非国民通信

ノーモア・コイズミ

本当は暇な人が多いんだろうな、と

2022-08-28 22:57:32 | 社会

 先週は岸田首相までもが新型コロナウィルスに感染する事態となりました。私の勤務先でも感染は相次いでおり自分もいつまで感染から逃れられるか不安を感じるばかりです。幸か不幸か岸田首相の場合はワクチン接種からちょうど抗体が高まるタイミングとあって症状は素人基準でも軽いようですが、そのせいか感染者数が高止まりする中でも感染対策の緩和は止まるところがありません。

 岸田首相の場合はリモートワークで対応するとのことで政治には大きな混乱が生じていないようですが、しかし世間では脱リモートに舵が切られています。リモートワーク「させない」職場のコロナ感染者はどうしているのでしょうか。現状では一定期間の隔離が求められますけれど、丸々1週間も会社を休むような事態となると「本当に」忙しい人には大打撃です。致死率が低かろうとも、仕事に穴を開けられない「本当に」忙しい人はなんとしても感染を避けなければなりません。

 しかるにBA5と呼ばれる昨今の流行の型は感染力が強く、個人の努力での感染防止には限界があります。そこは公衆衛生の水準を引き上げていく他ないはずですが、日本がやっていることは真逆です。勿論ヒマな人にとっては仕事に穴を開けるリスクなんて微々たるもの、さらに症状を甘く見ているようであればコロナ感染はちょっとした休暇期間ぐらいに感じられるのかも知れません。そうした人が世論の主流派を形成している結果が今に至るのでしょう。

 リモートワークは緊急自体における事業継続計画の一つでもあります。組織のトップが疫病に感染したとしても隔離された環境で業務を継続できると言うことは人類の進歩の一つです。しかし健康であれば国会への「出勤」が義務づけられているのが現状で、リモートワークは非常措置としてしか受け入れられていないとも言えます。国家の長がリモートで対応しているのなら、官公庁も民間企業もそれに倣って良さそうなところ、しかしコロナ前の旧態依然たる働き方を正常と位置づける価値観は変わらないようです。

 これだけ感染が広範に拡大すれば何事にも支障を来さずにはいられない、経済を回すためには感染を抑えなければならないはずですが、そういう方向とは真逆を向いているのは何故でしょうか。ただ会社に出勤しているだけ、雑談や喫煙で時間を潰して仕事をしているフリをしているだけの人を多く抱えているのなら、まぁ出勤できない人の割合が高まったところで大差ないのかも知れません。後は感染症対策を緩和して、経済を優先しているフリをするだけです。

 あるいは新型コロナウィルスの感染症分類を格下げすることで、最終的には従来型のコロナウィルス(すなわち風邪)のように、感染していてもガンガン出勤、ガンガン外出する社会へと移行することが目論まれているのでしょうか。新型コロナ以前は電車の中でもオフィスでも、周囲を憚らずゲヘゲへと喉を鳴らして、辛くても頑張る自分をアピールする人が多かったわけです。いずれは新型コロナもそういう扱いになると思われますが、これは公衆衛生の面でも脅威であり社会の後退に他なりません。でもそれが、日本流の経済優先策なのでしょう。

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日本はどの戦争を反省しているのか

2022-08-21 23:01:13 | 社会

 さて先週には終戦記念日があり、一定の範囲で戦争への反省も語られたわけです。ただ悲惨な戦争を繰り返さないと口にする人々が想定している「戦争」とは何を指すのでしょう。それはあくまで日本の敗戦に終わった太平洋戦争を念頭に置いたものであって、日清戦争や日露戦争、シベリア出兵を悔いて非戦を誓う人は皆無に近いと思います。

 同じ戦争でも何が違うのか、もちろん時期の問題もあるかも知れませんが、より大きな要因は勝敗であったり、日本の「本土」への攻撃の有無にあるのではないでしょうか。負けたから、攻め込まれたからこそ「悲惨な戦争」として反省の対象になるのであって、勝った戦争、一方的に攻め込んだ戦争とは扱いが全く異なっています。

 戦後の日本は宗主国となったアメリカの戦争に何度となく加担してきました(この「戦後」という言葉が諸々ある日本の対外戦争の中から特定の一つを指すこと自体から察するところもあります)。戦争全般を否定するのであれば、アメリカの戦争や、それに協力することにも強く反対すべきことは言うまでもありません。しかし、日本社会が否定してきたのは敗戦であって、勝てる戦い、相手側に攻め込む戦いに関してはその限りではないようです。

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 剣はペンよりも強し──山上容疑者による安倍元首相銃撃が社会に与えた影響は、今さらながらにそれを実感させるものと言えます。統一教会の問題や政治家との関わりは既知の事柄であり、昔から公に追求してきた言論人や団体は決して少なくありませんでした。しかし、そうした人々のペンが世の中を動かしたかと言えば、山上容疑者の銃によるそれよりもずっと小さいわけです。

 テロリズムの思惑に乗るなとの建前で統一教会問題を有耶無耶にしようとする論者も散見されるところですが、彼らの動機はさておき、世の中が言論よりも暴力に反応することについてはどう判断されるべきでしょう? 一般論では暴力による変革は否定的に扱われることが多いです。しかし2014年にウクライナで起こった暴力革命は西側諸国で全面的に是認されており、それは政治的な立場次第なのかも知れません。

 もし暴力ではなく言論によって動く社会を志向するのであれば、それは暴力の否定よりもまず言論に反応する社会へと変容する必要があります。テロが発生してからテロリストに憤るのではなく、そこへ至る前に言論で世の中が変わってこそ、ペンが剣よりも強い社会は実現可能となるわけです。先祖代々統一教会の同盟者であった政治家が暗殺されるよりも前に、統一教会や政治家との関わりを問題視する人々の声に社会が耳を傾けて来なかったこと、反省されるべきはこちらでしょう。

・・・・・

 いざ戦争が始まってから開戦に踏み切った国を非難する、そんなものは反戦でも非戦でも何でもありません。今の日本が取っている道は、「二度と敗戦を繰り返すまい」と自陣営の勝利を目指しているだけです。本当に戦争そのものを世界からなくしたいのなら、戦争に至る前の外交の段階こそが強く問われる必要があります。戦争が始まってから反戦を訴えるのではなく、そうなる前の不断の努力こそが平和への道です。

 ロシアに対してそうであったように、昨今はアメリカが中国政府への挑発をエスカレートさせています。流石に中国側も看過してはいられないわけですが、だからといって中国軍が何か行動を起こせばそれを非難するのが日本側のシナリオでしょうか。火蓋が切られてから戦争への反対を叫ぶだけで満足してしまうのなら、それこそ平和主義は終焉を迎えたと言う他ないです。

 本当に戦争を防ぎたいのであれば、その火種を蒔く勢力を押し止めることしかありません。アメリカ陣営の支配を広めていくことを目指すのか、アメリカの傘下に入らない国とも共存する世界を目指すのか、今が時代の大きな分岐点になっていると言えます。二度と繰り返すまいと反省しているのは戦争そのものなのか敗戦なのか、それを問う視点が必要なのではないでしょうか。

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付き合う相手は選んでると思う

2022-08-14 22:58:55 | 政治・国際

 例えば私が何か架空の団体をでっち上げたとします。そして実態のない団体の名前で現職の国会議員に講演や寄稿を依頼したとして、果たして受けてくれる政治家はいるでしょうか。もし私がでっち上げた架空の団体のためにでも一声で駆けつけてくれるような政治家であるならば、その人が統一教会の関連団体の会合に出席していたとしても仕方ないと言えるかも知れません。ただ普通の政治家は多少なりとも相手を見て対応していると思います。

 あるいは指定暴力団の構成員が、選挙ボランティアに志願してきたとします。これを受け入れてくれる候補者は(泡沫政党はさておき)いったいどれだけいるでしょう。反社会勢力からでも未成年でもボランティアとして選挙活動に協力させるような政治家であれば、その人が統一教会の関係者を組織の一員に組み入れていたとしても情状酌量の余地はあるかも知れません。しかし普通の政治家は最低限の身元確認はしているものかと思います。

 統一教会の問題について知らなかった、あるいは統一教会の関連団体であると知らなかったという弁明だけは、あり得ない話でもないでしょうか。政治家でも新聞記者でも大学教授でも、驚くほど物事を知らない人は普通に存在します。ちょっとでも政治に関心のある人なら安倍家(岸家)と統一教会の同盟関係なんて昔から織り込み済みですけれど、選挙に勝つことが専門であって政治には疎い議員や、就職や昇進の名人だけれども無教養なメディア関係者や専門家は決して珍しいものではないですから。

 

“統一教会”が韓国で大規模会合 安倍元首相に“献花” トランプ前大統領はビデオで…(日テレNEWS)

韓国で12日、「世界平和統一家庭連合」、いわゆる“統一教会”の大規模な会合が行われました。会場には献花台が置かれ安倍元首相に対する追悼の時間がとられる中、アメリカのトランプ前大統領もメッセージを寄せました。

(中略)

アメリカ トランプ前大統領
「信じられない努力を傾けている韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁に感謝の言葉をお伝えする。韓鶴子総裁とともに、夫である文鮮明(ムン・ソンミョン)氏にも感謝したい」

 

 日本では山上容疑者による銃撃が世間の風向きを変えたようで、政治家が統一教会との関係を隠すようになりました。しかしトランプ元大統領に関しては、その限りでもないことが分かります。元よりトランプ支持層は法輪功系列のメディアをニュースソースとして行動することも多く、カルトとの親和性の高さは窺われるところです。それだけ付き合うことにメリットのある相手でもあったのかも知れませんし、思想面で共感できるところも多かったのでしょう。

 日本の右派は韓国を嫌う傾向にあるわけです。普段はアメリカへの追随を基本路線としておきながら、韓国との関係悪化に関してはアメリカの意向を無視した日本の独自外交と呼べるもので、それだけ日本にとって重要なものであると言えます。では韓国のカルト宗教ともなれば尚更のこと、日本から排除しようと考える方が一貫性はあるはずです。ところが対立する国のカルト宗教を政府与党の大物議員が同盟者として迎え入れてきたのが実態なのです。

 ある意味で大同小異と言いますか、より強い憎悪があれば対立は乗り越えられることを、政治と統一教会の関わりは示しているのではないでしょうか。統一教会と同じものを敵に見立ててきたからこそ、決して仲が良くない国のカルト宗教ですら同志として手を組むに至ったわけです。韓国でも伝統的に右派の方が──反共(反北)の同志と見なすがゆえに──日本に対し融和的であったりします。そうした面では日韓関係の改善を期待できなくもありませんが、しかし「敵」を同じくすることに依拠した友好関係ってのはどうなんだろうとも思うところです。

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別の国がやったなら評価は異なるわけで

2022-08-07 23:05:44 | 政治・国際

「過激主義対策として評価する」 アルカイダ指導者殺害で官房長官(朝日新聞)

 松野博一官房長官は2日の閣議後会見で、バイデン米大統領が国際テロ組織アルカイダの指導者、アイマン・ザワヒリ容疑者(71)をアフガニスタンの首都カブールでドローン(無人機)で空爆し、殺害したと発表したことについて「中東地域の平和と安定に資する国際的な過激主義対策の成果のひとつとして評価する」と述べた。

 その上で、松野氏は日本政府の対応として「アフガニスタンを再びテロの温床にしないため、過激主義の国際的な拡散を防ぐため、引き続き国際社会と連携してテロ対策に取り組んでいく考えだ」と述べた。

 バイデン氏は今回の作戦について「正義は実現された。テロリストのリーダーはもういない」と述べている。

 

 「保守」と言った場合、それは単に保守的な人々や考え方を指すよりも差別主義者を指して使われることが多いわけです。あるいは「フェイクニュース」なども、字義通りに虚偽のニュースを指すのではなくロシア発のニュースをそのように呼ぶ人も少なくありません。そして「国際社会」もまた地球上に存在する各国を意味しているとは限らず、ヨーロッパと北米に日本と特定の国々を指しているケースが目立ちます。ここで松野官房長官のいう「国際社会」もまた同様ではないでしょうか。

 「力による現状変更」も然り、単純に暴力なり軍事力なりを行使して何かを変えるというのであれば、山上容疑者の安倍元首相殺害や2014年ウクライナの暴力革命もそうですし、アメリカが他国の活動家を殺害するのも同様に当てはまります。しかし実際のところ「力による現状変更」と呼ばれるのは専ら、アメリカ陣営に属さない国による軍事力の行使を指しているわけです。山上容疑者の犯行は「民主主義への挑戦」と日本の大手メディアで呼ばれました。では、アメリカによる類似の行為は何と呼ぶべきなのでしょう。

 仮に山上容疑者が「正義は実現された。カルト教団の広告塔はもういない」と述べたとして、そこで日本の官房長官が「日本の平和と安定に資する反社会的カルト対策の成果のひとつとして評価する」みたいにコメントすることは考えにくいところです。あるいはロシアなり中国なりが、それぞれの国へのテロを辞さない活動家を国外で殺害などしようものなら「国際社会」は嬉々として非難の声を上げていたはずです。しかし担い手が宗主国であれば、話は違うのですね。

 核兵器を巡っても、我々の政府には二重の基準があります。しばしば日本は核廃絶や核軍縮、核兵器の不拡散を国際会議等の場で訴えたりもしてきました。しかるに国際会議での決議や条約の制定がアメリカにも及ぶ場面となるや、途端に日本政府は口を閉ざしても来たわけです。まぁ日本の国是はアメリカ第一主義であり、アメリカの意向に背くことは行わない──そういう観点では一貫性があるとも言えますが。

 ウクライナ「避難民」は受け入れるけれどアジアやアフリカからの難民は受け入れない、NATO加盟に必要とあらばクルド人への庇護は取り下げる等々、「国際社会」では国籍によって処遇に差を付けることが当たり前となっています。本来であれば同じ人間のはず、クルド人にだってウクライナ人と同じ人間としての権利があるはずです。しかし「国際社会」がウクライナ人に差し出すものとクルド人に差し出すものは全く異なります。そこにあれこれ理由を付けて正当化を図るか疑問を持つかで、差別主義者かそうでないかが分かれると言えるでしょう。

 人間だけではなく、国家もまた同様です。大国も小国も、宗主国も衛星国もアメリカ陣営に属していない国も、同じ権利を持った国家として尊重されるべきものと言えます。しかるに日本の国家観はどうでしょう。宗主国には(他国に軍事侵攻したり他国の活動家を殺害したり等々)特別な権利を認める一方で、他の国に対しては教え導く立場、時には相手を罰し裁く立場として振る舞ってきたところは少なくないはずです。

 昨今アメリカの中国への挑発はエスカレートするばかりで、レイシストを大いに喜ばせているところですが、その帰結はどうなるのでしょうか。台湾がウクライナの役割を期待されていることは明白ですが、おそらく日本にはポーランドの役割が求められるものと予測されます。かつてウクライナを支配し一時はモスクワをも陥落させた昔年の大国ポーランドとは歴史的にも重なるところが少なくありません。ただ、それが日本にとって良いことかは別の話ですね。

 お互いに相手を尊重することが出来なければ真の平和など訪れることはありません。ところがアメリカの覇権を維持することを以て平和と勘違いしている人も多いわけです。宗主国に従う国を「国際社会」と呼び、それに従わない国を導き、罰していこうとするのが日本の立ち位置と言えますが、こうした日本を外から見た場合はどうでしょう? 独立した国からすれば日本はアメリカの衛星国に過ぎない、対等な国と見なされなかったとしても不思議ではないです。

 近年の国際的な対立は、「アメリカによる天下統一」か「共存」かを問うものであると言えます。戦国時代、最大勢力を築いた羽柴秀吉は惣無事令によって大名間の私闘を禁じましたが、この時点ではまだ日本全国を支配してはいませんでした。九州や関東・東北地域の討伐を続けて天下統一を成し遂げたのは、他の大名間の勢力争いを禁じた後です。現代はアメリカが惣無事令を出している段階に近いものがありますが、全ての国がアメリカに服属する世界を目指すのが正しいかどうか、そもそも現実的に可能なのかどうかは考慮されるべきでしょうね。

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