電子書籍より紙の本で読んだほうが、内容をよく記憶できる:研究結果(ライフハッカー[日本版])
Inc.:デジタル化の流れは、森林にとっては良いことでしょう。しかし、記憶にとっては悪いことのようです。最近の研究によると、電子書籍で本を読んだ人は、紙の本で読んだ人に比べて、内容を記憶している度合いが著しく低いことがわかりました。
ノルウェイのスタヴァンゲル大学の研究者、アン・マンゲン(Anne Mangen)氏の新しい研究では、50人の被験者に28ページの短編小説を読んでもらい、後から重要なシーンをどれくらい思いだせるかをテストしました。このとき、被験者の半分はKindleで、残りの半分はペーパーバックで読んでもらいました。
登場人物や設定を思い出すことに関しては、どちらのグループも同程度の成績だったと、ガーディアン紙が報告しています。ところが、物語のプロットを再構築するよう頼んだところ、大きな違いが見られました。電子書籍で読んだ人は、14のストーリーイベントを正しい順番に並べるテストにおいて、著しく悪い成績を示しました。
マンゲン氏は、先月イタリアで開かれたカンファレンスにおいて、研究発表を行い、この結果についての推論を話しています。
「物語の進行に合わせて紙をめくっていくという作業が、一種の感覚的な補助となります。すなわち、触覚が、視覚をサポートするのです」とマンゲン氏。「おそらくこのことが、読書の進捗度合いと、物語の進行度合いを、よりはっきりと印象付けるのでしょう」
……という研究発表をした人がいたそうですが、信憑性はどれほどのものなのでしょうね。曰く「物語の進行に合わせて紙をめくっていくという作業が、一種の感覚的な補助となります。すなわち、触覚が、視覚をサポートするのです」とのこと。むしろ私なんかは、そういう理由付けを聞くと逆に疑わしく思えてしまうのですけれど、読者の皆様は納得されるでしょうか? 電子書籍端末でも紙の本とは違うにせよ「ページをめくる」という動作は存在します。電子書籍でも進行に合わせて指先を動かさなければならないわけで、それもまた「一種の感覚的な補助」には違いないはずです。
どちらかと言えば、電子書籍の場合は「自分の読んでいる位置が分かりにくい」ことが問題になるような気がします。紙の本の場合、読み終えたページと未読のページの厚みで、自分が読んでいるのが後半部なのか前半部なのか、大まかな地理を把握しているものですが、電子書籍だとその辺が微妙です。故に、物語の進捗と実際に読んでいる章の関連づけが甘くなる等々。もっとも「読み終えるまで○○分」とか「全体の○○%」とか、そういうガイドラインを読者が意識していれば話は別になりますけれど。
より大きいのは、電子書籍は紙の本のようにはつまみ食いできない、ということですかね。紙の本ならパラパラと簡単に好きなページをめくることができる一方、電子書籍ではその辺が難しいように思います。画面下のスライダーをいじれば「飛ぶ」ことは可能ですが、なかなか紙の本と違って狙い通りのページを探すことができないと感じる人が多いのではないでしょうか。紙の本ならば、ちょっとページをさかのぼって前章のエピソードを確認するのは簡単です。そしてページに指を挟んで、別のページを読み返しながら次の章を読み進めていけば、話の繋がりを把握するのは容易になるものです。しかし電子書籍の場合は、この辺が上手く行かない、ひたすら1ページずつ読み進めていくことになってしまいがち、それがストーリーイベントの順序を正しく記憶できない結果にも繋がっているのかも知れません。
もっともこの辺は、電子書籍端末(というよりソフトウェア)の操作性の向上で将来的にはカバーできそうにも思えます。もう少し直感的に、ページをまとめてめくる、章をさかのぼるような操作が可能になれば、紙の本との差異は減るのではないでしょうか。あるいは、電子書籍ならではの付加価値が付け加わることで逆に紙の本に対する優位が生まれてくる可能性だってあります。今でもkindle端末なら辞書機能との連動なんかがありまして、重たい辞書など持ち運べないような環境でも簡単に作中の不明な語句を調べることができたりと、紙の本にはない利便性がないでもありませんし。
まぁ私の場合、電子書籍の利用は専ら収蔵スペースの問題が大きいと言いますか、紙の本を買っても置き場所がない、そもそも本棚を増設するスペースがない、本や本棚を買う金はあっても無理なく本棚を増設できるだけの広い部屋に移り住む金はない、本を買えば買うほど汚部屋化に拍車がかかるとあって、この頃は電子書籍化されているものは電子書籍で済ませるようにしています。そもそも日本の国会図書館でも収蔵スペースの問題は深刻、出版不況なのに出版点数は増えるばかりで建物を増設してもすぐに追いつかなくなる有様です。電子化はまぁ、好むと好まざるとに関わらず不可避なのでしょう。
ちなみにヨタ話になりますが、ソ連時代の書籍には時々「途中で紙が変わっている」ものがありました。本の半ばまでには普通の白い紙が使われているのに、何故か途中から――章の分かれ目でも何でもないところから――茶色っぽく質の悪い紙に変わっていたりしたものです。他の国でも似たようなことはあるのでしょうか。もしかすると社会主義リアリズムの思想の元では「印刷されている中身が重要なのであって、紙の質などどうでも良い」ということだったのかも知れません。紙の書籍を好む人の中には実物としての本の質感を称揚する人も多いですけれど、ソヴェト体制下では生きられませんね。
さらに、プリンストン大学の今年はじめの研究で、手書きでノートをとった人は、キーボードでノートをとった人に比べて、長期的によく記憶していることがわかりました。マンゲン氏らはこれから、デジタル化が認知機能にもたらす影響を調べ、効果的な学習方法を探る予定だそうです。
この研究が進むまで、社員に重要な情報を知らせるときは、メールするだけでなく、紙に印刷して渡すほうがよいかもしれませんね。
なお引用元の後半部ではこんな調査結果も伝えられています。この辺も、手書きかキーボード入力で認知機能がどうこうという感じではないような気がします。単純にキーボード入力でノートを取るのは難しい(ついでにタッチパネル端まるでは文字を入力するのが絶望的)、どうしてもレイアウトの自由な手書きの方が講義の内容をまとめるのに集中できるだけではないでしょうか。ただ口述されたことを順番通りに文字化するだけならいざ知らず、一般的な板書の内容をまとめるには、どうしても右へ左へ上へ下へと書き込む場所を動かさなければならない、この辺はよほど画期的なソフトウェアが開発されない限りは「手書きの方が楽」なのだと思います。順路通りに読み進めれば済む本と違って、ノート作りは紙を使った方が授業に集中できるのでしょう。
どこも流行には迎合したがるもので、学校の授業にタブレット端末を無理矢理使おうとしたり、職場でも老朽化したPCのリプレースを放棄してiPadを配ったりすることは珍しくありません。ただまぁ「並べて見比べる」ということが、この種の端末では難しいですよね。解像度の数値ばかりが無意味に増大して、それをありがたがる向きも多いですけれど、画面が小さいままではあまり意味がありません。間違い探しも絵が隣り合っているのと、ページをめくりながら見比べなければならないのとでは難易度が全く異なります。タブレット端末を一人で何台も併用すれば紙にも負けない運用は可能かも知れませんが、それは流石に馬鹿げた話ですし。
←ノーモア・コイズミ!