日本人自身の手(口)による日本人論には色々とある訳ですが、総じて実態を的確に表していると言うよりは、むしろ醜悪な自己弁護と言いますか、本当は真逆である現実を覆い隠すものでもあるように思います。最もタチが悪いのは「日本人は時間に正確/時間にうるさい」みたいな類いで、これは他国に対する排他的優越心の表れでもありますけれど、しかし本当に時間に正確な国民性であればダラダラ会議で長時間労働なんて起こりえないわけです。そしてもし日本人が時間にうるさいのであれば、サービス残業なんて許されようはずもありません。ところが「日本人は就業時間を守らない」と憤る外国人がいる一方で大多数の日本人は時間を破ることを意に介していなかったりします。
日本の電車が時間に正確と喧伝されるのも、結局は日本人が時間の遅れを気にしないから、遅れを送れと意識しないからなんじゃないかと思えるところです。人を待たせておきながら逆ギレする人も多いですし、「他人の時間を奪うこと」に無頓着なのが日本の文化なのかも知れません。「日本人は時間にうるさすぎるのだ」と、他人の時間を奪って悪びれない己を正当化するのもまた日本人論なのだと、そう言わざるを得ないのが本当のところでしょう。
「日本人は曖昧」というのも然りで、実態は正反対、日本ほど曖昧さを受け入れられない社会もないと言いますか、何事も善悪二元論で考える、原発事故やワクチンの副作用等々でもリスクを「ある」か「ない」かでしか考えずに、その「程度」を理解しようとしないのが日本文化であるように思います。大多数の日本人にとって存在するのは白か黒だけ、グレーなんて学者の誤魔化しぐらいにしか受け止められていないわけです。日本人は曖昧なのではなく、「日本人――我々――は曖昧だからよくないのだ、もっと曖昧さを排さなければ!」というのが、最大公約数的な認識なのではないでしょうか。
日本人は「指示待ちが多い」云々も実態を表さないどころか正反対のような気がしますね。むしろ「指示待ちではいけない、自分で考えて行動しなさい」と子供の頃から吹き込まれて育ったのが日本人であって、そうであるが故に統制が取れない、勝手な思い込みで突き進んで周りに迷惑をかける人も多いところがあるはずです。先日の熊本の大地震では、「野良ボランティア」などとも呼ばれる、社会保険協議会や行政の指示に従わない自称ボランティア集団の存在が問題視されたりもしました。必要のないものを押しつける、勝手な行動で現場を混乱させる、それを「善意」で行う人々の存在は日本の「指示を待たずに行動する」文化の現れに見えます。
そして「日本人は失敗を恐れる」云々も嘘八百で、強いて言うのなら日本人が恐れているのは「詰め腹を切らされる」ことでしょう。日本は自己責任の国、失敗したときに己に全責任が降りかかってくるような場面であれば、確かにそれを日本人は恐れるのかも知れません。しかし、責任を問われない場面では? 前段の野良ボランティアも然りで、自身の行動で周りに迷惑をかける、状況改善を遅らせるようなことになっても知らぬ存ぜぬで、失敗の可能性を微塵も憂慮せずに行動している人は少なくないように思います。
会社だってそう、「失敗するとわかりきったプロジェクト」が当たり前のように強行されることは全く珍しくありません。もう少し失敗の可能性を意識して「退く」ことも考慮して欲しいなと私などは感じるところですが、偉い人は楽観論で突き進みます。政治にしても同様で、たとえば消費税増税のように過去の失敗から何も学ばずに同じことを繰り返し、同じ結果を招いたりもしてきたわけです。なぜ失敗を恐れないのか、もう少し失敗を恐れて慎重に検討するべきではなかったのかと思うのですが……「日本人は失敗を恐れすぎる、もっと果敢に挑戦しなければならないのだ」と、そう考えている人の方が多いのでしょう。