非国民通信

ノーモア・コイズミ

大学側の問題でないことは確かだ

2016-01-31 11:46:59 | 雇用・経済

 若い頃はよく職場の先輩や上司から「学生気分じゃダメだ」と言われたものです。流石にそんな年でもなくなりましたので今となっては懐かしい話ですが、同様の経験を持っている人は多いのではないでしょうか。とかく会社は学校教育で身につけたものを否定したがる、それが日本の慣習であるように思われます。教育が就業に直結するのは医療/介護分野など限られた領域ばかりで、大学教育はもとより専門学校でもハローワーク斡旋の職業訓練でも、そこで学んだものを否定したがるのが日本の会社人というものですから。

 一方で社員研修としては、自衛隊への体験入隊なんかが高いな人気を誇っていたりもしますし、穴掘りや無人島生活などの「研修」で名高い会社もあります。日本の会社にとって、そういうものこそが「学校での勉強とは違って」「役に立つ」のでしょう。大学など高等教育機関で学ぶものよりも、自衛隊への体験入隊で得られるものの方が大切だと、我が国では考えられているのです。よく大学教育が社会の役に立っていない云々とも言われますが、たぶん大学が何をやろうとも我が国の企業人は大学教育の成果を否定したがると思いますね。

 学校の先生なんかでも、ちゃんと授業をできるかどうかよりも問われているものがあるような気がします。アルバイトの塾講師よりも勉強ができない、何年も教師をやっているのに履修範囲を消化できない、無能な先生はいくらでもいることでしょう。でも日本で大切なのは学校行事の方、授業なんて潰して行事の準備に生徒を動員、美談作りに励む世界です。学校は勉強するところではないのかも知れません。そして学校の先生のクビが危うくなると言ったら、起立して君が代を歌わなかったとか、そういうケースの方が目立ちますから。

 民間企業のサラリーマンも然り、ことによると日々の業務を遂行する能力なんかよりも、会社の飲み会や行事に積極的に参加しているかどうかの方が問われることも多いように思います。宴会に参加しないのは起立して君が代を歌わないのと同じような扱いをしている会社も多いのではないでしょうか。自分は職を転々としてきましたが、どこの会社も「リストラは最初の手段、社内行事の削減は最後の手段」と言いますか、業績が悪いと言って給与をカットしつつ、そんな中でも社員の士気を高めようと称して社内行事だけは規模を維持拡大するのが常でした。日本の会社が何を重視しているのか窺えるところです。

 よく「世界で通用する人材~」とは言われますが、日本で通用する人材になるためには、それとは明らかに違ったものが必要であると感じます。世界では通用しても、日本では通用しない人もいることでしょう。とかく否定されがちな大学教育も、あくまで日本で求められる人材の育成という面でかみ合っていないだけで、余所の国の尺度で見れば別なのかも知れません。そもそも海外の有名大学だって、日本で評価されるような人材を排出するという面では無力なんじゃないかと思いますし。

 

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ある意味で需給はマッチしているのかも

2016-01-27 22:58:56 | 雇用・経済

外国人「日本で働きたい」2割のみ 留学生支援団体調査(日本経済新聞)

 外国人留学生の就労支援を手がける一般社団法人の日本国際化推進協会が実施した調査で「日本で働くことが魅力的」と答えた外国人は約2割にとどまった。一方で「日本に住むのは魅力的」との回答は8割超に上る。日本文化に対する人気とは対照的に、日本企業は役職や年功による序列が強く、男性優位といった負の印象を持たれていることが分かった。

 調査は留学生などの外国人819人を対象に昨年10~11月に実施した。日本で働くことが「非常に魅力的」という回答は4.3%止まり。「やや魅力的」(17.7%)を合わせても低水準にとどまった。

 日本企業に対するイメージでは、約96%が「序列が強い」と指摘。「男性支配的」(93%)、「残業が多い」(91%)という回答も多かった。一方で、「職が安定」(80%)、「一体感がある」(65%)といった好意的な評価もあった。

 日本企業への入社の阻害要因として、最も多く挙げられたのが長時間労働、次いでコミュニケーション方法だった。日本国際化推進協会の大村貴康事務局長は「イメージが先行している部分もあるが、企業はまず改善に努める必要がある」と話している。

 

 ……報道の見出しでは「外国人」となっていますが、厳密には「外国人留学生」に限った話のようですね。ともあれ「日本に住むのは魅力的」との回答が8割超に上った反面、「日本で働くことが魅力的」と答えた外国人は約2割に止まったことが伝えられています。まぁ日本で生まれ育った自分としても概ね納得のいく結果でしょうか。もし外国の友人が日本で働いてみたいと言い出したなら、私は止めます。観光に来るなら面白いところかも知れないけれど、働きに来る場所じゃないよ、と。

 なお日本側の言い分として「イメージが先行している部分もあるが~」とも報じられています。確かにそうですね、「職が安定」とかは典型的なイメージ先行と言いますか、実際の労働環境を見た上での印象と言うよりは経済誌で連呼されているおとぎ話を鵜呑みにしてしまった結果であるようにも思えます。たかだか正社員ごときでは安定を望めないのが日本です。加えて、留学ではなく出稼ぎで日本にやってきた人が日本の職場でどのように処遇されているかを知っていれば、回答は大きく異なったことでしょう。

 もっとも留学する人は出稼ぎに来る人と違ってエリートが多い、ましてや新卒者ともなれば日本では特別に優遇されますから、出稼ぎ外国人とは全く異なる安定雇用が期待されるのかも知れません。留学生達の母国では、むしろエリートの仕事こそハイリスクハイリターン、収入は多いけれど厳しく責任を問われて追い込まれることもあるのではないでしょうか。しかるに日本であれば、成果は偉い人に、責任は末端に行き着くわけです。会社の業績あるいは組織の成績が悪化した場合に詰め腹を切らされるのは、真っ先に人員削減の対象となる「下」の立場だったりします。外国に留学するようなエリートが夢見るようなポジションに限れば、日本でこそ「職が安定」しているのかも知れません。

 とはいえ需要と供給の釣り合いはどんなものなのでしょう。日本で働きたいと考える外国人留学生は少ない、では外国人留学生を働かせたいと思っている日本企業は多いのか少ないのか、それもまた意識されるべきものと思われます。近年、我が国は人手不足と就職難が同時に報道される奇妙な状態が続いているわけです。それは要するに求職者側が「働きたい」と思えるような待遇の職は不足したままで、逆に雇用側が求めているのは低賃金の非正規労働者ばかり、みたいな需給ギャップがあるからです。

 挙げ句の果てには「大学(生)が多すぎる」と、高等教育を受ける人の増加にネガティブな見方を投げかける人が、経済系の論者を中心に目立つのが日本でもあります。国民の教育水準の増加を、我が国は喜んでいません。望まれているのは高付加価値産業に就きたがる大卒ではなく、低賃金で単純労働に従事してくれる高卒の方である、そこに否定の余地はないわけです。単純労働者としての移民の受け入れが必要だと、財界人や改革派の政治家も連呼してきました。このような国で、外国人留学生という知的エリートの需要は本当にあるのでしょうか?

 

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働くには勧められない国なんだけど

2016-01-24 11:45:57 | 社会

難民申請、大幅増7500人 認定は27人、低水準 昨年(朝日新聞)

 日本で昨年、難民認定を申請した外国人は7586人で、5年連続で過去最多を更新したと、法務省が23日付の速報値を発表した。一方、難民と認められた人は27人。前年より16人増えたものの、認定に消極的な姿勢は変わっていない。

 法務省によると、申請者数は2年連続で前年比5割増と、大幅な増加が続いている。国籍別では、ネパールが最多の1768人。続くインドネシアは、一昨年まで十数人程度だったが、2014年から日本への入国にビザ(査証)が必要となる条件が緩和されたことを受けて、969人に急増した。全体の8割はアジア地域からで、シリアは5人だった。

 申請が増加した背景には、10年から、短期滞在や技能実習などの在留資格があれば、申請の半年後から働けるようになったことがあるとみられる。審査に時間がかかるため、その間に日本で生活ができるようにする見直しだったが、「短期滞在などの資格で入国し、就労や定住目的で申請を繰り返す人が多い」と法務省は分析する。同省は、14年に不認定とした人の約3割は、就労目的など「明らかに難民に当たらない人」とみている。残りの多くについても、難民と認定するだけの根拠が足りないとしている。また、申請が増えて対応が追いつかず、審査期間の短縮は思うように進んでいないという。

 

 さて報道では難民「申請」の増加ばかりが強調されていますが、グラフを見ると在留許可の出た人数は違うようです。ちょうど政権交代が転換点だったのでしょうか、増加の続いてきた在留許可数は2009年をピークに急減へと転じ、2012年からは概ね横ばい傾向となっています。ともあれ難民申請が増加する一方で認定+αの在留許可は、より厳しく絞り込まれるようになっているわけです。そして法務省曰く「就労や定住目的で申請を繰り返す人が多い」のだとか。どこまで本当なのでしょうね。

 せっかくですから、就労目的の難民が多いと主張する法務省と、外国人労働者の受け入れ拡大を唱える財界人との対談会でもセッティングしてくれれば面白そうな気がします。財界の欲する低賃金労働者の供給源であれば、法務省とは反対に歓迎する立場の人だって多いことでしょう。そもそも難民認定が皆無に近い中で「人道的配慮による在留許可」とやらが大半を占める、しかし法務省が「人道的配慮」をした先、我々の社会は――とりわけ在留許可を与えられた人々の就業先の雇用主などは――人道的配慮を続けたのかどうか、反対に「搾取された」人だっているように思いますし。

 たとえば、厳しい厳しい認定条件を経て日本に戻ってきた中国残留孤児及び親族の日本での暮らし向きはいかがなものだったでしょう。あるいは技能実習などの名目で日本にやってきた外国人の処遇は? 実質的な就労目的で日本に来たのに、あまりの非人道的な処遇に耐えかねて逃げ出したり自国大使館に駆け込んだり、NPOに助けを求めたりする人も少なくありません。難民+αに認定された人だって、その先が明るいとは限りません。外国人研修生よろしくパスポートや携帯電話を取り上げられ、監禁状態に近い中で強制労働に従事させられることだってあるわけですから。

 ここ数日は相撲界隈で日本「出身」力士云々と喧しいところですが、日本人力士で良ければ2012年の旭天鵬がいるはず、そこを敢えて日本「出身」力士と奇妙な呼び方を繰り返すのは要するに日本社会の「日本国籍を取得しようと外国人は外国人」という価値観を端的に表していると言えます。こんな日本に敢えて難民申請するのは、よほど切羽詰まった人であろうと私には思われるところ、「人道的配慮」で在留を認められようとも、その人に明るい未来が開けているとは考えがたくすらありますが、それでも祖国を離れざるを得ない人がいる、その現実に向き合う必要はあるのでしょう。

 

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どうして日本の夫婦なのに

2016-01-20 23:03:45 | 社会

育休宣言の宮崎議員 妻・金子議員切迫早産で緊急入院明かす(スポニチアネックス)

 2月に出産を控える自民党の金子恵美衆院議員(37)の夫で、今国会中に育児休暇を取りたいとの意向を表明している同党の宮崎謙介衆院議員(34)が15日、自身のブログを更新。金子氏が切迫早産と診断され緊急入院したことを明かした。

 宮崎氏は「2月15日が出産予定日なのですが、無事に子供が生まれるまでは穏やかに過ごしてもらいたいと心から願うばかりです。こういうときに何もできないことが歯がゆいものですね」と思いを吐露。「妻は新潟に戻る予定をしたいたのですが、急遽戻ることができなくなり皆様にご迷惑をお掛けしていることを気にかけています。どうぞご理解の程、宜しくお願い申し上げます」と結んだ。

 宮崎氏は昨年2月に金子氏と結婚。昨年12月には自身のブログで育休を取得する予定であることを宣言し、賛否両論となっていた。

 

 さて昨年末にも取り上げたことですが(参考:モデルケースとしては有意義だ)、育児休暇を取得すると宣言した男性議員がいたわけです。民主党から強い否定論が出るなど議論を呼んだりもしましたけれど、育休を取得するのが女性側だったなら大した問題にはならなかったであろうことを思うと、まぁ色々と考えさせられる事態ではあったのではないでしょうか。少なくとも現行制度の在り方、及び運用に波紋を投げかける意義は大きかったと評価できます。

 なお先日の報道によれば、自民党内部でも党国会対策委員会幹部(誰?)が「国会議員全体の評判を落としている」と宮崎議員を注意したそうです。しかし本当に、評判を落としているのでしょうか。確かに民主党などは、強く反対を表明していました。でも有権者からの評価はどうなのやら。ネガティブな見方もありますが、理解を示す声もある、少なくとも「国会議員全体の評判を落としている」ほどには見えない、自民党の得票率よりは高い賛意を得ていそうなものです。それでも「国対幹部」が否定的な見解なのは、本人の思想信条によるものなのか、それとも野党に攻撃材料を与えることを厭うからなのか……

 それはさておき、もう一つ注目してほしいと思えるのは、「金子恵美衆院議員の夫で、~宮崎謙介衆院議員」みたいな報道の形式です。似たようなもので、昨年末に現役引退を表明したサッカー代表の澤穂希氏と「夫の辻上裕章さん」辺りが挙げられるでしょうか。これまた昨年末には現行の夫婦同姓を合憲とする判決が下されたりもしたものですが(夫婦別姓に制度変更するのが違憲か合憲かを問うのであれば、それもまた合憲と判断されそうなのはさておき)、どうも上述の夫妻の例を見るに、当たり前のように夫婦別姓で報じられています。不思議ですね。

 現与党の衆議院議員であろうと五輪のメダリストであろうと日本の法律の適用から逃れられるわけではない、「金子恵美・宮崎謙介夫妻」も「澤穂希・辻上裕章夫妻」も日本で結婚する以上は否応なしに夫婦で同姓となっているはずですが、どのマスコミも別姓で各氏を伝えているわけです。衆目に触れるメディアで「宮崎恵美議員」とか、「辻上穂希」選手などと報道されているケースは見たことがありません。日本で結婚したんですから、選択の余地なく夫婦は同姓のはずなのに。

 まぁ元日本代表監督のコインブラ氏ですとか、在特会の高田誠氏ですとか、もっぱら通名で活動し、戸籍上の名前では報道されないケースは今になって始まったことではありません。でも田村亮子選手はいつの間にか谷亮子(議員!)で定着しました。金子恵美議員がいつまで金子姓でいられるのか、澤穂希氏がいつまで澤姓でいられるのか――もし旧姓のままで世間に定着し、それで何の問題もないのなら、これもまたモデルケースとして世間に問いかけるものが出てくるように思います。

 

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現状を思えばもっと厳しくても釣り合いは

2016-01-17 11:36:50 | 政治

全国初、ヘイトスピーチ規制条例…大阪市議会(読売新聞)

 民族差別を助長するヘイトスピーチ(憎悪表現)の抑止に向けた全国初の条例が、15日の大阪市議会で成立した。

 条例では、ヘイトスピーチを「特定の人種や民族の個人・団体を社会から排除し、憎悪などをあおる目的で誹謗ひぼう中傷すること」などと定義。ヘイトスピーチを行ったと有識者の審査会が認定した個人・団体名を市のホームページなどで公表するとした。半年程度の周知期間を経て施行する。

 大阪維新の会と公明は賛成したが、自民は「議論が足りない」として反対した。

 橋下徹前市長が昨年5月、「表現の自由を超えている」と条例案を提出。原案には、市が被害者に訴訟費用を貸し付ける規定も盛り込まれていたが、「不公平だ」とする議会の意見を受け、吉村洋文市長は修正案で規定を削除。審査会委員の人選も、公平性確保のため「議会同意が必要」と改めた。

 

 さて「全国初」のヘイトスピーチ規制条例が成立したのだそうです。具体的には「特定の人種や民族の個人・団体を~」ということですので、「福島産」を誹謗中傷し社会から排除されるよう仕向けるような言動は引き続き規制の対象外と推測されます。朝日新聞さん、東京新聞さん、良かったですね。

 とりあえず色々と議論はありますが、ヘイトスピーチを規制する、時には罰するような法制度はヨーロッパに限らず様々な国に豊富な先例があり、それが言論弾圧につながっているようなケースは――ヘイトスピーチ規制の有無とは無関係に抑圧的な国家はさておくにしても――見当たらないことは理解されるべきでしょうか。

 

「表現の自由を守れ」傍聴席からカラーボール(読売新聞)

 ヘイトスピーチ抑止条例案を審議していた大阪市議会本会議場で15日、傍聴席にいた男が、カラーボールを壇上に向けて投げつけ、本会議が2時間半以上中断された。

 男は警備員に取り押さえられた。大阪府警天満署は威力業務妨害容疑で男を逮捕する方針。

 同署によると、奈良市の職業不詳の男(50)。男は午後7時25分頃、大阪維新の会の市議が賛成討論中、突然ボール2個を投げ、ボールは演壇などで破裂。けが人はなかったが、塗料が床や市議のスーツに飛び散った。議場は実況見分のため閉鎖、本会議は同10時過ぎ、特別委員会室に場所を移し、傍聴人を入れずに再開。採決は同10時45分頃にずれ込んだ。男は「表現の自由を守れ」などと叫んでいたといい、条例案に反対を示す意図があったとみられる。

 

 日本はヘイトスピーチの自由を保障し、差別に寛容な社会であり続けてきました。ヘイトスピーチ規制を成立させた第一号が大阪維新村ということには何とも複雑な思いがするところですが、まぁ公然と規制に反対する人もいるわけです。果たして、職業不詳の男(50)の思惑は、どんなものだったのでしょうね。ヘイトスピーチの常習犯だったのか、あるいはヘイトスピーチ規制が言論弾圧につながると信じる陰謀論者だったのか、それとも維新/橋下であれば何でも反対もしくは役所の決定であれば全てに不服であったのか……

 今回の条例、報道によると自民党は理由はさておき反対だったそうです。維新の党は民主党と提携関係を築き、その過程で大阪維新の会という分派も形成された、一方で大阪維新の会と自民党政府はしばしば連携を模索するような動きがあったりします。ところが大阪市の自民党は野党として大阪維新の会と対立する間柄であったりもする、この辺は何とも「政治的」ですね。

 維新の党とは袂を分かった「大阪維新の会」に倣うなら、大阪市の自民党は「大阪自民の会」とでも呼ぶべきでしょうか。まぁ国政レベルと地方行政レベルで立場を都合良く使い分けるのは民主党が本家本元ですが、どこでも議会の支配権を巡る争いは発生するもの、それは時に思想信条や政策の一致よりも優先されているように思われます。誰かが何かに反対を表明するとき、それは主張そのものに反対しているのか、それともライバル政党に反対しているのか、政治は奥と闇が深いです。

 

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反抗心を忘れずに

2016-01-13 23:08:15 | 社会

「なめんじゃねー」拡声器で叫びステージに…代表者も反撃 水戸、警察と一時にらみ合い(産経新聞)

 水戸市の成人式で10日、議事進行の妨害行為や警備員との小競り合いなどが起き、茨城県警本部や水戸署の警察官約20人が駆け付ける騒ぎとなった。式典終了後、騒ぎを起こした新成人らが警備員らに謝罪したこともあり、県警は立件を見送ったが、成人式は終始、大荒れとなった。

 成人式は水戸市五軒町の水戸芸術館の広場で開かれ、約1900人が出席。新成人を代表して式典の実行委員長でもある専門学校文化デザイナー学院2年生の古谷(こや)直之さん(20)がステージで「誓いの言葉」を述べているその時、事は起きた。

 一部の新成人らがマイクを取り上げ、「おめえがあいさつしてんじゃねえ、このやろー」「なめんじゃねーよ」「みんな、よろしく~」「盛り上がっていこうぜ」などと拡声器で叫びながら、警備員の阻止を振り切ってステージに上がり、妨害行為に出た。

 警備員らによって下ろされた後、古谷さんは誓いの言葉を続行し、「僕が話すことが気に入らない方もいると思います。みなさん、しっかりと成人としての自覚をもち、これから社会人としてはばたいていきましょう」と反撃。すると、ステージの下からは「てめーが代表じゃねえ、このやろー」などの罵声が飛んだ。

 

 この手の成人式で暴れる若者も今となっては季節の風物詩となって久しく、遠い未来には季語の一つになっていそうな感じですが、世間の受け止め方はどうなんでしょうね。年長者が「今時の若者は~」とか「ゆとり世代は~」的に、若年層を評論する類いの言説もまた多いですけれど、こういう荒れる若者の姿を見てもなお結局は皆「若い人が好き」なのではないかなと、そう思います。

 選挙権年齢を18歳に引き下げるという決定は全くと言っていいほど無批判に受け入れられている、どの政党も反対らしい反対は口にしなかったわけですが、この辺は近年の政治的貧困を端的に表しているところでしょうか。引き下げには色々と問題もある、改正には相応の論拠が必要はずですけれど、「18歳からの国が多いんだから」と己の思考停止ぶりを宣言するような理由しか挙がってこない辺り、色々と絶望的なものを感じますね。

 ともあれ18歳から投票できることになってしまいました。ほぼ誰も反対はしていなかったのですが、なぜでしょう? それは要するに「自分は若者のことを考えている」「若者は自分たちを支持してくれる」と根拠なく確信している人が多いからなのかな、と思います。先年の大阪都構想を問う住民投票の際など典型的でしたが、己の欲する政策が実現されなかった理由を「若者の投票率が低かったからだ」「爺婆の票に負けたのだ」みたいに語る人は少なくありません。その辺は根拠のない思い込みに過ぎないのですけれど、「(自分が好ましいと持っている政策は)若者に支持されている」「若者は自分たちの同志」と信じている人は多いのではないでしょうか。

 どこの政党も選挙権年齢の引き下げに何の疑問も差し挟まないのは、自分たちは若者に支持されている、自分たちこそ若者が支持するにふさわしい政党だと、そう確信しているからなのかも知れません。だから、18歳からの投票が始まれば自分の党の票が増える、自分たちの政策がゴリオシしやすくなると夢想しているわけです。小規模ながらも何種類かの模擬投票を見た限り、損をする党と得をする党ははっきり分かれそうな感じですが……

 子供は錦の御旗です。デモなんかでも率直に自分の口から意見を述べるのではなく、子供を前面に押し出して、子供に周りの大人の主張を代弁させるような類いは常套手段です。そうでなくとも政党/政治家が若者(もしくは若者に人気のタレント)を起用して己の政策をアピールさせるなんてことは珍しくありません。自分たちの政策は若者のためである、若者に支持されているのだと、我々は若者と同じ地平に立っているのだと、そういう売り方もまた荒れる成人式に負けず劣らぬ伝統ですから。

 ただ結局のところ、「若者の味方」を装う政治家や論者あるいは活動家の99%は、若者を葵の印籠代わりにして己の主張を押し通そうとしているだけだよな、とも思います。「若者に支持されている」と目されれば世間の受けは悪くないですが、しかし若者の支持を大義名分にするってのは要するに若者を利用しているだけです。若者に自分たちを支持させれば自分たちの主張を正当化できる――、新たに選挙権を得た18歳や19歳の少年少女を虎視眈々と狙う人は多々いることでしょう。

 私が新成人に何か言ってみるとしたら、「周りの大人の思惑通りの人間にならないよう注意してください」ってことですかね。デモ隊の主張を代弁させられる子供のようになってはいけません。そういう意味では、「しっかりと成人としての自覚をもち、これから社会人としてはばたいていきましょう」みたいに、いかにも周りの大人から歓迎されそうな発言をしている人には、ちょっと不安になってしまいます。無駄に反発しているだけの迷惑な隣人達の方が、まだしも自分の意思で動いていると感じるくらいですから。

 

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サッカー選手になりたい、と夢を語ったその後は

2016-01-10 11:59:43 | 社会

男子6年連続「サッカー選手」、女子19年連続「食べ物屋さん」 なりたいもの調査(産経新聞)

 第一生命保険は7日、全国の幼児や小学生を対象とした「大人になったらなりたいもの」の調査結果を発表した。1位は男子が6年連続で「サッカー選手」、女子は19年連続で「食べ物屋さん」。男子の「電車・バスの運転士」が平成元年の調査開始以降最高の4位(前回5位)に躍進した。同社は「北陸新幹線開通やリニア新幹線などで乗り物への関心が高まったのでは」と分析している。

 調査は26年7~9月に実施し、1100人の回答を集計し分析。刑事ドラマが多数放送される中、男子は3位の「警察官・刑事」を選択した子供の割合が6・9%となり、過去10年で最も人気を集めた。女子は幼児から小学6年生までの全年代で2~3位に「お医者さん」または「看護師さん」が入った。

 今年の新成人が子供のころになりたかったものの変化も分析。新成人が当時小学3年生だった16年は、男子が日本人大リーガーの活躍を背景に「野球選手」が3年ぶりに1位に返り咲き、日本人研究者のノーベル賞受賞を背景に「学者・博士」の人気も高まっていた。女子の「お医者さん」人気は、このころから上昇したという。同社は「自ら見聞きしたものを判断材料に、時代の流れを敏感に察知する様子は当時も今も変わらない」としている。

 

 こういうのはクラレによる調査が有名ですが、第一生命でもやっているようですね。平成元年の調査開始とのことで、四半世紀の蓄積があれば多少の意味も出てくると言えそうなものですけれど、どうなんでしょう。曰く「今年の新成人が子供のころになりたかったものの変化も分析」云々と、確かに過去の「子供」との比較からでも何か読めることはあるのかも知れません。しかし、せっかく規模の大きい組織が予算を組んで調査するのですから、もう少し素人では調べられないことをやってほしいなと思ったりもします。

 たとえば毎年毎年「子供」を相手にアンケートを採るのではなく、調査対象の子供が5年後や10年後に「何になりたい」と考えているかを追うことができれば、もう少し社会を知る資料になり得るわけです。かつてサッカー選手になりたいと回答していた男の子、お店屋さんになりたいと答えていた女の子が就業年齢に近くなって「何になりたい」と回答するのか、そして実際に何に就いたのか――大手生命保険会社ならこれぐらいの追跡はできそうなものですし、結果を公表してくれれば色々と参考になりそうな場面は結構あるような気がします。

 以前にも書きましたが、小学生ぐらいまでの「夢」であった職業に実際に就業した人って、どれぐらいいるのでしょうね。そもそも、小学生の時と同じ「夢」を抱いたまま高校生、大学生になった人ですら、多数派ではないのではないかと思われます。「子供」の時分に抱いた「大人になったらなりたいもの」が「大人になって実際に就いた仕事」と僅かでも相関関係があるのか、その辺りからして怪しいものです。せっかく企業がお金をかけて調査しているのに、やることは単なる人気投票にしかなっていない、それは他の会社でもよくあることですけれど、もったいない話です。

 「その後」を追う調査って、もう少し世間で重視されるべきではないかと思います。たとえば中高年正社員が居座っているから若者の就業機会が損なわれている云々みたいな経済誌の与太話があって、その一方で正社員だろうが容赦なく会社から追い出しては若者向けの求人を出している、そして実際に採用数も会社の規模に比して著しく多い会社もあるわけです。ではトウの立った社員をクビにして若年層の雇用機会を創出している――すなわち日本的な経済言論の理想を体現している――会社に入った「若者」のその後とか、まとまった調査結果が出れば面白いことになるのではないでしょうか。

 

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偉くなったつもりの人

2016-01-06 23:19:35 | 社会

 日本のバレンタインデーは製菓メーカーの仕掛けだというのはよく知られた話ですが、初詣は電鉄会社が考え出した風習なのだそうです。 ……で、家の近所に割と大きな寺がありまして、しばしば参拝客に道路が占拠されていたりするわけです。正月などはもう、酷い有様でしたね、どうして寺にお参りに来る客ってあんなにマナーが悪いんだろうと、毎年のことながらうんざりさせられます。

 まぁ、何かしらの「権威」と一体化することで、自分自身が偉くなったつもりになっている人は、案外どこにでもいるように思います。勤務先でもそう、「非正規のくせに経営者目線」の人が結構いるのです。全く自分が見えていないな、と呆れるところですが、それが彼/彼女なりのプライドの保ち方なのかも知れません。「会社の偉い人(あるいは経団連の人やエコノミスト)」と同じようなことを自ら語ることで、「自分は(偉い人と同様に)物事がわかっている」と、そうふんぞり返っている滑稽な人は多いです。ボロは着てても心は錦、下っ端でも心はエグゼクティブなのです!

 ネット上で非正規叩きに精を出している人なんかも、むしろ社会的地位のある人より、まだ社会(会社)に出ていない人や社会的に成功していないけれどもプライドばかりが肥大化した人が背伸びして「わかったようなこと」を書き込んでいる印象が強いです。あるいは「正社員は保護されている」的な経済誌の中のおとぎ話を持論にしているネット論客にも似た類いは多いでしょうか。まぁ人を「働かせる側」の主張を自分の言葉として語ることで、自分も偉くなった気分になっている、経済通の「つもり」になっている、そんな人が多いのではないかな、と。

 そして冒頭の話に戻りますが、得てして信心深い人ほど傲慢なのは、宗教との一体感があるからでしょうか。個人としては何の力もない人でも、信仰によって宗教団体の力と自分の力を混同するようになる、そうして信者の集団の中にいると偉くなったような気分になって、部外者に道を空けさせるのも当然と思えてくるのかも知れません。寺の行事に参加しに来る人々は本当にタチの悪い輩が多いですけれど、たぶん一人でいる間は意外に大人しい人なんじゃないかとも思いますね。

 宗教行事に参加する信心深い人ではなく、ただ電鉄会社が考えただけの行事に足を運ぶ初詣客も、「周りが皆同じことをしている」と、それはそれで自分の振る舞いに自省が失われてくるものなのではないでしょうか。周りがきれいに列を作っていれば敢えて列に割り込んだりしない人でも、周りが一斉に横入りを始めれば自分も躊躇なく後に続く、周りが路上にゴミを捨て始めれば自分もゴミを平気で捨てる、それは我々の社会で至って普通に見られる振る舞いです。己ではなく他人(周り)の判断を自分のものにしてしまう、そこから自信を得てしまう人も多いのでしょう。

 

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仕事で使わなくても必要とされる能力

2016-01-03 10:59:26 | 雇用・経済

 たとえば履歴書をきれいに手書きする能力とか、世界で通用する人材になるためには不必要でも日本で活躍する人材になるためには必須のスキルがあるわけです。まぁヨソの国で求められるものと日本の会社が要求する能力は別物ですから、そういうこともあるのでしょう。荒野の狩猟採集民と都市部のホワイトワーカーでは必要な技術が異なるように、世界と日本ではニーズの違いがあります。高等教育を受けた人材を欲しがる社会もあれば、とにかく安く非正規で働いてくれる若者を求める社会もある、だから世界では通用しても日本では通用しない人だっていることでしょう。

 さて呆れるばかりの無教養でありつつTOEICで高い点を取る能力は高かったり、あるいは全く勉強しないようでいて英会話だけはしっかり勉強している、そういう人もたくさんいます。日本社会において重要度が高まっている英語力とは、どういう位置づけなのでしょうね。もちろん英語力は様々な場面で役に立ちます。英語が読めれば趣味の世界が広がる、英語が話せれば交流の範囲も広がるわけです。上述の通り日本では通用しなくても外国では通用する可能性がありますが――言葉が通じるかどうかでチャンスを生かせるかどうかも変わってきます。英語を学んでおくことは、重要です。

 しかし、会社で英語力は役に立つのでしょうか。どうにも昨今は就職や昇進の際に、TOEICで高得点を取る能力を要求する会社が多くて私の勤務先の親会社も例外ではないのですけれど、その一方で仕事に英語を使う機会って、本当に一部の人にしかないんですよね、実際のところ。確かに職種や業種、業界によっては英会話能力が必須になることもあるでしょう。しかし、それは多数派ではありません。だいたいの人は、英会話に自信があっても日本語オンリーの職場でくすぶっている、そういうものです。英語力の必要な仕事という需要を、英語に自信がある人という供給が大幅に上回っているのが現状と言えます。

 それでもなぜ会社は幅広く社員に英語力を求めるのか、どうにも英語力の扱いが「履歴書をきれいに手書きする能力」と同レベルになっているところもあるように感じられます。仕事で必要になるかどうかではなく、会社の求めに応じる心構えの一環として、履歴書をきれいに手書きする、TOEICで高得点を取る、そういうものが試されているのが本当のところではないでしょうか。国外市場が主たる顧客の会社ならいざ知らず、もっぱら国内市場で成り立っている会社なのに「全」社員に英語を強要したり等々、これは一見すると不毛な行為ですが、意外に日本的な雇用関係としては「昔ながら」の継続なのかも知れません。

 後はまぁ、海外(日本語の通じない相手)と取引するにしても、社内の「英語のできる人」だけで間に合う場合は多そうなものですが、「英語の話せる人は海外勤務」「英語の話せない人は国内勤務」になってしまうと、英語力の高低で社員側がキャリアを選択できてしまうことになります。日本の正規雇用は無限定雇用、会社側の思い通りにどこへでも飛ばせる雇用慣行が維持されてきたわけです。しかし英語が話せない人を海外に飛ばしてもさすがに役に立たない、そうなると「英語を学ばない人」=「国内に勤務地が限定される人」になる、これは会社としては大いに嫌がるに違いありません。だから主たる事業は国内で完結するものであろうとも、「全社員」に英語力を求めることで「正社員なら誰でも」海外に飛ばせる体制を整えておきたい、その辺が全員に英語力を求める雇用側の思惑なのではないでしょうかね。

 

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