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買い手が付かない理由が分かる気がする

2013-05-31 00:04:34 | 社会

心理学者・小倉千加子氏「専業主婦こそ“普通”の生き方」(dot.)

 心理学者の小倉千加子氏は、仕事と子育てで悩む現代女性の生き方についてこう話す。

 若い女性にとって、「専業主婦になりたい」と言うことは、後ろめたいとまではいかなくても少し憚られるようなことであるらしい。

 専業主婦になることは、仕事を持って社会に出ようと努力している女性たちの足を引っ張ることになるらしいので、「申し訳ないですが、私には子育てしながら仕事もするというのは難し過ぎるのです。自分だけラクな道を選ぶようで本当にスミマセン」と言い訳しなければならない圧力を感じるようなのである。

 考えてみれば、「女性の第一義的な役割は母親になって家庭を守ること」と、専業主婦の生き方を推奨している保守系の女性政治家自身が専業主婦ではないのである。自らの信条や価値観を実践するなら、専業主婦として充足して生きてゆけるはずであり、政治家になどなるはずがない。

 

 以前にも何度か取り上げましたが、女性の専業主婦志向が、とりわけ若年層で高まっているそうです。それはもう、女性が会社で出世して働き続けることが男性の場合より今なお難しいとしても、亭主だけの稼ぎで妻子を養えるような甲斐性のある男を捕まえることの方が現代では格段に難しくなっているわけで、より希少価値が高いのはキャリアウーマンではなく専業主婦の方になっているのかも知れません。何度となく「主婦の仕事を給与にすると~」みたいなヨタ記事が世間の冷笑を買っても来たところ、専業主婦の人から見ればともかく仕事と家事の両方に追われている人からすれば、主婦業の方に専念したいと思えるものでもあるのでしょう。

 家庭の外で働くことが何かと推奨される時代だけに、専業主婦志向に「後ろめたさ」がつきまとっている部分は確かにあると思います。「女は家庭」と考える男性は昔年よりは減って、むしろ「女も(外で)働け」と考える男性も増えているのではないでしょうか。そうして専業主婦を夢見る女性たちは売れ残る、と。まぁ女性個人の専業主婦志向は、もうちょっと尊重されて良いのではないかという気もします。「専業主婦こそ“普通”の生き方」などと見出しに掲げられていますけれど、たとえば農家の嫁などを思い浮かべてください。元始、女性は太陽であったのではなく、労働力でした。それが経済的に豊かな時代になって専業主婦というモダンな生き方が可能になったのです。「進化した生き方」として専業主婦を位置づけるのも悪くありますまい。

 ……で、引用元の主張です。「保守系」の女性政治家のジレンマはちょっとおもしろいかもねと思わないでもないところ(繰り返しますが家庭を守る専業主婦というのは極めてモダンな存在であるにも関わらず、「保守」を称する人が励行するのもまた一つの「ねじれ」と言えます)、この時代に敢えて専業主婦を「普通」と説いてみるのも決して無意味ではあるまい、もっと専業主婦が誇りを持てるよう論陣を張るのも悪くないだろうと感じるのですが――しかるに先を読み進めて行くにつれ、次第に雲行きが怪しくなってきます。

 

 できれば3人は子どもを産みたい。夫は尊敬できる人であってほしい。

 一番下の子が幼稚園の年長になった頃から仕事への復帰を考える。できれば週に何回か趣味や資格を活かした短時間の仕事を始めたい。夕方には帰れる仕事で、土曜日は絶対に休みたい。

 そういうとても「常識的」なものである。

 NHKは「オランダモデル」を日本新生の鍵と結論づけていたが、フルタイムもパートも同じ賃金になって、結婚後も全員が「中時間労働」することを女性が望んでいるとは思わない。妻の人生には充電のために中休止が必要であるが、夫には家族のため、世の中のために必死で働いてほしい。夕方から家にいる人を尊敬できるだろうか。

 

 引用元の最後は、こんな感じです(中盤部分は省略してあります)。子供の数とか出産後の生き方とか、その辺は個人の好きに選べば良いと思うところであり(好きに選べる、ということこそが大事なのです)、他人がとやかく言うものでもないのでしょうけれど、一方で気になるフレーズもチラホラ。曰く「夫は尊敬できる人であってほしい」「夫には家族のため、世の中のために必死で働いてほしい。夕方から家にいる人を尊敬できるだろうか」と。

 「夫は尊敬できる人であってほしい」は別に構わないとして、その「尊敬」の基準として「夕方から家にいる人を尊敬できるだろうか」と読者に呼びかけているわけです。やれやれ、夕方から家にいる人=専業主婦の肩身が狭くなるのも頷けるところです。この心理学者という触れ込みの論者にしてみれば、女性が家にいるのは「普通」で、男性が家にいるのは「尊敬できるだろうか? 尊敬できるわけがない!」ということになるようです。そんな論調で共感できる読者層というのも、なかなか想像しにくいのですけれど編集部は何を思ってこの記事を載せたのでしょうね?

 ある種の人々にとって、異性との関係は自身のステータスに直結していると言えます。わかりやすいのがスクールカーストの世界で、しばしば異性との交友関係は自身の属するコミュニティでのカーストを大きく左右するものになる、人気のある異性との肉体関係などがステータスシンボルになったりもしているわけです。京都大学総長の松本紘氏も「恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」と宣っており、異性(ことによると同性も?)との関係の有無を評価基準として扱いたがっているフシが窺われる等々、まぁ事例は色々と挙げられます。

 そして「主婦」コミュニティもまた然り、「夫」の社会的地位こそは自身のステータスであり、ゆえに「夫は尊敬できる人であってほしい」「夫には家族のため、世の中のために必死で働いてほしい」ともなるのではないでしょうか。自分は自分、夫は夫ではなく、あくまで自身のステータスを保証するものとして「夫は尊敬できる人であってほしい」のであり、そして「尊敬」の基準として「家族のため、世の中のために必死で働いて」いるかを問うわけです。仕事には不熱心で収入も少ないけれど、それでも人間として敬意を持つ――という選択肢は、引用元の著者である小倉千加子氏にはなさそうに見えます。それは専業主婦(及び専業主婦志向)を取り巻く「後ろめたさ」の原因と表裏一体のものでもありそうですが。

 

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設置側はリスクを負わないけれど……

2013-05-28 21:50:35 | 社会

メガソーラーに暗雲 売電申請の7割、門前払いも(産経新聞)

 ■電力会社「容量オーバー」/事業者「商売敵の排除だ」

 太陽光など再生可能エネルギーで作った電力を電力会社が固定価格で買い取る制度がスタートして約11カ月。異業種の参入が相次いだ大規模太陽光発電所(メガソーラー)事業が曲がり角を迎えている。建設計画が集中する北海道では、ソフトバンクなど事業者による売電申請の7割以上が門前払いされる可能性が出てきた。北海道電力の送電網に接続できる容量に限界があるためだが、高めの買い取り価格の設定で売電申請の殺到を招いた制度上の問題を指摘する声もある。

 ソフトバンクは北海道安平町と八雲町の計3カ所で計画するメガソーラーの建設について、中止も含む見直しを決めた。合計18万キロワット以上の発電を予定していたが「北海道電から『(送電網に)接続できないものが出る』と通告された」(ソフトバンク関係者)という。苫小牧市と釧路市の計3カ所で計4万4千キロワットのメガソーラーを計画する神戸物産も「計画を断念する可能性がある」と困惑を隠せない。

 北海道電は4月、固定価格買い取り制度導入に伴う大規模な太陽光発電の受け入れは、出力2千キロワット以上で40万キロワット程度が限度と発表。国から設備の認定を受けた事業者から87件、計156・8万キロワットの購入申し込みがあり、受け入れは申し込み順で判断する方針だ。太陽光発電は天候次第で出力が変わる。電力の需要と供給の均衡が崩れると停電が発生する恐れもあるため、電力会社は火力発電の出力を増減させて需給バランスをとっている。北海道電は容量の限度を「技術的に制御できる限界」とし、理解を求める。

 

 そりゃもう、日照量なんて原子力と違って人間が制御できるものではないですし、こういう問題が発生することは制度発足前から当然、予測できたはずです。まぁ、悶着が起これば電力会社を非難しておけば良いと当時の政府関係者は考えていたのかも知れませんね。国民や国内事業者に安定したインフラを提供することよりも支持率の確保が政治家の本分と心得るのなら、景気よく再生可能エネルギーの普及をアピールして、起こりうる不都合の責任は嫌われ者に押しつけておくのが最良の策となる、それを前政権は地で行ったということなのでしょう。

 「将来に期待」と「今の時点で戦力」になるかは全く別で、遠い未来のブレイクスルーに期待して太陽光発電なりの研究を進めるのは悪いことではないと思いますけれど、現時点で天候次第の太陽光発電の比率を増やしたところで、引用元でも説明されているように電力供給を不安定にするだけ、コスト面だけではなくインフラの安定性の面でまで国民及び国内事業者(ひいては国内の労働者)にリスクを押しつけるだけのことにしかならないわけです。広い土地が確保しやすい北海道ではメガソーラー事業の進出が多く、額面の出力では全国の25%超とのことですが、その負担を北海道電力という他地域の同業者よりも規模の小さい事業者に強いるのは尚更、無理があります。

 なにしろ制度上は何の営業努力も不要で発電すれば発電しただけ買い取りが保証されている、しかも買い取り額は負担増に耐えきれず全量買い取りを放棄する羽目になったドイツのそれをも大きく上回る法外な設定です。売電側の事業者にとっては美味しい商売、電力会社に高値で買い取りを強いることができるとあってか国民のウケも悪くないところもありましたが、さすがに無理があったのではないでしょうかね。むしろ独占はダメだ、自由化しろ、競争が必要だ云々と宣うなら、電力会社側にも「不当に高い電気は買わない」「供給が不安定な電気は買わない」という自由を与えなければ釣り合いが取れないのではないかと思ったり。

 事業者側が勝手にリスクを負ってくれるのなら、それこそ自由にやってくれと言えるのですが、どうでしょう。ソフトバンクが自社通信局の電力需要を太陽光発電で賄う、原発を使っている電力会社には頼らない、空が曇ったり夜になったりすれば携帯電話が繋がらなくなるけれど、それは今までが便利すぎただけ、「便利」は人を不幸にする(キリッ……と、そこまで徹底してくれるのなら「まぁ頑張れよ」とささやかなエールを送る気にもなります。しかるに太陽光発電事業への肩入れで世間に名を売りつつ、その実は不当な高値で電力を「買わせる」ことで間接的に国民へ電気代の余分な負担を強い、電力供給の不安定化というリスクをも世間に負わせているとあらば、むしろ非難されるべきは北海道電力よりもソフトバンクではないかと言いたくなるくらいです。

 電気シェーバーの充電池や携帯電話のバッテリー等々、誰でも蓄電池を生活の中で使う機会がありますが、それだけにバッテリー容量の進化は遅い、ということは誰もが実感せざるを得ないと思います。太陽光発電の不安定性を補うために蓄電池の設置を進めるところも多いですが、バッテリーの性能は残念ながら進歩の遅い世界です。いつか画期的なブレイクスルーが起こらないかと期待を寄せるのはアリだとしても、現時点ではどうなのかなと。それから個人的な話をすれば、電力会社を個人で自由に選べるなら、安定性を最優先で「なるべく風力/太陽光発電の比率が低い」電力会社を選びたいところです。こうしたニーズも少なからずあるはず、本当に太陽光発電の増大は国民のため、国内事業者及び国内の労働者のためになるのか、めでたく政権も変わっただけに、その辺も再考されることが望まれます。

 

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合法なら許されるというものではないと

2013-05-26 10:50:03 | 社会

稲田行革相、慰安婦「戦時中は合法」 (日経新聞)

 稲田朋美行政改革相は24日の閣議後の記者会見で、旧日本軍の従軍慰安婦に関して「慰安婦制度自体が悲しいことだが、戦時中は合法であったのもまた事実だ」と語った。同時に「今であろうと戦時中であろうと女性に対する重大な人権侵害であることに変わりはない」と述べた。

 

 ……まぁ、定期的にこういうことを言い出す人はいますよね。ここで言及されている従軍慰安婦問題にしても然り、日本のアジア諸国への侵略にしても然りで、「当時(戦時中)は合法であった/違法ではなかった」云々と。では、この種の主張を繰り返す論者は例えば小沢一郎の政治資金問題などをどう扱うのでしょうか。政権の座が遠のくにつれてすっかり世間の関心も薄くなったところですが、ともあれ小沢一郎の政治資金に関しては法律上「クロ」ではないと判断されたわけです。だからこそ検察も途中で匙を投げたはず、「合法であった」ことに重きを置くのなら、当然のように稲田朋美は小沢一郎を応援していた方が筋が通るというものですけれど、実際のところはどうなのやら。

 

アップル、納税回避か 「数十億ドル」米上院小委が報告書(産経新聞)

 ■クックCEO証言「節税手法は合法的」

 【ワシントン=柿内公輔】米上院の常設調査小委員会は20日、米アップルが海外子会社を使って数十億ドル(数千億円)の法人税の支払いを回避していたとする報告書を発表した。アップル側は納税義務は果たしていると反論しているが、海外子会社を活用した米企業の節税行動は国際的にも論議を呼んでいる。

 報告書や米メディアによると、アップルは特許権の使用料などの名目で、アイルランドの子会社に世界各国で稼いだ利益の多くを移転。米本土の法人税率は35%だが、アイルランドは12・5%と低い。さらにタックスヘイブン(租税回避地)として有名なカリブ海の英領バージン諸島の子会社にも利益を移し、納税を大幅に抑えているという。

 2011年には世界全体で342億ドルの利益を上げたが、支払った税は10%未満の33億ドルにとどまる。

 小委員会はアップルの手法は違法ではないとしながらも、マケイン上院議員(共和党)は「アップルは米企業で最大の納税者と主張するが、最大の租税回避者でもある」と非難した。

 一方、21日の小委員会の公聴会に出席したアップルのクック最高経営責任者(CEO)は、節税手法は合法的だと証言した。

 

 一方こちらは、アメリカの話。長年、課税逃れに勤しんできたアップルが今さらながらにアメリカ議会で追及の対象となっていることが伝えられています。批判に対しアップルのCEOは「合法的だ」と証言しているそうです。まぁ、過去ではなく現在において発生している事象に関してであれば、合法か否かは相応の意味があるのかも知れません。目の前で行われていることが本当に合法であるなら、それに対して何らかの「罰」を課すことはできないでしょう。ただし、合法でありさえすれば良いのか、それはいつの時代であろうと、即ち過去の事柄であろうと「今」のことであろうと、問われるべきものと思います。

 世の中には「悪法」も多々あるわけです。人間の認められてしかるべき権利を侵害するような法制度もあれば、とんでもない抜け穴だらけのザル法もあります。仮に従軍慰安婦の徴用なり他国への侵略なりが合法であったとしても、その様な行為を許容する方は悪法ではないか、その様な悪法に乗じて行われた行為は、当然のこととして責任を問われるものではないかと、その辺は考えられなければいけないでしょう。合法か違法か、そればかりが問題ではありませんし、合法であると主張することで免れうるのは法律上の罰則のみであり、社会的あるいは道義的な責任はまた別です。

 同時に、悪法を放置しないこともまた行政には求められます。人権侵害や侵略行為を抑えられないような法であれば、当然ながら法に問題があるものとして国際的な枠組み作りをも含めた対応が必要になるわけです。そして課税の流れもまた同様、合法である/違法ではないからOKではなく、法の欠陥を突いてくるような悪質な事業者に対策が取れるような制度作りもまた急務なのではないでしょうか。

 TPPでアメリカの制度が押しつけられる云々と自信満々に語る人も目立つ昨今ですけれど、税制はどう考えられているのやら。アメリカ国内でも州によって税率が異なる、統合されたはずのEU圏内でもキプロスやアイルランドなどタックスヘイブンまがいの税制で、「節税」に励む事業者に誘いをかけている国は当たり前のように残っているわけです。むしろ法人税率がアメリカン・スタンダードに統一されるのであれば(そうなるとは全く思えないのですが)、それは概ね好ましいことなのではないかと思われるところです。

参考、税制優遇で雇用を「移動」させたという話

 結局、法人税を下げても広い目で見れば事業者が「移動」するだけで、雇用が生み出されるわけではありません。所詮は安売りセールで他店の客を奪うようなもの、どこか「一人勝ち」するところは出るかも知れませんが、結局のところ業界全体で見れば利益を減らしてしまう、そんな日本でも繰り返されてきた光景と大差ないと言えます。むしろこうした不毛な安売り競争、法人税のダンピング競争を規制して、業界ならぬ国際社会(地球!)全体の利益を損ねないようにすることこそ、行政なり国際的な枠組みなりには求められるわけです。「合法だ」と言い逃れる人々をいつまでも野放しにしておくべきではないでしょう。

 

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まともなところに就職するのは大変なのです

2013-05-24 00:01:40 | 雇用・経済

採用前の女性と不適切行為=自衛官募集担当者を停職―中部方面総監部(時事通信)

 合格した採用前の女性と不適切な行為をしたとして、陸上自衛隊中部方面総監部(兵庫県伊丹市)は20日、自衛隊愛知地方協力本部(名古屋市)で募集業務を担当する男性3等陸佐(53)を停職6日の懲戒処分とした。陸佐は事実関係を認め、「心を入れ替える」と話しているという。

 同協力本部の説明では、陸佐は2010年12月27日午後6時ごろ、外部の飲食店で行われる合格祝いに参加するため職場を訪れた女性と、性欲にかられて不適切な行為に及んだ。女性が採用後の昨年5月、所属部隊に申し出て発覚した。

 

 さすが自衛隊は発覚するまでが遅いなぁとも思うところですし、この見出しですと「採用後だったら良かったのか?」と疑問が湧いてくるところです。「性欲にかられて」とスポーツ紙を除く「普通の」新聞に書かれるのも割と珍しいでしょうか。あまり、こういう表現は用いられないような気がします。まぁ、そうとしか書きようがなかったのかも知れません。性欲ではなく支配欲とか征服欲ではないかとか、そういう穿った見方ができないこともありませんが…… ともあれ、「採用前」という微妙なタイミングで「不適切な行為」が行われたとのことです。

 

共同通信、前人事部長を処分 就活学生に不適切な行為(朝日新聞)

 共同通信社は20日、就職活動中の女子学生に不適切な行為を行ったとして、今藤悟・前人事部長を懲戒解雇とし、監督責任がある石川聡社長を報酬減額とするなど計6人の処分を決め、発表した。

 同社によると、前人事部長は同部長だった昨年12月、就職活動中の女子学生と個別に接触し、作文指導したのをはじめ、不適切な行為をしたという。社長らその他の役職員は、前人事部長への管理監督責任が問われた。

 前人事部長については、週刊文春5月23日号が「企業説明会で知り合った女子学生を呼び出し、ホテルに連れ込んだ」などと報道。共同通信社は「『不適切な行為』の詳細は説明できない」としている。

 

 一方こちらは自衛隊と違って速やかに「不適切な行為」が発覚したことが伝えられています。詳細は説明できないとのことですが、とりあえずセクハラでは済まされない行為と理解しておけば良さそうです。過去にも似たような事例は見つかるところ、統計的に見るとどうなのでしょうね。アイドルを夢見る、芸能界志望の女の子が毒牙に――みたいなプロットなら古典的なところですけれど、普通の会社や自衛隊に入るのでさえ、そうしたポルノっぽい筋書きが現実のものとして表れているところもあるのかも知れません。「不適切な行為」を許すくらいしないと就職が難しい、それぐらいに昨今の日本では採用側と求職者側に力の差があるというわけです。(尚、このような問題への解決策として「風俗の活用」を提案したら、普通は狂人として扱われると思いますね。)

 

大卒就職率、2年連続増93.9% 女子が男子上回る(朝日新聞)

 今春卒業した大学生の就職率は93・9%(前年比0・3ポイント増)で、2年続けて前年を上回った。5年ぶりに女子が男子を超えた。就職率は、卒業生のうち、就職希望者数に対する就職者数の割合。文部科学省が、17日に発表した。

 大学や短大、高専など全国112校で、学生6250人を抽出調査した。

 大学生の就職率は、男子93・2%(前年比1・3ポイント減)、女子94・7%(同2・1ポイント増)。大卒の就職率が上がった理由について、文科省の担当者は「大学とハローワークの連携で学生と就職先のマッチングを進めるなど、支援の取り組みが奏功したのでは」とみる。女子の好結果には、「明確な理由は分からないが、就職支援を強化する短大は増えている」とした。

 

 さて、もう何年も同じような見出しが繰り返されているのではないでしょうか。この「就職希望者数に対する就職者数の割合」は「就職を諦めた人」を都合良く除外した数値なので無視するとして、後半部の「女子が男子上回る」は、むしろ「今時はそっちの方が多い」ことのはずです。統計上、女子の就職率が男子のそれを上回るのは「当たり前のこと」「何も珍しくないこと」として、そろそろ受け入れられても良いような気がします。「男子が女子を上回る」と報道しますか? 毎年のように「女子が男子上回る」と、それが驚きに値するニュースであるかのように報じられるわけですが、こんなことに報道価値を見出すのは、甚だしい時代錯誤ではないかと。

参考、入り口を通った先が問題なのに

 ところが、あろうことか政府与党の総務会長である野田聖子は先月、「国が数値目標を決めて、例えば新入社員を雇うときに4割は女性社員にするという法律を作れば、文句はあるだろうけど流れができる」などと提言していました。馬鹿げた話です。「新入社員を雇うとき」に「限っては」むしろ女性の方が勢いがあるくらいなのですから。「新入社員を雇うとき」の男女比をとやかく言ったところで、問題設定の段階から誤っていると言えます。

 結局は「就職した先」が問題なのです。就職しても、非正規でトウが立った頃には切り捨てられたり、名ばかり正社員で時給に換算するとバイト以下だったり、あるいはブラック企業で早期に退職を余儀なくされたり、雇用形態は正社員として長らく働いても家族を扶養できるような賃金は半永久的に得られないような待遇であったり等々、一口に「就職した」と言っても千差万別です。単純に「就職したか」を問うだけの統計では予算の無駄遣いにしかなりません。就職した「先」を追跡して調査しないと意味がない、女性の方が就職率が高いとして、では10年後はどうなっているのか、その「先」を追わないことには有意義な調査にはなり得ない、政策立案の土台としても不足だと思うのです。

 

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それが体罰です

2013-05-21 23:03:47 | 社会

座禅でバシッ…体罰にあらず 禅宗僧侶ら「集中のため」 文書配布し周知(朝日新聞)

 座禅中に姿勢が乱れると、バシッと肩をたたかれる。それは「体罰ではない」と禅宗の僧侶たちが周知をはかっている。教育や指導と称した体罰が社会問題になる中、たたく際に使う棒「警策」を体罰と結びつける誤解を解くためだ。

 警策は、臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と読む。臨済宗の妙心寺派は3月下旬、「警策について」という解説文書の案を関係する高校などに配った。意見を募り、見解をまとめる予定だ。文書では「悟っていないものを警(いまし)め、修行が進んでいないものを策(はげ)ます」と語源を示し、「規則を破った罰ではなく、座禅に集中するために行われる」「座禅における警策は体罰ではありません」と明記した。

(中略)

 修学旅行で座禅体験をしたところ、生徒の感想に「棒で殴られた」とあったというエピソードも掲載した。執筆者の一人で群馬県の曹洞宗長楽寺住職、峯岸正典さん(59)は、かつて修行道場で何十回もたたかれて肩を痛めた話もあったと紹介し、「誤解を招いたとすれば、我々も反省する必要がある」と言う。

 

 ちょっと前の記事ですが、こんな報道もありました。座禅の警策が体罰だなんて考えてもみませんでしたけれど、伝えられる禅宗側の言い分を聞くに、これもまた体罰としての意味合いを色濃く有しているのだなとも感じたものです。曰く「体罰ではない」「警め~策ます」「罰ではなく~集中するため」云々と、どうにも体罰を加える側の言い訳と大差ない「解説」が連ねられています。警策で叩く側の考え方は、体罰を加える側の論理と、想像以上に似ているのかも知れません。なお「かつて修行道場で何十回もたたかれて肩を痛めた話もあった」とのこと。そりゃ、完全に体罰ですよ。

 

日蓮宗の荒行で死者 修行か、僧侶の資格のためか(朝日新聞)

 過酷で知られる日蓮宗の100日間荒行で昨年度、修行僧の死者が出た。2000年以降で3人目だ。伝統ある修行だが、命を落とすほどの事態は現代で許容されるのか。宗派内で対策を求める声が上がる。

 荒行は、千葉県市川市の中山法華経寺で毎年11月1日から2月10日に行う。1日7回の水行に、合間はひたすら読経。かゆと汁物の食事は朝夕2回、睡眠は3時間ほどだ。

 日蓮宗の宗務院によると、昨年度は145人が参加。途中で11人が断念。うち30代の僧侶1人が体調不良で病院に運ばれ、その日のうちに亡くなった。

(中略)

 仏教の修行に詳しい蓑輪顕量・東大教授は「肉体的な極限状態に身を置くことで常人にない精神力を得られる面はあり、そうした伝統的な価値観は守りたい」としつつ、「修行の本質が見失われた結果、参加者が多すぎたり指導者の育成が不十分だったりしたために、死者が出る事態を引き起こした可能性はないのか、検証が必要だ」と話す。

 

 ……で、こちらは日蓮宗の話です。個人的に日蓮宗って「信者が怖い」印象がありますね。住んでいるところの近くに日蓮宗の寺があって、時に信者が集まってくるのですが、ちょっと逝っちゃってる人が多くて絡まれたことも何度かあります。寺の行事があって僧侶と信者集団が往来に出てくる日には交通整理の名目でか警察官も出動するのですけれど、まぁ信仰心が厚いほど周りが見えなくなっていることも多いのでしょうか。各種の新興宗教やルーマニア国旗を掲げてる団体とか世間で良く言われない宗教法人も色々ありますけれど、歴史と伝統ある類でも、必ずしも安全ではないのではと思うところです。

 そんな日蓮宗の「荒行」では頻繁に死者が出るそうです。30代の人間なんて、そう簡単なことでは死なないはずですが「体調不良で病院に運ばれ、その日のうちに亡くなった」とのこと。もっと速やかに手を打っていれば死ぬことはなかったように思われますけれど、死ぬ直前まで放置していたのでしょうか。虐待で児童を死なせてしまう保護者の行動と似ていますね。「まだ大丈夫だろう」と思える間は容赦ない、それが死にそうになると恐くなって病院へ、しかし搬送された頃には既に手遅れ、と。記事では言及されていませんが、警察による捜査はないのか気になります。

 そして修行に詳しいという触れ込みの東大教授によると「肉体的な極限状態に身を置くことで常人にない精神力を得られる面はあり、そうした伝統的な価値観は守りたい」とのこと。あぁ、精神論一筋の体罰指導者の言うことと全く変わりません。「参加者が多すぎたり指導者の育成が不十分」と、指導の内容そのものには反省が見られないところに、体罰を容認してきた論理と同質のものが窺われるところでしょうか。体罰が悪いのではなく、体罰の使い方が下手な指導者が悪い、殴り方が下手なだけだ、打たれ弱い奴まで参加するようになったからダメなのだ――そう言って体罰そのものを肯定し続ける人もいるわけですが、日蓮宗の荒行もまた同様の考え方によって支えられているようです。弟子を暴行で殺してしまう角界なんかもそうですが、宗教の世界も然り、伝統を隠れ蓑にすることを許さないこともまた求められます。

 

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極右層による民主党叩きと同じぐらいの不毛さを感じる

2013-05-19 23:09:08 | 政治

 よく通勤途中の駅で、民主党の議員が演説をしています。ひたすら名前を連呼するばかりの某党の議員たちと違って民主党の議員は政策を語りたがるタイプが多いでしょうか。正直、頷けるものは皆無なだけに名前を連呼するだけの方がまだしも害がないと思えるのが何とも言えませんが。ある日、いつもの民主党議員は中高年の再就職の困難さについて熱弁していました。それは、その通りだと思います。でも民主党の人ですから、中高年の雇用の安定を訴えはしないであろうなと、話を聞く前から確信できたものです。案の定、そこから続くのは公務員の再就職の話、早期退職した公務員が民間企業に天下りしている、許せますか?と民主党議員は問いかけるわけです。

 昨年の半ば辺りから、民主党政権は生活保護費の引き下げを前面に押し出すようになりました。公務員を断罪することが、恐らく民主党の理屈では「(民間で)働く人のため」だったのでしょう。同様に生活保護受給者を断罪することもまた民主党の理屈では、「受給せず頑張っている人のため」ということになるのかも知れません。結局、政府一丸となって生活保護を目の敵にしつつも、最後の最後で政権交代、自民党にバトンを渡す形となり、この分野では自民党も前政権の方針を忠実に受け継いだ、民主党との違いを見せることはなかったわけです。自らが引いたレールの上を走っていった自民党政権を民主党の面々はどう評価しているのか、興味深いものがあります。

 

「自民党は消費増税ただ食い」 細野・民主党幹事長(朝日新聞)

■細野豪志・民主党幹事長 今日は国会で大きな問題提起があった。安倍晋三首相から「年金は抜本改革を前提としていない」との答弁があった。消費増税を国民にお願いする前提には、年金を含む社会保障制度の抜本改革が含まれている。自民党は消費増税だけをただ食いし、社会保障制度改革をやろうとしていない。自ら身を切る議員定数削減にも消極的だ。今の年金制度の持続を前提とする安倍政権か、年金改革は必要だといっている民主党か。年金制度改革は参院選の大きな争点の一つになる。(党本部で記者団に)

 

 消費税増税もまた、生活保護の切り下げと並ぶ民主と自民の「愛の結晶」と言えますが、どうにも夫婦仲は険悪です。党内の反対派を放逐してまで自民党との協力を呼びかけた野田元総理の熱意は「なかったこと」にされているのでしょうか。ともあれ、民主の説く比例区を中心とした議員定数削減なぞ実現された日には今まで以上に特定政党の一人勝ちが容易になる、自民党単独で3分の2も非現実的とは言えなくなりかねないだけに、民主党案が国会で相手にされていないことには胸をなで下ろすところです。年金制度改革云々もどうでしょう、年金制度維持の前提である経済成長を重視する自民党案の方が安全に見えます。まぁ民主党の論理では、改革と称して年金受給者を締め上げることもまた「現役世代のため」となるのかも知れませんけれど。

 

アベノミクスで「魔女狩り社会」が来る?(AERA)

 経済のあらゆる場面で影響をおよぼしているアベノミクス。しかし一方で、バブル後に社会に出た、不況しか経験していない「不況ネイティブ」といえる世代は、警戒心を抱いてもいる。

 著書『年収150万円で僕らは自由に生きていく』で「脱・お金」こそ幸せだと主張したプロブロガーのイケダハヤト(26)は、アベノミクスとともに、安倍政権が打ち出している生活保護引き下げの方向性が気になるという。

(中略)

 不況ネイティブがアベノミクスを警戒するのは、2000年代前半の小泉政権の記憶があるからだろう。景気はそれなりに好調だったが、一方で格差は広がった。労働社会学者の阿部真大・甲南大学准教授(36)は自分たちの世代を、「小泉政権下で、同世代の中での格差を実感させられた最初の世代」だと言う。

「同窓会で地元の岐阜に帰ると、外資系などに勤めていてちょっと羽振りのいいやつが『キャバクラ行こうぜ、おごってやるから』とか言って、おお、すげえなって。一方で非正規雇用の同級生は会にも出てこなかった」

 リーマン・ショックは経済には深刻な影響を及ぼしたが、同世代にはホッとした人も多かったのでは、と振り返る。だが、民主党政権をへて小泉的新自由主義の精神を受け継ぐアベノミクスが生まれる中で、「社会起業をしたいといった、オルタナティブな生き方を目指す若者」は減ってきていると感じている。

 

 ……で、色々とツッコミどころに事欠かない記事は枚挙に暇がありません。「脱・お金」こそ幸せだと主張したプロブロガーワロスのイケダハヤトなる人のインタビューから始まっていますけれど、そうやって「脱・お金こそ幸せだ」と日本人に吹き込んでは日本社会の貧困化を受け入れさせてきたものこそが、生活保護を必要とする人の増加を招いてもいるわけです。「脱・お金」などと説いて経済的な豊かさを放棄させようとする輩を殴り飛ばし、「先立つものを寄こせ」と公然と要求できるような社会にならないと、働いても豊かになれない、生活保護を含めた社会保障受給者だって「慎ましさ」を強いられて窮屈な思いをするだけなのですが。

 引用の後半は阿部真大氏の発言なのかAERA編集者の作文なのか判断しかねるところですけれど、ともあれ小泉政権下で「景気はそれなりに好調だった」そうです。へー。まぁ、戦後最長の景気回復ではありましたが、それは専ら日本「以外」の国の好景気に支えられて輸出企業が絶好調だった、海外の経済成長の「おこぼれ」に与っただけでもあります。そして同時に、日本の一人当たりGDPがヨーロッパ諸国に次々と追い抜かれ、ダブルスコアさえ付けられるようになった時期でもあったはずです。極めて緩やかな経済成長が続いたものの、日本「以外」の国は桁違いのスピードで成長していった、日本が世界経済の成長から取り残され、急速に沈没していったのが小泉政権時代なのです。まぁAERAの記者レベルでは、そんな昔のことは覚えていられないのでしょう。

 加えて「リーマン・ショックは経済には深刻な影響を及ぼしたが、同世代にはホッとした人も多かったのでは」とのこと。そんな人も実在するのでしょうか。経済成長が格差を拡大させるとの妄想を抱き続ける人もいますけれど、では先進国中では最も経済成長の速度が遅かった小泉時代に日本の格差は縮小したのでしょうか。日本を経済力で上回るようになったヨーロッパ諸国は悲劇的な経済格差で社会が崩壊したりしているのでしょうか。そしてリーマン・ショックで大きく経済が後退して、それで格差は縮まったのでしょうか? それでもなお、現実に向き合うことを拒み続ける人がいます。現実を直視するより経済誌に書いてあることを信じる方が大事な人もいるということですね。

 朝日新聞は小泉政権の経済政策に最も肯定的な新聞社であったように記憶していますが、当時のAERAはどうだったでしょう。小泉純一郎は「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と言いました。景気低迷への不満を梃子に「改革」を強行することが小泉の手法であり、それは民主党にも共通するもの、「小泉構造改革路線を忠実にやっているのは民主党だ」とも――これは当時の自民党総裁であった谷垣に対してではありますが――小泉は語ったものです。しかるにAERAでは「小泉的新自由主義の精神を受け継ぐアベノミクスが生まれ」とのこと。え? 何が?

 小泉政権下でも民主党政権下でも、優先すべきは改革であって経済成長は専ら犠牲にされてきました。そして官僚(公務員)なり中高年正社員なり社会保障受給者なり議員なり、槍玉に挙げられる対象は時に移り変わりながらも、概ね「恵まれている」される層を不当な受益者、既得権益者と見なして断罪の対象とする、そうした人々の所得をいかに「引き下げたか」を成功の尺度としてきたわけです。翻って「アベノミクス」では働く人の給与が「上がったか」が問われている、改革を進めることではなく経済成長を目的としている、外国の好景気のおこぼれに期待するのではなく自発的に景気浮揚させようとしている、小泉政権や民主党政権とは幸いにして150°くらい違う方向を向いてくれたと言えます。AERAの記者(あるいは阿部真大氏)は何を根拠に「小泉的新自由主義の精神を受け継ぐアベノミクス」などと断言しているのでしょうね。

 民主党の評価にも4パターンある、と以前に書きました。

➀、前政権(自民党)とは違ったものとして肯定的に評価する
②、前政権(自民党)を受け継ぐものとして肯定的に評価する
③、前政権(自民党)とは違ったものとして否定的に評価する
④、前政権(自民党)を受け継ぐものとして否定的に評価する

 ➀は、当の民主党議員と、その関係者、支持層でしょうか。②は小泉純一郎、河野太郎、舛添要一といった辺りが挙げられます。むしろ小泉にとって安倍や麻生は自らが敷いた路線を貫徹できなかった「不肖の弟子」であり、再びネジを巻き直した民主党の方が近しいものがあったのではないでしょうか。③は極右層ですね。民主党が何を(自民党と同じことを!)やろうと常に全否定する人々です。そして④は政党で言えば共産党や、自民党には否定的だけれど民主党には乗れなかった人々が入りますね。「改革が足りない」といった類の批判は、方向性としては概ね「賛同」の方にカウントして良いと思います。

参考、河野太郎と小池百合子のカイカク観

 ……で、昨今の「アベノミクス」、とりわけ方向性の定まっている部分への評価はどうでしょう。上と同じパターンで分類するならば、あり得るのは以下の通りです。

➀、小泉路線とは違ったものとして肯定的に評価する
②、小泉路線を受け継ぐものとして肯定的に評価する
③、小泉路線とは違ったものとして否定的に評価する
④、小泉路線を受け継ぐものとして否定的に評価する

 ➀は、安倍内閣の支持率上昇を見るに多数派と言えそうです。そして③は経済誌、エコノミスト、コンサルタントの類に目立つでしょうか。改革、規制緩和、雇用側の優遇に精神的な満足感を覚える人々にとってアベノミクスは「余計なこと」でしかありません。そして④は今回のAERA記事のような類で、民主党の評価③に近い、実態の如何に寄らず全否定したい人が選びがちな態度と言えます。②は? ②に当てはまる人は、なかなか思いつきません。まだ方向性の定まらない「成長戦略」の部分に妙な期待を寄せている風な人はまだしも、既に表に出ている金融緩和や財政出動に関して②の立場を取る人は、極めて例外的です。

 むしろ安倍内閣の経済政策は、小泉純一郎が「ぶっ壊す」と叫んだ標的であるところの、そして民主党もまた打倒せねばならない相手として名指した「古い自民党」にこそ近いもののはずです。それを肯定的に捉えるか否定的に見るかは見解の相違ですけれど、現行のアベノミクスを「小泉的新自由主義の精神を受け継ぐ」などと呼ぶのは、あまりにも愚かに過ぎるのではないでしょうかね。それは民主党を左翼政権と呼ぶくらい、現実から目を背けた理解ですし、そうやって現実を拒絶して妄想をたくましくしていったところで安倍内閣には永遠に対抗できないと言えます。

 

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「普通」の働き方

2013-05-17 22:42:43 | 非国民通信社社説

 「有徴」と「無徴」という言葉があります。ジェンダーの文脈とかで耳にすることが割と多いでしょうか。平たく言えば「留保あり」と「留保なし」ぐらいのニュアンスで、例えば「医師」と「女医」であれば前者が「無徴」で後者が「有徴」、「棋士」と「女流棋士」とかも同様ですね。要するに留保を付けずに語られる「普通」のものとして「無徴」があり、逆に留保を付けて語られる「イレギュラーなもの、付随的なもの」として「有徴」があるとも言えます。男性であれば性別を示す徴なしに呼称が作られる一方で、女性ではしばしば「女~」あるいは「女子~」と徴が付けられる、こういうところに意識されにくい格差は潜んでいるのでしょう。

 で、ちょくちょく取り上げてきましたけれど、二極化する正社員と非正規雇用の間に「職種限定正社員」、「業務限定正社員」もしくは「準正社員」などと名称はさておき中間層を作ろうという提言が出てきているわけです。これが現状を変えうるものなのかと首を傾げるところもあるのですが、ともあれ上述の「有徴」と「無徴」の概念を思い出しながら、「正社員」と「限定正社員」の位置づけを考えてみてください。一方は留保なしの「正社員」、もう片方は「~限定」なり、「準(准)」なりの留保が付けられた肩書きです。どちらが「普通」として位置づけられているのか、自ずから明らかではないでしょうか。

参考、人事権を持つ側が変わらないことには

 日本型正社員は、その「働かせ方」の柔軟性、流動性を特徴とします。原則として雇用側の望む通りの職種、部門、勤務地へと異動させることができるわけです。一方で新たに提言されている「限定正社員」の場合は職務の範囲や勤務地域が限定される、一定の範囲内に止まることが前提とされた雇用形態ということになっています。そうした雇用形態の需要は少なからずあるのですが、しかるに「限定正社員」が昔年の一般職なり現在の派遣・契約社員と大差ない扱いになる可能性は少なからず危惧されるところです。結局、年金を受け取れる年齢まで働き続けたければ、あるいは家族を養える程度の収入を望めば「留保なしの」正社員として働く以外に選択肢がない、要するに現状と大差ないことにもなるであろうと見込まれます。

 むしろ逆だな、と私は考えます。つまり「正社員」に付随するオプションとして「限定正社員」を位置づけるのではなく、職務の範囲や勤務地域が限定される「正社員」を基軸とし、その限定なしに「働かせる」ことが可能な例外として「幹部候補社員」を設けた方が、まだしも有意義であろうと思うわけです。職務の範囲や勤務地域の限定された正社員が「普通」であり、一部の仕事に生きたい人のために無限定の幹部コースというイレギュラーな勤務形態を許す、こういう位置づけにできない限り、結局のところ現状のまま無限定の正社員が「普通」で、職務や勤務地が限定される社員は付随的な存在のままであり続けるのではないでしょうか。

 正社員として採用する以上は無限定の働きを暗黙の了解とし、長らく会社に在籍しても頭角を現さなかった人には「無能な中高年」云々とレッテルを貼ってリストラの対象とする、そこでもっと簡単に解雇できるようにすれば良いのだ、解雇が許されないせいで若者の雇用機会が奪われているのだ!と息を荒くすれば経済誌っぽい主張のできあがりです。もちろん経済誌的な主張には事実の歪曲が溢れているのですが、それはさておくにしても年齢とともに会社からの評価も高めていかなければ首が危ういのであれば、「働かせ方」に最初から制限のある限定正社員の扱いなどどうなることでしょう。昔年の一般職や昨今の非正規従業員で、果たして年金を受け取れる年齢まで会社から追い出されずに済む人がいったいどれだけいるのやら。名称が準正社員云々に変わるだけで、それが変わることなど考えにくいところです。

 リストラの標的にされたくなければ限定なしの正社員として働くことが事実上の必須要件となってしまう、それを変える必要があります。そのためには「限定なし」の雇用形態の方をこそイレギュラー、有徴の側に位置づける必要があると思うのです。子供の数が多く、自営業や一次産業の家に生まれた子が会社勤めに流入してくるような時代であれば、「若い部下」の数が相対的に多くなる、年長世代には軒並み管理職としての役割が期待されたかも知れません。しかし少子化が進み、女性社員も昔ほどには若い内に退職しなくなった現代において、「若い部下」の数は減るばかり、年長世代が率いるべき後進の頭数も減るばかりです。ならば管理職になる必要はなくなった、幹部を目指して働く人は一握りで足りるようになったのが現代ではないでしょうか。

 将来的に無限定の社員は「一部の例外」でも足りるはずです。仕事を人生としたい一部の例外を「幹部候補社員」として採用し、その他を「普通の社員」として職務や勤務地限定で雇ったとしても十分に組織は成り立つと考えられます。逆ピラミッド型の世代構成の中でも部下を率いる立場となる一部の例外だけを無限定の社員(現代日本における正社員)として残し、それ以外の多数を今後の「正社員」として雇用の中核に位置づける、そういうプランで進めた方が現状の二極化に中間層を作るという点では効果的ではないかと思うわけです。(なお昨今の流行である英語力に関しても近いことが言える気がします。海外市場を切り開く一部の人には必要ですが……)

 新卒で採用する男性正社員(女性でも総合職採用)を等し並みに将来の管理職候補として扱うことは人口ピラミッド的にもはや成り立ちません。ここで会社からの評価が芳しくない(管理職としてふさわしくない)中高年をリストラして人為的にピラミッドを作れるようにしよう、というのが日本の経済誌やコンサルタント界隈における主流の考え方でしょうか。もちろん、それをやっては「働けるのは若い内だけ」になりかねない、会社の取り分は増えても社会全体で見ると不安定化が進むばかりと、このような事態こそ行政が断固として阻止せねばならないものと言えます。

 出世を望まない若者が増えてきているとも、しばしば語られるところです。新卒採用の時点では出世意欲も高かったはずが、入社後は急激に「出世したい」とアンケートに回答する人が減っていくようですね。草食化云々とも語られますけれど、むしろ時代への適応とみるべきでしょう。自分より年下の人間の方が少なくなる時代なのですから、率いるべき後進の数も然り、誰もが出世したら管理職の人数が部下の数を上回ってしまいます。そういう時代に出世を望まない、出世できなくても不満を抱かないであろう若者が増えているのは、まさに時代への適応に他なりません。雇われる側の心の準備はできているのです。しかるに雇う側、働かせる側は? この時代にも尚、正社員として採用する以上は無限定で昇進を目指して働かせるとあらば、時代錯誤としか言い様がないわけです。限定された範囲で「年金受給年齢まで、ほどほどに働き続ける」ことを認めなければ成り立たない時代は、既に訪れているのではないでしょうか。

 

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民主の辞書に反省の文字は

2013-05-15 22:50:57 | 政治

反省会でも批判に力点=自民・官僚に「責任転嫁」-民主(時事通信)

 民主党は11日、菅直人元首相や閣僚経験者が出席して、政権を担当した3年3カ月間を総括する「公開大反省会」を都内で開いた。しかし、菅氏らは「自民党は衆院解散優先の姿勢だった」「官僚に非協力的な動きがあった」などと、野党だった自民党や官僚組織への批判に力点を置いた。参院選を前に反省の意を示して支持回復につなげる思惑があったが、反省どころか言い訳や責任転嫁をするかのような姿勢を印象付けた。

 菅氏は、東京電力福島第1原発事故対応で情報開示が後手に回ったと批判されたことについて「申し訳なかった」と陳謝。長妻昭元厚生労働相も、2009年衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた政策に財源の裏付けが乏しかったことを「結果的に大風呂敷になった」と認めた。

 しかし、多くの時間を割いたのは自民党や官僚への批判。菅氏は東日本大震災に関し「あれだけのことが起きれば政治休戦をしなければならないのに、なかなかそうならなかった」と自民党を非難。枝野幸男元官房長官は子ども手当の満額支給や高速道路無料化などの公約が不履行に終わった理由を「自民が反対、民主が賛成のものが目玉だから、国会で野党の抵抗に遭う」と釈明した。

 菅氏は政治主導の政権運営が行き詰まったことについても「官僚個人は優秀でも、組織となると(権益を)死守する」と官僚の抵抗の強さを訴え、長妻氏は「官僚とその裏にいる団体が一つになって変化を拒む」と恨み節を展開した。

 反省会では、一般の参加者は携帯メールで司会者を介さなければ質問できず、菅氏らに直接疑問や批判をぶつける機会は与えられなかった。

 

 時事通信にすら露骨にダメ出しされているわけですが、当の民主党幹部たちは、これで党の支持を回復できるとでも思っているのでしょうか。泥舟から逃げ出すかのごとくに続々と離党していく元・民主党議員の方がまだしも現実に向き合えているように思えるところです。この期に及んでも尚、「悪いのは官僚」と言い募る姿勢はある意味でブレがないとも言えますけれど、それが通用しなくなっていることに気づけない人の集まりが民主党なのかも知れません。

 結局のところ民主党の掲げた「政治主導」とは何だったのでしょうか。その性質の一つとして「到達点が示されない」辺りが挙げられそうです。何をどうすれば政治主導に「なった」と言えるのかは、今に至るも明確ではないように思います。恐らく政治主導とは、永遠に終わることのない闘争なのでしょう。何か不都合があれば「それもこれも官僚が悪い、だから脱・官僚、すなわち政治主導にしなければならないのだ」と、そう説き続けるのが「政治主導」なのだと言えます。もっとも、それは小泉純一郎の掲げた官邸主導の二番煎じでもあるわけですが。

 民主党のこうした姿勢は、ある時期までは評価され続けていたように思います。政権交代を遂げた衆院選時点は元より、議席を減らした2010年の参院選時点でも、得票数では民主党が自民党を上回っていました。議席数で自民党が民主党を上回ったのは単に自民党の方が立ち回りに無駄がなかっただけのことで、政党支持率自体はまだ民主>自民だったわけです。この選挙で大きく議席を増やしたのはみんなの党でしたが、その主張は概ね衆院選時に民主党が唱えたものと大差ないものでもありました。民主党の世界観は理解され続けていたと言えます。

参考、衆院選前に民主党が語ったことを、国民はまだ信じているのかも知れない

 その後も自民党が盛り返すでもなく、「小泉構造改革路線を忠実にやっているのは民主党だ」と、煮え切らない態度を続ける当時の自民党総裁であった谷垣に小泉純一郎が迫る場面すらあったわけです。しかし、瞬く間に自民党>(越えられない壁)>民主党という力関係ができあがってしまったのはなぜなのか。民主が失速しても、その民主党政権への不満の受け皿として自民党が機能していたわけではなかった、にも関わらずこれほどの短期間で自民と民主の間に差ができた理由を、とりわけ民主党の関係者は自省してみる必要があると思うのですが――冒頭の報道を見る限り、絶望的ですね。

 日本における改革とは、あくまで精神的な満足感をもたらすだけのものであったとも言えます。煙草を吸いたいからと言って肺が真っ黒になることを望むわけではない、あるいは酒を飲みたいからと言って肝臓を悪くすることを望むわけではない、それと同じなのかも知れません。つまり、国民は改革を望んだが、改革の結果までは望んでいなかった、と。だから改革を唱える政治家を熱烈に支持するけれど、その改革の結果が表れてきた頃の政府には強い不満を抱くのでしょう。

 「自民党をぶっ壊す」と叫んで高い支持率を得た誰かさんの宣言通り、自民党はぶっ壊され、民主党に政権を明け渡すこととなりました。そして官邸主導ならぬ政治主導を掲げた民主党もまた高い支持率を得て、しかる後に(色々なものを巻き込みつつ)ぶっ壊れた、再び自民党に政権を譲り渡すことになったとも言えます。まぁ自民は、自民なりに色々と学んだのかも知れません。到達不能なスローガンを叫んでは、あれが悪い、これが悪いと訴えれば一時的に世間の共感を得ることはできても、その「結果」が出る頃には支持者に愛想を尽かされると、多少なりとも理解するようになったのではないでしょうか。一方で民主党はどうなのやら、特定の党が勝ちすぎるのは好ましいと思いませんけれど、今の民主みたいなのが票を集めてしまうのもどうなんだろうなと感じるところです。

 

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私が犯人じゃありませんよ

2013-05-14 00:07:01 | 社会

「運動会やめなければ生徒の肉食べて頂く」 開成中高に脅迫文(産経新聞)

 全国有数の進学校として知られる開成中学校・高校を運営する「開成学園」(東京都荒川区)に、12日開催予定の運動会の中止を求める脅迫文が届いていたことが11日、警視庁荒川署への取材で分かった。同学園は、生徒の家族だけに入場を制限して運動会を開催する。同署は威力業務妨害容疑などで捜査を始め、運動会当日に警察官を派遣して警戒に当たる。

 同署によると、10日午前8時ごろ、同学園内の郵便ポストに「運動会を中止しなさい。さもなくば、開成生徒の誰かのお肉を召し上がって頂くことになりました」などと書かれた脅迫文が入っているのを職員が発見し、近くの交番に届け出た。脅迫文は1枚で手書きだったという。

 同学園の運動会は毎年5月の第2日曜日に開催。全国有数の進学校でありながら、棒倒しなどの本格的な競技があることで知られ、例年家族やOBらが多数詰めかける。

 同学園はホームページで、12日の運動会が雨天により13日に延期となったと説明。その上で、「運動会は、事情により一般公開は中止となりました」としている。

 

 こういうニュース、最近は多い気がしますね。頻発しているのか、それともニュースバリューを見出されるようになっただけなのか。ともあれ「雨天により延期となったと説明」「事情により~」と学校側は詳細な説明を避け、脅迫があったことは最初の段階では伏せられていたようです。ただ外部のメディアが先んじて報道しているだけに、学校側が事情を隠す必要があったのかどうかは疑問に感じるところです。開成学園サイドの発表としては事後である5月13日になって「報道にもある通り~」と、脅迫があったことを追認する形となっていますけれど、対応としてはどうなのでしょうね。最初から公表するべきだったのか、それともメディアに漏れないよう伏せておくべきだったのか、小中学校ですと問題を内部で処理したがるところが目立つ印象もあります。まぁ、開成は割と変わった学校なので意図は計りかねます。

 ちなみにテレビのニュースでも、開成の運動会の様子が取り上げられていました。生徒の家族だけ、と言いつつ取材陣の入場は許されたのでしょうか。しかし万が一の対策として入場を生徒と学校職員、及び生徒の家族だけに絞ったところで脅迫の犯人が内部にいたら、あまり意味のない対策だなぁとも感じたところです。脅迫が実行に移される確率など、北朝鮮の無慈悲なそれよりも輪をかけて低いものと思われますが、本気で防犯対策を採るなら学校内部の人間にも警戒しなきゃいけないような気がします。外部犯であるという、何らかの確信でもあったのならともかく。

 テレビのニュースに映された運動会の競技の中には、見覚えのないものもありました。あんなこともやっていただろうかと記憶が定かではありませんが、昔に比べれば安全に配慮するようにもなったのでしょうか。学園創立当時には「開成ボール」という「敵陣から自陣までボールを奪ってくれば勝ち」という以外にろくにルールがない、まぁ男塾のラグビーみたいな競技が名物で、運動会当日は救急車をあらかじめ学校前に待機させておくのが常であったと聞きます。流石に開成ボールは廃止された昨今でも骨折は当たり前、睾丸破裂なんて重傷を負った人もいるなど開成の運動会には安全性に問題のある競技が多く、脅迫よりも競技への参加の方が危険なのではと思わないでもありません。

 ともあれ開成の運動会は一種の名物で、過激=安全性に難のある種目ばかりが居並ぶ代物だったりします。これはこれで大いに盛り上がるのですが――あまり快く思っていない人もまた、学校内部にはいるのです。おとなしめの文科系ノリの学生が嫌う、とは限りません。運動部で活躍する生徒の中にも、運動会を厭う人はいました。日頃から体を鍛えている人にとっては活躍の場に違いないのですけれど、それでも運動会にあまり乗り気ではない人もいるわけです。

 開成では運動会>(越えられない壁)>その他の行事で、運動会シーズンは他の活動が事実上ストップします。あくまで学生主導で教員は関与しないのも特徴で最上級生たる高校3年生が全てを取り仕切るのですが、これがかなりの負担となっているのも事実です。ノリノリで運動会に参加する人もいる一方で、そうした友人との付き合いで引っ張られる人もいる、学校一丸となって運動会を盛り上げようとするムードが高まる反面、必ずしも主体的に「祭り」に参加しているわけではない人もいるのです。ただ、あえて周囲の盛り上がりに水を差さない、周りの雰囲気を悪くしないために運動会に巻き込まれているだけの人もいる、と。

 そして高校3年になって実質的には最後の大会を迎える運動部所属の生徒もいます。単なるスポーツ好きに止まる人もいれば、何人かはガチで部活動に青春を捧げている人もいるわけです。ところが最後の大会を前に、運動会の練習のために部員が集まらない、運動会の練習のためにグラウンドが占拠される、運動会の練習に自らも駆り出されて部活動の方が休止状態になる――何かがおかしいような気がしますが、開成の運動会とはそれくらい学校生活のリソースを奪われる場でもあったりします。ゆえに、勉強以上に運動が得意な人であっても、時には運動(部活動)の方に注いだ熱意の分だけ、それを妨げる運動会を快く思っていない人も、実はいたのですね。

 勉強が忙しくて野球の練習ができないだけではなく、運動会の練習が忙しくて野球の練習ができない――そういう不満を持つ生徒もまたいました。テレビのニュースでは生徒へのインタビューもありまして、軒並み「運動会ができて良かった」と学校行事への好意的な声が伝えられていたものです。編集も少なからずあったかも知れません。もちろん、周りが盛り上がっている中で、「たまには中止してみれば良い薬になったかも」などと波風たてるようなことを敢えて言う生徒は少ないことでしょう。しかし、あの運動会が必ずしも開成の生徒全員から歓迎されているものでないということは、OBの一人として伝えておきたいと思います。

 

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現政権の「良さ」を教えているのは誰か

2013-05-12 11:46:24 | 社会

『無私の日本人』磯田道史(プレジデントオンライン)

歴史とは無数の人の人生の束でできている。そう語る磯田道史さんは、歴史家として史料を読むことで、何万人という日本人に出会ってきた。その中に「どうしても頭にこびりついて離れない人たちがいる」と言う。本書は、そんな忘れ難い3人の江戸人の生涯を描いた評伝集だ。

武士に貸した金の利子で、貧しい故郷を将来にわたり救おうとした商家・穀田屋十三郎。清貧を貫き庶民とともに生きた儒者・中根東里。そして絶世の美女に生まれながら辛苦の日々を送り、庵で陶器を作り続けた大田垣蓮月。彼らに共通する「無私」という生き方とは、どのようなものだったのか。

(中略)

だからこそ「無私」を貫いた彼らの生き様、は「いま」の時代に照らし出されて輝きを増したのだろう。史料を読みながらときに涙さえ流し、磯田さんは突き動かされるように書いた。その輝きを伝えることが、数多の人生の糸を手繰ってきた自らの責務だと信じたからだ。

「たとえ経済成長やお金を誇りにせずとも、心穏やかに暮らすための哲学はすでにこの日本にあった。それを過激に実践した3人の姿は、私たち日本人の本当の強みが何であるかを教えてくれているんです」

 

 ……こういう美談系の話、私は吐き気がするほど嫌いなわけですが、まぁ需要はあるのでしょうね。安倍政権誕生まで徹底して経済成長を避けてきたと言っても過言ではない我らが日本の政治は、上に引用したような「無私」だの「経済成長やお金を誇りにせず」といった精神によって支えられてきたのかも知れません。そうして(私的に)恵まれている(とされる)人々――公務員なり電力会社社員なり大手マスコミなり中高年正社員なり時には議員なり社会保障受給者なり――を、あたかも打倒すべき階級敵のごとくに捉え、その給与なり身分保障なりを引き下げてやることが「改革」として罷り通ってきたのが日本の二十一世紀であるようにすら思われます(今回のような作文がが自称とはいえ経済誌に載っていることは、何とも象徴的ではないでしょうか)。

 2年余り前に「津波は天罰、我欲を洗い流せ」と宣ったのは石原慎太郎で、この発言自体は結構な反発を買ったものです。ただ、これが石原ならではの特異な考え方であったかどうか、実はそうでもないのではないかという気もするのです。未曾有の大災害にかこつけての主張は不謹慎として非難されるものである一方、その様な状況でなければ、つまり平時の発言であればどうだったでしょう? 「我欲を洗い流せ」云々と、冒頭の引用のように定期的に繰り返される「無私」の称揚とで、いったい何が違うのやら。結局のところ「我」なり「私」なり、つまりは個人の欲望を許容しない、むしろ自己犠牲を「あるべきもの」として暗に強いる、その様な在り方を理想とする発想が我々の社会の根底にあると言えます。

Q.ソヴェト政権が70年をかけても不可能だったことを、
  エリツィン政権は7年で成し遂げた、それは何か?

A.ロシア人に社会主義の良さを理解させた

 以上は、90年代のロシアの選挙で共産党が大幅に議席を伸ばしたときに語られたジョークです。実際、エリツィン政権下では経済が低迷し国民の暮らしぶりは悪化するばかり、「共産党時代の方が良かった」と感じる人が少なくなかったのでしょう。そして、旧政権の流れを汲む共産党が躍進したと。あのチャウシェスク政権ですら、1999年の世論調査では「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と回答する人が6割に達したそうです。ルーマニアの事例はさておくにしても、西側で評価されているほどエリツィン時代は良い時代ではなかった、ソヴェト政権下の政治的な不自由よりも、エリツィン政権下の経済的な不自由(貧困)の方が、よりタチの悪いものであったと当事者からは評価されたわけです。

 「愛があればお金なんていらない、という人もいますけど、それは本当の貧乏を知らない人が言うことですよ」と語ったのは、経済苦を理由に親が自殺してしまうほど実家が貧しかった現・サッカー選手の福田健二氏です。今なお「経済成長やお金を誇りにせずとも、心穏やかに」といった類を好意的に迎える人も多いのかも知れません。しかし、多少は状況も変わりつつあるのかな、とも。新政権発足後にも支持率を上昇させるなど、まぁ順風満帆と言っていい安倍内閣ですけれど、つい最近まで自民党の支持率だって決して高くなかった、民主もダメだけれど自民も……という声こそ最大多数はであったはずです。それがどうしてここまで差がついたのか、慢心、環境の違いでは済まされません。前政権からは打って変わって経済が回復基調に載ったことを素直に評価する人も多いわけで、現政権の「良さ」を理解させたのは何なのやら。好転材料が皆無に等しかった民主党の経済運営を「心穏やかに」受け入れる類の人が今後は「抵抗勢力」と化していくのかも知れません。

 

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