非国民通信

ノーモア・コイズミ

関西電力も大変だな

2011-07-31 23:15:51 | ニュース

橋下知事「大阪市長選は関電との戦いになる」(読売新聞)

 11月27日投開票の大阪市長選に出馬する可能性に言及している大阪府の橋下徹知事は27日の記者会見で、「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる。既存の体制を変えようと思えば、死力を尽くす戦いにならざるを得ない」と述べた。

 市長選に合わせて辞職し、府知事選とのダブル選にする考えを改めて示し、「11月27日は既存の体制を転換する重大な日になる」と対決色を鮮明にした。

 橋下知事率いる大阪維新の会は両選挙への候補擁立を目指しており、知事は市長選について「候補者が見つからなければ僕が出る」と明言。維新の候補が勝利した場合、市が筆頭株主の関電に対し、「脱原発」を求める株主提案を行うことも表明している。

 さて、橋下曰く次の大阪市長選は「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる」そうです。前々から目の敵にされている役所だけではなく、とうとう電力会社までが「敵」として設定されるようになってしまいました。従業員個人としてはともかく流石に企業としての責任は免れられない東京電力ならいざ知らず、別に直近で目立った事故を起こしたわけでもなければ、むしろ脱原発ドミノという逆風の中でも懸命に頑張っている関西電力には応援されこそすれ敵視される謂われはないはず、にも関わらず「関西電力との戦いになる」などと一方的に宣戦布告されてしまう関西電力には心の底から同情するほかありません。

 橋下発言では関西電力と市役所が同列に並べられています。非難の仕方が同じ、という意味では自然な成り行きなのでしょうか。以前に、電力会社社員に向けられた非難の大半は公務員叩きの単語を入れ替えただけ、みたいなことを書いたものですが、公務員叩きで人気を得てきた知事が公務員と同じくらい社会的に嫌われるようになった電力会社の存在を見逃すはずがないわけです。とにかく嫌われ者を叩いておけば有権者のウケは悪くない、その結果がどうなろうとも因果関係など気にしないのが日本の政治風景でもあります。もし明日、あなたが世間の鼻つまみ者となったなら、あなたのことを最も口汚く罵った人がヒーローになるのです。

 実態を大きくかけ離れて、とんでもない高給取りという設定で話が進められるとか、あたかも原罪のように公務員であること/電力会社であること自体が咎められるとか色々ありますが、より顕著なのは「公務員/電力会社の業務と住民との関わりが無視されている」ところでしょうか。公務員なんて仕事をしていないとか、公務員なんていなくていいみたいなことは、それこそ自治体の首長クラスの口からも聞かされるものですけれど、実際に公務員が仕事をしなくなったり、いなくなってしまえばそれこそ街は大混乱に陥るわけです。その程度のことは少しでも政治に関心があれば理解できるはず、しかるに公務員の仕事も我々の社会を支える歯車の一つだということに敢えて目を背けながら、その価値を否定することで政治家が支持を集めてきました。これと似たようなことが、今度は公務員ではなく電力会社を対象にして行われ始めているのが現状であるように思います。

 本来なら電力会社と住民との関わりは、公務員のそれよりも意識されやすいもののはずです。健康で文化的とは言えないような生活水準であろうとも、やはり生活の中で電気を使う機会は多いもので、電力会社がしっかり仕事をしているかどうかで我々の生活は大きく左右されます。電力会社が何か重大なことをやらかしたとして、そこで厳しく責任を問うのは必然的なことではある一方、結果として電力会社が機能不全に陥ってしまうとなると、電力供給を受ける側にも深刻な影響が出てしまうわけです。どうにも「悪い奴」を罰することにばかり気が向いているかに見える時代ですけれど、もっと大事なのは住民の生活への負の影響を最小限に止めることではないでしょうか。電力会社にしっかり仕事をさせるよう行政が監視を強めるというのならいざ知らず、電力会社を攻撃した結果として電力供給を受ける側の住民や各々の職場までもが共倒れというのでは笑い話にもなりません。

 それでもやはり、有権者の生活環境を維持することより懲罰勘定を満たしてやることの方が、票には繋がるものなのでしょうか。少なくとも橋下は、そう考えているようですから。概ね日本の電力会社が最重視してきたのは電力供給の安定のようで、料金は高めで防災対策にも疑問符が付く一方で停電の少なさだけは世界に誇れる水準でもありました。この厳しい状況下でも各電力会社は電力供給が途絶えることのないよう奔走しているわけですが、そこに行政が介入することで足を引っ張っているのも現状です。行政が足を引っ張った結果として電力供給に不足が生じれば、その結果を押しつけられるのは住民であり、現に今でも健常者目線で押しつけられる節制や深夜操業へのシフトなど就業環境の悪化が随所に見られます。こういう事態を屁とも思わないが故に橋下は躊躇うことなく懲罰勘定を満たしてやることの方を選ぶのでしょうけれど、その「結果」を負わされているのは住民であることに有権者は自覚的であるべきです。でも怒りの矛先は行政ではなく電力会社に向けられることで、何となく完結してしまうものなのでしょう。福祉が削減され行政サービスが滞って住民の生活に不便が生じようとも公務員叩きが止まることがないのと同じことが、電力会社を前にしても繰り返されようとしています。せめて、これが大阪(もしくは橋下)と関西電力の間に限ったことであってくれればいいのですが。

 

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不安を煽る人々によって作られる社会

2011-07-29 23:19:32 | 編集雑記

 さて先週のことですが、ホメオパシージャパン社から「福島で採取した土を希釈振とうして出来たレメディー」なる商品が発売されました。笑うしかありませんが、ホメオパシーそのものは信じている人も少なくないようですから、今度の新商品も売れる、下手をすれば今まで以上に売れることもあるのでしょうか。約30粒で¥580、約100粒で¥1,390という微妙にリーズナブルな価格設定も心憎いところです。「放射能を排出する」みたいな触れ込みで未認可薬をボッタクリ価格で売りつける業者が摘発されるなんてケースは多々ありまして、その辺の一儲けしてやろうという商魂は人情として理解できなくもないのですけれど、同レベルのオカルト商品でありながら良心的な価格設定で必ずしも利益優先とも見えない、むしろ本気でホメオパシーを広めようとしている様子が窺える辺りには薄ら寒いものを感じます。詐欺師は怖くありませんけれど、カルト信者は怖いです。

 そうでなくとも怪しい放射「能」対策には事欠きません。どうにも原発事故以降は科学的であることを放棄した人が多く、エセ科学や陰謀論的なものに対する批判も弱まるばかりでもあります。かつて「35歳を過ぎると羊水が腐る」などと述べて顰蹙をかった人もいましたが、今「放射能で羊水が腐る」と言ったなら世間の反応はどれほどのものでしょうか。鵜呑みにする人もいれば、かつてはエセ科学に否定的であった人でも「そう思うのももっともだ」ぐらいに批判を避けることもありそうです。放射「能」の害として持ち出されたものを否定すれば、すなわち原発推進勢力とレッテルを貼られるご時世でもありますし、原発の危険性を強調するためには誇張や歪曲をも否定しない人も目立ちますから。

 そんなあやしい放射能対策の中には、発酵させた米のとぎ汁をスプレーするなんてのもあるそうで、腐敗した米のとぎ汁を子供に吹き付けては子供の目を腫らしているケースもあるようです。児童虐待ですね。政府や医師の説明に背を向け、独自の民間療法に走って健康被害を新たに作り出すケースが出てくるであろうと当ブログでは3月の段階から懸念を表明していました。私が思いつく程度のことは政府関係者だって早い段階から理解できていたはず、放射線による健康への影響もさることながら、パニックの中でエセ科学や代替医療に走って健康を害するケースもまた想定した対策が求められます。

 とはいえ、やっていることは児童虐待であっても実際に被災地に住む人々には情状酌量の余地もあるでしょう。むしろ問われるべきは、福島に住む人々を外から脅しつけている人たちです。専門家への不信を焚きつけ、あることないこと放射「能」の害を吹き込み、被災地の住人が冷静に行動することを妨げている連中こそ糾弾されてしかるべきではないかとも思います。


(石垣島に避難する場合)
顕在化する確率=1(100%)
顕在化した場合の影響度合い=15万円/月(大凡)
リスクの評価=15万円/月

(石垣島に避難しない場合)
顕在化する確率=0.00001(0.001%)※全くの推測
顕在化した場合の影響度合い=∞
リスクの評価=∞
※人の命はお金では変えられません。ましてや子供の命は尚更です。

 例えばこれ、当ブログに寄せられたコメントの抜粋です。いいお笑いですが、ある意味では世間の風潮を端的に表わしているのかも知れません。つまり放射「能」を避けるため福島から避難すべきか否かという話で、福島に住み続けるリスクだけではなく、少しは避難する人の負担も考えなさいよと言ったら、こんな代物が返ってきたわけですが、こんな認識の人も少なくないと思うと頭が痛くなってきます。

 例えば「※人の命はお金では変えられません。ましてや子供の命は尚更です」などと書いてあります。さぞかし本人は子供の命を慮っているつもりなのでしょうけれど、じゃぁ故郷から引きはがされて遠隔地へと避難させられる心理的な負担はお金に換えられるのでしょうか? 避難した場合のリスクの評価として「15万円/月」と金銭的な負担のみが挙げられているのは何とも象徴的です。避難生活によって被る負担を単に金銭的なものだけとしか想定できないのであれば、それはあまりにも他人の痛みに対して鈍感な、冷酷極まりない考え方だと言うほかありません。もっとも金銭的なリスクだけであっても想定しているだけマシな方、中には遠隔地への移住を高台に避難するのと同程度にしか考えていない人もいるのですから呆れるばかりです。

 性表現規制が取り沙汰された時もそうでしたが、とかく「子供を守れ」と叫ぶ人ほど子供の意思を尊重しない傾向が見られます。彼らは子供の自己決定権を認めない一方で、周り(親)の理想を子供に押しつけ、子供を無菌室で育てたがるものです。まぁ子供の意思より大人の判断の方が正しいことの方が多いのでしょう。ただ避難のために一家離散となったり、友人や地域から切り離されるとなれば、子供だって相応に傷つくであろうことは理解してほしいところです。避難のリスクと福島にとどまることのリスクを秤にかけるのであれば、お金には換えられない心理的な負担だって考慮されねばなりません。それすら出来ずに単に福島の子供を心配している「つもり」になっている人は、単に自分に酔いしれているだけです。

 上記コメントに見られるもう一つの典型的な誤りは、リスクを0か1かで捉えていることです。まぁ我々の社会は二元論的な考え方が好きなのでしょう。直ちに影響がないものを直ちに影響がないと言うことは許されない、あるのかないのか今すぐ結論を出さないと気が済まないようですから。ともあれ、放射線を浴びなければ/原発がなければ/福島から避難さえすれば人間は不老不死であり、しかし福島で放射線を浴びることによってのみ生命のリスクに晒されるというのなら、「リスクの評価=∞」と言っても間違いではないのかも知れません。しかるに地球上どこでも放射線は存在しますし、人間は必ず死ぬわけです。リスクが0から1に上昇すると考えるのは、何かがおかしいのではないでしょうか。

 年間100ミリシーベルトの放射線量で、癌による死亡リスクが最大限に見積もって0.5%上昇すると言われています。これが健康への影響を測定できる下限ですが、ではLNT仮説を拡大解釈して年間10ミリシーベルトの被曝量で癌のリスクが0.05%上昇するとしましょう。その場合、福島に住み続けることの健康リスクは「0」から「0.05」になるのでしょうか? 日本の場合、癌で死ぬ人は概ね3人に1人くらいの割合です。放射線量の高低に関わらず、平均すれば誰でも「0.33」程度の癌リスクは抱えているわけです。そして福島の放射線量が下がらないまま放置されるとすれば(それも流石に考えにくいですが)、癌のリスクは「0.33」から「0.3305」に上昇します。もちろん癌以外にも死因はいくらでもあることは言うまでもありません。リスクの上昇は決して好ましいことではないですけれど、果たしてそのリスクが故郷を捨ててでも避けねばならないほど深刻なものなのか、もっと他に気にすべきものがあるのか、立ち止まって考えてみる余地はあるはずです。個々の住民がどのような決断を下すにせよ、それは煽られた結果ではなく、冷静に勘案された結果であるべきと思いますし、行政側にもそれを支援していくことが求められます。

 

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それが優生思想なんです

2011-07-27 23:25:55 | ニュース

妊娠中絶、20年で6倍に 超音波検査の精度向上で(共同通信)

 胎児が順調に育っているかを調べる妊婦の超音波検査(エコー)の精度が向上した影響で、2000年代後半の人工妊娠中絶の推定件数は、1980年代後半の6倍超になったとの調査結果を日本産婦人科医会が23日までにまとめた。

 妊娠初期に胎児の異常が見つかり、中絶を選ぶ例が増えたとみられる。

 調査をまとめた平原史樹横浜市立大教授(産婦人科)によると、異常の種類や状態により新生児の障害の程度は異なる。平原教授は「どれぐらい深刻なのか、医師の説明が不十分で妊婦もちゃんと理解しないまま、中絶したケースが少なくないとみられる」と指摘している。

 なんだか色々と注意が必要な記事を見つけました。他紙でも概ね似たような見出しを掲げているところが多く、その伝えるところに依ると人工妊娠中絶件数が20年で6倍になったのだとか。 ……あれ? どこかで妊娠中絶件数が過去最低を記録したなんてニュースも見た記憶がある、というかそれについてエントリを書いた記憶もあるのですが、本当に20年で6倍なのでしょうか。気になったので、厚労省の統計を調べてみました。それによると2009年度は221,980人です。20年前に1989年の場合は466,876人でした。なぜこれが6倍? 6割減の間違いじゃなくて?

 もしかして、調査結果をまとめた日本産婦人科医会とはECRRみたいに公的機関が出している統計と全く矛盾する独自データを出しては自分たちこそが真実を語っているのだと主張して回るようなヤバイ団体なのではないかとか、マトモに論文を出したこともなく学会では相手にされない異端というより窓際の研究者が発表したデータなのではないかとか、まぁ色々な可能性が頭をよぎりました。ともあれ公のデータと明らかに異なる数値が掲げられているわけです。こうした従来の見解とは異なる「新事実」を掲載する以上、メディアには従来の統計から得られた数値を併記するとか、なぜ今までの認識とは大幅に異なる数値が出てきたのか、その辺をも説明する責任があるように思います。


出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増(読売新聞)

 胎児の染色体異常などを調べる「出生前診断」で、2009年までの10年間、胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケースが前の10年間に比べ倍増していることが、日本産婦人科医会の調査でわかった。

 妊婦健診の際に行われるエコー(超音波)検査で近年、中絶が可能な妊娠初期でも異常がわかるためとみられる。技術の進歩で妊婦が重大な選択を迫られている実態が浮き彫りになった。

 調査によると、染色体異常の一つであるダウン症や、胎児のおなかや胸に水がたまる胎児水腫などを理由に中絶したと推定されるのは、2000~09年に1万1706件。1990~99年(5381件)と比べると2・2倍に増えた。

 調査は横浜市大国際先天異常モニタリングセンター(センター長=平原史樹・同大教授)がまとめた。

 全国約330の 分娩 (ぶんべん) 施設が対象で、毎年100万件を超える全出産数の1割をカバーする。回答率は年によって25~40%程度だが、調査では回答率が100%だったとして「中絶数」を補正した。

 人工妊娠中絶について定めた母体保護法は、中絶が可能な条件に「胎児の異常」は認めていない。だが「母体の健康を害する恐れがある」との中絶を認める条件に当たると拡大解釈されているのが実情だ。平原教授は「ダウン症など染色体異常の増加は妊婦の高年齢化も一因だ」と話す。

 調査結果は22日から都内で開かれる日本先天異常学会学術集会で発表される。

 玉井邦夫・日本ダウン症協会理事長の話「個々の選択がどうだったかわからないが、エコー検査が、ダウン症児は生まれてこない方が良いという判断を助長していると考えられる」

 さて、こちらは同じ調査を元にしているであろう読売新聞の報道です。全体としての人工妊娠中絶件数が一貫して減少を続けている中で、何が増加しているのかというと「胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」が該当するようです。おそらく共同通信他が報じる「20年で6倍」という数値も同様のものと推測されます。単純に妊娠中絶そのものが急増しているのか、それとも中絶件数が減る中で「胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」が倍増しているのか、両者の意味するところは大きく異なるはずですが、共同通信は肝心な部分を調べずに記事を表に出しているのでしょう。公式ツィッターの件といい、チェックの甘い報道機関もあったものです。

 共同の記事は大いにミスリーディングを誘うものですが、「どれぐらい深刻なのか、医師の説明が不十分で妊婦もちゃんと理解しないまま、中絶したケースが少なくないとみられる」との指摘は重要です。この辺は放射「能」問題でも同様ですが、どれぐらい深刻なのか理解しないまま拙速な判断を下してしまった人も多いのではないでしょうか。説明する側の力不足もありますし、妊婦なり母親なりの不安を外部から焚きつける人もいるのかも知れません。ただ最終的な判断が本人に委ねられるにせよ、それは適切な知見に基づいて行われるべきですよね。

 加えて日本ダウン症協会の理事長は「個々の選択がどうだったかわからないが、エコー検査が、ダウン症児は生まれてこない方が良いという判断を助長していると考えられる」と述べたと伝えられています。アメリカですと妊娠中絶の問題は(女性の)選択する権利を重んじるか宗教的価値観を重視するかで分かれるようですけれど、日本の場合は優生思想の観点から割と中絶には寛容でもありました。やがて優生保護法は母体保護法と名前を変え中絶件数は減少を続けてきたわけですが、その根底にある発想は絶えてはおらず、それが再燃しようとしているところもあるのかも知れません。

 原発事故後の電力不足の中で、とかく「今までが便利すぎた/明るすぎたのだ」「我慢すればいい」みたいなことが左右双方から頻繁に語られるようになりました。しかるに、こうした言葉が常に健常者の目線で発せられていることには注意が払われてしかるべきでしょう。加えて「奇形児が増える」みたいなことを言い出す人もいるわけです。広島と長崎の妊娠例を調査した限り、重い先天性の障害が出る確率は他地域の妊娠例と変わらなかったようですが、それでも「奇形児が増える」とまことしやかに語って憚らない人がいます。放射線の影響とは無関係に障害を持って生まれてくる子供はいるものですけれど、その辺が「放射能のせいだ」と後付けで解釈されることも今後は出てくると考えられます。

 随所で勝手に盛り上がっている反原発デモでも、やれ奇形児が増える、奇形が産まれると主張し、挙げ句の果てには「奇形児」のコスプレを呼びかけた人もいたそうですが(これは流石に顰蹙を買ったとのこと)、これこそ障害を持って生まれた人への明確な差別であり、紛れもない優性思想の発露でもあります。こういう傾向は福島の事故に限らず反原発論にはつきまとうもので、チェルノブイリで事故があった際にも頻繁に見られたようですが、それが今も尚繰り返されていると言えるのではないでしょうか。原発事故の影響で障害児が増えると宣う人が群れをなし、それを真に受ける人も増えるばかりだとすれば、これから優生思想を「実践」する人もまた増加していくことが懸念されます。ダウン症児は生まれてこない方が良い、障害者は産まれてこない方が良い、と……

 

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新聞は、みな同じではないようです

2011-07-25 23:12:33 | ニュース

47NEWS公式ツイッター炎上「原発廃止唱えない人間おかしいニャ」(産経新聞)

 ■「死刑は世界に誇る極刑」

 共同通信社と加盟する地方紙などが立ち上げたインターネットサイト「47NEWS」の運営スタッフが、編集部の公式ツイッターで「ストレステストについてガタガタ文句たれる奴は日本放射線汚染化推奨派認定にゃ」などと不適切な書き込みを行い、ネット上で批判が集中、22日に閉鎖したことが分かった。47NEWSを運営する「全国新聞ネット」によると、ツイッターは同サイトの公式マスコット「てくにゃん」がニュースを紹介するとの設定で6月25日に開設。「子どもの尿からセシウム」の記事では「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい認定ニャ」、市橋達也被告の公判記事では「やはり死刑は世界に誇れる極刑ニャーッ」などと書き込んだ。

 同社の今井克社長は「契約スタッフが個人的見解を書き込んだ。管理が行き届かなかった」と釈明。スタッフを厳重注意したという。

 さて共同通信他の編集部公式ツィッターで色々と問題発言があって、結局は閉鎖となったそうです。既に閉鎖済ではありますが、その内容は何だったのでしょうか。「ストレステストについてガタガタ文句たれる奴は日本放射線汚染化推奨派認定にゃ」等々と記事では伝えられていますけれど、まぁ色々とツッコミどころはありますかね。そもそもストレステストについて文句を言われているのではなく場当たり的な対応で現場を振り回し西日本にまで電力不足を広げている辺りが問題視されているのではないかとか、これでストレステスト「合格」となった日には今度は別の人がガタガタ文句垂れるんじゃないのかとか……

 他には「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい認定ニャ」「やはり死刑は世界に誇れる極刑ニャーッ」などとも宣ったと伝えられています。これだけ見ると、むしろ昨今の(脱原発にあらざれば人にあらず的な)ネット世論を戯画化した皮肉にも見えてきますが、何ら疑問に思うでもなく共感してしまう人も少なくないのでしょうか。まぁ、最終的には不適切な書き込みとして閉鎖に至ったと言うことで最低限の「歯止め」は失われていないものと思いたいです。


47NEWSのツイッター炎上、閉鎖(朝日新聞)

 共同通信社と加盟地方紙が運営するウェブサイト「47NEWS」編集担当の契約スタッフが、ツイッターの公式アカウントで「無期懲役とは事実上の無罪放免」などと書き込み、ネット上で批判が相次いだ。公式アカウントは22日夜に閉鎖された。

 このアカウントは47NEWSの公式マスコット「てくにゃん」がニュースを紹介する形で、6月25日に開設されていた。

 共同通信を含めた大手各紙がこの問題を報じる中、web公開分で見る限り最も扱いが小さかったのは朝日新聞のようです。朝日の記事は割と長めに枠を採ってあるイメージですが、今回の問題は朝日新聞的には重要度が低いのかも知れません。そして扱いの大きさもさることながら、不適切な書き込みとして例示したものが全く異なっている点も興味深いところです。新聞は、みな同じではありませんということですね。挙げられているのは「無期懲役とは事実上の無罪放免」との書き込みですけれど、他の「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい」みたいな発言は朝日新聞的にはどうなのでしょう?

 「無期懲役とは事実上の無罪放免」というのは謂わばネット上の都市伝説のようなもので、実際のところ無期懲役から釈放されるまでには30年以上を要する場合が大半で実質的に終身刑と化しているわけでもあります。その辺の実態すら理解できていない人が契約スタッフという中途半端な立場でありながらも大手通信社の編集に携わっているという辺り、例によってコミュニケーション能力最優先で採用されたのだろうなとか色々思わせられるところがないでもありません。まぁ、世間の偏見や思い込みからかけ離れた記事を連発しては、「お客様」から嫌われてしまいますからね。むしろネット上の言論を鵜呑みにしている人ぐらいの方が客を呼べる記者としての資質があるのかも知れません。

 ちょっと大きな会社、名の知れた会社であればどこも情報セキュリティ云々と煩くて、ネットの閲覧はともかくネットへの書き込みは厳に禁止されているところが多い(会社のアドレスからの書き込みとわかれば、個人の書き込みでも会社の見解として扱われますから)印象がありましたけれど、共同通信は随分と緩いのでしょうか。ましてやマスコミの端くれである以上、校正を経ない記事を外部に出すなんて普通は考えられない気がするのですが、そんなことはなかったようです。

 そう言えば産経新聞でも公式ツィッターで「産経新聞が初めて下野なう」と、下野=栃木県への溢れる思いを吐露しつつ「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。」などと意味不明の供述を続けて話題となり、後に軽率な発言だったと謝罪するなんてことがありました(真面目に言えば、与党に厳しくあろうとする態度は正しいです。それまで与党気分だったことの方が問題)。あの辺もやはり、個人が独断でやったことだったのでしょうか。報道機関でありながら、誰でも勝手なことを公式に発信できる状態になっているというのは脇が甘いどころの話ではありませんよね。まぁ、やはり流行には乗っておけということで、古くからある掲示板なんかへの書き込みは禁じる一方で、ツィッターみたいに流行の兆しがあるものなら社員に積極的な利用を促すみたいな、そういう調子の良さもあるのでしょう。

 

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ロック魂の欠片もない

2011-07-23 23:29:16 | ニュース

制服向上委員会がフジロック出演取りやめ、脱原発ソングが原因とブログで明かす(RBB TODAY)

 フジロックフェスティバル(7月29~31日)に出演予定だったアイドルグループの制服向上委員会だが、その出演が急遽取りやめになったことが明らかになった。彼女たちの出す脱原発ソングにクレームが入ったとしている。

  制服向上委員会のブログによれば、出演とりやめの理由は「フジロックのスポンサーのひとつである大手企業の反対により、『ステージ上で脱原発の歌は歌えない』との事で、出演出来なくなってしまいました」としている。
 
 同グループは「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を8月15日にリリースすることが決定しており、オンライン先行予約も開始している。フジロック出演取り止めを受け、7月30日には「世界から原発なくそうコンサート」に出演決定、翌31日には原発反対パレードに参加の予定だという。
 
 この件に関してはTwitterのトレンドにも入るなど、話題が拡散中。圧力説の真偽から反対した企業を明らかにせよなど関心も高く、今後も波紋を呼びそうだ。
 


ファンは怒り爆発!フジロックの精神と矛盾!? 結局は話題作りか?制服向上委員会が謝罪文(シネマトゥデイ)

 脱原発ソングにクレームが入ったことにより、7月29日から31日に行われるフジロックフェスティバルの出演がとりやめになったことを明かし、騒動となっていたアイドルグループの制服向上委員会が、22日、公式ブログで謝罪文を掲載した。

「フジロック関係者並びに支持される多くの方へ」と題されて掲載された謝罪文には、「制服向上委員会」の“フジロック飛入り出演”から“出演中止”発表の経緯にふれ、「関係者へのご迷惑とファンの方へ不快感を与えた事について、深くお詫び申し上げます」と関係者やファンへの謝罪が綴られた。また、「出演に際しご尽力頂いた関係者へは感謝すると共に、意思の疎通を図り、いつの日か実現される事を期待しております」と掲載された文中には、「スポンサーからのクレームにより出演取りやめ」というコメントへの言及は避けられていた。

 事の発端は、20日にアップされた「フジロックのスポンサーのひとつである大手企業の反対により、ステージ場で脱原発の歌は歌えない」とのことで出演できなくなってしまいました」という制服向上委員会のブログ。一方、フジロックフェスティバルは、80年代から継承される反核・脱原発イベント「アトミック・カフェ」に、NGOヴィレッジ・AVALONステージを提供。脱原発・自然エネルギーシフトを訴える映画『ミツバチの羽音と地球の回転』の鎌仲ひとみ監督をトークゲストに招くなど、反核・脱原発に賛同したイベントを企画するなど、原発問題と真摯に向き合う姿勢をみせてきた。制服向上委員会が出演できなくなってしまったというステージには、反原発ソングで話題を呼んだ斉藤和義も参加が決定しているなど、制服向上委員会側の言い分にはあまりに矛盾点が多く、真偽を疑う声がネット上で広がっていた。

 フジロックフェスティバルは、音楽を愛するたくさんのファンに支えられ、成り立ってきた人気野外イベント。「スポンサーによる圧力は、本当にあったのか?」事実関係に関する核心にふれず、お茶を濁すような謝罪文に、フジロックのファンからは怒りの声が上がっている。

 なにやら引用が長くなってしまいましたが、要するに制服向上委員会(以下、制向委)なるアイドルグループが「脱原発の歌はダメだとスポンサーの圧力で出演が取りやめになった」と自称したわけです。山本太郎の二番煎じみたいな胡散臭さを感じるところですが、引用元でも触れられているように原発事故以前から脱原発色が強い催しであり、反原発を叫ぶ人の出演も決定しているなど、歌詞が脱原発だからという理由で出演を阻まれる可能性は非常に考えにくく、当初から疑いの目を向ける人も少なからずいたようです。そして約48時間後には、どうにも茶を濁すかのような「謝罪文」が掲載されることとなりました。

参考、制服向上委員会の「フジロック狂言」始末 - 絵文録ことのは

 制向委の主張の疑わしさに関しては上記リンク先が詳しく当ブログで新たに付け加えることは多くありませんので、ここではなぜ制向委が今回のような狂言に走ったかを考えてみたいと思います。一つには、飛躍的にメディアへの登場機会を増やした山本太郎の「成功」を目の当たりにしてのことなのかも知れません。反原発は票になると多くの政党や政治家が判断し、現役の首相も脱原発を口にする時代でもあります、反原発を掲げる芸能人が続々と現れる中、アイドルとしてファン層を広げるにはこの流行に乗り遅れるわけにはいかない、そう事務所サイドが判断したとしても不思議に思うところは何もないでしょう。ただ人気商売の人々が挙って脱原発を語る中で、単に脱原発を歌詞に織り込むだけでは埋没してしまうわけです。脱原発が理由で干されたみたいな、並み居るライバルに差を付けるための+αとなるべきエピソードも必要だというのが事務所側の思惑であったろうと推測されます。

 ただマネージャーと思い込みの激しい芸人1人の間であれば秘密の企ても露見することはないのかも知れませんが、九州電力よろしく規模が大きくなるほど、どこかしら話は外に漏れていくものです。それなりに入れ替わりもある制向委のメンバーや事務所の下っ端の口を完全に塞いでおくのは難しいでしょう。真相を闇の中に放り込んでおける自信がなくなった途端に、どこぞやの週刊誌にすっぱ抜かれるのに先んじて「謝罪文」を掲載して事態の収束を計ったというのが実態なのではないかという気がします。ともあれ何かに迫害されたとアピールすることで逆に支持を集めようとする手法は、まぁカルトそのままですね。学会からは相手にされない市民団体や助教の類が、権威筋に認められないことを逆手にとって「我こそは真実なり」とでも言わんばかりの振る舞いを続けていますけれど、そういう売り込みにこそ注意が必要でしょう。

 アメリカのロックスター、マリリン・マンソンは聖書を破り捨ててみせるなどのパフォーマンスでも知られていますが、それが価値を持つのはアメリカが先進国中では異例のキリスト教原理主義が闊歩する国でもあるからです。その国、その時代に優勢であるものに対して挑戦的に振る舞うからこそパフォーマンスとして評価に値するわけで、例えばイランでコーランを破り捨てるのと9.11直後のアメリカ国内でコーランを破り捨てるのとでは全く意味が違います。ですから原発事故以前に脱原発ソングというのなら理解できないところもないのですが、今となってはどれほどのものでしょうか。脱原発と現役の首相や人気抜群の某府知事、芸能界の大先輩達の語ることに追従したところで、せいぜい「いいこぶりっこ」の域を出ないとすら言えます。

 せっかくですから節電ムードで明かりの消えた街を唄ってみるとか、いつも健常者目線で語られる「過剰な明るさ」や「今までが便利すぎたのだ」云々を障害者目線で唄ってみるとかすれば、今どき奇特な骨のあるアーティストと評価したいところですが、人気商売の人たちに期待するのはなかなか難しそうです。せめて流行を追いかけるにしても、金メダルを噛み砕いてみせるとかすればロック魂の一つもアピールできそうなものなのですけれど、それをやらないからこそのアイドルなのでしょうね。まぁ、今回の件は早くに露見して良かったと思います。とかくアメリカなり官僚なり、あるいは日教組だったり電力会社だったり、何かが裏で支配しているとばかりの陰謀論的世界観が幅を利かせ、原発事故後にはすっかり批判精神が鈍磨したかに見える我々の社会ですけれど、流石にこんな見え見えの狂言が信じられるようなことがなかったことは明るい材料と考えたいです。

 

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本当に日本は経済成長を追ってきたのだろうか?

2011-07-21 23:19:25 | 編集雑記

 元より日本は経済成長を追い求めてきたと否定的な文脈で語られることが多かったわけですが、原発事故後はその傾向に拍車が掛かったようにも思います。経済効率優先の在り方が原発事故を招いたのだ云々と、この辺は強弁が過ぎるように感じるところですけれど、取りあえず日本は経済的な豊かさを追求してきたのだと、そう信じ込んでいる人は少なくありません。しかし、その割りには「結果」が伴っていないような気がするのは私だけでしょうか。本当に経済成長を追い求めているのなら、この20年は何だったのかと疑問の一つも出てきます。

 往々にして自説の押し売りに熱心な人ほど、自らが俎上に載せている対象が曖昧なままになっているケースがあるようにも思うわけです。例えば農家を保護したいのか農業を保護したいのか、TPP参加問題でもその辺の区別は全く意識されていなかったりします。経済成長にしても然り、果たして経済成長とは何なのでしょうか。その辺を考えずに、ただ漠然と経済成長を追い求めてきたのは誤りだったと得意気に語られても、こちらは肩をすくめるほかありません。文明なり経済的な豊かさなりを否定しておけば格好は付くのでしょうけれど、そんなものは流行りに迎合しているだけのことでしかないですから。

 そこで考えてほしいのですが、下記の2パターンの内、どちらに経済的な豊かさを感じますか?

A.収入は30万円、支出も30万円で特に貯金はない生活
B.収入は20万円、支出は15万円で毎月5万円貯金できる生活

 毎月30万円を使える生活と、毎月15万円しか使えないけれど5万円貯金できる生活、GDP的には前者の方が豊かなはずですが、感覚的に後者に豊かさ(もしかしたら「正しさ」)を感じる人が、とりわけ日本では多いのではないでしょうか。収入も支出も多い生活を目指すのが、それとも収入は少なくとも貯蓄の多い生活を嗜好するのか、この辺の「好み」が日本経済に与えてきた影響は思われているよりずっと大きいような気がします。

A社の売上は500万円、支出も500万円で利益は0
B社の売上は400万円、支出は350万円で利益は50万円

 では、この場合だったらどうでしょう、どちらが優良企業でしょうか。

翌年のA社の売上は1000万円、支出は1020万円で20万円の赤字
翌年のB社の売上は500万円、支出は450万円で50万円の黒字

さらに翌年のA社の売上は1800万円、支出は1800万円で利益0
さらに翌年のB社の売上は500万円、支出は400万円で100万円の黒字

3年後のA社の売上は3000万円で支出は3050万円、赤字が50万円
3年後のB社の売上は600万円で支出は480万円、黒字が120万円

 経営規模の大きい会社と、確実に利益を出している会社、経営規模の拡大に成功している会社と、利益の確保に成功している会社、あくまで例として極端に簡素化したモデルですけれど、日本で優良企業と呼ばれるのは果たしてどちらでしょうか。どちらを推すにしても言い分はあると思いますが、この20年の日本経済の「結果」から類推するに、どうにもバランスを欠いた選択が行われていると言わざるを得ません。

 経済成長を目指すと言いつつ、実は追い求められているのはバラバラです。お金のフローを大きくすることを目指すのか、それともお金が多く「貯まる」ことを目指すのか、あるいは「企業の利益を最大化する」ことを目標とするのか、それとも「給料がたくさんもらえる」ことを目標にするのか、この尺度をどう採るかで日本が本当に経済成長を追い求めてきたと言えるのかどうかを判断する目も変わってくることでしょう。

 リーマンショックに端を発した金融不安によって、製造業至上主義の国である日本は金融依存と呼ばれた国よりも深刻な経済停滞に陥ったわけですが、それ以前には紛れもなく戦後最長の景気回復が続いていました。ただこの「戦後最長の景気回復」はどう評価すべきでしょうか。単に輸出相手国の好景気の「おこぼれ」をもらっただけの景気回復でもあり、日本側からの自発的な要因に乏しく、経済成長のスピードは日本「以外」の国に比べると亀の歩みのようなものでもありましたし、何より給与所得は一貫して下がり続けました。

 一方で企業収益はバブル期を大きく上回る水準へと回復し、内部留保も非金融法人の現金預金残高も空前の水準へと上昇したわけです。「拡大せずとも貯金(利益)が増えればよい」「企業の利益が増えればよい」という観点に立てば、確かに日本は経済成長を追ってきたと言えるのかも知れません。一方で「(経営や家計の)規模が拡大すべき」「所得の増大が肝要」、もしくは「貯蓄とフローの双方が増えるべき」「企業利益と給与所得の双方が増えるべき」との観点に立つならば、日本は20年近く経済成長から頑なに背を向けてきたと断言するほかありません。ただ単に、労働者から企業への所得移転を進めてきただけの話です。果たして本当に、日本は経済的な豊かさを追い求めてきたのでしょうか?

 

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Smoke on the Government

2011-07-19 23:12:52 | ニュース

日本はなかなか禁煙できず 放射線対策をしながらJT株を保有する政府(フィナンシャル・タイムズ)

福島第一原発の事故による放射線の危険から市民を守ろうと苦労している日本において、政府が、発がん性のあるたばこで収益を増やそうとしているのは、一見すると奇妙に思えるかもしれない。

しかしこれは実は、それほど荒唐無稽な話ではない。日本たばこ産業(JT)はフィリップス・モリス・インターナショナルとブリティッシュ・アメリカン・タバコに続いて売り上げ世界3位の上場たばこ会社だが、日本の財務省はJT株の50%超を保有しているので、すでにけっこうな利益を上げているのだ。

昨年度だけでJTは配当金300億円以上を財務省に支払っている。これは主に国内の喫煙者にたばこ1350億本を売った利益によるものだ。たばこのかぐわしい香りは、がん発生のリスク上昇という代償とセットなのだが。

(中略)

そしてその結果、日本政府に倫理的な矛盾が生じ、組織として目指すものが衝突する状態が生まれてしまったのだ。政府は、福島第一原発から漏出する発がん性のある放射線による被ばくリスクを最小限に留めようと、巨額の費用を使っている。その同じ政府が一方では、同じ国民に「発がんスティック」を売りつけた利益でもうけているのだから。

さらに、たばこそのものに放射性鉛や放射性ポロニウムといった放射性物質が含まれているし、米環境保護庁はこうした放射性物質が「喫煙者の肺に非常に高い濃度で蓄積することもある」と指摘しているのは、実に皮肉なことだ。

(中略)

政府がJT株を保有する根拠のひとつに、日本国内で生産されるたばこ葉をJTが全て買い取らなくてはならないという取り決めがある。これはかつてたばこ農家が市場開放に反対した名残だ。しかし日本国内に残るたばこ農家は1万戸しかないし、そんなに小さな利益集団に平伏していたのでは、是非とも必要な農業改革の妨げとなる。

 癌のリスクを基準にすると、常習的な喫煙は年間2000ミリシーベルトの被曝量に相当するそうです(受動喫煙の場合は100ミリシーベルト相当、ちなみに話題の「汚染牛」を毎日200g欠かさず食べ続けた場合の被曝量は約4ミリシーベルトです)。4月には福島で煙草の作付けが見合わせられることになったと聞いたものですが、煙草が元から抱えている癌リスクを考えれば意味はあるのか、「安全で健康に影響のない煙草」でも目指しているのかと苦笑したことを思い出します。癌リスクが年間2000ミリシーベルトから2100ミリシーベルト相当に変わっても大した差にはならない、それ以前に健康を気にするなら煙草を止めたらと言う話になるわけです。まさか煙草に起因する癌は良い癌、放射「能」に由来する(と、本人が信じている)癌は悪い癌だということもないでしょうに。まぁ、蒟蒻ゼリーは規制されてもモチは規制されないもの、危険の度合いよりも普及の度合いの方が世間では重視されるもののようです。

 そう言えば福島第一原発の作業現場で、防護マスクを外して煙草を吸っていた作業員の存在が話題になりました。例によって大元の管理責任者たる東京電力に非難が殺到したのはさておき、他人に煙草を吸わせないようにするのは本当に大変ですよね。私の勤務先でも「協力会社」として作業員を工事発注元(残念ながら東京電力ではありません)に送り込んだりするのですが、禁煙区域なのに作業員が隠れて煙草を吸っていたと工事発注元からクレームと是正勧告が飛んでくることは頻繁にあります。仕事を終えて家に帰るまで我慢したらどうかと思わないでもないのですが、非喫煙者には理解の出来ない世界があるのでしょう。何を言っても煙草を吸う人は吸うのだと諦めるほかありません。大麻の中毒性は煙草以下なんて話もありますけれど、むしろ煙草の中毒性は大麻以上、と逆の視点から考えた方がいいような気がしてきます。


タスポ利用中高生、大幅増 喫煙防止効果薄れる(朝日新聞)

 たばこ自動販売機の成人識別カード「タスポ(taspo)」が未成年者の喫煙を防ぐ効果が薄れているらしいことが、厚生労働省研究班(代表者=大井田隆・日本大学教授)の調査でわかった。たばこを毎日吸っている中高生の使用経験が6割を超え、2年前の4割より増加していた。

 昨年10月~今年2月、全国の中高生約10万人から回答があった研究班のアンケートによると、毎日たばこを吸っているという1612人の63%が「タスポを使ったことがある」と答えた。2008年調査では42%で、大きく増えていた。

 月に1日でも吸ったことがあるという3852人でみても、今回は46%と、前回の29%より増加した。


たばこ値上げの意外な効用…中高生の2割やめた(読売新聞)

 中高生の喫煙経験者のうち、昨年10月1日のたばこ値上げ以降に禁煙した生徒は約2割に上ることが、厚生労働省の研究班(代表者=大井田隆・日本大学教授)の全国調査でわかった。

 調査は昨年10月から今年3月にかけて、全国244校の中学、高校を無作為に選んで実施。170校約9万9000人から回答を得た。

 その結果、2854人が値上げ後も喫煙を続ける一方、656人が禁煙したと回答した。禁煙した生徒の約4割がその理由として、「お金の節約・たばこの値段が高い」と答えた。

 また、毎日喫煙する生徒の63%、月1回喫煙する生徒の46%が、未成年の喫煙防止を目的として2008年に導入されたカード「タスポ」を使って、たばこを購入していることも判明した。大井田教授は「自動販売機の撤去とさらなる値上げが、中高生の喫煙防止に効果的だ」と話している。

 さて、同じ調査を元にしているにも関わらず、朝日と読売で随分と印象の異なる報道がなされています。どっちも嘘は吐いていないのでしょうけれど、ピックアップする部分が違うのですね。両方の記事を並べて読めば全貌をつかむのに丁度良いのかも知れません。ただし、読売の本文ではなく見出しの方には流石に首を傾げるところで、「たばこ値上げの意外な効用…中高生の2割やめた」とありますが、私なんかは「値上げにも関わらず喫煙を続ける中高生が8割」と読めてしまいます。取りあえず理解できるのは、成人識別カード(タスポ)を導入すれば未成年が煙草を買えなくなるかと言えばさに非ず、タスポを使って煙草を買う中高生が大幅に増えていること、そして2854人が値上げ後も喫煙を続けると回答したのに対し、禁煙したと回答したのは656人に止まるということです。

 やはり正直に喫煙を申告した中高生は少ないのか、9万9000人から回答を得たにも関わらず、「月に1日でも吸ったことがあるという3852人」とか、「2854人が値上げ後も喫煙を続ける」「656人が禁煙」等々、喫煙者として回答した生徒の数は全体の5%にも満たず、相当な暗数が存在するであろうことが考えられます。実は煙草を吸っているけれど、調査には「吸っていない」と回答した人が何万人もいることでしょう。ただ、その辺を差し引いても窺われるのは、中高生の少ない小遣いの中でも喫煙を続けようとする中毒度合いの高さでもあります。

 なお読売の報道によると2854人が値上げ後も喫煙を続け、656人が禁煙、うち4割が理由として「お金の節約・たばこの値段が高い」と回答していることになります。項目的に果たして値上がりの効果なのか、値上がりがなくとも別の理由でお金の節約が必要になっただけではないか、と訝しく思えるところがないでもありません。それに656人の4割に当たる262人を、2854+656の3510人で割り算すると、僅かに7%にしかならないわけで、値上がりを理由に煙草を止める中高生というのは、2割どころかほとんどいないとすら考えられます。たばこ税の引き上げが企図されると決まって「煙草が値上がりすると喫煙する人が減るので税収増には結びつかない」と主張する人が少なくありませんけれど、結局のところ値段が上がったくらいで煙草は止められないもののようです。

 まぁ個人の嗜好にはとやかく干渉するつもりもありませんので他人が煙草を吸うのは勝手ですが、人前で煙を吐き出すのは止めろよと感じるところもあります。煙は全部、吸いこんでこそマナーでしょうね。それから火の点いた方を他人に向けるのもマナーが良くないので止めた方がいいでしょう。ともあれ、たばこ税は引き上げれば引き上げた分だけ税収増が見込めるであろう美味しい税でもありますが、フィナンシャルタイムズに皮肉を言われているように政府がそれで儲けてしまうのはどうなのかとか、どうあっても煙草を止められない人々から金を取るのは、ある意味で依存症のジャンキーにクスリを売りつけて儲けるのに似ているのではないかという気がしないでもありません。本人の嗜好の範囲を超えて、そろそろ治療が必要な頃合いなのではないかと思えてくるところです。

 

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自給自足の発想から脱却することも考えてみよう

2011-07-17 23:15:59 | 編集雑記

 さて、福島で原発事故が起こって以来、左派と右派の境目がなくなっているように感じられます(特にネット世論上では)。左派は右派の「考え方」を、右派は左派の原発に対する評価をそれぞれ身につけたと言えるでしょうか。もっとも原発事故以前にも左右の主張が似通い始めたところはあったように思います。その一つがTPPを巡るもので、例によって元からそういうものを嫌っていた左派がTPP反対を唱える中で右派のロジックに擦り寄り、一方で民主党政権下で起こったことであるが故に右派もまたTPP参加方針に反発する人が少なくなかったり等々。震災後のゴタゴタで下火になりつつあるTPP論議でもありますが、それが盛んに議論の訴状に挙げられていた頃、気になったのはTPP参加の是非よりも、TPPに反対するバックボーンとして外国を潜在的な脅威と見なす感覚、外国を自国に対する侵略者と見なす感覚が左派の間にも少なからず浸透していることでした。門戸を開けば日本の市場が攻略される、農業が破壊されると、端的に言えばそういった世界観に沿って「防衛」を訴える声が強かったわけです。

 元より農業とりわけ「食」の分野では、左派と目されている人でも実は結構なナショナリストだったりします。日本人は○○人より優れている、みたいな考え方は鼻で笑うような人でも、「日本食は欧米の食よりも優れている」みたいな排他的優越意識を何の疑問もなく受け入れている人は少なくありません。そんなわけで、密接に「食」に関わる農業分野への影響が大きいと予測されたTPP参加問題は、左右の主張を似通わせる(左派を右派に擦り寄らせる)には格好のネタだったように思います。

 日本の自給率の低さが盛んに喧伝されるようになって久しいですが、その低さの秘密は「カロリーベースで算出する」という独自の基準によるところが大きいですし、「飼料も自給率計算の母数に含める」ために、なおさら低い数値となって現れてしまいます。つまり輸入飼料で育った畜産物は国産としては扱われないわけで、日本で育てられた牛や豚でも自給率を計算する上では非国産です。そして畜産飼料の大半は輸入によって賄われているため、それを食べる家畜の肉も輸入品となる、だから日本の自給率は低くなります。幸か不幸か、飼料を輸入に頼っているが故に原発事故が起こっても畜産への影響は意外に低いのではないかと予測されたものですが、しかるに管理の不適切な飼料が与えられたことでセシウム基準値超えの肉が出荷されるケースが続いたのは、何とも巡り合わせの悪い話です。

 何はともあれ自給率は上げなければならないもの、自給自足とか地産地消といった概念は「とにかく良いもの」として無批判に受け入れられがちです。とにかく自給自足を、あるいは地産地消を進めていかねばならないのだと、そう信じ込まれているフシがあります。昨今ではこの自給自足の範疇に食料だけではなくエネルギーも加えられつつあるようですが、でも実態はどうなのでしょうか。例えば農業大国であるはずのアメリカやフランスは、農業輸出大国であると同時に輸入大国でもあります。何もかも自国で賄っているわけではありません。エネルギーに関しても、変に理想化されがちなドイツを見てみましょう。発作的な原発停止で4月には純輸入国となった一方、まだ原発を稼働させていた頃には電力の「輸出」が「輸入」を上回った時期もあり、これを根拠に「ドイツはフランスの原発に依存などしていない」と言い張る人がいて失笑せざるを得ないのですけれど、要は売れるときもあれば買わなければならないときもあるわけです。本当に自給自足というのなら、基本的にいつでも自国だけで賄える状態を目指さねばなりません。でもアメリカもフランスも原発を稼働させていた頃のドイツも、売った分が上回っただけで他国から買わずに済ますことが出来るのかと問われれば、その辺は甚だ微妙なところですよね。

 まぁ農業分野におけるフランスを、エネルギー政策におけるドイツを変に持ち上げている人に対しては「それは違うぞ」と言いたくなるところもありますが、私個人としては両国の在り方を悪いとは思っていません。別に、何でも自分1人で出来なくてもいい、足りないところは他人なり他国なりに助けてもらえばいいじゃないかと考えていますので。それぞれ自分の得意分野を活かして分業していけばいいのではないでしょうか。一方的に高く売りつける、もしくは安く買い叩くような関係は好ましくありませんけれど、適正な対価が支払われるフェアな関係である限り、特定の国が特定の役割を集中して担い、別の国はまた他の国の分まで自分の得意分野で貢献する、それでいいと思います。

 ただ頭の痛いのは、食料は輸出入できても電力はその限りではないということです。「『脱原発』は日本の話。韓国は地震の多い日本と明確に異なる」と孫正義が賞賛した韓国辺りの原発から電力を送ってもらうことができるのであれば、日本のエネルギー政策も随分と楽なものになるでしょう。しかるに日本の場合、外国からは元より東日本と西日本の間での電力融通すら非常に限定されたものでしかありません。東日本で消費する分は東日本で、西日本で消費する分は西日本で、それぞれ自給自足、地産地消するしかないのが日本の電力なのです。だからこそ供給が需要を上回るだけでは足りない、年間を通じて需要の多いときでも対応できる供給量を確保しなければなりません。需要が多いときに需要の少ない国から融通してもらうような真似は出来ない、地産地消であるが故に日本の電力事情は余力を大きく確保しなければならないところもあるのではないでしょうか。

 流行りの再生可能エネルギーの類でも、例えばヨーロッパ全域に電力網を張り巡らせることで、風力や太陽光の不安定な発電量を均一化しようという試みがあります。スペインで風が止まってもイタリアでは風が吹いていれば、あるいはデンマークで風が止んでもオランダで風が吹いていれば――と、特定の地域だけでは不安な風力発電でもヨーロッパ全域で見れば多少は何とかなりそうな部分もあるわけです。しかるに東日本、西日本というエリアに限定されざるを得ない日本はどうでしょうか。再生可能エネルギーに対応すべく「脱・地産地消」を進めたくもなりますが、それもなかなか難しそうです。

 ちょっと話が散漫になってしまいましたけれど、電力と違って輸出入が可能なものに関しては(そして今までの常識を覆すような大発明で日本でも電力が輸出入できるようになれば電力でも――ちょっとSF的な仮定ですが)、自給自足ではなく国家間でお互いに頼り合う、融通し合う関係を目指した方が良いのではないかと思うわけです(ハト派的にも、自国だけで何もかもやっていけると勘違いしている国同士が乱立するより、お互いがお互いの国を必要とする関係を築いた方が好ましいのではないか、と)。家庭の分業から国際的な分業に至るまで、総じて世論は分業よりも自分(自国)のことは自分で的な方向に傾きがちにも感じられますが、各自が自分(自国)の得意なところで貢献できればいいのではないでしょうか(上述したように、フェアな関係であるように留意は必要です)。自給しているように見える国でも実は収支がプラスになっているだけで、全てを自国で賄っているわけではありません。にも関わらず無理して自給自足を追い求めても、そんなものは自己満足でしかならないでしょう。他国を潜在的な脅威と見なし、外交関係の破談を前提とした安全保障論(「いずれ日本には売ってくれないようになる!」云々)に花を咲かせて自家発電に励むより、自国の得意なところをのばしつつ信頼関係の維持や協力体制の構築に力を入れた方が良いと思います。自国のニーズを抑え込むことで無理に自給自足を目指すよりも、他国のニーズに応えることで収支の改善を目指すなど、今の日本のやり方とは別の道もあるはずですから。

 

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煽りや脅しは、深刻な害をもたらします

2011-07-15 23:16:56 | ニュース

「過剰反応」の声の中、もっと遠くへ…何が親を動かしたのか(産経新聞)

  ところが、事故はなかなか収束しない。インターネット上とテレビで報じられる“情報の差”にも不信感が募った。

 例えば、都内で放射線量数値を公表している個人サイトでは3月15日以降、数値が急上昇。しかしテレビなどでは報じられず、「経済活動を停滞させないため、政府は『安全だ』と言わざるを得ないんだろう」と感じ、「自分の身は自分で守らなければ」と、自主避難を決めた。夫も「旅行気分で避難すれば」と賛同したことから行き先を検討し、友人が住む石垣市内に行くことにした。石垣島は原発から約2千キロ。安全と安心のため貯蓄を取り崩し、両親からも援助を受けた。

 「夫がいないのは寂しい。子供も父親がいないので精神的に安定していない。でも、子供の健康が大事。二重生活で月10万円から15万円ほどかかるが、1年は暮らすつもり」

(中略)

 石垣市では、民宿やゲストハウスのほか、「テントで生活をしている母子もいる」という話が広がった。このため、7月3日に市役所と住民が協力して被災者・避難者を支援するネットワーク「ちむぐくる」が誕生した。同市によると、把握できただけで6月末現在、東京、神奈川、千葉など首都圏から10世帯19人が自主避難。また、180人が参加した「ちむぐくる」の交流パーティーには首都圏から避難した親子30人が参加した。

 本人は大真面目なのでしょうけれど、こういう事例を聞かされると不謹慎は承知で失笑せざるを得ないところがあります。例えばあの地下鉄サリン事件が起こってからしばらくの間、オウム真理教は単に糾弾の対象であるだけではなく、日本中に笑いのネタを提供する存在でもありました。何かを盲目的に信じている人々の取る行動は、その信仰の「外」にいる人間にとっては少なからず滑稽なものなのでしょう。冒頭で挙げた例によると「都内で放射線量数値を公表している個人サイト」の情報を信じて、はるばる一家離散で沖縄まで飛んできた人がいるようです。私なんかは母親のヒステリーに振り回される子供のことを心配すべきではないかと思えるところすらありますが、飛行機に乗れば当然ながら被曝しますので、放射線はどんなに微量でも危険なのだという流行りの主張を鑑みて、ちゃんと移動には飛行機ではなく船を使ったかを心配した方が世間のウケは悪くないでしょうか。

 まぁ色々と不安を煽る人も多いだけに、謂わば福島在住者は世論やメディアによって絶えず脅しをかけられているようなものです。そこでパニックに陥る人が出てしまうのは、一概には責められないものなのかも知れません。でも、そうした煽り報道によって冒頭の記事で紹介されたような福島の母親が「騙された」というよりは、やはり主体的にヨタの方を「信じた」のだと言わざるを得ないところもあります。そもそも個人サイトなんて「そういう考えもあるか」ぐらいに見ておくべきものであって、間違っても真に受けるべきではないでしょう。「ネットで真実」よろしく専門家の説明ではなくネット上で流布される真偽不明の情報を探してきては鵜呑みにするのは、それこそカルトに嵌るのと大差ないように思います。で、周りの人が何を言っても聞く耳を持たなくなる、自分が選んだ情報を唯一無二の「真実」として信奉してしまうわけです。ネットや週刊誌の情報に踊らされるのも個人の趣味に止まる範囲なら勝手にしろとしか言えませんが、これに周りが巻き込まれるとなると困りますよね、例えば子供までもが付き合わされたりとか。

 さらに報道によると、石垣島には「東京、神奈川、千葉など首都圏から10世帯19人が自主避難」、「交流パーティーには首都圏から避難した親子30人が参加した」そうです。これが多いのか少ないのかは判断を保留しますが、首都圏から避難とは、まさしく「サバイバルごっこ」とでも呼ぶほかありません。どこぞやの「教祖様」に入れ知恵でもされたのでしょうか。本人は危機を本気で信じているのかも知れませんが、それはその人の頭の中の出来事でしかないわけです。北朝鮮の粗大ゴミ発射実験の際には日本各地で「防衛」のためミサイルが配備されたりして、それを見物しに人が殺到したなんてこともありましたけれど、これと似たような、ある種の高揚感が避難者を突き動かしているような気がします。本当は何も身に迫ってはいないのに自ら危機意識を膨らませ、嬉々に立ち向かう自分というシチュエーションで躁状態になっているのが実際のところではないかと。福島の人がパニックになるのは同情できますが、東京近辺の人にはねぇ……


放射能研究センター/放射能から子供を守る勉強会

~子どもたちの健やかな未来を創るために~

幼い子ほど、体に入った放射能で、ガンや白血病の進行は早まります。 チェルノブイリ周辺では、事故の5~10年後に、小児甲状腺ガンの発症が約100倍になりました。大人でも5倍以上です。
 
5月26日の「特ダネ」(フジテレビ)で「放射能から子どもたちを守れ!」の特集が組まれたように、多くの方が「何かおかしい」と気付いており、実際には東京も大量に汚染されています。
 
勉強会では、今回の原発事故に関する正確な知識を伝えます。 子供たちや仲間を守るために、チェルノブイリでも用いられた、体内に累積する『放射能』を除去できる、最新テクノロジーもご紹介します。 輝ける未来のためにも、ぜひ、この勉強会にご参加してみてください。 放射能の真実についてが、わかります。 次世代のことを真剣に考えている方、特にお子さんをお持ちの方は、必聴です!!
 
放射能の影響で起こる主要な症状

•鼻水が止まらない
 •だるい
 •吐き気
 •下痢
 • 胃の調子が悪い
 •鼻血が出る
 •頸筋や背中のあたりが重い
 •頭痛
 •おでき
 •今年から「花粉症」になった
 
日本に住んでいる全ての方に関係ある内容です。ぜひご来場ください。

 さて、こんな催しもあったようです。こういう文脈の中で持ち出された辺りを差し引いても流石に怪しいと感じる人が多いと思いたいですが、いかがなものでしょうか。だいたいにおいて放射線とか放射性物質ではなく放射「能」という言葉を持ち出している論者や団体は、ほぼ確実に非科学的なトンデモの類ですから相手にしない方が良いです。実際、この「放射能研究センター」がどういう団体かはリンク先に掲載されている連絡先の電話番号で検索してみれば明らかだったりするのですけれど、まぁ似たようなメッセージを発信している人は他にいくらでもいるのですから手に負えません。

 バーナム効果と呼ばれる代物があります。実は誰にでも該当する曖昧で漠然とした説明を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象ですね。典型的な例が血液型占いで、「あなたはこういう性格です」と、もっともらしいことを言われると何となく当たっているような気になってしまうわけです。これと似たトリックが「放射能」の影響を喧伝するのに使われているフシはないでしょうか。ちょっとした体の不調は誰にでも起こりうるものですし、今まで健康だった人でも被災地に近ければ震災によって相応のストレスを受けて体調を崩す人も多いはず、それは至って自然な変化なのですけれど、この手の変化を「放射能の影響です」と力説している人は少なくないように思います。

 「放射能に効く」と称して未認可薬を売りさばいては摘発される業者も散見される他、AERA辺りを筆頭としてみのもんたばりの民間療法を説くメディアも多々あるわけです。それが全くのプラセボであればまだしも、うがい薬を飲むような真似をすれば健康被害が心配されるところですし、高額な「放射能対策グッズ」購入のために大枚をはたいて家計に深刻なダメージを与えるような事態もあり得ます。家族が新興宗教に嵌って(高額な壺を購入するようになったり!)家庭崩壊みたいな話は時に耳にしますけれど、家族がネット(or週刊誌)で真実に目覚めて高額な放射能対策グッズを買い漁るようになったら、まぁ悲惨な話です。

 専門家よりも個人サイトや自称「ジャーナリスト」の類を信奉する傾向が高まると何が起こるでしょうか。自分あるいは子供が体調を崩したとき、適切に医師の診察を受けるようであればいいのですが、「きっと放射能のせいに違いない」「あの医者は本当のことを話していないに違いない」と信じて専門家ではなく自分で探した民間療法や代替医療の類に嵌り込むとなれば、事態は本当に深刻なものとなってしまいます。ある種の医療ネグレクトであり、紛れもない児童虐待の一種を、結果的に行っている親も出ているのではないかと危惧されるところです。

 政府/専門家/電力会社は真実を隠している云々と陰謀論が隆盛を極める時代ですけれど、その陰謀論的世界観に振り回される人々もまた少なくないとすれば、それは由々しき問題です。政府その他の情報公開や説明が100点満点とは言いませんが、だからといって不足分を勝手に妄想で乗り換えたような単なる煽り文句を信奉するようになれば、それは上で書いたようにカルトに嵌るのと一緒なのです。「自分の身は自分で守らなければ」とは勇ましいですけれど、単なる独りよがりになってしまっては元も子もありません。政府報道を鵜呑みにしないで自分で調べてみる姿勢は結構なことであるにせよ、一方で煽り報道や怪しげなネット情報の類を信じ込んでしまうようでは、やはり事態を悪化させるばかりです。まぁ被災地域の住人に冷静さを要求するより、安全なところから危機を煽っている連中に黙れと言うのが筋なのかも知れませんが、他人の口はふさげませんので……

 

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光は失われるばかりなのだろうか

2011-07-13 22:47:26 | ニュース

 たまに光っているものもありますが、自販機から明かりが落とされて久しい今日この頃です。昔から左派ですとパチンコの代わりに自販機とかコンビニの深夜営業なんかを叩く人が散見されたように記憶していますが、震災後の節電ムードの中、自販機は軒並み照明を落とさざるを得なくなっているようです。まぁ、真昼の屋外であれば必要はないでしょうし、屋内でも電力需要のピークとなる時間帯は節電に協力してくれないとまずいことにもなりますから、ある程度は理解できます。ただ、夕暮れ以降はどうなのでしょうか。電力需要のピークを過ぎた夜間にまで照明を落とす必要があるのか、別に灯火管制が敷かれているわけではないのですから、自販機が暗い夜道を照らしてくれたって良いはずです。そうならないのは電気代を節約したいのか、それとも節制ムードに棹さして世間の反感を買うのを恐れているのか、ともあれ夜道は暗いままです。

 あるいは以前にも触れましたが、私が給与振込先として使っている地元の銀行は、節電のためとして長らく店舗外のATMを全面停止していました。そしてATMが再開したかと思いきや、今度は「短縮営業」と称して「電力需要のピークと重なる時間帯」だけATMを稼働させるという、節電の面では全く意味がない愚行に走っていたものです。夜、私が地元に帰ってくる頃にはATMは閉まっています。電力需要のピークが終わるのに合わせてATMも閉めてしまう、それが節電のためと言うのですから馬鹿げた話です。でも世間的にはそういうものなのかも知れません。夜間の稼働の方が何となく「ムダっぽい」イメージがあって、夜間の稼働を止めることで「節電に協力している」かのごときイメージを作っている、そう言うところも少なくないでしょう。


節電で照明消え…パンク修理中はねられ3人死傷(読売新聞)

 8日午前2時30分頃、東京都江戸川区西一之江の首都高速7号下り線で、乗用車から降りてパンクの修理をしていた千葉県市原市五井東、会社員佐藤富士夫さん(51)ら3人が後方から来たタクシーにはねられた。

 この事故で、佐藤さんは全身を強く打って死亡。40歳代と60歳代とみられる男性2人も重傷を負った。

 警視庁は、タクシーを運転していた板橋区常盤台、運転手梅坪利二三容疑者(61)を自動車運転過失傷害容疑などで現行犯逮捕。容疑を同過失致死傷に切り替えて調べている。現場は節電のため、照明灯が消されており、梅坪容疑者は「直前まで(3人が路上にいることに)気付かなかった」と供述しているという。

  さて、例によって節電のためと称して照明灯を落とされた深夜の路上で悲劇が起こりました。電力需要が少なく節電の必要が全くない時間帯に照明灯を落とすという「パフォーマンス」のために、リスクが増大している典型的な例と言えます。夜に明かりを煌々と照らしていれば、それこそ「ムダ」と見なされやすい、その傾向はなおさら強まるばかりなのかも知れませんが、ムダと呼ばれようと必要なものは必要なのです。原発事故後は科学的であることを放棄した人も多いですけれど(代わりに陰謀論系ジャーナリズムや週刊誌的な煽り報道が信奉されるようになりました)、何が必要で何が必要でないのか、その辺は冷静に考えて欲しいところです。


地上の暗黒--燈火管制と法 水島朝穂 『三省堂ぶっくれっと』No.121

 灯火管制は、「敵機」に対して、みんな一丸となって「地上の暗黒」をつくろうという「運動」である。しかも、室内の電灯に覆いをつけるなどの比較的簡単な作業で、市民も「参加」できる。だが、自分勝手な輩が一人でもいて、電灯をこうこうと点けていたら、みんなが「目標」になる。「光を出す奴は非国民」。「市民の規律と徳義心」が発揮され、市民の相互監視・統制は勢いを増す。

 

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パナソニックが「節電本部」。働き方を工夫、午前4時半始業など(日経BP)

 節電本部は、ピーク電力の15%削減に向けて、自家発電の新規導入、省エネ診断の実施、勤務時間の移行などを実施する。2007年から実施している省エネ診断に加えて、「働き方まで見直す」(宮井役員)のがポイントだ。事業所の特性に合わせてそれぞれ節電対策を推進する。

 例えば、施設照明などを生産するパナソニック電工の新潟工場は、午前8時50分~午後5時15分としている勤務時間を見直す。午前4時35分~午後1時と午後4時~午前0時25分の2班に分けて、ピーク時間帯にかかる午後1時~午後4時までラインを停止する。電子部品などを扱うインダストリー営業本部は、8月6日~21日の16日間、在宅勤務や直行直帰の勤務形態を推奨し、東京・品川などにあるオフィスを一斉に閉鎖する。

 一方こちらは、日中の明るい時間だけATMを稼働させるという某銀行の馬鹿げた自称節電策とは異なり、肝心要のピーク時間帯にラインを停止されるという、力業ではありますが効果は抜群の節電計画が紹介されています。節電という面ではまさに決定打とも言うべきプランには違いありません。ピーク時間帯に工場のラインが止まれば、電力のやりくりは随分と楽になること請け合いです。ただ、そこで働く人はどうなるのでしょうか。「働き方まで見直す」などと言えば聞こえは悪くありませんけれど、実際にやっていることは午前4時からの早朝勤務と、夜中の12時過ぎまでの深夜勤務というシフト制です。今まで9時から5時までの勤務シフトだったのが、いきなり早朝と深夜のシフトに切り替えられるとあらば、働く人の負担は当然ながら激増します。体調を崩す人もいれば、家族との生活に支障を来す人も出てくることでしょう。節電に励むと言えば世間のウケは悪くないのかも知れませんが、そこで負担を負わされているのは従業員だということは、もうちょっと意識されて欲しいところです。

 残念なことに福島の原発事故以降、かつて左派として振る舞っていた人の多くは労働者のことを考えるのを止めたかに見えます。それもまた流行というものなのでしょうけれど、反原発論の盛り上がりの中で、原発を罵り恐怖を煽り立てる姿勢の強弱が競われるような有様です。電力不足の煽りを受けて生活に不自由する弱者は元より(健常者には過剰に見える明るさや便利さも、障害を抱えている人にはどうでしょうか)、深夜や休日の労働に駆り立てられたり失業の危機にされされる労働者について、かつて左派として振る舞っていた人の大半は黙して語ろうとしません。経済的な苦境のために自ら死を選ぶ人が万を数えるにも関わらず、雇用=経済のことを慮るのは原発事故の被災者を軽視することであるかのごとく扱う人の声も日に日に猛々しさを増すばかりです。結局のところ一口に「左派」と言っても必ずしも労働の問題に関心が高いとは限らない、ただ左派コミュニティ内部での流行を追いかけているだけの人も多かったのでしょう。

 むしろ労働に纏わる普遍的な問題が、あたかも原発に特有の問題であるかのごとく矮小化して語られるケースも目立ちます。業務内容が求人時の説明とはかけ離れていたり、下請け孫請けと中抜きされていく過程で現場作業員の取り分が仕事に見合うものでなくなったり、あるいは職場の安全管理体制に不備が多く自分の身は自分で守るしかない状況だったり等々、こういうことは日本の労働市場全般に関わる問題のはずですが、これがどうも原発に固有の問題であるかのごとく語る人もいるわけです。原発にネガティヴなイメージを与えるには、そういうやり口が好ましいのかも知れません。ただ、原発を「犯人」にすることで原発は潰せても、働く人が搾取されたり危険にさらされる状況を変えることが出来るのかどうか、大いに首を傾げるばかりです。

 電力会社社員を犯罪者のごとく罵る人々もいます。まぁ、今までの公務員叩きと構造は一緒で橋下辺りの言う「公務員」「職員」を「電力会社社員」に置き換えただけみたいなところもあって進歩がないなと思ったりもしますけれど、公務員叩きの不合理を指摘する人に比べて電力会社社員への誹謗中傷を批判的に見る人がどれだけいるでしょうか。もしくは、犯罪加害者にも守られるべき人権はあると訴えてきた人の中で、いったいどれだけの人が電力会社社員にも労働者としての権利はあると語れるでしょうか。公務員なり犯罪加害者なりJAL社員なり「嫌われ者」に対するバッシングには異議を唱えてきた人でも、電力会社社員に関してはどうやら見捨てようとしているようです。安易に人員整理や労働条件の不利益変更、年金受給額の削減を認める前例を作ってしまうことは労働者全体にも大いなる不利益をもたらすこととなるわけですが、今や左派も労働者のことを考えるのを止めているとしたら救いはありません。

 

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