非国民通信

ノーモア・コイズミ

自称・国際社会と本当の国際社会

2023-08-27 23:02:03 | 政治・国際

 先日はBRICS首脳会議が開催され、既存5カ国に加えてアルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、UAEと6国の正規加盟が決まりました。元は2000年代に新興国とされた4カ国の頭文字を並べただけの造語であったBRICSが、今このように公式な首脳会議の場となったのを見るのは感慨深いものがあります。新加盟国を加えた11カ国は人口規模でアメリカとその衛星国の合計を大きく上回り、いずれは世界経済をも牽引していく可能性を秘めていると言えるでしょう。

 アメリカの傘下にある国々とそうでない国々との陣営対立が深まっていく一方、中東で反目していたイランとサウジアラビアの国交が正常化されるなど独立国サイドでは平和を志向する動きも見られます。我が国はアメリカとその衛星国ばかりに目を向け、それを「国際社会」と呼んできました。しかるに日本の眼中にない本当の多数派である国々の間では緩やかな連帯の動きが広がっているわけです。地理的な塊でもある北米やヨーロッパ諸国はさておき、アジアにおける日本の孤立が少なからず心配ですね。

 日米欧の排他的仲良しグループの強みは、技術や経済、軍事力において先行してきたことです。そして先行してきたが故に少ない人口規模でも世界における優越的地位を長らく保ってきました。ただ衰退が続き経済面で隣国の後塵を拝するようになった日本を筆頭に「先進国」と新興国の差は縮まる一方であり、それが将来的に維持されることはないでしょう。だからこそアメリカは経済制裁や禁輸措置を通してライバルとなり得る国家の発展阻止に力を注いできたと言えますが、これもいつまで保つかは怪しいものです。

 ウクライナを舞台とした戦争において、短期的にはNATOが勝利を得ることは出来るのかも知れません。しかし将来的にはどうでしょうか。拡大を続けてきたNATOですが、アメリカを盟主と「しない」多数派の国々が経済力や技術力を高めていく中では、相対的な地位の低下を避けることは出来ません。今のまま排他的仲良しグループであり続けるのか、それともアメリカに服さない国々との共存を受け入れるのか、いずれは選択を迫られることになるはずです。

 BRICS諸国には足並みの乱れが見られると、日本のメディアからは指摘されることが多いでしょうか。それは独立国同士なのだから当たり前と言えなくもありません。確かに我が国が属しているサークルは異なり、アメリカという明確な宗主が存在し、何事もアメリカの決定に従って行動する、アメリカの敵か味方かで善悪を決める価値観を共有しています。アメリカの衛星国から見ればBRICSの在り方は異質であり、バラバラの方向を向いた寄せ集め集団に思えてしまうのでしょう。

 ただ、それがBRICSに限らぬ独立国の集まりの良さだと私は考えています。現在のNATOを中心とした覇権主義においては誰もがアメリカへの服属を求められる、アメリカに是認されればそれは裁けない存在となり、アメリカに敵視されればそれが「国際社会」における悪として扱われてしまいます。しかしBRICSに議長国はあっても盟主はいません。中国もインドもロシアも、いずれも自国の主権に拘り相互に牽制し合う間柄です。特定の国の一存で国際社会における善悪が決まるのではなく、大国が相互に尊重と牽制し合う中を是々非々で物事が判断される、それこそがあるべき姿ではないでしょうか。

・・・・・

 原発処理水の海洋放出を契機に、中国が日本製品の禁輸措置を強めたことが話題を呼んでもいます。野村哲郎農林水産相曰く「(全面的な禁輸は)全く想定していなかった」とのことですが、これはいくら何でも物事を都合良く考えすぎだったのではないでしょうか。以前にも書きましたとおり、中国政府が本音で安全面を懸念しているとは考えられません。ただ日本はアメリカの意向に沿って中国への敵視政策を続けている、軍拡や禁輸措置をエスカレートしているだけに、当然ながら中国政府としても黙認してはいられないわけです。

 近海で米軍が軍事演習を行えば、それに応じてミサイル発射実験が行われるのと同じことです。中国側が輸入したがっているものを輸出規制の対象にしてきた以上は、その意趣返しとして日本側が輸出したがっているものに規制をかけられる、このぐらいは誰だって予想できていなければなりません。日本政府にとってアメリカの決めた反中政策は絶対的に正しいものであり、そこに反発を受けることなど想像も出来なかったとしたら、あまりにも間が抜けすぎています。もう少し日本は、欧米「以外」の国々へと真摯に向き合う姿勢が必要なのではないでしょうかね。

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リスキリングとはなんぞや

2023-08-20 23:33:37 | 雇用・経済

 PCを使うようになってから漢字が書けなくなった云々とは20年以上前から言われることですけれど、これに限らず使われない能力が衰えるのは普通のことです。昔は出来たことでも、長年ご無沙汰なら出来なくなっていて当たり前、他にも当てはまるものはあるでしょう。私も高校入試や大学入試の問題は、多分一部を除いては解けない気がします。どれほど一所懸命に勉強したところで卒業後に触れる機会のないものは時間と共に忘れられてしまう、そういうものです。

 会社で働くようになってから取得した資格も幾つかありますが、いずれも今再び試験を受けたら合格できる気はしません。一から勉強し直せば話は別としても、過去に勉強したものがどれだけ自分の頭に残っているかは疑わしく、手元にあるのは資格の合格証書だけ、という代物も少なくないです。そもそも同じ資格でも制度の変更や技術の進歩で中身は変わってしまうことも多い、過去の試験に合格した時点での記憶が残っていたところで、それが現在も通用するかは定かでないと言えます。

 さて社員のリスキリングが重要なのだと、我が国の政府が旗を振っているわけです。まぁ従業員に新たなスキルを身につけてもらうこと自体は必要な話に見えますけれど、しかし新入社員「以外」にマトモな実務研修を行っている会社は極めて稀なのではないでしょうか。大半はコンサルタントに説教させるだけ、通俗心理学とくだらない精神論を拝聴させられるだけの研修で満足しているように思います。少なくとも会社主導のリスキリングというのは、滅多にお目にかかることが出来ません。

 独学で取れる資格の定番としては簿記検定なんかがあります。ただ簿記の資格を持っていれば経理関連の部署に配属されるかと言えばそんなことはなく、むしろ資格などなくとも実務経験のある人の方が優先されるわけです。社外での勉強から何かを得られることもあるにせよ、実際の仕事の中で培われたものには及ばないところもあるのでしょうか。そもそも冒頭に触れたように使われない能力は衰えてゆくもの、そして制度や技術の進歩に合わせて知識も更新されないと役に立たなくなっていくものです。

 勉強して自身のスキルを増やしていくこと自体は悪いことではありません。しかし、得たスキルを活用する場がなければいずれは忘れられてしまう、あるいは技術の進歩によって陳腐化してしまいます。これを防ぐためには「仕事で使う」以外にないでしょう。だからこそ雇用側、とりわけ配属を決める権限を持った側が適切に道を示す必要があるはずです。誰にどのようなスキルを求めているのか、そこを明らかに出来ないと社員は何を学べば良いのか分からない、何かを学んでも職場で使う機会がなく腐らせてしまうばかりです。

 プロスポーツであれば、試合よりも練習に多くの時間が割かれます。普通の会社の営業活動の場合はどうでしょう。プロスポーツがコーチまで雇って選手の強化に力を注ぐのは、試合で結果を出すためです。もし練習は全て選手任せ、選手の自腹でやらせていれば、そのチームが勝てるようになることは考えられません。しかるに一般の営利企業の場合はどうでしょう、組織の役目として社員の強化に努めているのか、あるいは社員が独自に何かのスキルを身につけることを期待しているだけなのか、少なくともスポーツであれば後者は完全にアマチュア以下、「草」の世界の考え方です。

 まぁ政財界の本音は別のところにあるのかも知れません。中高年社員がリスキリングによって新たな分野で活躍してくれることを期待しているのではない、むしろ会社から追い出す口実としてリスキリングの不足を持ち出そうとしているだけ、という気もします。企業がホワイトカラーとして確保したがっているのは給料の低い若者だけ、中高年には介護や運輸、警備や清掃に回って欲しいというのが我々の社会の思惑です。ただ中高年を切り捨てる理由として「給料と年齢が上がったから」では格好が付かない、そこでリスキリング云々を持ち出しているだけなのかも知れません。

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接する機会の差

2023-08-16 21:48:25 | 社会

「母ヒグマなぜ殺した」非難432件 札幌市「人に危害の恐れ」 追い払い・電気柵効果なく(北海道新聞)

 札幌市南区北ノ沢の住宅街付近に出没していたヒグマ1頭を駆除した札幌市に、対応を批判する意見が400件以上寄せられている。市は笛を鳴らして山奥に追い払おうとしたものの、音に慣れたためか効果はなく、人に危害を加える恐れがあることから7月8日に駆除した。市は一緒にいた子グマ3頭も捕獲し駆除する方針で、専門家はあらかじめ市街地近くに定住させない方策の必要性を訴えている。

 市に電話やメールなどで寄せられた意見は2日現在で493件。多くが道外からだった。このうち432件が市を非難する内容で「何も悪いことをしていないのになぜ殺したのか」という抗議や、一緒にいた子グマ3頭について「子グマまで殺す気なのか」といった批判だった。駆除への賛成は25件、事実関係の確認などその他が36件。

 

 住宅街付近に出没したヒグマの駆除に非難が集まっているそうです。この辺は、定期的に聞かれる話でしょうか。「多くが道外から」とのことで、それもまたよくあると言えます。生活圏の身近に害獣が出没している人と、動物園や動画の中でしか目にすることがない人とでは、受け止め方も異なるわけです。

 米軍基地なども、同じようなものだと思います。沖縄と「本土」の人間では米軍基地の存在に対する受け止め方がまるで違うのですが、これと同じことでしょう。生活の中で在日米軍の狼藉に直面している人々と、報道の向こうで米軍の存在を知っているだけの人とでは、やはり受け止め方が異なる、対象は同じでも評価は変わるわけです。

 ネズミの駆除に苦情を申し立てる人は滅多にいないでしょうけれど、それはネズミが害獣であるとの感覚が世間に共有されているからに過ぎないと言えます。もしネズミが動物園でしか見られないような希少生物だったならばどうでしょうか。外見自体は、結構かわいらしいところがあります。可愛い小動物の駆除に批判が殺到したとしても不思議ではありません。

 要するに「自分が」害を被るかどうかが基準になっているのでしょう。ヒグマを身近な害獣と感じている人は駆除を不可避と思い、一方で動物園の可愛い見世物としてのクマしか知らない人は駆除に批判の声を寄せるわけです。今回の場合は後者が多数派を占めていますが、私はより現地に近い人々の意見の方を重んじたいですね。

 そして「子供の声」もこれに似たところがあると思います。世の中には選挙カーごときをうるさいと言うような神経質な人々も多い反面、子供の声をうるさいと感じてはならないとする圧力も強く存在しており、それを法律によって強制しようとする人権意識に欠けた人も少なくありません。ただ子供の声もまた、ヒグマと同じようなものではないのか、と。

 「子供に接する機会が減ったからだ」とは、よく言われます。確かにその通りで、少子高齢化や地方の衰退を上回る速度で子供の偏在が進んでいる、ギリギリ東京に通勤できて不動産価格が抑えめのエリアに子育て世帯が集中する一方で、そうでないエリアには子供が払底しているところもあるでしょう。こうした中では、子供で溢れた街の住民と、子供のいない街の住民に二極化してしまうわけです。

 生活圏内でヒグマに接する機会のある現地住民は、それが危険な存在であると知っています。しかし動物園や動画の中でしかクマを見たことのない人々は、可愛いと思いこそすれ危険とは感じません。ゆえにクマの駆除への批判にも繋がるのですが、これは「子供」を巡っても同じ構図があるのではないでしょうか。つまり日常的に子供と接している人は、静かな暮らしを困難にする存在であると理解している一方で、子供と接する機会が皆無に近い人は幻想の中の子供像しか知りません。

 子供の放つ騒音に悩まされている人への視線と同様に、育児に疲弊する母親への視線もまた冷たいものがあります。根底にあるのは同じで、その大変さへの理解が足りない、子供がいかに周りの大人を悩ませる存在であるかに想像が及んでいないわけです。もう少し我々の社会は、子供の周りの大人を大切にする必要がある、そうでないと子供の存在が周囲の大人の犠牲を要求するものになってしまいます。

 残念ながら現状は、子供はヒグマのような、保育園は米軍基地のような存在になっているのではないでしょうか。遠く離れた場所からレンズ越しに見るクマは可愛いもの、しかし実際に生活圏に侵入してきたクマには別の顔もあります。子供も然りで、母親だって時には子供よりも自分の都合を優先したくなる、しかし遠目に見るだけの人々は「子供を最優先にしろ」と圧力をかけるばかりです。

 保育園もまた同様、基地に反対する沖縄の人間を「本土」が冷ややかに眺めているように、近隣に保育園や児童公園を建設されて困窮する住民を迷惑なクレーマーとして我々の社会は扱ってきました。沖縄ばかりに基地を押しつけることで全体として日米関係は良好に保たれていると言えますが、それは道義的に見てどうでしょう? 保育園もまた近隣住民の声を封殺することで問題はなかったことに出来ます。まぁ、多数派による少数派の抑え込みこそが民主主義というものなのかも知れません。

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昔から知られていたこと

2023-08-12 21:08:15 | 社会

ジャニーズ性加害「深く憂慮すべき事態」 国連部会が会見(毎日新聞)

 ジャニーズ事務所の前社長、ジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題を巡り、実態調査のため来日している国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会のメンバーが4日、東京都内で記者会見した。被害を訴える元ジュニアメンバーらと、事務所代表と面談したと報告し、「ジャニーズ事務所所属のタレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれたという、深く憂慮すべき事態が明らかになった」と述べた。さらに、「政府が主な義務を負う主体として、被害者の実効的救済を確保する必要性がある」とした。

 

国連部会の見解「法的拘束力ない」 ジャニーズ性加害問題で官房長官(朝日新聞)

 ジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏の性加害問題をめぐり、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会のメンバーが被害者救済に向けた対応を政府に求めたことについて、松野博一官房長官は7日の記者会見で、被害者への聞き取りなど政府が主体的な調査を行うことに慎重な考えを示した。

(中略)

 また、松野氏は「作業部会の見解は国連としての見解ではなく、我が国に対して法的拘束力を有するものではない」とも指摘した。

 

 さて大手芸能事務所で長年にわたり続けられてきた青少年への性的搾取・虐待の話ですが、国連組織まで調査に乗り出す事態へと発展しています。松野官房長官は日本を代表して「我が国に対して法的拘束力を有するものではない」との見解を表明していますが、いかがなものでしょうか。反ロシアや反中国であれば国連の権威を振りかざすことを好む一方で、自国や宗主国に非難の矛先が向かうようになると国連を無視するようになる、いつもながらの日本外交には違いありません。

 このジャニー喜多川氏による性加害、新たに自らの被害を告白する人が出てきているところではありますが、存在自体は昔から知られており、少なからぬメディアにも掲載されてきました。この辺、オリンピック・パラリンピックの音楽制作担当者であった小山田圭吾氏の障害者いじめや、自民党と統一教会の蜜月関係のようなものでしょうか。昔から知られていたし一般流通の雑誌や書籍にも普通に書かれてきた、それでも世間の注目を集めることなく長年スルーされてきたわけです。

 隠された真実などなく、世の中が気に留めるかどうかの違いしかない、と常々私は思っています。医学部入試における男女の点数調整だって、大騒ぎになる前から裏話として語られてきたものですし、小沢一郎の政治資金問題だって取り沙汰されたのは次の総理大臣と目されるようになってからでも、その実は地元の共産党議団に以前より突かれてきたことでした。誰かの調査や告発によって新たな真実が明るみに出ると言うケースは意外に少数で、多くのことは世間の注目度合いの差でしかない、と。

 では世間の注目を集めるには何が必要なのかと、そこは考えてもなかなか答えが見つからないところです。統一教会の件は、山上容疑者がトリガーを引いてくれました。小山田圭吾や小沢一郎の場合は、地位が上がった結果として有名罪の支払いを求められた結果でしょうか。ジャニーズ事務所の方は、加害者と目される人が死んだからとも考えられますが──少なからぬ被害者がいることは生前から随所で記されてきただけに、もう少し早く世間が注目しても良かったのではないかと思うばかりです。

 これはさておき、他国の独裁者に取り入るために19歳の未成年女性を愛人として差し出す、というのも性加害に当たるでしょうか。客観的に見れば、性加害問題として扱われるものであり被害者の救済も視野に入れる必要があると考えられます。少なくとも再び同じことをやったならば、つまり未成年である日本人女性を外国の権力者へ愛人として送り込んだことが公になったならば、それを仕掛けた人は社会的な非難を受ける、愛人にされた女性は被害者として扱われるはずです。

 ……で、当事者によるコメントがこちらです。世の中には鞭で打たれることを苦痛と思う人もいれば快楽と感じる人もいますので、置かれた状況が同じでも本人の受け止め方はそれぞれ異なるものなのでしょう。柔道の金メダリストでもある内柴正人氏が準強姦容疑で逮捕されたとき、この人は被害者を指して「今の18歳、19歳は立派な大人です。お酒を飲まされたというけれど、自分で断ることは出来たはず」とも述べています。では1959年当時の19歳は立派な大人だったのか、気になるところです。

 他にいくらでも選択肢がある中から、権力者に取り入るべく愛人になるという判断を成人が主体的に行うのであれば、それは尊重されても良いのかも知れません。ただ父親を亡くして高校を中退して夜の店へ働きに出た未成年女性に、どれだけ自分の意思で物事を決められる余地があったのかは微妙な印象です。もちろん個別の事例と一般論は異なる、たまたま本人が強い権力志向で周囲の大人の思惑と合致していた可能性もありますが、そうでなかったらどうだろうとも考えられるべきでしょう。

・・・・・・

 性被害を認める、というのもハードルが高いと言われます。性被害を被ること自体が恥として扱われる、性被害を受ける「弱い」人間として「低く」見られる空気が濃いほどに、性被害を隠そうとする動機は高まるものです。俄にジャニーズ事務所の問題が注目されるようになり、そうした流れの中でカミングアウトする人が続いている状況ですが、ここに至るまでには長い時間がかかりました。いわゆるファーストペンギンは昔から散発的にいましたが、それに続く人はなかなか出てこなかったわけです。

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ウクライナだけじゃない

2023-08-06 22:49:13 | 政治・国際

五輪=ウクライナのフェンシング選手が特例招待、握手拒否し失格(ロイター)

[28日 ロイター] - フェンシング女子のウクライナ代表オリガ・ハルランに28日、国際オリンピック委員会(IOC)から来年のパリ五輪出場を保証する書簡が送られた。

五輪で複数のメダルを獲得し、世界チャンピオンにも輝いたことのあるハルランは、27日にミラノで行われた世界選手権のサーブル個人1回戦で、ロシア出身のアンナ・スミルノワと対戦。スミルノワは中立の立場で出場していたものの、ハルランは試合後の握手を拒否し、失格となっていた。

フェンシングのルールでは、対戦相手との握手が義務で、違反した場合は一番処分の重い「ブラックカード」を提示される。

 

 ここでは競技のルールに違反したウクライナの選手が「特例で」五輪出場を約束されたことが伝えられています。アメリカやイスラエルの侵略でスポーツのルールが変わることはありませんが、ロシアによる侵攻であればルールは変わるわけですね。あるパレスチナ出身のサッカー選手は、これまで競技の場で反戦を訴えることを禁じられていたことに触れ、「サッカーと政治を混ぜないルールだと言っていたのに、ヨーロッパのある国で起きたことで、サッカーと政治を混ぜてもいいということになった。」と託ちましたが、当然の反応と言えます。

参考、なぜパレスチナ人選手は“戦争反対”バナーの前に立たなかったか?「誠実さもなければ、公平さもない」

 ただ今回のルールに反したウクライナの選手には同情しないでもありません。ウクライナ人に自由はないのですから。成人男性は出国禁止、ロシア語は禁止、大統領に賛同しない政治家は身柄を拘束され、ロシア非難に加わらなかったという理由で選手が協会から永久追放処分を下される、ロシア人選手の出場する大会への参加は政府の判断次第で禁止、それがゼレンスキーの支配するウクライナです。選手にも故郷での生活があり、家族もいる以上は表だって独裁者の意向に抗うことは難しいでしょう。もしスポーツマンシップに則りロシア人選手と握手を交わしたならば、彼女やその家族がウクライナでどのような立場に置かれるか──それは考慮されるべきなのかも知れません。

 

「私だけ助かっていいの」 罪悪感に苦しむウクライナ難民(AFP BB)

【7月29日 AFP】ウクライナから隣国モルドバに避難したラナ・リセツカさん(32)は、紛争から逃れた人々の心のケアに取り組むプログラムに参加している。「助かった」自分を許し、人生を立て直している最中だ。

 リセツカさんは、ロシアによる侵攻開始直後に7歳の息子を連れてモルドバに来た。最初の数か月は、いわゆるサバイバーズ・ギルト(生存者罪悪感)に苦しめられてきた。

「自分が安全なのは分かっていても、祖国や親を裏切ったという罪悪感を感じる」

 

 いっぽうこちらは国外に逃れたウクライナ人の話です。モルドバも今日では反ロシア派で鳴らしていますけれど、その実は単一民族国家を目指す中でロシア系住民だけではなくウクライナ系住民とも対立してきました。結果としてロシア系住民とウクライナ系住民で多数派を構成する「沿ドニエストル共和国」が生まれたわけですが、この成立にはロシアだけではなくウクライナからの軍事支援もあったことは今こそ意識されるべきでしょう。そんなロシア人とウクライナ人が共存する沿ドニエストル共和国ではなく、対立陣営であるモルドバ中央政府の方でウクライナ難民を迎えているというのが興味深いところです。

 一方でウクライナからの「避難民」は日本でも盛んに受け入れられているわけですが、この中にも「私だけ助かっていいの」 との罪悪感を抱く人はいるのでしょうか。まぁ、生活に余裕が出てきたら多少は考えて欲しいとも思います。現実問題として日本が受け入れてきたのはウクライナ人だけ、アジアやアフリカから難を逃れてきた人の受け入れは拒んできたのですから。祖国の混乱や弾圧を逃れ、庇護を求めてさまよう人は世界中にいます。そんな中で「ウクライナ人だけ助かっていいの」という思いは、人道の見地からは抱かれても良いでしょう。

 多くの日本人はウクライナ支援を通じて差別に親しんできた、というのが私の思いです。アジア・アフリカからの難民を拒み続ける一方で、我々の社会は官民共にウクライナ「避難民」の支援を競ってきました。これは議論の余地のない差別ですが、差別であることを認める代わりに、それを正当化するロジックを作り出すことに力を注いできた人も多いのではないでしょうか。他の国からの難民を拒む理由、ウクライナ人だけを限定的に支援する理由、それを創作し自らを正当化し続けることで我々の社会は差別の論理に慣れ親しむようになった、と言うことが出来ます。

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野党共闘

2023-08-06 20:47:15 | 政治・国際

埼玉知事選、大野元裕氏が再選確実に 与野党の県組織から支持幅広く

 埼玉県知事選は6日に投開票され、無所属で現職の大野元裕氏(59)が再選を確実にした。知事選には、共産党公認で党県書記長の柴岡祐真氏(39)と、無所属で音楽制作業の大沢敏雄氏(69)の新顔2人も立候補していた。

 大野氏は、自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主の各党県組織から支持を得ていた。

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