「少子化対策は妊娠中絶問題から」 自民・野田総務会長(朝日新聞)
■野田聖子・自民党総務会長
年間20万人が妊娠中絶しているとされるが、少子化対策をやるのであればそこからやっていかないと。参院選後に党内の人口減少社会対策特別委員会で検討してもらうつもりだ。堕胎を禁止するだけじゃなくて、禁止する代わりに例えば養子縁組(をあっせんするため)の法律をつくって、生まれた子供を社会で育てていける環境整備をしなきゃいけない。(佐賀県武雄市で記者団に)
引用は佐賀県武雄市での発言とのことで、何だか記憶に引っかかる地名だなと思っていたら、一昨年の末に被災地のガレキ受け入れを「撤回」したことで有名になった自治体でした(参考、脅しに屈せず立ち向かおう)。武雄市の属する広域市町村圏組合でガレキの受け入れを決めたところ、「受け入れたらお前たちに苦しみを与える」「市や市民主催のイベントを妨害する」「武雄市産の物品の不買運動をする」などの脅迫が殺到したとのことで、早々に市長が日和ってしまったわけです。ブログを書いていて良かったと思えるのは、こういう気になる過去のニュースを振り返ることができる辺りですね。
さて、政府与党の総務会長がなにやら不思議なことを言い出したようです。かつての自民党時代には女性閣僚の少なさを批判する声もあったもので、それが民主党への政権交代後も女性議員の閣僚起用は少ないまま、しかしこれを批判する声はめっきり減ってしまった印象があります。そして再び自民党へと政権交代、やはり党や内閣の要職に就く女性政治家は少ないままですが――ただ単に政府の中枢に女性の比率が増えただけでは何の意味がないだろうなと思わないでもありません。たまたま性別が女性であるだけの政治家が増えたからといって何かが良くなるとはとてもとても……
かつて「(女性は)産む機械」などと発言して顰蹙を買った厚生労働大臣もいたもので、当時の首相夫妻は不妊治療を受けても子供ができなかったようですが内心ではどう思っていたものでしょう。カレル・チャペックの有名な戯曲『ロボット』ではロボットが普及した後に女性たちは子供を産まなくなります。そして作中では子供が産めないことが人間性の喪失であるかのごとくに描かれているわけで、今になって読むと、ある意味で「保守的」な作品だったのだなぁと感じるところです。子供を産まない人だって、それを理由に否定される謂われはないでしょうに。
そして冒頭の野田発言です。曰く「年間20万人が妊娠中絶しているとされるが、少子化対策をやるのであればそこから」とのこと。なかなかのアイデアマンですね。私だったら100年かかっても、こんなことは思いつきません。しかるに日本は優生思想が強かったせいか妊娠中絶の件数も実施率も相当に高かった時代があった一方、どういう心境の変化なのかはさておき中絶件数は着実に低下を続けてきました。元から「減っている」カテゴリなわけです。現状に何らかの変化を加えるべく「対策」を採ると言うことは、これまでの減少カーブを増加に逆転させようとでも言うのでしょうか。
未成年の人工妊娠中絶「率」には若干の上昇傾向をみてとれないこともないですが、ただ国際的に見て高い値ではないこと、20歳未満での婚姻が希なケースになっていることも鑑みれば、道徳家がいきり立つような数値でもないと理解いただけると思います。強いて言えば婚外子差別を無くせば20歳未満の未婚者が多いであろう妊娠中絶を多少なりとも減らすことはできるかも知れませんね。まぁ野田の言う養子縁組の斡旋云々は決してダメなことではないですけれど、現代の保守的な日本人は「家」ではなく「DNA」の継承を重んじますから、果たして需要があるのかどうか。
妊娠中絶が全体としては減少している中で、増えているのは「出生前診断で胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」です(参考、それが優生思想なんです)。幸か不幸か出生前診断の結果としての妊娠中絶が占める割合は、まだ決して高くないにせよ今後はさらなる増加が予測されるところでもあります。いずれはそれが多数派になる時代も来るでしょうか。こうした予測される未来を野田が計算に入れているかは大いに疑わしいものです。ともあれ、優生思想に根付いたプロ・チョイスからカトリック的なプロ・ライフへと流行が移り変わったところで少子化がどうにかなるなどとは(それは既に進行中のことでもありますし)、余程の人でもなければ信じないと思いますね。