新型コロナウィルスの感染は11週連続で拡大が続いているそうです。医療機関からは逼迫も伝えられる一方で世間の感染症対策は緩んだまま、感染症の蔓延によって学級閉鎖やイベントの中止、営業活動の縮小などのケースも少なからず発生しているようですが、それでも感染予防には乗り出さず個人の判断に任せる、というのが我々の社会における主流派を構成しています。上述の通り感染者の増加のために通常の営業活動が困難になる事業者も出ているわけで、この状況を「経済優先」と見なすことは不可能です。優先されているのは経済ではなく、感染症対策に「公」が介在しない自己責任社会の深化の方ではないでしょうかね。
増えているのは新型コロナだけではなく、人食いバクテリアこと劇症型溶血性連鎖球菌感染症や手足口病も同様です。溶連菌や手足口病は従来は子供達の間での流行に止まることが多かったのですが、昨今は大人にも広まっている、過去最悪のペースであるとも伝えられています。感染力の高い「新型」コロナウィルスだけではなく従来の昔からある感染症もハイペースで拡大していることが意味するのは即ち、我々の社会における公衆衛生の水準が低下している、と言うことです。コロナ禍の非常事態を経て、我々の社会は以前よりも不衛生になってしまったのかも知れません。
この辺は市井の声に過ぎませんが、コロナ前はマスクを着用していた飲食店でも「マスク着用は任意」という感覚が広まった結果としてマスクを外すようになった、「任意なのに何故マスクを付けるのか?」とマスクを外すように指示する事業者もいる、感染症の症状が出ているにも拘わらず「任意だから」とマスクを付けずに人混みに飛び込む輩を目にすることも多い等々、過去よりも現在の方が飛沫の飛び交う機会は増えた、感染症の広まりやすい環境が作られたところもありそうです。インフルエンザの感染者が皆無に近いところまで抑え込まれていた清浄な日々は、まさに非常事態の産物でしかなかったのでしょう。
病気をうつすのは、最も合法的な加害手段であるということができます。他人を殴れば犯罪ですが、病原菌をまき散らすのは罪に問われません。電車の中でサリンを散布すればテロですけれど、ノーマスクの感染症患者を満員電車に押し込んで派手に咳き込ませても、それで捕まることはありません。それはしばしば直接的な暴行よりも重大な健康被害を周囲にもたらすものでありながら感染症のスプレッダーは犯罪者として収監されることはなく、野放しにされたままです。いわば野犬を放置しているのと同じようなものですね。
我々の社会は言論の自由の名のものとにヘイトスピーチを野放しにしてきましたが、感染症とスプレッダーに関しても同様の原則が適用されているのかも知れません。ヘイトスピーチの放置は結果として他人の権利を侵害する、社会全体で見た場合の自由を損ねるものですが、それでもヘイトスピーチに枷を課すことを避けてきたのが我が国です。同様に感染症のスプレッダーを放置することは結果として他人の健康を奪うことになる、世の中全体の自由を妨げるものですが、それでも感染症の保菌者の行動を制限しようとしない、これが我が国における「自由」という概念の扱いなのかも知れません。
“日本人は特にいじわる”とデータが証明?行動経済学が明かす「スパイト行動」(データのじかん)
──相手に出し抜かれるくらいなら、自分が損してでもダメージを与えたい。
あなたはこのような気持ちを抱いたことはありますか?
”日本人は上記のような意地悪な行動を選びやすい”と示すデータが、1990年代、日米の経済学研究者によって行われた実験で取得されました。このような行動は英語で悪意、いじわるなどを意味する単語、spite(スパイト)を用いて「スパイト(いじわる)行動」と名づけられています。
日本人のマスク嫌いは、上記の「スパイト行動」によって説明が付くように思います。つまり全員でマスクを着用することが感染症の抑え込みにつながり社会全体の利益は最大化されるわけですが、マスクなし(加害者)とマスクあり(被害者)の間では加害者サイドが相対的な優位を得ます。相手から一方的に病気をうつされるぐらいならば、むしろマスクを外して感染症を広める側に回ろうとする、こうしたスパイト行動への志向が日本人には顕著で、それがマスク嫌いに繋がっているのではないでしょうか。
言うまでもなく、マスクの最大の効果は着用者の飛沫拡散防止であり、他人の飛沫からの防護は二次的なものです。保菌者がマスクを着用して飛沫を放たないよう努めることは効果的であるものの、スプレッダーが派手に咳き込む中で自分だけマスクを付けたところで、その防護効果は十分ではありません。マスクは何よりもまず「他人にうつさないため」に着用するものであり、スプレッダーに包囲される中で自分だけがマスクを着用しても、助かるかどうかは運次第です。
だからマスクは本来「嫌がる人にこそ」着用させるべきであって、個人の自由とするのは公衆衛生の面では誤りと言えます。隣人に感染症を広めようとするスプレッダーをどうにかしないことには、コロナも溶連菌もインフルエンザも、どれも防ぐことは出来ません。ノーマスクでは自身も感染のリスクを負いますが、同時に周囲へとダメージを与える機会が増える、逆にマスクを着用していれば他人に感染させる確率を大きく低下させられるものの、スプレッダーからの防御は十分でない──こうした中で「相手に出し抜かれるくらいなら、自分が損してでもダメージを与えたい」という無自覚の欲望に突き動かされたノーマスクも多いと考えられます。こうした人々への対処法は個人の判断に任せず「公」による強制しかないのですが、我が国の政府は甘っちょろいですよね。