非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本人論と現実

2016-04-28 21:31:54 | 社会

 日本人自身の手(口)による日本人論には色々とある訳ですが、総じて実態を的確に表していると言うよりは、むしろ醜悪な自己弁護と言いますか、本当は真逆である現実を覆い隠すものでもあるように思います。最もタチが悪いのは「日本人は時間に正確/時間にうるさい」みたいな類いで、これは他国に対する排他的優越心の表れでもありますけれど、しかし本当に時間に正確な国民性であればダラダラ会議で長時間労働なんて起こりえないわけです。そしてもし日本人が時間にうるさいのであれば、サービス残業なんて許されようはずもありません。ところが「日本人は就業時間を守らない」と憤る外国人がいる一方で大多数の日本人は時間を破ることを意に介していなかったりします。

 日本の電車が時間に正確と喧伝されるのも、結局は日本人が時間の遅れを気にしないから、遅れを送れと意識しないからなんじゃないかと思えるところです。人を待たせておきながら逆ギレする人も多いですし、「他人の時間を奪うこと」に無頓着なのが日本の文化なのかも知れません。「日本人は時間にうるさすぎるのだ」と、他人の時間を奪って悪びれない己を正当化するのもまた日本人論なのだと、そう言わざるを得ないのが本当のところでしょう。

 「日本人は曖昧」というのも然りで、実態は正反対、日本ほど曖昧さを受け入れられない社会もないと言いますか、何事も善悪二元論で考える、原発事故やワクチンの副作用等々でもリスクを「ある」か「ない」かでしか考えずに、その「程度」を理解しようとしないのが日本文化であるように思います。大多数の日本人にとって存在するのは白か黒だけ、グレーなんて学者の誤魔化しぐらいにしか受け止められていないわけです。日本人は曖昧なのではなく、「日本人――我々――は曖昧だからよくないのだ、もっと曖昧さを排さなければ!」というのが、最大公約数的な認識なのではないでしょうか。

 日本人は「指示待ちが多い」云々も実態を表さないどころか正反対のような気がしますね。むしろ「指示待ちではいけない、自分で考えて行動しなさい」と子供の頃から吹き込まれて育ったのが日本人であって、そうであるが故に統制が取れない、勝手な思い込みで突き進んで周りに迷惑をかける人も多いところがあるはずです。先日の熊本の大地震では、「野良ボランティア」などとも呼ばれる、社会保険協議会や行政の指示に従わない自称ボランティア集団の存在が問題視されたりもしました。必要のないものを押しつける、勝手な行動で現場を混乱させる、それを「善意」で行う人々の存在は日本の「指示を待たずに行動する」文化の現れに見えます。

 そして「日本人は失敗を恐れる」云々も嘘八百で、強いて言うのなら日本人が恐れているのは「詰め腹を切らされる」ことでしょう。日本は自己責任の国、失敗したときに己に全責任が降りかかってくるような場面であれば、確かにそれを日本人は恐れるのかも知れません。しかし、責任を問われない場面では? 前段の野良ボランティアも然りで、自身の行動で周りに迷惑をかける、状況改善を遅らせるようなことになっても知らぬ存ぜぬで、失敗の可能性を微塵も憂慮せずに行動している人は少なくないように思います。

 会社だってそう、「失敗するとわかりきったプロジェクト」が当たり前のように強行されることは全く珍しくありません。もう少し失敗の可能性を意識して「退く」ことも考慮して欲しいなと私などは感じるところですが、偉い人は楽観論で突き進みます。政治にしても同様で、たとえば消費税増税のように過去の失敗から何も学ばずに同じことを繰り返し、同じ結果を招いたりもしてきたわけです。なぜ失敗を恐れないのか、もう少し失敗を恐れて慎重に検討するべきではなかったのかと思うのですが……「日本人は失敗を恐れすぎる、もっと果敢に挑戦しなければならないのだ」と、そう考えている人の方が多いのでしょう。

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大正義自衛隊

2016-04-24 10:43:50 | 社会

みのもんた、"自衛隊きちんとして"発言を謝罪「激励のつもりだった」(マイナビニュース)

タレントのみのもんた(71)が22日、自身のツイッターを更新。20日に「自衛隊きちんとして欲しいね」とツイートしたことを謝罪し、真意を説明した。

みのは20日、「俺なんかの役目はね、広めること。今回の震災もね、熊本だけじゃなくて九州全体だから。支援のやり方も甘い。自衛隊きちんとして欲しいね。あと、過去の震災、阪神淡路、もっと遡れば関東大震災の教訓活かせてないでしょ?」とツイート。この投稿に、「批判する前に動け」「自衛隊は不眠不休で頑張ってるだろ」などと批判の声が殺到した。

そしてこの日、みのは「『自衛隊きちんとしてほしいね』という僕の言葉で現場で活動されている方々や、その御家族に不快な思いをさせてしまったことに対しては本当に陳謝したい。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。

 

 古くは阪神淡路大震災時の「村山首相が自衛隊出動に反対した」というデマの流布を筆頭に、自衛隊が不当に扱われている、自衛隊の活動が妨害されている云々といった類いの被害妄想を抱いている人は少なくありません。みのの言う「現場で活動されている方々」は決して軍隊だけではない、自衛隊「以外」の人々もまた現地で悪戦苦闘していますし、現場に入らずとも被災地支援のために労を費やしている人もまたいるわけです。しかし、特別にクローズアップされるのは自衛隊だけ、と言う辺りに日本社会の病理があるのかな、と感じますね。

 自衛隊に限らず災害救助や被災地での活動に携わる人はいますが、感謝されるのは自衛隊だけ、称揚されるのは軍隊だけという風潮は色々と問題があるのではないでしょうか。まぁ、そうであるならば反対に批判も強くなるのが道理というもので自衛隊が唯一無二のヒーローと崇められている日本社会であるからこそ「きちんとして欲しい」と要求が厳しくなるのは致し方ないことかと私などは思います。しかるに我々の社会の圧倒的な自衛隊愛は、僅かなりとも自衛隊に批判的と受け止められる発言をすら許容しないことが、今回の騒動から分かります。自衛隊は、常に賞賛一色でなければならないのでしょう。

 かつて自衛隊に言及して「暴力装置」という用語を使った政治家が激しい糾弾にあったこともありました。「暴力装置」という用語には否定的なニュアンスはなく全くの誤解に基づく糾弾ではありましたが、それだけ日本社会の自衛隊愛は絶対であり、批判的に「見える」だけの発言すらも受け入れがたいのだと言えます。自衛隊は神聖にして侵すべからず――ネット社会に限らず政治家など発言の注目される存在になる上では「リテラシー」として学んでおくべきことなのかも知れませんね。

 自衛隊を批判する声が聞こえてこない一方で「自衛隊が不当に批判されている」という声を上げる人は数限りない、どう見ても業務とは全く関係がないはずなのに研修と称して従業員を自衛隊に体験入隊させる企業が後を絶たない、もはや自衛隊は軍隊やレスキュー隊を超えた存在、日本人の信仰の対象へと昇華しているかに見えるところですが、どうしたものでしょう。私としてはもう少し、ありのままに自衛隊を見るべきではないか、自衛隊以外でも災害現場で尽力する人々の存在に感謝したらどうか、結果的に不十分であった部分は自衛隊であっても批判的検証はなされるべきではないか、と思わないでもありません。自衛隊「以外」であれば対応のまずかった部分は当然のこととして叩かれます、でたらめなバッシングになってしまえば不毛ですが、それが自衛隊のように「頑張ってるだろ」で無批判になってしまえば、それもまた非生産的ですから。

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言葉は同じでも向いている方向は

2016-04-19 23:45:30 | 雇用・経済

 同じ言葉でも、位置するところは正反対である場合もあります。諸外国と同じようなスローガンを叫んでいても実は日本だけ真逆の方向を向いている、みたいなことも多々あるのではないでしょうか。そして日本だけ経済成長から取り残され、「グローバル化が悪いのだ」みたいに強弁されることも多いですが、たぶんそれはあらゆる面で間違っているのだと思います。

 典型的なのは「ムダ削減」です。一口に「ムダ削減」といった場合でも、日本の場合は他国のそれとは全く違う方に努力を注いでいるのではないかな、と。この辺は長年ダラダラとブログを書き続けているだけにネタが被りますが、ジュースを絞る場合を例に挙げて考えてみましょう。オレンジジュースを絞るとして、一通り絞って果汁の出が悪くなったオレンジをどうするか? 僅かでも絞りかすが残っていれば余さず絞り尽くそうと全力を尽くすのか、それとも速やかに新しいオレンジを切って絞り始めるのか――果たして日本社会における「ムダ削減」はどっちでしょう?

 ここで「ムダ」は二通り考えられると思います。僅かに果汁の残った絞りかすを捨ててしまうことを削減すべき「ムダ」と考えるのか、それともカラカラの絞りかすから数滴の果汁を得ようとする労力をムダと考えるのか、ですね。時間あたりに得られる果汁の量を最大化するのであれば、取るべきは後者と言えます。費やした時間と労力に見合った果汁が得られないと判断すれば、絞りかすは捨てて新しいオレンジを切れば良いのです。時間あたりの労働生産性を上げたいのなら、指針とすべきは当然、後者です。

 周知の通り日本は(時間あたりの)労働生産性が低いことが指摘され続けています。ただ日本より労働生産性が高いように見える国は日本よりずっと賃金が高い、給与水準の低い日本は時間あたりの生産性は低くても、実は賃金あたりの生産性は高かったりするわけです。上記のオレンジジュースのたとえで言えば、やはり日本は前者なのでしょう。時間と労力を費やして絞りかすから一滴、二滴の果汁を搾り出せば時間あたりの生産性は当然ながら低下します。反面、オレンジ1個あたりの生産性は上がりますから。

 とりあえず私は国際標準である「時間あたりの」労働生産性を向上させるべきと考えますけれど、まぁ「賃金あたりの」労働生産性を追求していくのも異論としてはアリなのかも知れません。問題は、一口に「ムダ削減」なり「労働生産性向上」と語られている一方で、その「中身」を無視した議論だけが消費されているところでしょうか。ムダ削減や生産性向上を目標に掲げるのは結構ですけれど、それはどちらを向いた改革なのか、この辺あまりにも無自覚なまま旗が振られているようにも思います。

 日本企業が実際にやろうとしていることは(賃金あたりの)生産性向上なのに、国際基準での(時間あたりの)労働生産性が上がっていないと嘆くのは、何とも愚かしい話ではないでしょうか。日本はグローバル化しない、時間あたりではなくあくまで賃金あたりの生産性向上を目指す、というのなら賛成は出来ませんが筋は通ると思います。しかし日本の経済言論は自家撞着の酷いものばかりで……

 結局、日本企業が「ムダ削減」を進めれば進めるほど、ヨソの国の物差しでの「ムダ」はむしろ増えてしまう、労働生産性と同じで(日本式に)努力すれば努力するほど、(国際基準では)悪い方向に進んでしまう、そういうものなのだと思います。この結果として日本が世界経済を牽引するような格好になっていれば「日本のやり方が正しかった」と証明されそうなものですけれど、現実は全くの正反対です。もう、日本で主流の経済言論は180°ひっくり返してしまった方が良いのではないか、という気がしますね。

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極左党公約

2016-04-17 21:52:04 | 文芸欄

公約17

 

・子供や若者と同じくらい中高年も大事にします

 

 

・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)と菅直人は全くの無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので極左党です

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財政再建を説くならば

2016-04-13 23:25:53 | 政治・国際

 諸々の国際的な枠組みが作られる中で、統一されるべき考えられているものもあれば、各国の自由に任されるべきと考えられているものもあるわけです。たとえば日本も関わるところとなりますとTPP絡みで著作権法なんかは、「統一されるべき」グループに属しているようで、その辺は幾分か陰謀論的な脅威論を呼んだりもしています。EUでも、統一通貨が導入されたりしているのは誰もが知るところで、これが為替相場の変動による域内の調整機能を麻痺させドイツが周辺国経済を疲弊させる事態を招いたりもしているのですが――まぁメリットもあればデメリットもあると言えます。

 逆に「自由に決めるべき」グループに属するものも多く、その頂点に位置するのが法人税率でしょうか。国際的な枠組みが作られ、その参加国の間で統一ルールが設けられる中でも「あくまで各国が自由に」設定しているのが法人税率で、民間企業の商行為であればダンピングとして糾弾されて当然の低税率を設定することで「法人税率の低さを当て込んだ企業」の招致に励む国もいる、わざわざペーパーカンパニーの設立に便宜を図る国もあるわけです。この分野における真のイノベーターであるアップル社を筆頭に租税回避は好んで利用されているところもありますが、当然のこととして各国の財政悪化、減少する法人税を消費税増税で埋め合わせるなんて結果にも繋がっていることは言うまでもありません。

 

租税回避の対策、G20財務相会合で議論へ パナマ文書(朝日新聞)

 各国首脳らとタックスヘイブン(租税回避地)の関連を暴露した「パナマ文書」を受け、各国は連携して租税回避の対応策を協議する。経済協力開発機構(OECD)は、13日にパリで税務当局者による会議を開くことを決めた。14日からワシントンで始まる主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議でも、議論する見通しだ。

 OECDの会議では、文書で明らかになった取引についての情報共有のあり方や、国際的な租税のしくみの問題点などを確認するとみられる。G20はこの議論も踏まえ、具体的な対応策を話し合う。日本が議長国となる5月の主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)でも、租税回避の対応策は主要な議題となる可能性がある。

 2017年から順次、日本を含むおよそ100カ国・地域が参加して、国外に暮らす人の銀行口座などの情報を交換するしくみが始まる。G20などでのこれまでの議論に基づくものだ。これにより、各国は英領ケイマン諸島などタックスヘイブンの国に開いた自国民の口座情報も、すぐに手に入るようになる。ただ、パナマはこのしくみへの参加を約束しておらず、各国は抜け道ができないように参加を呼びかける見通しだ。

 

 とかく日本では経済筋の論者ほど、租税回避地の税率を比較対象に「日本の法人税率は高すぎる」と強弁してきたものですが(法人税収は低いのに)、日本の外の世界の潮目は多少なりとも変わるでしょうか。どこかの国が低い法人税率で税金逃れを望む企業を誘致して、それへの対抗措置として別の国も負けじと法人税を下げる、そして別の国も対抗して法人税を下げる、この繰り返しで税収を減らし、消費税増税で税収減をまかなうのにも失敗して財政悪化が進んでしまう、まさに負のスパイラルです。それを止めるためには単独の国家による対策では無意味で、まさに国際的な枠組み作りが求められると言えます。

 日本ではグローバリズム=悪という見方も強いですし、租税回避地の税率を口実に法人税を下げるべきだと説く人も多いです。積極的に国際的な連携を築いて租税回避を阻止するという方向に我が国が動くとは、なかなか考えられないところでもあります。ただギリシャのように法人税を下げて代わりに消費税を上げて、それで財政破綻した日本の先達もいるわけです。法人税を下げて企業を国内に止める、国外から呼び寄せるという、そうした従来路線は既に限界を見せているのではないでしょうか。日本政府はパナマ文書に関して調査しないとの方針を表明しているようですが、いい加減に路線転換すべき時期にさしかかっているのではと私には思われます。

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権限委譲が出来ていないのって……

2016-04-10 11:41:30 | 雇用・経済

 とかく「外資系」とは一括りにして語られることも多いですが、そうした言論はどこまで現実に合致しているのでしょう。海外資本というカテゴリは同じでも、アメリカ資本も企業もあれば中国資本もある、フランス資本なりフィンランド資本の企業だってあるわけです。日本よりもずっと労働者保護が進んでいる国から進出してきた会社も多いのですが(たとえば日本では当たり前の差別的な区分に基づいた退職強要はアメリカでは無理と聞きますし)、その割に「外資系は簡単に首を切られる」という通説がまかり通ってもいますね。経済誌を読めば「(日本では)正社員は解雇できない」と書いてありますが、「ただし外資系は治外法権とする」ということなのでしょうか。まぁ経済言論は矛盾を全く気にしない類いばっかりですから……

 なお外資系企業は日本の企業に比べて意思決定が早いとも言われます。この辺はどうでしょう。外資系の実態がどうかはさておき、日本企業の意思決定が「遅い」部分は、己への戒めとして認識しておくべきかも知れません。よく言われるのは、権限委譲の問題ですかね。日本では何を決めるにも役員詣でを繰り返さないと許可が下りない、もっと現場レベルに決定権を持たせるべきだ云々、と。確かに、日常的なルーチン業務ですら役職者の承認をもらうためにスタンプラリーが当たり前みたいになっている組織も多いだけに、その辺は改善点とは言えそうです。

 もっとも役員クラスが現場に権限を委譲するだけではなくて、現場レベルでも考えを改める必要があるのではないかな、と思うことも多いです。結局のところ日本はヒラ社員どころか非正規社員ですら経営者意識ばかりが強くて、それが事態を悪化させているところもあるのではないでしょうか。ボロは着てても心は錦、下っ端でも心はエグゼクティブ――日本の「やる気のある」会社員は何事も経営者の目線で物事を考えるものです。すると、権限委譲を阻む役員と同じで現場の担当者ですらもが権限委譲を拒む、他人のやることなすことに「いや、これはこうすべきだ」と難癖を付けては、事態を混乱させるケースが目立つように感じています。

 むしろ「自分の担当はこれ」「○○なら○○さんの持ち分」と明確に役割が定められていれば良いのですが、往々にして日本の職場は正反対です。何をやるにしても担当外の人間が役員ばりに「意見」を出してくる、それが意思決定を阻むパターンを諸々の職場で経験してきました。どこの職場に行っても「自分の仕事だけじゃダメだ」「お前も意見を出せ」と言われてきたものですが、結果として職場に現れたのは、他人の仕事に口を出すばかりで相互に邪魔し合う、担当外の人間がよってたかって意見を出しては会議を紛糾させる、そんな有様ばかりでした。

 たぶん、権限委譲が出来ていない(そして意思決定を遅くしている)のは日本の会社の場合、「偉い人」ばかりではなく現場の下っ端達にも原因がありそうです。それはもう下っ端と言えど「偉い人」によって選りすぐられた人々ですから、結局は「上」の意識の問題なのかも知れません。ただ現場の担当者レベルですら経営者目線で他人の仕事に口を出したがる人が多い、自分の承認なしでは判断を許すまいと他人の決定にケチを付けたがる人が多い、そうした企業文化は改められる必要があるのではないでしょうか。担当外の仕事にまで意見を出すのは日本の職場では肯定的に捉えられることも多いと思いますが、実際のところ組織の害にしかなっていないのが普通ですし。

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若者幻想

2016-04-06 23:29:08 | 政治・国際

参院比例選の投票先、自民39%…読売世論調査(読売新聞)

 読売新聞社の全国世論調査(1~3日)で、今夏の参院比例選の投票先を聞くと、自民党が39%でトップとなり、民進党の11%を大きくリードしている。

 これに、共産党が6%、公明党とおおさか維新の会が各5%などで続いた。

 全体の43%を占める無党派層では、自民17%、民進11%、共産とおおさか維新の会が各6%などの順で、「決めていない」が42%。参院選で新たに選挙権を得る18、19歳を含む18~29歳の投票先は、自民が5割弱で最も多く、民進は1割弱だった。民進党は、無党派層や若年層の支持を十分に得ることができていない。

 

 ……とまぁ、今月も世論調査結果が報道されているわけですが、いかがなものでしょう。同じ読売で3月に発表された世論調査結果では自民党が38%でした。今回は39%ですから僅かに増えていますが、これは誤差の範囲ですね。一方で民進党ですが、党名決定前の3月調査では15%でした。これが11%へと4%減、比率で言うなら3割減です。これは誤差の範囲を超えた動きと考えても良いでしょうか。そして無党派層に限れば3月調査時点で自民と民進党が16%で並んでいたものの、今回調査では自民が17%、民進が11%と差が開く結果になっています。これは十分、有意な差ですね。

 加えて今回の報道では「参院選で新たに選挙権を得る18、19歳を含む18~29歳」すなわち若者の投票先が伝えられてもいます。その結果はと言えば「自民が5割弱で最も多く、民進は1割弱だった」そうです。公職選挙法違反容疑で話題の田母神氏も先の東京知事選では全体の票こそ伸びなかったものの20代に限れば高い支持を集めていました。世代による投票傾向の違いは、それなりにあるのでしょう。新たに選挙権を持つティーンエイジャーの投票先に期待を寄せる人も多そうですが、期待を裏切られる人も多いのではと思います。

 日本の政治はジュブナイル民主主義と言いますか、「(ボクの考える)将来を見据えた政策が受け入れられないのは目先のことしか考えない爺婆のせいだ、若者が選挙に行けば政治は変わる、若者の投票権を拡大すべきだ」みたいなことを素面で主張する論者も目立つわけです。その辺は政治的立場を問わないようでして、異なる政治主張を持つネット論客でも「(選挙に)負けたのは高齢者の票に負けただけ、若者の政治参加が進めば~」みたいな世界観では一致しているケースも少なくありません。ちょっと、笑っちゃうところですが。

 ともあれ実際に選挙権を拡充して、世論調査をしてみた結果が「自民が5割弱、民進は1割弱」という数値です。どの党も選挙権年齢の引き下げには何ら批判的検討をしようともせず素通ししていった辺りを鑑みるに、「我が党こそ若者の立場を代弁している、若者は我々を支持してくれるはずだ」みたいな自負があったものと思われますが、残酷な現実に向き合うことを余儀なくされる政党の方が頭数としては多そうです。より大きく負けた政党(の支持者)がどんな言い訳を聞かせてくれるのか、今から楽しみにしておきましょうかね。

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司法への信頼が問われる

2016-04-03 11:15:31 | 社会

「人生奪われた」 子宮頸がんワクチン被害、悲痛な訴え(朝日新聞)

 子宮頸(けい)がんワクチンの副作用問題で、接種後に全身の痛みや歩行困難などの症状を訴えている女性たちが今年6月にも、健康被害を予見できたのに回避措置をとらなかったとして、国と製薬会社2社に損害賠償を求めて集団提訴する。

(中略)

 子宮頸がんは国内では年に約1万人(上皮内がんを除く)が発病し、約3千人が死亡する。ワクチンは、子宮頸がん全体の50~70%の原因となる2種類のウイルスの感染を防ぐ効果があるとされる。がんそのものを予防する効果は証明されていないが、海外では、がんの前段階の状態を減らす効果が報告されている。

 厚生労働省が推奨を控えて以降、再開の是非を決められないのはワクチンの評価が分かれているためだ。

 川崎医科大の中野貴司教授(小児科)は「(推奨の中止が続けば)将来、先進国のなかで子宮頸がんの患者が減っていない国が日本だけになりかねない」と指摘。日本産科婦人科学会も推奨の再開を求めている。推奨の中止が続く日本について世界保健機関(WHO)は昨年12月、「弱い証拠に基づいた政策決定」などと声明で批判した。

 

 引用元は朝日新聞なので典型的な悪しき両論併記に終始している感じなのですが、いらない部分は省きます。ともあれ、日本では子宮頸がんワクチンが接種の推奨から外れたまま時間ばかりが経過しているわけです。報道されているようにWHOから非難される有様ですらあるのですけれど、日本国内の動きは鈍いままと言うほかありません。年間で約1万人が発病し約3千人が死亡するともなれば相応に緊急性もありそうに思われるのですが、厚労省も政府も責任を持った決断を下すことを厭うようです。

 不作為もまた罪であると言いますか、何かをやった結果として非難されることもありますけれど、反対に「やるべきことをやらなかった」場合もまた責任を問われるべきものと思います。たとえば民主党&白川日銀総裁時代なんかは典型と言いますか、デフレ放置と実態から完全にかけ離れた超円高を「見守るだけ」なんてのは背任行為に等しいわけです。しかるべき立場の人間が「何もしない」ことで巻き起こされる損失もまた、「何かを決めた」ことが招いた結果と同様に問題視されるべきではないでしょうか。

 子宮頸がんワクチンに関しても然り、一部の声に怯んで接種の推奨を控えてしまえば当然ながら子宮頸がんウィルスへの感染予防に負の影響が出る、ワクチン後進国としての日本にまた失敗の1ページが追加されることにしかなりません。行政が「やるべきことをやれば」防げるはずのウィルス感染を黙認したままで良いのかどうか、そこは問われます。日本は反グローバリズムの牙城みたいなところもありますけれど、「先進国のなかで子宮頸がんの患者が減っていない国が日本だけ」になってしまう、そんな未来は避けたいところです。

 「原発事故(放射能)の影響で鼻血が出た」と強弁する人は今なお存在します。放射線については分かっていることが多く、鼻血が出るほど被曝すれば遠からず死んでしまうので「鼻血だけで済んでいれば放射線の影響でないことは確実」と断定はできるものですが、それでも鼻血を「原発のせいだ」と主張して止まない人がいるわけです。まぁ本当に、かつ頻繁に鼻血が出るなら何らかの健康問題が疑われるので医療機関の受診が勧められますが、そこで「放射能のせいだ」と信じ込んでしかるべく治療を受けない(受けさせない)ともなると、今度は医療ネグレクトへと発展してしまう、自体は余計に悪化することになります。

 子宮頸がんワクチンの副作用を訴える人々もまた然り、ワクチン接種とは別の要因でも起こりうる症例を「子宮頸がんワクチンの副作用だ」と安易に断定してしまうと、本来の原因に応じた適切な治療機会を逸してしまうことに繋がります。原因はさておき日常生活が困難になるような症状は確かに起こっているのでしょうけれど、その原因を探る動きはどれほどのものなのやら(類似症例の線維筋痛症など原因が明確でない類いも多いのですが)。被害者の支援者や便乗者の中には、無責任に「それはワクチンのせいです」と医師でもないのに「診断」している人が多い気がしますね。

 そして上記の通り、とうとう集団提訴なんて動きもできてしまったことが伝えれています。盲目的に賛同する人もいれば、これを無理筋と語る人もいます。実際の医療従事者の圧倒的多数は後者のようですが、結果はどうでしょう。原発稼働を巡る一部の訴訟のように、何よりも己の思想信条を優先する裁判官は実在します。その辺は上級審で判決が覆されることもあるわけですけれど、地裁での判決が高裁で引っ繰り返るのが普通になってしまえば、今度は司法への信頼の方が怪しくなってしまいますね。問われるのは、被告以上に司法の方かも知れません。

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