非国民通信

ノーモア・コイズミ

小粒でもぴりりとブラック

2012-08-30 23:45:55 | 雇用・経済

【企業探訪】 “挫折”を経験させるために「強い負荷」をかける -モミアンドトイ・エンターテイメント(戦略経営者)

 クレープショップ『MOMI&TOY'S』(モミアンドトイズ)の新店として、今年6月末にオープンした城山トラストタワー店。ここの店長は、新入社員として入社したばかりのAさん(23)。都内の私立大学を卒業してまだ間もないAさんにとっては、この新店での店長の仕事はかなり荷が重い。それでも「早期に失敗をさせることで成長を促す」という方針のもと、運営会社であるモミアンドトイ・エンターテイメントはあえて新入社員にこうした試練を与えている。

 「打たれ弱い傾向があるイマドキの新入社員だからこそ、まず始めに強い負荷をかけることが必要だと思っています」

 こう話すのは、新卒採用や経営管理を担当する小松克行取締役(31)。日次の売上目標が未達に終わることもたびたびあり、失敗の連続だが、Aさんはそれをバネに店長として必要なスキルをどんどん身につけている。アルバイト従業員を手際よく動かすリーダーとしての仕事ぶりも板に付いてきた。

(中略)

 そんな同社では、毎年5~6人の新卒を採用してきた。彼らが「ゆとり世代」であることは百も承知。小松取締役は近ごろの新入社員の特徴をこう分析する。

 「彼らの長所は、SNSやブログなどインターネットを通じて自分が考えていることを発信するのが得意なところ。そこが、それ以前の世代とは大きく異なる点です。

 ただその半面、リアルなコミュニケーションはあまり得意ではないといえます。店長としてお店をまとめていくには、アルバイトスタッフとの深いコミュニケーションが欠かせませんが、ここが苦手な印象を受けます」

 さらに、「責任感」の物足りなさについても小松取締役は指摘する。

 「だれもが周りの空気を読んで同調ばかりしていたら、リーダーシップなど育つわけがありません。要するに彼らは、『みんなでやることが美しい』みたいな発想で学生時代を送ってきていて、『お前のせいだ』と言い合うような他人との付き合い方をあまり経験してこなかった。責任感という点において物足りなさを感じるのは、この辺に要因があるような気がします」

 こうした傾向を踏まえて、同社が新入社員をどう教育し、戦力化しているかというと、その一つが「強い負荷を与えて、失敗させること」なのである。新入社員は入社して1カ月もすると、わりと大きめの店舗や新店の店長として配属され、挫折することが期待される。冒頭のAさんも、まさにこのパターンだ。

 「自分の責任で失敗が起きて『これだけの損失を会社に負わせてしまった』という挫折を実体験させると、仕事への向き合い方がまるで違ってきます」

 

 いわゆる「ブラック」企業が目立つのが飲食業界ですけれど、ワタミのようなトップランナーならずとも、小粒ながらにクォリティの高いブラック企業は存在するものだと感心させられる記事ですね。まぁ有名税ということでメディアを賑わすのは専ら大手の問題ですけれど、ここで挙げられたような中小企業でもタチの悪い事例は多い、むしろ中小企業にこそ最悪の雇用主は存在するわけです。

 例によってツッコミどころには事欠きません。まぁどうなんでしょう、往々にして経済誌とは若者に媚びる感じの論説が目立つ、謂わば大人の厨二病とでも呼ぶべきなのか、ちょっと勘違いした気分だけはエグゼクティブな人向けに編集されている印象が強いですが、上記引用元の掲載誌も例外ではなさそうな印象を受けます。大真面目に経済誌を読むような人なら、小松克行取締役(31)の方に感情移入してしまう人が多いのかも知れませんね。引用記事を書いた雑誌編集部員も、その類であろうと推測されます。

 ただ、いい年した大人からすれば小松克行取締役(31)も新入社員として入社したばかりのAさん(23)も、そんなに大きな違いはないのではないでしょうか。ある意味、たった1学年の違いなのに大きな意味を持つ体育会系の上下関係のごときもの、その小さな組織の中では絶対的に見えるものでも傍目には大差がない、そういうレベルかと思います。しかるに外の世界を知らない、閉ざされた世界の中で頭を抑えられることもない人は、色々と勘違いしてしまうのでしょう。後輩や自社従業員の前では神のごとく絶対の存在を気取っていても、それは「外」では通用しないのですが、それを理解できないわけです。

 おそらく社会を学ぶ必要があるのは小松克行取締役(31)の方と思われますが、社内で偉くなってしまうと周りに諫める人もいなくなる、ますます勘違いが酷くなるのが常です。そして、他人を咎め立てするのにばかり熱心な、仕事の邪魔をする上司ができあがると言えます。もうちょっと色々と挫折を知った上で、会社で偉くなっても自分が井の中の蛙に過ぎないと自覚できるだけの経験を積んだ上での出世ならまだしも、若い内に偉くなってしまうと(いわゆるブラック企業にはこれが多い)自分は特別な存在だと勘違いに拍車がかかるような気がしますね。

 小松克行取締役(31)だってほぼ同世代というのはさておき、引用記事では新卒者を「ゆとり世代」として、いかにも経済誌の受け売りといった感じの紋切り型が披露されています。ただ例えば「『お前のせいだ』と言い合うような他人との付き合い方をあまり経験してこなかった」云々という行はいかがなものでしょう。発信の手段が容易になったというバイアスはありますけれど、今の若い世代は「団塊のせいだ」「既得権益を手放さない正社員のせいだ」「韓国のせいだ」等々と被害者意識を擦り込まれた世代であり、他者を咎め立てすることに割と熱心な世代でもあるように思います。もちろんネット上で猛々しい人ばかりではなく、リアル「では」おとなしい人、リアル「でも」おとなしい人もいて千差万別ですから、この取締役のように世代論のステレオタイプを繰り返したところで意味はないと言えますが。

 それはさておき、ブラック企業のブラックたるゆえんは「支配」関係にあるというのが私の考えです。つまり会社が従業員を支配したがる、時には公私にわたって、時には価値観などの内面をも含めて社員を「支配」したがるのがブラック企業の特徴である、と。だからブラックとして有名な企業は、人件費を惜しむ一方で研修には力を入れていたりする、その研修で行われるのは実務上の訓練ではなく専ら社員に「心構え」を植え付けようとする精神論であるケースが目立つわけです。そして今回のクレープ屋の場合は「自分の責任で失敗が起きて『これだけの損失を会社に負わせてしまった』という挫折を実体験させる」と豪語しています。

 負い目につけ込む、というのも我が国の文化なのでしょうか(負い目のある人や組織を前にした時、ここぞとばかりに責め立てるのは今回のクレープ屋に限ったことではないように思います)。ともあれ、人は何らかの負い目があると強くは出られなくなってしまうものです。普段はサービス残業など御免という人でも、自分のミスで仕事が滞ってしまったとあらば、その分を片付けるまでは何とかしようと考えるところでしょう。自分の失敗が響いている間は、待遇改善を求めるのは烏滸がましいと引け目を感じてしまう人も多いと思います。そしてここに、つけ込む余地があると判断する経営側も存在するわけです。負い目があるから自己主張しづらい、会社の命令にNOとは言いにくい、それは社員を支配したがる経営者にとっては絶好のシチュエーションに他なりません。ならば、狙ってそういう状況を作り出してやろうと考える人もいるでしょう。社員に負い目を感じさせておけば、会社の言うことを聞かせるのも簡単になる、それを責任感云々と飾り立てて正当化する、典型的なブラックの手法と呼ぶにふさわしいと言えます。

 

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役に立っていると実感するのは難しい

2012-08-28 23:04:32 | 社会

役に立てず申し訳ない…復興支援の市職員自殺?(読売新聞)

 東日本大震災の復興支援で盛岡市から派遣されていた岩手県陸前高田市の男性職員(35)が7月、乗用車内で首をつった状態で死んでいたことが24日、わかった。

 「自分の希望で被災地に来たのに、役に立てず申し訳ない」との趣旨が書かれた家族宛ての文書が残されており、県警は自殺の可能性が高いとみている。

 陸前高田市などによると、男性は今年4月、1年の任期で盛岡市道路管理課から派遣された技師。水産課で漁港の復旧を担当していたが、7月22日、同県遠野市の国道脇に止めた車の中で死んでいるのが見つかった。

 県市町村課によると、県内の沿岸11市町村には8月1日現在、県内外の自治体から計241人が派遣されている。

 

 よくウチの母親が「首をつるといいよ」と言っていたのを思い出しました。別に首吊り自殺を他人に迫っているわけではなく、頚椎の牽引を指しているらしいのですが、微妙に酷い表現です。それはさておき、復興支援に派遣されていた公務員に自殺者が出てしまったそうです。残された文書によれば「(復興の)役に立てず申し訳ない」とのことですが、状況が状況だけに目に見えた成果が上がらなかったとしても故人を責めるわけにも行かないでしょう。しかし、過剰に責任を背負い込んでしまった人がいるということなのかも知れません。

 成果が上がるかどうかは多少の権限を有する個人の努力だけでどうにかなるというものではなく、諸々の諸条件によっても左右されます。誰がやっても上手く行くような状況もあれば、誰がやっても失敗するような状況もまたあることでしょう。放っておいても企業が集ってきて経済活動を展開してくれる都会と、産業は皆無で若者は外に出て行くしかない農村部とでは、前者に無能な、後者に有能な首長が着いたとしても成功を収めるのは前者になってしまう、そういうものだと思います。そして世間は結果から努力を類推するものです。誰がやっても上手く行く状況であろうと成功者は称えられ、誰がやっても難しい状況では、本人の尽力の如何に関わらず責めを負わされがちなのではないでしょうかね。

 あるいは自衛隊のようにどこに行っても感謝感激雨あられ、向かうところ全てで歓迎されるような組織の一員であったなら、この公務員男性はもう少し「役に立っている」と実感できていたかも知れません。自衛隊が被災地から撤収した際には自衛隊への感謝の式典を開く自治体もありましたし、寄せられた賞賛の声は数限りないものです。一方で、自衛隊「以外」の公務員の場合はどうでしょう。警察や消防ならいざ知らず、自殺してしまった男性職員(35)のような「普通の」公務員であれば、罵倒されることの方が多かったとしても不思議ではありません。

 自殺にまで至らずとも、自分の仕事ぶりが世間に認められないことを気に病んでいる人は多いと思います。世間の評価など気にしないと表向きは強がっている人でも、内心はいかがなものなのか、自衛隊とは違って決して感謝されることもなければ賞賛されることもない、そのような日々の連続に「役に立てず申し訳ない」と感じてしまう人もいるのではないでしょうか。実際は役に立っているのかも知れませんが、公務員が住民のために尽くすのは当たり前と、世間の扱いはそんなものです。このような事態が続けば、自己肯定感を失って追い詰められてゆく人は必然的に増えていくことでしょう。

 実は社会に必要な役割であったとしても、それが世間に認められているかと言えば全くそのようなことはありません。例えば薄給で名高い介護職などどうでしょう。ブラック率の高い飲食の世界も、時間当たりに直せばアルバイト以下の給与で働いている人も多いです。そうでなくとも非正規雇用を都合良く使い捨てることで人件費を抑えている、それでコストを下げては廉価なサービスを提供している会社が今や当たり前になりました。諸々の低賃金労働の存在によって、今の日本社会は成り立っています。しかるに彼らが感謝の対象になることなどあり得ないのが実態です。労働者の低賃金なくして成り立たないような経営でありながら、その経営を成り立たせてくれる人々には甚だ冷たい、それが我々の社会の「普通」です。世間の賞賛や感謝を集めるのはほんの一握りの人々だけ、自分は役に立っていないと気に病む人が減ることはなさそうです。

 

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被害を大きくする人々

2012-08-26 11:03:57 | 社会

 とりわけネット上では、軍事に「詳しいフリ」をしているだけの単なる軍隊好きがウヨウヨしています。この辺の軍隊好きは排外主義者を兼ねていることが一般的ですが、その先軍思想の故に色々と矛盾を抱えてもいるわけです。排外主義者らしく、日本の周辺国を仮想敵国として常に侮蔑的な態度を崩さない一方で、その軍事力に関しては現実以上に高く評価したがる辺りですね。つまり、文化面や道徳面では軽蔑の対象として日本の周辺国を不当に低く貶めようとする言動を好むのに対し、軍事面では「日本を脅かす存在」として実際よりも大きく印象づけることを好む、そうすることで愛する自国の軍隊の必要性を説くことにも繋がっていると言えます。

 仮想敵国の文化や政治を矮小に描くのと同じ勢いで軍事力まで小さく見せかけてしまえば、自国の軍隊の存在意義もまた揺らいでしまう、そうなっては彼らの世界観を守ることができなくなってしまうわけです。だから、どれほど憎い相手であろうと、嫌むしろ憎い相手であるからこそ、その軍事力を大きく誇張して語らねばならなくなってしまうのでしょう。ある意味で、中国なり韓国なり、そして北朝鮮なりロシアなりを一面で最も高く評価しているのは、先軍思想かぶれの排外主義者なのかも知れません。そしてこうした先軍思想かぶれは軍事を語ることを好み、軍事を理解しているかのごとく自信満々な態度を続けますが、彼らが熱弁を振るって守ろうとするのは国家ですらなく「世界観」の方と言えます。自国の軍備の必要性を担保するために他国の脅威を常に誇張し続けねばならない、故にいつでも間違ったことしか語れない人々でもあるのです。

参考、先軍主義者が恐れること

 これと似たようなことが、昨今の反原発論者にも当てはまります。電力会社を罵倒しながらも、その実は誰よりも高く電力会社の能力を高く評価しているのが、ある種の反原発論者なのではないでしょうか。特に「電力は足りている」系の論者にそれは顕著ですね。原発なしでも電力は足りると主張する論者が無視しているものは少なくありませんが、往々にして彼らは発電所の設備容量通りの発言が可能だという前提で話を進めます。それから、自説に都合の良いデータが出てこないことには得意の陰謀論で電力会社による情報統制を匂わせるわけです。加えて彼らの頭の中では、火力発電所をメンテナンスなしで常にフル稼働させ続けることができる、老朽化が著しく実質的に廃炉だった火力発電所でも問題なく使えることになっているようです。こうした楽観的な分析の上に「電力は足りている」との主張が繰り返されてきたのは今さら言うまでもありませんが、いくら何でもそれは、電力会社の能力を高く見積もりすぎだと思います。

 電力会社はそこまで有能ではないので、事態を自社に都合良く包み隠すことなどできない、需要予測の精度にも限度があって余力を多めに取らないと危ない、設備容量と現実にはどうしても違いがある、メンテナンスは必要だし、何らかのトラブルを発生させてしまう、あるいは事故を防げないことも普通にあるだろうと、そう私は考えます。しかし、「電力は足りている」論者は私と違って上記の不安を全く抱いていないかのようです。どうしてそこまで電力会社を信頼しきれるのか、私には不思議でなりませんね。先軍思想かぶれが見る隣国の軍隊が現実よりも格段に立派なものであるのと同様に、反原発の人が頭の中に思い浮かべる電力会社は、実在の電力会社とは比べものにならないほど強大な存在なのでしょう。そこまで完璧に火力発電所を扱えるなら、原発だって問題なく扱えそうなものですが。

 

原発事故の心労死34人 震災関連死 避難生活も負担に(朝日新聞)

 東日本大震災をきっかけにした「震災関連死」のうち、福島県内では避難所への移動に伴う疲労が原因の過半数を占めた。東京電力福島第一原発事故のストレスが直接の原因とされたのは福島、岩手、宮城の3県で34人に上った。これらは復興庁が21日公表した調査で判明した。

 3月末時点で震災関連死と認定されたのは10都県で1632人。このうち福島県は761人、岩手、宮城両県は829人と3県で97%を占めた。復興庁はこの3県の18市町村から1263人を選んで原因(複数の場合もある)を分析した。

 原因別で最も多かったのは「避難所生活などでの肉体・精神的疲労」。福島県は433人(59%)で、岩手、宮城両県は205人(39%)だった。

 

 菅直人を一躍有名にしたのは、やはりカイワレ大根の一気食いでしょうか。先日は浅漬けに付着したO-157による食中毒で死亡者が出たばかりですが、このO-157が一般に知られるようになったとき、感染経路として名指しされたのはカイワレ大根でした。カイワレ大根ならずとも適切に洗浄、管理されないナマモノであればリスクは変わらない――などと消費者が考えるはずもなく、カイワレ大根は市場から消滅、カイワレ生産者には廃業が相次ぎ、中には自殺者も出たと聞きます。その当時の惨状を菅直人が反省していたのか、原発事故後の対応を見るに色々と訝しく思えるところです。

 一方、震災「関連」死の調査結果が紹介されています。何でも震災関連死と認定されたのは1632人だそうです。しかるに朝日新聞の見出しには「原発事故の心労死34人」と大きく掲げられています。朝日新聞にとって重要なのは、原発事故に関わるとされる34人であって、その他の1600人のことなどどうでも良いのでしょう。受給者全体の1%にすら満たない生活保護の不正受給のことばかりに熱心で、その何百倍も存在する漏給者の存在など気に留めない日本のメディアらしい姿勢が貫かれているとも言えそうです。結局、何か自分の憎むものを叩くのに好都合な材料を提供する方が大事、珍しいことほど大きく取り上げられる一方で、より頻繁に起こっていることは黙殺されてしまう、そういうものなのかも知れません。

 しかしこの「原発事故の心労死」は誰が引き起こしたのでしょうか。原発事故による直接的な健康被害で亡くなった人はいません。幸いにして健康被害が出るレベルでも無かったにも関わらず、被災者にストレスを負わせたのは何なのか、そこは考えられてしかるべきです。避難という非常に負担の重い行為の是非も考えられなければなりません(避難の負担の方が重ければ元も子もないでしょう)。そして、あたかも深刻な健康被害が出るかのごとくハッタリをかまして原発周辺地域の住民にあらぬ不安を与えてきた人々、根も葉もないところから風評被害を広めて被災地に纏わる諸々が忌避される風潮を作り出してきた人々、このような連中こそ糾弾されるべきであり(朝日新聞出版の低俗な煽り雑誌もその責任を免れません)、政府が対策をとる必要のある相手と言えます。何でもかんでも電力会社のせいで済ませようとする考えの足りない人も今なお少なくありませんが、もっと別のところから危害を加えている人もいる、それが容認されることがあってはならないでしょう。

 

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本当は誰でも知ってそうな中間業者の話

2012-08-24 23:25:34 | 雇用・経済

 普通の小売店で商品を買って、その商品をまた別の顧客に販売する、と言ったらイメージはいかがでしょうか。あんまりポジティブな評価は得られないように思います。真っ当な仕入れルートを持たない悪質な業者が顧客を騙して高く売りつけたりして儲けているのではないかとか、そういう印象を持つ人もいるかも知れませんね。でも、これは後に一応は上場する(素晴らしく離職率の高い職場でしたけど)企業が普通にやっていたことです。メーカー系列の販売会社や大手IT商社からも製品を仕入れることができたにも関わらず、問屋ですらない小売店で、一般のユーザーに混じって店頭価格で商品を購入して、それを他の顧客に売るというビジネスが、決してメインではなく隙間を埋めるような形であったながらも存在していたのです。

 何でそんなことをするのかと問われれば、「安かったから」です。メーカー直の卸価格より小売店の店頭価格の方が安いという事態は決して珍しいものではなかったのですね。そこで会社の利益のため、より安く商品を調達するため「小売店の店頭で普通に商品を買う」という仕入れルートが存在していたわけです。すると今度は、何故メーカー直の卸値よりも小売店の店頭価格の方が安いという現象が生じるのかと疑問に感じる人も出てくるでしょうか。メーカー→大手商社→小売店→購入という流れより、メーカー→購入と、中間業者を介さない方が安くなるのが当たり前ではないかと、そう考える人も多いと思います。でも、必ずしもそうならないのがおもしろいところなのかも知れません。

 結局、いくらでモノが買えるかは力関係次第です。メーカーから直接、製品を卸してもらうからといって必ずしも最安値とは限らないのです。力の弱い商社にはメーカーも色々と利益を載せた価格でしか商品を売ってくれません。逆に言えば、力の強い商社はギリギリの価格で仕入れられる、小売店でも規模の大きいところは同業他社より格段に低い価格で仕入れられるわけです。他にも仕入れのタイミングの問題があって、たまたま底値を付いたときに商品を大量に確保していたりとかもありますけれど、ともあれ状況次第ではメーカーから直接の仕入れよりも、商社に加えて小売店まで通した仕入れの方が安かったりします。ゆえに、一応は商社でありながらメーカーではなく小売店から商品を仕入れるみたいな、おそらく部外者から見れば不思議に思えるであろうビジネスが成り立つ、と。

・・・・・

 とかく日本では、中間業者の多さが問題視されがちです。そこで大量に存在する中間業者による「中抜き」を排せば、もっと効率が上がるのではないかみたいなことが長年にわたって言われ続けています。私も、中学2年生ぐらいまではそう信じていました。では、中間業者は何をしているのでしょうか。何かにつれムダ呼ばわりされる、時に悪質な搾取者とすら見なされがちな中間業者の立場から、少しばかり語ってみることにします。ちなみに私が職務上で関わるのは専ら電気通信工事の元請けですけれど、その他の業界、例えば特殊な世界と勘違いされがちな原発作業なんかでも大差は無いはずです。

 元請け業者の役割は、まず第一に「仕事を取ってくる」ことですね。工事案件はベルトコンベアーに載って運ばれてくるわけではありません。日々の営業活動によって同業他社との競争を制した結果として獲得するものですから。それから、工事に必要な物品の手配があります。中には下請けの業者に任せるものもありますが、工事発注元の要求する仕様なり規格なりもあって、相応の調達ルートが必要になるわけです。当然のことですが発注元の要求する工期と作業員のスケジュールを調整しながら人員を手配しなければなりませんし、各種の申請手続きも欠かせません。もちろん、何かトラブルが起こったら真っ先に駆けつけることも求められます。なんだかんだいって中間業者も割と忙しいのです。

 この中間業者が担っている役割を下請けの工事会社が単独でも代行できるなら、確かに中間業者は不要と言えるでしょう。ただ、自分の会社と付き合いのある下請けの工事会社にそれが勤まるとはとうてい考えられないないところでもありますし、やはり他の会社でも似たようなものだと思います(むしろそれを下請けが自分で抱え込もうとしたら、その負担こそ甚大なものになってしまうはずです)。どれだけ現場作業に秀でていても、残念ながら何でもできるわけではありません。色々と手の回らないところがあって、そういう部分を中間業者に代行させているからこそ、工事の発注元と直接の契約関係には至らないのでしょう。

 工事物品の手配にしても一つの会社で全てを賄えるものではありません。どうしても複数のメーカーから調達することになるので、事務員としては非常に面倒です。どこか単独の1社に丸投げできれば楽だなと思うところでして、まぁ案件によっては他所の販売代理店に丸投げできることもあるのですけれど、では私の勤務先から物品の調達を丸投げされた代理店ではどうかと考えれば、その先はまた複数のメーカーから調達しているだけだったりします。結局どの会社が物品を手配するにしても、必ずどこかで複数メーカーを相手にとりまとめの作業を担うことには変わりがないのです。中間業者を省いたところで、その「とりまとめ」の作業はなくならない、単に「誰が/どこが」担当するかの違いにしかなりません。この結構な手間を負担できるだけの管理能力に秀でた工事会社であるならば中間業者を飛び越えての契約もあり得るのかも知れませんが、現場作業も管理も両方こなせる下請け会社は必ずしも多くないように思います。

 どれほど現場作業に精通したベテランの集団でも、やはり「なんでもできる」ケースは希です。だから、中間業者が必要になる。逆に言えば中間業者を排するには、下請けに「なんでもできる」ことを求めなければならないことになります。しかし、独立自営の小さな業者にそれを求めるのは非現実的ではないでしょうか。下請け作業員と中間業者の職分、両方を賄える守備範囲の広い集団になるためには、どうしても一定の会社の規模が必要です。そこからさらに突き詰めていくなら、小さい会社には吸収されてもらうことも必要ではないか、というのが私の考えです。現場作業の技術だけに秀でた小さな会社である限り、中間業者なしには存続し得ません。それでも中間業者を抜いて発注元と直接に近い形で契約する在り方を是とするなら、下請け企業のあり方だって問われますから。

 日本では自立が重んじられると言いますか、中小零細企業の乱立が続き、産業の集約化に向かう様子がさっぱり見られません。小規模事業者がひしめき合っている状態を放置し、それを競わせることで「安く買い叩く」ことを追求してきたのが近年の日本経済と言えますけれど、このコスト競争のために疲弊しているのもまた日本経済です。カイカクの旗の下、業務の外部委託や低賃金での使い捨て雇用が容易になりましたが、やるべきことは逆でしょう。外部委託ではなく、責任体制の明確な直接雇用や直接契約下での作業を促す、ギリギリの低賃金しか支払えないような会社には退場してもらう、そういう過程で産業の集約化を進める、小規模事業者の整理統合を進めるような政策が求められます。そうなれば、「中間業者→下請け」という仕事の流れも「管理部門→作業班」という程度には変われるのではないでしょうかね。

 

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深刻な内政問題

2012-08-22 23:41:48 | 政治・国際

日本でナショナリストの影響力が拡大―領土問題受け(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 中韓との緊張の高まりを受けて、日本でナショナリストの影響力が強まっており、野田佳彦首相にとって頭痛の種になっている。

(中略)

 また中国政府は、この3カ月だけでも中国から海外に逃れた亡命ウイグル人による「世界ウイグル会議」が5月に東京で開催されたことと野田首相が尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化方針を打ち出したことに対し正式に抗議している。

 こうした中で日本の保守派政治家は最近、伝統的な街頭での抗議行動から脱し、ソーシャルメディアなどを使って若い世代の支持をつかもうとし始めている。各種のブログやツイート、インターネット動画などでは、日本の主流メディアでは取り上げられないナショナリスト的な意見が掲載され、保守派政治家と国民との距離を近づけている。

 ナショナリストの主張が影響力を増していることは、野田首相の苦悩を深めている。野田氏は近隣諸国との対立激化を避けようとしている。だが、民主党の代表選挙を控え支持率低迷に見舞われている。日本政府は、ナショナリストからの圧力を受けて領土問題で強硬な姿勢を強めざるを得なくなっており、李大統領の竹島訪問に対し、駐韓大使を日本に一時帰国させ、14日には来週に予定されていた日韓財務相会合を延期すると発表した。

 

 野田だって本来は右翼に分類して問題ない政治家のはずですが、それでも昨今のナショナリズムの盛り上がりは歓迎できないものなのでしょうか。確かに極右層の希望の星であった安倍晋三にしても、首相在任中は特に目立ったことは何もしなかったわけです。責任を負わなくて済む立場からなら威勢の良い発言を連発できても、実際に最高責任者たる首相の座に立ってみると、そう軽はずみなことはできないことに気づくのかも知れません。野田だって首相でなければ、特に野党であったならば嬉々として「毅然とした対応」なりを訴えていたであろうと思われますが、今はそれが許されない立場と言うことです。

 先日も軽く触れましたが(参考、内政問題でなければ何だというのだ)、近年は外交問題の内政化が顕著です。何か他国との間で問題が発生したとき、当事国同士で交渉を重ねて落としどころを探るというよりも、国内の有権者に向けて「強い姿勢」をアピールすることの方が重要になっているわけです。このような振る舞いは外交問題を悪化させるばかりですが、隣国との関係を悪化させればさせた分だけ国内での支持はむしろ強まるのですから、政治家にとってはナショナリズムとはまさに依存性のあるクスリのようなものと言えます。

 ただし、その人が負うべき責任に比例したリスクもあります。野党議員なり地方自治体の首長なりであれば、身勝手な言動で周辺国の反感を買おうとも、その「結果」に対する責任を問われることは希です。だから東京の都知事が沖縄の土地を買おうとするみたいなこともある、首相時代は意外におとなしかった人が野に下った途端に元気を取り戻したりすることもあるのでしょう。しかし、首相となると流石に難しい、外交関係の悪化に伴って生じた「結果」の責任から無縁ではいられません。

 そうは言っても、外交関係を重視して「強い姿勢」を求める国内の声を無視してしまえば支持率の凋落に繋がる、将来的な失脚にも繋がるわけです。だから外交面ではなく内政面でこそ行き詰まった結果として、李明博大統領のような一線を踏み越えた行動が出てくるとも言えるでしょう。外交上の問題はしばしば、外交上の理由ではなく国内事情にこそ促されて発展するものなのかも知れません。野田が何か「ぶち切れた」行動で韓国に張り合うことが出てくるとしたら、それはたぶんお隣さんではなく国内の世論に対応するためでしょうね。

 

 中国、反日デモ抑制の構え ネット呼びかけ次々削除(朝日新聞)

 尖閣諸島に上陸して逮捕された活動家ら14人が強制送還される見通しになったことで、中国政府は「事態の複雑化は避けられる」(日中外交筋)と判断し、高まりつつあった市民の反日感情が暴走しないよう引き締めを図る構えだ。

 北京の日本大使館前には16日朝から10~30人前後のグループが断続的に現れ、日本に対する抗議の声を上げた。上海や山東省青島の日本総領事館でもそれぞれ20人余りが抗議に集まったが、いずれも多数の警察官が取り囲み、過激な動きを抑えた。

 中国のネット上では2010年の一連の反日デモの皮切りとなった四川省成都市など各地で抗議集会や反日デモの呼びかけが広がっているが、これも次々と書き込みが削除されている。

 

 さて韓国との間に軋轢が生まれている真っ最中に、敢えて中国を刺激しに行った人がいるわけです。これを日本では「内政問題」として片付けたがっているのは周知の通りで、まぁ色々な意味で外交以前に内政の問題なのだなぁと痛感させられます。一方で日本と違って「民意」を無視しやすい体制である中国には一定の引き締め姿勢もまた見られるところ、強制的な鎮圧という日本では難しい「奥の手」があるからでしょうか。それもどうかと思うところではありますが、しばしば外交問題を解決するためには相手国よりもまず、国内世論をどうにかしないといけない場面が出てくると言えます。こういうときにこそ「リーダーシップ」が必要になるはずなのですけれど、なかなか資質のある政治家には恵まれません。

 先日の記事でも書いたことですが、時に経営者よりも「世間」の方がリストラや労働条件の不利益変更に好意的だったりはしないでしょうか。公務員なり電力会社なり、槍玉に挙げられやすい業界に対しても顕著ですが、正社員全般、中高年全般に対しても同様に人員削減や給与カットなど労働条件の不利益変更を求める声は少なからず存在します。経営側がそれを求めるならまだ理解できなくもないですが(巡り巡って国内の購買力低下、国内の景気低迷にも繋がるというのはさておき)、むしろ経営者でも何でも無い普通の国民の方が、より先鋭化したリストラ論者になっているケースも目立つように思います。もちろん民意とは無視されるべきものではないのですけれど、民意に引きずられる形で色々なものがダメになっているな、という印象がどうしても拭えないのです。本来なら外交上の問題であるはずのものが、国内事情によって翻弄されている辺りはまさに象徴的と言えます。

 

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捨てられるものと、持ち上げられるもの

2012-08-20 22:55:26 | 社会

生活保護抑制、公共事業は温存 来年度概算要求基準決定(朝日新聞)

 野田内閣は17日、2013年度予算の概算要求基準を閣議決定した。歳出の上限を今年度予算と同じ71兆円にする。高齢化にともなう社会保障費の自然増分8千億円の予算要求は認めるが、生活保護などの見直し(削減)で全体の伸びを極力抑える方針を示した。

 一方、公共事業費は1割減らすが、東日本大震災の復興費の特別枠があるため事実上、今年度並みの規模が維持される見通しだ。

 歳出とともに、借金のために新たに発行する国債も今年度予算と同じ規模に抑え、44兆円以下にする。7月に策定した「日本再生戦略」に基づき、「エネルギー・環境」と「医療」、「農林漁業」の3分野に重点的に予算を回すため、この分野で最大4兆円の要求を認める。

 

 さて、閣議決定により生活保護の削減が唄われることとなりました。もっとも消費税(逆進課税)増税と法人税減税、社会保障費の抑制は謂わば三位一体ですから、今更驚くようなことでもありませんね。全ては事前の予定通り、もし消費税増税が決まって、その分がそっくりそのまま社会保障費に回るなどと考えている人がいるとしたら、その人は「頭がおかしい」としか言い様がありません。ともあれ、セーフティネットの切り捨てを悲願とする人も少なくない中、最も世間で強く偏見を持たれており、むしろ削減してこそ道徳的な観点から支持を集めることも期待される生活保護の見直しが大きく掲げられることとなったわけです。

 なお朝日新聞報道によると「公共事業は温存」とのことです。同じ内容を報じた時事通信の見出しには「公共事業1割減」と明記されている一方、朝日新聞は「東日本大震災の復興費の特別枠」を公共事業費に組み入れることで「今年度並みの規模」とカウントしていることがわかります。報道する媒体によって読者に印象づけたいところが違うのでしょう。ただまぁ生活保護にしろ公共事業にせよ、とかく悪玉視されがちな分野ではありますが、この辺を減らしさえすれば良いのか、その結果としての負の影響はいかほどのものかは考えられてしかるべきです。民意にデリケートな政治家にしてみれば、それが支持率にどう跳ね返ってくるかさえ把握しておけば十分なのかも知れませんけれど……

 ともあれ抑制の対象として扱われがちな社会保障や公共事業とは裏腹に重点分野として要求を認める対象に挙げられたのが「エネルギー・環境」と「医療」、「農林漁業」です。それこそ医療は社会保障と密接に関わる分野に思えるところですが、セーフティネットとは別のところで医療を産業として育てようとでも言うのでしょうか。あるいは農林漁業、こちらは左右双方に共通する保護主義的な精神に訴えかければ理解を得やすい分野なのかも知れません。既に農林漁業に従事している人の生活を支えるとか、ある種のインフラとして公的資金で支えるとか、どちらかと言えばセーフティネット色の強い発想で重点が置かれるなら理解できないこともないものの、産業としての未来があるかは大いに疑わしいところでもあり、これが「日本再生戦略」と銘打って持ち出されることには一抹の不安を感じます。

 

堺の太陽電池工場、設備売却検討 リストラでシャープ(朝日新聞)

 シャープが太陽電池の工場の設備を売却する方向で検討に入ったことが16日、分かった。堺市の工場のほか、イタリアにある工場も視野に入れる。国内外の不採算事業を売却することで財務体質の改善をはかる。

 

 アメリカのオバマ大統領が掲げた看板政策の一つに「グリーン・ニューディール」というものがありますけれど、これは完全に「滑った」印象を免れません。そして他国の失敗した政策を真似ることでは定評のある我らが日本は、今回もまた轍を踏もうとしていると言えるでしょうか。ともあれ日本では「エネルギー・環境」が重点分野に挙げられたわけですが、これまた「日本再生戦略」にふさわしいかは大いに疑わしいところです。「エネルギー・環境」分野では太陽光発電など注目度が高く、その買い取り価格は42円/kWhという世界に類を見ない超高額に設定されており、金に目のくらんだ企業の参入宣言も相次いでいます。普通なら同業他社との不毛な値下げ競争で経営体力を磨り減らすはずが、電力は一方的に既存電力会社に買い取らせることができる、競争しないでも商品が売れるのですからビジネスチャンスとしては悪くないのでしょう。

 しかるに新規事業者の太陽光分野への参入が続いたからと太陽光パネルを作っている国内企業に追い風が吹いたかと言えば、上で伝えられているように不採算部門として売却が検討されていたりもするわけです。別に太陽光パネルは、国産でなくとも構わないのですから。太陽光発電が流行って需要が増えればコスト削減にも繋がると無邪気に語る人もいますけれど、それは自国内に限った話ではありません。むしろ新興国でこそコスト削減は劇的に進みます。日本における太陽光ブームが潤すのは、国内よりも新興国のパネルメーカーでしょう。アメリカでも「グリーン・ニューディール」の旗の下、太陽光パネルを作っているメーカーが倒産するなど、国内経済に好ましい影響を与えているかと言えば大いに疑問符が付くところです。

 発電事業に参入した日本メーカーは国策で定められた高額の買い取り価格によって懐が潤うことを期待する、その分のコストは電力価格に上乗せすることになっていますが、世論がそれを受け入れるかは微妙なところ、まずは電力会社のリストラの徹底と、より一層の労働条件の不利益変更を要求し、そこに政治家が媚を売るという未来が予測されます。そんな日本のゴタゴタを尻目に新興国の太陽光パネルメーカーは成長を遂げる、と。まぁ日本の国策で新興国が経済成長を遂げれば、数年前まで続いた「戦後最長の景気回復」よろしく、我が国の輸出企業が他国の好景気の「おこぼれ」に与るようになる、そうやって日本経済が「ちょっとだけ」成長する、これを「日本再生戦略」とでも呼ぶしかないのかも知れません。

 

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現場が求めたことでないのは確かだ

2012-08-18 23:18:05 | 雇用・経済

 「あいつは人の話を聞かないからな」と、会社の上席の人間から下請け会社を変更するように指示が出たことがあります。結果的にはどうしても事故0では済まないのですが、とりあえず工事発注元からは安全管理を徹底するよう指示が出るわけです。しかるに下請けの社長は「大丈夫だ、問題ない」と言って本来は監督に徹すべき立場の人間まで作業に手を出すのが常態化していたりします。高所での作業や重量物の搬入出など危険を伴うものに関しては単独作業禁止、必ず作業員とは別の現場代理人による監督の上で実施するように云々と発注元はうるさく口を出すのですが、下請けの人は一向に気にする様子がありません。そして会社の少しだけ偉い人が現場の立ち会いに出た結果が冒頭の発言に繋がります。いつか必ず問題になるから発注元の決めたルールに従わない会社は切れ、と。

 そうは言われても急に他の会社への切り替えを進められるわけでもなく、かつ「上」の言うことを聞かない作業員の方が色々と無理が利く、無茶な行程でも突貫工事でどんどん進めてくれたりするので話は簡単ではありません。加えて、どこの下請け工事会社にしても発注元などの口出しを疎ましく思っている点は変わらないのではないかという気がするわけです。とかく工事発注元は事故を起こさないようにと口やかましいですけれど、そのための注意事項、遵守事項は現場作業員から面倒くさいだけのものとしか思われていない、その辺は私が職務上で関わる範囲に限ったことではないはずです。発注元は事細かにルールを作るけれど、現場の人間からは作業に不要なムダと扱われる、そういうケースは多いのではないでしょうか。

 

被曝隠し、抜き打ち検査へ 東電、現場で線量計を確認(朝日新聞)

 東京電力福島第一原発で線量計「APD」を鉛カバーで覆って働かせた被曝隠しを受け、東電は13日、経済産業省原子力安全・保安院に再発防止策を提出した。工事現場でAPD装着を抜き打ちで調査するなど監視態勢の強化策を前面に掲げているが、実効性は不透明だ。

 東電はこれまで(1)APDをつける胸元を透明にした防護服の導入(2)工事現場に行く前に作業員全員のボディーチェックを実施――などの再発防止策を公表していた。新たに掲げたのは、東電社員らが工事現場で作業員の防護服の上から胸部を触ってAPD装着を確認する「抜き打ち検査」。頻度は未定という。

 

 お役所なんかですと「自分たちが不正を働いていない証拠を作る仕事」が増えるばかりで忙しいと聞きます。その辺は、とかく世間からのバッシングを受けやすい業界ほど顕著なのかも知れません。福島第一原発でも上記引用で伝えられているような諸々の「再発防止策」辺りは同類でしょうか。私が職務上で関わるのは専ら通信事業者で、KDDIですと設備が東京電力の敷地内にあったりするのですが、この場合は色々と管理が厳しく入局手続きだけでも色々と面倒です。でも、そうなるまでには相応の理由もあったのでしょう。現場の作業員からは心底どうでも良いとしか思われていない、そんなレベルの管理ルールが常に作られ続けているわけです。何のために? 少なくとも現場の人間が要求した結果ではないことだけは確かです。

 指定された人数、あるいは事前に連絡のあった通りの人数を、下請け会社が連れてきてくれないこともあります。理由は色々とあるのでしょう。単に人の手配が付かなかったのか、それとも下請け会社が人件費を抑えたかったのか…… しかるに工事発注元からは「○○の作業は○人以上で当たること」みたいな指示も出たりするわけです。にも関わらず下請け会社は必要な人員を用意しない。だからといって工程の都合もあるので作業をさせないわけにも行かない、そこで目をつぶって作業を続行させれば少ない人数でも工程通りに施工完了、みたいなケースは珍しくありません。現場作業員のプライドは専ら、「上」の定めたルールを守ることではなく、工程を守ること、実際の作業を進めることの方にあるのだろうなと思いました。

 ただ発注元や元請けとしても立場上、ルール無視が度重なるのを看過するわけには行きません。私の勤務先のように無名の元請けならいざ知らず、東京電力のように誰もが知っている有名企業なら尚更ということになるのでしょう。とはいえ、現場の人間からすれば負担が増えるだけでもあります。「上」からの諸々の管理を受け入れさせる、指示を守らせるためには、そのために増加する負担に応じた対価が必要です。すなわち工事の発注額、支払われる賃金の上積みが求められるはずです。原発作業であれば線量の蓄積によって仕事から外されるリスクもある、その分の休業補償の原資となるべき工賃の上積みだって外せません。

 しかるに、世間の理解はどれほどのものでしょう。経済誌上の建前として「リストラは最後の手段」ということになっています。ところが「まず徹底したリストラを進めよ!」と、最初にリストラを要求する声が専らのところを占めているのが我々の社会なのではないでしょうか。普通の「市民」に比べれば、その辺の企業経営者の方がまだしもリストラを避けようとする姿勢があるようにすら思えてきます。ともあれ東京電力でもリストラは進められている、人員削減や大幅な賃下げなどの労働条件の不利益変更が、政府と国民の後押しの元で進められているわけです。そしてこのようなコスト削減圧力の元で協力会社や下請けへの発注額がどのような影響を受けているのか、少しくらいは慮られても良さそうなものです。

 請負企業の中には倒産、廃業したところも出ていると聞きます。経営合理化の名の下で、下請け会社への発注額だけは据え置きもしくは増額されるということがあり得るのでしょうか。普通に考えれば、もたらされる結果は逆ですよね。あるいは工賃を上積みするだけではなく、指揮命令権や責任の所在も明確になる直接雇用への切り替えを進めるなど諸問題を解決する上では最良の手段となり得ますが、これはリストラを求める世論と真っ向から対立するものです。公務員なり電力会社なり、とかく社会的な憎悪の対象となっている世界において、労働者を守るために立ち向かわなければならない相手は経営者である以前に世間であり国民であるのかも知れません。

 

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「雇い止め」と言うより「雇い替え」

2012-08-16 22:57:56 | 雇用・経済

なぜ企業業績が回復しているのに給料は上がらないのか(プレジデントオンライン)

社員の給与をどのように決めるのかは、会社にとってもなかなか難しい問題だ。従業員の給与は言うまでもなく人件費だが、この人件費を決める際の目安の一つに労働分配率がある。

(中略)

リーマンショックまでの05年から07年までは企業業績が過去最高益を更新したにもかかわらず、一人当たりの賃金が抑制されており、適正な水準より低かったといえる。なぜ、そのとき賃金が増えなかったのか。賃上げや時短にも配分されていた企業業績の向上が、最近は株主への配当や内部留保に回されたからとの指摘もあるが、大きな要因は、非正規社員を中心に賃金上昇につながっていないことだ。非正規社員の比率が増え、正社員と非正規社員との賃金格差が存在しているからだ。

正社員の賃金はそれなりに増えているのに、景気が良くなっても、非正規社員の賃金があまり上がらない構造になっていて、それが消費の低迷につながり、モノが売れなくなっている。このため企業は値下げを行うために賃金を削減し、それが物価下落に拍車をかける状況だ。そういう意味でも次の景気回復期には、非正規の人にも業績回復の恩恵が及ぶ仕組みを考え、労働分配率を適正な水準にとどめておくことが重要である。

 

 グラフからも分かる通り、98年以降は企業業績が上がっても雇用者報酬すなわち給料は増えないどころか下がっていることが分かります。企業業績の如何に関わらず働いて得られる所得は下がるのですから、マトモな国ならストライキが続発してるところでしょうか(中国やインドなら経営者が従業員に袋叩きにされているところです)。それでも世界最高レベルの従順さを誇る我が国の社畜達は黙々と働き続けるわけですが、いかんせん給与水準が上がらないので当然のことながら購買力も低下するばかり、国内ではモノやサービスが売れなくなるので結果として国内企業の売り上げも低迷するわけです。戦後最長の景気回復局面と言いつつ好業績を上げたのは、他国の好景気の「おこぼれ」に預かった輸出企業ばかりで、その輸出企業が「厳しい国際競争に勝ち抜くため~」と称して一層の賃下げに励んだりするのですから無茶苦茶です。

 なお引用した記事では、賃金が上昇しない要因として非正規社員の比率が増えたことが挙げられています。どんな分野でも社員を非正規に置き換えられるよう、雇用規制を緩和していった改革の成果として賃金水準の低下があり、ひいては国内市場の低迷、日本全体の景気回復の足を引っ張るという結果に繋がっているわけです。規制緩和が日本を貧しくしてきた、改革の否定なくして景気回復なし、と言ったところでしょうか。非正規の人にも業績回復の恩恵が及ぶ仕組みを云々と引用元では語られていますけれど、しかし非正規雇用への置き換えが専ら人件費抑制のために行われている現状、非正規雇用を巡る無法状態を放置している限り、日本国内で働いている人の給料=購買力は上昇しません。

 私が見る限り、非正社員の賃金が正社員のそれに比べて低いのは「昇給がない」ことに起因するところが大きいです。正社員だって簡単には昇給しない時代ですが、非正社員ともなれば尚更です。加えて非正社員はしばしば「雇い止め」という形でキャリアが断絶される、その度に一からのスタートを余儀なくされ、低い賃金からのやり直しを迫られるわけです。故に賃金も低くなる、と。ただ一般に「雇い止め」と言われる概念、働いている人の個人目線からであれば「雇い止め」なのでしょうけれど、俯瞰的に見るなら「雇い替え」とでも呼んだ方が適切なケースが圧倒的多数を占めるように思います。

 つまり、非正規雇用のポジションはそのままに、人だけを入れ替えているケースが多いのではないでしょうか。今まで非正規で働いていた人を雇い止めにして、新たに若い人を雇い直す、こういうケースは頻繁に見られますし、私自身も何度となく経験してきました。私は「5号 事務用機器操作の業務」という非正規での雇用期間に制限のない職種でしか働いたことがありませんし、私が直接に知っている人も似たようなものなのですが、だからといって「永遠に(非正規のまま)雇用が継続される」かと言えば全くそんなことはありません。何か機会のある度ごとに、入れ替えの対象にされるわけです。

 この辺は昔年の一般職の女性社員の扱いと似るところがあって、ある程度まで働いたら退社して欲しい、そうしたまた新たに若い娘を雇い入れようとするみたいな傾向があったはずです。非正規、とりわけホワイトカラーの派遣社員の場合は、そのサイクルを少し縮めたような形で雇用されるのが一般的でしょうか。とにかく非正規雇用にあてがうためのポジションは継続して存在するにも関わらず、その椅子に座る人は定期的に入れ替えられている、「雇い替え」の対象にされているのが実態なのです。この「雇い替え」に抜本的な対策を採らない限り、待遇改善もない、ひいては購買力の向上、国内景気の回復もないと言えるでしょう。

 そこで非正規雇用の期間に制限を課すのであれば、個人ではなく椅子の方を基準とするよう徹底させる必要があります。一定以上の雇用期間を理由に正規化を促しても、それを個人単位でカウントすることを許してしまえば、既に常習化している「雇い替え」によって回避されるばかりです。そうならないためには、「人」ではなく「ポジション」が継続的に存在しているかどうかを厳しく見なければなりません。どれだけ人が入れ替えられていようと、長年にわたって非正規雇用の人が従事するポジションがあるのなら、そのポジションは正規雇用によって担われるべきである、同じ人ではなく同じ職務を非正規で賄うことに制限を設ける、これを徹底することで逃げ道をふさいでおくことが必要なのです。

 例えばサッカーなら、チームを機能させるために選手個々の動きを制限することが時に求められます。フィールド上の各選手に好き勝手にプレーさせておけば最高の結果が得られるかと言えば、決してそんなことはないはずです。戦術上の拘束によって選手個人としてのパフォーマンスが低下することもあるかも知れません。しかし、チーム全体としての成功こそ指揮官たる監督に託されたものなのです。翻って日本の政治と経済の場合はどうなのか。個別の企業から見れば雇用規制は足枷に映ることもあるでしょう。しかるに雇用主が好き勝手に振る舞うことを許し、賃金が抑制されるのを後押ししていった結果はと言えば、国内でモノが売れなくなり、さらなる景気低迷に拍車をかけただけでした。特定の企業の経営者ならいざ知らず、行政に求められるのは日本経済全体の舵取りです。必要なのは個々の企業に自由を与えることではなく「全体として」機能させることなのですが…… まぁ日本の経済政策ってのはジーコサッカーとしか言えませんね。

 

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ナショナリズムの祭典

2012-08-15 10:53:08 | 政治・国際

 さて、ロンドンオリンピックは柔道男子の失墜を尻目にボクシングとレスリング男子に金メダリストが出るなど、期待はずれに終わった種目もあれば予想外の躍進も見られた大会でした。柔道における日本勢の国際的な地位の低下には、日本の意に沿わぬ形でルールが改正されて云々と被害者意識を募らせる人も多いわけですが(タックル系の技の禁止とかでしょうかね)、レスリングやボクシングでの健闘を見るにルール改正なんかよりも別のところに問題があるような気がします。

 

ギグス:「国歌を歌わないことに問題はない」(Goal.com)

ロンドン五輪でチームGB(イギリス代表)のキャプテンを務めるMFライアン・ギグスは、キックオフ前に国歌を歌わなかったとしても、ウェールズの選手たちがチームに尽くそうとする気持ちに変わりはないと語った。

セネガルと1-1で引き分けた大会初戦で、ウェールズ出身のギグスとFWクレイグ・ベラミー、MFジョー・アレンはキックオフ前にイギリス国歌『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』を歌わなかったことが論議を呼んでいた。

3人は29日に行われたUAE戦でも国歌を歌わなかったが、試合後にギグスはこの件は問題視するようなことではないと語った。

「個人的なことだ。イギリス国歌はウェールズ人、スコットランド人、イングランド人にとって同じものだ。難しいことではあるが、僕らにとって問題ではない。試合が始まれば全員が同じ方向へ向かっている。それが一番重要なことだと思う」

 

 往々にして国際大会は、中でもオリンピックはナショナリズムの高揚の場でもあります。極東の島国では公的予算を費やして国歌が起立して歌われているかを調査、監視していたりするわけですが、そんな馬鹿げたことはしない国でも程度の差はあれ「国歌を歌え」と迫る連中は出てくるもののようです。もちろんフランスのジダンやリベリ、平然とガムを膨らませていたスウェーデンのイブラヒモビッチなど国歌を歌わない選手なんて珍しくもありませんが、そこに噛みつく人もいるのでしょう。ギグスは「試合が始まれば全員が同じ方向へ向かっている。それが一番重要なこと」と述べる一方で、「国歌を歌う」という「形」を遵守させることに情熱を燃やす人もいると言うことです。

 

韓国の朴鍾佑、表彰式出席できず=「竹島」メッセージでIOCから通達〔五輪〕(時事通信)

 ロンドン五輪のサッカー男子で銅メダルを獲得した韓国のMF朴鍾佑が、11日のウェンブリー競技場での表彰式に出席できなかった。韓国男子代表の洪明甫監督らによると、同選手は10日の3位決定戦で日本戦に勝った後、竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを場内で掲げた。

 チーム関係者によると、国際オリンピック委員会(IOC)から朴鍾佑を表彰式へ出席させないよう通達があった。他の17選手は出席し、銅メダルを受け取った。朴鍾佑は日本戦の試合後、韓国サポーターからメッセージを渡されたという。この関係者は、朴鍾佑のメダルの扱いについて「何も聞いていない」と話した。 

 

 そんなナショナリズムの祭典で、IOCから警告された選手も出てきたわけです。まぁ、ちょっとやり過ぎたというところでしょうか。ここぞとばかりに日本のレイシストが息巻いていますけれど、韓国内では朴選手を支持する声がネットなどで多くを占めているとも伝えられています。どうなんでしょう、先日の記事で「外交は失敗した方が国内的には賞賛される」と書きましたけれど、この場合も例外ではなさそうです。朴選手の行動は日本に限らずIOCからも良い顔はされなかった、国際的な理解からはほど遠い状況にあると言えますが、むしろそうであるからこそ国内では好意的に迎えられているようにも思います。これがもっと「お行儀の良い」振る舞いであったなら、結果は違ったことでしょう。

 日本を下した韓国のサッカー代表選手が勝ち取ったのは銅メダルだけではありません。「兵役免除」という率直に喜ぶには政治的に微妙な特権もまた勝ち取ったわけです。日本においては自衛隊は常に翼賛の対象、いじめや暴行で隊員を死に追いやった挙げ句に調査資料を隠蔽しても信頼が揺るぐこともなければ(学校じゃそうはいきません!)、一般の公務員を公然と罵倒して国民の喝采を浴びる政治家が闊歩する時代にも関わらず自衛隊員を面と向かって侮辱する議員など誰一人としていない、大学で高等教育を受けてきたはずの新入社員を「学ばせる」ために自衛隊に体験入隊させる企業も後を絶たないなど、批判らしい批判すら存在しない神聖不可侵な存在です。「○○を自衛隊に入れて鍛え直せ」みたいな主張も定期的に繰り返されるなど自衛隊は我々の社会の模範として位置づけられているのですが、しかるに「自分が」自衛隊に入ろうとする人となると必ずしも多くなかったりします。あれだけ世間の評価が高い組織なのに、不思議な話です。

 翻って韓国の軍隊はどうでしょう。日本のように自国の軍隊に妙な幻想を抱いている人が多いかどうかはさておくにしても、兵役を勤め上げてこそ一人前、国民は国を守る務めを果たせみたいなノリは多少なりともあるはずです。そして、それを大声で叫ぶ人も日本と同じくらいにはいると思われます。そんな中で「兵役免除」のために死力を尽くす選手の姿はどう扱われるのでしょうか。真剣に競技に打ち込んでいる選手であればあるほど、自分のキャリアが兵役によって損なわれることを望まないものです。自ら望んで軍に入りたがる人は、兵役の義務を果たせと迫る人ほどには多くないことでしょう。しかし「兵役から逃れるために頑張りました」とは流石に口にしにくいことでもあります。だから表向きは、もっと別の動機を掲げなければならないところも出てくるのかも知れません。

 兵役免除という自国のナショナリストからは決して肯定的に扱われないであろう特権を得るのですから、その分だけ余分に別の形で「愛国心」を披露することが求められると言えます。このような場面で観客から自国政府の主張を書いたプラカードを差し出されたとしたら、どう反応すべきでしょう。相手にせず突き返したともなれば(その上で兵役免除です)、国内的には結構なバッシングに遭うことも考えられます。日本において「君が代を歌え」と迫られる場面と同様、拒みにくい状況が少なからず作られてもいるのではないでしょうか。「愛国心」を試される場面で、自分の意志を貫くことは意外に難しいものです。ましてやファンあってのサッカー選手でもあるだけに、一部の過激な連中であろうとも「ファン」の声を退けるのは楽ではないのだろうと思います。

 

室伏、当選無効 JOC、事前の説明不足 東京五輪招致“戦力ダウン”(産経新聞)

  室伏の当選無効の決定は、2020年東京五輪招致にとって大きな痛手になりそうだ。

 IOC選手委員会は、五輪運営に選手の意見を反映させる役割を担い、当選者はIOC委員にも就任する。日本のIOC委員は、7月下旬に就任した日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長1人。室伏が加われば、20年五輪の開催地が決まる来年9月のIOC総会に向けて、投票権を持つIOC委員との接点が増えただけに、招致活動の“戦力ダウン”は否めない。

 20日にロンドン入りした室伏は「五輪選手のセカンドキャリアを一緒に考えていきたい」と立候補の理由を説明。日本選手団の橋本聖子副団長によると、選手村入村後から村内の食堂で各国選手に投票を呼び掛けてきた。

 その際、室伏が配ったステッカーが選挙規定に抵触したとみられる。規定上、日本選手団のスタッフは選挙活動の支援を禁じられており、室伏が単独で選挙活動をおこなっていた。

 ただし、どのような行為が違反になるかについては、JOCが室伏に事前に説明できたはずで、JOCの責任は免れない。

 

 一方こちらは日本の話。何でも指定された場所以外での選挙活動などでIOCから2度の警告を受けたそうで、室伏選手には当選無効との決定が下されました。この辺はオリンピックの東京招致に向けたJOCの思惑も絡んでいたはず、まぁ自国の政治主張を選手の口から語らせたがる人は我が国にもいると言うことです。建前上、スタッフによる選挙活動は禁止とのことで室伏が個人でステッカーを配るなどしていたようですけれど、これがどこまで室伏個人の意思であったか微妙なところではないでしょうか。ハンマー投げという決して金にならないスポーツの選手である以上、いかに室伏と言えどスポンサーの意向を無視できる立場ではないはずです。バックに付いている団体が、IOCの委員に立候補せよと勧めてくれば無碍にはできないように思います。暗に選挙活動に力を入れろとの圧力もあったのではないでしょうか。結果はご覧の有様です。スポーツ選手を政治に利用しようとする人は、オリンピック開催期間中も元気に活動中ですね。

 

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大人になってから働かせろ

2012-08-13 23:31:33 | 雇用・経済

中3労災死、業者「学校から頼まれて雇った」(読売新聞)

 群馬県桐生市の中学校体育館で、解体作業をしていた栃木県足利市五十部町、中学3年石井誠人君(14)がブロックの下敷きになって死亡した事故で、石井君を雇用していた群馬県太田市の解体業者は9日、取材に対し、「学校側から頼まれたから雇った。日当は5000円だった」などと話した。
 
 解体業者は「7、8年前から計20人ほど不登校などの中学生を受け入れてきた。学校や親から頼まれた時だけで、社会人になる手伝いになればと思っていた」とも証言。石井君とは別の中学数校から依頼を受けたこともあったという。業者は「両親に申し訳ないと思っている。今後誠意を持って対応したい」としている。
 
 労働基準法では、建設業などで中学生以下の年少者の雇用を禁じている。石井君が通っていた足利市立西中の板橋文夫教頭は「校長や担任が業者に伺い、『お世話になります』と頼んだこともあった。中学生が働いてはいけないのはわかっていた」と述べ、学校側が依頼していたことを認めた。

 

 さて、常習的に中学生を働かせていた解体業者で死亡事故があったそうです。まぁ建設業界での人身事故は珍しいことではありません。是非はさておき、そういう業界なのでしょう。ただし死亡者が中学生ともなると、これまた小中学生の自殺と一緒で珍しいが故にニュースバリューも出てくるものと言えます。なにせ中高年の自殺は万単位、ありふれているが故に事細かに報道されることはないのですが、子供が自殺するのは滅多にないからこそ珍事として大きく扱われるわけです。そして建設業や林業での人身事故もまた然り、頻繁に発生するものは報道されず、特異な事例の方が紙面を賑わせることになります。誰からも気にかけられないところでなくなってしまう人のことも、決して忘れて欲しくないところですけれど……

 これまた良くも悪くも入り口の緩い業界で、あまり身元確認の類がうるさくないのも特徴なのでしょうか。私の勤務先でも下請けの社長が一人親方を連れてくることがあると以前にも書きましたが、その辺の初顔の作業員の身元は必ずしも把握できていません。工事に必要な資格の有無や、発注元が要求する講習の受講歴、就労ビザが下りているかどうか、そして就業が可能な年齢に達しているかどうか等々、その辺を事細かに確認するよりも先に作業に当たらせてしまうのが業界の慣例のようです。とかく原発作業周りでその辺を大仰に書き立てられたりもしていたわけですけれど、建設業の世界とは原発云々に関わりなくそういうものと言わざるを得ません。この辺の問題が原発に固有であるかのように扱われがちな昨今の風潮には、何だかなぁと。

 

中3作業死、日当隠し「職場体験」とウソ…学校(読売新聞)

 栃木県足利市の市立西中3年の男子生徒が群馬県桐生市で工事作業中にけがを負い死亡した問題で、同中が足利市教委から「日当をもらうのは職場体験としては不適切」と注意されていたにもかかわらず、これを聞かずに働かせ続けていたことが11日、分かった。

 同中や市教委などによると、工事をしていた群馬県の解体業者の下では、死亡した石井誠人君(14)の同級生の少年(15)が5月下旬から働き始めた。同中は6月に少年が日当を得ていることを知ったが、7月上旬に市教委に対し、日当の存在を隠して「5月から解体業者で職場体験しているが、今後も水曜日から土曜日まで体験させる」と報告。市教委は、平日に学校を長期間休み、工業的な業務に従事することを把握したが、日当がないため職場体験と判断した。

 

 建設業界全般の問題はさておき、中学生を就労させるという児童労働の観点からはどうでしょうか。日当は5000円だそうです。外国人研修生よりは、高給取りですね。外国人研修生を本来なら法律に触れるレベルの薄給で使い倒すことが許されているのは、それが「研修」であって「労働」ではないという建前があるからです。今回の中学生の就労の場合も同様、「職場体験」であって労働ではないという建前によって、本来なら許されない中学生の就労にゴーサインを出していたことが分かります。実質的な就労のため平日に学校を休むことになるにも関わらず、それを学校側が許可しているというのですから驚きです。中学校が何故「義務」教育であるのか、ちょっとぐらいは考えてみるべきでしょう。

 

中3作業事故死「職場体験に該当せず」(読売新聞)

 足利市立西中3年石井誠人君(14)が群馬県桐生市の工事現場の作業中にけがをして死亡した事故で、中学校側が事実上の就労を“職場体験”と説明する一方、文部科学省は9日、県教委などから話を聞いた上で「職場体験ではない」とする見解を明らかにした。解体業者の社長や息子が西中出身というつながりから、常態化していた中学生の就労に対し、足利市教委は市内中学生の就労状況に関する調査に乗り出した。
 
 文科省が2010年度にまとめた「中学校キャリア教育の手引き」などによると、職場体験は「学校から社会への移行のために必要な基礎的資質や能力を育む上での有効な学習。中学校は職場体験を重点的に推進すること」として位置付けられる。

 

 しかるに従来の学校教育を差し置いて「職場体験」を後押しする空気は決して弱くないようにも思います。今回の件は事後になって「職場体験ではない」との見解が出されましたけれど、死傷災害が起こらなかったとしたら世間の評価はどれほどのものだったでしょうか。進学率の上昇、高等教育修了者の増加を快く思わない人も我々の社会には少なくありません。必要なのは大学などの高等教育ではなく職業訓練だと、そう説く人が多いわけです。もっと早い内から就労を意識した職業教育に重点を置くべきだと、往々にして改革系の論者は語りがちです。問題の解体業者は「不登校などの中学生を受け入れてきた」そうです。理由はさておき学校に馴染めない生徒に「学校以外」の選択肢を与えて「社会人になる手伝い」としてきたと、事故が起こらない間は賞賛されてきた、ことによると美談の主ですらあったのではないでしょうか。

 学力テストの結果には大騒ぎしつつも、学力テストの対象となる勉強に力を入れているかと言えばさにあらず、進学率の上昇を喜ぶどころか反対に大学生が多すぎる云々と説教を始めるような人も目立つ時代です。学校の勉強より社会勉強みたいな風潮は強いですけれど、しかし中学生あるいは高校生ですらそうですが、まだまだ未熟な人間を教育と称して労働現場へ放り出すのは社会全体としてどうなのでしょう。単純に危険でもあることは今回の一件にも表れていますし、同時に人生の早い段階で「社会人になる手伝い」を受けた人のその後のキャリアはどうなのかも問われるべきです。義務教育終了後も格安の日当で使い捨てられるようでは何のための「職場体験」なのでしょう。職場体験に該当するかどうかではなく、職場体験推進の考え方に誤りは無いか、その辺もまた省みられる必要があるように思います。

 

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