非国民通信

ノーモア・コイズミ

ルーマニアでも似たようなことを考えた人がいました

2013-02-26 23:06:49 | 政治・国際

「少子化対策は妊娠中絶問題から」 自民・野田総務会長(朝日新聞)

■野田聖子・自民党総務会長

 年間20万人が妊娠中絶しているとされるが、少子化対策をやるのであればそこからやっていかないと。参院選後に党内の人口減少社会対策特別委員会で検討してもらうつもりだ。堕胎を禁止するだけじゃなくて、禁止する代わりに例えば養子縁組(をあっせんするため)の法律をつくって、生まれた子供を社会で育てていける環境整備をしなきゃいけない。(佐賀県武雄市で記者団に)

 

 引用は佐賀県武雄市での発言とのことで、何だか記憶に引っかかる地名だなと思っていたら、一昨年の末に被災地のガレキ受け入れを「撤回」したことで有名になった自治体でした(参考、脅しに屈せず立ち向かおう)。武雄市の属する広域市町村圏組合でガレキの受け入れを決めたところ、「受け入れたらお前たちに苦しみを与える」「市や市民主催のイベントを妨害する」「武雄市産の物品の不買運動をする」などの脅迫が殺到したとのことで、早々に市長が日和ってしまったわけです。ブログを書いていて良かったと思えるのは、こういう気になる過去のニュースを振り返ることができる辺りですね。

 さて、政府与党の総務会長がなにやら不思議なことを言い出したようです。かつての自民党時代には女性閣僚の少なさを批判する声もあったもので、それが民主党への政権交代後も女性議員の閣僚起用は少ないまま、しかしこれを批判する声はめっきり減ってしまった印象があります。そして再び自民党へと政権交代、やはり党や内閣の要職に就く女性政治家は少ないままですが――ただ単に政府の中枢に女性の比率が増えただけでは何の意味がないだろうなと思わないでもありません。たまたま性別が女性であるだけの政治家が増えたからといって何かが良くなるとはとてもとても……

 かつて「(女性は)産む機械」などと発言して顰蹙を買った厚生労働大臣もいたもので、当時の首相夫妻は不妊治療を受けても子供ができなかったようですが内心ではどう思っていたものでしょう。カレル・チャペックの有名な戯曲『ロボット』ではロボットが普及した後に女性たちは子供を産まなくなります。そして作中では子供が産めないことが人間性の喪失であるかのごとくに描かれているわけで、今になって読むと、ある意味で「保守的」な作品だったのだなぁと感じるところです。子供を産まない人だって、それを理由に否定される謂われはないでしょうに。

 そして冒頭の野田発言です。曰く「年間20万人が妊娠中絶しているとされるが、少子化対策をやるのであればそこから」とのこと。なかなかのアイデアマンですね。私だったら100年かかっても、こんなことは思いつきません。しかるに日本は優生思想が強かったせいか妊娠中絶の件数も実施率も相当に高かった時代があった一方、どういう心境の変化なのかはさておき中絶件数は着実に低下を続けてきました。元から「減っている」カテゴリなわけです。現状に何らかの変化を加えるべく「対策」を採ると言うことは、これまでの減少カーブを増加に逆転させようとでも言うのでしょうか。

 未成年の人工妊娠中絶「率」には若干の上昇傾向をみてとれないこともないですが、ただ国際的に見て高い値ではないこと、20歳未満での婚姻が希なケースになっていることも鑑みれば、道徳家がいきり立つような数値でもないと理解いただけると思います。強いて言えば婚外子差別を無くせば20歳未満の未婚者が多いであろう妊娠中絶を多少なりとも減らすことはできるかも知れませんね。まぁ野田の言う養子縁組の斡旋云々は決してダメなことではないですけれど、現代の保守的な日本人は「家」ではなく「DNA」の継承を重んじますから、果たして需要があるのかどうか。

 妊娠中絶が全体としては減少している中で、増えているのは「出生前診断で胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」です(参考、それが優生思想なんです)。幸か不幸か出生前診断の結果としての妊娠中絶が占める割合は、まだ決して高くないにせよ今後はさらなる増加が予測されるところでもあります。いずれはそれが多数派になる時代も来るでしょうか。こうした予測される未来を野田が計算に入れているかは大いに疑わしいものです。ともあれ、優生思想に根付いたプロ・チョイスからカトリック的なプロ・ライフへと流行が移り変わったところで少子化がどうにかなるなどとは(それは既に進行中のことでもありますし)、余程の人でもなければ信じないと思いますね。

 

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ハンバーグサンドも買ってあげるから

2013-02-24 22:58:32 | 社会

「原発出て行け」連呼の隣人提訴=東北電力社員の一家―仙台地裁(時事通信)

 自宅に向かって「原発出て行け」などと連呼され、精神的苦痛を受けたとして、東北電力の男性社員と小学2年の長男(8)ら家族3人が21日までに、近所の男性を相手に約540万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。

 訴状によると、2012年7月、近所の男性は飲酒運転し、仙台市内の男性社員宅のコンクリート壁に衝突、破損させた。社員が修理費の支払いを求めたところ、社員宅に向かって「原発爆発させて何やってるんだ」「東北電力出て行け」などと大声で叫んだという。

 ほかにも、庭先で遊んでいた長男に向かって「原発出ていけ」と連呼するなど、計20回以上嫌がらせを受け、一家は精神的苦痛を受けたと主張している。 

 

 「東京電力社員の子供を、全員がボイコットしなさい」「皆が東京電力社員の子供を完全に無視しなさい」「電力会社社員は高給まで取っている。その子供の未来をなくすことが、デモよりも確実~」などと宣って話題を攫った反原発活動家もいたものですが、東北電力社員に「原発爆発させて何やってるんだ」「東北電力出て行け」などと迫った人もいるようです。東北電力の原子力発電所というと女川原発辺りでしょうか。女川原発は無事に冷温停止状態へ移行しただけではなく、震災後に施設を開放して避難者の受け入れに努めていたことでも知られ、石巻市の亀山紘市長(共産党系の首長ですよ!)からは「安全対策をした上で再開する方向で考える必要がある」と語られるなど、まぁ反原発な人にとっては福島第一原発以上の悪夢になっていたのではないかと思われるのですが、憎悪はあっても事実を見る目と受け入れる頭が欠けている人もいるわけです。

 

「肉の万世」、東電を提訴 「風評被害で売り上げ減」

 東京電力福島第一原発事故による風評被害で売り上げが減ったとして、首都圏を中心に和牛レストラン「肉の万世」などを展開する万世(東京都千代田区)が東電を相手に、約2億3400万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしていたことが分かった。

 訴状によると、万世は2010年3月期に約1億8900万円の純利益を計上していたが、原発事故以降、売り上げが減少。12年3月期は約8200万円の赤字になったという。

 牛肉の仕入れ先が福島県を含む東北地方と栃木県だけで約7割を占めており、福島県白河市内に牧場があることも宣伝。店舗内の個室に「白河」や「白河亭」といった名前もつけていた。「赤字になったのは放射能で汚染されたという風評被害が原因で、急激な客離れが進んだ」と主張している。

 

 昨年は仙台名物として外国産の牛タンを客に提供してきた事業者が「地元産と思い込んでいる客が多く、風評被害は大きい」として東京電力に損害賠償を求めるなんてこともありました(参考、誤解を広めてきたのは誰だ)。それに比べれば、実際に東北や栃木から牛肉を仕入れている肉の万世の主張には多少の分があるでしょうか。しかし「赤字になったのは放射能で汚染されたという風評被害が原因」というなら(そればかりが原因かというのはさておき/何事もなくとも経営悪化なんて珍しくないわけで)、その風評被害を巻き起こし、広めてきた人々を放っておいて良いのか?との疑問は尽きません。

 牛肉から検出される放射性物質を基準値以下に収めるために要した追加のコストであれば、まぁ東京電力に費用負担として損害賠償を求める権利はあるかも知れません。しかし、東北や栃木から仕入れられた牛肉が危険であり摂食を避けるべきであるかのような、事実とは全く異なる風評を流してきたのは誰なのでしょうか。それは少なくとも、被告となっている東京電力でないことは確かです。

 事実に基づかない風評を流した人や組織を訴えるのなら、筋は通ります。損害賠償は、その損害をもたらした「加害者」に請求する、当たり前のことですよね? ただし今回の風評被害の「加害者」は範囲が広すぎるために「訴えようがない」のが実態になっているのかも知れません。朝日新聞出版なり中日新聞社なり、あるいは週刊金曜日なり有象無象の活動家なり罪を償うべき対象は挙げていったら切りがないですから。風説の流布によって誰か/何かに損害を与えているからといって片っ端から裁判所に連行しようものなら、それもまた悪夢のような世界ですし。

 BSE騒動の時など普通にアメリカ人が貪り食べているものですら輸入禁止となってしまい、この中で肉の万世など比ではないレベルの大損をした企業もあったはずですが、その損害はどこに補償を求めれば良かったのでしょう? 結局「訴えやすい」かどうかが分かれ道になっているように思えます。訴えようにも自分に損害を与えた相手が茫漠としていて明示しきれない場合と、好都合にも世間のバッシングの対象で、今なら自分側の言い分が通りやすい、抗弁されることが考えにくく、相手方の反論も黙殺されるであろうと、そういう状況では必然的に後者が訴訟の相手に選ばれてしまうわけです。

 冒頭の東北電力社員へ嫌がらせを続けた男性の行為は、暴挙として非難されることが多いものと思います。では一部企業による東京電力への賠償請求はどうなのでしょう。実際に東京電力が防げなかった事故によるものならともかくとして、原発事故にかこつけて根も葉もないデマを流した人々がもたらした「被害」の補償を東京電力に求めるのは妥当なのやら。単に弱っている、与しやすい相手を選んだだけではないのか、そうした点では冒頭に挙げた被告と、次に引用した原告の立ち位置は意外に近いところもあるのではと感じるところです。まぁ賠償の原資は巡り廻って、風評被害を広めようとする輩を退けられなかった国民の懐に求められるので因果応報ではあります。

 

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そもそも有権者が働く者の立場に立って考えてはいないわけで

2013-02-22 23:06:27 | 政治・国際

民主「働く者の立場に立つ」姿勢明記 綱領の最終案(朝日新聞)

 民主党は18日、党の基本理念や立ち位置を定める綱領の最終案を決めた。「生活者、納税者、消費者、働く者の立場に立つ」という姿勢を明記。「既得権や癒着の構造と闘う改革政党」と位置づける。24日の党大会で正式に決定する。

 民主党は1998年の結党時に「私たちの基本理念」と題する文書を作ったが、正式な綱領をつくるのは初めてとなる。昨年12月の衆院選前から着手。野党転落をへて、最終案の前文には「必ずや国民政党として再生し、政権に再挑戦する」という宣言も入った。

 目標の中で「個人を尊重し、共に生きる社会をつくる」として、国家の役割を重んじる安倍晋三首相との対立軸を示す。ただ、結党時の基本理念に記され、自民党など保守政党との違いを明確にするために使ってきた「民主中道」という立ち位置は、保守系議員から異論が出て盛り込まれなかった。

 

 ……などと民主党は自称しているようですが、実態はどれほどのものだったのでしょうね。まぁ「既得権や癒着の構造と闘う改革政党」ではあったように思います。例えば民主党の支持母体として連合などあるわけですが、労働者側に民主党は何らかの利益をもたらしたでしょうか。あるいは、その議員が自らを選出してくれた地域に雇用や公共事業を引っ張ってくるようなことがどれほどあったのか。自らを支援してくれた支持者たちに利益を誘導「しなかった」ことにかけては、まさしく民主党は「既得権や癒着の構造と闘う改革政党」だったと言えます。

 それにしても、何とも変わり映えのしないスローガンではないでしょうか。「既得権や癒着の構造と闘う改革~」と、もう10年以上も似たような看板が入れ替わり立ち替わり掲げられ続けてきたわけです。古くても良いものは良いものなのかも知れませんが、この「改革」がもたらした「結果」を見れば、とうに「賞味期限切れ」の旗印であるように思えてなりません。もっとも賞味期限切れの党ということで民主党には似つかわしいと言えなくもありませんけれど……

 結局のところ民主党が「闘う」仮想的の設定は、「自民党をぶっ壊す」などと吠えていた誰かさんを忠実に継いでいるだけです。むしろ「古い自民党」へ部分的にでも回復している自民党以上に、民主党は「自民党をぶっ壊す」路線を変わることなく追い続けていると言えるでしょう。近年の日本の著しい低迷をもたらした「新しい自民党」のDNAを真に継いでいるのは民主党ではないかと思うところです。いっそのこと「自分たちこそ自民党の正当後継者」「朝鮮学校への無償化措置を止めたのは民主党」「生活保護の切り下げに道を開いたのは民主党」「自民党がナアナアで棚上げにしてきた尖閣領有問題に火を付けたのは民主党」と、自民支持層に自分たちを売り込んでみたらいかがかと。

 

ローソン社員の年収15万円増 続く企業はどこか(週刊文春)

〈デフレ脱却に重要なのは、一番消費しなければいけない世代の給料を上げ消費をしてもらうことです〉
 
 小誌1月31日号で、こう力説していたローソンの新浪剛史社長(54)が、有言実行した。
 
 ローソンは2月7日、社員の年収を平均15万円上げると発表した。対象は、消費意欲の高い20代後半~40代の社員で、3300人。

 

ローソン社員の年収アップキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!|ねたAtoZ

14:名無しさん@13周年:2013/02/17(日) 20:35:00.14 ID:uVDGIe2T0

まぁ普通、常識的に考えてマスコミが手本を見せるべきだわな。
とりあえず社会への影響力が絶大なTV局とかがニュースやワイドショーとかでわが社も日本の成長に協力しますってひと言いえば済む話。

 

 ローソンでは社員の年収を平均15万円上げるとか。月単位、時間単位で見ると必ずしも大きくはないにせよ、昇給の及ぶ範囲の広さは評価しても良さそうです。もっとも「ローソン」ブランドの下で働いている人の大半はアルバイトや店長(オーナー)であって社員など一握りのような気がしなくもありませんが、まぁ悪いことではありません。一方、下の引用はローソンの給与引き上げのニュースへの反応の一つです。どうしたものでしょうね。もちろんメディアも率先して自社従業員の給与の引き上げに努めてもらいたいと私は思いますけれど、世間のウケはどうなのかと。

 むしろ「給料が高すぎる」としてバッシングの対象になりがちなのがマスコミの世界です。あるいは公務員であったり、中高年正社員であったり、電力会社社員であったり、いずれにせよ「給料が高い」とされれば即ち、それは批判の対象として扱われてきました。こうした人々の給与引き下げに努める姿勢を示すことで世間の評価を高めてきた政治家は少なくなく、民主党もまたその一員として振る舞ってきたわけですし、民主党を見限った有権者も働く人の給与を引き下げていく方針には決して否定的ではなかった、むしろ「手ぬるい」と批判の声を上げるくらいだったのではないでしょうか。

参考、給料を下げるのが民主党

 「戦後レジームからの脱却」云々と叫んでは尻すぼみになって退陣した内閣もありましたが、とりあえず今の内閣には何よりも「バブル後レジームからの脱却」を期待したいものです。いかに人件費を下げたか(いかに働く人を貧しくしたか)を業績として有権者にアピールしてきた時代を終わらせること、従業員に高い給料を払う事業者が賞賛される時代を取り戻すことこそ、喫緊の課題と意識して欲しいです。先日は経済3団体トップに対し賃金引き上げを要求するなど、まぁ前政権では考えられない変化もありました。もっとも強制力を伴わない口先の要請でもあります。給料を下げる時代から上げる時代へ転換するには、この先が問われるところです。そのためには「上」もさることながら、無名の有権者もまた賃上げを肯定的に捉えるよう変わらなければならないと言えます。

 

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As Low As _________ Achievable

2013-02-20 23:11:48 | 社会

 原発事故後の結構な期間、無意味なものから過剰なもの、単に害しかないものなど諸々の放射「能」対策が唱えられており、それは専ら住民の生活を損ねるものでしかなかったと言えます。にも関わらず放射「能」によって健康被害が生じる可能性は0ではない云々と説く人もいたもので、ならば隕石に当たって死ぬ確率だって0ではない、しかし隕石が降ってくるのに怯えて頑丈なシェルターの中から一歩も出ない生涯を送るとすれば、それは誰がどう見ても愚かな判断だろうと当時は思いました。しかるに先日のロシアでは隕石の落下で1000人を超える負傷者が発生したとか。全く、何が起こるか分からないものですね。だからといって、隕石が降ってくる決して0ではないリスクへの予防原則と称して住民の生活を制限するとしたら、それはどうなんだろうと引き続き思うわけですけれど。

 無添加はかえって危ない、と説く人もいます。とかく有害視されがちな食品添加物ですが、むしろ「無添加」の食品の方がハイリスクになっている場合もあるようです。添加物の危険性ばかりが大きく叫ばれる一方、添加物を使用「しない」場合のリスクは無視されがち、ところが後者の方が実は重大になるケースも珍しくないのでしょう。食品添加物の害が全く0ではないとしても(実際に使われる量の何千倍も摂取すれば!)、ならば「使わない」ことでリスクを0にできると言えばそれは全くの誤りで、添加物を使わないことで食品の保存性が大きく低下、食中毒などの時には重篤なリスクすら高まってしまうわけです。しかし「使わない」ことのリスクから目を背ける人にとっては、「無添加」こそが安全の印になってしまうのかも知れません。

 電車を止めることに並々ならぬ拘りを見せるJRを「安全優先」などと考えてしまう人も、たぶんそういう発想の持ち主なのでしょう。状況の如何に関わらず電車を止めるJRが安全志向なら、状況次第で平常運転や早期復旧を計る私鉄各線は安全軽視なのかと言いたくもなりますが、ともあれ先日も書きましたように電車の運転を止めさえすれば安全かと言えば、そう簡単でもない、むしろ止めることによって増大するリスクもあったわけです。動かさなければ事故は起きない、というのは幻想でJRが電車を止めることで「ヨソ」にリスクが転嫁されているだけだったりして、まぁ危なっかしいことだなと私などは思ったのですけれど、「動かさない」ことのリスクから頑なに目を背ける人にとってJRは安全優先の組織と言うことになるようです。

 飛行機に乗らなければ、飛行機事故には遭わないで済むかも知れません(自宅に飛行機が墜落する可能性は0ではないにせよ)。しかし、飛行機の代わりに船や自動車で移動するとなれば、言うまでもなく船の事故や自動車事故に遭遇するリスクからは逃れることができないわけです。Aというリスクを避けるための判断が、Bという新たなリスクを引き寄せることもある、むしろ新たに直面するリスクBの方が深刻になることもあるでしょう。そこで総合的に見てどちらがより安全なのかが問われるべきと言える一方、特定のリスクだけを絶対視してリスクAを避けるために生じるリスクBの存在を無視する人もまた多く、こうした手合いほど声高に「安全」を叫ぶ傾向があるように見えます。それは安全を重視する風を装いつつ、実は(安全のことを含めて)何も考えていないだけなのですが。

 すき家が強盗対策に費用を投じないのと同じことで、電車を動かしたがらないJRにも相応の経営側の思惑があるのでしょう。メニュー表をレジカウンターから撤去したマクドナルドみたいに利用者には不評な代物でも、会社側は一応の知恵を絞って最善の判断をしたつもりなのだとは思います。そして電車を「動かした」結果としての事故と違って「動かさない」ことで生じた損害ならば責任を問われにくいとでも考えるのなら、営利企業としては至って合理的です。ただ、これを安易に「安全優先」と判断する部外者は、もうちょっと深く物事を考えた方が良いのではないか、特定の――自分が関心を持つ範囲内での――リスクだけではなく、もっと広い視点で見るべきではないかと思いますね。むしろ危険を招くことだってなりかねませんから。

 原発稼働を巡っても、問われるべきは「動かした場合のリスク」と「止めた場合/動かさなかった場合のリスク」であったはずです。ところが特定のリスク――要するに「動かした場合のリスク」のみを語っては、「動かした場合のリスク」vs「経済性、利便性等々」の対立に話をすり替えようとする論者もまた多かったのではないでしょうか。あるいは、「動かした場合」のリスクが0かそうでないか。いずれにせよ「止めた場合/動かさなかった場合のリスク」から目を背け続けてきたという点で安全のことを何も考えていない、自分の頭の中の妄想にしがみついていただけの人も多くて、あろうことか行政がそれに振り回されてしまったところすらもあると言えます。特定に事例に寄らず、リスクに対しての考え方そのものが見直されなければいけないのではないかと、まぁ色々と考えさせられるところです。

 

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似たような事例も思い浮かぶところ

2013-02-18 23:11:48 | 社会

自転車壊され、「死ね」と罵声浴び…風評被害に苦しむ生徒たち 桜宮体罰問題(産経新聞)

 1月上旬に大阪市教委が公表した市立桜宮高校の体罰問題は、体育系2科の入試募集中止などをめぐって物議を醸したが、2月に入り停止していた全部活動の再開が決まるなど事態は平常化に向かいつつある。

 ただ、その中で気がかりなことがある。在校生への嫌がらせだ。複数の在校生によると、同校のステッカーがはられた自転車が壊されたり、登下校時に見知らぬ人から「死ね」などの罵声を浴びせられたりしたという。運動部をめぐっても、別の高校との合同練習を断られたケースがあるといい、「(体罰があった)桜宮の運動部を応援する気にはなれない」と嫌悪感を口にする別の高校の保護者もいるほどだ。

 こうした“風評被害”にさらされる環境に、3年の女子生徒は取材に対しこうつぶやいた。「人目を避けるように、校名が入った通学用かばんを裏返しにしたり、別のかばんを持って登校したりする後輩もいる。このまま安穏と卒業を迎えることはできない」。後輩たちが不憫でならないといった先輩の思いやりが伝わってきた。

 

 体罰問題で世間を騒がせた大阪の桜宮高校ですが、何でも在校生への嫌がらせや、合同練習を断られるなど他校から敬遠される動きがあるようです。この辺の動機は、どんなところにあるのやら。悪評への「穢れ」意識みたいなものもあるのでしょうか。まぁ似たような例がないわけでもないのかも知れません。原発事故後に福島ナンバーお断りと掲げたガソリンスタンドがあったとか、福島出身者が入店を拒否されたとか色々と聞きますし、日本生態系協会の会長が「福島の人とは結婚しない方がいい」などと言明したり、あるいは福島から非難してきた児童の入園が断られたり、「放射線があるから近よらないで」などと言われて福島から来た子が学校でいじめられるなどのニュースも何度となく目にしたものです。

 他にも福島はおろか東北全域の農産物、あろうことが岩手の松や青森の雪すら「放射能が心配~」と言って排除の対象にしようとした人もいました。福島第一原発からは大きく距離の離れた被災地のガレキをも放射性物質が拡散する云々とデマを振りまいてはガレキ処理を妨害し、被災地復興を阻もうとした人もいるわけです。なんとも度しがたい悪意であり、このような人々の存在は同じ日本に住む一員として大いに恥ずかしく思うところですけれど、被災地の住民や産物を排除の対象とし、差別を煽っていた人は専ら自らを正義と考えていたところに、さらなる愚かさがあると言えるでしょうか。

 たぶん、ここで桜宮高校の生徒までをも巻き込んで排除の対象にしようとしている人もまた、「脱原発」の人と同じような考え方の持ち主なのかも知れません。傍目には悪意を以て被災者なり(体罰とメディアスクラムの)被害者なりを叩いているだけであっても、加害者である彼らには自分たちの行為を正当化するための理由が用意されているものと思われます。それはカルトの教義よろしく部外者には理解しがたいものではある一方、本人にしてみれば普遍の真理であり共感しない人の方がおかしい、ということになっているわけです。そして自らの「正しさ」を疑わないまま、害を――しばしば困窮している人に対してこそ害をもたらすと言えます。

 原発に反対していると称しつつ、その実は実態とは大きく異なる誇張どころでは済まない大嘘を垂れ流し、福島はおろか原発事故とは無関係な東北被災地全域に深刻な風評被害をもたらしてきた人もまた残念ながら少なくありません。こうした暴挙に批判的な声を上げる人もいたわけですけれど、カルト化した脱原発サークルの人間に言わせれば、「第一に責任があるのは行政と東電であり、第二に責任があるのは原発推進に加担した人々」とのことで、要するに「悪いのはアイツら」、デマを撒き散らし被災地に仇なす自分たちは悪くないと考えているようです。そうなのでしょうか? まぁ歴史的な大災害の中で事故を防げなかった電力会社等にももちろん責任はありますし民主党政府の対応も最悪に近いものでしたが、だからといって原発事故がもたらした被害とは別の被害を新たに創り出してきた人が免責されるはずがありません。福島の居住者や生産者に苦痛と損害を与えることがわかりきった行為を、悪いのは東電なのだからと言って正当化する、これが唾棄すべき振る舞いでなくて何なのか。「責任があるのは行政と東電」などとの言い分は、まさしく加害者サイドの逆ギレでしかないでしょう。

 そして桜宮高校(生徒)を排除の対象にしようとしている人々もまた、似た風に考えているのだと思います。つまり、「第一に責任があるのは体罰教師と学校運営側であり、第二に責任があるのは放置してきた市政」みたいなことになっているのではないでしょうか。もちろん学校側の教育方針は見直されなければならないもの、学校教育から体罰は排されるべきものですけれど、そうした「悪」を学校が抱えていたからと言って、これを批判する過程で生徒までをも巻き込んで良いのかは問われるべきです。この辺は橋下による一方的な入試の中止命令も然りで、体罰指導を問題視する風を装いながら、実際には生徒と受験者を追い詰めただけでした。原発や電力会社を批判する旗を掲げておきながら東北の広い範囲に風評被害を振りまいた人と全く同じと言えますが、でも本人は自己正当化の論理を考えるばかりで、自分の振るまいが無辜の人に被害を与えていることなんて気にしないものなのかも知れません。

 

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人はいかにして体罰を望むのか

2013-02-16 22:59:30 | 社会

スポーツ体罰「認められない」52%…読売調査(読売新聞)

 読売新聞社の全国世論調査で、スポーツ指導での体罰について聞くと、「どのような場合でも認められない」が52%だった。
 
 ただ、「場合によっては認めてもよい」は41%で、「認めてよい」も4%あった。
 
 男性は「認められない」47%と「場合によっては認めてもよい」45%が拮抗。女性では「認められない」が57%に上った。20~30歳代では「場合によっては認めてもよい」が57%で多数だった一方、40~50歳代と60歳以上では「認められない」がそれぞれ51%、57%となった。

 

 これ、紙面だともうちょっと細かい数値が載ってたりするのでしょうかね。せっかく調査したのですから、もう少しデータを上げて欲しいところです。それはさておき、見出しでは52%の回答者が体罰を「認められない」と回答したとか。体罰を認めない立場の人が多いと印象づけたい意図が記者にはあったのかも知れません。しかし続く本文を読む限り「場合によっては認めてもよい」が41%と、あまり大きな差は付いていないようにも見えます。自殺に至る事例が大きく報道された直後の調査でこれですから、むしろ「平時」であれば体罰容認の声はもっと強いのではとすら思えてきます。

 なお属性別の集計では、女性よりも男性の方がやや体罰を容認する傾向が強いようです。そして若い世代もまた中高年や高齢層に比べると、体罰を認める回答者が多いことが分かります。なお引用元では、20~30歳代で「場合によっては認めてもよい」との回答率を、それより上の世代で「認められない」との回答率だけを記しており、まぁ「条件を揃えない」というのはメディアの鉄則なのでしょうか。複数回答不可であろうと推測されるだけに、若年層の「認められない」回答率や中高年以降の「場合によっては~」回答率は概ね類推できるのですけれど……

 ともあれ、若年層ほど体罰を容認する気運があるわけです。どうしても若い人は考え方が保守的になりがちというところもあるのかも知れません。あるいは実際に体罰を受けて育った世代か、そうでないかによるところもありそうです。もちろん現代でも体罰は存在しますが、体罰が「どこの教室にも存在するもの」として意識されていたのは、ずっと昔の話ですよね。体罰容認論者、体罰待望論者に言わせれば、現代は体罰が禁止されているからダメなのだとのことで、まぁ相応に修正されているところはあるにしても「昔」は今よりも体罰が盛んであったと記憶されているものと思われます。「体罰」として公式に集計された数値が全く当てにならないので微妙なところもありますけれど、体罰がわざわざ個別にカウントされなかった時代と現代とでは体罰経験者の母数にも違いがあるのではないでしょうか。そして、体罰を身を以て経験「しなかった」世代の方が体罰容認論が強いと。

 

村上 龍   : 野球は格闘技だ サッカーは戦争だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズボニミール・ボバン  
 
 「サッカーは戦争だ」などと言う奴は、本当の戦争を知らないんだ

BBC、レバノン内戦のリポートでインタビューに答えたレバノン人選手

 「サッカーは戦争である」という人がいるが、それは戦争を知らない人の言葉だ

安英学           
 
 戦争の組み合わせが決まったわけではなく、サッカーの組み合わせが決まっただけです

イビチャ・オシム      
 
 サッカーは戦争ではない。政治がスポーツに悪影響を及ぼさないことを、強く願う

 

 一口に体罰を肯定すると言っても、その動機は大まかに3パターン程あるように思います。その1は、体罰によって調教済の場合ですね。体罰教師(あるいは親)によって躾けられた豚は体罰を加えられることに悦びを感じるようになります。そしてこの悦びをもたらしてくれる体罰を良いものと信じ、続く世代にも広めようとするわけです。ただし調教が必ずしも成功するとは限らず、逆に体罰に対して強い反感を抱くようになる人もいると言えます。体罰のおかげで成長したと感じるように調教された人と、体罰に嫌な思い出しかない人、体罰経験者は2極化しやすいのではないでしょうか。

 とはいえ、体罰に嫌な思い出があっても体罰否定派になるとは限らない、自分が受けて育った体罰から、後進世代が免れるのを許せない人もまたいるように思います。税金を払っていない(とされる)人々へのバッシングと同じようなもので、自分でも本当は嫌だからこそ、他人を巻き添えにしようとする悪意の人もいることでしょう。そして第3のパターンは、自らが体罰による調教の対象になったことがないが故に、体罰に強いファンタジーを抱いているケースです。体罰を「知らない」からこそ、妄想の中で体罰を美化してしまう、そこから生まれる体罰待望論が若い世代には多いのではないかという気がします。

 上にサッカーと「戦争」に纏わる言葉を並べてみたわけですが、『半島を出よ』の著者として知られる村上龍はまさしく、平和ボケした日本人の象徴と言えます。実際に戦争の惨禍に晒されたり、身近に戦争の危機を感じた人は決して「サッカーは戦争だ」など口にしたりはしません。ただただ平和ボケのあまり戦争とはどんなものかを理解できなくなっている人間だけが「サッカーは戦争だ」と語ることができるのです。これと同様に自らは体罰から縁遠く安全な環境で育ったが故に、体罰を理解できないまま体罰を肯定的に捉える、そんな観客席からの体罰待望論もまた目立つのかも知れません。自らが痛い目に遭って、時には手遅れにならない限り、現実に気づくことができないとしたら何とも愚かしいことですが……

 

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前政権の逆を行くことに徹して欲しい

2013-02-14 23:05:38 | 政治・国際

「衆院定数削減、自民に覚悟あるか」 民主・細野幹事長(朝日新聞)

■細野豪志・民主党幹事長 衆院議員の定数削減は、今国会でやるというのが公党間の約束だ。自民党のみなさんの発言を聞いていると、本気で約束通りにやる覚悟があるのかどうかが見えない。民主党は野田佳彦前首相が総理の職を賭して、(衆院解散・総選挙の条件として)定数削減を自民党に迫り、総選挙では本当に多くの仲間を失った。この通常国会で必ず、定数削減の法案を通すところまでやり切らなければいけない。(札幌市内の記者会見で)

 

 ……こういう発言を聞くと、民主党政権が終わってくれて本当に良かったと今さらながらに思います。まぁ自民党も、どちらかと言えば議員定数削減寄りですけれど民主党のような急進派でもなく何となく先送りの気配も漂わせているだけに、相対的には良識を感じるところです。なお細野曰く「定数削減を自民党に迫り、総選挙では本当に多くの仲間を失った」とのこと。民主党が「多くの仲間を失った」のは定数削減を迫ったのとは全く無関係ですし(野田による対立派閥の切り捨てや相次ぐ失政などの自爆行為はどこに?)、むしろ定数削減自体は有権者の支持を得たポピュリズム色も濃いものであったはずですが、細野の頭の中では「民主党は自ら身を切る姿勢を示した!」ことになっているのでしょうか。とりあえず自民党には、民主党政権の逆を行くことに徹して欲しいと思います。

 

賃上げ、直接要請=経済3団体トップに―安倍首相(時事通信)

 政府は12日、首相官邸で「デフレ脱却に向けた経済界との意見交換会」を開いた。席上、安倍晋三首相は、経団連、日本商工会議所、経済同友会の経済3団体トップに対し、業績が改善した企業の賃金引き上げを要請した。経済界の協力を得て、従業員の賃上げといった目に見える形で「アベノミクス」の効果を国民全体に浸透させるのが狙いだ。

 安倍首相は「政府は労働市場改革など規制緩和に取り組む。経済界には、業績が改善している企業の報酬引き上げをぜひお願いしたい」と表明。「官民が力を合わせて、本格的なデフレ脱却に力強く歩み出したい」と述べた。

 

 とりあえず現時点で安倍内閣の経済姿勢には合格点が付けられます。とはいえ現時点ではまだ期待感ばかりが先行しているきらいもあるだけに「今後」は問われるところです。輸出という外需に頼るのも限界がある、日本の貿易黒字のためにアメリカ等に貿易赤字を押しつけるやり方は反発を買うこともあるでしょう。どうにも日本では「20万稼いで、消費は15万に抑える」みたいなモデルが理想視されがちですが、こういう溜め込み型ではなく「30万稼いで、30万消費する」循環型にシフトしなければならないように思います。そのためには、日本で働く人の購買力を高めること、つまりは人件費を引き上げることですね。それが内需喚起というものですから。

 この十数年来、日本は改革の旗の下、人件費抑制=日本で働く人を貧しくすることと、雇用側に自由を与えることを至上命題としてきました。そのためには日本経済がいかに衰退を続けようとも一向に省みてこなかったわけです。ようやく安倍という本来は経済にあまり関心がなかったであろう政治家によって方向転換の兆しが見えてきたものの、さて経済団体という本物の聖域にどれほど切り込めるでしょうか。こういう場面でこそ「強い姿勢」が求められるというものです。第一次安倍内閣(改造~含む)ではホワイトカラー・エグゼンプションを巡るゴタゴタなどもありました。基本的に安倍晋三は経済に関して「これ」という信念を持ってはおらず、入れ知恵する人次第でどうにでも変わりうるタイプに見えるだけに(だからこそ第一次安倍内閣の誤った経済政策に固執せず、現実に合わせた修正ができたとも言えます)、変な「巻き返し」に合わないか心配するところでもあります。

 

自民・伊吹氏「体罰全否定したら教育できぬ」 元文科相(朝日新聞)

 伊吹文明衆院議長が9日、自民党岐阜県連が岐阜市で開いた政治塾で「体罰を全く否定しちゃって、教育なんてできない」と述べ、教育現場での体罰排除に否定的とも受け取れる見解を示した。

 参加者から「人を育てるには、子どもの時から多少のたたきは必要なのでは」と質問されて答えた。

 伊吹氏は「私もあなたの考えに近い」とし、体罰が問題化するのは「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていないから。愛情を持って加えているのか判然としない人が多すぎる」と持論を展開。「体罰を容認したと言われ、サディズムの権化のような先生が出てくると困るが、要は人間を磨くということ」などと述べた。

 

 一方、経済とは「違って」首相が信念を持っていそうな分野ほど、己の世界観に固執して現実に対応できない場面も増えるだろうなと思うわけです。この元・文科相で現・衆院議長の発言を安倍内閣はどう捉えるのでしょう。これは愛情なのだと言い張って体罰を振るいたがる人も多いようですが、それはDV加害者やストーカーの論理に近いものを感じますね。そもそも日本の教育現場では戦前から一貫して体罰は禁止だったのですけれど、まぁ歴史認識に拘りのある政治家ほど、そういう史実など気にしないのかも知れません。もちろん労働者の不当解雇よろしく体罰もまた制度上の禁止はあっても実際には横行している場合が少なくないことは確かです。現状で違法・脱法行為が罷り通っているのだから、それを追認すべく法律を変えよと経済団体だったら主張するところでしょうか。国歌を歌え、「上」の命令に従えと喧しい時代とは裏腹に、「上」が定めた制度を逸脱する指導を期待される、何とも奇妙な時代です。

 

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うどん店だけの問題でもなさそうに見える

2013-02-12 23:10:21 | 雇用・経済

香川のうどん店、9割で労働法令違反 全業種平均上回る(朝日新聞)

 香川県内のうどん店では労働関係の法令違反が比較的多いという調査結果を、香川労働局が6日発表した。

 労働局によると、2010年ごろから、うどん店で働く人からの相談が増えたことから、県内の五つの労基署が昨年4月から12月にかけて県内40店に立ち入り調査した。その結果、労働基準法や労働安全衛生法違反が9割の36店で見つかった。県内の全業種の違反率は74%だという。

 労働者に賃金や休日などを書面で示さなかったり、休日出勤などについて労使協定を労働者代表らと結ばなかったりしていたという。調査対象の40店では4~24人が働いていた。

 

 「香川県内のうどん店」と非常にニッチな世界を大々的に取り上げているわけですが、それでいいのでしょうかね。まぁ香川の地方紙である四国新聞ではニュースカテゴリの中に「うどん」という項目が独立して設けられているくらいで、県外人の常識では計り知れないものがあるのかも知れません。普通の県なら「飲食業」とか「従業員○○人以下の企業」といったカテゴリで集計するのが一般的と言えますけれど、香川における「うどん」とは単なる飲食業の括りにとらわれないスペシャルな存在――として県外から観光に来る人などにアピールしたいものと推測されます。

 何はともあれ香川のうどん店の9割で労働基準法や労働安全衛生法違反が見つかったそうです。「労働関係の法令違反が比較的多い」のだとか。9割と言うからには、ほぼ全ての店が法令違反という恐ろしい状態のはずですが、これでも「比較的多い」で済まされてしまうところに日本の現状が端的に表れているとも言えます。県内の全業種の違反率は74%とのこと、たしかに74%と90%を並べれば、「比較的多い」の範疇でしょうか。うどん店に限らずとも74%の企業が法令違反を犯しているという時点で、とっくに異常事態と判断されても良さそうなものなのに、さらっとスルーされるのが我が国の労働市場なのです。

 

23年の法違反率は前年を0.7ポイント上回る67.4%(労働調査会)

 厚生労働省がこのほどまとめた平成23年の定期監督実施結果によると、労働基準法や労働安全衛生法に違反している事業場割合は67.4%で、前年(66.7%)を0.7ポイント上回っていることが分かった。

 

労働基準監督署の取り組み(東日新聞)

 昨年の違反率は一昨年と比べて8・4%増えており、業種別ではサービス業や小売業、飲食店などの商業が約85%、製造業が約76%、運輸交通業が約70%。同署は監督指導を原則抜き打ちで実施し、違反が確認された際には、事業所へ是正勧告書などを交付する。再三の指導に従わない事業所に対しては、司法処分を行うなど厳正に対処している。

 

 上の引用は全国のデータで、下のは愛知の豊橋労働基準監督署のケースです。監督署の匙加減で微妙に数値が変わりそうな気がするところですが、概ね香川県の企業は法令違反率が高い、中でも「うどん店」は高いと言えるでしょうか。ただし業界別に見ると豊橋でも飲食業を含むカテゴリでは違反率85%と平均を上回る高い割合が出ており、「うどん」の問題と言うよりも飲食業界全体で違反率が高いものと捉えた方が誤りがないものと思われます。そこを敢えて「うどん」と的を絞ってネタ要素を盛り込み、さりげなく「うどん県」をアピールしたいのが香川県の思惑なのかも知れません。香川県のそば屋でも居酒屋でも違反率の高さは変わらないような気がするのですけれど……

 なお香川のうどんネタは定番と言いますか、読者を惹きつけるにはこれでも良いとしても、やはり「他県のデータ」「県内/県外の同業種(うどん店以外の飲食店)のデータ」「事業規模別のデータ」辺りを揃えてくれないと、やはり報道としては無責任なのではないかと。比較対象となるべき適正なデータを提示せずに特定の数値だけをピックアップして読者や視聴者を煽るのは筋が良いとは言えません。また紙幅に制限がある媒体ならいざ知らず、web掲載分であれば比較対象も含めたデータ元へのリンクを設けるなどすれば単なる紙メディアの複製に止まらぬ独自の価値を作れそうな気もするところです。プロならそれくらいやって欲しいなと私などは思うのですけれど、お客様(読者)の満足感を得るには無意味な労力になってしまうのでしょうか。

 

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JRは安全志向なのか

2013-02-10 11:49:13 | 社会

大雪のはずが…「国民に迷惑かけた」 予報外れ気象庁(産経新聞)

 発達した低気圧と寒気の影響で6日、関東地方をはじめとした太平洋側では広い範囲で雪となった。しかし降雪量は軒並み少なく、気象庁が予報していた「大雪」には遠く及ばない結果に。同庁は首都圏が大雪に見舞われた1月14日も「雪が積もる可能性は少ない」として予報を外した前例があっただけに、担当者は「国民のみなさまに迷惑をかけた」としている。

 

 先週は大雪の予報が出たものの、都心部では雪が舞う程度で積雪には至らず、まぁ外れて良かったと言うべきでしょうか。予報は大外れとなりましたけれど、刻一刻と移り変わるのが天気予報というもの、実際の天候はその時にならないと分からないわけです。もうちょっと当てになる予報が望まれるところではありますが、人類にはもう少し時間が必要なのかも知れません。気象庁サイドが「外れても当然、それくらい理解しろ」とでも居直るようなら腹も立ちますが、陳謝しているというのなら咎め立てしても意味がないというものです。

 

 ……で、やっぱりコイツは前任者以上にアホだと再認識させられる発言を披露しているのが現・東京都知事です。ちょっと言っていることが理解できない部分もありますが、どうやら猪瀬の脳内では「成人の日に外れたので過剰に積雪量を2度も見積もった」「気象庁の自己保身」なのだとか。どこに根拠があるのでしょうね。逆に過小に見積もったとしても猪瀬には噛みつかれそうなところ、気象庁という「官」を叩けば世間のウケは悪くないとでも考えたのではと推測されますけれど、現代の技術で100%に近い的中を求めるのは無理というものです。非難に値するとしたら精度を上げる努力を放棄したときですが、それっぽい根拠すら猪瀬は示していません。

 

雪:首都圏で警戒、交通網混雑 常磐線、ガラスにひび(毎日新聞)

 気象庁は5日昼、6日正午までに23区で最大10センチの降雪を見込んでいた。ところが都心は6日未明の気温が高く、午前6時半ごろにみぞれが雪になった以降も、再び雨やみぞれに変わった。

 JR東日本は6日午前、首都圏各線で通常の7割程度に本数を減らして運行した。常磐線では午前8時ごろ、金町−亀有間を走行中の我孫子発代々木上原行き電車の緊急ブザーが鳴った。亀有駅に停車し確認したところ、車両と車両の間にあるドアのガラスにひびが入っていた。けが人はなく、応急措置を施し約10分の遅れで運転を再開した。車内の混雑によって破損した可能性がある。

 

 一方、非難を免れないのはJRです。ほとんど雪が降ることもない「普通の雨」の中、他の私鉄各線が軒並み平常運転をキープした一方、JRは運行本数を大幅に減らし、多大な混乱を招きました。全国紙で詳細が報道されることはなかったようですが、秋葉原駅(山手線)では人身事故も起こりました。当日の山手線ホームは黄色い線の外側に出ない限り身動きの取れない状態で、押し倒されないように踏ん張るだけでも一苦労だったわけで、ちょっと足がよろめいてしまった人もいたのでしょうか。続報が出なかったからには大事には至らなかったものと推測されますけれど、一つ間違えればどうだったのやら。

 そして常磐線ではドアのガラスにひびが入ったとか。車内の混雑によって破損した可能性があるそうで、これもほんの少しの違いで重大事故につながった恐れがあります。いずれもJRが他の路線と同様に平常運転していれば起こりえなかった事態と言えますが、JRに反省の意があるのかは大いに疑わしいところです。JRのように時間に遅れるのが当たり前の会社なら、天気予報だって外れるのが当たり前ぐらいに思っていて欲しいもの、しかしJRは過剰な積雪だけを想定し、積もるほどは降らない事態には備えていなかったと言えます。感覚的には、猪瀬に近いのかも知れません。

 一昨年3月に東北で大地震が起こったとき、東京都心部は震度5でしたがJRは断固として電車を止めた上、駅構内から利用客を締め出すという素晴らしい対応を取ったことで知られています。私鉄各線が早期復旧を目指し当日中に動き出した路線も多い中、JRは早々に「絶対に電車は動かしません」と宣言、せっかく動き出した私鉄にも乗客が殺到して運行困難になってしまいました。結果として自動車や徒歩で帰宅する人も多く、道路は人と車で溢れる状態に、この状態で火災などが発生すると消防や救急などの車両が動けず深刻な事態に発展した恐れがあったと後に伝えられたものです。JRが電車を止めることに拘った結果、逆に危険は増したと言えるでしょうか。

 その後も私鉄各線が平常運行を目指す中JRは運行を断固拒否、このため私鉄で「運転手が出勤できないため運行できません」みたいな笑えない話にまでつながったのは記憶に新しいところですけれど、まぁJRはどうしようもありません。とにかく運転を止めれば良い、というのが社是なのかも知れませんが、それは単に通勤客の不便や時間の無駄に止まらぬリスクを産んでいるように思います。今回の大雪を当て込んだ間引き運転でも、結果として重大事故につながる危険性を増大させました。JRの判断は果たして妥当なものであるのかどうか、それは今後のためにこそ問われるべきものでしょう。

 間引き運転から平常運転への移行は難しくとも、平常運行から間引き運転への移行は得意技であり、本数を減らす手並みの鮮やかさは私も認めるところです。ならば「当日の天候次第で対応」することも可能だったはず、運行ペースを落とすのは雪が積もり初めてからでも良さそうなもの、しかし何が何でも通勤時間帯に間引き運転をするのだとJRの意思は堅かったと言えます。あんまり、電車を動かすことが好きではないのかも知れませんね。よく「後ろの電車が遅れているため、当駅で時間調整をいたします」と称して電車を止めていますけれど、その次の駅では「次の電車をご利用ください、電車は続いてまいります」みたいにアナウンスしているのを聞かされるわけで、まぁこれがJRにとっての当たり前なのかも知れませんが……

 

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両腕をもがれた女性像はグロテスクかも知れない

2013-02-08 00:01:25 | 社会

公園のダビデ像「下着をはかせて」…町民が苦情(読売新聞)

 島根県奥出雲町が昨年夏に公園などに設置したダビデ像とビーナス像が、思わぬ問題を引き起こしている。
 
 町出身者が町に寄贈した大理石製の彫刻で、町は「一流の芸術作品として教育的価値がある」と説明するが、巨大な裸像を目にした町民らは「子どもが怖がる」「教育上ふさわしくない」と町議に苦情。町議会でも取り上げられ、山あいの町で論争が続いている。
 
 像は、ミケランジェロのダビデ像やミロのビーナス像を模してイタリアの著名な彫刻家エンツォ・パスクイニ氏(故人)が制作。台座部分を除いた高さは約5メートル。同町出身の元建築会社社長、若槻一夫さん(広島市)が購入して、故郷への恩返しのために昨年4月、寄贈した。
 
 町は「本物の芸術作品を鑑賞できる。ありがたい」と感謝。美術商や若槻さんの意向に沿いながら設置場所を決定。力強いダビデ像は、スポーツ選手が集まる三成運動公園に。愛と美の女神・ビーナス像は、子どもを見守るよう三成公園みなり遊園地に置いた。昨年8月には、若槻さんを招いてお披露目式も行った。
 
 しかし、約5メートルの裸体。小中学生や家族連れらが訪れる場所であるため、住民らから町議に苦情が寄せられ始めた。「子どもが怖がる」「威圧感がある」「もう少しふさわしい場所に移設して」「(ダビデに)下着をはかせて」などの声があるという。

 

 まぁ芸術かどうかなんて、見聞きする人の心掛け次第です。ウチの近所にも巨大な日蓮らしき銅像が鎮座していて私にとっては粗大ゴミみたいなものですけれど、人によっては価値があるものなのでしょうし。どのみち、誰がどう思おうと所詮は飾り物です。生きた人間ほどには迷惑になることもないのではないでしょうか。島根では町議に苦情を寄せる住民がいるとのことですが、何も言わない彫刻の方が扱いが楽だと感じている議員も多いような気がします。

 

家族で作った芸術的な「悩殺雪だるま」がセクシー過ぎるとして近所から苦情(らばQ)

これはアメリカのニュージャージー州に住むエリサ・ゴンザレスさんが、何時間もかけて家族と一緒に庭に作ったもので、通りかかる人も写真を撮るほどの出来栄えだったそうですが、近隣住民から苦情が出てしまったのです。
 
作品を作ったのは女性なので、もちろんいやらしい目的ではないのですが、裸の女性像があるとのクレームを受けた警察が訪問しにきたそうです。

 

警官は気の毒そうに、そして芸術性を褒めたたえながら、この雪像に服を着せて欲しいと伝えた模様です。

 

 古来より芸術家たちはエロ魂の赴くままに裸像を描いてきたもの、しかし芸術家の滾るリビドーが常人に理解されるとは限りません。裸の彫像に服を着せて展示する羽目になった云々と都市伝説のような話も聞くところ、ともあれ裸はダメだから隠せと、そういう圧力もまたあるわけです。時には民家の雪だるまでさえ! そして島根でも「下着をはかせて」との声があるとのこと。突っぱねたくもなりますけれど、合意を見出すには多少の譲渡も必要ということで、どういう下着を着けたら良いかを考えてみましょうか。とりあえず私のオススメは↓この辺り↓です。大きすぎない下着を着ける辺りでお互いに折れたらどうかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近所の子供の騒音を止めたい女性、トップレスで外に出たら静かになる(らばQ)

カナダのトロントに住む女性マリカ・デ・フロリオさん(56歳)は、近所の5歳の子供が静かな通りをおもちゃの4輪バギーで走り回るため、爆音に悩まされていました。
 
騒音に耐えられなくなった彼女は、そこである解決策を思い付きます。
 
それはなんと、上半身裸のトップレスになって表に出るというものでした。
 
どういう効果があったかというと、子供の祖父母であるマイク・ベリーさんとナンシーさん夫婦が、あわてて子供を家の中に連れて帰るようになったそうです。

 

 昨今の我が国では「子供を守れ!」と子供を盾にする人が目立つところです。「子供」を理由/口実として他人の口をふさごうとする人も多い、子供の騒音に苦情を申し立てる人がいようものなら片っ端からクレーマー呼ばわりする自治体首長なんかもいるわけです。翻ってカナダの場合はどれほどのものなのでしょう。結局は自衛策を講じるしかないのかも知れません。そして抜群に有効だったのが「裸で表へ出る」ことだったようです。日本でもカナダでも「親が子供にもっとも見せたくないもの」があるのですね。ダビデ像を設置された島根の公園はどうなるのでしょう。以前よりは静かな憩いの場になったなら、それはそれで良いことなんじゃないかと思わないでもありません。

 

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