麻生太郎副総理兼財務相は26日、東京都内で講演し、日本の新型コロナウイルス対応に関し「マスクを着け、手を洗い、出勤をずらし、いろいろな努力をやった。民度が高いって言ったらぐちゃぐちゃ言われたが、世界中が日本の民度が高いと言っているんだからいいじゃないか」と述べた。
麻生氏は6月に国会で、日本での新型コロナによる死者数が欧米より少ないことについて「民度が違う」と答弁し、批判を浴びた。
バイデン次期アメリカ大統領より2歳ほどの年長者として知られる天下の副総理ですが、性懲りもなく「民度」が云々と述べているそうです。何でも「世界中が日本の民度が高いと言っている」とのこと。この辺は技術力と同じで一部の日本人の思い込みに過ぎず、トランプの言う選挙不正と同レベルの代物ではないかという気がします。逆に中韓ベトナムに感染対策で後れを取る辺り、民度の違いはどうなのでしょうか。
1日あたりの感染者数最多、あるいは週あたりの最多、止めに重症者数も最多を記録するなど、麻生の周囲はさておき今は再度の新型コロナウィルス感染拡大のさなかにあるわけです。一方でマスク着用はまだしも、時差出勤やリモートワークについては「元通り」の方向へと戻りつつあり、通勤時間帯の電車混雑は増すばかりでもあります。民度とはいったい何なのでしょうね。
大企業でもリモートワークから「通常出社」へと復古を進める会社は少なくありません。その筆頭である伊藤忠商事の社長曰く「テレワークをするための体制や機器が整っているからといって、自分たちだけ在宅勤務をしていいのだろうか」「伊藤忠のお客さんの多くは現場に出なくてはいけない。そういう人たちがいる中で、伊藤忠の本社だけが在宅勤務をするという考え方はありません」とのこと、こうして過密状態が戻ろうとしています。
参考、商人は客に寄り添う 「出社が基本」伊藤忠・鈴木社長(日本経済新聞)
「サビ残」もあれば、「ラマ残」もあると、以前に私は書きました。イスラム教徒の間では特定の時期に日中の飲食を絶ち、飢えや渇きなどの苦しい体験を共にすることでコミュニティ間の連帯意識を養う風習があるわけです。この断食を行う時期=ラマダンと似たような風習として日本にも、「ラマ残」があると私は思っています。残業という苦しい体験を共にすることで社内の連帯感を強める風習は皆様の勤務先にもあるのではないでしょうか?
ラマダン期間の断食は、食糧不足を理由として行われるものではありません。あくまで苦難を共にするために「あえて」行われることです。同様に仕事が残っているからではなく、あくまで苦難を共にするために「あえて」行われている残業もまた少なくないように思います。そしてこの「ラマ残」に参加しない人は、ムスリムが多数派の社会における異教徒のような扱いを受ける、よくあることではないでしょうか。
伊藤忠の社長の、リモートワークと出社勤務に関する考え方もラマダンあるいはラマ残の精神に基づくものだと言えます。テレワークをするための体制や機器が整っているとしても「あえて」感染リスクを冒して通勤させることでコミュニティにおける連帯感を高めていく、そうした判断が下されたわけです。民度の違いは何処へやら、イスラム教徒も日本の財界人も、同じ人間として根本的な考え方は変わらないのですね。
国家公務員の今年の賞与は0.05カ月分の削減と決められました。昨今の社会情勢で公務員の仕事量は大半が増大しているはずですが、公務員の給与水準は働きぶりではなく民間企業の後追いで決められるものですから致し方ありません。ところが、この削減幅が少ないと噛みつくメディアや論者が後を絶たないわけです。給与あるいは賞与の大幅な削減から免れる人は異教徒であり、(必要なくとも)苦難を共にして初めて共同体の一員として受け入れられる、そういうものなのでしょう。