非国民通信

ノーモア・コイズミ

本当の近隣窮乏化政策とは

2013-01-29 22:57:24 | 雇用・経済

アベノミクスを痛烈批判=「中銀独立性脅かす」-独連銀総裁(時事通信)

【フランクフルト時事】ドイツ連邦銀行(中央銀行)のワイトマン総裁は21日に行った講演で、安倍晋三首相が掲げる「アベノミクス」と呼ばれる金融・経済政策について、「中銀の独立性を脅かす」と痛烈に批判した。
 ワイトマン総裁は「現在、(中銀の独立への)深刻な干渉がある。例えばハンガリーや日本だ。日本では、新政権が中銀に大きく干渉し、大胆な金融緩和を要求して独立性を脅かしている」と断言。報道の自由や司法の独立性への侵害が欧州連合(EU)内で問題視されているハンガリーと同列に並べて批判した。 

 

英有力紙が円高是正に理解=独連銀の「戦争」警告批判(時事通信)

【ロンドン時事】英有力紙フィナンシャル・タイムズは24日付の社説で、ドイツ連銀(中央銀行)のワイトマン総裁が日本政府の日銀に対する金融緩和圧力を懸念し、「通貨戦争」の誘発を警告したことについて、「誇張だ」と批判、その上で日本側による過度な円高の是正に理解を示した。
 同紙は、円は依然として金融危機以前よりも「高い水準にある」と指摘。最近のユーロ高は、「日銀の(金融緩和による)近隣窮乏化政策よりも、欧州中央銀行(ECB)がユーロ崩壊のリスクを除去する措置を施した結果だ」と強調した。

 

 さて、ドイツではメルケルも似たような趣旨の発言をしており、概ね「アベノミクス」に批判的なようです。まぁ中央銀行の独立性の問題はありますが、ただ日本の場合は中央銀行の不作為が酷すぎた、隣で呂律の回らない財務相が世界に恥を晒している中でも何もしないで見守るだけの無能な総裁の下、自国経済の壊滅的な状況を前に、ただただインフレを恐れるだけで何もしない、長年にわたって背任行為を続けてきたわけです。自国の中央銀行の背任を前に何もできないでいるとしたら、それはそれで大きな問題でもあります。一定の独立性は担保されるべきだとしても、役割を果たさない中央銀行に手を出せなくなるのも極めて危険なことですから。

 一方で英フィナンシャルタイムズは落ち着いたもので、現状の円高が過度な状態にある、円安になってもなお高い水準にあることを指摘しています。まぁ、為替相場なんて明白に数値化されているのですから誰にでも分かることのはずなのですけれど、それさえ理解したがらない人が多いと言うことでしょうか。とりあえず1ドルが100円台に乗るくらいまでは円安を心配しても鬼が笑うというものです。通貨戦争云々にしても実質的には既に始まっているわけで、今さらながらに日本が張り合い始めたところで、それをとやかく言われる筋合いはありますまい。

 なお近隣窮乏化政策とは米自動車業界が言い出したようですが、近隣窮乏化の総本山はドイツではないでしょうかね。日本の貿易黒字の裏にアメリカの貿易赤字があるのと同様、ドイツの貿易黒字の分だけ近隣国は赤字を負わされてきたわけです。その犠牲者がギリシャであり、スペインであり、イタリアであると。ギリシャにも例えば消費税を上げた代わりに法人税を下げては税収を減らすなどの政策的な誤りはありましたが、慢性的な輸出超過によって他国に赤字を負わせた国の存在もまた無視されるべきではないでしょう。資本の蓄積の段階を終えて久しい中でも近隣国から富を吸い上げてきたドイツには、それを贖う責任があると言えます。

 国際競争力に応じてドイツマルクの価値が上がれば多少の是正にもなったところ、しかし統一通貨ユーロの時代にそれを語っても意味がありません。ただ、それでも責められるべきは自国労働者の給与抑制に走ったことでしょうか。人件費を抑え込むこめば他国よりコスト面で有利になる、国際競争力も高まるというものですけれど、その国際競争力によって脅かされる近隣国は窮乏化の危機にさらされます。しかも国内の労働者は働いても報われない、賃金が上がらないから国内消費も伸びない、ますます輸出による富の収奪が必要になる、表面上の失業率だけは低く見せかけられても、その実は誰もが不幸になる愚策です。ドイツは他国の通貨安政策を非難する前に、自国の人件費安を是正した方が良いでしょう。

 もっとも人件費と言えばドイツ以上にタチが悪いのが、我らが日本です。長らく超・円高は放置したまま代わりに自国労働者の賃金を一貫して引き下げ続けることで国際競争力を維持しようとしてきたのですから。公務員の賃金を引き下げろ、電力会社社員の給料をカットしろ、マスコミはもらいすぎだ、退職金の引き下げは当然だ、経営が悪化すれば人件費削減は当たり前――とにかく賃下げ志向の強い国民の元、欧米諸国に比して割安な労働コストは日本が国際競争力を保つ上で最大の武器でした。このような状況に居心地の良さを感じていた人もまた少なくないにせよ、世界への影響はどれほどのものやら。

 「安い人件費&超円高」という状態で概ね日本の競合国は均衡を見出しているわけです。そこから円高が是正され「安い人件費&普通の円高」レベルに近づくことへ危機感を抱いている国や業界団体もあると言えます。では、そこで異議を唱えるべきは何に対してなのか。超円高を受け入れよ、中央銀行の不作為を放置せよと、そう要求する国があるなら、これは突っぱねてしまって良いと思います。日本側の立場を強く主張して構わないでしょう。むしろ競合国が日本に迫るべきは、人件費の引き上げと言えますね。なぜ他国の金融政策に口出ししながら、雇用政策に関してはそれができないと考えるのか、為替レートが適正化しても、日本の労働者の賃金が同時に適正化されれば日本の国際競争力が強まりすぎて他国を窮乏化させることもなくなるわけです。求められるのは国際競争力に釣り合わない為替レートではなく、それに応じた賃金なのです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (6)

無法者国家

2013-01-27 11:17:00 | 政治

都、東電と全面対決へ 売電解約、50億円支払い拒否へ(朝日新聞)

 水力発電した電力の売買契約で、東京電力との契約解除を決めていた東京都は、東電から要求されている解約金51億8千万円の支払いを拒む方針を決めた。今月にも新たな契約先を探す入札手続きに入る。東電の大株主の都は、東電と全面対決の構えだ。

 猪瀬直樹知事は、朝日新聞の取材に「東電の主張する金額は払う必要はない。払わないと言い切れば(都の)勝ち。都を敵に訴訟を起こせるのか」と述べ、契約継続を求める東電の要請を拒む姿勢を示した。

 都によると、都は青梅市や奥多摩町に所有する三つの水力発電所(最大出力計3万6500キロワット)の電力を1957年から東電に売却。10~15年といった長期の随意契約を結び、売却額は複数年ごとに見直してきた。

 

 犬が去って豚が来るとはよく言ったものですけれど、今それが最も当てはまるのは東京都知事の場合でしょうか。むしろ私には猪瀬に変わるくらいなら石原のままの方がまだしも、と思えないでもありません。で、猪瀬直樹が「払わないと言い切れば勝ち。都を敵に訴訟を起こせるのか」と、反社会的勢力のような台詞を披露しています。背景としては東京都側の一方的な契約破棄があるようで、その違約金の支払いを求められているわけですが、まぁ大半の日本人にとって契約とは鴻毛より軽いものなのかも知れません。立場の強いものにとって、契約の一方的な打ち切りは裁量権の範囲として幅広く認められているのが我が国というものでしょうから。

 社会的な非難の対象となっている相手――犯罪加害者(容疑者)であったり、公務員であったり、社会保障受給者であったり、そして電力会社であったり――であるなら、その権利や契約などは尊重しなくてもいいと猪瀬は言明していますけれど、これが猪瀬ばかりの例外的な発想ではないところに日本の現状があります。負い目のある相手には徹底的に強気に出てみせるのが美しい国の文化なのでしょう。何はともあれ、東京都が非協力的なこともあって、ますます原発に変わる電力び確保手段が狭まったわけで、この分だけなおさら原発の再稼働に向けて全力を尽くさねばならなくなったとも言えそうです。

 

相次ぐ駆け込み退職希望「想像より3倍多い」(読売新聞)

 「増えるとは思っていたが、自分の想像より3倍くらい多い」。
 
 埼玉県の2月からの退職手当削減を受け、今年度の定年退職者に1月末での駆け込み退職希望者が教員を含めて相次いでいることを巡り、上田清司・埼玉県知事は22日の定例記者会見で困惑の色を見せた。

(中略)

 条例案に賛成した県議会には想定外の事態だった。自民党県議団の細田徳治幹事長は「担任の先生までが辞めるとは予測できなかった」とし、民主党・無所属の会の浅野目義英幹事長も「減額には賛成したが、教員の駆け込み退職を認めたわけではない」と声を強める。

 

「決して許されない」=教員の駆け込み退職―下村文科相(時事通信)

 下村博文文部科学相は24日の記者会見で、全国の公立学校教員が定年を待たず、退職手当減額前の年度途中に「駆け込み退職」をしている問題について、「決して許されざる(ことだ)」と批判し、文科省として各教育委員会などへの指導に乗り出す考えを示した。

 

 どうにも経営者や株主以上に政治家や国民の方が賃下げを歓迎する傾向が強いのではないかと思われる昨今ですが、ともあれ自治体職員の給与カットの一環として、埼玉でも約150万円ほど退職金が減額されるとのこと。そこで制度が変わる前に一足早く退職する人が教職員は元より、ここでは報道されていませんが警察官などでも続出しているとか。まぁ、あたりまえのことです。定年まで何年もあるならいざ知らず、3月末で退職なら残るは2~3ヶ月、その期間を働き続けた結果として退職金が150万円も減額されてしまうと言うのなら、先に辞めるのが当然の正解です。むしろ残ろうとする人は深刻なワーカホリックで正常な判断力を喪失している疑いがありますので、カウンセリングなどが必要でしょう。

 しかるに、民主党・自称無所属の会の浅野目義英幹事長は「減額には賛成したが、教員の駆け込み退職を認めたわけではない」、下村博文文科相曰く「決して許されざる(ことだ)」と。どうにも、この辺の人は職業と労役刑の区別が付いていないようです。巨額の報酬を受け取るスター選手や総理大臣ならまだしも、「普通」の給与水準で働く人には誰しも辞める自由くらいは認められるはずです。しかるに一方的な労働条件の不利益変更を強いた上で働き続けることまで要求するとしたら、これまたブラック企業的とも言えます。3ヶ月ほど働いたために退職金が150万円も減る、おそらく退職までの3ヶ月は実質的な無償労働にもなることでしょう。対価のない労働を強いるのは人権の面からしてどうなのかも問われてしかるべきです。

 もっとも日本は雇用・労働に関しては完全な無法状態と言いますか、労働者を守るための法律は誰かが裁判所に訴え出もしないと適用されない、実質的に存在しないも同然だったりします。今回の退職金引き下げなど一方的な労働条件の不利益変更も雇用側の裁量権の範囲として幅広く社会的に認められるところで、それに対して労働者側がせめてもの自己防衛に走った結果がごらんの有様です。労働者の権利を保護するための制度と運用は日本にだって必要ではないでしょうかね。労働者の我慢の上に成り立つ社会なんて必然的に限界が訪れるものですから。

 

駆け込み退職、知事「置き去り生徒かわいそう」(読売新聞)

 埼玉県などで退職手当の削減前に学校教員らの早期退職希望が続出している問題を巡り、黒岩神奈川県知事は23日の定例記者会見で「退職金ということで、生徒たちを置き去りにし、ポイと辞めてしまうというのはやりきれない。生徒たちがかわいそうだ」と批判した。

 県も現在、退職手当を引き下げるため、組合側と交渉を進めているが、現在のところ、早期退職の希望者はおらず、退職手当制度の見直しに関する問い合わせが数件あっただけにとどまっているという。

 

 そして神奈川の知事は「生徒たちがかわいそうだ」と感情論へのすり替えに走ります。長年の勤務の結果として退職金を削減される人は可哀想ではないのかとツッコミたくもなりますが、我が国では年齢が上の人のことは蔑ろにしてもいいことになっているのでしょう。若いほど尊いのです。そして「子供のため」を装いつつ、その実は子供を盾にしている人、子供を人質にして、不服を申し立てる人々の口をふさごうとしている人は、立場の違いを超えて幅広く勢いづいているような気がします。子供のために我慢しろ、と日頃は暗に要求してきた類の人間は、今回の一件で教職員側に同情的な立場の人にも少なくないのではないでしょうか。一方的な退職金削減を受け入れてまで働き続ける義理はないと思いますけれど、子供は葵の印籠であり錦の御旗、子供のため~、子供を守れ~はマジックワードです。「子供」を持ち出されると沈黙を余儀なくさせられることも多いわけで、神奈川でも単に我慢しているだけ、我慢させられているだけの職員は数多いるだろうと推測されます。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (3)

麻生太郎はモダンな政治家

2013-01-24 23:40:54 | 政治

変革の自民、若手台頭 衆院選後“最大派閥”強まる発言力(産経新聞)

 昨年末の衆院選で政権奪還を果たした自民党内で、大量当選した新人を中心とした若手が台頭している。70~74歳の医療費窓口負担割合をめぐり、若手が先輩議員に「同じ『有権者の代表』なのに発言を封じ込まれる筋合いはない」と声を強めているのだ。「若手が発言力を強めるのは、党が生まれ変わった証拠」(幹部)との評価もある一方、「内ゲバ」の印象が強まれば、政権を失った民主党の二の舞いとなりかねず、難しい党運営を迫られている。(力武崇樹)

 7日の党厚生労働部会。若手を代表する小泉進次郎青年局長が高齢者の窓口負担に関し、「2割という本来の水準に戻すべきだ」と発言すると、若手から大きな拍手がわき起こった。

 平成20年からの「特例措置」である1割負担を継続するのは世代間の公平性に欠けるとの主張は、もともと党内にもくすぶっていた。これに対し、参院選で再選を期す石井みどり参院議員は「特例措置導入の経緯を知らないでしょう」と小泉氏を牽制(けんせい)。「窓口負担が増えると高齢者が受診を控えるようになる」と1割継続を訴えた。

 

 上記引用元でとやかく言われるまでもなく安倍内閣の閣内不一致は散見されるところですが、ともあれ高齢者の窓口負担引き上げを迫る小泉ジュニアと喝采を送る「若手」を前に、石井みどり参院議員が立ちはだかったとのことです。結局のところ高齢者向けの福祉を切り捨てても、それが世帯レベルでの負担に移り変わるだけのことで国民全体の負担が変わるわけではない、ただ偏在するようになるだけなのですけれど、これを「若者世代のため」と装うのが昨今のトレンドと言えます。それが本当に若者のためになると思えるなら、ちょっと病院で頭を診てもらった方が良いでしょうね。ウチは早くに親を亡くしているので高齢者向けの社会保障費など負担したくないとか、みたいに個人的な事情ならともかく……

 

麻生氏「さっさと死ねるように」 終末医療巡る発言撤回(朝日新聞)

 麻生太郎副総理・財務相は21日に開かれた社会保障国民会議で、終末期医療にふれる中で「さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」などと発言、終了後に撤回した。

 麻生氏は終末期医療や延命治療に言及した際、終末期の患者を「チューブの人間」と表現し、「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない。さっさと死ぬから』と書いて渡してある」と発言。さらに「いい加減死にてえなあと思っても、『とにかく生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない。しかも、その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」などと述べた。

 会議の終了後、記者団に対して、「個人的なことを申し上げた。終末期医療のあるべき姿について意見を申し上げたものではない」と釈明した。その後「国民会議という公の場で発言したことは、適当でない面もあった」として、議事録から発言を削除する意向を示した。

 

 一方こちら、副総理にして財務相という政府要人の発言なのですから削除すべきではないだろうと思います。内閣の中枢にいる人間の本音として後代に残される必要のある発言です。まぁ、ある意味で麻生はモダンな政治家と言えますね。高齢者向けの社会保障を(主として現役世代への)重荷として扱うのは若年世代にウケがいい、これまた「若者のため」という時流に乗った発言でもあるのではないでしょうか。

 麻生だって自分が総裁だった頃は政権の延命に色々と費やしてきたのではないかというツッコミはさておき、生きるか死ぬかは本人や家族の決めることであって、政府のお金で云々と負い目を感じることを当然視されるようでは日本という国の質が問われるところです。富国強兵、殖産興業に貢献しなくなったらさっさと死ねと、そういう国を目指すのであれば「若手」議員や麻生太郎もアリなのかも知れませんが、そんな国を私は誇りに思いませんよ。

 ……で、私は経済政策に関して、現時点では安倍政権に及第点をつけています。これまでの内閣が酷すぎた分もあるのですが、安倍が決別した「これまでの内閣」には前・安倍内閣も含まれるわけです。先の安倍内閣だって伝統的な改革路線で日本経済の衰退に寄与してきたはず、そこから方針転換したのは率直に良いことだと思いますけれど、過去の自分の経済政策に安倍晋三はどう向き合うつもりなのでしょうか。

 前にも書いたように安倍晋三は経済に関しては「色がない」と言いますか、あまり拘りがないように見えます。そして拘りがないが分だけ、素直に現実に向き合える余地がある、自分自身も一枚噛んできた従来の改革路線の不毛さを認めることができたのではないでしょうか。これが「経済通」などと呼ばれるような「拘りのある」政治家だったら結果は逆だったように思います。絶対に自身の政策の誤りを認めようとしない、全く結果が出ていないにも関わらず「改革が足りないからだ」とばかりに己の世界観に固執し、いつのまにやら経済成長や景気回復ではなく、自身の思い描いた改革の正しさを証明することが目的化する、政治家に限らず経済系の論者には珍しくありません。

 安倍は経済に拘りがないから、過去の経済政策を平然と捨てられたと言えます。逆に拘りのある分野――例えば歴史認識や教育政策の類は、全く進歩せずに過去の過ちを繰り返すのではないかと危惧するところです。まぁ、昨今の政治家にはよくあることではないでしょうか。自分が思い入れを持っている分野、専門家と自任している領域でこそ、「無能な働き者」としての本領を発揮している政治家が目立つように思います。他所の分野なら「無能な怠け者」として害はなくとも、本人が意気込む分野に近づけるほど害悪が増える、そういう政治家がむしろ昨今の主流ですね。

 そして麻生の場合、氏が外相時代に北朝鮮が粗大ゴミの打ち上げ実験を強行したことがありまして、ちょっと猛々しいポーズを取ってみた安倍内閣の支持率は急上昇、そこで麻生「外相」曰く「金正日に感謝しないといけないな」と。何事も軍事力なくしては解決不能と考える人も多い時代ですが、そもそも北朝鮮の打ち上げ実験強行を許したのは外交の失敗の結果であり、それを最も恥じるべき立場にある人物が「金正日に感謝しないといけないな」と言い出したわけです。当時の安倍内閣には祝砲だったとしても、これはまさに外相として最悪の発言に他なりません。

 そして今回、財務相として「さっさと死ねるように~」と宣いました。財務大臣として、「政府のお金」のためなら国民の生命を蔑ろにすると高らかに宣言しているわけです。これは国家の財布を預かる立場の人間が最も口にすべきことではないと言えます。どうにも色々と妄言の隠せない人ですけれど、「役割に応じて」「最低の発言」を使い分けているようにすら思えてくるところです。まさしく「無能な働き者」として、やる気の分だけ酷い結果を招くタイプなのでしょう。その点において麻生はまさに現代的な政治家なのだと。

 もう一つ付け加えるなら、昨今はネット上の選挙活動解禁の動きが活発化しているわけで、そうなると「ネットの声に右往左往しない」リテラシーが問われることになります。マスコミはゴミだ、新聞などいらぬとばかりに既存メディア批判に自己満足する人々の自惚れとは裏腹に、ネットなどの相対的に新しいメディアの信頼度はどれほどのものやら。かつて麻生内閣はネット上で意気軒昂な極右層を当て込んで積極的なアピールを繰り広げていたものですけれど、その結果がどうなったかは言うまでもありませんよね。まぁ、ネット上の声を真に受けて失態を晒した政治家としては先駆的な存在でもあるのではないでしょうか。だから麻生はモダンな政治家なのです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (2)

「アベノミクス」の評価が分かれていない件

2013-01-22 23:06:30 | 雇用・経済

「アベノミクス」海外で評価二分 円安誘導、2%の物価目標導入(フジサンケイビジネスアイ)

 安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」に対する海外からの評価が分かれている。その分岐点は、2%の物価目標を設定し、日銀が大胆な金融緩和を実施することに対する考え方だ。金融緩和の期待感が円安株高の好循環を実現していることが経済専門家から正しい政策として認められる一方、米製造業のロビー団体などからは意図的な円安誘導が「通貨安競争」を招きかねないとして、厳しい批判の声があがっている。

 「中央銀行の独立性が確保されている限り、好ましく興味深い計画だ」。国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は17日の年頭記者会見で、安倍政権と日銀による2%の物価目標導入を柱にした金融政策をこう評価した。

 大胆な金融政策と財政出動で景気浮揚を図るアベノミクスに対しては、2008年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクルーグマン教授も一定の評価を与えている。

 クルーグマン教授は14日付のニューヨーク・タイムズ紙のコラムで、「深く考えているわけではないだろうが、結果的には完全に正しい」との考えを表明。財政破綻のリスクから、他の先進国が尻込みしていた政策に踏み込んだ意欲を評価した。

 これに対し、大胆な金融緩和に伴う円安が、他国の貿易に打撃を与えるとして、警戒感も強まっている。自動車大手3社で組織するロビー団体の米自動車政策会議(AAPC)は17日、オバマ政権に対抗措置を取るよう要請した。

 AAPCのブラント会長は声明で「貿易相手国の犠牲と引き換えに日本の経済成長を促進する『近隣窮乏化政策』を繰り返すことを決めた」とアベノミクスを皮肉った。

 また、韓国銀行の金仲秀総裁は14日、「大幅な円の下落が起きた場合には、積極的に対応する」と中央銀行の総裁としては異例の発言に踏み切った。日本企業と競合関係にある石油や化学、鉄鋼製品、自動車など輸出産業の懸念を代弁した格好だ。

 アベノミクスが海外からの批判を招くのは、大胆な金融緩和が円安誘導の効果をもたらし、世界の通貨安競争に再び火を付けかねないためだ。IMFのラガルド専務理事も、日本への名指しを避けながらも、「IMFは、いかなる形でも通貨安競争に賛同しない」と行き過ぎた円安誘導にクギを刺している。

 

 前にも書きましたけれど、私はこの「アベノミクス」という呼称そのものが疑問です。安倍が打ち出している経済政策は至ってオーソドックスなもの、民主の前最高顧問である渡部恒三が言うように「前の内閣がひどすぎた」ために変化が大きいようにも見えますが、不況時に金融緩和と財政出動へ舵を切ることが「普通」でなければ何なのでしょうか。不況時に逆進課税を強めるとか緊縮財政を打ち出すとか、貿易黒字で生きながらえている状態にも関わらず自国の通貨安を黙認するとかデフレというマトモな社会ならあり得ない事態を放置する等々、そういう異常な経済政策に何か特別な名前を付けるなら理解できます。しかし、安倍晋三は経済に関しては常識的な指針を示しているに過ぎません。しかし、日本という孤高のガラパゴス諸島では普通と異常の基準が逆転しているようです。

 引用元では「『アベノミクス』に対する海外からの評価が分かれている」と伝えられています。本当でしょうか、ここで引き合いに出された論者の「アベノミクス」評は、むしろ一致しているように私には見えるのですが。IMFのラガルド専務理事とクルーグマンは肯定派、米自動車政策会議のブラント会長と韓国銀行の金仲秀総裁は懸念派と、記者の目にはそう映っているのかも知れません。しかし、四者とも実は同じ見解に立っていると言えます。

 ブラント氏と金仲秀氏は一見すると「アベノミクス」に否定的と受け止められるところもありそうです。しかし、なぜ否定的な態度を取っているのかを考えてみましょう。どちらも自身の業界/自国の競合たる日本が勢いを盛り返してくることを予測した上で懸念を表明していることが分かるはずです。つまり、ブラント氏も金仲秀氏も、ラガルドやクルーグマンと同様に「日本経済が好転する可能性が高い」という認識を持っていると言えます。アベノミクスが何をもたらすか、という点において海外の評価は分かれていないわけです。

 翻って日本国内では、主立った自称経済誌は軒並み「アベノミクス」に否定的な模様、競合する業界団体や競合国のようにライバルが強くなることを恐れての懸念ではなく、大真面目に日本経済が今以上に悪化するかのごとくに語る人が目立ちます。まぁ、日本では長らく自殺的な経済対策が常態化していたわけで、それを当たり前のことと勘違いしてしまった人もいるのでしょうか。あるいは景気回復よりももっと別の未来を望んでいるのかも知れませんね。

 「世界の通貨安競争に再び火を付けかねない」云々との指摘も一見するともっともですが、今だって別に通貨安競争が終わったわけではない、ただ単に「日本が参戦してこなかった」だけのことです。世界各国が自国の輸出産業を有利にすべく通貨安を誘導してきた、その動きから「世を挙げて皆濁り、我独り清めり」とばかりに背を向けてきたのが日本経済だったのではないでしょうか。通貨安競争は世界経済にとって好ましいことではありませんけれど、だからといって日本だけが競争に参加しないでいられるかと言えば、それは限界があるというものです。

 もっとも日本国内的には、自国の通貨安を誘導するよりも自国の労働者の賃金を引き下げるような改革の方が好まれるところもありました。景気が上向いて売り手市場へ傾いて、それで労働者側が強くなるくらいなら、不況の継続で買い手市場も続行、何でも雇用側の思うがままの世の中にこそ「正しさ」を見出している人も日本では多いようです。不況にかこつけて改革を叫ぶような論者にとってもまたアベノミクスは不都合である、実は日本で「アベノミクス」に反対している人の中にも、ブラント氏や金仲秀氏と同様に日本経済の復活を「懸念」している人がいるような気がします。

「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」 ―――小泉純一郎

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (3)

マスコミの言うことには何でもダメ出しする人も多いですが

2013-01-20 22:24:27 | 社会

軽減税率を求める声明(日本新聞協会)

 日本新聞協会は、新聞、書籍、雑誌には消費税の軽減税率を適用するよう求める。

 知識への課税強化は国の力を衰退させかねないほか、欧州では民主主義を支える公共財として新聞などの活字媒体には課税しないという共通認識がある。民主主義社会の健全な発展と国民生活に寄与する新聞を、全国どこでも容易に購読できる環境を維持することが重要である。

 付加価値税の標準税率が二桁を超える欧州でも、新聞に対する税率は、英国、ベルギー、デンマーク、ノルウェーはゼロ税率となっているほか、フランス2.1%、スペイン・イタリア4%、ドイツ7%など、主要国では一桁に抑えられている。新聞協会が昨年11月に実施した調査でも、8割を超える国民が軽減税率の導入を求め、そのうち4分の3が新聞や書籍にも軽減税率を適用するよう望んでいる。

 また、国民に知識、教養を普及する役割を果たしている書籍、雑誌、電子媒体にも同様の措置をとることが望ましい。

 

 さて、新聞協会は軽減税率の適用を求めるとのことです。以前から各新聞社が個別に新聞を軽減税率の対象とするよう社説などを載せる動きは多々あり、そして今度は協会として見解が出されました。曰く「8割を超える国民が軽減税率の導入を求め、そのうち4分の3が新聞や書籍にも軽減税率を適用するよう望んでいる」とのこと。もっともネット上の論者からは反発を買っているところも多いようです。先の衆院選を例に出すまでもなく、ネット世論よりも新聞の世論調査の方が格段に信頼できるわけですが、まぁ敢えて反対論に思いを馳せてみましょう。

 軽減税率の適用を求める新聞社の動きに噛みついている人の中には消費税増税そのものに否定的な論者も多くて、どうにも軽減税率を語りながら消費税増税そのものには諸手を挙げて賛成する姿勢の新聞社が多いことへの怒りが見え隠れしていたりします。消費税増税への世論誘導に励みながら、その一方で自社商品には軽減税率を適用せよと説くのはケシカラン、と。何だか子供の喧嘩みたいな理屈です。そもそも消費税増税と軽減税率適用は矛盾する話ではないので、賛成反対はさておき決して無理筋の話ではないような気がしますけれど。

 消費税増税に限らず、日頃の新聞報道全般への不平不満から業界に噛みついている感じの人もいるでしょうか。マスゴミ云々とメディア批判に走るのは、どこでもウケが良いもので、既存メディア批判にかこつけて軽減税率適用にまで一緒にダメ出しをする人が目立ちます。確かに東京新聞を筆頭にメディアとしての基本倫理が欠落した酷い代物も多いですが、そうは言っても「他」の何かが新聞の代替たり得るのかどうか、ネット世論と選挙結果の乖離とは裏腹に新聞調査と選挙結果は概ね狂いのないものでした。相対的にではあれ、国民に情報を伝達するインフラとして新聞へのアクセスはまだまだ必要に思われるところです。

 新聞(+書籍、雑誌、電子媒体)ばかりが特別なのか、それ「以外」にも国民にとって欠かせないものはあるだろうと語る人もいます。そうですね、新聞だけが必須でもない、新聞「以外」にも軽減税率の適用は求められるところで、そこは新聞社が役割を果たさなければならない、これまでの消費税増税路線を読者に陳謝し、主張を改めることは求められても良いでしょう。ただ、軽減税率が必要なのは新聞だけではないからといって、新聞ばかりの軽減税率には反対⇒軽減税率を求めるのは筋違いみたいな方向に議論が進むのは乱暴ではないかとも。この辺、経済成長「だけ」では問題が片付かないからと、経済成長そのものを否定にかかってしまうようなお馬鹿さんを彷彿とさせます。

 それはさておき、新聞への軽減税率適用は誰のためなのでしょうか? 新聞業界からの要望に批判的な人は専ら、軽減税率が「新聞社」のためであるかのごとくに語っているケースが目立つように思います。確かに、手続きとして消費税を納めるのは事業者たる新聞社で、そこに軽減税率が適用されれば新聞社が納めるべき税金の額も少なくなるわけです。新聞社側が、自らの「利」のために軽減税率を求めているのだと、暗にそう印象づけたがっている人も少なくなさそうです。しかし――

 例えば産経新聞の購読料は月額2,950円です。ここに課される消費税って、実際には誰が負担しているのでしょうね。商品やサービスの値段が、105円であったり1,260円であったり、そういうキリのいい金額だと本体価格に消費税が転嫁されている、消費者が消費税を負担している印象を受けると思います。しかし販売価格が980円であったり700円であったり、あるいは2,950円であったりした場合はどうでしょうか。吉野家の牛丼並盛り380円には約18円の消費税が課せられますが、これを負担しているのは客なのか店なのか、それは実際のところ藪の中としか言い様がありません。

 消費税とは商品なりサービスなりを購入する側が払うものであるのなら、軽減税率適用を訴える新聞業界は自社の利益のためではなく、あくまで顧客の利益のために主張しているのだと言えます。逆に消費税=販売する事業者が支払うものと捉えるなら、軽減税率適用は自社の利益を守るための行動と言えそうです。まぁ誰にでも自分の利益を守る権利はあると思いますが、それはさておき消費税を負担しているのは「実際には」誰(どちら側)なのやら。この実態としての負担者が曖昧なところもまた消費税の致命的な欠陥ですね。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント

鬼畜米英の発想は過去の遺物なのか

2013-01-18 23:20:48 | 社会

 上の画像は、北朝鮮で書かれたアメリカ兵の絵なのだそうです。ちなみに下は、我が国で書かれたアメリカ兵とイギリス兵とイギリス兵の姿ですね。まぁ、こんなのは探せば色々と出てきます。どこの国でも考えることは同じ、とりわけ国民をコントロールしたがる政府の元では、このような宣伝が行われるものなのでしょう。昔は日本もこんなもの、北朝鮮を笑ってもいられない――そう言えば話は収まりそうに見えるかも知れません。でも、本当に「昔は」で済むのでしょうか。今もなお続いているところもあるのではと、首を傾げるところがないでもないのです。 

 この頃は下火になりましたけれど、一時は野田政権がTPP「交渉」参加を言い出したせいもあってか、駅前では毎日のように某政党が外国企業の脅威を説いていたわけです。まぁ保護主義が覆されることによって不利益を被ることが予測される特定業界の人間や、その立場を代弁する議員が自らを守るために声を上げる分には大いに尊重されるべきものと私は考えますが、じゃぁ外国企業は日本を脅かす鬼畜のごとき侵略者なのか、某政党――まぁウチの最寄り駅で政策的な話をするのは共産党だけでして――の地元議員に言わせれば、TPPに参加すれば外国の企業によって国内企業が脅かされるとのこと。でもそれは違うだろうと私は思ったのでした。

 日本の会社と外国の会社なんて、せいぜい大日本帝国陸軍や海軍とGHQ程度の差しかないのではないかと言いたくなるのですが、どうも世間の受け止め方は異なるようです。海外の企業はまさに鬼畜米英のごとき侵略者と、そう考える人もいれば、そう国民に印象付けたがっている人もいるわけです。極右排外主義者がこれを語るのであれば、まだしも納得がいかないでもありません。しかし、日頃は日本の企業がいかに日本の労働者を締め上げているかを語ってきた政党が、同じ口で海外の企業を鬼畜米英のごとくに見せかけようとしているとしたら、その論者の言うこと全体が信用ならないものと私には見えてきます。

 前にも書きましたが、軍事的な衝突、例えば戦争の類は話し合いによって、即ち外交的手段によって解決できると説く人もいる一方、そうした論者が経済問題や特に食糧問題に関しても同様の立場を取っているかと言えば、むしろ逆の傾向が強かったりするわけです。平和のためには国際的な連携の必要性を説きつつ、食糧問題では国際的な協業の枠組みを危険視し、防壁を築いて自主自立を説くような、そんな人もまた珍しくありません。ある意味で「反原発」は左右の垣根を越えた枠組みにもなりましたけれど、それが下火になりつつある今、新たに左右が手を携えそうな領域はこの辺なのかな、という気がします。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (2)

前政権から変わって「いない」ことも注目されるべきかと

2013-01-16 23:01:09 | 政治

 以前に書いたことですけれど、民主党の評価として「1自民党の目指していたものとして賞賛」「2自民党とは別路線として賞賛」「3自民党の目指していたものとして批判」「4自民党とは別路線として批判」の4パターンがあったと思うのです。再掲となりますが、図にしてみたのが以下ですね。

 

 パターン1としては、自民党筋でありながら民主党の「改革」に好意的だった人々、小泉純一郎(皮肉半分とはいえ)に河野太郎、舛添要一などが当てはまり、パターン2はネット上の民主党支持者や小沢信者に多い、パターン3は共産党やその支持層、パターン4は極右層や自称「保守」層が該当するでしょうか。あらゆる方面からの支持を失っていった民主党政権後半はさておき、政権交代からしばらくの間は概ね、単に支持するか否かだけではなく、その政治姿勢を「自民党と同路線か否か」と解釈の対立軸もあったわけです。故に自民党議員や自民党支持層の間でも評価が分かれていたと言えます。

 翻って今度は民主党から自民党へ、再び政権交代と相成りました。この先に暴走があるのか当面は安全運転が続くのかは予断を許さないところがありますけれど、その評価はどうでしょう。これもまた「支持するか否か」だけではなく、「前政権(民主党)の路線を継いでいるのか否か」との基準があり得るように思います。つまり「1前政権を引き継ぐものとして支持」「2前政権から転換したものとして反対」「3前政権を引き継ぐものとして反対」「4前政権から転換したものとして支持」云々。

 世間の反応を見るに、どうやら「2前政権から転換したものとして反対」「4前政権から転換したものとして支持」の2つが目立つようです。私としてはもうちょっと「3前政権を引き継ぐものとして反対」の声が上がるべきではないかという気がするのですが、世間の声は異なるようです。しかし、本当に新安倍内閣の方向性は、そこまで民主党政権と異なっているのでしょうか。確かに、例えば経済面など逆の方向を向いている領域もあります。しかし、同じことを続けようと、即ち民主党政権を引き継ごうとしている部分も多々あるのではないかと思います。

 朝鮮学校への高校無償化適用問題では、独自の判断基準を採る神奈川県の担当者が「民主党政権も無償化しなかった。結果的に変わっていない」とも語りました。どうにも新内閣が朝鮮学校を排除し始めたかのごとき受け止め方が一部で見られるのですけれど、それは違う、民主党内閣だって同じだったわけです。社会保障受給者、とりわけ生活保護受給者への白眼視だって、民主も自民も同じ方向を向いています。そもそも民主の政策が自民党の同路線上にあっただけに、その民主の方向性を自民が継ぐのは単なる先祖返りとも言えますが、ともあれ自民党政権になって「変わった」のではなく「変わらなかった」ことにも、もう少し注意が払われるべきではないかと感じるところです。

 ちなみに明確に「変わった」のは上述の経済面で、まぁ「こいつらの逆張りに徹しておけば間違いない」と確信できる自称経済誌やコンサルタントなど経済系の論者が軒並み「アベノミクス」とやらに否定的なところを見ると、割と期待できるのではないかと思えないでもありません(100%外れる予報は50%しか当たらない予報より当てになるのです)。そもそも私には「アベノミクス」という呼称が不思議で、新内閣の経済政策は「当たり前のことを当たり前に」やろうとしているだけのこと、ここに特別な名称を与えること自体が不適切な気がします。不況時に金融緩和と財政出動へ舵を切るのは「オーソドックスな経済政策」であって、「普通のこと」なのですが。

 まぁ、日本特有のガラパゴス・スタンダードに照らせば、このオーソドックスな経済政策が珍奇なものに見えてしまうのでしょうか。日本では状況の如何によらず、シバキあげ型の経済政策が正しい、規制緩和が正しい、インフレは危険だと、そう信じられてきたのですから(前/安倍内閣だって基本的にはその方向性だったわけですし)。一国の首相が歴史修正主義者であることは我が国では大きな問題ではありませんが、「当たり前の」経済政策を行おうとすれば論議の対象になる、何とも奇妙な、実に独自性の高い文化と言えます。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (2)

消費者は気にしない

2013-01-14 23:02:33 | 雇用・経済

過労死撲滅か“ブラック企業”風評防止か(産経新聞)

 「悲惨な過労死を少しでも減らしたい」「ブラック企業と評価される」-。社員が過労死した企業名の開示をめぐり、大阪地・高裁で判断が分かれた。「全国過労死を考える家族の会」代表の寺西笑子さん(63)が、社員が過労死の認定を受けた企業名を大阪労働局が開示しなかったのは違法として、国に対して不開示決定の取り消しを求めた訴訟。1審大阪地裁は企業名の開示を命じたが、2審大阪高裁は原告側の請求を棄却する逆転敗訴の判決を出した。寺西さんは「企業名が開示されるようになれば過労死に歯止めがかかる」と訴えており、最高裁に上告。最後まで戦い抜く決意を固めている。

(中略)

 労働局の上位機関である国側は「企業名が開示されれば、取引先から不利な扱いを受けるほか、人材確保でも影響が出る」などと主張。寺西さんは「開示は再発防止の第一歩。労働者を過労死から守る利益の方が大きい」と訴えた。その結果、地裁は23年11月、「個人や法人の利益を害する不開示情報にはあたらない」として、労働局の不開示決定を取り消す判決を言い渡した。「企業評価に直結する情報ではなく、企業名だけで過労死した社員を特定することもできない」という判断だった。

(中略)

 しかし、国側の控訴を受けた高裁は昨年11月、「会社に過失や違法行為がない事案でも、一般には否定的に受け止められ、ブラック企業との評価を受けて信用が低下することもある」として1審判決を取り消し、原告側の訴えを棄却する判決を言い渡した。

 

 さて、過労死者を出した企業名の開示を巡り裁判で争われています。例によって地裁では原告の訴えが認められた一方、高裁では労働局/国側の主張が認められたとのこと、裁判所は上に行くほど体制寄りになる傾向はいつもながらに顕著のようです。まぁ、個人の扱いに比べると法人の扱いは、裁判所も気を使っているなと言う印象も受けるところでしょうか。ともあれ争点として「企業名の開示によって不利な影響がある」vs「再発防止の第一歩になる」との主張があるわけです。そうなんだろうか、と思わないでもありません。残念なことながら。

 例えば「すき家」で有名なゼンショーの業績はどうでしょう。あろうことか、すき家は今や業界の最大手です。相次ぐ労働者側の権利否定や強盗の多発(中には客まで巻き込まれた事案も)にも関わらず、首位の座を明け渡してはいません。ブラック企業として最も著名なワタミの社長の暴言がメディアを賑わし世間の話題を攫うことはあれど、それでワタミの業績が急落したでしょうか。アップル製品の製造を請け負うFoxconnでは、新型iPhoneの試作機を紛失した従業員を情報漏洩の疑いで監禁した挙げ句、尋問に加えて暴行を繰り返し、自殺に追い込みました。そうでなくともFoxconnは自殺者が異常に多いことで知られ、従業員に「自殺しない」との念書を提出させるなど非道な「改善策」で知られるところでもあります。しかし、iPhoneを初めとしたFoxconn製品の売り上げが落ちたという話は聞きませんね。

 だから、被告である国側の抗弁は「それは実体を伴わない妄想に過ぎない、ブラック企業であること、従業員の劣悪な待遇が遍く知られることになろうと日本の消費者や取引先は気にかけない」と一蹴して良いものと私は判断します。すき家が吉野家以上の経営悪化に見舞われたり、Foxconn製品の不買運動が起こらないような社会で、過労死者を出した企業として名前を公表されたところでダメージにはならない、残念なことではありますが、そう判断せざるを得ないでしょう。もっとも、こう言うからには原告側の主張をも否定(企業名公開の影響はない!)することになってしまうのではありますが。

 もちろん私は己の良心に基づきアップル製品及びFoxconnで製造されていることが判明している製品の利用は避けることを心がけていますけれど、同様の態度を取っている人は果たしてどれほどいるのやら。例えば「フェアトレード」という概念がありまして、狭義には「途上国の生産者が自立した生活を守れるような適正な価格で取引をすること」辺りで、まぁ理念としては生産者や労働者の生活改善を意図するところもあるわけです。フェアトレード製品が優先的に選ばれれば、それ即ち労働者や生産者を適正に遇する事業者を支え、反対に労働者を使い捨てにする企業を淘汰することにも繋がるでしょうか。

参考、どうしてチョコなんだよ

 もっともフェアトレードの対象は専らチョコレートとコーヒーに限定されており、この理念を他分野へと波及させることは、むしろフェアトレードに関わっている人ほど無関心なのではないかと訝しく思えるところすらあります。従業員に残業代すら支払わないような会社のサービスは利用しない、従業員を平気で自殺に追い込む企業の製品は買わない、そのような動きはチョコとコーヒー以外にも存在してしかるべきです。しかし、フェアトレードの旗の下で見かけるのはチョコとコーヒーばかり、それだけで「良いことをしたつもり」になって満足する、そんな自己完結の世界に陥っているのがフェアトレードの現状と言わざるを得ません。

 まぁ、もしかするとチョコとコーヒーに限るなら、今回の裁判における原告と被告の主張にも頷けるでしょうか。ブラックなチョコとブラックなコーヒーを避ける人も少しくらいは出るかも知れません。しかし、それ「以外」の業界であるなら話は別です。フェアトレードの発想は、つまり従業員を適正に遇しているかどうかと言う基準は、チョコとコーヒー以外には適用されません。過労による死者を出したことが知られたところで、果たして本当に痛手を被るような企業があるのでしょうか。残念ながら、そうは思えません。もとより本当に最悪の雇用主は有名企業よりも無名の中小にこそ存在するもの、取引先以外には全く知られない無名の企業の名前が過労死を出した企業の一覧に加えられたところで、それを気に留めるような人がいるとも思えないですし……

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (3)

京大総長の志が低すぎて痛々しい件

2013-01-12 22:59:42 | 社会

2013年・春を言祝ぐ:支局長インタビュー/3 京大総長・松本紘さん /京都(毎日新聞)

 今の日本社会に欠けているのは人材育成です。文明=利便性や技術は進んでいるが、文化=心の世界は必ずしも進歩していない。そのギャップを埋めるような人材を育てなければならない。教え込むのではなくて、自分で気づき成長しようとするのを引き出すのが、大学の役割です。

 

 さて毎日新聞に京都大学総長のインタビュー記事が載って、ちょっとばかり世間の話題を攫っているようです。曰く、文明は進んでいるが心の世界は云々と、飽きもせず手垢の付いた文明論が繰り返されています。もうちょっと、他人とは違うオリジナリティのあることを言おうとかは思わないのでしょうか。総じて毎日新聞は文明論が好きな様子ですが、何度となく同じような主張を論者だけ変えて繰り返されてもねぇ……

 

 今、子どもの育ち方がひずんでいると思います。偏差値一辺倒で、入試の技術だけ身につけて大学に来る。全員大学に入っても、学力がなくて進路を見失い、社会に出ても役に立たない。医者になりたい人ではなくて、成績のいい人が医者になるように、単細胞でモノレール的なキャリアパスになっています。競争することだけがいいことではない。

 受験勉強ばかりでなく、高校時代にやっておくべきこと、例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる。大学では意志をもって一生懸命勉強して、卒業してもらう。出口管理ですね。このように大学が入学試験を変えれば、高校、中学にも波及するのではないかと期待しているんです。

 

 上の段落もまた使い古された俗流若者論と言いますか、何とも聞き飽きた台詞です。とはいえ校長とか学長とか、その手の人の「ありがたいお話」とは総じてこんなものなのかも知れません。で、ネット上などで色々と反発を食らうことになった主たる原因は引用の下段、「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」云々の行でしょうか。まぁ就職予備校を目指すなら、それで良いのではないかと思います。企業の採用側も京大総長と似たようなことを考えていることでしょう。勉強するための場ではなく就職するための場であろうとするなら、京大総長の方針は間違っていません。

 もっとも、似たようなことは他の大学、京都大学ほどには難関でない他大学では既に実行されて久しいような気がします。学力よりも人間性重視みたいに言えばどこでも聞こえは良いわけで、京大ほど勉強が得意な人が集まらない大学では前から普通にやってきたことなのではないでしょうかね。とりわけ経済系の分野で顕著ですけれど、我が国で改革気分に浸っている人の大半は周回遅れの議論をしているのが常、たぶん今回の京大総長も同様、世間の動きについて行けていないのだと思います。

 それはさておき「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤」は「幅広い経験」と呼ばれ、京大総長が下駄を履かせてやりたいもののようです。ですが「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤」だけが人生ではありませんよね? もっと他の、時には一風変わった生き方もあります。自分の学生時代を振り返っても、「勉強のできる人」って奇人・変人率が高いです。東大や京大の医学部に受かるような人はどこか「普通ではない」ところがありました。そして私に言わせれば「普通ではない」=「幅広いんじゃね?」と思うのですが、京大総長が挙げた例はどうなのでしょう。「音楽とか、恋愛」って、むしろ「普通」に近い気がします。そんな平凡な人生経験の持ち主なんて、わざわざ集めなくてもいいよ!

 私は京大に通ったことはありませんけれど、東の難関大学以上に京大は変人揃いと噂に聞いていたものです。噂が真実かどうかはさておき、とりあえず京大の総長は変人より「普通」の人を集めたがっているように見えます。ちょっと変わった、世間には理解されにくい趣味に没頭してきた奇人も京大にはたくさんいるのではないかと思うところですが、そういう学生を総長は全く評価していないのでしょう。

 スクールカースト、という言葉が日本でも使われるようになりました。メディア上で本格的に使い始めたのは教育評論家の森口朗氏だそうですが、日本版スクールカーストとは「人気のヒエラルキー」であり、「1 スクールカーストではコミュニケーション能力が大きなウエイトを占めている。」「2 「モテ」「非モテ」との相関性が極端に高い(と言われている)」「3 オタク=最下層という暗黙の了解がある」と氏は語っています。森口氏の論の妥当性はさておき、このスクールカースト概念と京大総長の言葉を併せて考えてみるとどうでしょうか。

 「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人」とは要するにスクールカースト上位のタイプであり、逆に「人間関係に乏しく、恋愛とは無縁、音楽などと違って世間の評価が芳しくない趣味を持つ」タイプはスクールカーストの下位となりがちです。だからどうした、と言いたいところですけれど大学の偉い人が「入試のバリアを少し下げる」基準としてこの辺りを持ち出すとなれば、知らぬ顔もしていられないような気がします。

 「人付き合いが悪く、恋愛よりも他にのめり込むものがあり、マイナーな趣味の持ち主」を京大総長はどう評価するのでしょうか。「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人」に加点し、「そうではない人」を相対的に不利な位置に置くとなれば、即ち「上位カースト出身者を優遇」「下位カーストを排除」ということにもなるわけです。勉強ができてもコミュニケーション能力に乏しければ就職だけではなく進学までが狭き門、そういう世界を京大総長は暗に嗜好しているとも言えます。

 試験の点数以外で「入試のバリアを少し下げる」ことは、要するに人間の生き方に点数を付ける行為でもあります。京都大学(総長)が高得点を付ける生き方もあれば、そうでないものもある、と。そこで「新たな価値を創造」しようとするのなら、ちょっと変わった人を優先的に集めるべきでしょうね。従来の価値基準では世間体の良くない人たちを活躍させてこその先進性です。逆に「既存の価値観に倣う」のであれば、群れ集う能力に秀で、かつメジャーな(あるいは流行の)趣味を持つ、企業のウケも良さそうな子を集めれば良い、スクールカースト上位の子を集めれば良いと言えます。そして京大の選択は?

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (7)

「特権」の誕生

2013-01-10 23:03:06 | 社会

朝鮮学校補助金 神奈川県知事「国の制度と県は別」(産経新聞)

 民主党政権下で判断が先送りされてきた朝鮮学校への高校無償化適用問題で、安倍晋三政権が適用を見送る方針を決めたことに関連して、神奈川県の黒岩祐治知事は7日の定例会見で「国の制度と県独自の補助金とは基本的に別もの」と述べ、朝鮮学校に対する県の補助金支出の可否を今後も県独自に判断する考えを示した。

 国の適用見送りについて「民主党政権も無償化しなかった。結果的に変わっていない」と前置きした上で、「県として、今まで拉致問題に関する教育が行われているかに目を向けてきた。今後は教科書に拉致問題の明確な記述がされるかを含め、状況をみていきたい」と述べた。

 県は支出の条件としていた拉致に関する授業実施を昨年11月に視察した上で、今年度分約6300万円の支出を決定。平成25年度の教科書改訂時に拉致問題を記述するよう求めている。

 

 まぁ引用記事でも伝えられているように、民主党政権下では朝鮮学校が高校無償化の適用範囲から外されたままになっていたわけです。しかるに神奈川県は県独自の審査で補助金の支出を決定、今後も県独自に判断する方針とのことです。珍しく地方自治の精神が、良い方向に働いているような気がします。国がろくでもないなら、自治体が独自の判断基準を持つのは悪いことではありません。とはいえ、世間の受け止め方はどうなのでしょうね。

 日本が経済成長を追ってきたみたいな幻想をいつまでも抱き続ける人と同じように、民主党が左寄りである、韓国・朝鮮籍などの在日外国人寄りであるみたいな事実無根の妄想と現実との区別が付けられなくなっている人もまた目立つように思います。ところが実際には、先送りという形で朝鮮学校を無償化適用外のまま放置してきたのが民主党政権でした。果たして民主党政権が継続していれば朝鮮学校を無償化の対象に含めると国が判断することはあり得たのでしょうか。結局、無償化「しない」という結果だけを見れば民主党政権も自民党政権も着地点は対して変わらないような気がします。

 参院選に向けて民主党執行部は維新やみんなとの連携を模索していると伝えられています。維新と組むような党であるなら、なおさら自民よりマシとは断じて言えないと思えてしまうのですが、ともあれ民主党だって自民に負けず劣らぬ「右」の党であること、尖閣購入に象徴されるように「右」に良い顔をしたがる党であったことは、ちゃんと理解されるべきでしょう。どうにも偏見に基づく嫌悪と、逆に(右から)左と呼ばれる層の不可解な支持を受けていたのが民主党ですが、もうちょっと党の性格を等身大に理解した上で批判なり支持なりが決められるべきだろうと常々思うわけです。

 「民主党政権も無償化しなかった。結果的に変わっていない」と神奈川県の担当者は語っているそうです。ニュートラルな目で見ると、そういうものなのでしょう。ともあれ神奈川県は既に今年度分の支出を決定済とのことで、国の決定からは独立した形で朝鮮学校を支援することになります。まぁ、こういうケースは初めてではないのかも知れません。「日本人」に与えられている諸々の権利や社会保障の対象から「日本で経済活動に従事し、納税している人」「日本に永住している人」が除外されてることは多々あるわけです。そこで自治体が独自の判断で日本国籍を持たない人向けの代替的な補償措置を取っているケースも散見されるところ、これが一般に「在日特権」などと呼ばれています。この「特権」が何の「代わり」として作られたものなのかは遠からず忘れられるもので、近いうちに神奈川県の朝鮮学校への補助金支出もまた「在日特権」云々と勘違いされる日が来るのではないでしょうかね。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (2)