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2011-04-30 11:59:59 | ニュース

「事実無根だ」いわき市長、官房長官発言に反発(読売新聞)

 福島県いわき市の渡辺敬夫市長は23日、記者会見し、福島第一原子力発電所の事故を受けた計画的避難区域にも緊急時避難準備区域にも同市が含まれなかったことについて、枝野官房長官が「市の強い要望に基づいた」と発言したことに対し、「強く要望したことはなく、事実無根だ」と述べた。

 渡辺市長は同日、官房長官宛てに、発言の撤回を求める文書を送ったという


いわき市の強い要望なかった…枝野氏が発言訂正(読売新聞)

 枝野官房長官は25日午前の記者会見で、福島県いわき市が福島第一原子力発電所事故を受けた避難区域に含まれなかったことを「市の強い要望」とした発言に関し、「誤解を招く発言になった。訂正したい。地域設定は国の責任においてやっている」と修正した。

 同市の渡辺敬夫市長が「強く要望したことはなく、事実無根だ」と反発していた。

 ……まぁ、枝野ならよくあることです。この人は場当たり的に嘘を吐くのが習性なんでしょうね。自身の過去の発言を棚に上げた放言も珍しくないですし(参考)、政治的な芯がないと言いますか、その時々の旗色の良し悪しに合わせて、優勢な方に着きたがるタイプなのでしょう。こうして官房長官の座に居座っている辺り自身の保身に長けるタイプではあるのかも知れませんが、これに付き合わされる国民はどうなんだろうと思わないでもありません。もっとも、流行り廃りに媚びる政治家=民意に近い政治家ですから、意外に有権者からの「感情」は満たしてくれるとも言えます。財布は満たしてくれませんが。


「排気の遅れ、水素爆発招いた」 米紙が原発事故分析(朝日新聞)

 23日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、福島第一原子力発電所の事故について、放射性物質の外部放出を懸念し、東京電力が格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事を掲載した。

 同紙は、同原発1号機は地震・津波の発生から半日たった3月12日午前2時半に格納容器内の圧力が2倍に達し、東電は排気を決めたとしている。

 しかし、準備などに手間取り、実際に排気できたのは同日午後。その約1時間後に水素爆発が起きて原子炉建屋が破壊された。これに伴う炉心の損傷はなかったが、「壁」の一つが失われたことでその後の大量の放射性物質の放出につながったほか、炉の冷却のための作業を妨げる原因にもなった。

 同紙によると、日米の専門家は排気の遅れで水素爆発が起きやすい条件ができたと考えている。放射性物質と水素を含む格納容器内のガスは、排気専用のパイプを経由して建屋の外にある排気塔に導かれるが、圧力が2倍になるまで待ったため、パイプの継ぎ目などからガスが漏れやすくなり、建屋内に充満した可能性があるという。

 専門家は「放射性物質の放出を心配するあまり排気に慎重になったことが、事態を悪化させたようだ」とみている。水素爆発の防止を重視する米国は、格納容器内の圧力が耐圧の上限に達する前でも早めに排気を行うことにしており、同様の方針は韓国や台湾でも採用されていると指摘している。

 米国では、1979年のスリーマイル島原発事故で作業員の判断ですばやく排気が行われ、原子力規制委員会(NRC)が追認したが、日本では排気は「最後の手段」として、電力会社のトップや政府の判断を待ってから行う体制。記事はこうした考え方の違いも排気の遅れにつながった可能性を指摘した。

 さて結果論ではありますが、格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事が出たそうです。確かに、もっと速やかに排気が行われていれば、より悪い事態(水素爆発)は防げた可能性も十分に考えられます。とはいえ、こうした速やかな排気を現場の作業員に求めるのは、とりわけ日本では酷でしょう。水素爆発が起こったという「結果」が明らかになった今では「もっと早く排気しておけば」という判断は成り立ちやすいですけれど、水素爆発が起こる「前」では、周囲の理解も得にくいものです。仮に現場作業員の判断で排気が行われたとして、それで水素爆発が「起こらなかった」場合を考えてください。その時はきっと、いや間違いなく――自らの判断で排気、すなわちごく微量とはいえ放射性物質を排出した現場作業員が激しい糾弾の対象となったであろうことは想像に難くありません。その判断を原子力保安院は追認してくれるかも知れませんが、世論はそれを許さない、放射性物質の放出に踏み切った作業員を巨悪として追求し、世論に媚びる政府も喜んで作業員をスケープゴートにするでしょう。「一刻も早く排気しなければ爆発の恐れがあったのだ」と抗弁したところで、排気が遅れた場合の結果が推測の域を出ないとあらば、排気という「小さな悪」が「最大の悪」にされてしまうわけです。かくして現場作業員は判断を経営トップに委ね、経営トップは判断を政府に委ね、そうこうしている内に時間は流れ「より悪い事態」が発生してしまいましたとさ。やれやれ。


低濃度汚染水放出は国際的犯罪…西岡参院議長(読売新聞)

 西岡参院議長は26日、東京都内のホテルで講演し、東京電力福島第一原子力発電所から低濃度の放射性物質を含む汚染水を海に放出した問題について、「国際的な犯罪だ。必ず大きな禍根を残す。漁民にも知らされなかった。一体、どういう政治なんだと感じている」と述べ、政府や東電を厳しく批判した。

 さらに、東日本大震災への菅政権の対応に関し、「『想定外』という言葉で逃げることは許されない」としたうえで、緊急事態法制定や被災地への復興府の設置などを提案した。

 で、こんな「批判」もあったそうです。原発や東電を罵っておけばトンデモですら喝采を浴びるご時世ですが、この件はどうなんでしょうね。低濃度汚染水の放出を躊躇った結果として、余計に事態が悪化する可能性もあるはずで、それが後からウォールストリート・ジャーナル辺りに批判されることもあるように思います。「起こらなかった」ことについての評価は難しいですけれど、より悪い事態を避けるための判断については、もうちょっと尊重されても良さそうなものです。とりわけ今回の原発事故を深刻に思うのであればその分だけ、非常措置には理解を持つべきではないでしょうか。

 ちなみに報道によると「汚染度の低い水1万トンに含まれる放射能の量は、2号機の高濃度汚染水10リットル程度に含まれる量と同レベルにあたる」そうです(東電、汚染度低い水を海へ放出 数日かけ計1.1万トン―朝日新聞)。どう考えても10リットルでは済まない量の高濃度汚染水が漏れた後で「高濃度汚染水10リットル程度」の排水を指して「国際的な犯罪だ。必ず大きな禍根を残す~」と言うのは、状況を理解できていない人にだけ可能な発言でもあります(脱糞した後に屁をこいたとして、後者に噛みつくとしたら何かがおかしいでしょう?)。放射線の影響を気にするのであれば、高濃度汚染水の漏れを差し置いて低濃度汚染水の排出が問題になり得ることなどあり得ないのですから。批判するとしたら、より重大なものが先に来てしかるべきものと思われるのですが――現・参院議長にはその辺の区別が出来ていないようです。

 数値を一人歩きさせることは、印象操作の基本と言えます。上で見たように全体でどれだけの放射性物質が海に流れたかを大きく出さず、単に放出した低濃度汚染水の「1万トン」という数値だけを強調することで、事実を隠さずとも印象を違えることができてしまうのです。ただ全体像を見せずに一部だけを見せることで、大きいものを小さく見せたり、小さいものを大きく見せたり、これは常套手段でもありますし、むしろ「受け手(読者、視聴者、有権者……)」が意図して受け入れているものですらあります。

 「会計検査院指摘が国費310億円の無駄遣いを指摘」と聞いたらどう思いますか? では「国費の無駄遣いは全体の0.012%に止まる」と聞いたら? 印象は異なるかも知れませんが、両者が指し示す「事実」は同じです。あるいは「生活保護の不正受給額90億円超え」=「生活保護費の不正受給額は全体の0.4%未満」は? 両者は全く同じことを語っています。どちらも嘘ではありません。「給食費の滞納22億円に上る」=「給食費の回収率は99.5%」でもありますね。巷では「被災地に100億円を寄付」した富豪が人気のようですが、孫正義の資産規模を勘案すれば「総資産の1%強を寄付」ということがわかります。どちらの語り方も嘘になるわけではないのですが、印象は異なりますし、この「印象」に振り回されているのが世間であり世論なのです。

 「レモン○○個分のビタミンC」というのは常套句の一つですが、レモンは特にビタミンCを多く含む食品ではなかったりします。で、この実は大して多くない、あるいは大きくないものと比較して「○○倍」と煽るのもまた印象操作の基本です。ともあれ絶対的な数値が大きければ(例えば「1トン」とか)、その数値だけを単独でピックアップして、それが全体の中に占める比率は考えさせない、逆に絶対的な数値が小さければ、もっと小さいものと比較して「○○倍」と語る、かくして実態から目を背けさせる、あるいは目を背けることが出来るわけです。これこそ判断の誤りを招く元ですが、自らの世界観を守るために、あるいは世界観を広めるために好まれてきたものでもあります。

 先日は放射線の影響を「癌になる確率が30%から30.5%に上昇する程度」と説明する専門家に対して「0.5%上昇するなら1000人の内5人が癌になるということだ!」と噛みついている読者の投書が新聞に載っていました。もっとも現実世界に生きていく上で接する対象は放射線だけではないですから、研究者にとってはいざ知らず普通に生活する上では放射線の影響だけを単独で取りだして考えても意味がないことは言うまでもありません。もとより30%に対する0.5%と言うのは誤差の範囲、その他諸々の要因によって吸収されてしまうレベルです。むしろ野菜不足の食生活の方が癌になるリスクを高める、そういうレベルなのですから。確かに0.5%程度であっても好ましい変化ではありませんが、それに対する反応はリスクに応じたものでなければなりません。日本でも通り魔に刺されて死ぬ人は時々ニュースになりますけれど、だからといって常に防刃ベストを着込まねばならないとしたら、そのおかげで助かる命があるとはいえ、どう見ても過剰反応でしょう。そして過剰反応は、避けようとする対象以上の重荷ともなるわけです。とかく自らを脅かす脅威を大きく思い描きたがる人が目立つ、それが左右問わず広がりつつある昨今ですけれど、余計な重荷を背負う必要はないと私は常々思います。

 

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中流から上には縁のない話

2011-04-28 23:44:27 | ニュース

 昨年は随分と長い間失業していたわけですが、痛感したのは「若い内なら働ける」という感じの仕事ばかりが世の中に溢れているのだなぁ、と言うことでした。非正規にせよブラック企業にせよ、若い内なら「妥協すれば」就労機会には事欠かないけれど、トウが立ってくると切り捨てられる、そういう傾向が強まり続けてはいないでしょうか。中高年はコネがないと再就職はなかなか難しいと就職セミナーでも聞きましたが、ともあれ中高年になっても働き続けられる職場というのは減る一方に見えます。中高年を切り捨てて若者向けに仕事は提供されるけれど、その若者も昇給してしかるべき年になったら切り捨てられる、そこで新卒者が希少な「中高年になっても働き続けられそうな職場」を探すと当然のことながら少ない椅子の奪い合いになって就職できない人が続出する、そして就職できない若者に「選り好みするな」とコンサルの類が説教する――これがお決まりのパターンなのかも知れません。

 まぁ、少なくとも採用担当者から見れば既に若者ではなくなった私にとって、昼間の仕事を見つけるだけでも一苦労でした。逆に言えば、夜の仕事――深夜勤務の仕事は結構な求人があったものです。選ぶ余地があるなら望んで深夜労働に付く人は決して多くないと思われますが、そうであるだけに私のような就職弱者であっても入り込む余地がある、それが深夜労働の世界だったわけです。就職強者は平日の昼間の仕事に就き、就職弱者は他の人がやりたがらない仕事、その典型の一つとして深夜労働を選ばざるを得ない、そんな構図もあるでしょう。私としても昼間の仕事に拘って探してきたのですが、あまりに就職が決まらない中では深夜労働も視野に入れざるを得ませんでした。最終的には雇用形態と通勤時間の面で大幅な妥協をすることで昼間の仕事を見つけたものの、次はもう昼の仕事は無理なのかと不安を感じる日々です。あの地震があった日、長い長い帰宅の道中に何度か深夜のコンビニに立ち寄ったものですが、店員は中年男性ばかりでした。職を失い、コネも持たない中高年は深夜労働に回らざるを得ないのだなと、私は差し迫った恐怖を感じた次第です。


節電策:消防法や労基法、柔軟に 経団連が規制緩和要望案(毎日新聞)

 今夏に予想される東日本の電力不足に対応するため、日本経団連は20日、企業の節電を後押しするために必要な規制緩和の要望案をまとめた。自家発電や勤務の夜間シフトをしやすくするための規制緩和が軸。来週初めにも公表し、月末に政府がまとめる今夏の電力需給総合対策に反映させたい考えだ。

 電力不足でガソリンなどを燃料とする自家発電の利用が増えれば、大気汚染などの規制に抵触する可能性がある。このため経団連は、ばい煙の排出規制を定めた大気汚染防止法や、一定量以上の自家発電用燃料を貯蔵する際に市町村長の許可を必要とする消防法の一時的な緩和を要請する。敷地内に自家発電設備を新増設する場合などに備え、敷地面積の一定以上の緑地を求める工場立地法の緩和も求める。

 また、工場などの稼働を電力消費の多い昼間から夜間にシフトさせるため、夜間の割増賃金を抑えるなど労働基準法の弾力化を求める。昼間の水力発電所の稼働率を高めるため、河川法を緩和して河川からの取水を機動的に実施できるようにすることも盛り込む。いずれも今夏限定の時限措置との位置づけだ。

 ……で、こういう要求も出てきました。例によって都合の良い話ではありますが、現実問題として電力不足に向き合わねばならない以上、こういう要求も通りやすくなってしまうのかも知れません。その筋の人が言い張るように電気が足りているなら、こんな規制緩和の要望など突っぱねてしまえば済むところですが、残念ながら電気は不足する見込みが濃厚です。白いクスリが効いている内は目の前の不安などどこかへ消えてしまうように、何かに酔いしれている人にとっては電力不足など別世界の出来事に見えているのでしょう。しかるに計画停電期間中はどんな大企業であろうと該当地域にいれば容赦なく電気を止められたりしたものですし、あれだけ企業活動に便宜を図るばかりだった政府筋が企業側に電力削減を突きつけるなど異例の事態に陥っているわけで、さすがに財界筋も現実的な対応を取らざるを得ない――電力不足に何らかの手を打たねばならないと理解しているようです。

 そこで自らの懐を出来るだけ痛めずに電力不足に対応しようとなると、こういう規制緩和要求が出てきます。環境評価をスルーした自家発電と、ピークシフトのための深夜労働の規制緩和が柱になるわけですね。前者についてはディズニーランドが先んじて同様の提案をしていました。どうにも原発「以外」安全神話が強固に築かれつつあるだけに、原発でさえなければ安心安全、原発でなければ超クリーン!みたいな扱いを受けがちですので、この辺はさしたる抵抗もなく規制緩和が進みそうなのがなんだか怖いです(中には諫める官僚もいるのでしょうけれど、そういう人ほど抵抗勢力云々や利権にしがみつく輩としてバッシングを受けるものと思われます)。つい先日、家庭用発電機を使っていて一酸化炭素中毒で死んだ人のニュースが流れていたのを記憶していますが、原発「以外」による事故や健康被害など今時のネット住民は誰も気にしていないわけで、こういう「注意のそらされた」状況でこそ危機は忍び寄ってくる気がします。

 深夜労働の割増賃金を抑える案もまた、極めてタチが悪いと言えます。課題となるピーク時の電力消費を抑える上ではピークシフト、つまり昼から夜の操業への切替は最も有効と考えられていますが、ただでさえ割に合わない深夜労働なのに、給料まで下がったら堪ったものではありません。深夜労働が常態化すると前立腺ガンになる可能性が3.5倍、乳がんになる可能性が1.6倍、心筋梗塞になる可能性が2.8倍に増加するとすら言われています。この辺はストレスの問題も絡むにせよ、普通に福島で昼の仕事に就いた方が遙かに低リスクです(もっとも福島で新規就業先を探すのは果てしなく困難になりそうですが)。まぁ、例えばハイテク産業などは1秒にも満たないような瞬間の停電でも半導体がゴミと化すわけで、電力需給がギリギリで停電に怯えざるを得ない昼間の操業より、安定した電力供給が望める夜間にシフトしたくなるところもあるでしょう。状況が状況なだけに暫定措置として夜間操業の増加はやむを得ないのかも知れません。ただ、それに乗じて割増賃金を切り下げるというのはムシのいい話です。働く人が負担を負った分、せめて現行法が定める最低限の対価は払われるようでなければなりません。

 立場の弱い人ほどしわ寄せを受けやすいものでもあります。仕事を選べるような立場の強い人は、ピークシフトなどどこ吹く風、何事もなく昼間の仕事で働き続けることが出来るでしょう。しかるに私のようなロクなキャリアもないおっさんにしてみれば、深夜労働に回らざるを得ない状況というのは、相当な確率で直面せざるを得ないものなのです。安定した地位にいれば悠々と省エネを説き、「低エネルギーでもいいじゃないか」と澄ましていられるようですが、有閑階級と社会的弱者では被る被害も全く異なることを、ちょっとは考えて欲しいところです。


「電気を節約するために、車内の暖房と照明を切っております。ご迷惑をおかけしていますが、ご理解をお願いいたします」
 電車に乗ったら、このような放送がありました。晴れている昼間の明るいときでしたから、車内の電気が消えていることも、暖房が入っていないことも、放送を聞くまでは気がつきませんでした。

 「ちっとも迷惑なんかじゃないよ」と、そのとき思いました。「これで良いんじゃないの」とも……。
 駅に着いたら、案内の電光掲示板の電気が消えていました。エレベーターは動いていますが、エスカレーターは止まっています。
 とりたてて「不便」や「迷惑」を感ずることはありません。これで良いんじゃないでしょうか。

 例えば、ネットで見かけたこんな文章はいかがでしょうか。そうですねぇ、「ちっとも迷惑なんかじゃないよ」と思うものなのでしょう、昼間に悠々と電車に乗っている人であるならば! 冬場でも昼間の暖かい時間帯ならば暖房が無くても困らないでしょうし、夏場でも昼間の空いている頃なら冷房が無くても困らないのかも知れません。特に混み合う時間帯でもなければエスカレーターが止まっていても困るものではないのでしょう。しかし、早朝や夜のラッシュ時間帯に電車に乗らざるを得ない勤め人はそうもいかないわけです。

 冬場の早朝の冷え込む時期に暖房がないのはまだ許せるとしても、そろそろ夏日も珍しくなくなる今の時期に、人間が限界まで詰め込まれた列車内で空調が切られるとなると、もはや拷問です。空いている時間帯に悠々と移動するばかりの人間からは隔絶された世界があるのです。最近はJRも多少は頭を使うようになりましたが、一時期はラッシュ時までエスカレーターを止めるどころか、安全のためと称して動かないエレベーターを封鎖していたところもあったわけで、こうなると細い階段に通勤者が殺到、駅のホームに出るまで、乗り換えのホームに移動するまで、そして駅から外に出るまでに膨大な時間を要したものです。加えて前に列車が詰まっていると称して時間調整、後続の列車が遅れていると称して時間調整、あるいは何も説明しないまま時間調整と際限なし、通勤に掛かる時間は伸びるばかりでした。

 まぁ、これでも安定した仕事に就いている人ならば遅延証明を出すだけの話なのかも知れません。しかるに、いつクビを切られるかわからない立場にいる人にとっては、無闇に遅刻を繰り返すわけにもいきませんから、運行ダイヤが意味をなさない惨状にも対応すべく余計に早く家を出なければならなくなるわけです。かつ、契約形態によっては電車遅延であっても遅刻分の給与は補償の対象外だったりするものですから、遅刻=収入減になるケースもあります。そして遅刻分の給与が補償されないような契約の場合は往々にして元になる賃金も安いだけに、収入減によるダメージも相対的に大きくなります。有閑階級にとっては「ちっとも迷惑なんかじゃないよ」「これで良いんじゃないの」と思えるものでも、立場の強くない人間にとっては十分に生活を脅かす問題となるのです。「家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない」と、裕福な人間だけが口に出来る道徳論が幅を利かせ、あたかも原発だけが危険であるかのごとく語られる中で原発「以外」のリスクから目が背けられる中、ひたすら弱者がそのツケを押しつけられていく、こういう状況には首を傾げざるを得ません。

 

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要は美談が作れればいいのだ

2011-04-26 23:32:01 | ニュース

震災後、好感度・魅力度が最も高いと評価された企業は?(マイコミジャーナル)

日経BPコンサルティングは4月21日、東日本大震災から1ヵ月がたった4月11日から13日にかけて実施した、企業の復旧・復興のための活動や支援、この事態に応じた形での広告や宣伝・広報活動を見聞きした結果、「好感をもった、魅力的に映った、高く評価した」企業を尋ねる「企業名想起調査」の結果を発表した。

同調査は、思い浮かんだ企業を5つまで自由に記入するインターネット調査で、有効回答者は887人だった。

第1位は企業名想起率36.2%で「ソフトバンク」だった。災害用伝言版の設置や復興支援ポータルサイトの立ち上げ、被災地での携帯電話料金の無料化をはじめとした復興支援活動をいち早く行ったことに加え、孫社長の個人資産寄付など、その行動力を評価する声が多数あった。

 有効回答887人で、しかもインターネット調査とあらば信憑性の程は定かでありませんが、「好感をもった、魅力的に映った、高く評価した」企業の第1位にソフトバンクが選ばれたそうです。それは、あんまりじゃないでしょうか。だってソフトバンクと言ったら、何かと繋がりにくいことで定評のある携帯ですよ。平常時であれば気にするほどではなかったのかも知れませんが、災害時にはどうだったでしょうか? 人が挙って電話を使う災害現場ではソフトバンクの電話はとにかく繋がりにくいから、仕事に使う電話は別の会社のに変えろと指示を出していた報道機関もあったと聞きます。言うまでもなく今回の大災害においても、ソフトバンクは東北地域で最も電波の通らなかった携帯電話として幅広く知られるところでもあるわけです。そのソフトバンクが「好感をもった、魅力的に映った、高く評価した」企業の第1位に選ばれるとは、いったい何の冗談なのでしょう。

 ソフトバンクの社長である孫正義が100億円の寄付をした辺りが効いているのかも知れません。とはいえ日本でも雇われ経営者ではなくオーナー経営者ならば捨てるほど金を持っているもので、孫正義の場合は6800億円の資産があると言われています。どれほど浪費しても永遠に金に困ることがない人間が資産の1%強を寄付するくらい、どうということもないような気がしますが、比率よりも単体の数値の大小にばかり反応しがちなのが世論というものなのでしょう(全体像を見せずに単体の数値だけを見せるのは印象操作の基本です)。まぁ貧乏人がなけなしの貯金を絞って寄付する1万円より、世界レベルの大富豪にとっては端金に過ぎない100億円の寄付の方が被災地にとっては意味があるのも現実ですから、この寄付そのものは評価されてもいいとは思います。

 ただ、個人の善行なり美談なりで企業としての責任がどこかに忘れ去られてしまうとしたら、それは大いに問題があるはずです。携帯電話会社ともなれば今や重要な社会インフラの一つ、にも関わらず災害時に役割を果たせなかったとすれば相応の批判を浴びてしかるべきでしょう。孫正義という個人にとってはいざ知らず、ソフトバンクという会社を評価するならば、まず被災地での安否確認や必要な情報提供の道具として機能できたかどうかが問われねばなりませんし、100億円の寄付よりも被災地での長期的な雇用の創出の方が長期的な効果は大きいわけです。上述のインターネット調査に回答した人は、いったい何を評価基準としていたのでしょうか。

 ソフトバンクの携帯が繋がりにくいのは、他社と比べて加入者を増やすことにばかり熱心で基地局等の設備投資を疎かにしているためと言われています。備えは後、まずは金を落としてくれる契約者の増大を優先してきた結果としてソフトバンクの躍進もあったのでしょうけれど、こういう企業運営は当然ながら、ギリギリの勝負を続けているわけです。平時なら何とか賄えるものの、災害時には全く対応できないレベルの通信網、それがソフトバンクでもあるはずですが、こういう企業が高く評価されているとしたら、たぶん世論を構成している人々は今回の震災や原発事故から何も学んでいないのでしょう。普通に起こるレベルの地震や津波なら平気だけど数100年に一度クラスだと定かではない――災害対策がこういう範囲に止まっていた某企業は今や国民の敵として見境のないバッシングに晒されています。ではソフトバンクは? 要は結果的に失敗したところだけが標的にされるだけの話で、結果的に状況を乗り切れば五月蠅くは問われないもののようです。


携帯なく連絡できず? 奈良の横転事故 老夫婦は凍死(産経新聞)

 奈良県大淀町中増の林道脇の崖下斜面で19日、軽乗用車が横転、2人が死亡した事故で、県警中吉野署は21日、車外で見つかった大阪市城東区新喜多東の無職、高橋宇三郎さん(84)の死因が司法解剖の結果、低体温症(凍死)と判明したと発表した。同乗していた妻のわゑさん(81)の死因も同じ低体温症で、同署は、車が横転した後に助手席で動けなくなったわゑさんを助け出そうと高橋さんが車外に出たが、その後気温が下がり凍死したとみている。

 解剖結果によると、高橋さんの死亡推定は19日午前0時ごろ。わゑさんは、同日午後に搬送先の病院で低体温症による死亡が確認されていた。2人には事故による目立った外傷は打撲程度以外になかったという。

 事故は19日午後1時40分ごろ、通行人が横転した車と車外で倒れていた高橋さんを見つけ110番。中吉野署によると、18日午前10時ごろに現場近くで2人の目撃情報があり、横転事故は18日中に発生したとみられる。

 現場検証などでも高橋さん夫婦の携帯電話が見つかっておらず、2人は携帯電話を所持していなかったとみられ、事故後に連絡する手段がなかった可能性が高いという。

 携帯があれば~、というのは記者の主観によるところも少なくありませんが、ただ連絡手段さえ有していれば速やかに助けを呼べた、つまり死は避けられたであろうことが容易に想像できます。もっとも携帯を持っていたところで繋がらなければ意味はありませんが! それはさておき原発事故とそれに伴う電力不足もあって、昨今は退行を求める声が喧しいわけです。曰く「○○なんていらないじゃないか」「○○はなくてもいいじゃないか」「今までが便利すぎたのだ」と。危機に乗じて何となく「文明の利器」的なものや浪費っぽいイメージのあるものがネガティヴに扱われがちな中では、携帯電話のように消費電力は少なくとも新参のデバイスには否定的なまなざしが向けられることもあるでしょう。まぁ私だって携帯を持たずに20年以上生きてきただけに、携帯なんか無くても生きていけると言われれば、確かにかつてはそうだったと認めざるを得ません。ただ、ここで挙げられたように携帯電話があれば助かったであろう命もあるわけです。

 働く機械や産む機械には必要なさそうに見える、傍目には非生産的な生業や道具も、時には人の支えになっていたりするものです。とかく考え方が社会主義国的(≠社会主義的)な人は、享楽的なものや趣味的なものをムダとみなしがちですが、そういうものが生きる支えになっている人もいれば、そこから仕事を得ている人もいる、そして命が助けられることもあるのではないでしょうか。何かと「新しい」生き方が否定され、もっと浪費が少なかった(ということになっている)時代の生き方に立ち戻れと言わんばかりの論調が強まるばかりの今日ですけれど、それはあくまで強者の論理であって、新しく登場した「かつては必要なかったもの」のおかげで生きていられる人を切り捨てようとする傲慢さの表れでもあります。

 

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霞を食べて生きているわけではないのだから

2011-04-24 22:43:18 | ニュース

 逆進課税(消費税増税)だの規制緩和だの人件費カットだの、高まる危機意識に乗じて火事場泥棒的に自説を押し通そうとする人も目立つようになってきた昨今ですが、こういう状況を乗り切るためという大義名分の元では諸々の無理が正当化されがちです。中でも際立つのが昨今の急進的な脱原発、というより反原発論でしょうか。そしてそれに付随する道徳論、慎ましさの強要も然りですね。脱原発という錦の御旗の元では、トンデモや陰謀論の類ですらが市民権を得てしまうわけで、放射「能」への恐怖に乗じてデマや怪文書の類を垂れ流す輩は後を絶ちません。こういう場面でこそ理性が問われる、叩きやすい相手に対してもフェアでいられるかどうかで誠実さが問われるように思えるのですが、無様に野蛮さを晒している人が多いような気がします。自分の気に入らない相手を貶めるためならば、虚報や捏造、偏見や差別の扇動でさえも平気で受け入れる人の顔は覚えておくべきでしょう。


社説:震災後 「低エネ」社会 日本モデルは可能だ(毎日新聞)

 だが、今後進むべき方向が原子力に代わる新たな電源探しのレベルにとどまっては、3・11の歴史的意義を卑小なものにしてしまうだろう。あの大災害は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているのであり、ひいては私たちの文明のあり方にも再考を求めている。そう受け止めなければ、最高度の「レベル7」に達した災害の意味をとらえたことにならないだろう。

 さて、俄に沸き出してきた脱原発言説には酷いものが多く、もはや脱原発論は反知性主義の暴論に占領されたかに見える有様ですが、中でも酷いのがこの毎日の社説です。曰く「あの大災害は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているのであり、ひいては私たちの文明のあり方にも再考を求めている」とのこと、要するに大災害は天罰ということですね、わかります。この天罰に悔い改めて、欲を捨ててエネルギー消費を抑えた社会に転換しなさいと、そう説くわけです。やはり石原の「津波は天罰~我欲を洗い流せ~」発言はこの国の最大公約数的な見解を端的に表したに過ぎないように思えてきます。


 フランス哲学の内田樹さんは「原発供養」が必要だという。「ほんとうに人間が最大限の緊張をもって取り組まなければならないリスクの高い仕事に際しては『超越的なものに向かって祈る』という営みが必須なのである」と。

 私たちはエネルギーへの激しい渇望に突き動かされて、自然への畏怖(いふ)を忘れ、いつの間にか自然の許容限度を踏み外してしまったのかもしれない。


 で、この辺は先日の文明災wと重なりますけれど、こういう現前の問題を神がかり的なものにすり替えるような発想こそ事態をなおさら悪化させるものではないでしょうか。『超越的なものに向かって祈る』のは勝手ですが、それでは何も解決しません。内田樹のように社会的地位も経済的余裕もある人物ならば自己満足的な世界に浸っていれば済むのかも知れませんが、政治にそんなオカルト趣味は許されないはずです。


そして「核融合」は実験炉を着々建設中(日経BP)

 今の軽水炉の原発は補助電源の喪失ということで弱さを露呈したが、やるべき宿題が分かったわけだから、そこを解決すればいい。自然災害といった人知を越えた力が働いたとしても、そのメカニズム自身が摩訶不思議なものであるということではない。分かっている問題をどう克服するかが重要だ。

 一方こちらはITER国際核融合エネルギー機構の初代機構長を昨年まで務めたという池田要氏の発言です。祈れ、畏れよと説く内田樹や毎日新聞と、「やるべき宿題が分かったわけだから、そこを解決すればいい」と語る池田氏、国民の命運を任せるに足るのはどちらの説でしょう。管理が難しいものであるにせよ、それを「超越的なもの」扱いして管理を放棄して畏れおののく方を選ぶのか、あるいは失敗があっても一つ一つ克服していく道を選ぶのか、世論は前者に傾きがちに見えなくもありませんが、ここで道を誤ると東電からは遠く離れたところで人災が際限なく膨らんでいくことにもなるわけです。


 低エネルギーは低成長を意味し、一般に国民の福利を引き下げるとされている。しかし、今度の大災害で諸外国は日本人のさまざまな美徳を絶賛した。我慢強さ、助け合い、地域や職場の信頼の絆。日本には石油はないがこうした「社会資本」は多量にあり、それを社会の隅々に織り込んでいきたい。

 家庭生活と労働の両立をめざすワーク・ライフ・バランスなども一例であろう。家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない。企業の在り方も採用や人事評価など根本から見直すべきだ。

 窮乏生活をする必要はない。浪費を避け、資源の再生につとめ、リサイクルを促進する。そして、小型水力発電などでエネルギーの地産地消を可能な限り進めたい。分散型の国土形成で防災力を高める。エネルギー制約は早晩、ほかの国をも襲う。それに先だって低エネルギーでも福利の低下しない日本モデルを構築することこそ、3・11への何よりの鎮魂となるだろう。

 再び毎日新聞の社説に戻ります。まず「日本には石油はないが」云々、この辺も石原が語ったことと被るような気がします。もっとも石原以外にも日本には資源がないと言い張って日本特殊論に走る人はいくらでもいるわけです。こうした日本特殊論がマトモであった試しはありませんが、それ以前に近代社会において必要なのは資源ではなく資本でしょう。マルクスだって資本の蓄積があってこそ次のステージに進めると説いていたはずです。資源がないために資本を蓄積させることが出来ず貧困国であり続ける国もありますが、既に資本を蓄積させた国にとって化石燃料資源の有無など言い訳でしかありません。後はいかに資本を活用するかの問題なのですから。しかるに、石油資源がないことを口実に忍従を強いようとする輩が後を絶ちません。資源がないのだから他の国よりも多く働け、他の国よりもつましい生活をせよと……

 家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない、というのも決まり文句ではあるのでしょうけれど、しかし金銭的な困窮に苛まれている人の存在を無視した、あまりにも強者目線の放言でもあります。金をうなるほど蓄えているにも関わらず不幸な人はいるかも知れませんが(GDPは高くないのに超貯金大国の日本には特に多いでしょう)、一方でお金がないから諸々の夢を諦めたり、最悪の場合は自殺に追い込まれるような人だっているわけです。「愛があればお金なんていらない、という人もいますけど、それは本当の貧乏を知らない人が言うことですよ」とは福田健二の言葉ですが、この社説を書いた毎日の記者は貧困を苦に自殺した母親を持つサッカー選手の言葉をどう受け止めるのでしょうか。経済的な問題から追い詰められている人が増加の一途にある中で「家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない」と公然と言い放てるのは傲り以外の何者でもありません。

 最後の段落もツッコミどころ盛りだくさんです。まず「エネルギー制約は早晩、ほかの国をも襲う」と言い切っていますが、他の国はもうちょっと前向きなのではないでしょうか。「経済成長の時代は終わった」と日本人が信じるようになって、実際に日本経済は成長しなくなったわけですけれど、日本「以外」の先進国は順調に成長を続けてきたわけです。これと同じことが今後はエネルギー分野でも起こるのではないかと、むしろそう考えた方が予想の当たる確率は高そうです。

 引用の順番が前後しますが「エネルギーの地産地消を可能な限り進めたい」などとも宣っています。この「地産地消」も「自給自足」や「地域主権」、昨今では「脱原発」などと並ぶマジックワードで、「とにかく良いこと」として扱われがちです(こういうマジックワードが使われたときこそ警戒が必要です)。まぁ、何でも自分のことは自分でやるべきだと考えたがる日本の社会には相性の良いイデオロギーなのかも知れません。お互いの不足を補い合う、お互いに頼りあう関係もあってしかるべきだと私は前々から主張してきたところですが、何でも自立しているべきだと我々の社会は信じているのでしょう。ただ少なくともエネルギー供給に関しては、より広い単位で運用した方が望ましいはずです。

 たとえば反原発の流れの中でとかく美化されがちなドイツですが、再生可能エネルギーへの転換の際には不足分を隣の原発大国に補ってもらう時期が少なからずありました。そしてエネルギーの自給に成功したかに見えたものの、発作的に原発の運転を止めたことで再び隣の原発大国から電力を輸入することになったのは記憶に新しいところです。脱原発に向けた取り組みが可能だったのも取りあえず原発を止めることが出来たのも、電力を地産地消していたのではなく、別の国と分かち合っていたからということは心得ておくべきでしょう。ましてや日本でも再生可能エネルギーへの切替は進むことと予測されますが、とかく風力発電や太陽光発電は電力供給量が不安定です。この不安定さを解消すべくヨーロッパ全域を送電線で繋ぐみたいな試みもあるわけですが(特定の地域だけでは不安定な風力もヨーロッパ全体で総合すれば、それなりの安定が期待できます)、しかるに地産地消という対極の理念が幅を利かせてしまうと、なおさら不安定性というデメリットが際立つことになってしまいます。むしろ脱・地産地消こそ再生可能エネルギーを実用的なものにするための必須要件と考えられるべきで、まぁ毎日の社説はその点でも糞です。

 

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どっちに転んでも不都合な真実

2011-04-23 11:34:02 | ニュース

 今年はスギやヒノキ花粉の飛散量が非常に多く、重度の花粉症である私は今なお体調不良が続いています。一時期は緊張感を以て計画的にダイヤを守っていたJRも、最近はすっかり平常運転と言うべきか通勤時間帯は恒常的に遅延が発生して乗車時間が延びるだけでなく混雑度合いも増すばかり、あげくに省エネにかこつけて空調が切られているものですから窓が真っ白に曇って外が見えなくなるほどの蒸し風呂状態、途中で吐きそうになるほど体力を消耗する毎日です。こういう時、ちょっと前なら「死にそうになる」とでも書いていたところですが――1万人を超える人間が津波に飲み込まれた後となっては、安易に「死にそう」という表現を使うのは避けることにしたいと思います。

 「W杯に出られなかったことが人生における悲劇とでもいうんですか?人が死んだわけじゃない。悲劇という言葉を簡単に使わないように」とイビチャ・オシムは言いました。一方で全く安全なところにいながら、自分が悲劇の主人公になったつもり、自分が一番の危機にさらされているつもりの人が増えていないでしょうか。昨今では福島原発事故が「レベル7」に引き上げられたことで「チェルノブイリと並んだ!」と大はしゃぎしている人もいるわけですが、それはチェルノブイリの事故を過小評価しているだけではなく、その被害者を冒涜しているようにも見えます。同じなのは「レベル7」ということだけで、放出された放射線量も違えば、対処するのに必要な時間も情報には雲泥の差がありますし、何より「人が死んだわけじゃない」のですから。

「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」
チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感(DIAMOND online)

 危険ゾーンのなかでは植物が枯れ、動物が死に命あるものすべてが影響を受けた。放射能は動物の脳にも影響を与え、通常は人に寄りつかないキツネが近づいてきたり、気が狂った犬が人を攻撃したりした。

 昨今の自粛モード、節制ムードの元、被災地の外でも娯楽産業は深刻な危機に瀕しているようですが、ラドン温泉とかラジウム温泉とかの客入りはどうなったんでしょうね? ガラパリとかラームサルとか自然放射線量の際だって多い地域でも目立った健康被害は確認されていないですし、むしろ微量の放射線は適度な刺激に過ぎないのではないかと、とりわけ温泉周りでは主張されていたりもしたものですが、昨今では有無を言わさずトンデモ認定ですから世知辛いものです。それはさておき福島とは比べものにならないくらい深刻だったチェルノブイリ関係者の証言が、トンデモの総本山とも言うべきダイヤモンド誌で取り上げられています。曰く「放射能は動物の脳にも影響を与え―― う~ん、放射能が動物の脳にも影響を与え、気が狂うというのなら、このチェルノブイリの証言者の脳も信用できなくなってしまいそうです。


 いま現在も放射能が漏れ続けているので、(事態の推移について)人々は最大限の注意が必要だ。汚染地域の住民が健康守るために何をしなければならないかについて、私たちには経験に基づいた知識がある。家畜の飼育や野菜栽培をする上での注意点や、放射能汚染されたものをクリーンにする方法なども知っているので、いつでも聞いてほしい。ちなみに、放射能を浴びる直前に安定ヨウ素剤を服用すれば、甲状腺がんの予防に効果がある。錠剤を飲みたくなければチキンスープなどに混ぜてもよい。

 この論者にどの程度まで信用がおけるのか判断は保留しますが、ともあれ注意を呼びかけている一方で対処法はあるとも語っているわけです。「放射能汚染されたものをクリーンにする方法なども知っている」とのこと。ネット上の声を聞く限り、放射能が飛んだらこの世の終わり、もう何もかもがダメみたいな印象を受けますが、とりあえずチェルノブイリ事故処理班の生存者は、何をしなければならないのかは心得ているようです。では原発の脅威を煽るのに熱心な人々は、ここで取り上げられた人の言葉を信じるのでしょうか、それとも否定するのでしょうか。


「原発事故、回避できた可能性」世界の専門家16人声明(朝日新聞)

 福島第一原発の事故をめぐり、国際的な原子力安全の専門家16人が国際原子力機関(IAEA)に再発防止に向けて声明文を提出した。事故について「比較的コストのかからない改善をしていれば、完全に回避できた可能性がある」と指摘している。日本原子力産業協会が19日、翻訳してウェブサイトに掲載した。

 声明では、福島第一原発の安全対策について「確率の低い事象が重なることに対する考慮が十分でなかった」と指摘。拘束力や強制検査権のある国際規制機関の創設も提案している。

 16人はロ、印、スウェーデンなど11カ国の専門家。米国スリーマイル島原発事故(1979年)の対応に当たったハロルド・デントン元米原子力規制委員会原子炉規制局長や、ピエール・タンギ元仏電力公社原子力安全監察総監、チェルノブイリ原発のニコライ・スタインベルグ元主任技師ら。

 この辺の指摘を頭が原子炉に負けず劣らず熱くなっている人々はどう受け止めるのか、いささか興味深いところです。なんでも「比較的コストのかからない改善をしていれば、完全に回避できた可能性がある」そうで、ここで「完全に回避できた可能性があるのに、改善策を採らなかった」として東電非難に出る人もいると思われますが、そう主張するからには事故を回避できた可能性――数百年に一度レベルの巨大津波の元でも原発を安全に稼働できる可能性を認めねばならないでしょう。しかるに例によってネット世論上では、原発は絶対に危険であって必ず爆発するものであるかのごとく語られています。その「原発は何が何でも危険だ」との信念に沿って「回避できた可能性」を否定する人もいるのではないかと思われますが、原発の事故は不可避というのなら東電が事故を回避できなかったのも致し方ないこととして扱わないと筋が通らないですよね? 原発と東電を燃料として、危機と憎悪を煽るのに一所懸命な人たちは何を思うのでしょうか。まぁ、ダブルスタンダードこそ日本の世論の特徴ではあります。


東電、最大5700万kW供給へ…節電緩和か(読売新聞)

 経済産業省と東京電力は18日、今夏の電力供給力の見通しを、現時点の5200万キロ・ワットから5600万~5700万キロ・ワット程度に引き上げる方向で調整に入った。

 東電は夜間電力を使ってダムに水をくみ上げ、電力需要が高まる昼間に水を落としてタービンを回して発電する揚水発電の稼働を増やせるか慎重に検討している。政府と東電は、今夏のピーク時の電力消費は5500万キロ・ワットを想定し、大規模工場など大口需要家に対して最大使用電力を25%程度、節電するように求めている。

 このため、東電の供給力が上積みされれば、節電目標も緩和される可能性がある。ただ、節電を強制することができない一般家庭の電力使用が夏場に増えれば、需要が供給力を上回り、大規模停電を引き起こす懸念もある。政府は、節電目標を変更するかどうか難しい判断を迫られそうだ。東電の清水正孝社長は、同日の参院予算委員会で、供給力を「さらに積み増したい」と述べていた。

 さて、東京電力は電力供給量の見通しを引き上げるようです。結構、頑張るものですね。JRには東電の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいです。まぁ、老朽化した火力発電所をフルパワーでフル稼働させるような運用には不安がないでもありませんが(○○でさえなければ安心安全という発想は、往々にして避けようとした対象よりも大きなリスクを招くものです)、今は国民の生活インフラたる電力供給の改善が最優先課題です。今は電力供給の手段に拘っていられる場合ではないですから、直近の危機を凌ぐ過渡期の策としては是としましょう。

 しかしまぁ、その筋の人に言わせれば東電が電力供給を増やせば「そら見ろ、やっぱり原発はいらないじゃないか」となり、逆に電力供給力を増やせなければ「原発を推進するための陰謀だ!」となるんでしょうね。どっちに転んでもご都合主義的な言動を吐く奴はご都合主義を続けるものです。東京電力も大変だな、と思わないでもありません。いずれにせよ、何事もギリギリのラインで運用するのは常に危険を伴うわけです。甘い見通しに沿って「ここまで備えておけば大丈夫」と備えを最小限にまで切り詰めていると、いざ通常では考えにくいレベルのアクシデントが発生したときには痛い目を見るのは言うまでもありません。

 この辺は、防災対策だけではなく電力供給も然りです。原発抜きでも電力供給は足りていると主張している人もいて、まぁ自説を押し通すための強弁であって眉唾物ではありますが、その手の人達の説によると夏場のピーク時でもギリギリ電力は足りるということになっています。しかし私には思われるのですが、そういう「ギリギリ」で賄おうとすることの危うさを理解できていない人々こそ、今回の原発事故から何ら学んでいない、かつ全く反省していないのではないでしょうか。過去のデータを元に、理論上はギリギリ大丈夫――こういう思想で運用するから、一般的に予測される範囲を上回る事態が発生したときに対処できなくなってしまうわけです。流石に東京電力側は電力供給を「ギリギリ」で乗り切ろうとすることの危うさを理解しているようですが、逆に東電を批判している人の方はどうなんでしょうね。あいつらはバカだから問題を起こしたけれど、自分達なら上手くやれる――そう思い上がった連中が次なる人災を巻き起こすものです。

 

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文明災w

2011-04-20 23:09:11 | ニュース

梅原猛・哲学者――原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に(東洋経済)

 今回の東日本大震災で、被災した方々の道徳心の高さ、生きていることを喜んで、互いに助け合って生きている姿を知り、日本の将来に希望を感じている。

 ここ数年、一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も起きていた。しかし、ほとんどの人々は、非常にしっかりとした道徳心を持っている。

 仏教の徳が、日本の人々の心のどこかでいきづいているように思う。たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。

道徳心を失った政治家、企業の罪

 このように一般の人々の道徳心が高い一方で、政治家、実業家、学者、芸術家などの多くが、道徳心を失っている。特に政治家は、金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている。

(中略)

 原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。

 今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。

 今も原発の現場では、自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる。日本人には、本当に立派な人がいると感じる。こういう心を皆が持って、新しい国づくりをしていかなくてはいけない。そして、新しい日本が模範となれば、世界をも変えていけるのではないか。今こそ、経済力だけでなく、新しい価値観で世界に範を垂れる国をつくるときだ。

 さて「復興構想会議」なるものが発足しているようですが、梅原猛といういかにも国語の先生(もしくは現代文の先生、文学の先生ではない)が好みそうな宗教家が混じり込んでいます。この手の輩が蔓延った分だけ復興が遅れるんだぜと思わないでもありませんが、石原慎太郎的な世界観がそうであるように、この梅原猛の世界観もまた左右問わず幅広く共有されているのではないでしょうか。とりあえず出だしの「一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も~」という行は治安悪化神話に阿っているだけですし、続く「仏教の徳~」は日本人を単一の鋳型にはめたがる俗流日本人論の典型と言ったところで、この辺には与さない人も少なからずいると思います。しかし、そこから先の道徳論となるとどうでしょう?

 石原慎太郎の「津波は天罰、我欲を洗い流せ」発言が露わにしたのは、石原に反発する層もまた「日本人は欲にまみれている」と信じていることでした。そこでは「欲にまみれているのはおまえだ」みたいな、あくまで石原と同じ土俵に立った上での反論が繰り返されたものです。この梅原猛もまた同様に「道徳心を失っている」「金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている」云々と語ります。だけど本当に、普通の人々、あるいは被災した人々は梅原氏の挙げた「政治家、実業家、学者、芸術家」とは異なり欲のない道徳的な生き方をしてきたのでしょうか。自分の欲を満たす手段に事欠く人が多いだけで、誰しも少なからず欲を抱えながら生きているはずです。欲のある人になら「天罰」が下っても良いというのなら、この世は「道徳心が高い」人しか生きる資格がないということになってしまうでしょう。「自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる」「こういう心を皆が持って」とも梅原氏は語りますが、そんな自己犠牲を「皆」が要求される社会など、私は御免被りたいところです。

 で、「文明災」なる言葉が出てきました。文明災wといった感じですが、文明は悪である、発展した文明は必ず人間に災いをもたらす――そう信じている人は少なくない気がします。この辺は経済に関しても同様で、経済的(物質的)豊かさは人間に精神的な堕落をもたらすものと考えたがる人は多いのではないでしょうか。正直、この十数年来の日本の経済的凋落を見るに「いったい日本人はどこまで貧しくなれば気が済むのか」と嘆息せずにはいられないのですが、それでもなお経済発展や文明の発展を道徳的な衰退のごとくに捉え、忌避し続ける人がいるものです。

 日本人が「経済発展の時代は終わった(キリッ」と自己満足に浸っている間にも世界経済は発展を続けてきました。文明、もしくは科学技術も然りです。しかるに日本では、何かに連れ科学技術の「限界」を語りたがる人が多いように思われます。科学や技術はは無限に発達するものではない(キリッと、コピペのような文明批判論を得意気に語る人は枚挙に暇がありません。そう言って科学の匂いがするものを全否定し出すもので、昨今では原発がそのターゲットにされ易かったりするのですが、言うまでもなく科学技術は進歩を続けている、日本に置いてすら進歩を続けてきたわけです(今後、日本だけが進歩を止める可能性までは否定しませんが)。

 文明災wとか言い出す連中は、たぶん自分が到達点にいると思い上がっているのでしょう。きっと未来の人間からバカにされるに違いありません。未来の人間は必ずや我々よりも前に進む、色々な解決手段を発明するであろうと私は思うのですが、逆に未来の人間が自分よりも先に進めるはずがない、文明には限界がある、発展の時代は既に(すなわち自分の代で!)終わっているのだと、傲慢にもそう信じ込んでいる人がいるのです。

 そして自らが頂点に立っていると思い上がった人々は、将来の発展を否定します。これ以上の発展は文明災wを招くだけだとして、先に進むことを戒めるわけです。彼らの頭の中では、経済と同様に文明(科学技術)の発展の時代は終わっており、良くても現状維持、往々にして現状からの一歩以上の交代を迫る傾向にあると言えます。そして時計の針が止まった人間にとっては築40年の老朽化した原発も仕組みが大きく異なる最新世代の原発も同じ扱いになっているようで、必然的に議論は野蛮な全否定になりがちですし、加えて将来の発展を否定する以上、(例えば再生可能エネルギーなど)「将来的には実現できるかも知れないこと」という発想が出来なくなってしまい、一足飛びに「今すぐ出来ること」のように信じ込んでしまうわけです。いずれにせよ、現実から乖離した道徳論ばかりが吹き出すことにしかなっていません。

 現代を発展の途上と見れば、過渡的な段階として何が可能かを考えるところですが、自分が文明の到達点に立っていると信じている人にとっては、既に過渡期は過ぎているわけです。そこで選択されるものは全てファイナルアンサーであって、過渡期に選択される暫定手段ではなくなってしまうのでしょう。だから将来的には再生可能エネルギーへの転換を視野に入れつつも、現時点では実現可能な選択肢の中にあるもので凌ごう、いずれもっと良い選択肢も出てくるだろうという考え方は出来なくなってしまいます。今、原発を選ぶのなら、これ以上の文明の発展が望めない以上、永遠に原発を使い続けるしかなくなってしまう――そういう凝り固まった考え方が、昨今の子供が駄々をこねるが如き脱原発論の隆盛にも繋がっているのではないでしょうかね。

 

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25人の選ばれた男たち

2011-04-19 22:37:34 | ニュース

2力士を解雇へ=蒼国来と星風、引退届出さず―大相撲八百長問題(時事通信)

 日本相撲協会は13日、八百長への関与を認定されて新たに引退勧告の処分を受けた幕内蒼国来(中国出身、荒汐部屋)と十両星風(モンゴル、尾車)が、提出期限の同日までに引退届を出さなかったと発表した。14日に臨時理事会を開き、2人を退職金の出ない解雇処分とする見通し。

 放駒理事長(元大関魁傑)は「(勧告に)従ってくれると思っていたが、仕方ない」と語った。

 八百長問題では25人の力士や親方が、事実上の角界追放となる処分を受け、退職勧告を受け入れなかった谷川親方(元小結海鵬)が解雇されている。蒼国来と星風は特別調査委員会の継続調査で八百長への関与を認定され、11日に引退勧告を受けたが、処分を受け入れない姿勢を示していた。

 蒼国来は法的手段に訴える意向を示しており、14日に東京都内で記者会見する。星風の師匠の尾車親方(元大関琴風)によると、星風も訴訟を起こす可能性があるという。 

 さて、影に隠れがちなニュースで、こちらでも取り上げる時機を逸した感がありますが、震災前は大相撲の八百長が結構な話題に上っていたものです。結局、25人が実質的な角界追放処分を受けることとなったとのこと。しかるに退職勧告を受け入れなかった人も3人いたことが伝えられています。まず先行して解雇された谷川親方、そして今回の記事で取り上げられている蒼国来と星風の2力士ですね。

 先の大麻問題の時は随分と杜撰な内部調査でもあったように記憶していますが、今回の八百長問題の調査はどうだったのでしょうか。処分を免れた力士が完全に「シロ」でなかったとしても、それは「疑わしきは罰せず」ということで許せなくもないですけれど、では処分対象になった力士は完全に「クロ」なのかどうか、解雇対象となった2力士は訴訟に踏み切るとのことですから、その辺は争う余地があるのかも知れません。

 そもそも八百長に関与していたとしても、角界追放という最も重い処分に相当するほどの悪質なものであったのか、仮に「クロ」であったとしても処分の程度は問われるべきものです。「悪い奴には何をやってもいい、悪いのは相手なのだから」という風潮が日増しに高まる昨今ではありますけれど、だからといって無制限な厳罰が認められていいはずがありません。誰かを死なせたわけでもないのに、周囲が過大に扱いすぎている可能性もあります。

 加えて解雇対象となった2力士は共に外国出身というところが気になります。現在の相撲部屋には「外国人枠」が定められているわけで、既に外国出身力士の在籍する部屋では新たに外国出身者を入門させることが出来ない仕組みとなっています。そこで新たな外国出身者を入門させるため、「外国人枠」を空けるために、中国出身とモンゴル出身の二力士が狙い撃ちされてはいないでしょうか(だいたい、八百長関与者が25人で済むはずがないのですから!)。相撲界では十両に上がっただけでも大したものですが、かといって幕内で客を呼べるほどでもなければ、これから伸びる年齢でもありません。ならば、もうちょっと将来に期待の持てる若者に入れ替えたいという思惑があったとしても不思議ではないでしょう。

 放駒理事長は「(勧告に)従ってくれると思っていたが~」と語ったそうです。ふむ、従順な日本人だったら、そうだったのかも知れませんね。ことによると上からの勧告に従わないような「扱いにくい」力士であったこともまた、角界から遠ざけられる理由になったのでしょうか。でも私などはむしろ、角界のしきたりに従わない、上意下達の掟に屈しない、扱いにくい外国出身者が日本の檻を壊してくれることに期待したくなるところがあります。

 

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差別はいかにして広まるのか

2011-04-16 22:59:25 | ニュース

「天下りあっせんでない」と枝野氏 東電顧問就任問題で(朝日新聞)

 経済産業省資源エネルギー庁の石田徹前長官が1月に東京電力顧問に就任したことが「天下り」にあたるかどうかについて、枝野幸男官房長官は2日の記者会見で「(国家公務員の)退職管理基本方針に沿ったものであると経産省を通じて報告があった。再就職のあっせんはなかった」と述べ、省庁による天下りあっせんにはあたらず、問題はないとの認識を示した。


エネ庁前長官の東電顧問就任「許されない」 枝野長官(朝日新聞)

 枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、経済産業省資源エネルギー庁の石田徹前長官が1月に東京電力顧問に就任したことについて「法律上、天下りに該当するかどうかに関わらず、社会的に許されるべきではない」と批判した。枝野氏は2月、省庁の天下りのあっせんにはあたらず問題ないとしていたが、福島第一原発事故で前言を撤回した。

 上が2月2日の記事で、下が今月の記事です。朝日新聞にすら突っ込まれていますが、鮮やかに前言を翻しています。まぁ、枝野ってのは元からこういう人ですが、本当にもう、世論に媚びるしか能がない奴なんだな、と思います。こんなのが要職に居座っているのですから、政治が場当たり的になるのも当然でしょう。ちょっと風向きが悪くなれば態度を変えて優勢な方に付く、流行り廃りを追いかけるような政治家は票を集めやすいものなのかも知れませんが、国民に好ましい結果をもたらすものでは断じてありません。


葉タバコの作付け、福島全県で断念 土壌汚染を懸念(朝日新聞)

 福島県たばこ耕作組合は今年の葉タバコの作付けを見合わせる方針を決めた。福島第一原発事故の影響で主要産地の土壌汚染が懸念され、品質維持や数量確保が困難と判断したという。放射能汚染による全県的な作付け断念が明らかになるのは初めて。

 県内の葉タバコの主要産地は原発から半径30キロ前後の山間地。市町村別では田村市を筆頭に飯舘村もトップクラスだ。村では県による土壌調査の結果、政府が定めたイネの作付け制限基準を上回る放射性セシウムが検出されている。

 で、タバコの作付けを断念したそうです。他の農作物ならわからないでもありませんが、よりにもよってタバコというのが何とも微妙な感じです。なんでしょうかね、やっぱり安心かつ安全で健康被害の恐れがないタバコを供給しなきゃという生産地側の思いでもこもっているのでしょうか。今の福島で栽培したタバコを吸ったところで、甲状腺癌になるより先に肺癌になるから心配はないのではないかという気がするのですが。まぁ、季節性インフルエンザで10000人が死んでも誰も気にしない一方で、新型インフルエンザで1人が死ねば恐慌状態に陥るのが我々の社会というものなのです。喫煙に起因する癌は軽い癌、放射能に起因する癌は重い癌なのでしょう。

 東京の水道水から基準値を超える放射線量が云々と周りが騒ぐ中、乙武洋匡氏は「飲んだら、むしろ生えてくるかなo(^o^)o ワクワク」と述べていました。取りあえず私はほうれん草でも食べましょうか。食べたら、ポパイみたいに突然変異するかなo(^o^)o ワクワク それはさておき、先日は原発に反対するデモが行われたそうで、「ほうれん草が食べたい!!」などとプラカードに掲げていたお馬鹿さんもいたようです。食べればいいのに、ねぇ? まぁ本人は大真面目にほうれん草が食べられないと思っているのかも知れませんが、だからといって「ほうれん草が食べられない=市場に潤沢に出回っているほうれん草も有害である」かのように装うのは風評被害を広める悪質な行為であり、一種のヘイトスピーチとも言えるでしょう。こういった偏見が社会を覆う恐怖感に乗じて垂れ流されていることこそ、真の問題のはずです。


国交省指導もタクシーの「福島行きはお断わり」が止まらない(NEWSポストセブン)

 デマと風評は被災地の復興を妨げている。

 福島県いわき市の渡辺敬夫・市長は、「市内は避難区域ではないのに救援物資が届かない」と訴える。いわきへの車が茨城県の日立市で止まっていたケースもあったという。

 タクシーが「福島行きはお断わり」と乗車拒否するケースも増えている。国土交通省は業界団体に乗車拒否しないよう指導しているが、今も問題は続いているようだ。

 建設機械メーカー幹部が語る。

「我々も福島に行けば被曝すると本気で怖がっているわけではないが、テレビで救援物資を届ける場面が映された運送会社が、他の客から取引を停止されたという話もあって、できれば福島には行きたくないという正直な気持ちがある。こちらも商売だから、断われるものなら断わっている」

 建機が届かなければ、瓦礫撤去もインフラや住居の再建もできない。

 自ら本気で怯えることから差別に走るケースもあれば、そこに便乗して差別に走るケースもあるようです。「外国人お断り」と同じ論理ですね。「自分が外国人を嫌っているわけではないが、外国人がいると寄りつかなくなる客もいる、こちらも商売だから~」と差別の理由を他所に求めることで差別の論理を受け入れてしまうわけです。こうして差別は広まっていくものであり、こうなると吹き飛んだのは原発の天井ばかりではなく、日本に住む人々のモラルでもあるように思えてきます。恐怖から差別に走る人もまた非難されるべきですが、それに付き合って差別に走る人の存在もまた深刻です。現・官房長官も典型的な、そういうタイプの人間ですし……


福島ごみ「受け入れるな」 川崎市に苦情2000件超(スポニチアネックス)

 川崎市の阿部孝夫市長が福島県などの被災地を7、8両日に訪れた際、災害廃棄物処理の支援を表明し、川崎市民らから「放射能に汚染されたごみを受け入れるな」などの苦情が2千件以上寄せられていることが13日、市への取材で分かった。担当者は「汚染ごみは運べるはずがない」と説明、対応に追われている。

 川崎市は2007年の新潟県中越沖地震でも、柏崎市の粗大ごみを鉄道輸送で受け入れ、無償で焼却処理した実績がある。今回も阿部市長は福島、宮城、岩手の3県などに支援を申し出たものの、ごみの量が桁違いに多く単独で処理できないため「国主導で支援したい」(処理計画課)と、計画は白紙状態だ。

 ところが8日以降、同課への電話や市長へのメールで「絶対に福島からごみを受け入れるな」「(福島市出身の)市長の売名行為だ。リコールする」などの苦情が殺到。「川崎市民だけの問題ではない」と、埼玉や千葉県、米国からも反対意見が相次いでいるという。

 ネット掲示板「2ちゃんねる」やツイッターでも話題に上っており、「小さい子どもがいて不安」といった、女性からの訴えが大半を占めるようだ。担当者は「行政不信に陥っているようだが、これでは復興の妨げになる」と困惑している。


東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見(毎日新聞)

 原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。

 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。

 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。

 福島県から県内に避難し、この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。

 結局、こうなるのも必然的な結果ではないでしょうか。とにかく放射能は恐ろしいものだ、どんなに微量でも危険なものなのだ、放射能は絶対に避けねばならないのだ――こういう刷り込みが行われていれば、どういう結果を招くかは推して知るべしです。放射線に関する科学的な解説をすれば御用学者と一蹴され、ただただ脅威を煽る言説ばかりが歓迎される、肥大化していった先は当然ながら排除の論理にしか行き着かないわけです。理解はなく、恐怖だけが広まっていく中では、理性は滅び信仰の如きものだけが先鋭化していくもの、そして信仰心が強まるほど「汚れ」には不寛容になるのでしょう。

 これまでにも宿泊拒否や受け入れ拒否、入店拒否等々、諸々の差別が横行してきました。ただ、この横行する差別に対して世間がどう反応してきたかを見ると、いかに大震災後とはいえ甚だ心許ないものを感じます。福島周辺地域への差別はごく一部の週刊誌やスポーツ紙だけが取り上げるニッチな話題に止まり、総じて大新聞は冷淡ではないでしょうか。元より我々の社会は差別に鈍感だとは思います。ただ、そうであるよりも原発なり放射能なりに責任が転嫁されることで差別行為が容認されてはいないでしょうか。悪いのは原発なのだ――そうした逃げ道が作られていることで、大手を振って差別が罷り通る状況になっていると言えます。原発も発端の一つではありますが、状況の悪化に拍車をかけているのは良識家ぶって脅威を広めている人々でもあり、本人は警鐘を鳴らしているつもりでも実は差別の加担者になっている、そのことを自覚すべきです。

 

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「専ら下請け」というのもあると思うんですが

2011-04-14 23:08:21 | 編集雑記・小ネタ

 時局柄、東京電力の名前を方々のブログで目にすることも多くなりました。あまり本論とは関係がないところで唐突に東京電力へ言及する人もいるわけで、取りあえず東京電力を罵っておけば何となく「正しい」雰囲気を演出できるのでしょう。その一方で誰もが知っている有名企業だと思っていた関電工は意外に知名度が低かったようです。東京電力の社員が現場にいない、という事実誤認に基づいた非難も多々繰り返されたもので、東京電力に限らず現場作業員が別会社の人間というのは至って普通のことのはずですが、その辺はあまり理解されていないのかも知れません。まぁ、こういう場面で責任を負うのは現場作業員ではなく工事発注元の役目ですから、非難を東京電力が引き受けるのは間違ってはいないのでしょう。大阪城を築いたのは大工さんではなく羽柴秀吉ですから。

 それはさておき、「専ら派遣」というものがあります。労働者の派遣先を特定の1社又は複数社に限定することを指し、法律上は一応の規制対象ですが、例によって野放しであったりするものです。端的なのは、ある企業グループの中で派遣会社を作って、そのグループ企業内に対してのみ人材派遣を行うケースですね。これは初めから雇用形態の偽装を目的としており、人員整理の際に切り捨てやすいよう組織を形式上で隔てておく仕組みと言えます。直接雇用の社員を解雇すれば非難を浴びやすいですが、間に派遣会社を挟むことで「トカゲの尻尾切り」の準備をしておくわけです。そのグループ内で恒常的に人員を必要としているにも関わらず、直接雇用を避けて間接雇用で誤魔化すための悪質な手口と言えますが、現状の規制は全く実効性を欠いています。

 ……で、専ら派遣ならぬ「専ら下請け」というものもあると思うのです。特定の一社(もしくは特定企業グループ)だけが取引先になっている中小零細企業は少なくないのではないでしょうか。専ら東京電力(あるいは関電工)が発注する工事のみを請負っている業者や専らトヨタにのみ部品を納入している業者等々、実質的に特定企業グループの内側でしか仕事をしていないにも関わらず、全くの別会社でもある、こういう中小企業も多いはずです。そこで「下請けにコスト削減を押しつけるのは横暴だ」「下請けにばかり危険な仕事を押しつけるな」という声も出てくるわけですが、ならば下請けを下請けでなくしてしまうのも一つのソリューションであるように思われます。

 往々にして力関係の強弱によって、取り分は左右されます。立場が弱ければ搾取されるものなのです。では立場の弱さを克服するためにはどうすればいいのか、下請けイジメを禁止するような法律もありますが、しかし大企業と吹けば飛ぶような零細事業者である限り、力関係は変わりません。ましてや、取引先が特定の一社ともなればなおさらのこと、その一社に見捨てられたら終わりというのでは何事も黙って言うことを聞く他なくなってしまうでしょう。ならば大企業と別会社という関係を解消して、大企業と企業内の一部門に再編してしまうのはどうかと思うわけです。つまり「専ら下請け」を規制して、下請けへの丸投げを出来なくする、「下請けにやらせる」のではなく「自社でやる」ことを強制してみる、そのために「専ら下請け」の会社を解体し、そこで働く人の直接雇用を義務づける、これも一つの解決策ではないでしょうか。

 専ら東京電力の発注する工事だけを請負っているのなら、それが独立した事業者である必然性はない、東京電力の一部門として直接雇用されても業務内容には変化がないはずです(あるいは専らトヨタに部品を納入する業者がトヨタの一部門になっても仕事に変わりはないわけです)。むしろ大企業の身内とすることで、安易な切り捨ても難しくなることが期待されます。たとえ小さくとも複数企業と取引がある(=特定の一社に嫌われても即座に潰れる恐れはない)会社ならばともかく、特定企業グループとしか取引がない「専ら下請け」を独立した事業者として存続させなければならない理由は、少なくとも業務遂行の上では乏しいでしょう。大企業側には容易に切り離せる部分を確保しておきたいという思惑があるほか、中小企業側にも会社の存続を優先させたい思惑が強いように見えますが(それは世論にも同様です)、中小零細企業間での過当競争を抑制するという経済政策面からも、あるいは安易な切り捨てを抑制するという社会政策面からも「専ら下請け」の禁止を提言したいわけです。

 今の時点で下請け、とりわけ個人請負の事業者の場合などは単に「給与体系が違うだけ」で、実質的には労働者です(あの最高裁ですら「労働者に当たる」と判断を下しています)。この場合は「給与体系の違う社員」を許さないために職務給やジョブ型正社員と言った逃げ道をあらかじめ塞いでおく必要もありますが、ともあれ現状の実質的な雇用主と実質的な労働者が切り離された形態は是正されるべきものと思われます。新卒者の大企業志向も強いとことあるごとに言われる時代ですし(ただ、まことしやかに語られる「大企業志向が強い」説に関しては鵜呑みに出来ないところも多いですが)、専ら特定企業グループ内でのみ働く「専ら下請け」の中小企業を大企業に組み込むのは、これから就職しようとする学生のためにもなるのではないでしょうかね。

 

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ディナモ・トーキョー

2011-04-12 23:09:34 | ニュース

 東京都知事選は開票と同時に石原の当確が出るなど一方的な結果に終わりました。まぁ、渡辺美樹にならなかっただけ良かったと思いましょう。下には下がいるものですから。まぁ、ネット上で思われているほどには反石原感情は強くないのだと思います。「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と石原が述べたのは記憶に新しいところですが、石原に反対しているつもりの人でも「今回の大震災と大津波、それに伴う原発事故は、低エネルギー社会への転換を促す天からの啓示だったのかも」「欲の皮の突っ張った同じ日本人が私たちの生命を脅かしているのだよ!」などと宣っているわけで、実は石原と共感できている部分も多いのではないでしょうか。ほんの僅かなボタンの掛け違えがあるだけで、石原と世界観を同じくしている人は反石原を掲げている人にも多い、ならば石原に対して感情的なしこりを持たない普通の人々が石原に投票するのは至って自然なことです。


静岡市長に田辺氏が初当選 減税日本の海野氏破る(朝日新聞)

 静岡市長選は、元自民党県議の田辺信宏氏(49)=自民推薦=が、元民主党参院議員の海野徹氏(61)、前自民党市議の安竹信男氏(64)を抑えて初当選を決めた。田辺氏は「防災に対する切実な声を聞いた。一人も犠牲者を出さないよう避難場所の総点検をしたい」と抱負を語った。

(中略)

 連合静岡も田辺氏を推し、民主党県連会長も支援するなど、民主、自民相乗りの支援態勢が整った。選挙終盤には民主から前原誠司前外相、自民から石原伸晃幹事長が応援に入った。

 今回の選挙戦では国政の現与党である民主党の敗北が伝えられることも多いですが、しかるに民主と自民の直接対決が大幅に減った選挙でもあります。とりわけ首長選では伝統と実績の自民・民主相乗り候補が増えたのですから、その結果もメディアは積極的に伝えるべきでしょう。民主と自民のゴールデンコンビなら勝つのは当然、別に大きく報道することもないと考える人もいるのかも知れませんが、国政で似たもの同士の政党が不毛な罵りあいを続けている今こそ、国民に地方政治における相乗りの実績を知らしめるのもメディアの役割であるように思われます。


「パチンコ我慢、自販機なくても」石原氏が持論(読売新聞)

 東京都知事選で4選を確実にした石原慎太郎氏は10日夜、都内の事務所で報道各社のインタビューに応じ、東京電力福島第一原子力発電所の事故による電力不足について、「パチンコと自動販売機で合わせて1000万キロ・ワット近い電力が消費されている国は日本以外にない。こういう生活様式は改めたほうがいい。(節電のために)国は政令を出せばいい。パチンコする人は我慢なさい、自販機がなくても生きていける」などと持論を展開した。


4選石原氏「つましくしないと日本もたない」(読売新聞)

 東京都知事選で4選を確実にした石原慎太郎氏は10日夜、都内の事務所で「4選して何をやるかと言ったら、同じ事をやるしかない。プラスアルファで災害対策だ。東京は日本のダイナモ。東京が止まれば日本も止まる。日本はこれから大変だ。我欲を抑えて、自分の生活をつましくしないと日本がもたない。日本人全体がスクラムを組みながら肩を組んでやろう」と述べた。

 例によって石原に反対しているつもりの人でも「コンビニを昼夜問わず日本中で営業したり飲料の自動販売機をこれほどたくさん置いたりして電気を使い続けることは電気の浪費ではないかとの問題提起をしたい」とか主張しているわけで、そうでなくとも豊かさや利便性、贅沢を戒め慎ましく生きよと説く石原の同志は、反石原層にも非常に多いはずです。上述の静岡の選挙では「減税日本」という共通の敵の存在が民主と自民を深く結びつけたことが窺われるところ、ならば共に贅沢を敵視する者同士が手を組めないはずがないと思わないでもありませんが、国政がそうであるように似たもの同士でも目立つ場面では対立するフリを演出するものなのでしょう。

 それはさておき、「東京は日本のダイナモ。東京が止まれば日本も止まる」と石原は言いますが、喫緊の電力不足にはどう対処するつもりなのでしょうか? 原発推進派を称した石原ですが、夏までに原発を新設できるはずもありません。原発推進派であろうが反対派であろうが、差し迫った夏の電力不足に直面しなければならないのは変わらないわけです。そこで「我欲を抑えて、自分の生活をつましくしないと」と石原は語ります。そして節電で乗り切れ、贅沢を慎めみたいな発想もまた、石原自身だけではなく反石原層にも根強いものであり、石原の主張は最大公約数的なものとも言えそうです。

 ただ、電力が余っている夜間の営業禁止を提言していたりするなど(参考)、少なくとも石原は何がどう不足しているのか理解できていないことが窺われます。ただただ、この危機意識の高まりに乗じて「こういう生活様式は改めたほうがいい」と迫っているだけのことです。もっとも石原が言うまでもなく、時間帯を問わない自粛ムードは全国的に広まっているわけです。随所で照明が落とされ、欲しがりません勝まではと言わんばかりの節約意識が満ちあふれていますし、これを歓迎する人が7割に及ぶとも伝えられています。結局のところ、右も左も多数派はバブル時代に象徴されるような豊かさをこそ嫌っており、もっと「生活をつましくしないと」と意識している、そして自分だけではなく社会全体もそうであるべきだと思っているのでしょう。贅沢は敵だ!

 この節約ムードで心が満たされる人は多いものと予測されますが、残念ながら財布は満たされません。商業活動に制限が掛かる、とりわけ電力消費のピーク時(=平日の昼間)の操業を抑えねばならない以上、立場の弱い人から切り捨てられていくであろうことは想像に難くありません(あるいは深夜勤務に回される等)。計画経済的には全くのムダにも見えるレジャー産業などの「贅沢」もまた経済の一環であり、雇用を生み、消費を活性化させる社会のダイナモなのですが、しかるに石原の説くように「つましく」してしまったら、消費も雇用も落ち込んで、当然ながらダイナモの回転だって落ちていく他ないのです。1人1人がちょっと無理をしてでも贅沢をすることでダイナモも回って社会にも血が通うというものなのですが、石原は逆のことをやろうとしている、しかしそれは概ね歓迎されており、実は石原に反対している人の中にも同様の立場を取っている人が多いとあらば、東京のダイナモで生まれたエネルギーが東北に届く日は遠そうです。

 

 ←このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。

 

おまけ、
「自販機はすでに電力ピーク時に9割電力カットの対策済み」日本自動販売機工業会発表(サーチナ)

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