非国民通信

ノーモア・コイズミ

公衆衛生の破綻

2024-07-28 21:03:44 | 社会

 新型コロナウィルスの感染は11週連続で拡大が続いているそうです。医療機関からは逼迫も伝えられる一方で世間の感染症対策は緩んだまま、感染症の蔓延によって学級閉鎖やイベントの中止、営業活動の縮小などのケースも少なからず発生しているようですが、それでも感染予防には乗り出さず個人の判断に任せる、というのが我々の社会における主流派を構成しています。上述の通り感染者の増加のために通常の営業活動が困難になる事業者も出ているわけで、この状況を「経済優先」と見なすことは不可能です。優先されているのは経済ではなく、感染症対策に「公」が介在しない自己責任社会の深化の方ではないでしょうかね。

 増えているのは新型コロナだけではなく、人食いバクテリアこと劇症型溶血性連鎖球菌感染症や手足口病も同様です。溶連菌や手足口病は従来は子供達の間での流行に止まることが多かったのですが、昨今は大人にも広まっている、過去最悪のペースであるとも伝えられています。感染力の高い「新型」コロナウィルスだけではなく従来の昔からある感染症もハイペースで拡大していることが意味するのは即ち、我々の社会における公衆衛生の水準が低下している、と言うことです。コロナ禍の非常事態を経て、我々の社会は以前よりも不衛生になってしまったのかも知れません。

 この辺は市井の声に過ぎませんが、コロナ前はマスクを着用していた飲食店でも「マスク着用は任意」という感覚が広まった結果としてマスクを外すようになった、「任意なのに何故マスクを付けるのか?」とマスクを外すように指示する事業者もいる、感染症の症状が出ているにも拘わらず「任意だから」とマスクを付けずに人混みに飛び込む輩を目にすることも多い等々、過去よりも現在の方が飛沫の飛び交う機会は増えた、感染症の広まりやすい環境が作られたところもありそうです。インフルエンザの感染者が皆無に近いところまで抑え込まれていた清浄な日々は、まさに非常事態の産物でしかなかったのでしょう。

 病気をうつすのは、最も合法的な加害手段であるということができます。他人を殴れば犯罪ですが、病原菌をまき散らすのは罪に問われません。電車の中でサリンを散布すればテロですけれど、ノーマスクの感染症患者を満員電車に押し込んで派手に咳き込ませても、それで捕まることはありません。それはしばしば直接的な暴行よりも重大な健康被害を周囲にもたらすものでありながら感染症のスプレッダーは犯罪者として収監されることはなく、野放しにされたままです。いわば野犬を放置しているのと同じようなものですね。

 我々の社会は言論の自由の名のものとにヘイトスピーチを野放しにしてきましたが、感染症とスプレッダーに関しても同様の原則が適用されているのかも知れません。ヘイトスピーチの放置は結果として他人の権利を侵害する、社会全体で見た場合の自由を損ねるものですが、それでもヘイトスピーチに枷を課すことを避けてきたのが我が国です。同様に感染症のスプレッダーを放置することは結果として他人の健康を奪うことになる、世の中全体の自由を妨げるものですが、それでも感染症の保菌者の行動を制限しようとしない、これが我が国における「自由」という概念の扱いなのかも知れません。

 

“日本人は特にいじわる”とデータが証明?行動経済学が明かす「スパイト行動」(データのじかん)

──相手に出し抜かれるくらいなら、自分が損してでもダメージを与えたい。
あなたはこのような気持ちを抱いたことはありますか?

”日本人は上記のような意地悪な行動を選びやすい”と示すデータが、1990年代、日米の経済学研究者によって行われた実験で取得されました。このような行動は英語で悪意、いじわるなどを意味する単語、spite(スパイト)を用いて「スパイト(いじわる)行動」と名づけられています。

 

 日本人のマスク嫌いは、上記の「スパイト行動」によって説明が付くように思います。つまり全員でマスクを着用することが感染症の抑え込みにつながり社会全体の利益は最大化されるわけですが、マスクなし(加害者)とマスクあり(被害者)の間では加害者サイドが相対的な優位を得ます。相手から一方的に病気をうつされるぐらいならば、むしろマスクを外して感染症を広める側に回ろうとする、こうしたスパイト行動への志向が日本人には顕著で、それがマスク嫌いに繋がっているのではないでしょうか。

 言うまでもなく、マスクの最大の効果は着用者の飛沫拡散防止であり、他人の飛沫からの防護は二次的なものです。保菌者がマスクを着用して飛沫を放たないよう努めることは効果的であるものの、スプレッダーが派手に咳き込む中で自分だけマスクを付けたところで、その防護効果は十分ではありません。マスクは何よりもまず「他人にうつさないため」に着用するものであり、スプレッダーに包囲される中で自分だけがマスクを着用しても、助かるかどうかは運次第です。

 だからマスクは本来「嫌がる人にこそ」着用させるべきであって、個人の自由とするのは公衆衛生の面では誤りと言えます。隣人に感染症を広めようとするスプレッダーをどうにかしないことには、コロナも溶連菌もインフルエンザも、どれも防ぐことは出来ません。ノーマスクでは自身も感染のリスクを負いますが、同時に周囲へとダメージを与える機会が増える、逆にマスクを着用していれば他人に感染させる確率を大きく低下させられるものの、スプレッダーからの防御は十分でない──こうした中で「相手に出し抜かれるくらいなら、自分が損してでもダメージを与えたい」という無自覚の欲望に突き動かされたノーマスクも多いと考えられます。こうした人々への対処法は個人の判断に任せず「公」による強制しかないのですが、我が国の政府は甘っちょろいですよね。

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2024-07-27 21:19:41 | 文芸欄

 そのウィルスは当初、呼吸器に作用すると考えられていたが実は呼吸器の症状が消えた後も脳にウィルスが残り続け、罹患者は感染の影響を過小評価し再感染のリスクが高い行動を好むようになる。また脳をウィルスに冒されると、人混みの中ノーマスクで激しく咳き込むなど周囲に感染を広めるような行動を取るようになる……という設定を思いつきました。作品に仕上げる予定はないので誰でも好きに使ってください。

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似たような制度でも、陣営が違えば扱いも違う

2024-07-21 21:20:04 | 政治・国際

西側がそれでグルジアを批判した「外国の代理人」法案をカナダが可決(スプートニク)

カナダは、米国の外国代理人登録法(FARA)よりも厳格な法案をわずか1か月半で可決した。これにロシア外務省のザハロワ報道官が注目し、トルドー政権の指示で急いで提出された文書に一部の議員が目を通していなかったのを認めたことに言及した。ザハロワ氏は、これほど重要な法制度の改正としては前例のない速さだと指摘した。

法案には以下の提案が含まれている:
・外国代理人登録リストの作成
・大使館職員の制限
・外国の影響を管理する機構の設置

 

 この法案については当然のことながら公にされているのですが(参考)、日本語で読めるメディアで報じているのはロシアのスプートニクと、法輪功の大紀元ぐらいしか見つけられませんでした(参考)。まぁ大紀元は中国におけるウイグル弾圧の情報源として西側諸国では大いに信頼されている、ということは伝えておくべきでしょうか。

 本年の5月には州じゃない方のジョージアにて、同様の外国代理人登録に関する法律が可決されました。これは日本国内の大手メディアでも頻繁に報道され「ロシアの法律」「民主主義の後退」などとレッテルを貼られてきたわけです。事実関係としてはザハロワ報道官も正しく指摘するとおり、アメリカには先駆者として既に同様の法律があります(参考)。アメリカの州にあやかって国名を改称するような国がアメリカの法律を模倣しただけなのに、西側諸国のメディアは挙って事実をねじ曲げて報道してきた、この偏向ぶりは強く意識されるべきでしょう

 

政府が「メタ情報」を平時監視へ 能動的サイバー防御巡り検討(共同通信)

 政府はサイバー攻撃に先手を打って被害を未然に防ぐ「能動的サイバー防御」を巡り、インターネットの住所に当たるIPアドレスや通信量の変化などの付随的な「メタ情報」について、政府機関による監視を平時から可能とする方向で検討に入った。プライバシーに配慮し、メールの件名や本文のようなデータ本体は原則、収集の対象外とする。複数の政府関係者が14日明らかにした。

 

 この辺も一応は報道されているわけですが、あまり話題にはなっていないように思われます。曰く国内のデータ通信を政府機関によって監視する、データ本体は「原則」収集の対象外とするとのこと、「原則」とは具体的に何を例外とするのでしょうかね? よく西側諸国が中国やロシアの企業との取引を抑制する口実として、データが相手国の政府に渡される云々と吹聴されていますけれど、では日本やアメリカ、イスラエルなどの同志国であれば違うのか、という疑問は尽きません。少なくとも上記の検討事項が通れば、日本政府によって通信の秘密が侵されることになる、日本国内でのビジネスは中国やロシアにおけるものと同様にリスクがあると言えます。

 結局のところ、どこの国も根本的な制度は似たようなものです。アメリカにもロシアにも、州じゃない方のジョージアにもカナダにも外国の代理人を監視する制度はありますし、中国にも日本にも民間の活動情報を政府が監視・収集する取り組みはある、制度面ではどこの国も大差ないと言うことができます。違うのは制度ではなく「陣営」に過ぎない、アメリカの傘下にある国を信頼できると見なし、アメリカの意向に従わない国を危険と見なしている、ただそれだけのことです。

 

・・・・・

 

 先般はトランプ大統領候補が演説中に銃撃される事件が起きました。そしてお決まりの「テロは許されない」「民主主義への脅威」等といった非難が国内報道にも並んだわけです。しかし2014年に武装勢力が議会を包囲して大統領を追放したウクライナを巡っての言説はどうだったでしょうか? 結果として親米政権が樹立された場合、その暴力革命は「マイダン革命」や「アラブの春」などと呼ばれ西側諸国から賞賛されてきました。一方でアメリカの意向に沿わない政権が樹立された場合はクーデターとして非難される等々、結局は武力による現状変更もまた「陣営」次第で賛否が分かれると言えます。

 暴力革命と聞くと一概に否定する人が圧倒的多数を占めているはずですが、しかし現実にウクライナで暴力革命が発生した際にこれを非難した人は極めて稀でした。結局のところ、制度や行為そのものは問題ではない、単純にアメリカ側に属しているかどうかで評価している、そんな人々が西側諸国で主流派を構成しています。日本は専ら差別する側に立っているからこそ、この歪さには全く気づかないのが現状かも知れません。しかし差別される側、不公正に取り扱われてきた側にとって驕れるアメリカとその衛星国の言動は白々しいものにしか映っていないことでしょう。

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各国の選挙を振り返って

2024-07-14 21:27:50 | 政治・国際

 先日の東京都知事選ですが、投票率は60%超で平成では過去2番目の高水準だったそうです。2012年の都知事選には及ばなかったものの、このときは石原慎太郎が職を辞しての争いだったのに対し、今回は圧倒的優位にある現職がそのまま立候補しています。それでも冷めた選挙にならなかったのは、大幅に増えた泡沫候補達の影響もあるでしょうか。中には悪ふざけとの誹りを受けても仕方のない候補者もいましたけれど、そうしたネタ候補もまた選挙への関心を高める上では役に立っていたのかも知れません。

 投票率が上がるのは一般的に良いこととされますが、この結果として割を食ったのが蓮舫で、当初は小池百合子の対抗馬と目されながら石丸伸二にすら及ばない3位という結果に終わりました。蓮舫に限らず民主党系の候補は若年層の支持が薄く、投票率が低迷して相対的に中高年層の票が多数を占める状態では一定の強みを見せるものの、今回のように選挙への関心が高まり若年層の投票も増えるようになると2位にもなれないわけです。政治家が子供受けの良いキャラクターを目指す必要はありませんけれど、支持層が中高年に偏る立憲民主党の弱点は自覚されるべきでしょうね。

 なお立憲・国民の民主両陣営は今回の敗北の責任を共産党に転嫁したいようで、共産党との連携解消を主張する議員も散見されます。実際どうなるかは分かりませんけれど、もし野党共闘という茶番が解消されるのであればどうなるのでしょう。民主党に道を譲って立候補の取り下げを続けてきた結果として共産党は少しずつですが着実に議席と得票を減らしてきました。共産党を滅ぼしたい、共産党に社民党と同じ末路を辿らせたい、反共であればこそ共産党との選挙協力は維持すべき、というのが私の見解ですが、両民主党や連合にどれだけの将来計画があるかは今ひとつ分かりません。

 東京都知事選挙はそれなりに投票率が高かった一方、ヨソの国に目を転じると盛り上がりに欠けたのか投票率の低い選挙もありました。その一つはイランの大統領選挙で、最初の投票では40%、決選投票でも結局は50%に届かない結果に終わったそうです。前大統領の事故死を受けて、今後の方向性を左右しかねない選挙であったにも拘わらず、イラン国民は冷めた目で見ていたことが分かります。

 決選投票に勝利したのは元保健相のペゼシュキアンで、氏を「改革派」と呼ぶ西側メディアからは一定の期待が寄せられているようです。イスラエルの蛮行を制止する上で重要な役割を担っているイランが欧米に媚びるようになるとパレスチナが見捨てられる恐れもあり決して歓迎できる事態ではありませんが、しかしイラン国民の低い投票率に見られる冷めた目線からすると、結局は最高指導者の決定が優先であって大統領についてはあまり重要でないとも考えられます。

 大きな選挙は続き、イギリスでは与党・保守党が大敗し、野党・労働党が政権を奪回するに至りました。もっとも現在の労働党は党内の左派を排斥して「中道」路線で染められており、その政策スタンスは保守党と大きく変わるものではありません。イギリスの場合は純粋に与党の失策のために別の党へ票が移っただけであり、日本における自民党から民主党への政権交代と同様、与党は変わっても根本的な政策は変わらない、あまり期待の持てない政権交代で終わる可能性は高いことでしょう。

 逆に転換の見込みがあるのはフランスで、第一回投票では右派が第一党を窺う勢いだったのですが、その後の決選投票で大きく覆り左派がまさかの第一勢力を占めるに至りました。ただ第一勢力と言っても過半数には届かず、左派・右派・中道のいずれも何らかの形で連立を組む必要に迫られています。この連立次第でフランスの政策は変わる可能性もあるものの、中道勢力が上手いこと立ち回ってキャスティング・ボートを握ってしまうと、これまで何も変わらない状況が続くと懸念されるだけに、今しばらくは状況を見守る必要がありそうです。

 ここで「中道」とは何かについて少し考えて欲しいのですが、世間一般の理解は以下のようなものはないでしょうか。「左」と「右」が両側で極端な主張を持っており、その中央でバランスを取っているのが「中道」であると、世の中にはそんな思い込みもありますし、「中道」勢力自身が意図を持ってそのイメージを作り出してきたところもあるわけです。「中道」という言葉を字義通りに解釈すればその名の通り左と右の中間に位置しているように感じられてしまうのは仕方がないのかも知れません。しかし「中道」勢力が促進してきたことの実態はどうなのでしょう?

 確かに「左」と「右」にも当然ながら主張はあり、それが相反して綺麗に対立している部分もあります。では「左」と「中道」、「右」と「中道」の間ではどうなのか、ともすると中間的な関係であろうと勘違いされがちですが、その実は「左」と「中道」の間には絶対に相容れない溝があったり、その点ではむしろ「左」と「右」の間の方がまだしも歩み寄れる余地があったりもするのではないでしょうか。世の中「左」と「右」の対立軸もさることながら、もう一つ「中道」という「極」があって、それぞれ3つの対立で捉えた方が現実に符合するところがあるように思います。

 例えば「資本家を優先」する政策を推し進めているのは「左」か「右」か「中道」かと言えば、多くの場合は中道勢力が最も先鋭的です。同様に「NATOの覇権を優先」しているのもまた「中道」であり、「左」や「右」は懐疑的な立場を取る傾向にあります。こうした点では「左」と「右」の間にはそこまで大きな相違点がなく、むしろ「中道」との間にこそ埋めがたい隔たりがある、その辺は強く意識されるべきでしょう。

 フランス大統領のマクロンはまさに「極中道」とでも呼ぶべき人物で、徹底した資本家優先、NATOの覇権優先へと舵を切ってきました。この極端な中道主義者に比べれば、極左や極右と呼ばれる政治勢力の主張はずっと穏健とすら言えます。日本を振り返っても「右」の安倍晋三と、保守本流の出身と呼ばれ相対的には中道に位置づけられる岸田文雄のどちらが資本家優先、アメリカ優先であるかは考えるまでもありません。日本をアメリカの意向に沿って戦う国へと作り替えようとしている急進派の政治家は、安倍晋三ではなく岸田文雄の方です。

 実際は右よりも左よりも先鋭化した急進派でありながら、「中道」という偽りの仮面であたかもバランスの取れた存在であるかのごとく自らを装う、そんな政治勢力こそが長らく欧米諸国を牛耳ってきました。ひたすらにアメリカ陣営のため勢力圏を広げようとする中道勢力によって国際関係も大きく歪められてきたのが現代と言えますが、フランスのように僅かでも左右勢力が中道を打ち破るようになってきたのは、多少なりとも希望のもてる展開ではあるでしょうか。そして中道勢力の打倒が必要なのは、欧米だけではなく日本もまた同様です!

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アメリカ・ファースト

2024-07-12 23:17:28 | 編集雑記・小ネタ

「PFAS漏れ事故は『非公表』で」アメリカの要求に日本は従い、国民に真実を隠した…政府関係者が経緯明かす(東京新聞)

 米軍横田基地(東京都福生市など)で昨年1機フッ素化合物(PFAS)を含む汚染水の漏出事故について、日米両政府が非公表とする方針で合意していたことが、政府関係者への取材で分かった。日本政府は、米軍側から事故についての説明を受け月に発生した高濃度の有た際、情報を外部に出さないよう求められ、これに従っていた。(松島京太)

 

 先般は在日米軍兵士による誘拐及び不同意性交について政府が沖縄県に情報を伏せていたことが明るみに出ました(参考)。今回もまた結果的には表沙汰になったものの、やはり日米両政府が合意の上で事故を隠していたことが伝えられているわけです。バイデン大統領も日本の防衛費増額がアメリカ側の意向であったことを二度にわたって証言しているなど、日本政府が何を最も優先しているかを如実に表していると言えます。

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結果はさておき

2024-07-07 21:06:23 | 政治・国際

 このブログでは取り上げませんでしたが、東京都知事選挙が終わりました。私は千葉都民の子として生まれ自らも千葉都民として生活しているわけですけれど、残念ながら東京都の選挙権はありません。選挙権は居住地を基準に割り当てられるものですが、しかし多くの千葉都民にとって自分の生活に直結するのは千葉の政治なのか東京の政治なのかは一概に言えない気がします。その他、たまたま転勤で赴任しているいるだけの地域の選挙よりも自分の故郷の政治の方が関心がある、そんな人も多いことでしょう。ふるさと納税のような悪法がまかり通る時代であれば、むしろ選挙権を行使する地方を国民に選択させるぐらいのことは考えても良いかも知れません。

 それはさておき、今回の都知事選には過去最多の56人が立候補しました。多少なりとも現職と競れる見込みのある人もいれば、勝機はなくとも候補者なりに訴えたいことがありそうな人もいる、ただ同じ政党でありながら複数の候補を乱立させたところもあり、売名を疑われている人も少なくないようです。かつては日本の供託金を「高い」と批判する声の方が大きく取り上げられがちでしたが、実際は供託金を「安い」と判断する人の方が多数派で、その結果が今回の候補者56人に結びついたと言えます。

 実際のところ、立候補することで得られる露出の機会を考慮すれば300万円という供託金は格安なのかも知れません。東京都民しか投票できない選挙でありながら関心は全国から向けられる、僅か300万円で日本全国へ名前を売ることが出来るのであれば、十分に元が取れると判断する人も多かったのでしょう。そして制度の穴を突き、候補者を乱立させて獲得したポスターの掲示スペースを、寄付を募るという名目で実質上の販売を行った政党もあるわけです。

 

都知事選「ポスター枠」を55万円で購入した男性 「生後8カ月のわが子」をポスターに掲載した理由(AERA dot.)

 6月20日に告示された東京都知事選は候補者の「選挙ポスター」が物議をかもしている。ほぼ全裸の写真や風俗店のポスターが貼られ、一部候補者や政治団体が警視庁から警告を受ける事態に発展した。さらに、ある政治団体は候補者を乱立させ、そのポスター枠を事実上「販売」していることも波紋を広げている。“売名”など本来の目的とは異なる形で掲示板が利用されており、対策を求める声も出ている。では、ポスター枠を“買う”側は世間からの批判に何を思うのか。「55万円」でポスター枠を買った男性に取材した。

「掲示板ジャックに参加したのは、都知事選の判断材料として有権者の皆さまに私個人の主張を伝えるためです。マスメディアの情報はどうしても偏りがちですし、(公の場で)一個人の意見が取り上げてもらえる場は限られています。こうして名もない一個人が主張できる機会を得られたので、私はお金を払ってポスターを出したのです」

(中略)

 だが、道理としては、自らが都知事選に立候補して堂々と有権者に政策を訴えればいいはずだが、男性はなぜそれをしないのか。

「私が立候補すればいい、考える人はそういないのではと思います。人には能力がありますし、分相応ということもあります。私は緊張しやすいですし、人前でうまく喋れるタイプではありません。都民だったとしても立候補など全く考えられません」

 

 先般はアメリカ本土でバイデンとトランプの討論会が行われ、バイデンが大きく評価を落としました。ただ、主張の中身は大差ないもので、政策面でバイデンがトランプに劣っていたとは一概に言えません。それでもトランプ勝利と評価する人が多数派を占めたのは、バイデンの振るまいが顕著に老いを感じさせるものであったからです。政治家の評価を決めるのは政策よりもキャラクターの強さによるところが大きい、政策面では五十歩百歩でも意気軒昂な70代と衰えの顕著な80代とでは前者が票を集めてしまう、そういうものでしょう。

 だから、ここで「ポスター枠を買った」人に私は共感するところもあります。政策はある、主張もある、しかし政治家に転身するつもりはないし、そのために人前に出るだけのタフさはない、そんな人は多いはずです。こうした従来は広く伝えられる機会のなかった人々の声を表に出す機会として、今回の掲示板ジャックは一つの「穴」であったのかも知れません。現行の選挙制度の趣旨とは異なる手順で行われたことではありますけれど、一概に否定できたものでもないというのが私の評価ですね。

 ついでに言えばNHK党の露出戦略には全否定できないところもあります。結局のところ候補者を立てていかなければ党の主張が有権者に届くことはなく、勝算に乏しいからと他の党に道を譲っていれば、その党は次第に忘れられてゆくだけです。だから現行の共闘路線を継続している限り、共産党は議席を減らしいずれは社民党と同じ末路を辿ることでしょう。野党共闘は、共産党を憎む人こそが追求すべき路線です。当の共産党サイドは「我々は社民党とは違う」と思い上がっていると推測されますが、いずれは後悔する日が訪れると私は予言します。そうなる前に路線を修正できるかが運命の分かれ道ですね。

 ちなみに東京都知事選ですが、「良い」候補が当選すべきか「悪い」候補が当選すべきか、迷うところがあります。日本全体で俯瞰してみた場合、東京一極集中と地方の衰退は当然ながら好ましいことではなく是正が必要です。そうした観点からは東京には「悪い」都知事が君臨していた方が、ことによると日本全体の利益になる可能性があります。もし石原慎太郎や小池百合子ではなく、もっと良心的で賢明な首長が東京に誕生していたならば東京はもっと栄えていた、その結果として東京一極集中は今よりもずっと酷いものになっていたかも知れません。東京のトップが石原慎太郎や小池百合子だったからこそ、東京一極集中がこの程度で済んでいるのではないか、そんな気もしています。東京一極集中を抑制するためには、東京都知事は少し問題があるぐらいの方が良いのではないか……と。

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失言ではなく証言

2024-07-06 21:59:57 | 編集雑記・小ネタ

「日本に予算増加させた」 バイデン氏、また失言(時事通信)

 【ワシントン時事】バイデン米大統領は5日、米ABCテレビのインタビューで「私は日本に予算を増加させた男だ」と述べた。バイデン氏は昨年6月にも日本の防衛予算増を巡って「私が説得した」と述べた後、「わが国自身の判断」とする日本政府の申し入れを受け撤回した経緯がある。今回は何の予算か言及しなかったが、重ねての「失言」で同氏の認識が改めて問われそうだ。

 

 事実を述べただけで失言扱いは、いかに高齢者相手といえど失礼だと思いました。これは失言ではなく「証言」です。

 

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