さて先般の衆院選は「北朝鮮のお陰(麻生太郎談)」もあって、自民党の大勝に終わりました。まぁ大勝と言っても議席を増やしたわけではありませんが、選挙前の数的優位を継続できれば与党にとっては勝利なのでしょう。一方、解散総選挙という政治的空白の中でも北朝鮮との間で新たな問題は何一つ発生することはなく、対外的には平和が続きました。日本の政治家達は安心して国内の政争に没頭できたわけですけれど、「現実的な」安保政策とは何なのでしょうね。
任期満了に伴う岡山市長選は1日投開票され、無所属現職の大森雅夫氏(63)=自民、民進、公明推薦=が、無所属新人で共産党岡山地区委員長の矢引亮介氏(47)=共産推薦=を破り、再選を果たした。投票率は過去最低の28.35%。
任期満了に伴う神戸市長選は22日投開票され、無所属で現職の久元喜造氏(63)=自民、公明、民進推薦=が、前市議の光田あまね氏(40)=維新推薦=、共産党兵庫県委員長の松田隆彦氏(58)=共産推薦=、元同県加西市長の中川暢三氏(61)の無所属新人3人を破り再選を果たした。投票率は前回(36.55%)を上回る47.58%だった。
任期満了に伴う山口市長選は29日投開票され、無所属で現職の渡辺純忠氏(72)=自民、公明、民進推薦=が、元市議の有田敦氏(50)、市民団体代表の湊和久氏(58)の無所属2新人を破り4選を確実にした。
報道の集中する衆院選の裏では、各地で首長選が行われてもいました。そして消滅するかに見えていた民進党も、地方選では普通に活動していたわけです。自民党と相乗りで候補を立てる、連立与党の一員として、ですね。この「自民、民進、公明」による与党共闘で共産党と戦うのは、むしろ地方自治体の選挙では至って普通のスタイルだったりしますが、その辺はどこまで意識されているのでしょうか。
地方議会では自民党と共に首長を支える与党なのに、それがいざ国政選挙ともなると「野党でございます、野党でございます、自民党政権に批判的な人はウチに投票してください」と、そう訴える民進党系の候補を見るたび、何とも卑劣な人々だなぁと私などは昔から感じてきたものです。ただ、この辺への疑問を私以外の論者が投げかけている場面はまず見ることがありませんので、「地方では自民の盟友、国政では反自民」という民進党のプロレスは世間に受け入れられていると理解するほかなさそうです。公明党の「都議会では自民の政敵、国政では自民の友」というスタイルも、民進が許されるなら普通にありなのでしょう。
さて民進党が勝手に分裂したこともあり、一時は民進党に首を差し出していた共産党が候補を立てたりで、希望/立民/共産に維新と野党の選択肢が増えた選挙でもありました。その辺は結果として自民党有利に働いたこともあり、朝日新聞などは「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」と強弁していたりするのですが、実際のところはどうなのでしょうね。むしろ「一本化しようとしたから負けた」ところも少なからずあるように私には思われます。
今回の選挙で「敗北」と見なされているのは希望の党ですが(真の敗者は議席を半減させた共産党だというのはさておき)、敗因はどこにあったのでしょうか。小池百合子という東京都知事選、東京都議会選で自民党を蹴散らした「看板」に、民進党の「地盤」と「鞄」が加われば、勝利は確実と考えた人も当初はいたのかも知れません。しかし結局は、議席を減らす結果に終わりました。その敗戦の責を希望/民進内部で醜くなすりつけ合っているようですが、特定の誰かが悪いのではなく、一本化の試みがそもそもの間違いであったのではないかと思うのです。
小池一派に有権者が期待していたのは、(虚像ではあれ)新しさなり、しがらみのなさであったはずです。実態はさておき自民党と袂を分かつことで小池一派は改革機運を演出できていたと言えます。しかるに民進党という、なんだかんだ言って昔から政界に巣くっている集団を衆院選候補者の主流に据えたことで、「何だ、小池も既存の政治家と変わらないじゃないか、選挙に勝って権力を手にしようとしているだけではないか」と、一時は小池に期待していた支持層を失望させてしまったわけです。
一方で民進党も、彼らをリベラルだと勘違いして支持している人が多かったのに、小池百合子という極右と組み、安倍内閣が推した安保法制には反対していたことすら軽々しく翻してしまいました。これで、元々は民進党支持であった人々の勘違いも解けてしまったと言えます。とりあえず国政だけでも自民党に反対しておくポーズを取っておけば「リベラル」のイメージを勝手に抱いてくれる人がいた、そうした人々の支持が厚かったのに、わざわざ支持層の夢を覚ますようなことをしてしまったのです。
まず間違いなく民進党と希望の党は、合流しない方がお互いの票は確保できたであろうと推測されます。選挙後は民進党代表である前原に非難囂々のようですけれど、そんな前原が党代表選の勝者であることを忘れてはならないでしょう。枝野を結構な差で退けて、前原が民進党の代表に選出されたのはつい先月のことなのです。今になって前原を非難している民進党関係者は、まず自身の選択を反省するところから始めなければいけません。
枝野一派には、石原慎太郎や小林よしのり、鈴木邦男など時代から取り残された右翼が続々と応援に駆けつけました。「右」の主流派から毛嫌いされてさえいればリベラルと呼ばれる昨今ですが、前原と枝野にそこまで大きな違いがあるかは疑問がないでもありません。ただ、党代表の座を争う上で分水嶺になったのは共産党との関係ではなかったかと思われます。その辺、とりわけ民進党の最大の支持組織にとっては譲れないポイントでもありましたから。
言うまでもなく民進党の支持母体は自称労組の連合です。この連合の二大イデオロギーは労使協調と反共でして、実際のところ民進党代表戦でも、共産党との連携はあってはならないと会長自ら力説していたわけです。曰く「連合は共産党の影響をどうやって排除するかということで闘ってきた」とのことで、共産党との選挙協力は支持母体である連合との関係悪化要因でしかありませんでした。組織票に逃げられたら困る民進党議員にとって、選ぶべき道は限られていたことでしょう。
希望の党は、かつての民進党や小池百合子の支持層を取り込んだと言うよりはむしろ、民進党と小池百合子それぞれの「アンチ」を敵に回した、より大きく反発を受ける存在になってしまいました。そして民進党と共産党の提携もまた、そもそも共産党の影響を排除するために作られた団体を支持母体にしている時点で、内部に地雷を抱え込むようなものだったわけです。野党の一本化など考えなければ「敵」を作ることも少なかったと思われますが、まぁ戦略が間違っていたのでしょう。そして与党に「他の党より良さそうだから」と票が入るのです。