文科省の放射線副読本を回収 野洲市教委、記述を問題視(朝日新聞)
文部科学省が全国の小中学校と高校に配布した昨年10月改定の「放射線副読本」を、滋賀県野洲市教育委員会が回収していることが25日、分かった。東京電力福島第一原発事故の被災者への配慮がなされておらず、放射線が安全との印象を受ける記述が多いと判断したという。
副読本は小学生、中高生向けの2種類ある。放射線がX線撮影に使われていることや、放射線の性質と人体への影響などを説明。福島第一原発事故と復興のあゆみを取り上げている。「(福島第一原発)事故で放出された放射性物質の量はチェルノブイリ原発事故の約7分の1で、福島県が実施した検査結果によれば、全員が健康に影響を及ぼす数値ではなかった」などの記載もある。
3月の市議会の一般質問で、「人工と自然界の放射性物質を同列のように扱い、(放射性物質が)安全であると印象を操作しようとしている」などと指摘を受け、市教委が副読本の内容を精査。放射線の安全性を強調するような印象を受ける記述が多い▽被災者の生の声が少ない▽小中学生にとって内容が高度――と判断し、回収を決めた。
さて大震災と津波、その後の原発事故から8年あまりが経過しましたが、事故を契機に放射線について理解を深める人もいれば、逆に信仰を深める方を選んだ人も多いように思います。まぁ、人間を動かすのは現実ではなく信念であり、自らの世界観を守ること以上に重要なことはないのかも知れません。
そこで文部科学省発行の副読本を、独自に回収している自治体があるそうです。何処の議員かは伝えられていませんが、曰く「人工と自然界の放射性物質を同列のように扱い、(放射性物質が)安全であると印象を操作しようとしている」などと騒ぎ出したとのことで、これが回収に繋がったようです。
しかし、人工であろうと自然界に存在しているものであろうと、放射線の性質に変わりはありません。これは事実であり、少なくとも印象操作に該当するものではないわけです。ところが、原発事故後に福島界隈へのヘイトスピーチに励んでいた人の「世界観」には、人工的なものは自然界にあるものと違って有害であるという信念があり、それは絶対に譲ることの出来ないものなのでしょう。
ゆえに、野洲市の氏名不詳議員にとって、「人工と自然界」の区分は自身の信仰に関わる問題であった、事実ではなく信念の問題として、自らの世界観を守るために戦わねばならない事案であったと言うことができます。それは思想信条の問題であり、事実認定の問題ではない、ましてや教育の問題でなどあろうはずがないのですね。
ただ報道としてはどうなのでしょうか。一部の思想的に偏った議員の暴走とその結果を伝えるだけで良いのか、メディアとして事実を伝えるのか否か、そこは良心が問われます。「『(福島第一原発)事故で放出された放射性物質の量は~健康に影響を及ぼす数値ではなかった』などの記載もある」云々との報道ですけれど、これなんかも揺るぎない事実です。しかし報道を見ると、これまで「問題視」されるべき箇所のように映ります。こういうのが、典型的な印象操作です。
起こったことをありのままに伝えるという点では、放射線副読本(とりわけ報道で取り上げられている部分)に瑕疵はありません。一部議員の思想信条と相容れなかった、ただそれだけのことです。しかし結果として、市教委は副読本の「回収」を決めてしまったわけです。一部の思想面で偏った政治家の圧力に屈して(もしくは忖度して!)。
報道も暴走議員も、これを追認する市長もそうですけれど、市教育委員会もどうなのでしょう、一部の政治家が自身の思想信条に相容れないからと言って教材の回収を要求する、そうした振る舞いに対抗できないようでは、この先が大いに不安視されます。それで教育を守れるのか、市教委の姿勢もまた問われるものがあるのではないでしょうか。放射線副読本の記述に批判されるべきものがないのとは裏腹に、それを巡る騒動には少なからぬ問題があると言えます。