非国民通信

ノーモア・コイズミ

学校の性教育「役に立った」が6割 17〜19歳の意識調査で

2018-12-30 22:23:30 | 社会

学校の性教育「役立たず」が4割 17〜19歳の意識調査で(共同通信)

 17〜19歳の約4割が学校の性教育は役に立たないと感じている―。日本財団(東京)が「セックス」をテーマにした意識調査をしたところ、こんな結果が出た。ほぼ4人に1人はセックスの経験があり、4人に3人は性病への不安を抱えていることも判明。避妊の必要性を感じていると答えたのは9割近くに達した。

 調査は10月、17〜19歳の男女800人を対象に、インターネットで実施した。学校の性教育が「役に立った」と答えたのは59.1%で、「役に立たなかった」が40.9%。「避妊の重要性をもっと説明してほしい」「性病の危険性について重点的にやるべきだ」といった要望があった。

 

 「17〜19歳の約4割が学校の性教育は役に立たないと感じている」とのことですが、いかがでしょうか。とかく「子供」に対しては「性的に無垢であって欲しい」という欲望が向けられるもので、性教育とは必要視される一方でタブー視されがちでもあります。とりわけ日本で言うところの「保守」の人々からは目の敵にされがちであったり等々。

 ちなみに調査は綺麗な二択式のようで「役に立たなかった」との回答が40.9%である一方、過半数である59.1%は「役に立った」と回答していることも伝えられています。学校教育で約6割が「役に立った」と回答するなら、意外に上出来なのではないかという気がしないでもありません。ここから性教育がどう変わるべきと考えられるのでしょうね?

 そもそも性教育に限らず、学校教育全般を調査対象としても、それほど肯定的な回答にはならないようにも思います。例えば、「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」とは、日本財団第2代会長である曽野綾子の発言として広く知られているところです。発言が正しいかはさておき、そう考える人も結構いますから。

 また今回報道の調査元である日本財団の現会長である笹川陽平は、父であり財団の創立者である笹川良一から、「学問などしなくていい。社会勉強は俺が教えてやる」と言われて育ったそうです。財団創立の精神に立ち返れば、性教育に限らず学校教育全般が「役に立たない」ということにもなるのかも知れません。

 ちゃんと学校で勉強していなかったからこそ、そっち系の人に育つということもあるような気がしますが、一方で学校という箱はあっても教師がマトモに勉強を教えられない、学校でやるのは行事ばかりで勉強は塾でやるもの、みたいな現実もあります。性教育に限らず「役に立たない」ものを「役に立つ」ものに変えていくには、色々と課題が多そうです。

 以前、学校柔道における「受け身」は役に立たないと書いたことがあります。あれは、綺麗に背中から落としてもらえることを前提にした方法ですから。そうではなく「頭から落とされる」ことを前提にした、競技柔道とは違う「受け身」を教えないと危険だと思うのです。「背中から綺麗に落とす」技術と善意を持った生徒同士ならいざ知らず、そうでない以上は「頭から落とされる」ことを前提に対策を取らねば受け身は役に立ちません。

 性教育も然り、大人が期待するほどの「性的に無垢な子供」を前提とした性教育ではダメだと言えます。現実の子供は、大人が期待するようには「大人しい」ものではない、そうした前提に立った性教育でないと、実践の役には立たないでしょう。6割の調査対象者が「役に立った」と回答するのなら上出来ではあるのですが、その実は「未経験者」がなんとなく「役に立った」と感じているだけで、「経験者」が「役に立たなかった」と感じているのなら、色々と足りないものがありそうですし。

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連盟よさらば!  我が代表堂々退場す

2018-12-23 21:49:24 | 政治

日本、IWCから脱退へ(共同通信)

 政府が約30年ぶりの商業捕鯨の再開に向け、クジラの資源管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。来週にも表明する。日本近海や日本の排他的経済水域(EEZ)内で行う方向で調整している。日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例。国際社会からルール軽視との批判を浴びることは避けられない。

 9月にブラジルで開かれたIWC総会で商業捕鯨の再開提案が否決され、脱退により局面を打開する必要があると判断した。日本は資源が豊富な一部鯨種の商業捕鯨再開を提案したが、反捕鯨国が反発して否決された。

 

 42対1だったかどうかは知りませんけれど、日本の提案が否決されたことを受け、我が国の代表?は国際機関からの脱退を表明したそうです。曰く「日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例」とのこと。言うまでもなく戦前には実例がありますので、「異例」などと言われつつも先行きは見えるような気がしますね。

 この捕鯨に関しては与野党間の対立も少なく挙国一致の趣がないでもありません。後は北方領土問題辺りも俯瞰的に見れば大同小異で挙国一致的なフシがありますけれど、だいたいそういう類いほど色々な視点が抜け落ちているのではないでしょうか。強硬論さえ唱えておけば済む分野ほど、その実は怪しいものです。

 例えば鯨を食べる「伝統」にしたところで、歴史は短く戦後の一定時期の現象でしかないわけです。北欧の一部やアラスカ近辺では許されるものが日本だけ禁じられているみたいな語りもありますが、近海での細々とした漁と、南極海くんだりまで遠征する日本の「調査」とでは、当然やっていることが違います。しかし、この捕鯨に関しては挙国一致で被害妄想に浸りたがるところがあるのではないでしょうか。

 技術力に劣る日本は、鯨を殺すことでしか「調査」することが出来ません。それを哀れむ国の中には、「鯨を殺さずに調査する技術」の供与を打診してくれるところもありましたが、日本は日本流の「調査」を続けたがっています。そして日本近海での「調査」ならば諸外国の以降を無視しても多少は許されますけれど、敢えて極地へと遠征してきたのが日本流である等々……

 そもそも日本が再開を提案したという「商業」捕鯨とはなんなのか。確かに一部の「団体」が捕鯨によって利益を得ているのは事実なのかも知れません。しかし、かつて捕鯨を行っていた水産会社は専ら、商業捕鯨が解禁されたとしても捕鯨を始めるつもりはないと回答しています。捕鯨で儲かる時代ではないから、と。もはや「商業」捕鯨は商行為としては成り立たなくなっているのですね。

 まぁ捕鯨はロマンなのでしょう。そこには合理性では判断できないものがあるのです。趣味嗜好、あるいは信仰のようなもので、営利行為として成立するかどうか、損になるか得になるかといった観点では、評価することが出来ないものだと言えます。日本はなぜ鯨を殺したがるのか――それはアメリカ人がなぜベーコンを好むのかを問うようなものです。

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日本からは何が学べるのか

2018-12-16 23:36:27 | 雇用・経済

外国人就労の都市集中是正を明記 受け入れ拡大新制度の全容判明(共同通信)

 改正入管難民法などの成立を受けた外国人労働者受け入れ拡大の新制度の全容が13日、政府関係者への取材で分かった。制度の方向性を定める基本方針には、大都市圏に外国人が集中しないような措置を講じると明記。分野別運用方針では、国会答弁と同じく来年4月から5年間の累計で最大34万5150人を受け入れ、農業と漁業は派遣の雇用形態も認めるとした。外国人への支援内容を盛り込む総合的対応策には各種行政サービスの多言語化推進を記載した。

 

 さて外国人労働者の受け入れには一定の(雇用側からの)需要があるわけです。予定されている法改正では「農業と漁業は派遣の雇用形態も認める」そうですけれど、需要を考えれば港湾運送業、建設業、警備業あたりの派遣を認めたって良さそうな気がしますね。それよりも問題なのは「大都市圏に外国人が集中しないような措置を講じる」云々です。それはつまり、外国人に就労場所を選ぶ自由を与えない、ということでしょうか。

 改正法によって就労拡大が期待されているのは、一言でまとめれば「日本人がやりたがらない仕事」であるわけですが、これに加えて「大都市圏に外国人が集中しないような措置を講じる」とは即ち「日本人が住みたがらない場所」に外国人を宛がうことにもなります。まぁ日本国が望んでいるのは人間ではなく純粋な労働力ですから、そういう扱いになるのは必然なのかも知れません。

 日本人ほどには従順でない外国人労働者が増えることは、いずれ日本社会を変える原動力として(労組連合なんかより)期待できると私は思っていますけれど、当の外国人にとって日本で働くことは――決して勧められない現実もあります。賃金水準が低い、労働条件が悪い、日本人と比べて差別的な取り扱いも目立つこともさながら、「今さら日本から学ぶべきことなんてない」ですから。

 日本では「技能実習生」なんて題目で雇用を偽装するのが常態化していますが、ビジネスや科学技術を学ぶのなら、今は中国の方が上でしょう。四半世紀前ならいざ知らず、現代の日本は過去の栄光にすがるだけの二流の国家です。確かに日本には「GDPが横ばいの中でも内部留保だけは増やす方法」や、「景気が上向く中でも賃金を抑制する方法」といった面では世界に例のないものを持っています。しかし、そんなものを学んでも無意味ですよね?

 先日は、日馬富士に暴行を受けて話題になった貴ノ岩が付け人に暴行を加えていたことが発覚したりもしました。子供を虐待する大人には、自身が親からの虐待を受けて育った人が多いと言われます。たぶん、先輩後輩関係も同じなのでしょう。人に殴られれば、殴られた痛みではなく、人の殴り方を覚えるものです。ならば日本で働く外国人は、何を覚えて帰るのでしょうか、日本で学んだのが「立場の弱い人から搾取する方法」となるのなら……

 

サメ300匹密漁か、米が日本人船員ら刑事告訴(読売新聞)

 【ロサンゼルス=久保庭総一郎】米司法省は12日、南太平洋でサメを密漁していた疑いで、鹿児島県いちき串木野市の水産会社「浜田水産」と日本人船員3人らを11日付で刑事告訴したと発表した。

 司法省などによると、水産会社が所有する日本船籍の漁船「共進丸」は昨年11月上旬、静岡県・清水港を出発。11月上旬頃までの約1年間、南太平洋などで高級食材のフカヒレを手に入れる目的で、サメ計約300匹を密漁していた。日本人船員が指導し、インドネシア国籍の漁師に作業させていた。

 11月6日頃、米ハワイ州のホノルル沖で漁船を離れ、送迎用船舶で米国に入国したインドネシア国籍漁師18人が手荷物検査で大量のフカヒレを所持していたことが発覚し、このうち漁師10人が密輸容疑で米当局に身柄を拘束された。

 

 ここでも、日本(の船)で働く外国人が登場します。日本人船員「ら」刑事告訴と見出しに掲げられていますが、インドネシア国籍の漁師18名は既に身柄を拘束されているとのこと、「日本人船員が指導し、インドネシア国籍の漁師に作業させていた」結果として身柄を拘束されるとなれば、それはいったい誰の罪なのでしょうね。

 日本独自の慣例として、「おみやげ」と偽り禁止されているサメを持ち帰ることが結構あるようです。まぁ「調査」と称して遙か南極海くんだりまで鯨を殺しに遠征するような国ですから、そういうこともあるのでしょう。しかし雇用主の指示に従っただけであろうインドネシアの漁師にとっては、とばっちりでしかありません。この日本人による「指導」でインドネシア人は何を得るのか――「日本流の偽り方」や「密漁の方法」を習得するとしたら、それもまた恥じるべきことです。

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公平とはなんぞや

2018-12-09 23:17:30 | 社会

低所得高齢者の医療費軽減廃止へ 75歳以上740万人が負担増(共同通信)

 政府は7日、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度について、低所得者を対象に保険料を最大9割軽減している特例措置を、来年10月にも廃止する方向で検討に入った。年金収入が年168万円以下の高齢者約740万人が対象になる。法令で定める軽減幅は7割だが、現在は税金を使ってさらに安くしている。

 現役世代と負担をより公平にする観点から特例を廃止して本来の規則通りの運用を目指し、増大する社会保障費の圧縮にもつなげたい考え。

 来年10月は消費税率10%への引き上げも予定されており、実施時期や方法について慎重に検討していく。来年度以降、段階的に実施する案も浮上している。

 

 まぁ高齢者叩きは万人受けしますし、とりわけ医療費ともなれば偏見も根深いですので、この辺はあまり争点になることもなさそうですが、どうなのでしょうね。曰く「公平にする」ために特例を廃止するとのことです。往々にして「公平」という言葉が使われた場合、9割方は一方の「引き下げ」によって計られるものという印象があります。正規と非正規を「公平にするため」正規職員の賃金水準を引き下げる等々、我々の社会における「公平」の用例とは、そういうものです。

 中高年社員を追い出して、若年層の雇用機会を創出する――これはいわゆる「ブラック企業」であれば長年やっていることですが、皆様の評価はいかがなものでしょうか。若い内しか働けない、年を取ったらやっていけない、そういう企業や業界は少なくありません。その分だけ若い人にはチャンスが多い、どんなに不況でも若年層の失業率は世界最低水準をキープしていたのが日本という国でもあります。

 ところが当然ながら若者もいずれは中高年になるわけです。中高年を追い出して若年層に道を譲らせようとする社会とは、すなわち若くなくなった先に暗闇が待ち構える社会です。定年まで雇用が保障される会社ならば、なかなか若者に椅子は回ってきません。逆に中高年になったらリストラされる会社ならば、速やかに若者へチャンスが与えられます。しかし「いずれは中高年となる若者」が希望を持つのは?

 日本の新卒一括採用は、世界的には珍しいのだそうです。まぁ、なんの経験もない学生のために採用の特別枠が設けられ、業界経験者と競うことなく採用機会が与えられる、という点において日本は世界で最も新卒に優しい国であると言えるでしょうか。しかし物事には裏と表があり、我が国では中途採用が少ない、とりわけ一流の企業ほど新卒に偏りがちです。要するに「既卒に冷たい」、ゆえに「新卒の機会を失ったら終わり」という機運すらあるわけです。

 そして今回の「高齢者」と「現役世代」もまた同じところがありまして、とかく高齢者と現役世代の対立に物事を落とし込んで解釈させたがる人が多い、若者のためと称して高齢者を叩いて票を稼ぎたがる人も多いのですが、忘れてはならないのは「現役世代も30年後には高齢者」であり、何よりも「現役世代の親は高齢者」でもあることです。

 高齢者と現役世代では、当然ながら所得にも健康状況にも格差があります。所得が少なく健康面でも悪化しがちな年代と、所得面で安定し健康面で大きな問題がない世代、この両者の間の「公平」とはなんなのか、そこは問われるべきものでしょう。医者の世話になりやすい年代の社会保障費を削れば財務省は喜ぶのかも知れませんけれど、それが国民の利益に繋がるかは別問題です。

 もし10人近い兄弟のいるビッグダディの子供達であるなら、「親世代」の社会保障費削減は私的な利益があるのかも知れません。高齢者となった親の世話は「兄弟の中の誰か」が担ってくれることでしょう。老親の世話が他人事である限り、高齢者の社会保障にはお金を掛けない方が良い、むしろ現役世代の負担を減らした方が(自分に)得だと、そう判断することはできます。

 しかし「自分が」高齢者となった親の面倒を見ると想定した場合はどうでしょうか。寄る年波には勝てないもの、自分ではなく「親が」大病を患い、医者の世話になることは当然ながらあるわけです。そんな時、高齢者の医療費負担はどうした方が「現役世代のため」なのか、この辺りは考慮されなければなりません。

 一般的には年齢が上である「親」の方が若い世代よりも医者の世話になることは多いわけです。そんな「親」が負担する医療費は、安くあるべきなのか高くあるべきなのか、「現役世代と公平な」医療費を高齢の「親」に求められれば、「親子」が負担する医療費は当然ながら高くなります。「親の面倒なんて絶対に見ない」人ならともかく、親と子の資産に繋がりがあるとするなら――親世代の医療費削減は必ずしも現役世代の負担削減とはなりません。

 まぁ今回の話は「低所得者」を狙い撃ちにするものですから、無関係な人も多いでしょうか。いずれは、より幅広い所得層に向けた高齢者向け社会保障の削減へと話は進むと思われますが、今はまだ「他人事」なのが世間一般の感覚なのかも知れません。しかし年金収入が年168万円以下の高齢者に取って受難であることには変わりがなく、それは低所得の高齢者の面倒を見ているところの「貧乏な家に生まれた子供」にとっても同じと言えます。

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大卒で悪いか

2018-12-02 22:08:29 | 社会

「大卒なのを高卒」と詐称 神戸市の男性職員を懲戒免職(朝日新聞)

 大卒なのを高卒と学歴詐称し、そのまま長年勤務していたなどとして、神戸市は26日、定年後に再任用されていた経済観光局の男性事務職員(63)を懲戒免職処分とし、発表した。

 この職員は24歳だった1980年に市に採用され、2016年3月末に60歳で定年退職。同年4月に再任用されて引き続き市で働いていたが、最近になり、匿名の通報がきっかけで学歴を偽っていたことがわかったという。

 市によると、職員は78年に大学を卒業していたが、そのことを伏せたまま、「高校卒」までを受験資格とする市の採用選考を受け、採用されていた。この職員は「申告する必要がないと思っていた」と話しているという。

 

 さて「匿名の通報」がきっかけで神戸の市職員が懲戒免職になったことが伝えられています。大卒を高卒と――学歴を偽っていたとのことですが、市に採用されたのは1980年と遠い昔の話です。自身を高卒と偽ったのが採用時点の1980年であるとすれば経過した年月は38年、これで時効が成立しないのは殺人罪ぐらいしか思い当たりません。学歴詐称とは、かくも重い罪なのでしょうね。

 ともあれ「高校卒」が受験資格であり、「大学卒」は採用の対象外であったわけです。大学を出たら受験資格を失うというのは、何とも理不尽な話です。まぁ日本は教育に公的予算を費やすことを好まない、高等教育修了者の増加をネガティブに語る人が経済筋に目立つ社会でもあります。ならば大学を卒業することによって不利益を被る、そんな制度があっても不思議ではありませんね!

 一方ここで私が思い出したのは、官公庁における「障害者雇用」の問題です。今年の夏場に中央省庁における障害者雇用の大幅な水増しが続々と発覚し、結構な話題になりました。制度上は障害者手帳を持った人のための採用枠なのに、どうにも手帳を持っていない人ばかりが「障害者」として雇用されていたわけです。手帳を持っていない(それは当然、本人は心得ているはず)にも関わらず、障害者枠で受験して役所で働いている人とはどんな人なのか、当時は気になりました。

 障害者として「手帳を持っていること」が受験資格であるはずの選考に、手帳を持っていない人が採用されていたこと、そして「高卒まで」が受験資格の選考に「大卒」が入り込むこと、一面では似たところがあります。もし受験資格を満たすために学歴を偽ることが懲戒事由として職員の責となるなら、手帳を持っていない「障害者雇用枠」の人はどうなるのでしょう。

 逆に、「雇う側」こそ障害者手帳の有無を確認しなかったことに問題があると考えるなら、同様に雇う側である神戸市側が件の職員の学歴を、適正に把握しようとしなかったことに問題があると言えます。加えて処分を受けた職員が「大卒であること」によって市側に何らかの不利益を被らせたのか、「大卒であること」によって職務上の障害があったのか、そうした面も考慮されて良さそうなものです。

 確かに「高卒まで」という条件は障害者雇用と同様に、一種のアファーマティブ・アクションとしての側面があるのでしょう。何らかの理由で大学まで進めない人に就業機会を提供する、という意味合いはあるのかも知れません。その枠を大卒者が埋めてしまうと、割を食う人もいるとは言えます。

 ただ今回の職員が採用された1980年代ならいざ知らず、現代は事情が異なるところも出てきているように思います。何しろ我が国の大学進学率は、日本経済が失速するようになった90年代から急上昇に転じているわけです。景気が悪くなると、若者が勉強したくなるのでしょうか? そうではなく、高卒でも就職先に困らなかった時代が終わってしまっただけではないでしょうか?

 勉強するために勉強する、そんな奇特な人は、どこの国でも滅多にいません。普通の人は「より良い職に就くため」勉強し、進学します。ゆえに高卒でも満足できる職に就くことができるなら、わざわざ大学に進むために勉強する人はそうそう増えないわけです(実際に80年代までの日本はそうでした)。しかし「高卒ではマトモな仕事に就けない」時代になったなら話は変わります。

 大卒資格を要求する職を目指すためもありますし、4年も経てば、景気も上向いて企業の採用も活発になるだろうと、そういう機運もありました。かくして日本の大学進学率はバブル崩壊後に急上昇したものですが、この新時代の「大卒者」はどこまで「自ら望んだ」進学者だったのでしょう。「高卒時点で就職口がなかったため」、半ばやむなく大学に進んだ人も結構いると思うのですね。そんな時代に「大学進学によって資格が失われる」制度が残るのも、色々と歪なものを感じます。

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