非国民通信

ノーモア・コイズミ

自分達は脅かされているのだ、と

2007-08-31 23:29:11 | ニュース

産経新聞、未確認の投書で記事 宇治山田商の応援団服装(朝日新聞)

 第89回全国高校野球選手権大会に三重代表で出場した宇治山田商の応援団の服装をめぐり、産経新聞大阪本社発行の16日付朝刊に「『戦争想起』投書に過剰反応?甲子園で学ラン封印」とする記事が掲載された。「学ランはもともと海軍の軍服で、戦争を思い起こさせるのは不適切」とする投書が他の学校に届き、県教委の連絡を受けた宇治山田商が、県高校野球連盟と協議して学ランをトレーナーに変更した、とする内容。だが同校や県教委、県高野連は事実関係を否定し、投書の存在も確認されていない。同校は30日、産経新聞に訂正記事の掲載を申し入れた。

 産経新聞は「学校関係者への取材に基づいて書いた。捏造(ねつぞう)ではない」としているが、投書の確認や県教委への取材をしなかったことを認めており、実在しない投書をもとにした記事だった可能性が強まっている。

 記事では、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」と指摘した投書が別の高校に届き、県教委が宇治山田商に連絡。同校と協議した県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、白地に校名の入ったトレーナー姿に改め、日の丸の鉢巻きを取りやめた、などと書かれている。

 日本が誇るクオリチーペーパー産経新聞が捏造に基づいた記事を掲載していたのではと疑惑が投げかけられています。まぁ、これとかこれとか、「産経新聞だけが取り上げる」独自色の濃厚な記事を掲載してきた産経新聞です、どうやら産経新聞関係者だけが見ることの出来る特別な情報源をお持ちのようですね。今回も関係者や第三者の触れることのできない独自の情報ルートで取材したのでしょう。

 あの9.11同時多発テロの2ヶ月後、ブッシュ大統領はこう言いました「でも、すべてひっくるめて、ローラと私にとっては信じられないほど素晴らしい一年だった」、あるいは北朝鮮によるミサイル実験の直後に麻生外務大臣はこう言いました「金正日に感謝しないといけないな」と。何なのでしょうね、この人達は? 自国が攻撃を受けたり、脅されたりすることが、彼らにとっては好ましいことなのでしょうか?

 自分達は脅かされているのだ、と主張したがる人がいます。そして自分達は脅かされている、だからその脅威に立ち向かうために戦わなければならない、主張はそんな風に繋がります。実際のところ本当の願いは「戦う」ことにあるわけですが、「戦う」ためには大義名分が必要です。その大義名分は何かを攻めるためであるよりも何かを守るためである方が望ましい、私欲のため、侵略のために「戦う」のではなく、大切なものを守るために「戦う」と主張した方が名分としては理解を得られるところです。そこで「自分達は脅かされている」必要がある、それを印象づける必要が出てきます。

 ブッシュにしてみればテロの脅威が大きければ大きいほど、イスラム諸国と戦う大義名分の価値も高まります。何の脅威もなしに戦争を始めれば非難されますが、アメリカを脅かす脅威から自国を守るためと訴えれば、それを信じる人はブッシュを支持するでしょう。あるいは麻生大臣等にしてみれば北朝鮮の脅威が大きければ大きいほど、強硬路線や平和外交の否定への大義名分も成り立ちやすいわけです。何の脅威もないのに戦争のための準備を進めれば非難されますが、日本を脅かす脅威から自国を守るためと訴えれば、それを信じる人が麻生大臣等を支持する結果に繋がります。

 ところがまぁ、そう都合良く「脅威」が転がっているわけでもありません。「俺たちは脅かされているのだ」といくら主張して交戦を呼びかけたところで、「脅威」の提供元がないことには単なる独り相撲、大方の人々からは冷ややかな視線を浴びせられるだけです。ではどうするか、そこで「仮想敵」が生み出されます。そして仮想敵の脅威を根拠として自分達を「守る」ための戦いを呼びかける、わざわざ敵を作ってそれと戦おうとする人々もいるわけです。

 脅威があるよりも脅威がない方がよいはずなのですが、ともすると脅威の存在を好ましく思う人もいます。その脅威によって自らの正当性を維持している人にとって脅威はなくてはならないものであり、捏造してでも存在してもらわねばならないものなのです。

 そこで産経新聞の場合です。果たして産経新聞にとって、学ランに日の丸はちまきへの抗議は「あって欲しい」ものなのか「ない方がよい」ものなのかどちらなのでしょうか? 産経が選んだのは前者でした。学ランと日の丸はちまきが「『戦争想起』という過剰反応」によって脅かされていると、そう印象づけようとしたわけです。自分達は「過剰反応」によって脅かされ沈黙を強いられる側、「あいつら」は言いがかりをつけて我々の自由を脅かそうとしている、そんな位置づけが狙いだったようで、その意図はある程度までは成功したようでもあります。まぁ、実際には学ランがダメ云々などとはだれも言っていないわけで、嘘がばれては赤っ恥もいいところですが。

 

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ワタミの社長は何を偽っているのか

2007-08-30 23:02:52 | ニュース

介護現場を顧みない渡辺美樹・ワタミ社長(ファクタ)

介護業界最大手コムスンの事業売却問題の道筋が、ようやく付けられた。当初の一括譲渡方針から転換して、訪問介護など在宅系は都道府県ごとに分割して各県1社に譲渡、有料老人ホームなど居住系は1社に譲渡されることになった。

(中略)

3Kの代表例とされる介護職場は職員の頑張りで維持されているが、渡辺社長は何の追加手当もなく、食事、入浴対応などでさらなる負荷を押しつけた。職員が集団で抗議すると「入居者の幸せが自分の幸せでないのだったら、どうぞ辞めてください」と、長年貢献してきた介護職員に自主退職を促したという。「お店はお客様だけのためにある」「施設は入居者様のためにある」。一見崇高な「渡辺語録」も、苛酷な現場に依存し、その苦労を一顧だにしないのだとしたら、途端に色あせる。同じく買収した郁文館中学・高校でも有力教師の離反が相次いでいるという。

 犬が去って豚が来るとはよく言ったもので、コムスンがワタミに代わっても現場の介護職員の置かれた状況は一向に良くならないであろう未来が目に浮かびます。コムスンやワタミの問題ではなく、業界全体の問題として捉える必要もありそうですね。

 「お店はお客様だけのためにある」「施設は入居者様のためにある」、この辺りの言葉は必ずしも間違ってはいません。「入居者の幸せが自分の幸せ」もどうでしょうか、これも別に間違ったことではなさそうです。ではどこに問題があるのでしょうか?

 対価無き負担増に職員が抗議の声を上げたときに、渡辺氏は「入居者の幸せが自分の幸せでないのだったら、どうぞ辞めてください」と反論したと伝えられています。このとき、渡辺氏が描いた構図はすなわち「入居者の幸せを自分の幸せとする経営陣」と「入居者の幸せを自分の幸せとしない現場」の対立です。「どうぞ辞めてください」という辞職を促すその前提にされたのが「入居者の幸せが自分の幸せでないのだったら」という条件で、この条件を満たさないのであれば辞めるべきだ、と。

 渡辺氏の描いた世界の中では、抗議した人や辞めていった人がワタミの現場で不満を持っていたのは、あるいは幸せでなかったのは「入居者の幸せが自分の幸せでない」からということになるのでしょう。「入居者の幸せが自分の幸せ」と感じられるのであれば、ワタミの現場で幸せになれるはず、そんな想定があり、そこで幸せになれないのはすなわち「入居者の幸せが自分の幸せでない」から、そのように位置づけようとの意図が窺われます。

 実際はどうでしょうか? 渡辺氏の主張では「入居者の幸せが自分の幸せ」と考えていればワタミの従業員も幸せになれるはず、そうなれないとしたら「入居者の幸せが自分の幸せでない」と考えているからと扱われそうですが、実際の現場の人間はどうでしょう? すべてではないにしろ大方の職員は「入居者の幸せが自分の幸せ」と考えている、考えていたのではないでしょうか。

 人の役に立つ仕事をしたい、人に喜ばれる仕事をしたい、そう考えている人は多いもので「入居者の幸せが自分の幸せ」と考えている人だってたくさんいます。ましてや介護職を続けてきた人ならなおさらですが、ではどうして「入居者の幸せが自分の幸せ」と主張するワタミ経営陣と対立することになったのでしょうか。「入居者の幸せが自分の幸せ」との考えでは一致しているはずなのに?

 渡辺氏が「入居者の幸せが自分の幸せ」と唱えるのは口先だけである可能性はさておくとして、要するに問題は「入居者の幸せが自分の幸せ」であるにしても、それだけあれば他は全て度外視できるのか、あるいはそれ以外の世界にも生きているかの違いなのです。入居者が幸せならば自分も幸せと感じる、その場面だけを見るならば、入居者の幸せの追求がそのまま自分の幸せに繋がるわけですが、物事はそう単純ではありません。誰にも自分の生活があり、入居者が幸せであるならばそのこと自体には幸せを感じるにしても、自分が極貧だったり過労であったりトラブル続きであったりすれば、やはりそれは不幸になるのです。入居者の幸せだけが人生の全てではないですから。

 たとえばそう、「納豆は健康によい」としましょう。そこで社長が社員に納豆だけを食べさせるとしたらどうでしょうか? 当然、不満を持つ人も出てきます。納豆は健康に良いという点では同意できても、納豆だけでは逆にバランスが悪い、もっとバランスの良い食事を食べさせろと抗議したとしましょう。そんなときに社長が「健康を望まないのだったら、どうぞ辞めてください」などと宣ったらどんなものでしょうか?

 入居者の幸せを追い求めることに反対している人はほとんどいないのです。そうではなく、入居者の幸せのために現場が過剰な負担を強いられている、現場の犠牲の上に入居者の幸せを築こうとしているところに不満があるのです。入居者の幸せには賛成するし、そこに幸せを感じるけれども、そのために強いられている自分達の犠牲にはうんざりする、だからそのうんざりする部分、不幸な部分に対して抗議が為されたわけですが、それに対する渡辺氏の対応はどうだったでしょうか? 渡辺氏はその「不幸な部分」に対する抗議を「入居者の幸せを追求すること」に対する抗議にすり替えて解釈しています。そして「入居者の幸せを最優先する自分」に抗議する人々を「入居者の幸せを考えていない人」と位置づけて自分に反対した人々を貶め、自らを正当化し続けるわけです。自分は他人の幸せを願っているのに、あいつらはそれに反対している、と。なんと卑劣な!

 まぁ、他所の会社の経営者も概ね似たようなところがありますがね。

 

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会社は軍隊が好き

2007-08-28 22:38:00 | ニュース

防衛省、人材確保に民間からの「レンタル移籍制度」(読売新聞)

 防衛省が、民間企業の若手社員を自衛隊に2~3年の期限付きで入隊させる「レンタル移籍制度」の創設を検討している。

 人材確保策の一環だが、背景には自衛隊の若手教育に対する企業側の期待もある。同省は、今年度中にも民間企業などに意向調査を行い、試行につなげたい考えだ。

 自衛隊は精強な部隊を維持する上で若手隊員を確保する必要があるため、陸上自衛隊では2年、海上、航空各自衛隊では3年の期限で勤める「任期制自衛官」の制度を設けている。応募資格は18歳以上27歳未満。高校卒業者を中心に毎年1万人前後を採用し、数回の任期を経て、毎年5000~6000人が退職する。

 しかし、最近は、景気回復に伴って民間企業志向が強まっているほか、大学進学率も高まり、高卒者の確保が年々難しくなっている。また、少子化に伴い、募集対象年齢の人口が減り、人材確保は将来的にさらに厳しくなると予想される。

 だが、ちょっと待って欲しい。憲法9条を改正しても徴兵制にはならない、というのが定説で、その理由として持ち出される定番中の定番が「現代のハイテク戦においては高度な専門的訓練が必要で、徴兵した人員に付け焼き刃の訓練を施したところで戦力にならない」などというものだったのではないでしょうか。徴兵によって調達した兵員は役に立たないが、レンタル移籍によって調達した人員ならば役に立つのでしょうか? 少なくとも防衛省の見解としては、レンタル移籍によって調達した兵員は立派な戦力のようで。

 しかし何でしょうか、タカ派の政治家が長年トップに居座り、周辺諸国の脅威が声高に煽られている中で世論の右傾化も進んでいるわけですが、その割には就職口としての自衛隊は不人気のようです。軍拡を訴える人も「誰か」がそれを増強してくれることに期待するばかりで、実際に自分が先陣を切って軍隊に入るようなことはない、軍備増強を支持する世論の高まりは危険なように見えますが、実は彼らが煽り立てる仮想敵と同様に実態としての脅威は皆無なのかも知れません。

 さてレンタル移籍です、欧州サッカーでのレンタル移籍と言えば概ね「期待の若手にトップチームでの経験を積ませるため」と「高年俸でありながら余剰戦力となっている選手を整理するため」の場合に別れます。日本の会社に喩えるとどうでしょうか? 後者の場合なら、高給取りのリストラ候補の中高年社員を会社から追い出すためのレンタル移籍になるでしょうか? 自衛隊入りを嫌って向こうから退職を申し出てくれれば会社としては万々歳?

 とりあえず自衛隊のターゲットは若手です。そして企業も若手を自衛隊に送りたがっています。年々、研修と称して社員を自衛隊に送り込む企業が増えているそうで、平成18年度はなんと2万5700人に上ります。会社側が積極的に社員を自衛隊に送り、自衛隊もまた積極的に門戸を開くことでこの流れは加速するのでしょうか? 今は全社員の3%程度と試算されるわけですが、これが10%になり、30%になりと加速度的に増加することもありそうです。いずれは自衛隊で訓練を受けた=軍隊生活を経験したことが「立派な社会人」の条件となり、軍隊経験のない人は欠格者として二級市民扱いされる時代も来るのでしょうか。

 しかしなんでしょうね、自衛隊で訓練を受けることがサラリーマンとしての人生に繋がる、非日常の象徴であるはずの軍隊が、社会の最大多数を更正するサラリーマンと結びついているのはどうなのでしょう? 日本の社会は軍隊を範とすると言うことでしょうかね? 自衛隊的な価値観を会社群が共有している、そしてその価値観を共有しないと「立派な社会人」の仲間入りはできない、そういう仕組みなんでしょうか。政府与党に抗う輩を敵視して、選挙では不正を厭わず与党を支援、政府与党の願いを叶えるためならば法を犯すことも恐れず、上の命令には絶対服従で疑問を持ったりしない、たまの情報漏洩はご愛敬、その辺が民間企業の考える「あるべき姿」だとしたら、随分とお寒い話です。

 

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みんな好みは一緒

2007-08-27 22:42:52 | ニュース

就職活動「楽」、4年連続トップ=漢字1文字で表現-民間調査 (時事通信)

 就職活動を「楽」と感じた学生が4年連続トップだったのに対し、内定を取れず「苦」とした割合も急上昇-。就職活動を漢字1文字で表現するアンケート調査から、大学4年生などの間にも「格差社会」が広がっている実態が浮かび上がった。

 就職情報サイトを運営する「毎日コミュニケーションズ」が実施した調査の結果によると、就職活動を表す漢字は「楽」が5.7%で4年連続トップ。「楽に内定がもらえた」「いろんな人に出会えて楽しかった」などの回答が目立った。

 昨年4位(2.6%)だった「苦」は4.7%で2位に急上昇し、苦戦したとの理由が増加。3位以下には「迷」「動」「悩」といった定番が続いた。

 同社の調査では、全体的には昨年より内定が得にくくなった半面、1人当たりの内定保有率は6月末時点で0.26社増の2.29社となった。

 同社は「内定が一部の学生に集中し、2極化している」と分析している。 

 なんといいますか、景気云々もさることながら価値観の画一化が進んでいるのでしょうね。会社が求める人物像がひたすらに画一化しつつある、どこの会社も同じような人間を追い求めているのでしょう。だから一部の「会社好みの」人が片っ端から内定を得る一方で、会社から好かれないタイプの人はいくらやっても内定が出ないわけです。

 会社の価値観に何の疑問も持たずに染まれる人は引く手数多のモテモテですが、逆に会社の価値観に馴染めない人はどこからも「いらない子」として白眼視される、そうやって2極化が進むところもあるでしょうか。要領を心得て「楽」にハーレムを築き上げる人もいれば、必死で自分を偽っても拒まれるばかりの苦汁を嘗める人もいるようです。

「就職活動を漢字1文字で表すと」調査結果を発表(マイコミ)

回答で最も多かったのは『楽』(5.7%)で、回答数は年々増加し、4年連続1位となりました。「思っていたより楽に内定がもらえた」という声もある一方で、「いろんな人に出会えて楽しかった」「自分自身が成長していく様子を楽しめた」など、今年は「楽(ラク)」よりも「楽しい」という意味で回答した学生が多く見られました。

 まぁ、お幸せなことです。就職活動を楽しいと思える感覚が私には理解できませんが、その辺は人それぞれです。私にとって嫌なことを何の苦にも思わない人もいるでしょうし、私にとっては何の手間でもないことが他の人にとっては大変な苦痛である場合もあります。私にとって会社と付き合うのは苦痛ですが、それを楽しいと思えるようならそれは幸せなことでしょう。

 そんな会社と相思相愛の人はさておき、増加傾向にある会社から嫌われる人たちはどうすべきなのでしょう? 画一的な選考基準から漏れた人にもそれぞれの見所はありそうですが、そんなものは誰も評価してくれません。何か得意なことがあっても、周囲がそれに何の価値も見いだしてくれない場合は往々にしてあるもので、結局は「自分が得意な何か」ではなく「会社が求める何か」で勝負することを強いられる、そこで「会社が求める何か」に強みを持つ人ならば「楽」にも見えるでしょうし、逆に弱みを持つ人ならば「苦」にもなるのでしょう。

 会社側に言わせれば人材不足なんだそうです。実際のところはどうでしょうか? よく求職者に向けて「選り好みしなければ職はいくらでもある」なんてことが言われるわけですが、それなら雇用者側にも「選り好みしなければ人材はいくらでもいる」と言うのが筋です。しかし、誰もそんなことは言いません。人材不足を嘆いてみせることで、責任を求職者の側に転嫁しつつ、みんなで一様な人材を奪い合っているのが昨今の就職戦線と言えます。今後も景気の動向によって求人倍率は増減するでしょうけれど、企業のモノサシは1種類だけ、その1種類のモノサシで合格とされた人の奪い合いが激化することはありそうですが、不合格にされた人にとって春は遠そうです。

 

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汚物は消毒?

2007-08-26 22:24:45 | ニュース

ホームレスをネズミ薬散布で「駆除」 仏で非難の声(朝日新聞)

 パリ郊外のセーヌ川沿いにあるアルジャントゥイユ市で、中心街からホームレスを追い出そうと、ネズミ駆除に使う化学薬品を市が路上にまいていたことが明らかになった。市は当初、市職員に散布させようとしたが拒否され、業者に依頼したという。「非人間的な方法による弱い者いじめだ。容認できない」と、非難の声が上がっている。

 仏テレビTF1によると、同市は市中心部の商業地域の路上からホームレスを退去させる計画を立て、散布する薬品を7月に購入した。刺激性の悪臭を放つもので、箱には吸入禁止と記されていた。人が吸った場合、吐き気を催すという。

 当初は、道路管理課の職員に散布を要求。しかし、職員から「ネズミ用で人間には使えない」と拒否されたため、一部を建物管理業者に依頼して散布させたという

 この前は性犯罪者を薬で去勢しようと言い出したかと思えば、今度はホームレスを化学薬品で「駆除」しようとしたとか。フランスも落ちたものですな。まぁ、日本でもことあるごとにホームレスの追い出しがあって、中にはその追い出しに使われる予算が「清掃費」として計上されているくらいですから他人事でもありません。「汚物は消毒だ~!」などと言っている人はケンシロウさんに秘孔を突かれる価値すら無いと言いたいですね。

 いかに致死性のものではないとは言え、化学薬品を丸腰の人に向けて、それも自国民に向けて使用するなど正気の沙汰とは思えないのですが、この決断を下した市長にとってホームレスはネズミと同じようなものだったのでしょうか。確かに日本でもホームレスを人間扱いしない人、社会的弱者を人間扱いしない人がいるわけで、中にはそういう人が自治体の首長を勤めている場合もあります。自国民、自分の自治体の住民を愛する代わりに虐げようというのなら、それは首長であるよりも侵略者である方がふさわしいように思われるのですが。

 このニュースにおける唯一の救いは現場の市職員が命令を拒否したことです。まだ良識の灯は消えていません。結局、市職員の拒否が執行を止めることはできず、業者に委託される形で化学薬品の散布は実行されてしまったわけですが・・・

 これが日本だったらどうなるでしょうか? 実際に現場で散布作業に当たったのが市の職員ではなく民間の業者ですから、その辺を強調して「市の関与はなかった」などと言い逃れようとするのでしょうか。あるいは、命令を拒否した職員を処罰しようとするのでしょうか。そして命令を拒否した職員を「公務員でありながら市の職務命令に従わないのはおかしい」「市のやり方が気に入らないなら出て行け」などと言って一部の国民がバッシングに走るのでしょうか。いずれにせよ、抵抗する勇気が求められるところです。

 

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空を自由に飛びたいか

2007-08-25 20:17:42 | 非国民通信社社説

 空を自由に飛べたなら、それは幸福でしょうか? あるいは、空を自由に飛べないことは不幸でしょうか? 今では絵空事に聞こえるかも知れませんが、いずれは現実の問いになるかも知れません。

 「ビッグマック指数」というちょっと微妙な指数がありまして、これの応用として「ビッグマック一つを購入するために、どれだけ働かなくてはならないか」という無理のある経済指標もあります。日本のようにファストフード全般の価格、特にハンバーガー類の価格が低く抑えられている場合、短時間の労賃でビッグマックを購入することができる訳ですが、これを根拠に日本の労賃は低くないと強弁する論者もいます。逆にビッグマックの価格が決して安くない北欧諸国などはビッグマックの代金を稼ぐために必要な労働時間は長くなりがちなのですが、さて本当に豊かなのはどちらでしょうか?

 もっと他の基準で計ることはできないでしょうか? ビッグマックではなく、もっと別のもの、例えば1年間の学費を稼ぐために必要な労働時間などはどうでしょう? 日本で働けば他の国よりも容易くビッグマックを買うことができますが、学費だったらどうでしょう? あるいは、PCを買うのに何ヶ月働かなければならないか、こっちの方がビッグマックよりも値段のブレが少なく指標として適切な気もします。あるいは、家を建てるのに何年間の労働が必要か? もちろん一口に家と言っても、国や地域によって家の質が違う、比較の対象にはできないかも知れません。では家族を養うのにどれだけの労働が必要かを考えてみましょう、家族を養うためにどれほど働かなくてはならないか? 家族を養うという基準において日本の労賃は高いのでしょうか? それとも低いのでしょうか?

 未婚率、独身率が跳ね上がり、少子化に歯止めが掛からないわけですが、理由の一つには一生働いても家族を養うだけの収入が得られないであろうと見なす、見なされる人が飛躍的に増大していることが挙げられます。その点では日本は発展途上国にも劣るかも知れませんし、あるいは過去の日本にも劣るかも知れません。日本は豊かなのでしょうか、それとも貧しいのでしょうか。

 何を以て幸福と感じるか、それとも何を以て不幸と感じるかにもよります。ビッグマックを食べられることが幸福、ビッグマックを食べられないことが不幸と感じるのであれば、たぶん日本は世界で屈指の豊かな国です。日本にいれば最貧困層でもビッグマックには手が届きますから。しかし家庭を築くことが幸福、家庭を持てないことが不幸と感じるのなら、残念ながら日本はかなり貧しい部類に入る、それも急速に事態が悪化している世界屈指の危機的な国になるでしょう。

 卵とか牛乳とかバナナとか、昔は高級品でした。牛乳飲み放題、バナナ食べ放題なんてわけにはいかない、庶民にはおいそれと手の出せる代物ではなかった時代もあるわけですが、今は違います。最低賃金ぎりぎりのワーキングプア層であっても卵や牛乳、バナナくらいなら好きなだけ口にできます。昔の人にとっては贅沢だったものが、今や欲しいだけ手に入る、そう考えれば我々は豊かになったのかも知れません。

 世界初のコンピュータであるエニアックには当時の国家予算の1%に相当する予算がつぎ込まれたそうですが(今の貨幣価値なら3兆円?)、エニアックの数千倍の演算能力を持った半導体を我々は数千円で購入することができます。そうでなくとも3年前の超ハイエンドマシンと同等の性能を数万円で手に入れられるわけで、その点では我々のPC環境はリッチなものに近づいているのですが、しかし使い勝手はどうでしょう? せっかくの性能が向上しても新たに負荷の重いOSが導入されることで性能の向上が相殺されたり、せっかく値下がりした製品が新製品の登場で市場から姿を消したりと、良いことずくめというものでもありません。

 需要が供給を作るのではなく、供給が需要を作ります。MS-DOSの時代ならば100MHzのCPUに満足できたものが、今や到底満足できない、以前は夢にも見なかった3GHzの4コアCPUが欲しくなる、MS-DOSの時代のまま止まっていれば100MHzのCPUで満足できたところに、新たな製品の供給が新たな需要を作るのです。

 20年前に携帯電話を欲しがっていた人は、少なくとも今携帯電話を持っている人よりは少ないでしょう。携帯電話が誕生したことで携帯電話への需要が生まれ、携帯電話を欲しがる人も生まれたのです。そして携帯電話が普及したことで、携帯電話を持たない、持てない人が社会的に阻害されるようにもなる、携帯電話を持てないことが不幸なことにもなるのです。20年前、携帯電話を持っていないことは不幸でも何でもありませんでしたが、果たして今は?

 私は携帯電話なんて要らないのですが、でもPCとインターネットとエアコンは必須ですね。今、PCとインターネット環境を失ったらとても不幸に感じると思います。しかし10年前であればインターネット環境がないことを不幸には感じなかったでしょうし、20年前であればPCが無くても、30年前であれば冷房が無くても、何ら気に留めることはなかったでしょう。では、空を自由に飛べないことは?

 今の我々にとって、冷房がなかったりPCがなかったり、テレビがない、電話がない、自動車がない、コンビニがない、漫画がない、メタルがない、電子レンジがない、冷蔵庫がない、洗濯機がない、そんな状況は多かれ少なかれ不幸に感じられるかも知れません。しかし、過去にはそういう時代もありましたが、そういう時代の人が一様に貧しく不幸であったかと言えばそうでもありません。そして我々は空を自由に飛ぶことはできませんが、それを不幸とは思いません。ですが遠い未来にタケコプターが普及したならば、タケコプターすら買えない人=空を自由に飛べない人が、自らを不幸と感じることもあるでしょう。

 それが供給されることで新たな需要が生まれ、新たな需要が生まれることでそれを手に入れられない人が不幸に陥るとしたらどうでしょう? タケコプターならずとも、将来的には様々な装置が供給され、ともするとそれは我々の欲望を満たしてくれる、我々の生活の質を向上させてくれるようにも見えます。しかし一方で、新たな需要を作り、その需要が満たされないという不幸を生み続けます。

 世界の経済格差は拡がるばかりで、先進国の1日分の所得が最貧国では1年分の所得だったりもします。ところが、そこまで経済格差が大きいにも関わらず生活の格差は少なくとも数百倍ではないのです。最貧国の平均的な年収の数十倍の収入があっても、衣食住に事欠く日本人は珍しくありませんし、あるいは最貧国の100倍の収入があっても家族を養えない日本人もまた珍しくありません。一方で日本のワーキングプア層の10分の一の収入でも衣食住に不自由せず家庭を築いている人もいます。

 シンプルな衣食住や家庭という要素に限れば日本よりもブータンの方が豊かかも知れませんし、医療という面ではアメリカよりもキューバの方が豊かです。ですがPCや冷蔵庫、それからタケコプターを買おうとするなら、日本やアメリカの方が豊かに感じられるでしょう。単純にどっちが良いとも言えませんし、どこの国もそれなりに問題があり、そして外部からの影響に絶えず揺り動かされているわけですが・・・

 ただビッグマックの代金を稼ぐには、日本は恵まれた国と感じられますし、逆に衣食住や家庭の面では日本はかなり苦しい国でもあります。そこでもし技術的な進歩が性能の向上ではなく、徹底してコストの削減に振り向けられたならどうでしょうか? 例えばバナナや卵や牛乳の「性能」は昔から大差ありませんが、相対的な「価格」は大きく下がりました。日本ではほんの僅かな労働でバナナを手に入れることができます。しかしトータルでの衣食住のコストは依然として高いまま、昔に比べると現代の生活は色々と便利になっているわけですが、「人並みの生活」を支えるために要求される労働の量はさっぱり減る気配がありません。

 半導体の性能が上がって、OSやアプリケーションがそのままだったなら、PCの動作は非常に軽快にになります。逆にOSやアプリケーションのバージョンが上がれば、新しいことがやれるようになる反面、動作は重くなり、より高性能の半導体を購入する必要にも迫られます。タケコプターができたなら、空を自由に飛べるかも知れませんが、今度はタケコプターを買うという新たなコストに対応するために、さらなる労働の必要性も出てくるわけです。

 例えば機械化、OA化によって今までよりも倍のペースで仕事が進むようになったとします。そんなときはどうすべきなのでしょうか? 今までと同じ時間を働いて、今までの倍の量の仕事をするのか、それとも仕事は今までと同じ量に止め、それを半分の時間で済ませるのか、方向性は別れそうですが、どうも前者の側に一方的に偏りすぎではないかと思われるのです。我々はいつか空を自由に飛べるかも知れませんが、そんな未来社会でも「人並みの生活」を送るために求められる労働の負担は全く軽減されていないかも知れません。空を自由に飛べる社会もおもしろそうですが、あくせく働かなくても人並みに生きられる社会も方向性の一つ、技術革新などの成果を今までとは違った方向に振り向ける考え方も必要なのではないでしょうか。

 

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求職のお知らせ

2007-08-25 00:49:18 | 編集雑記

 
 ただいま絶賛求職中です。 本当は休職したいのですが。

 今の仕事を辞めるにしても、他に何か当てがあるわけでもない、仕方がないので惰性で出勤し続ける日々ですが、しかるに上もダメなら下もダメ、思いつきで現場を混乱させるリーダーもいれば、全く仕事に付いていけない私がいて、頑張って続けていればいずれどうにかなるというものでもなさそうです。

 そんなわけで求職中です。何か普通でない仕事はないでしょうか? 根本的に会社というものに馴染めないのですが、会社ではなく「結社」だったらどうだろうとか、そんな風に思うこともあります。働かないで済むのが一番良いのですが、せめてもう少し自分に向いた仕事、意義を感じられる仕事がしたいものです。

 このブログをお読みいただき、このブログの著者をスカウトしようという奇特な方は下記メールアドレスまでご連絡下さい。(「あっとまーく」を「@」に変えて送信願います)

rebellion_2006あっとまーくmail.goo.ne.jp

 このブログを評価してのスカウトであるならば職種は問いません。千葉県内、及び東京23区内であれば、この際給与面は妥協します。非正規、非常勤、単発も歓迎です。

 

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疑問に感じたときには

2007-08-23 23:09:11 | ニュース

広陵監督「判定ひどすぎ」/夏の甲子園(日刊スポーツ)

 怒りに震えていた。40年ぶり3度目の決勝で敗れ、悲願の夏Vを逃した広陵・中井哲之監督(45)は、8回の審判の判定に本心を隠さなかった。「ストライク・ボールで、あれはないだろうというのが何球もあった。もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないか。負けた気がしない。言っちゃいけないことは分かっている。でも今後の高校野球を考えたら…」。試合後のベンチで思いを吐き出した。

 特に問題視したのは、4点リードの8回裏1死満塁。カウント1-3から、エース野村祐輔(3年)が投じた1球だ。佐賀北・井手に、外角低めにこん身の直球を投げた。しかし桂球審の判定はボール。押し出し四球で1点を与え、続く3番副島の逆転満塁弾につながった。ボール判定の時、普段はポーカーフェースの野村が驚きの表情を浮かべ、捕手の小林誠司(3年)はミットで3度地面を叩いた。この光景が中井監督の胸を打った。「あの1球は完ぺきにストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。その子が言ってくるんだから。キャッチャーは『どうしたらいいですか?』という顔をしていた」。

【甲子園】広陵が“疑惑の判定”に泣く…またも夏優勝お預け(サンスポ)

★高野連が中井監督を厳重注意へ「審判も人間だから」

 中井監督の発言を受け、日本高野連の田名部和裕参事(61)は「審判も人間だから難しい。アマチュア野球の世界で言ってはいけないコメントだと断言します」と批判。23日、大阪市内で準優勝報告会が行われるが「そこで厳重注意をしようと思っています」と話した。

 大相撲と並ぶ日本の国技と言えば高校野球でしょうか。高校世代での野球熱はアメリカを大きく凌駕するとも聞きますが、この大相撲と高校野球、「上にものが言えない」という点でよく似ているように思います。「上」が決めたことを「下」の人間が従順に受け容れ、決して反抗しない、それが日本を代表する2大スポーツ文化の特徴ですね。

 「審判も人間だから」というのは分かります。ミスをしないのは難しいですよね。しかし日本一を決める決勝の舞台には審判にもトップレベルの技術が欲しいところです。プロの審判でも判定を誤ることはありますので何とも言えませんが・・・

 問題なのは高野連の発言の後半部です。「アマチュア野球の世界で言ってはいけないコメントだと断言します」「そこで厳重注意をしようと思っています」と、高校や球界のタブーである審判への抗議を行った中井監督を批判しているようですが、全く良い御身分です。そうやって自分に批判的な意見を片っ端から突っぱねていけば人生は楽でしょうね。

 あれが誤審であったか誤審でなかったかは、この際どうでも良いのですが、しかし誰しも疑問に思うこと、不満はあるでしょう。そうなったときに疑問を突きつける、不満を突きつける、その疑問や不満に向き合うことで少しずつ問題点を洗い出し、変化していくのが健全な社会ではないでしょうか?

 しかるに高校野球界、ついでに言えば大相撲界は違います。疑問に思っても不満に思っても、それを口に出してはいけません。もし仮に「上」が疑問や不満をぶつけられても、それは常に「下」が悪い、禁忌を犯したと断罪するばかりで疑問や不満に応えようとしない、そういう社会です。疑問に思ったり、不満に思ったりすることが否定される社会、感じた疑問や不満を解消するために行動することが禁じられている社会、それが高校野球であり、大相撲なのです。

[朝青龍]モンゴル大統領が助言「もっと日本を勉強せよ」(毎日新聞)

 モンゴルのエンフバヤル大統領は23日、日本相撲協会から2場所連続出場停止処分を受け、その後「解離性障害」と診断された横綱・朝青龍に対し「もっと日本の伝統、文化を勉強して真の意味で強い横綱になり、日本人の多くの人に愛されてほしい」と助言した。

 一方的な関係はいつでも危ういものです。朝青龍が日本の「伝統」を学ぶのはよいとして、では日本あるいは相撲協会は朝青龍から何かを学ぶのでしょうか? 朝青龍に学ばせようとするだけで、朝青龍から学ぼうとしないのであれば、その関係は不健全です。朝青龍に「変わる」ことを求めるのであれば、同時に協会もまた「変わる」覚悟を持つべきなのです。

 正直なところ、「上」が決定し「下」が従う、疑問を持たず従順に従うことが美徳とされ、現状を変革しようという動きを封じ込めようとする高野連・相撲協会的な考え方が日本の伝統であるならば、そんな「伝統」など学ばないで欲しいと思います。むしろ高野連・相撲協会などの「伝統」の担い手が、世界の文化や現代の異議申し立てから学ぶこと、真の意味で真っ当な協会になり、世界に恥じるところのないものになって欲しいくらいですね。

 翻って日本の社会はどうでしょうか? 疑問を感じること、不満を表明することに対してどれだけ開かれているでしょうか?

 

 

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ペドフィリア

2007-08-22 22:59:40 | ニュース

性犯罪に「去勢」措置も 仏大統領が性犯罪防止策(共同通信)

 フランスのサルコジ大統領は20日、子供への性的虐待など性犯罪防止のため関係閣僚会議を開き、再犯の恐れがある性犯罪者には、ホルモン療法による「去勢」措置や隔離施設への収容を行い、刑期を終えた後も社会復帰を許すべきではないとの考えを強調した。フランスでは、未成年者への暴行などの罪で収監された男が、刑務所を出所直後に5歳の男の子を誘拐、暴行した疑いで逮捕される事件が発生したばかり。

 この事例が示すところは、服役した性犯罪者が再犯に走る場合もあるということであって、必ず再犯に走る、もしくは更正の可能性がないということではない訳ですが、それでも印象論としては違うのでしょうか。

 薬品の投与や隔離施設への収容には良いイメージがありませんが、性犯罪者を罰すべしとの声がその危険性を覆い隠すかも知れません。同性愛者を罰する国もあれば、「不貞」を働いた女性を罰する国もあります。その文化圏の「規範」から外れた性的志向の持ち主を撲滅しようと同性愛者を片っ端から収容所に送り込んだ国もありました。そしてそれは、その文化圏の中では根強い支持を有するのです。

 もしかしたら同性愛と小児性愛、性的志向と性犯罪を同枠で語るべきではないのかも知れません。単に他の人とは違った趣味を持っている場合と、何らかの点で「被害者」を作り出す趣味を持っている場合、その場合に後者は制限されねばならないのかも知れませんし、お互いの合意を前提とする場合と相手の意思に反した強制を伴う場合では、求められる対応も別のものになるでしょう。

 ところで私はグラマーな女性が好きですが、皆さんはいかがですか? スレンダーな女性が好きですか? それともガチムチのアニキが好きですか? それとも華奢な美少年が好きですか? 異性が好きな人もいれば同性が好きな人も、年上が好きな人もいれば年下が好きな人もいると思います。でもそれは、あなたが選んだ嗜好でしょうか? 私はグラマーな女性が好きですが、そういう性癖は自分で選択して身につけたものではありません。

 小児性愛の場合も同じです。自ら望んでその性癖を身につけたのか、それとも気がつけばそういう性癖だったのか、その辺も考慮しなければならないと思うのです。小児性愛の是非は一時保留するとして、その時代、その文化圏で悪とされる性癖、嗜好を持って生まれた人はいかに生きるべきなのでしょうか? 持って生まれた性癖や嗜好を偽り、歪め、矯正しながら生きなければならないとしたら、その場合に「治療」されるべきはその人ではなくその人を取り巻く社会環境ではないでしょうか。

 性犯罪から子供を守ることには異論がありませんが、だからと言って「犯人」を闇雲に罰する、去勢する、隔離する、それで済むというものでもありません。臭いものに蓋をしてしまえば一時的に匂いからは逃れられるかも知れませんが、それで匂いの元が消えるわけでもないのです。引用元の短いニュース記事だけでは詳しいところが分かりませんが、どうも安易に「異分子」を排除してしまおうとの短絡的な考えにも見えます。

 

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先走りすぎ

2007-08-21 22:08:44 | ニュース

国民投票法理由に戦争展の後援拒否 千葉県野田市(朝日新聞)

 千葉県野田市で市民団体が18、19日に開催予定の「平和のための戦争展」をめぐり、憲法改正の手続きを定めた国民投票法の「公務員による地位利用」にあたりかねないことを理由に、野田市が後援要請を断っていたことが分かった。主催者側は「憲法改正案が発議されてもいないのに、地位利用を理由にするのはおかしい」と納得していない。

 戦争展は、野田・九条の会や同市被爆者の会などでつくる実行委員会が主催し、市中央公民館で今年初めて開く。広島・長崎の原爆写真や野田と戦争とのかかわりなどについて展示。野田・九条の会も訴えをアピールするという。

 後援申請を受けた野田市は7月、後援しないことを決め、実行委に文書で通知した。理由は(1)9条改正反対を訴える内容が含まれ、政治的傾向が顕著(2)発議可能となる3年後に国会で9条改正が発議されるのは必至で、どのような考えに基づく行事でも後援するのは公務員の地位利用につながる、というものだった。

 国民投票法は、憲法改正案が発議されてから投票するまでの間、公務員の地位を利用した運動を禁じている。

 第一の問題は記事及び当事者がすでに指摘しているものです。「国民投票法は、憲法改正案が発議されてから投票するまでの間、公務員の地位を利用した運動を禁じている」ものなのですが、憲法改正案が発議されていない今の段階で「国民投票法の『公務員による地位利用』にあたりかねない」という理由を持ち出してきたのは明らかにおかしい、自治体が勝手に法案を拡大解釈して恣意的に適用しています。これは由々しき問題ですね。

 公務員の地位利用を禁じる云々という規定そのものが色々と危ういものなのですが、まさかその適用期間であるはずの憲法改正案の発議後ではなく、向こう3年間は発議が不可能である今の段階において持ち出されたことには驚きです。政府与党が暴走する前に、地方自治体が先走ってしまったのでしょうか?

 先走りと言えば、佐藤正久参院議員の発言が局所的に問題となっていますね。イラク駐留中に何とかして自衛隊を戦闘に巻き込ませて、なし崩し的に戦端を開こうとの意図を明らかにしたものだったわけですが、内容の深刻さの割には問題視する人が限られていて、それもまた深刻です。

 野田市にしろ佐藤議員にしろ、政府からの命令にないことまでやろうとしている、ある意味では越権行為なのですが、野田市はともかく佐藤議員は英雄気取りのようで、政府が表立っては口に出せない意図を汲み取って、自分が汚名をかぶる形で実行する、そんなつもりだったのでしょうか。その辺は戦前の軍部の暴走に近いところもありまして非常に危ういわけです。野田市の方はどうでしょうかね? そこまで深い意図はないかも知れませんが、政府与党の意図を汲み取るつもりで勝手に法を拡大適用している辺りは危ないのではないかと。

 平和を訴えたり、自国の憲法の護持を訴えたり、そういうことが政治的な偏りと捉えられるのもおかしなことです。平和を訴えることと開戦を訴えることの間をとることがこの国のバランス感覚だとしたら、それは危ういことですし、日本の根幹をなす現行の憲法を維持すべきと語ることが顕著な政治的傾向に当たるのかどうかも疑問です。ましてや憲法擁護義務を負う公務員なら、憲法擁護は義務であって何ら特別なことではない、警官が市民の防犯活動を後援するようなものでもあるはずですが。

 そもそも、憲法改正案の発議が可能になる3年後はどうなっていることか、野田市は自民党の勝利を、とりわけ自民党内の靖国は議員集団の勝利を信じているようですが、どうでしょうか、衆議院選でも自民党が大敗し、自民党が与党の地位を追われているかも知れません。そして憲法改正案は発議されないかも知れませんし、発議されるにしてもずっと先のことになるかも知れません。民主党が与党になって改憲を主張することもあるかも知れませんが、だからと言って9条が改正されるとは限りません。野田市のお偉いさんは自民党、自民党内のタカ派議員と一蓮托生の心構えを見せているようですが、私にはどう見ても先走りが過ぎるとしか・・・

 

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