが過大に評価される、そういう要素も考えてみる必要がありそうです。

 

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誇りの中身が空疎になった

2008-01-27 22:51:23 | ニュース

「日本国民に誇り」93%で過去最高…読売調査(読売新聞)

 日本国民であることを誇りに思う人は93%に達し、「国の役に立ちたい」と考える人も73%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」で明らかになった。

(中略)

 「日本の国や国民について、誇りに思うこと」の具体的内容を複数回答で選んでもらったところ、「歴史、伝統、文化」を挙げた人が72%で最も多く、「国土や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」(各28%)などがこれに続いた。86年の同様調査と比べると、「歴史、伝統、文化」が19ポイント増えた一方、「教育・科学技術水準」が22ポイント減の19%、「経済的繁栄」が17ポイント減の19%に落ち込んだのが目立った。

 「国民の一人として、ぜひとも国の役に立ちたい」との考え方については、「そう思う」が73%だったのに対し、「そうは思わない」は20%だった。2005年の同様調査ではそれぞれ68%、28%で、国への貢献を前向きにとらえる意識が強まったことがわかる。

 調査対象が何人いるかもわからない不思議な調査ですが、「日本国民であることを誇りに思う人」が93%に達したそうです。そいつは凄い数値だと言いたいところですが、20年前の調査でも91%と大差ないようで、たぶん昔から日本人は国家や国籍にアイデンティティを求める性質なのでしょう。

 大きく変わったのは「誇りに思うこと」の内容で、「歴史、伝統、文化」を挙げた人が19%増の72%、「教育・科学技術水準」が22%減の19%、「経済的繁栄」が17%減の19%となっているようです。つまり20年前は、教育や科学技術、経済といった目に見えるものに誇りを持っていたけれど、今は「歴史、伝統、文化」という目に見えないものを誇っているということでしょうか。

 確かに20年前、Japan as no.1と言われた時代がありました。その時だって何もかも上手くいっていたわけではなく、問題は色々とあったわけですが、それでも教育や科学技術、経済の面で少なからず日本が世界をリードしていた時代であり、それは誇るに足るものだったのでしょう。自分達の優れているところを誇るのは、そこに他人を見下す視線が介在しない限り、決して不健全なものではありません。

 ところが誇るものの変わった今はどうでしょうか? はっきりと優劣の現れる経済ならいざ知らず、歴史や伝統、文化といったものは優劣の付けられるものではありません。それはどの国にでもあるものであり、どの国のものも尊重されるべきであって、少なくとも自国の文化が特段に優れているとか、そういう意識を抱くべきものではないわけです。

 優れた科学技術を開発して世界をリードしていくとしたら、それは世界全体の発展に寄与するものですが、自国の文化を優れたものとして世界に広めようとする場合、それは往々にして征服という形をとります。前者を誇るのは納得できますが、後者を誇るとしたら危うさを感じますね。あるいは自国の文化を優れたものとして、他の国の声に耳を傾けない、ひたすら内向きの自分ルールで満足し、国際社会からの孤立も気にかけない、近年の日本の場合はこちらでしょうか。

 しかし、本当に「歴史、伝統、文化」を誇りに思っているのか、その辺りからして甚だ疑問です。例えば歴史ですが、我々の社会は自らの歴史を書き換えようとしているわけです。それも政府筋の後援の元に! 自らの歴史に誇りを持つのなら、どうしてそれを書き換えようとするのか、本当は自らの歴史を恥じているのではないかと、そう問わざるを得ません。

 伝統にしたところでそう、伝統に誇りを持つつもりなのに、伝統が全く受け継がれていないわけです。受け継がれているのは大半が明治以降に創られたものばかり、江戸以前の伝統なんて今や見る影もありません。文化はどうでしょうか? 大阪の知事などは「能や狂言が好きな人は変質者」などと言っていますが、とりあえず伝統文化に関しては、日常に入り込んでもいなければ、尊重されてすらいないように見えます。我々は一体何を誇っているのでしょう?

 「ぜひとも国の役に立ちたい」なんて考える人も増えているようですが、その具体的な中身はと言えば誇りの根拠と同様、空疎なものに違いありません。ただ漠然と、国民は国に仕えるべきだと思っているだけです。それは国民ではなく臣民の役目ですが、戦前の伝統がよく受け継がれている結果でしょうかね。それ以前に問われるべきは、国が国民の役に立っているかどうか、なのですが。

 

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つくばみらい市の一件から

2008-01-26 22:31:32 | ニュース

DV防止法:反対団体の抗議で講演会中止 つくばみらい市(毎日新聞)

 配偶者や恋人などによる暴力「ドメスティックバイオレンス(DV)」をテーマにした講演会を20日に予定していた茨城県つくばみらい市が、被害者保護などを定めたDV防止法に批判的な市民団体などの抗議を受け、開催を断念していたことが分かった。

 講演会は市内の公民館を会場に、内閣府の専門調査会委員でDV被害者支援に取り組む平川和子・東京フェミニストセラピィセンター所長を講師に招いて開く予定だった。

 市によると、07年12月下旬にPRを始めたところ1月に入り「偏向した講演会を市費で行わないで下さい」などと記した要請書やメールが届くようになり、約100通に達した。16日朝には、市役所前で数人が拡声器を使って抗議する騒ぎが起き、市は「開催しても混乱を招き、参加者に迷惑をかける」と判断して、中止を決めた。

 開催に反対した市民側は「被害者のシェルターへの保護は家族を破壊する」などとDV防止法を批判しているが、平川さんは「DVの実態を伝えたかったので残念だ」と語った。

 上手く考えがまとまらなかったので見送ろうとも思ったのですが、やはり見過ごせないので取り上げます。DVをテーマにした講演会が予定されていたはずが「市民団体」の抗議で中止になったというこの話、色々な面で「らしさ」が滲み出ています。家庭内暴力がなくなると破壊されてしまう「家庭」とは何なのでしょうね。

 先に引用元の毎日新聞の記事に突っ込んでおきますと「開催に反対した市民」という表現が気にかかりました。こう書かれるとあたかも地元の市民が反対していたかのような印象を与えてしまいますが、この開催に噛みついていた団体って、都内から出張してきたみたいなのですが? 自民党議員だったら党の政策に反対する人のことは「テロリスト」と呼びますし、極右団体だったら「反日」と呼ぶわけですが、毎日新聞は敢えて「市民」と呼ぶ辺り、何とも殊勝な心がけです。

 さて産経新聞によると、『市秘書広聴課は「市民に危険が及ぶ恐れがあったので中止を決めた」としている。』そうなのですが、このように恐怖を用いて自分達の政治的主張を押し通すことを海外ではテロリズムと言います。このようなやり口への対策が日本のテロ対策特別措置法に含まれていない辺り、日本で言うテロリズムには当て嵌まらないのかも知れませんが、それがどうして、こうしたテロ行為は日本において決して珍しいものではありません。

 主催側であるつくばみらい市はテロの脅威に容易く屈したようですが、いやはやなんともブッシュに罵倒されそうな弱腰ぶりですね。貴様はどっちの味方なのか、テロリストの仲間でないなら旗を見せろ!と。政府与党が言うところの「テロの脅威」や、「反日国家」だの「ジェンダーフリー」だの「プロ市民」だのと、こうした諸々の仮想敵を相手にしている限りは、何とも勇ましいことを口にする輩ばかりですが、それはあくまで現実の脅威でないからこそ、蛮勇を奮えるというものでしょうか。右翼団体が怒鳴り込んでくるなどの、実在の脅威には何とも弱腰です。


 そしてもう一つ、我々の社会があまりにも、人を傷つけることを自明のことと受け容れている様を指摘せざるを得ません。それが我々にとって必要なものであるならば、すなわち自由に生きる権利、正当な報酬を受け取る権利、社会保障を受ける権利に関しては驚くほど鈍感な我々の社会ですが、人を幸せにするためのものではなく、他人を傷つけるものであるならば驚くほど熱心になるのが我々の社会だと言うことです。

 つまり、捕鯨は我々にとって必須ではありませんが、それを嫌がる人がいるからこそ、熱心に支持する人がいる、死刑制度も治安維持のためには無意味ですが、それでも人を罰したいが故に熱心に支持されるわけです。守られる権利よりも我を通す権利、生きる権利よりも復讐する権利をこの社会が好むなら、殴られない権利よりも殴る権利の方が好まれるのでしょうか。道ばたで他人を殴れば暴行ですが、それが配偶者や子供を殴る分には暴行ではないとする、その考え方はそもそもおかしいはずです。暴力による支配が例外的に許された空間を家族と呼び、そんな家族を守るべきものと考えているのなら、それこそ失笑ものです。

 

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ハンドボールは好きですか?

2008-01-25 23:27:49 | ニュース

男子の前売りは40分で完売 ハンドボールのアジア五輪予選(共同通信)

 日本ハンドボール協会は25日、日本と韓国のやり直しとなった北京五輪アジア予選の前売り入場券の全国販売を午前10時に開始したが、30日に行われる男子の入場券が40分間で完売し、ネットオークションに出てくるほどの異常な注目度の高さを示した。29日の女子については若干の余裕があるという。店舗販売、電話などで対応したが、購入が困難な状況に「何で買えないんだ」などと苦情も殺到。

 高校の時の体育の先生が、素晴らしいスポーツマン揃いだったわけです。一人は手榴弾投げの代表選手だった人で、もう一人はオリンピックでも起用された元審判で試合中に女子選手のケツを触ってクビになった人、そしてもう一人がハンドボール日本代表のGKを務めた人でした。そんなわけで高校ではよくハンドボールをやっていたわけですが、アレってスポーツとしてはメジャーなんでしょうか?

 学校体育ではよくあるスポーツが、すなわちメジャースポーツかといえば、それは必ずしも一致しません。例えば日本の学校体育ですとドッジボールが盛んですが、ドッジボールがメジャースポーツかと言えば、そこには疑問符を付けざるを得ません。あるいはアメリカでは昔から、子供の遊びとしてのサッカーは普及していましたが、それは大人のやるスポーツとは見なされず、近年までサッカー不毛の地と呼ばれてきたのも周知の事実です。そしてハンドボールもまた学校体育の中で経験した人は多いかも知れませんが、大人の競技としてメジャーとは、残念ながら言えないはずです。

 言うまでもなく、これ以前にもハンドボールの国際代表試合は何度となく繰り返されてきたはずですが、その時の観客動員はどうだったのでしょうか? そもそも、勝敗すら報道されていたか怪しいもので、注意深く探さないと見つけられない、それくらい小さくしか扱われてこなかったはずです。かつて全日本のゴールを守った私の恩師にしたところで全く名前を知られていませんし。

 そんな不遇なハンドボールですが、なぜか開始40分でチケットが完売したそうです。いやはや、不思議な盛り上がりです。そんなにファンがいるなら再試合になる前の本戦の段階から、もっと応援してくれればよいものを、どうして今になってようやく重い腰を上げたのか、その辺を問うてみたいものですね。

 まぁ結局のところ、日本では国際的な対立が国内の盛り上がりに繋がるというわけでしょうか。クジラの消費量が減り続けているのに捕鯨に関する強硬論が盛り上がるのも、死刑制度への支持が空前の高率を記録したのも、それは国際的な批判があってのことと考えると整合性がとれそうです。北風が吹けば吹いただけ、旅人はよりしっかりとマントを掴むもの、どうやら太陽政策が必要なのは北朝鮮だけではなさそうです。

 ハンドボールの審判問題に関しては第三者から見ても疑義が呈されるもので、敗者が難癖をつけているわけでもないのでしょう。日本側は堂々と再試合に望めばいいだけの話ですが、今になって初めてハンドボールに注目した人というのは、ハンドボールが好きと言うよりも他国との揉め事が好きなのであって、それはファンではない、選手達にとって心強い存在ではないような気もします。

 

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大阪府知事選の戦略を考えてみる

2008-01-24 23:34:18 | ニュース

橋下氏が先行、熊谷氏追う 大阪府知事選、4割は未定(共同通信)

 大阪府知事選で、共同通信社は19、20の両日、電話による世論調査を実施。自民党大阪府連と公明党大阪府本部が支援する弁護士でタレントの橋下徹氏が先行、民主など3党が推薦する元大阪大大学院教授の熊谷貞俊氏が激しく追う。共産党推薦の弁護士梅田章二氏は伸び悩んでいる。ただ4割が投票する候補者をまだ決めておらず、無党派層を中心とした有権者の今後の動向が当落を大きく左右しそうだ。

 ぼんやりとしていたら、いつの間にか大阪府知事選の投票日が迫っていました。大阪とはさっぱり縁のない私ですが、他人事扱いせずに少し考えてみるとしましょうか。後から何かを言うよりも、投票日前に何か意見の一つも、と。

 いつだって話題性のある候補が圧倒的に強いのが日本の選挙、批判も賞賛も両方が多い橋下氏が相当程度、抜きんでているようです。橋下氏に投票するなんて、大阪らしく受け狙いでボケているつもりか、などと突っ込んでもいいのですが、全然笑えませんね。

 もちろん私自身、橋下氏の主張には反対で、橋下氏の当選は阻みたいと思うわけですが、そのためにはどうすべきなのでしょうか? 私が巡回しているブログの多くは、橋下氏の問題発言を取り上げて、彼がいかに酷い人物かを語ります。私はそれに頷き、やはり橋下氏の当選は避けたいと感じるわけですが、ただそこに疑問がないでもありません。

 一つの疑問は、橋下氏を批判しているブログにしても、主役はいつも橋下氏にならざるを得ないことです。「セクハラだ」と掲載を拒否されて物議を醸した裸祭りのポスターが話題を呼び、逆に大規模な宣伝となったように、肯定でも否定でも、大きく取り上げられればそれは宣伝になります。政策や主張ではなく話題性がモノを言う選挙であるならば、より有効な選挙戦略は真っ当な批判ではなく、黙殺なのかも知れません。たとえ言っていることがまともでも、巷の話題に上ることのない対立候補は無力です。

 もう一つの疑問はそう、橋下氏を支持する人は、私達が問題発言と呼ぶそれを問題視してはいないのではないか?ということです。「被告人を速やかに死刑にすべき」「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないことだ」「税金を払わない奴は生きる資格がない」・・・問題ある発言はいくらでも探すことが出来ますが、私達が不愉快と感じるこうした発言を、橋下氏の支持者はむしろ快く受け止めている可能性を考えてみるべきでしょう。

 「被告人を速やかに死刑にすべき」これを聞いて私は橋下氏に反対するわけですが、私と同じように感じる人ばかりかと言えば、もちろんそうではありません。反対にこれを聞いて快哉を叫び、橋下氏を支持するようになる人も多いわけです。「ババア」と呼ばれた女性達が石原慎太郎を支持したように、ダメな発言を指摘すれば支持が落ちるというものでもない、むしろ逆の結果すら招きうるのです。橋下氏の問題発言をいくら指摘したところで、それに共感する人々にとっては逆効果となる可能性もあります。

 反橋下派をより明確な反橋下派にしたところで、票の数は動きません。選挙戦略を考えるなら、親橋下派を動揺させることが必要でしょう。そのためには「反橋下派が怒りを感じる言動」=「親橋下派が共感を覚える言動」を探すことよりも、親橋下派が失望するような言動、行為を探した方が有効かも知れません。そうですね、たとえば「歴史的経緯のある特別な永住外国人について、当然これは参政権を与えるべき」という橋下氏の発言、この点について私は橋下氏に賛成しますが、逆に橋下氏の支持者としては受け容れがたい発言ではないでしょうか。この辺りがクローズアップされると、橋下氏支持の極右政党などは大いに困るはずです。

 「私はこの飛鳥地区で育ち、ど真ん中で差別も利権の構造も見てきた。親の世代はまだまだ差別に苦しんでいた。」との発言や、事件報道における被害者・被疑者の氏名を匿名にすべきとの主張、この辺は橋下氏の数少ない肯定できる側面ですが、むしろ橋下氏の支持層にとってはネガティブな要素でしょう。こうした側面の指摘や強調は、それが結果的にではあれども橋下氏の支持基盤の切り崩しに繋がる可能性がありますし、戦略としては検討に値するのではないかと思うわけです。

 

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 やれやれ、対立候補の名前を一度も出さずに終わってしまったぜ。

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日本式教育は中東向き?

2008-01-23 23:07:32 | ニュース

日本人学校に現地生徒を本格受け入れ、規律教育に評価高く(読売新聞)

 政府は世界各地の日本人学校で現地にいる外国人の子供を本格的に受け入れる方針を固めた。

 「規律を学べる」として日本式教育への評価が中東などで高いことを踏まえた措置だ。

 海外在住の日本人の子弟らを教育する日本人学校は政府の支援を受け、日本人会と保護者代表らによって運営されている。文部科学省によると昨年4月時点で、世界50か国・地域の計84校の日本人学校のうち、現地語と日本語を併用する「国際学級」を設け、現地の子供を受け入れたのは中国・上海やソウルなど23校だったが、人数は計98人にとどまっている。日本人の子供約1万9000人の0・5%に過ぎない。

 これに対し、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ首長国は、2006年から自国の幼児を日本人幼稚園に入学させている。今後、入学者全員を現地の日本人学校の小中学部に進学させ、高校からは日本に留学する計画を進める。カタールは、自国の子供が日本式教育を受けられる学校の設立を日本に打診中だ。

 学力低下だの学級崩壊だのと国内では評価の低い日本の学校教育ですが、ところにより高い評価だそうです。何かが違うのでしょうか? どういう人々が、どういう点を評価しているのか、その辺りを考えてみると面白そうです。

 考えようによっては、教育委員会や教育再生会議の介入の及ばない海外だからこそ、質の高い教育が行われているとも想定できますが、そうであるならば世界中にあらゆるところから評価されてもよさそうなもの、しかるに現状では弱冠の偏りもあるようです。というのも、日本式教育への評価が高いとされるのが中東諸国と、付け加えるなら既に受け容れ実績のある中国、韓国あたりに止まっており、では欧米や中南米、アフリカ諸国ではどうなのかと気になるわけです。日本人在住者の少ないアフリカはさておき、ヨーロッパやアメリカ、中南米諸国、東南アジアではどうなのでしょうか?

 「規律を学べる」というのが高い評価の理由だそうです。なるほど、学科の時間が少く、学校体育や学校行事の時間が長い、集団生活を重視する日本式教育は欧米型の教育に比べると規律を植え付けるに適しているのかも知れません。学力よりも規律を欲する社会であるならば、日本式教育の評価も高まるものでしょうか。似非科学や御用学者に欺されない教養人を育てるよりも、規律正しく号令に従う人間を育てたい社会では、日本式教育の方が目的に適っています。逆に他人を規律で縛ろうとしない社会では、日本式教育など相手にされない、と。

 凶悪犯罪が減っても、それと反比例するように報道が過熱し犯罪不安が叫ばれるなど、実態と国民感情は必ずしも一致しません。崩壊が指摘される学校教育もまた同様で、実際に教育現場が乱れているのかどうかは一概には言えません。むしろ些細な乱れや違反を許容できない、そうした過敏さの増大が学校教育の崩壊という感覚に繋がっている可能性も考えるべきです。規律の乱れを嘆く声の大きさは、そのまま規律を追い求める意識の強さでもあります。

 それが学校教育の結果か偶然の結果かは定かでありませんが、嫌なことがあってもフランス人のように暴動を起こしたりしない従順な国民が育ち、僅かな例外を除けば民主的な選挙によって一党支配を何十年も存続させてきたわけです。軍事力によって国民を抑えつけたり、非民主的な手段で独裁体制を維持するのに悪戦苦闘している国家から見れば、日本式教育の結果は驚嘆に値するのかも知れません。「とても子どもとは思えない。どんな社会で育つとこれほどの能力を発揮できるのか」と。

 後は何でしょうか、現代日本の性道徳がイスラム教的なものに近い、とりわけ日本人男性の、女性の性に対する考え方がイスラム教徒の中でも保守的な人々のそれに似通ったものになりつつあるからでしょうか。その辺も中東の人から見れば受け容れやすい所以と言えそうです。

 

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この国民にしてこの国あり

2008-01-22 23:09:11 | ニュース

社保庁、年金「裏マニュアル」 特別便、訂正できぬ人も(朝日新聞)

 「宙に浮いた年金記録」の持ち主を捜す「ねんきん特別便」をめぐり、社会保険庁が窓口を訪れた人に記録漏れの特定につながる助言をしないよう社会保険事務所に求めるマニュアルを作成していたことがわかった。窓口対応の手引を補足する「裏マニュアル」とも呼ばれ、「過去の勤め先を思い出せない人に事業所名の頭文字は教えない」などと厳格な内容。他人の記録の持ち主になりすます不正を防ぐためだが、厳しすぎて記録の回復が進まない一因になっているとみられる。

 まぁ社会保険庁が政府の大方針に忠実であるならば、こうなるのも当然の結果でしょうか。国家なり自治体なりが社会保障関係の支出を抑制しろと号令をかけて、それで現場が頑張れば頑張るだけ受給資格者が追い返されるわけです。ところが職員達が「お国のためによく頑張った!」などと讃えられることはないのですな、これが。一兵卒の扱いはそんなものです。

 出来るだけ給付を阻もうとする方針自体はもちろん非難に値するものですが、一方で「他人の記録の持ち主になりすます不正を防ぐため」というお題目の方は一定の共感を集めるかも知れません。「不正を防ぐ」というと掌を返したように評価を変える人も多いのではないでしょうか。警察が嫌いな人が実は治安機関による取り締まりの強化には大賛成だったり、学校教師を誹謗して止まない人が体罰となると教師を絶賛し始めたり、そういう場合もあります。普段は公務員を飽くことなく中傷している人ほど、「不正を防ぐ」となると態度が変わりそうな気がしますね。

 例えば生活保護のケース、全体の1%程度の不正受給者がいるわけですが、この1%の不正を阻むために人員を揃え、その何百倍もの正当な受給資格者を追い返しているのが日本式福祉行政です。これにはもちろん批判もありますが、不正受給が問題であるとの信念の元に現行体制を擁護する人も少なくありません(そしてこういう人に限って、普段は公務員となると何をやっても全否定だったりします)。

 これが合理的な国ですと、不正受給によるマイナス分よりも不正受給を阻むための人件費の方が高いからと、水際作戦要員を削減して人件費削減、トータルでのコスト低下に繋げたりもするわけです。行政の無駄を省くとはこうした考え方が必要なのですが、計算の出来ない子供は不正を阻むためならその何倍ものコストを投じることを厭いません。そして1件の不正を阻むために100人の正当な受給者を追い返すのも仕方ないと考える、これが日本の生活保護行政です。

 そして生活保護の場合も年金記録の場合も、考え方は一緒でしょう。審査を緩め、多少の不正ななりすまし受給者には目を瞑りつつ年金記録が速やかに解消されるよりも、「不正は許さない」という正義感を振りかざすことを好む人は決して少なくないのではないでしょうか。生活保護の場合にはそうだったはずです。とりわけ政府与党の支持者には、ですね。そうした支持者の声を社会保険庁は良く反映しているわけで、ある意味では国民の声によく耳を傾けていると言えるのかもしれません。

ねんきん特別便 回答9割、問題なし 大半訂正のはず…(朝日新聞)

 基礎年金番号に統合されていない「宙に浮いた年金記録」5000万件の問題で、社会保険庁が年金の受給漏れの可能性が高いとして昨年12月に送った「ねんきん特別便」に、7日までに年金受給者16万人が回答、その9割近くにあたる約14万人が「記録に問題はない」としていたことが分かった。特別便には受給漏れの原因となっている未統合記録の内容は記されておらず、本人が漏れた記録を思い出せないまま回答した可能性が高い。

 なお、受給漏れの可能性が高い人に送られた「ねんきん特別便」は9割近くが「問題はない」と回答したそうです。こうして見ると自分の年金記録の回復に熱心な人はそれほど多くないということでしょうか。多いのは、犯人捜しに熱心な人であり、被害者の回復ではなく犯人を罰することに情熱を燃やす人のようです。

 

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